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長年の編集でごちゃごちゃとしてきたので、やるべきことを先にズバリ書きます。
◆まとめ
・入魂(プラーナプラティシュタ・プージャ)できる大きさの
ガヤトリーヤントラをSitaRamaで用意する。
・毎日香でいいので線香を焚く。ヤントラの中心に煙がかかるくらいの位置が良い。
・週に一度花を供えると効果がグンと高まる。
・アクセントを大き目にしてヤントラに唱えかける。
・中休みを取ってもいいので108回以上唱える。(連続で50分弱かかります)
・できることなら心を込めてゆっくり唱える。
<正しい発音>
上を参考に下のように唱える。
オー(ム)
ブール ブヴァッ スヴァハー
タッ サヴィトウル ヴァレエニャムー
バルゴー デーヴァスィャ ディーマヒ
ディヨー ヨーナッ
(プ)ラチョーダヤア(ト)
(太字がアクセント)
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ガヤトリーマントラはインドで最高のマントラであり、このマントラ一つを唱えるだけでインドに数多あるマントラの全てを唱えたのと同じ効果を得ることができます。ガヤトリーマントラは聖紐式で与えられるマントラです。聖紐式とはヒンドゥーの男子がごく普通に受ける儀式で、このとき与えられる紐を身に着けていると、ヒンドゥー教徒しか入れない寺院の奥深くなどにも入れるようになります。この紐を授かるときに、ガヤトリーマントラを教わり、「これから毎日唱えるように」と言われます。
さて、マントラとは特定の神へ向けられた祈りです。マントラは天啓によって与えられたもので、人間が創作したものではありません。天啓とはどうやって下ろされるものか、一例を挙げます。
1977年12月24日、サイババの避暑地であるバンガロール市郊外のホワイトフィールドにある、ブリンダヴァンのサティアサイマンディールで、サイババの隣席の元、サティアサイ大学の学生と教職員、帰依者たちが聴衆として集まっていました。当時、インド最高のヴェーダ学者であると言われていた、パンディット
ガンディコータ スッブラマンニャ
シャーストリ氏が、学生に向けての講演中に霊感を受け、脳裏にサイババを神格とするマントラが閃き、その瞬間何も喋れなくなりました。このとき発表されたマントラにはサイガヤトリーという名前がつけられ、帰依者たちはガヤトリーマントラの前に唱えています。
[出典:サイラムニュース(サイガヤトリーの詳説の概要)。
SSOJの解説ページ もあります。インド人が唱えるサイガヤトリーをダウンロードできます。音声ファイルは、OSに標準で入ってるWindows
Media
PlayerでCDに焼くことができます。108個複製して焼くとリピートと同じになります。このページのガヤトリーマントラは私が現地調達してきたものです。ガヤトリーマントラのCDは
SSOJ で買えます。)]
さて、ガヤトリー・マントラとは、『私の知性の力を増して、感覚が物質世界へ執着しようとするのを制御できるようにしてください。』とブラフマン自体へ祈願する内容です。
以前別項で、ウパニシャッドで人間を馬車に例えた話を紹介しました。
車主=自我(アートマン)
肉体=馬車
知性=御者
心=手綱
感覚=馬
物質世界=馬にとっての道路
に例えます。
知性が心で馬をコントロールして、物質世界に執着しようとする馬を、梵(ブラフマン)へと向けて、車主を解脱へと到らせるべしという内容です。ガヤトリーマントラは「手綱(心)を使って感覚(馬)をコントロールする、この知性の力を増してください。」という祈りです。身口意において、善が神に近づく道で、悪が遠ざかる道です。サイババは「あなたの行為は神へ近づくか、遠ざかるか二つに一つです。」と言います。善悪を判断するのは知性です。(正確には理知と言います。)
バガヴァッド・ギーターの中には、心(感覚)が物質世界に執着すれば輪廻するし、ブラフマンに執着すればブラフマンと一体化するし、心が自分にとって敵にも味方にもなる。と説いています。
⇒該当箇所
サンスクリット語による意味の解釈は概ね一致していますが、効果の程は上に書いただけにとどまらず、多くのインドの聖賢が様々に絶賛しています。知性の力を増すだけでなく、心自体を変容させ、物質世界への執着心が衰えていき、内在の歓喜の源であるブラフマンへの合一を希求させる効果もあります。サイババは「ガヤトリーマントラに集中して瞑想すれば霊的生活を始めることができるほど、ガヤトリーマントラは敬うべき貴重な位置を占めています。」と語ります。ちなみに「ヴァジュラという道具が必要」と昔書いたことがありましたが、必要ありません。
『ガヤトリー』とは八音節一行を三つ重ねた計二十四音節の詩型のことです。ヴェーダの25%近く(2450詩節)を占める一般的な形式です。インドには数多くのガヤトリーマントラが存在します。
大昔から現代にいたるまで、神々がこういう形式で下してきたということは、この形式に大きな意味があるからなんでしょうね。
“ガヤトリー形式のマントラはインドの聖賢たちにとって最も強力なマントラです。それは永遠のヴェーダ聖典のエッセンスであるとされており、事実、ヴェーダの中核をなしています。人々の心に神聖な輝きを放つ祈りであるこのマントラは、活力の源であり、意識を高めます。全世界に向けられた普遍的な祈りとして、このインドからの尊い贈り物は、国境を越えた霊的変革を呼び起こす火花となりうるでしょう。”
〔出典:SitaRama通信 Vol,16 2017年1月発行〕
今ではネット上にもインドでUPされたサンスクリット語のマントラが溢れてます。もう時代が違いまね。例:インドで二番目に有名なマントラ、マハームリティユンジャヤマントラ(神格シヴァ神)。 解説。
◆(参考情報:上のSitaRamaですが優れたインド雑貨店です。ヒンドゥー教に物凄く詳しい人たちが運営していてコラムもとても勉強になります。社長がサイババの帰依者で、奉仕の精神で経営してあります。もしここで神像やヤントラを買うならプラーナプラティシュタ・プージャ(入魂の儀式・インドでやる)は絶対にやってもらったほうがいいです。3500円しかかかりません。写真によるグッズへの入魂のサービスも行っています。インド通の友人によると「日本人や日本に住んでる人でこれができる人は非常に少ない」という話でした。この友人は大学時代にバガヴァッド・ギーターを初め二大叙事詩を読破し、それを皮切りにインド関係の書物には全て目を通し、自らもヤントラや神像に入魂したりプージャをやったりしてますが、「本場インドの僧侶の足元にも及ばない」と話してました。10歳で頭を丸め、数十年もこの儀式を修練し続けてきた僧侶にやってもらうのなら日本人がかなうわけありません。ちなみに彼はインド各地にも何度も足を運んで、容姿(年齢)を変えることのできる女性サドゥーを見たりなど神秘体験を沢山しています。マントラを唱えるにしても、ヤントラを使った時とそうでないときの違いや、パラドを吊るした時の土星の影響の違いや、ルドラクシャの各面を身に着けたときの各星の影響の変化などもそれぞれ感じ取れます。ヨガの教師たちに教えるほどのハタヨガのマスターで、占星術も生業にしています。鑑定してる時に過去世が見えることもあるそうです。ですが、彼曰く「インドの精神世界の中心技法はヨガではなくヴェーダとそれを使った儀式(プージャ、ホーマ=護摩など)です」とのこと。基本的な数柱の神々のプージャの技術をヴェーダの専門家の元で8年ほど学んだそうです。私にとってヒンドゥー教においては師とも言える存在です。また、驚いたことにサイババの死後、生身のサイババが目の前に現れてメッセージを伝えたことがあったそうです。「Aさんからシヴァリンガムを受け取りなさい」と言われ、同時にAさんの夢の中にサイババが現れ「彼に巨大なシヴァリンガムを買って与えるように」と言ったそうです。そういうことがたびたびあったそうです。ちなみに私は20㎝大の52000円の品を持っています。(この友人に感化されて13枚のヤントラと5種類のマーラー(数珠。祈る神によって使い分ける)、パラド、3種類のルドラクシャ、2種類のシャーラグラーマ、2種類のカヴァチャを持っています)。
さて、ここで紹介するガヤトリーマントラの神格はシヴァ神でもヴィシュヌ神でもガネーシャ神でもラクシュミー女神でもありません。ブラフマン(仏教のではなくインド哲学の根源神)です。他のガヤトリーマントラとは別格で、一般的にガヤトリーマントラというと、このマントラのことを指します。個別に指すときはサヴィトリーマントラと言います(以下ガヤトリーマントラ)。よくこんなマントラが下ろされたな、と思います。地上で輪廻にのたうつ人々をそこから救済し、解脱(捨身後ブラフマンへ帰融すること)へ導くマントラです。サイババもこのマントラを受けた聖仙ヴィシュヴァーミトラを絶賛しています。ブラフマンの光輝が降り注ぐため、生きてる間にも、病気や事故から守られ、衣食住に不自由しなくなり、望みも叶えられます。
インドでは数多くのマントラがリシ(聖者・聖仙)たちによって感得されましたが、ガヤトリー・マントラは神格がブラフマンであることから、最も価値が置かれています。サイババの発言では聖仙ヴィシュヴァーミトラによってこの世にもたらされたということですから、2万年前のラーマと同時代の人であることから、この時代から唱えられていたようです。学術的にはリグ・ヴェーダ( ヴェーダ≫サンヒター≫リグ・ヴェーダ
)
が紀元前12世紀頃に今の形に編纂されたものであるため、少なくともこの時期からは唱えられています。
最高教典ウパニシャッドの中でも言及されており、その中では神格がブラフマンであることが述べられています(佐保田鶴治[訳・著P358])。他にも業を滅する効果があることなどが述べられています。業が滅せられると将来降りかかってくる多くの災難を軽減することができます。更に人を呪ったり自分の願望成就を祈っても効果が無いことや、唱える人の命を守る効果があることなどが述べられています(ブリハッド・アーラニァカ・ウパニシャッド 5・14・1~8)。
最高聖典バガヴァッド・ギーターの中でも、ブラフマンの化身クリシュナが各分野で最高のものを挙げ連ねた場面で、マントラの中の最高位のマントラとしてガヤトリー・マントラを挙げます。
「私は韻律におけるガヤトリーである」(第十章・三十五詩節)
。
★サティアサイ出版協会から『リグヴェーダの至宝 ガーヤトリー マントラ
』という題名の詳細な解説書が出ています。
以下「はじめに」より引用。
“(この本の)特筆すべきは、ガヤトリーマントラに関連するサイババの解説を、約半世紀にわたってなされた二千に届くほどのテルグ語の講話の英訳から、ほとんどすべてを抜き出して、そのままの形で翻訳掲載したことであり、それによりさらに「真理」へと近づいた内容となりました。”
この本では、抜粋された全ての言葉に出典が明記されています。
インドには数多のマントラがありますが、この本の中でサイババは、「ガヤトリーマントラを唱えるだけで、全てのマントラを唱えたのと同じ効果が得られる」と断言しています。
「ガヤトリーマントラは全てのマントラの神髄であり、全ての神聖な神の御名の神髄です。それゆえ、もし個々の神の御名を唱えなくても、ガヤトリーマントラだけを唱えていれば問題ありません。ガヤトリーを唱えるなら、さまざまな神の御名を唱えるのと同じ利益が授けられます。」(P.7)(出典:『霊性修行の手引き』 27~28項)
●ガヤトリー・マントラは強烈な真言です。ガヤトリー・マントラには計り知れないほど大きな力、本当に、驚くべき力があるのです。(P.65)(出典:Sathya Sai
Vahini)
●値段も付けられないほど価値のあるこの薬を飲むのをやめてしまったことを悔いて、今日から再び始めなさい。(略)ゴール(解脱)に到達する王道があるのに、なぜ茨の多い密林の道を這って進むのですか?(P106)(出典:Sathya Sai Speaks Vol.5
C30)
