東学党の乱(読み)とうがくとうのらん

精選版 日本国語大辞典「東学党の乱」の解説

とうがくとう【東学党】 の 乱(らん)

一八九四年、東学党が、郡主の虐政に対して蜂起した全羅道古阜郡の農民を支持して挙兵、朝鮮半島南部一帯を支配した事件。李朝は清国に出兵要請、日本も清国に対抗して出兵し、東学党は鎮圧されたが、日清戦争を誘発する結果となった。現在は甲午農民戦争と呼ぶ。

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世界大百科事典内の東学党の乱の言及

【甲午農民戦争】より

…しかし,最大の山場となった11月下旬から12月上旬にかけての公州攻防戦で,日本軍の近代兵器の前に農民軍は大きな被害を出し,南方に退却して再起を図った全琫準も同年末に捕らえられた。 この事件は従来〈東学党の乱〉と呼ばれてきたが,本質的には反侵略・反封建の農民蜂起であり,敗れたとはいえアジアにおける民衆の反帝国主義闘争の先駆として大きな意義をもっている。日清戦争【吉野 誠】。…

【東学】より

…各地域の教徒集団を〈包〉と呼んで接主がこれを統率し,その上に都接主,中央に道主を置くという教団組織が確立するのもこの時期である。さらに,92年から翌年にかけ全羅道の参礼や忠清道の報恩に教徒を集めて,教祖の冤罪(えんざい)を晴らし東学の合法化を得るための運動をくりひろげ,94年の甲午農民戦争(かつて〈東学党の乱〉ともよばれた)への気運が急速に醸成されていった。この農民反乱において東学は,民衆の現状打開の意欲を鼓舞するとともに変革への一定のビジョンを与え,従来の民乱がもっていた地域的分散性を克服する組織的媒体としての役割を果たした。…

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出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報