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ちょっぴりリニューアル

 2021/10/23(Sat)

 関東は秋を飛び越えて一気に寒くなりましたが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。千尋は相変わらず美術館禁足令中ですが、このところ全国的に感染状況が落ち着いてきているので、何とかこのまま収まってほしいものですね。
 さて最近、賀茂斎院関連の情報を洗い直していたらまた面白い発見やら見落としやらがあったので、ぽつぽつと追加しています。最初はあまり特筆事項がないなと思っていた人物も、よくよく調べてみると結構色々あるもので、巣ごもり生活でも全然退屈している暇がありません。皮肉なもので、美術展に行けなかったおかげで逆に資料集めは随分捗りました。
 というわけで、少々遅くなりましたが改めて簡単にご報告です。

 まず21代斎院佳子内親王ですが、この人に精神病に関する逸話があったというのは、迂闊にも今まで気がつきませんでした。というのも、当方の賀茂斎院サイトは基本的に同時代または後世でも比較的信頼度の高い史料を調べており、明らかに作り話だろうというような伝説の類には最初あまり興味がなかったのです(大体斎院という存在自体がマイナーなため、選子内親王や式子内親王のような有名人を除けばあまり面白い逸話や伝説等はありませんので)。
 ところが最近になって、たまたまとある本で現在の京都市岩倉が精神病医療の古い歴史がある土地で、しかもその始まりが後三条天皇の娘であったという記述に遭遇、びっくりして慌てて調べまくりました。まあ結局これも江戸時代あたりに作られた話らしいのですが、大元の史料の原文がなかなか見つけられず、いや大変でした。こういう時は本当に、ちょっと東京まで行って美術展のついでに調べてくる、という手を使えないのがもどかしいです。

 さて次は3代高子内親王で、この人は近年荘園絡みで興味深い論文が発表されており、その関連で『平安遺文』の記事を追加しました。また今まであまり意識していませんでしたが、高子内親王は母方が百済王家の子孫という珍しい斎院なのですね。おかげで今まで関心のなかった渡来系氏族にまで調査を広げる羽目になり、これまた不勉強で苦労しました。
 なお大変恥ずかしながら、「百済王氏(くだらのこにきしうじ)」の「王(こにきし)」というのが氏族名ではなく姓(かばね)だというのも、今回初めて知りました。平安中期になると姓は殆ど朝臣ばかりになってしまうので、これも平安初期ならではのテーマで面白かったです。
 また余談ですが、埼玉県の高麗郡の地名が高句麗に由来するそうで、これまた驚きました。高麗郡は以前彼岸花で有名な巾着田を訪れたことがあり、ぜひまた行ってみたい所ですが、そんなに古い由来があったのですね。

 最後に初代斎院有智子内親王ですが、この人の母方の系図については、しばらく前から気になっていました。しかし奈良~平安初期の天皇家は天智系と天武系が入り組んでいてとにかくややこしく、何度も書いては直し、直してはまた書きを繰り返し、苦心惨憺の末にようやくできたのが今回追加した系図です。有智子内親王が母方では天武系の血を引いているというのは意外にもあまり指摘されない事実ですが、系図を眺めていると色々妄想が膨らんできて、私が作家だったらサスペンスドラマにでもしてみたいところでした(笑)。
 なお有智子については近年、父嵯峨天皇が譲位した際に彼女も斎院を一度退下したらしい、という指摘がされており、これもいずれじっくり取り組んでみたい課題です。何しろ初代斎院ですから、これをクリアしないと先へ進めないのですが、これがまたアマチュアには手の余る難題なのですよね。そのうち研究者の方が次の新説を出してくれないかしら(笑)などと他力本願なことを考えつつ、千尋ももっとお勉強せねばなりません。いずれコロナが落ち着いたら美術展通いも再開するでしょうし、ある意味今が仕込み期間ですが、何だか斎院からどんどん多方面へと広がっていってどこまで行くのか自分でも不安です…(苦笑)

 ところで内容の更新とは別に、このたびページの右下に「トップに戻るボタン」を新たに追加しました。とりあえずメインページと各斎院のページのみで、それ以外のところはまた後日追加予定です。短いページはいいのですが、情報量の多い斎院のページの場合、スクロールも地味に面倒臭いんですよね。
 ともあれ、いまだにテキストファイルでHTMLを手入力しているような管理人ですが、少しでも使いやすくなったと思っていただければ幸いです。

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