●ガヤトリー・マントラを唱えると、心が浄化され、親愛と無執着と英知がもたらされます。(P188)(出典:Sathya Sai Speaks Vol.33
C4)
(※この三つは解脱へ至る三つの大きな道でそれぞれ必要とされるものです。信仰の道・行為の道・知識の道、これら全てに必要な要素が増強されると言ってるわけですね。どれか一つを選んで精進するものですが、三つとも増強されるというわけです。)
●もし、心を込めてガヤトリー・マントラを唱えるなら、人生で困難や苦難に直面することは決してありません。(P188)(出典:同上)
●蒔いた種は刈り取らなければなりません。あなたの過去の行いは、それが良いものであれ、悪いものであれ、鎖のようにあなたを縛りつけるでしょう。夜明けと正午と夕刻に三大神を礼拝するのは、そうした行為をあがなうためです。(略)こうした儀式の意味を知っている人は極わずかです。(P62)(出典:Sathya Sai Speaks Vol.19 C4,
1986.3.8)
●インドの人々は様々な方法でガヤトリーを礼拝し、自らの人生を救済してきました。(P69)(出典:Sathya Sai Speaks Vol.31 C11,
1998.4.19)
★SSOJのホームページの中にも勉強になるページがあります(発音のPDFテキスト有)。
ある帰依者の詳細な報告。
現地で泊まったサイタワーホテルのホテルボーイMr.Sheviffに尋ねたところ、「ヒンドゥー教徒の50%が知ってて、毎日唱えてるのは25%だ」という返事でした。
唱え方ですが、私は発音に正確を期して心を込めて丁寧に一日300回唱えることを三日続けました。マントラと心が同調することで力が発動するので、マントラ以外のことを考え始めると効果がなくなってしまいます。心は移ろいやすいものですが、マントラから離れるたびに元に戻してやります。また、発音を正確にするように気をつけて繰り返し唱えていると、声につやが出てきます。心がこもってる状態です。すると強い効果が出始めます。
こういう唱え方で三日間の行を終えると、翌日友人から電話がかかってきて、あまりの喜びの大きさに言葉にならないという風で、何の用でかけてきたのか要領を得ない感じでした。高学歴で理性的な人で、普段はそういう意味不明な言動を取る人ではありませんでした。私の場合は、身近な人を使って守護霊がメッセージを伝えてくることが多いので、このときは一番親しくしていた彼を使ったんだろうと思いました。私の将来の進路を捻じ曲げる大きな悪業がごっそりと落とされて、守護霊が喜んでいるんだなと、そのときは解釈しました。
発音が正しくないときとか気持ちが集中できてないときとかあるでしょうが、900回も唱えれば、正しい発音で集中して唱えてるときもあるだろうと思って、量をこなして成果を出そうと思った結果でした。また、この友人は以前から部屋に遊びに来てましたが、来るたびに「この部屋いいなぁ」と言い始め、遂には「自分の部屋と取り替えないか」とまで言うようになりました。場が浄化されて、来る者に良い影響を与えてるのに気づき始めたみたいでした。また、性に関する用語とか口に出そうとすると、中々出てこないので、不快感を感じていました。唯物主義で、マントラとか宗教とか胡散臭いと思ってる普通の一般人です。ここまで場が浄化されるとなると、唱えた本人はどれほど浄化されるんでしょうね。
余談ですが、インド伝承医学のアーユル・ヴェーダ(
ヴェーダ≫ウパヴェーダ≫アーユル・ヴェーダ)やチベット医学では、調剤のときにも、特定のマントラを唱えて行い、それを服用するときにも、適切なマントラがあるそうです。それを唱えなければ効果は出ないそうです。水銀を混ぜることもありますが、処方に沿って使えば、副作用もなく病気に効きます。また、占星学と対をなし、「この人は今の時期、胃が悪くなりそうだ。そして3週間で回復するだろう」とか予想できるそうです。西洋合理主義が発達した結果、迷信だと思われてることも多いですが、実際に名医にかかれば、西洋医学では治せなかった病気が治るそうです『アガスティアの葉(青山圭秀著)参照』。驚いたことに、アーユルヴェーダの源流のシッダ医学の国立大学を首席で出て、南インドでシッダ医として働いてる若い日本人女性のブログがあります。彼女によると、シッダでも治せなかった病気が占星学に基づいた祈祷(プージャ)で劇的に治る体験を2,3度しています【旅をする木2012年10月20日】。私も占星学のプージャの劇的な効果を別の人からも聞いて、自分もしてもらおうという気になって、処方通りにインドの寺院で五種類のプージャを五日かけて実際にやってもらった経験があります。
天啓により、アーユル・ヴェーダとシッダ医学と占星学と膨大な預言書を残したのは聖者アガスティアです。ですが、サイババは「この国に輩出した聖人・賢者の一人に過ぎない」と切って捨てます『アガスティアの葉(青山圭秀著)P334参照』。実際七大仙にも数えられるか、られないかくらいの人物です『バガヴァッド・ギーター(岩波文庫P187-8参照)』。インドはブラフマンが何度も化身する地です。天啓を与える側からしたら、受ける聖賢は取るに足りないものなのでしょう。
インドでは天啓で書き記された書物が多くあり、「これもあれも重要で破棄するわけにはいかないから、保存しとこう」というようなことを何千年もやってきたので、膨大な量になってて、全体を把握できない状態になってます。さすが「霊性の大国インド」を思い知らせるような話ですね。ただ、人生は短く全ての文献に目を通す時間はありません。ですからガヤトリーマントラを唱えて解脱を目指すのが賢いやり方です。ヴェーダの神髄であり、全てのヴェーダを凝縮したものだと言われます。このマントラを唱えて得られるものは、全てのヴェーダをマスターしたものと同じものです。
また、『極東における大師方の生活と教え』の中では、言葉の力を証明する驚くべき場面が出てきます。ある村の廟で長年『生命・愛・調和』という言葉しか使われずに、それが強烈な波動となって蓄積されて、廟を通り抜けるだけで殆ど全ての病がたちどころに癒されます。団員が不調和な言葉を発しようとしてもそのつど言葉にならなかったそうです(第1巻P95)。上の友人の体験と似てますね。また、これはサイババの次の発言とも符合します。「わたしたちが創り出す音は大気中に残響するということをよく覚えておきなさい。それは音波として永遠に空に留まり、その音を発した本人よりも長く生き続けます。」
小学校の教材でも使われた事のある「水からの伝言」という有名な写真集があります。2本のペットボトルに水を入れて、片方には愛と書いた紙を貼り付けて、もう一方には馬鹿と書いた紙を貼り付けて数ヶ月置きます。そして凍らせて氷の結晶を顕微鏡で覗くと、愛と貼り付けたほうは綺麗な結晶ができていたのに対して、馬鹿の方はいびつな形に歪んでいました。言葉の影響って大きいんですね。この本は45ヶ国語に翻訳され、世界75カ国で出版されました。
西洋社会で初めてヨガを普及させた、パラマハンサ・ヨガナンダの自伝『あるヨギの自叙伝』の中に、次のような発言が出てきます。「人間は元来、自分自身が神の創造の言葉(オーム)の現れであるので、音によって直接力強い影響を受けるのである(p.166上段)」。ブラフマンがオームの一音を発することによって宇宙が顕現しました。物質より先に音があるのです。数多あるインドのマントラでも、冒頭には必ずこのオームがついています。
余談ですが、この話しをメル友にしたところ、彼女(医者)がガヤトリーマントラを沢山唱えました。すると私が具合が悪くなって倒れました(笑)。霊感があるんですが、この時期は特に過敏になっていて、彼女の唱えたマントラの波動が飛んできて胸が苦しくなったのです。なんせこちらから推薦したから、今更「唱えるのを止めてくれ」とも言い出せず、引くまで悶絶の苦しみを味わいました(笑)。マントラは伝授したほうにも責任が生じるのです。ですが、HPで不特定多数の人に公開しても、このような目にはありません。不思議ですね。
更に余談ですが、
プロフィールの項に書いた『成功の絆』の中に、一つだけマントラが紹介されてました。19歳のときに試しに唱えてみましたが、カルマの報いが物凄く集中して降りかかってきて、大変な目に遭いました。更に、ブラフマンへ融合したがる心の渇望が更に燃え上がって、それを押さえ込むのに大変な労力がいるので、今では私にとってこのマントラは禁止になってます(ちなみにヒンドゥー教に関心がある人なら誰でも知ってる有名なものです)。他のマントラでさえもこれほどの効果があったのですから、「神格がブラフマンであるから、他のマントラに力を与える」とまで言われている、このガヤトリーマントラを唱えてまったく効果がないことは絶対にないでしょう。
下で朝夕一マラ(108回)ずつ40日間唱えて効果が出始めるとあります。効果が出ないのは唱えながら心で次の予定、買い物、仕事、食事などを考えているからです。「樽にいっぱいのロバの乳よりスプーン一杯の牛乳のほうが優れています」というサイババの言葉もあります。また、
「霊性修行もあまりやりすぎると飽きてしまうでしょう」というサイババの言葉もあります。毎日続けられる分量で一生やり続けることが大切です。
「多少発音が違ってても心を込めて唱えれば通じる」と言う人がいて、それも確かですが、神が「こう唱えろ」と下ろしてきた発音に忠実に唱えたほうが効果が高いのは当たり前です。下のSitaRamaのコメントで「しかしながら、感情を排除した機械的な繰り返しでも、とても大きな効果があります。」と書いてあるのはそのためです。
インドでの数え方として、数珠を使わないやり易い方法があります。右手の親指で人差し指の腹から下に押していって3回数え、中指に移って同じように3回数え小指の最後まで数えて12回です。その度ごとに左手を同じやり方で進めていって数えるなら薬指の最後で108回になります(12回×9回)。
マントラを唱えて悪業(カルマの報い)を落とす作業について、サイババの次のような発言もあります。
◆『人間は知る知らずにかかわらず、この生涯だけでなく前世においても、多くの罪を犯します。これらの行為の印象はチッタ(記憶)によって生から生へと運ばれます。これをマーラと呼びます。
マーラの完全な除去は一日や一ヶ月では出来ません。一貫した長い実行が要求されます。金鉱石を純金に変えようとするならば、それを繰り返し火で溶融して不純物を取り除かないといけません。これと同じように、マーラと呼ばれる人間の不純物も、ある期間絶えずマントラを唱えるなどの霊性修業を行うことによってのみ、これを除去することが出来ます。』
解脱に関しては次のような発言があります。「“カルマの報いの消滅”も“過去生の傾向(欲望)の根絶”も、ガヤトリーマントラを唱えることによって果たされる」。
◆『神という鍾乳石(しょうにゅうせき)から染み出す憐れみは、個々の魂の上に滴り続け、人は自分の苦行により、至高の魂へと届こうとする石筍(せきじゅん)として成長します。究極的にいつの日にか、二つは融合します。とは言うものの、カルマの報いの消滅と過去生の傾向(物質世界へ執着しようとする心の傾向)の根絶は、非常に遅々とした過程です――鍾乳石と石筍の成長のように。』
◆『何百回という生において繰り返し育ってきた傾向を、克服せねばなりません。ブラフマンという太陽からの日差しを雲が覆い隠します。求道者はシステマティックな修行に励み、雲を散らさねばなりません。』
◆『神の御名は全き愛と信仰をもって唱えなければなりません。
そうすれば、何の努力も必要とせず、ヴァーサナ[過去生がもたらす潜在的な傾向]は自動的に心から取り払われます。』
◆『一定の時刻にマントラを唱えることは、霊性修業における第一歩です。大勢の求道者たちは森の奥の洞穴にこもり何年もの間何年ものあいだ苦行に励むことによって、神我顕現に成功しています。しかし、朝早く起きて神の御名を唱え、至高の神が自分の眼前に生きて現われていられると信じて崇めること。これは洞穴の苦行よりも一層実り多い。多くの悟得者と聖者は、これら規則正しい実践に時間と注意とエネルギーとを捧げて、しかも十分に報われています。』
唱え方ですが、時間がない人は風呂に入りながら唱えるのが一番いいと思います。体を洗いながら、湯船に浸かりながら、唱えます。また、下で複数の聖者と聖典が心中で唱えることを推奨しているので、私は、通勤電車の中でも心中で唱えています。発声していた時に、友人の霊能者の「マントラは心の中で唱えても同じですよ」という助言があり、彼女の言葉もまた信じています(彼女は著書もあります)。サイババも「どこに行っても構いませんが、最低限、心の中ではマントラを唱えるべきです。」と語っています[出典:2004年10月19日の講話]。ちなみに数を数える方は吉祥な数とされる、3(
サイババが推奨する数)、5(サイババ推奨)、9(サイババ推奨、ブラフマンの数)、11(インドの地で、
またサイババが推奨する数
)、21(チベット仏教で吉祥な数とされる、サイババ推奨)、27、54、108回唱えるといいです。私は毎日欠かさず2マラ(108回×2回)以上唱えています。ただどうしても忙しい人は仕方ありません。サイババは“日に数回唱えろ”とは言っても、“108回唱えろ”と言ったことは一度もないからです。身の安全を図るだけなら数回でも十分でしょう。サイババはこれで守られると言いますが、サイババは旅客機の墜落事故を聞いて「乗客の一人でもガヤトリーマントラを唱えていれば落ちなかった」と言ったことがあります。
サイババが学長を務めるサティアサイ大学の第四代副学長を務めたG.ヴェンカタラーマン博士(インド物理学会会長、SSO国際副委員長)が、ガヤトリーマントラの唱え方について質問されたときの回答がサイラムニュースに載りました。「意味は特に考える必要はなく、スワミ(サイババ)のことを思いながら唱えなさい」ということでした。雑念が入ると10万回唱えても効果は薄いので、心がさ迷いだしたら、唱え方を変えて心を固定します。目をつぶって発音に注意して唱えたり、五つに分けた意味を考えながら唱えたりします。3行目で神を賛美し、4行目で神を瞑想し、5行目で知性を増してください、と祈ります。発声に切り替えてもよいです。
スワミのことを考えながら唱える人は、写真もウェブ上に沢山あるので、一番気に入ったのを探すといいでしょう。
Googleでサイババの写真を検索した結果。OSによっても違うと思いますが、基本的に写真の上で右クリックして、「名前をつけて画像を保存」でPCに落とすことができます。
お気に入りの一枚 |
下の語録集に「ガヤトリーマントラによりあらゆる病が癒されます」とありますが、サイババが語った「病気のときには、信仰があろうとなかろうと、私のことを思うのがいいのです」という発言と符合しますね。「私のことを思うとき、私もその人のほうを向いています」と言っています。ブラフマンのエネルギーが流れ込むのです。
「マントラを唱えても『コカ・コーラ』と唱えても同じだ」と言った唯物主義者がいましたが、昔、金スマという番組で、陰陽師が祝詞を唱えると、目の前に座っている25人の女性達全てに、未成仏霊が乗り移って泣き叫んで、お笑い番組では済まなくなったことがありました。マントラは符牒として特定の意識存在とつながっていて、その意識存在が動くことによって効果が出るのです。
“霊的な指導者は、マントラを唱えることを安易に考えてはならないと言います。マントラは、顕現する神々と繋がり、強い力を生み出すため、心からの尊敬と信仰を持って行うべきであるといわれます”
〔出典:SitaRama通信
Vol,16 2017年1月発行〕
<上の“参考情報”の続きです>
上の友人が師事しているインド人のヴェーダの先生によると、マントラは弾で、ヤントラは銃だということでした。ヤントラを使うことで、少々発音が正確でなくてもヤントラが補正してくれるので、そのマントラの効果を100%出すことができるそうです。友人によると「ヨーガをヨガと1文字間違えるくらいなら十分補正してくれる。クンダリニーをクンダリーニと二文字なら効果は微妙。ヨーギニーをヨギーニと三文字なら無効だろう」という実感だそうです。ヴをバと唱えたり、長音の長さが違ったり、そのくらいなら問題なく補正してくれると思います。
「ヤントラの併用は、マントラの効果を極限まで上げるのでお勧めです。マントラだけより、はるかに大きな効果が見込めます。ちゃんとしたところ(SitaRama他)で入魂してもらったヤントラは効果絶大ですので、お勧めです。」とのことです。
それにしても下で紹介している「サイババ直伝の発音」とその下の「私が修正したカタカナ表記」を参考に、なるべく忠実に唱えるようにした方が良いです(前者は又聞きで後者はサンスクリット語にできるだけ忠実なので後者を優先させてください)。しかしそれでも日本人が14種類の母音と33種類の子音を駆使するサンスクリット語のマントラを正確に唱えるのは至難の業なので
、このインド聖者達が絶賛する至宝のマントラの効果を100%出したい人は、やはり入魂した大きめのガヤトリーヤントラを使うのをいとうべきではないと思います。この友人は毎日26種類のマントラを唱え、既に600万回を超える回数を唱えたものもあります。サンスクリット語を読め、私よりはるかにマントラに熟達しているこの人も「自分の発音は正確じゃない」と、唱えるマントラの全てに対応する26種類のヤントラを併用しています。SitaRamaのヤントラの解説
でも“マントラを正しい発音で唱えることができない時にも、ヤントラは大いに役立ちます。”とあります。
私も完璧に正確な発音で唱えたときのガヤトリーマントラの効果が欲しいと思い、インドで入魂(プラーナプラティシュタ・プージャ)してもらったガヤトリーヤントラを購入しました。ヤントラに込める祈願は「私が毎日唱えるガヤトリーマントラの効果を高めてください」でした。「私が今生で絶対に解脱できますように」でもよかったと思います。他のにはそうしてます。そして飾って、ガヤトリーマントラを日に108回唱えかけるようになりました。すると、自身に大きな変化があって大変驚きました。生活が一変しました。40回とか60回とかその日の体調に合わせてバラバラに唱えていましたが、きちんと108回唱えるようになって効果が出ました。量が少なすぎてもダメで、ある程度まとまった数を唱える必要があるようです(間で何回か休憩をはさんでもかまいません)。アクセントをわざとらしいくらいに大き目に発音することで効果が大きくなった感があります。サイババの発言通り、“ヴェーダ(インドの古文書)の教える正しいアクセントで唱える”必要がありそうです。心中で108回唱えていた時はアクセントをつけるのが難しくてつけなかったので、あまり効果らしいものは感じませんでした。実際サイババに直伝された人は、四行目の「ディ」をアクセントなしで唱えてサイババから強く叱責を受けています。
ヤントラは大きいほど効果があり、私は当時SitaRamaで販売されてる物の内で最大だった20×20㎝のものを使っています。友人の話では33㎝を超えると個人ではお世話が難しくなるのでお勧めしないという話でした。30㎝の物をオーダーメイドすると作ってくれるかもしれません。後で思いついて残念に思いました(私は30×30㎝のシュリー・マハーヤントラ〔ヤントラの王〕を持ってます)。また、唱えるときには線香は絶対に焚いたほうがいいです。購入した時、そのヤントラに通じている神のマントラを唱えるように指示されますが(この場合ガヤトリーマントラ)、初めの一か月半は何の変化もありませんでした。ですが、線香を焚き始めた翌日から大きな変化がありました。上で書いた生活が一変したのはこの日からでした。煙は多次元の存在なので、唱えたマントラがより効果的に入魂された魂に届いたのかもしれません。その魂が私の心に働きかけたと。ガヤトリーマントラを唱えていたメル友たちにこの話をしたら、そのうち三人がヤントラを購入して線香を焚いて同じようにしました。一人は唱え始めてから、睡眠時間が3時間になってそれが10日続いて病院に睡眠薬を貰いに行かなくてはいけなくなりました。心が過敏に反応したのだと思います。反応があったのはいい兆候で上向きになっていくと思います。実際、私も線香を焚いてガヤトリーマントラを唱え始めたとき、心が膨張したようになって、一週間以上ガヤトリーマントラ自体すら唱えられなくなりました。しばらく詠唱の後で焚くように分離して、時間をかけて合一させて事なきを得ました。また、二人目の友人は仕事のストレスで長いこと精神科にかかっていましたが、同じようにして、「増薬してないのに調子が悪くなることがなくなって、とても助かった」とメールで書いていました。下で聖者の一人が「肉体、心、情緒、精神など、どんな種類の病気も、ガヤトリーはいやします。」と言ってますが本当ですね。サイババも「すべての病気をいやす」と言っていますね。またサイババは「ガヤトリーは、このマントラを唱える人を滅びゆく運命から守り、救い出す。」と言ってますが、休養が長く仕事を失ってしまってたこの人も、新しい仕事を見つけて飢え死にすることも済むことがなくなっています。「宇宙から流れ込む生命力なので、滅びることはない。食事や住居に困ることはないのだ。」というサイババの言葉はトップページにも引用した通りです。そして三人目の友人は、唱え始めて4日目に背中左上部に腫瘍ができ始めて、
たちまち大きくなって、12日目には切開手術をしなくてはいけなくなりました。将来負うところだった数十針縫う大怪我がこのくらいで落とされたのだと思います。大難が小難になったんですね。好転反応でしょう。悪いものを落としてから、インド聖者たちの言う色んな効験があるようです。サイババのダルシャンを受けると、多くの人が帰国後にちょっとした災難を経験しますが、悪いカルマの報いが最小限になって落とされたのです。下で聖者の一人が“唱えることにより、神の姿を見る経験(ダルシャン)をするでしょう。”と言っていますが、符合しますね。具体的な例を挙げると、宗教学者の島田裕巳さんがあるTV番組でサイババに会いに行きましたが、帰国後しばらくして、授業中にオウム真理教のバッチを生徒に配ったことで、ワイドショーに出演中に視聴者からまでFAXで非難されて吊るし上げを受けていました。私も3回会いに行った内、2回で個人的に経験がありますが、あまりにプライベートなことで言えません。
話は変わりますが、線香立てですが、自室だったので思案した挙句、身近なもので作りました。ヤントラの下に線香のふたをガムテープで止めて、画鋲で内側を三ケ所壁に留めて、アルミ製の小さな容器に塩を入れて線香を半分に折って立てました。また、花を週一供えると効果が格段に上がるそうです。私の友人(師)とSitaRamaの意見です。
ちなみに5㎝のヤントラは、SitaRamaの品は簡単なプージャ(入魂を含む)を施されてます。これは唱えるときに20㎝のガヤトリーヤントラの傍に置いておきます。入魂されたヤントラはポケットサイズでも、日に9回唱えかけるのを数年もやれば、かなりなパワーを持つようになり強力な護符になるそうです。108回なら言わずもがなでしょう。注意点ですが、入魂したヤントラも2,3年も放置しとくと魂が抜けてしまうそうです。維持するだけなら週に一度9回唱えかけるだけでいいそうです(これはSitaRamaの回答です)。
余談ですがSitaRamaの商品を買い始めてからちょっとした不思議なことがよく起きるようになりました。床に7つ積み上げてた毎日香の一つが部屋を出ている間にいつの間にかテーブルの上に置かれていました。家族の誰もやっていないと言います。やる理由も必要もないですね。それから朝目覚めたときに首に五つかけてたルドラクシャが枕の右に並べて置いてありました。頭回りぎりぎりに調整してるので寝返りでは絶対抜けるはずがありません。また、ズボンの左ポケットに入れてた5㎝のヤントラが抜き取られて枕の右に置いてあったこともあります。それとか、ガヤトリーマントラ用のクリスタル・マーラー(数珠)の9番目と18番目と54番目に糸を結び付けていたのですが、あるとき18番目だけが糸がなくなっていたことがありました。二重に固く結んでいました。家族の身にも起こるようになり、台所で洗い物をしている時に排水口に落とした眼鏡のネジが後日ミシンをかけている時に傍に置いてありました。祖母の家でメガネを落として冷蔵庫の下に入ったものが自宅のいつもの眼鏡置きに置いてありました。旅行に行って写真を撮ると、写真を撮っている自分の後ろ姿が写っていました。また、電化製品の説明書を開いていたら万札が出てきたり、ミシンをかけていた時にチョコレートが降ってきました。極めつけは座敷の障子の紙が破れたのでいずれ直そうとカレンダーをかけて隠していたら、後日外した時に張り替えてあったことです。
◆まとめ
・入魂(プラーナプラティシュタ・プージャ)できる大きさのガヤトリーヤントラをSitaRamaで用意する。
・毎日香でいいので線香を焚く。ヤントラの中心に煙がかかるくらいの位置が良い。
・週に一度花を供えると効果がグンと高まる。
・アクセントを大き目にして唱えかける。
・中休みを取ってもいいので108回以上唱える。(連続で50分弱かかります)
・できることなら心を込めてゆっくり唱える。
サイババの写真に向かって唱えたり心中で唱えるよりも、まずこの唱え方でやったほうが効果が出る可能性は遥かに高いと実感しました。
シュリー・サティア・サイ・オーガニゼーション・スリランカ編
この本の著作権は、主張いたしません。
―――――――――――――――――――――――――――――――凡例
1.〔亀甲カッコ〕は訳注をあらわす。
2.引用文献における半角の数字は、英文のページ数をあらわしている(たとえば”Sathya
Sai Speaks Vol.3” P108)。
学識のある人々の中には、修行としてオーム〔訳注……宇宙の原初音〕(プラナーヴァ)やガーヤトリー・マントラを唱えるのはどんな人がふさわしいか、気になって仕方のない人がいるようだ。
われらの時代における神の化身(アヴァター)バガヴァン・シュリー・サティア・サイババは、こう言っている。
「オーム(プラナーヴァ)は、ごく限られた人たちだけが唱えるもので、他の人に唱える権利がないと言う者がたくさんいる。それは間違いだ。真実がわかっていないから、そういう間違った結論を下してしまう。間違った信念から間違った結論が生まれる。『バガヴァッド・ギータ』は、こういう人ならよくて、ああいう人はだめだなどとは言っていない。クリシュナは、階級や性別を問わず、『誰でも*』いいと言っている」(『ギータ』第8章12、13節)
〔*訳注──「オームを唱え、わたしを思う者ならば、誰でも究極の境地に達する」『バガヴァッド・ギータ』第8章13節〕
(Bhagavan
Sri Sathya Sai Baba “Geetha Vahini”〔『ギータ・ヴァヒーニ』未邦訳〕
p143)
バガヴァンはまた、こうも言っている。
「ガーヤトリー・マントラは、オームという言葉(プラナヴァ・サブダ)を、詳しいかたちに表現したものだ。ガーヤトリー・マントラはたいへんな価値のあるとうといマントラで、この瞑想によってひたすら真の自己を求める(アディャートマな)人生への導きとなるものだ」
(“Sadhana─The
Inward Path”P.90 (Prasanthi Nilayam)〔邦訳『御名の響き』(シュリ サティア
サイ出版物日本刊行センター)〕および“Sathya Sai Speaks
Vol.3”〔『サティア・サイは語る』サイババの講話をおよそ年ごとに編集、刊行した書物。英語版はVol.42までインターネットで読むことができる〕p232)
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ〔1863~1902
近代インドを代表する聖人〕は、『シュクラ・ヤジュール・ヴェーダ』を引用しながら、こう言っている。
「ヴェーダは誰でも近づけるものではないという、そんな根拠があるなら、ぜひ見せてもらいたい。ヴェーダこそ、われわれのただひとつの根拠なのであり、誰でもこれに近づく権利がある」
(“Collected Works Vol.3” p457)
スリランカ版 発行者
(“Sathya Sai Speaks Vol.10” p109)
ガーヤトリー・マントラは、男性でも女性でも、どの信仰をもつ人でも、どの国のどの地域の人でも、どの時代においても熱心に唱えていい祈りの言葉だ。このマントラを唱えることで、知性が発達する」(“Sathya Sai Speaks Vol.5” p58)
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オー(ム)
ブール ブヴァッ スヴァハー
タッ サヴィトウル ヴァレエニャムー
バルゴー デーヴァスィャ ディーマヒ
ディヨー ヨーナッ
(プ)ラチョーダヤア(ト)
(“Geetha Vahini” p3)
(“Sathya Sai Vahini” p184)
(“Sathya Sai Vahini” p183)
(バガヴァンは、究極の太陽神(スーリャ・ナーラーヤナ)である)(“Sathya Sai Vahini” p184)
(“Sanathana Sarathi” 1995-09)
(“Sanathana Sarathi” 1995-9 p235)(質問30を参照)
心と言葉と行為が清らかにむすびつくように修行する人の内に、ガーヤトリー、サヴィトリ、サラスワティーが宿るであろう」(“Sanathana Sarathi” 1995-9 p236)
(“Sanathana Sarathi” 1995-09 p236)
(“Sanathana Sarathi” 1995-09 p236)
(“Sanathana Sarathi” 1995-09 p236)(質問30を参照)
(“Sanathana Sarathi” 1995-09 p236)
(”Sathya Sai Speaks Vol.3” P242も参照)
(“Sanathana Sarathi” 1995-09 p233~236)
(“Sadhana─The Inward Path” P90または”Sathya Sai Speaks Vol.3” p242)」
(だからわれわれは、バガヴァンが教える通りに正確にガーヤトリー・マントラを唱えられるように学ぶことが大切なのだ)(“Sanathana Sarathi” 1995-09 p238)
※(質問36の14番を見てほしい)(“Sanathana Sarathi” 1995-09 p235)(質問12を参照)
(“Sanathana Sarathi” 1995-09 p237)
(“Sanathana Sarathi” 1995-09 p237)
原注──上記の質問に対する答えは、ことわりのない限り、
“Sathya
Sai Speaks Vol.10” P109~P110および
“Sanathana
Sarathi”(1995年9月号)P223~P238からの引用である。
あらゆるマントラの中でも、究極、最も強い可能性を秘めたものといえば、かの栄(は)えあるガーヤトリー・マントラである。ガーヤトリー・マントラはまことのヒンドゥー教徒すべてを支えるいのちである。カースト、教義、地域、宗派にかかわりなく、真理を求め、このマントラの効力と栄光を信じるすべての人を支え助ける。必要なのは、清らかなこころと信仰だけだ。
実際、ガーヤトリーこそは信者を守り、神へと変革させ、至高の精神の光によって祝福を与えてくれる必勝の鎧(よろい)であり、城塞である。
毎日規則的に数マラ(1マラはガーヤトリー・マントラを108回くり返すこと)を唱えることによって、今生でも来世でも、あらゆる幸運と恵みをさずかるだろう。
ガーヤトリー・マントラが正統的なブラーミン〔バラモン〕の階級だけに限られたものだと思ってはならない。全能にして究極のたましいに向かう光を求める人なら、誰でも近づくことができる。これこそは人類にとって、超越へのただひとつの導きの光である。
ガーヤトリー・マントラのいう太陽神は、『タ(ト)
サヴィトゥ(ル)』にあたる。これは太陽や月の照らす光ではなく、個を超えた絶対の存在、ブラフマンである。
したがってガーヤトリーは、すべてのマントラの中でも最もすぐれたものであり、これをつかさどる女神は「至高のブラフマン」(パラ・ブラフマン)である。しかも神を求める人ならどんな人でもこのマントラをさずかることができる。ガーヤトリーの唱名(ジャパ)〔神さまの名前を唱える修行〕をすれば、学生には内なる光(テージャス)があらわれ、世間の暮らしを営む人は大いに栄え、人から離れて森で修行する人には力と安らぎがもたらされる。
まごころと、情熱と、あつい信仰さえあれば、宗教やカーストが違っていても、修行にガーヤトリー・マントラを選んでさしつかえない。あなたの人生は確実に祝福されるだろう。
神を求める人々よ。偉大なるガーヤトリーの驚くべき可能性に気づくがいい。このマントラのもつ美しい遺産をあざやかに実現するのだ。太古の修行者(リシ)からわれわれに伝えられたこの聖なる力(シャクティ)を無駄にしてはいけない。
毎日の規則的なガーヤトリーの唱名をはじめてみて、不思議な力があらわれるのを、みずから体験してみてほしい。唱名のために特定の時間を定め、この修行を続けるのだ。
休むことなく毎日最低1マラの唱名をするべきだ。そうすればあらゆる危険から守られる。無限の強さが与えられ、いかなる障害も乗りこえられる。そして、力・安らぎ・悦びの華麗な頂点をきわめることができる。
ヴェーダの中で神は言う。
「ひとつのマントラがすべてに通ず(サマーノ・マントラハ)」と。
そのマントラこそが、ガーヤトリーなのだ。四つのヴェーダの核心はウパニシャッド〔ヴェーダの奥義書〕の秘伝にあり、ウパニシャッドの核心はガーヤトリー・マントラにおける三つの世界(ヴャフルティ)(ブール
ブヴァ(ハ) スヴァハ)にある。
ガーヤトリーはヴェーダの母であり、すべての罪ごとを滅ぼす。この地上でガーヤトリー・マントラ以上にけがれをはらうものはない。ガーヤトリーの唱名によって、すべてのヴェーダと「アンガ」〔ヴェーダの補足〕を暗唱するのと同じ成果が得られる。このマントラひとつを真面目で清らかな心で唱えることによって、死んではまた生まれ変わる永遠の輪からの解脱という、最高の幸運が訪れる。
(『修行について』(“Sadhana” by Swami Sivananda 1985 p217~p220))
(バガヴァン・シュリー・サティア・サイババは、1957年7月22日から28日までリシケシュのスワミ・シヴァーナンダのアシュラムに、まる1週間滞在した。このとき以外にバガヴァンが他のアシュラムを訪れたという記録はない。N.Kasturi “Sathyam, Sivam, Sundaram”Part I P107~115〔邦訳『サティアム シヴァム スンダラム──真 善 美──その1』(シュリ サティア サイ出版物日本刊行センター)〕)
(1894~1994)
(カーンチープラムのシャンカラーチャーリア)
ガーヤトリーはすべてのヴェーダのマントラの母である。愛と帰依のこころでガーヤトリー・マントラを唱える者は守られる(ガーヤンタム・トラーヤテー・ヤスマット・ガーヤトリー・ティヤッピーディヤーテ)。
ブラーミン〔バラモン〕がその内にマントラの炎を絶やさず燃やし続けるならば、全世界にさいわいがもたらされるであろう。
ブラーミンは、困難にある人をマントラの力で救えるようにならなくてはいけない。もしもブラーミンが自分に助けを求めている人をかえりみず、「わたしはあなたと同じことをしているだけ。あなたと同じ力しかありません」などと言おうものなら、その人は人生を無駄にしているのだ。
この時代、マントラの炎は消えてしまったか、燃えかすのようになっている。だがこの古い炎は、まだかすかな火種を残して光を放っているかもしれない。この火を明るく燃えあがらせ、いつかは大きな炎として燃やしていかねばならない。
ガーヤトリー・マントラのともしびは、長い時を経てわれわれまで伝えられてきた。
聖なる紐を首にまとった者ならば、少なくとも日曜日にはガーヤトリー・マントラを1000回唱えるべきだ。体が清らかでマントラを吸収するのに適しているかどうか、よく気をつけることが大切だ。
ガーヤトリー・マントラは、ヴェーダのすべてのマントラの本質とエネルギーを含んでいる。ガーヤトリーは他のマントラに力を分け与えているのだ。ガーヤトリーの唱名(ジャパ)がなければ、他のどんなマントラを唱えようが不毛であろう。
ガーヤトリー・マントラを一心に唱えることによって、はじめてヴェーダのマントラを習得することができる。
ガーヤトリーは、真我アートマにとって根本であり、どんなときもガーヤトリーの唱名をやめてしまってはいけない。
ガーヤトリーを母なる神と思ってうやまうべきなのだ。
ヴェーダは、ガーヤトリーが母なる神であることを明らかにしている。
ガーヤトリー・マントラから得られる恵みは、心を清めること(チッタ・シュッディ)である。この最高の効果は、他のマントラにもある。しかし心を清めることは、ガーヤトリーの唱名(ジャパ)から直接得られる効果なのだ。
このマントラの炎が私たちの内で決して消えてしまうことなく、さらに強く、さらに明るく輝き続けるよう、神にすべての祈りを捧げようではないか。
(『ヒンドゥー教徒の務め』(“Hindu Dharma”
p548~553 by The Shankaracharya of Kaanchiipuram Bharatiya Vidya Bhavan
1995)(タミル語の講話を英語に翻訳した書物)
ガーヤトリーの瞑想は、ヴェーダで知られている瞑想の中で最も高度なかたちと言えます。大宇宙の意識に達し、直感力に目覚めるために、ガーヤトリーを唱えるのです。
ガーヤトリーはすべての迷いを断ち、生命力(プラーナ)を活発にさせ、健康と長寿、知恵と光を与えてくれます。
ガーヤトリー・マントラこそ、大宇宙の意識の扉を開く鍵なのです。
瞑想に最も適した時間は、朝、日が昇るまぎわと、夕方、日の沈むまぎわです。
結跏趺坐で両足を組む(パドマ・アーサナ)か、
達人座(シッド・アーサナ)〔両足のかかとを股間に近づける〕か、
金剛座(ヴァジュラ・アーサナ)〔日本の正座に似た座り方〕、
それ以外でもいいから、あまり難しくなく、楽に座れる姿勢をとります。東か北の方角を向きなさい。座布団にウールの毛布や綿の生地でおおいをかけ、その上に座ります(肉体が地面に直接触れないようにする)。座ったら体を必要以上に動かさないで、上半身・頭・首をまっすぐに保ちます。
何も怖れることなく。
真理をさとろうという強い決意をこめて座ってください。
ガーヤトリー・マントラは三組の8つの音節で整えられた、24の音節からなる大宇宙のリズムです。
くり返しマントラを唱えるにあたっては、マントラの意味を深く瞑想し、女神ガーヤトリーの姿を思い浮かべて祈ります。この瞑想は、光である神に捧げるものです。太陽神とは、光の象徴です。
このマントラは、太陽神をとおして光を瞑想するものです。人類のすべてを瞑想するのと同じことですから、まさに大宇宙のマントラと言えます。このマントラによって英知、繁栄、清浄、そして解脱が与えられます。
座るたびに108回を唱える人は、時を待たずに人生が輝きに変わるでしょう。
まごころをこめ、神を深く信じて、座るたびに1008回を唱える人は、40日以内に光輝く境地に到るでしょう。
ガーヤトリー・マントラはすべての恐怖をはらいます。
ガーヤトリー・マントラはあらゆる病気をいやします。
ガーヤトリー・マントラはカルマ〔業〕を滅ぼし、解脱を与えてくれます。
全宇宙はガーヤトリー・マントラの力のあらわれです。この宇宙に、神の力のあらわれでないものはありません。
ガーヤトリーの唱名(ジャパ)にまさる唱名はありません。
ガーヤトリー・マントラにまさる富はどこにもないのです。
朝と夕方に欠かさずガーヤトリー・マントラの瞑想をする人であれば、誰でも長寿、健康、平安の恵みが必ずあらわれます。その人の言葉は祝福となります。光明に達し、世の中と全世界に大いなる恵みをもたらすでしょう。
聖なるガーヤトリー・マントラは、神の至高の光を唱えるものであり、母なる神ガーヤトリーの御名とともに願うことは、どんなことでも、はやばやと成し遂げられます。
肉体、心、情緒、精神など、どんな種類の病気も、ガーヤトリーはいやします。
ガーヤトリー・マントラは神がかたちとなったものです。
いつもこれを唱えることにより、神の姿を見る経験(ダルシャン)をするでしょう。
古代の聖典によれば、神の聖なる言葉をくり返し唱える修行(プラスチャラナ)は、最低2万4000回は必要だそうです。ガーヤトリー・マントラには24の音節があります。だから、ガーヤトリー・マントラを2万4000回唱えることには、たいへんな功徳があるのです。
ひとりひとりのために、自分たちの国のために、世界の平和のためにガーヤトリーを唱え(プラスチャラナ)、ガーヤトリーの儀式(ヤジニャ)〔女神ガーヤトリーに犠牲の炎を捧げる〕をおこなうように、ヴェーダはいつも説いています。
大宇宙の母であられる女神ガーヤトリーの祝福によって、全世界にとうとい平安がもたらされますように。
『ガーヤトリー──至高の瞑想』(“Gayatri - The
Highest Meditation” by Sadguru Sant Keshavadas 1983 P74~78およびP157~159 Vishwa
Shanti Ashrama 24 Km. Arasinakunte, Bangalore District 562 123)
カースト・宗派・性別の区別なく、ヒンドゥー教徒でない人にもヴェーダの恵みある言葉(ワーチャム・カルヤーニーム)を広めるように、『シュクラ・ヤジュール・ヴェーダ』(“Sukla
Yajur Veda”(26-2))は教えている。
時は満ち、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ〔近代インドの聖人。ラーマクリシュナの弟子〕は、1901年にこう語った。
「カースト、教義、性別、宗教にかかわらず、ヴェーダとガーヤトリー・マントラを広く伝えるべきだ」(『ヴィヴェーカーナンダ全集』“Complete
Works Vol.3” p454~461 ‘The Religion we are Born in’)
古代と同じように、女性も日々の祈り(サンティハ)をおこなうべきなのだ。
「ヴェーダこそ、われわれのただひとつの根拠なのであり、誰でもこれに近づく権利がある」
(『オーム、ガーヤトリー、サンティハ』(“Om, Gayatri and Sandhya” by Svami
Mukhyananda 1989 p48, p49 Sri Ramakrishna Math, Mylapore, Madras 600
004.))
この原稿は、“The Power and the
Potency of The Gayatri Mantra as Taught and Expounded by Bhagavan Sri Sathya Sai
Baba”という、Sri Sathya Sai Organization Sri Lanka
が1996年に編集発行した小冊子の翻訳である。底本としては、1996年11月23日刊行の第3版を使用した。
ガーヤトリー・マントラについての質問にサイババが答えるという架空の問答により、このマントラの効果が、順を追って説得力を持って語られている。ただ、途中からことわりなしに、質問に答える人としてサイババ以外の第三者が入ってくるのは、この本の編集上の欠点だと思う。お読みくださる方の負担をやわらげるために、この日本語版では第I章と第II章とに分ける形をとった。
この小冊子の原稿は、訳者がサイババ・アシュラムで長期滞在したおりに翻訳し、鉛筆で書いた原稿をコピーして閉じ、1997年の10月に『ガヤトリー・マントラの秘められた力』という題で配布した手作りの冊子をもとにしている。その後、98年の6月に改訳版を作り、配布した。そののち2000年の4月に、インターネットのホームページ「サイ・フォーラム」に、以前の原稿をさらに改め、『ガヤトリー・マントラの恵み』という題で発表し、これは2002年7月に、サイ・ビルディングから小冊子の形で刊行された。
この小冊子は「誰でも」ガーヤトリー・マントラを唱えていいという教えではじまり、「誰でも」近づくことができる、という教えで終わっている。さらに「付録」の「インドの聖人は、ガーヤトリー・マントラをどう語ってきたか」は、サイババに帰依する人でなくともこのマントラを唱える意義があるという認識を与えてくれる。だからサイババに縁のある人も、そうでない人も、人生を向上させ、過去のカルマを乗りこえ、自己の成長を願う人であれば、誰でもガーヤトリー・マントラを唱えていい。その功徳はきわめて大きい。――それがこの小冊子の核心的なメッセージだと言っていい。
この小冊子の翻訳は他でも発表されているけれど、この日本語訳は、1998年6月にプッタパルティのインタビュー・ルームでサティア・サイババご本人から祝福をいただいたこと、この本の原典そのままに、著作権を主張していないことを特徴としている。今回、この原稿は2015年11月23日のサイババ生誕90年の日に、再びインターネットで読まれる運びとなった。インターネット、スマートフォン、Youtubeなどの普及により、このマントラは私たちにずっと近づきやすいものとなった。これを機会に、今後もこの日本語訳が広く読まれ、ガーヤトリー・マントラが多くの人に唱えられるとすれば、そしてこの苦難の多い世界に少しでも光をもたらすことができるとすれば、それはたいへん喜ばしいことだと思う。
(2015年11月23日 宇野梵悦)
このガヤトリー・マントラに関しては、インドの聖人・賢者たちが賛辞の言葉を残していますので、ここに紹介いたします。
「絶え間なくガーヤトリー・マントラを唱えることは、病を癒し、霊的進化に非常に有効である。落ち着いた気持ちで、心を込めて唱えることで、いかなる試練や逆境も乗り越えることができる。」
「政治的な力だけでは、インド国民が多くの領域で受ける束縛を克服することはできない。そのためには、インド国民が心の領域で互いに結びつく必要があり、それによって何が真実で何が不正であるかが分かるだろう。ガーヤトリー・マントラは、束縛の道から離れ、正義の道へと進もうとする人々に敬虔な気持ちを抱かせる。」
「聖仙から受け継いだ数多くの宝石の中で、もっとも価値ある宝石はガーヤトリーと呼ばれる。ガーヤトリーの礼拝は我々の知性を清める。神聖な光が我々の魂を照らし、この光によって、実に多くの人々が物質に束縛される大海原を乗り越えてきた。ガーヤトリーの礼拝によって、我々の信仰はより強固に神へと向かう。これとともに、我々はまた、物質的な利益も得る。ガーヤトリー礼拝は、ブラフミン(僧侶階級)にとってもっとも必要なものだ。ガーヤトリー・マントラを唱えないブラフミンは、行うべき当然の義務を怠るという罪を被る。」
「一息で唱えられ、インドを大国として目覚めさせるマントラ。それがガーヤトリー・マントラである。極めて純粋なこのマントラが唱えられている限り、いかなる道理の対立、意見の相違、弊害はないだろう。」
「私は常々、霊的修行に長日月を費やすべきでないといっている。しかし、この短時間のガーヤトリー礼拝による霊性修行は別だ。ガーヤトリー・マントラを唱えることで、偉大な霊的目標に到達するだろう。このマントラはとても短いが、無限の力を秘めている。」
「毎朝午前3時から午前6時の神聖な時間帯に、ガーヤトリー・マントラを唱えることで、魂は磨かれ、心は神聖となる。肉体は病を克服し、性格は清らかになる。知性が研ぎ澄まされ、記憶力が鋭くなることで、物事を見通す力がつく。耐え難い逆境にあるとき、ガーヤトリー・マントラの力は助けとなる。その結果、人はあらゆるものに浸透する精妙なもの(神)を理解する。」
「ヨーガの科学においては、マントラの科学がもっとも価値あるものだ。マントラの力は、人々を計り知れない成功に導く。ガーヤトリーは、物質的、精神的な恵みを与えるマントラである。」
「王には、些細な物でなく、重要な物を請うべきである。それと同じように、全知全能の神には、はかない物質的な快適さではなく、純粋な知性のみを請うべきである。神を喜ばせるとき、信奉者は純粋な知性を手にできる。人は、純粋な知性によって、正しい道を歩み、あらゆる種類の快適さを味わうことができる。人が真理の道を歩むとき、彼は自動的にすべての喜びを味わうのだ。ガーヤトリーは純粋知のマントラだ。したがって、あらゆるマントラの中でも、ガーヤトリーは最高の宝である。」
「ガーヤトリー・マントラの栄光を歌うのに、人はあまりにも無知である。知性に関する限り、ガーヤトリーの右に出るものはない。ガーヤトリーの礼拝を通じて、純粋知が働き、真我に至る。ガーヤトリーは、根源的なマントラである。誤りを正し、真理を確立するために、このガーヤトリー・マントラが明らかになった。」
「この世で最大の仕事は、神に到達することである。ガーヤトリーは、欲望に囚われた知性を、欲望のない神聖な知性に変える助けとなる。純粋な知性を通じてのみ、神に至ることができる。ガーヤトリーは、知性に穢れがあってはならず、物質的な利益よりも、神の実現に目を向けるべきであると述べている。」
「すべてのスークタ(讃歌)やヴェーダのマントラの中でも、ガーヤトリーがもっとも優れている。ガーヤトリー・マントラを信心込めて唱える人は、解脱に至り、あらゆる面で浄化されるだろう。ヴェーダ、プラーナ、イティハーサ(歴史)のすべてを学んでも、ガーヤトリーを唱えないならば、ブラフミン(僧侶階級)とは呼べない。」
「ガーヤトリーは、罪の海で溺れている人々を救う尊い手のようなものだ。地上においても、天界においても、ガーヤトリーより優れているものはない。ガーヤトリーを知る者は、確実に天界へ到達するだろう。」
「ガーヤトリーの礼拝は、魂を浄化するもっともよい方法である。その偉大な力によって、人々の罪や欠点は清められる。ガーヤトリーの原理を真に理解した人は、この世界のすべての喜びを手にするだろう。」
「花は密に、ミルクはバターに濃縮されるように、すべてのヴェーダはガーヤトリーに濃縮される。ガーヤトリーを揺るぎない信念で礼拝するとき、それはカーマデーヌ(願いを叶える聖牛)となる。ガンジス河は、肉体のあらゆる罪を清め、ガンジス女神の姿をしたガーヤトリーは魂を清める。ガーヤトリーを礼拝せずに、他の霊性修行を追求する者は、誠に愚かである。なぜなら、それは家にご馳走があるのに、他で残飯を乞うようなものだからだ。ガーヤトリーより偉大なものはない。この苦行に耐えるならば、解脱は近い。」
「ブラフマーのような神々でさえ、神を実現するためのガーヤトリー・マントラを唱える。ガーヤトリーのおかげで、卑しい行為は完全に阻止されるからだ。ガーヤトリーの礼拝を避ける人々は、奴隷より劣る。」
「禁欲をし、ミロバランの実を食べることを避け、ガーヤトリー・マントラを唱えるならば、長命を手にする。」
「ガーヤトリーは、バクティ(信愛)が形となったものである。ガーヤトリーのあるところ、バクティがある。ナーラーヤナ(神)の存在を疑ってはならない。」
「心の弱き者、堕落した人生を過ごす者、理性に欠ける者は、ガーヤトリーの礼拝によって最高の状態を獲得する。彼の死後、高貴な霊的境地に達することは確かだ。純粋な決意と、確固たる信念を持ってガーヤトリーを礼拝する者は、魂の英知を手にする。」
[出典:SitaRama]
新刊本「GAYATRI – THE PROFOUND PRAYER
–」(p.320-321)のガーヤトリーQ&Aのご紹介です。
Q: ガーヤトリー・ジャパやガーヤトリー・ウパーサナ(礼拝)は、どのように私たちの生活を変えるのでしょうか。
Sri
Balakrishnananda Saraswathi:
人生は、私たちすべてにとって、この上ない贈り物です。我々の経典によると、人間として、ムクティすなわち解脱を探求する責務があります。あらゆる個人は、解脱に向けて、精進するべきです。私たちを解脱に導くのは、ジュニャーナすなわち最高の知識であり、ガーヤトリー・ウパーサナは、ブラフマ・ジュニャーナ(至高の真理)への道です。ガーヤトリー・マントラは、人々に、より高い知性を授ける祈りです。それは、私たちの思考を清め、私たちをアディヤートマ・シャクティ(最高の精神エネルギー)で満たします。
マントラは、悪い性向から私たちを守護するため、ガーヤトリーと呼ばれます。ガーヤトリーは、私たちを正しい道に導きます。そして、私たちの内に、デーヴァ・グナ(神的性質)すなわち美徳、またサトウィック(純性)の性質を育みます。規則正しく、心からガーヤトリー・マントラを瞑想する人は、神聖な性格を身につけます。彼らは、健康、純心、清らかな思考、そして正しい知性を手に入れます。ガーヤトリー・ウパーサナを通じて、マーヤー(無知)の覆いは除去されます。ガーヤトリー・ジャパにすべてを捧げる人は、人生のより高い目的に集中し続けます。
ガーヤトリー・ジャパには、ヴァーチャカ・ジャパ、ウパームシュ・ジャパ、マーナサ・ジャパの3種類があります。
ヴァーチャカ・ジャパは、ガーヤトリー・マントラを正しい発音で、大きな声で唱えます。マントラを唱えている人だけでなく、周囲の人々もマントラを聞くことができます。
ウパームシュ・ジャパは、ガーヤトリー・マントラをささやくように唱えることです。とても小さな声のため、マントラを唱えている本人以外は聞くことができません。
マーナサ・ジャパすなわち心の中の祈りは、三種のジャパの中でもっとも優れた方法です。
ガーヤトリー・マントラは、絶大なる変革の力を秘めています。定期的にガーヤトリーに祈りを捧げ、あなたに起こる変革、そして好ましい変化を感じてください。」
ヴェーダについての啓蒙をすすめる「ヴェーダマンディール」より、ガーヤトリーのQ&Aについて、スワミ・ラーマスワルーパの回答を以下にご紹介します。
バルティ・グプタは、スワミ・ラーマスワルーパにガーヤトリー・マントラについての詳しい質問をしました。
(1) マーラー(数珠の意。マントラを108回唱えること)は奇数回でなければならないでしょうか?私は、以前に、1、3、5、7、9回などの奇数回行うように言われました。
そうだとすると、朝の8時前にガーヤトリー・ジャパを3マーラー(108×3回唱える)行い、それから、夜8時前に1マーラーを行うのは正しいと言えるでしょうか?つまり、1日に4マーラーを行うことになります。ご説明お願いいたします。
スワミ・ラーマスワルーパ:最高のマーラーは、すでに呼吸器系の神によって与えられています。ガーヤトリー・マントラを唱える最も良い方法は、プラーナーヤーマ(調息法)にるものです。それはまた、ガーヤトリー・アヌスターナ(行)と呼ばれます。しかし、プラーナーヤーマは、学識のあるアーチャリヤ(師)から直々に学ばなければいけません。 サーマ・ヴェーダによると、朝と晩の1日2回の行で十分です。
(2) マーラーを行うのにもっとも効果的な吉兆の時間帯はいつになりますか? また、午後にガーヤトリー・マントラのマーラーを行って良いのであれば、何時から何時の間に行うのが良いか教えてください。
スワミ・ラーマスワルーパ: 朝は午前5時頃、午後は午後5時~10時頃の時間帯が適しています。
(3) ガーヤトリー・マントラを詠唱するとき、アガルバティ(お香)あるいはディーヴァ(油またはギー)を灯す必要はありますか?
スワミ・ラーマスワルーパ:アガルバティは使用しますが、それでもやはり、ヴェーダの永遠の哲学が必要です。ヴェーダでは、神聖なハヴァナやヤジュニャ(護摩供養)を行なうように述べています。
(4) ガーヤトリー・マントラを唱える前に沐浴する必要はありますか?
スワミ・ラーマスワルーパ:神は穢れとは無縁の純粋な存在なので、沐浴するのはとても良いことです。神は清浄を望みます。しかし、何らかの事情があれば、沐浴は必ずしも必要ではありません。
(5) 敷物の上に座り、足を組んで座る必要はありますか?
スワミ・ラーマスワルーパ:そうすると良いでしょう。瞑想をすると、私たちの体内に電流が走るので、熱を通しにくいアーサナをする必要があります。ヨーガ・アーサナ、シッダ・アーサナ(達人座)、スカ・アーサナ(安楽座)やパドマ・アーサナ(蓮華座)が良いでしょう。
(6) マントラを唱えた後は、毎回「オーム・シャーンティ・シャーンティ・シャーンティ」を唱える必要がありますか?例えば、3マーラーのジャパを行ったとき、3マーラーすべて終えた後に「オーム・シャーンティ・シャーンティ・シャーンティ」と唱えるべきなのか、それとも、1マーラー毎に「オーム・シャーンティ・シャーンティ・シャーンティ」と唱えるべきなのでしょうか。
スワミ・ラーマスワルーパ: オーム・シャーンティを唱える場合は、ヤジュル・ヴェーダによると、断片的であってはならず、一番最後に唱えなければなりません。アタルヴァ・ヴェーダでは、ヴェーダ・マントラの断片的な詠唱に警鐘を鳴らしています。
(7) 家事をしながら聞くのに適したガーヤトリーのCDやテープがあったら教えてください。
スワミ・ラーマスワルーパ:そのようなものは私は知りません。お店の人に聞いてみると良いでしょう。希望でしたら、ガーヤトリーのカセットを製作して差し上げますが、まずはお店に尋ねてみてください。
ジャイデーヴァ・シャルマ:ガーヤトリー・マントラをどのように瞑想したら良いでしょうか?詳しく教えていください。
スワミ・ラーマスワルーパ:ガーヤトリー・マントラとその意味は、ヴェーダ・マンディールのウェブサイトで知ることができます(http://vedmandir.com)。ガーヤトリー・マントラの瞑想には、二つの方法があります。
一つは、スカ・アーサナ(安楽座)、シッダ・アーサナ(達人座)、パドマ・アーサナ(蓮華座)などの適切なアーサナで座ります。そして、 眉間にあるアージュニャー・チャクラに集中します。外界の対象に気を向けてはなりません。それから目を閉じ、 意味を吟味しながらガーヤトリー・マントラを毎日唱えます。
2つ目は、アーサナで座りながら、プラーナーヤーマ(調息法)を行う方法です。息を大きく吸ってから、呼吸を止めて目を閉じ、アージュニャー・チャクラに集中します。それから、ガーヤトリー・マントラを唱え続けます。呼吸を止めることができなくなったら、できるだけゆっくりと息を吐いて、息を吐ききったところで、再びガーヤトリー・マントラを唱えます。そして、この方法を何度も繰り返します。このような3段階のプラーナーヤーマを毎日行います。このような方法は、バーヒャーンタル(内と外)とアービャンタラ(内部の)と呼ばれます。さらにガーヤトリー・マントラを用いてハヴァナ(護摩)を行うこともできます。すべては礼拝です。
引用:http://www.vedmandir.com/node/21 翻訳 SitaRama
「ガーヤトリー・マントラのひとつの明確な特徴としては、この詠唱を通じて、わたしたちに正しい知性、知識、啓蒙を授けてくれるよう、至高神にお願いすることです。このマントラの24音節からなる詠唱は、人間の肉体の24の異なる部位に共鳴するといわれます。また、詠唱によって特別なオーラが肉体の周囲に生み出されるといいます。これらの2つの変化によって、わたしたちは次の2つの恩恵を手にします。すなわち、宇宙の神秘についての天啓と、過去世に犯した罪の浄罪です。このようにして、人は輪廻の循環から自由になることができます。それに加え、収入、資産、知力の増大という世俗的な恩恵が、探求者が世俗的な欲望も、物質的な執着をも持っていなくても、もたらされるといいます。このような恩恵は、他のマントラでは見られないため、ガーヤトリー・マントラはインド文化の中で、きわめて重要なマントラに位置づけられています。」
(SHRIRAM SHARMA ACHARYA著、「The Science of Gayatri
Mantra」、p.2、Shantikunj, Haridwar,(U.P), Indiaより。訳:SitaRama)
「精神的な側面に関する活動はサラスワティーが、物質的な側面に関する活動はマハーラクシュミーが、そして肉体的な側面に関する活動はカーリー(ドゥルガー)がつかさどります。この三位一体の女神の恩寵により、あらゆる面での幸福と繁栄があたえられます。
ところで、ガーヤトリー女神は、あるときはサラスワティーの姿を、あるときはマハーラクシュミーの姿を、そしてまたあるときはカーリー(ドゥルガー)の姿をとる三位一体の化身とされています。そのため、ガーヤトリー女神の恩寵を得ることで、神への解脱と至る叡智、またそのために必要な衣食住、身体的な強靱さのすべてがあたえられます。これが、ガーヤトリー・マントラが万能かつ最高位のマントラであるといわれるゆえんでもあります。
ビージャ・アクシャラは、すべてのマントラの基礎となると同時に、それ自身が強力なマントラともなっています。「すべての道はローマに通ず」ではありませんが、すべてのマントラはただひとつの至高神に通ずるということは真理です。それぞれ表現は異なるかもしれませんが、すべてのマントラは、ただひとつの至高神をあらわしており、どのようなマントラ(道)を選んでも、それを継続的に臆念し続けることにより、やがてはひとつの真理に到達することができます。」
[出典:SitaRamaブログ2006年6月29日]
「マントラを唱える上で最重要なことは、何よりもまず、こころを込めて唱えるということです。
こころがこもっていなければ、どんなにすばらしい言葉を並べたところで、相手のこころに響くことはありません。マントラを唱えるときには、神に語りかけるように、こころを込めて唱えましょう。
それができてはじめて、その意味を熟考し、神の御姿(みすがた)を臆念しながら唱えることの重要性が感じられるようになります。
世界中の聖者といわれる人々の中には、マントラを一心に唱え続けることで悟りを開いた聖者も少なくありません。ただ、共通していえることは、ひとつのマントラを生涯を通じて、唱え続けるということです。数多くのマントラが簡単に手にできるようになっている時代ですが、ひとつのマントラを一生の友として、唱え続けることで、計り知れない大きな恩寵を得ることができます。
数あるマントラの中でも、太陽神サヴィトリーに捧げるガヤトリー・マントラは、インドの聖典の中でも最高のものであるとされていますので、このマントラを選ぶことで、道を誤ることはまずありません。」
[出典:SitaRamaブログ2006年5月14日]
太陽神サヴィトリへの賛歌として知られるガーヤトリー・マントラは、知性を司るマントラとして唱えられ、数々の霊的な恩恵が伝えられています。「ガーヤトリーは、ガーヤトリーを詠う者を守護する(Gayantam
trayate iti
Gayatri)」と伝えられ、その最大の恩恵を享受するには、まず、正しい発音が重要です。適切な恩恵をもたらすその神聖な音の波動は、心身に共鳴を生み出し、双方を純粋なエネルギーで満たします。
ガーヤトリー・マントラの詠唱は、最高神であるブラフマンを讃え、ブラフマンに語りかけるものでもあります。その実践は、人々を究極の次元へと導き、やがてその修行が成就した時、超越的なブラフマンの境地に達することができるでしょう。しかし、マントラの恩恵を十分に引き出すためには、弛まぬ継続的な努力が必要不可欠となります。
ヴェーダにおける最高峰のマントラとして伝えられるガーヤトリー・マントラは、シュリーマド・バーガヴァタムにおいても多くの言及がなされています。それは、神聖な世界の始まるところであり、霊的に豊かであった古代の論理が、このマントラにあると信じられています。
古代のインドの聖者たちは、優れた識別力を得るために、内なる精神修行のために、あらゆる霊的目標の成就のために、ガーヤトリー・マントラの修行に人生を捧げてきました。ガーヤトリー・マントラの詠唱は、修行者(サーダカ)としての自信と勇気を高め、その判断力、統率力を啓発し、内なる精神の浄化に影響を与えます。その恩恵は、人間関係や職業といった社会的な面に至るまで向上を促すでしょう。
真摯な気持ちでガーヤトリー・マントラを唱え続けると、潜在能力が刺激され、理想的な思考が生み出され、精神的な面と身体的な面の双方を向上させる門戸を開きます。これらは、ガーヤトリー・マントラの修行を真摯に続けてきた誰もに見られる事実です。
ガーヤトリー・マントラを唱える際に勧められる点は次の通りです。
・ガーヤトリー・マントラの句の意味を学び、暗唱できるようにしましょう。
・マントラを唱える時は、安定した穏やかな呼吸を保ちながら、光り輝く太陽や壮大な自然を思い描くと良いでしょう。
・ガーヤトリー女神の神像や絵を側に置き、マントラの詠唱の支えとするのも良いでしょう。
『まごころと、情熱と、あつい信仰さえあれば、宗教やカーストが違っていても、修行にガーヤトリー・マントラを選んでさしつかえない。あなたの人生は確実に祝福されるだろう。
神を求める人々よ。偉大なるガーヤトリーの驚くべき可能性に気づくがいい。このマントラのもつ美しい遺産をあざやかに実現するのだ。太古の修行者(リシ)からわれわれに伝えられたこの聖なる力(シャクティ)を無駄にしてはいけない。』(“Sadhana”
by Swami Sivananda 1985 p217~p220)
ガーヤトリー・マントラは、人類に授けられた最高の霊的鎧であり、その恩恵は誰もが享受することができます。ガーヤトリー・マントラは、人生という荒野を旅するための必需品であり、太陽の光のように、人々を正しい道に導き、計り知れない果実をもたらしてくれるでしょう。
出典:SitaRama
ガーヤトリー・マントラは、すべてのマントラの中で最高のマントラです。
それは、唱える人に純粋な心、そして優れた精神力を授けます。
インドの優れた哲学者、アーディ・シャンカラーチャリヤによると、ガーヤトリーは、不二一元論の直接的な顕現であるといいます。
ガーヤトリーへの瞑想や礼拝の深い意義を理解し、実践する探求者は、何一つ不自由することはないでしょう。
偉大な聖仙たちは、この地上における聖なる滞在を通じて、ガーヤトリーへの礼拝を行いました。
そして彼らは、自身が究極の解脱に到達しただけでなく、あらゆる人々にガーヤトリー礼拝の意義を広めることにより、多くの帰依者の魂を、奇跡へと導きました。
ガーヤトリーへの礼拝は、霊的科学に深い根拠を持ち、物質的にも精神的にも非常に有益なものです。
アーリヤ・サマジ・スワーミー・アーナンダ氏は、彼の著書「アーナンダ・ガーヤトリー・カター」の中で、グル(師)に出会う前、彼がまるで死人のようであったと述べています。
しかし、グルのもとでガーヤトリー・サーダナ(霊性修行)を実践したところ、彼の人生は奇跡的に変化し、内在の光を獲得したといいます。
ガウタマ師、ドゥルヴァ師、マハートマー・アーナンダ・スワーミー師、カーティヤーヴァーデー・バーバー師、シッダ・ボーティワーレイ・バーバー師をはじめとする聖者たちは、ガーヤトリー・サーダナが、比類のない速さで霊的な成長を促すことを力説しています。
ガーヤトリー礼拝に関わる奇跡的な逸話は、枚挙に暇がありません。ガーヤトリー・サーダナを、真摯な気持ちで継続するならば、物質的・精神的に豊かな、光輝に満ちた人生が待っていることでしょう。
スワーミー・アーナンダは、この地上におけるあらゆる果報は、ガーヤトリー女神の恩寵であると、ガーヤトリー女神へ帰依全託しています。
ガーヤトリー女神への帰依は、不浄で邪悪に満ちた心から、永遠なる神聖な心へと変化させます。
清らかな心でガーヤトリー女神を礼拝することにより、帰依者の周囲にはガーヤトリーのオーラが形成され、不慮の事故や悲惨な状況から身を守られると信じられています。
ガーヤトリー女神の帰依者は、国、信仰、身分、性別などさまざまに異なりますが、それは、ガーヤトリー女神の帰依者は、いかなる制約も受けないことを意味します。
貧困、裁判、敵対、失業、家庭不和、困難、こうした問題を抱えているとき、ガーヤトリー女神への瞑想と礼拝によって、光輝に満ちた不動の精神が確立され、帰依者はすべての障害を克服するでしょう。
ガーヤトリー女神への礼拝は、精神的な向上はもちろんのこと、物質的な利益をもたらすことは間違いありません。
しかしそれは、ガーヤトリー女神の超越的な御力が、帰依者の穢れた心を、穢れのない神的な心へと変化させた後に起こるものです。
ガーヤトリー女神の熱心な帰依者は、決して貧困に苦しむことなく、惨めな生活を送ることはないのです。
〔出典:SitaRamaブログ2016年11月15日〕
ガ ー ヤ ト リ ー ・ マ ン ト ラ の 無 限 の 力
ヒンドゥー教において最高峰のマントラといわれ、現代では国や宗教を超えて詠唱されるガーヤトリー・マントラは、かつては儀式や祭祀を執り行う特定の家系の男子のみによって唱えられるものでした。ヒンドゥー改革運動の流れやヨーガの普及もあり、日常的に幅広く世界中で唱えられるようになったこのガーヤトリー・マントラについて、その意味、起源、重要性を詳しく見ていきましょう。
「オーム、地よ、空よ、天よ
我らが、彼(か)の太陽神の愛でたき神の光輝を獲得せんことを
我が為に、彼が知性を鼓舞せんことを 」
紀元前12世紀頃に編纂されたリグ・ヴェーダにあらわれるこのガーヤトリー・マントラは、太陽神サヴィトリへの賛歌です。聖仙ヴィシュヴァーミトラは、太陽の中に神(ブラフマン)を見出し、無限の力を引き出すガーヤトリー・マントラを発見しました。ガーヤトリー・マントラには、生きとし生けるものに命を与える太陽という最高の光が、私たちの心を照らし、知識を授け、正しい道へと導いてくれるよう、叡知を司る祈りが込められています。
「ガーヤトリー」とは、もともと韻律の一種であり、8音節の句を3つ重ねた、合計24音節からなる詩形を意味します。
後に、ガーヤトリーは神格化され、ガーヤトリー女神として崇められるようになりました。ガーヤトリー・マントラが記されたヴェーダは、「知識」を意味し、ヒンドゥー教においてもっとも尊ばれる聖典であり、ガーヤトリー女神は人々の無知を取り除くヴェーダの母として崇められています。
それでは、なぜガーヤトリー女神は、5つの顔を持つのでしょうか。4つの顔は4つのヴェーダをあらわし、残りの1つは最高神をあらわすといわれます。4つのヴェーダには、以下のマハーヴァーキヤ(格言)があり、これらをすべてあわせたものが、ガーヤトリーとなります。
サーマ・ヴェーダ:tat
tvam asi(汝はそれである)
リグ・ヴェーダ:prajnna brahma(意識はブラフマンなり)
アタルヴァ・ヴェーダ:ayam tm brahma(自己はブラフマンなり)
ヤジュル・ヴェーダ:aha brahmsmi(私はブラフマンである)
このことから、ガーヤトリー・マントラは4つのヴェーダの教えの真髄であり、ガーヤトリー・マントラを唱えることは、4つのヴェーダをすべて唱えることと同じ功徳があるといわれます。またガーヤトリーは、パンチャ・マハー・ブータ(五大元素)をあらわし、宇宙全体の力を通じて、ガーヤトリー・マントラを唱える個人の心と体を守り、偉大な力を授けると伝えられます。また、5つの顔は、生命を司る5つのプラーナ(生気)と、自己の本質を覆い隠す5つの鞘に対応します。すなわち、ガーヤトリー・マントラを唱えることは、生命力を活性化させ、自己の本質を覆い隠す鞘を取り除くために、非常に役立ちます。
太陽神サヴィトリへの賛歌であるガーヤトリー・マントラは、感覚を司るガーヤトリー女神、生命力を司るサーヴィトリー女神、そして叡知を司るサラスヴァティー女神の三女神の象徴です。したがって、ガーヤトリー・マントラを唱えることにより、感覚器官を制御し、真理を語り、思いと言葉と行動の一致をもたらします。ガーヤトリー・マントラは、あらゆるマントラの中で最も恩恵高く、光に満ちた知識を授けるマントラであることから、グル・マントラとして受け継がれることもあります。
ガーヤトリー・マントラを唱える最適な時間は、日の出、正午、日の入りです。こうして1日に3度ガーヤトリー・マントラを唱えることは、サンディヤー礼拝と呼ばれます。マントラは108回唱えることで最大の恩恵が得られると伝えられますが、十分な時間が取れない場合は、3回、9回、11回等の吉祥数回唱えることもよいでしょう。もし食前に唱えるならば、その食事は神聖な波動で満たされた神への捧げ物となり、精神と肉体にとって有益な食事となるでしょう。
賢者や聖人たちは、単にガーヤトリー・マントラの意味を伝えるだけでなく、清らかな知識を授ける正しい力となるように、その言葉を伝えてきました。スワミ・シヴァーナンダ師は、ガーヤトリー・マントラについて、次のように述べています。
『ガーヤトリーは、敬虔深いヒンドゥー教徒すべての生命であり支柱です。
それは、信奉者を守り導く決して破れない霊的な鎧であり、堕ちることのない要塞です。
事実、ガーヤトリーの言葉の真の意味は、「それを歌う人を守るもの」です。
ガーヤトリーは、人間を神へと変え、最高の霊的光輝によって人々を祝福する神の力です。』
ガーヤトリー・マントラに秘められた教えと力が、その真義を明らかにしています。詠唱を続けると、真の知識があらわれ始めることを感じるでしょう。神への讃美であり、瞑想であり、祈りでもあるガーヤトリー・マントラは、真理を授ける無限の力を秘めています。
出典:SitaRama
当初、ヴェーダに記されたマントラは、私たちの精神、また身体に影響を与えることを目的とした、24の音節からなるマントラであったといわれます。中でも、ヴェーダの心髄である24音節のガーヤトリー・マントラは、精神を集中させ物事の本質を見極める力を高めると共に、私たちの身体に多くの恩恵を与えると伝えられます。以下はガーヤトリー・マントラによって授けられるいくつかの恩恵です。
免疫力の向上:ガーヤトリー・マントラを唱えると、
舌、唇、声帯、口蓋、そしてそれらが繋がる部位が刺激され、脳内とその周辺部にも共鳴が生まれます。この波動は視床下部を刺激し、その働きは全身にくまなく伝わります。そして、エネルギーセンターといわれ、リンパ節や内臓に関係しながら全身の機能を助ける各チャクラが活性化されると、免疫力が向上し、心身に健康がもたらされると伝えられます。
集中力および記憶力の向上:「インターナショナル・ジャーナル・オブ・ヨガ」【1】の研究は、マントラを唱える人の集中力および記憶力は、そうでない人に比べ優れていたと伝えています。
ガーヤトリー・マントラを唱えることで生み出される波動は、まず、眉間のチャクラ、喉のチャクラ、頭頂部のチャクラの3つを活性化します。これら3つのチャクラは、脳、松果体、目、鼻腔、脳下位、脳下垂体、甲状腺機能に直接繋がっており、それらに伝わるガーヤトリー・マントラの波動は、集中力の向上に役立つといわれます。これらのチャクラが活性化されると、ガーヤトリー・マントラの波動は、生命を維持するために重要な働きをする器官をさらに刺激し、気づきの力を向上させるといわれます。チャクラのバランスを改善するには、これに加え、ヨーガのアーサナを学ぶことが良いでしょう。
呼吸の質の向上:マントラを唱えるには、深くコントロールされた呼吸が求められます。マントラを定期的に唱えると、呼吸がコントロールされるため、肺の機能も改善されます。呼吸が深まり、新鮮な酸素が全身に行き渡ることで、心身がすこやかな状態に保たれるといわれます。イギリス医師会刊行の「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」で発表されたレポート【2】は、マントラを唱えると呼吸が穏やかになり、心臓の鼓動を安定させ、健康維持に役に立つと伝えています。
マントラを定期的・継続的に唱えることは、心の安定、能力の向上をもたらし、ストレスを軽減し、肉体の健康へとつながります。心に栄養を与えるため、そしてストレスに満ちた社会に立ち向かうために、マントラの詠唱を実践してみてはいかがでしょうか。
(SitaRama)
参考文献:
【1】Dhansoia,
Vipin, Hemant Bhargav, and Kashinath Metri. “Immediate effect of mind sound
resonance technique on state anxiety and cognitive functions in patients
suffering from generalized anxiety disorder: A self-controlled pilot study.”
International journal of yoga 8.1 (2015): 70.
Available
from: http://www.ijoy.org.in/text.asp?2015/8/1/70/146069
【2】Bernardi, Luciano, et al. “Effect of rosary prayer and
yoga mantras on autonomic cardiovascular rhythms: comparative study.” British
Medical Journal 323.7327 (2001): 1446.
Available
from: http://www.bmj.com/content/323/7327/1446
ジャパをするときの環境について
ジャパを行う(マントラを繰り返し唱える)ことの重要性は、ヒンドゥーの聖典でたびたび強調されていますが、ジャパをする環境の重要性についても、聖典では述べられています。
ここでは、「Gayatri the Highest
Meditation」から引用して、ジャパを行う時の環境の重要性について紹介いたします。
「タントラサーラ」によると、メンタル・ジャパ(心の中でマントラを唱えること)は、いつでもどこでも行うことができます。「リンガ・プラーナ」では、通常の生活環境よりも、さらに恩恵をもたらす特定の環境の重要性について次のように述べています。あなたの家でジャパを行うとき、恩恵はジャパの数だけ与えられます。
ところが、牛舎でジャパを行うならば、その恩恵は100倍となります。
また聖河のほとりで唱えるならば、その恩恵は、前の2つの場所の10万倍となります。
同じジャパが神の神聖なイメージ(絵、像、写真など)の前で行われるならば、その恩恵は無限大です。
海岸、山、寺院、隠遁者の住処などで行われるジャパも、その恩恵は莫大なものになります。
神のイメージ、またはより明るい光を放つ星を凝視してのジャパはとても効果的です。
光や炎、牛の前で行われるジャパ、同様に霊的な教師や聖者の前で行われるジャパは、すばらしい恩恵をもたらします。「タントラサーラ」によると、トゥラシー(ホーリーバジル)の植えられた庭で、あるいはシヴァ神に捧げられるビルヴァの木(ベルノキ)の側で、あるいは山頂にある神聖なイチジクの木の側で、川辺で、牛舎で、寺院で、聖地巡礼の途中で、霊性の師の前などで行われるジャパは、容易に心を統制でき、マントラを繰り返し唱えることで、精神的な満足感や、ある種の達成感が確実にもたらされるといわれます。
参照:
Sadguru Sant Keshavadas,
“Gayatri The Highest Meditation”, p18, Motilal Banarsidass publishers, India
[出典:SitaRama 2008/03/24/のブログ]
マントラについてのFAQ
マントラに関するよくある質問について、サンスクリット・マントラに詳しいThomas Ashley-Farrand氏の回答からご紹介させていただきます。
Q:いくつもの願い事があるので、マントラを一度にいくつか唱えようと思っています。これは良いことでしょうか。
A:マントラへの取り組みがはじめての時は、マントラの効果が現れ始めるまでの40日間 は、ひとつのマントラに集中して唱えられることをおすすめします。その後は、あなたの願望にあわせて、あなたの好きな組み合わせで唱えてもよいでしょう。マントラは、あなた自身と、宇宙からのエネルギーに作用します。したがって、複数のマントラを実践する場合は、少なくとも唱える場所を統一した方がよいでしょう。
Q:周りに人がいるときは、心の中でマントラを唱えていますが、これでよいでしょうか。
A:本当は、心の中でマントラを唱えることは、もっとも強力な方法です。 心の中で繰り返し唱えることは、チャクラに対応する花弁を刺激するため、身体の微細な領域にエネルギーが流れ込みます。
Q:マントラはグル(師)から授からないと効果がないと聞きました。これは本当でしょうか。
A:マントラを数多く繰り返し唱え、マントラの力を解放した人々は、「マントラ・シッディ」と呼ばれることがあります。これは、マントラによって何らかの霊力を獲得し、マントラに熟達したことを意味します。彼らは「霊力」とともに他の人々にマントラを授けることができるかもしれません。こうしてマントラを授かった人々は、グルから「霊力」とともに伝授されなかった人々よりも、すみやかに目的が達成される場合があります。しかしながら、サンスクリットのマントラは、チャクラに直接作用するため、あなたに生来与えられている霊的な権利です。マントラは、ただ本などで読んだ場合でも、実践することでその力を発揮します。
マントラ・シッディに達するために、最低限唱えなければならない回数は、一般に12万5千回といわれています。
Q:マントラを他の人のために唱えたいと思っています。これは良いことでしょうか。
A:他の人々のために祈ることは、どんな時でも良いことです。しかしながら、一般の祈りは、その回答を神々に委ねるのに対し、サンスクリットのマントラは積極的かつ特定的で、一般の祈りとは多少異なります。したがって、もし可能であるならば、祈りたい人にあらかじめ、あなたの幸福を願ってお祈りしたいとのことを伝えておくとよいかもしれません。これを伝えるのが難しい場合は、彼らの至高善と吉兆のために祈りのエネルギーが使用されるように祈るとよいでしょう。また祈りの際は、彼らの名前を先に読み、マントラが彼らのために唱えられることを明確にして、彼らのカルマを被らないようにしましょう。
なお両親は、子供たちに対して、マントラによる祈りの権利と責任を本来的に持っています。
出典:SitaRama
音声心理学、自然原理にもとづいて数千年間に渡って実証されてきたジャパによる瞑想には、さまざまな実利的な救済があります。
西洋文化によく見られるロザリオによる祈祷は、ジャパの形式のひとつといえます。ロザリオに似たジャパ・マーラーは、マントラを繰り返し唱える際によく使用されます。これを使用することで、リズミックに繰り返し唱えることができ、集中力の強化や内的な気づきを得る助けとなります。ジャパ・マーラーは、通常108個のビーズと、他のビーズより少し大きめのメールという親玉で成り立ちます。この親玉は、ビーズ1個につきマントラを一回唱えていったときに、108回のジャパ(1マーラー)が完了したことのシグナルになります。続けて唱える場合は、指は親玉を交差してはいけません。親玉に到達したら、数珠を反対方向に繰っていきます。ビーズを繰る時は、親指と中指を使用します。人差し指は、ネガティブな意味があるので、インドでは滅多に使用されることはありません。数珠は、臍より下に垂れないようにし、使用しないときは、清潔な布に包んでおきます。
瞑想の開始前には、適切な祈りを唱えることで、感覚を研ぎ澄ますことができます。軽く目を閉じ、眉間にあるアージュナー・チャクラか、胸にあるアナーハタ・チャクラに意識を集中させ、好きな神さまや師匠を想起します。マントラは、間違えないようにはっきりと唱えます。唱えるのが速すぎても、遅すぎてもいけません。そして、その意味にも意識を向けます。心が彷徨いだしたときは、マントラのスピードをあげて、集中力を取り戻してもよいでしょう。心は時間とともに流される傾向があるので、瞑想の間は集中力を保つことが重要になります。
ジャパに変化を持たせることは、同じ音節を繰り返し唱えることによる疲労や退屈さを妨げ、集中力を維持するために必要です。しばらくの間は大きな声で唱え、それからささやき声で、最後には心の中で唱えるのもよいでしょう。心は変化を必要としていて、単調では飽きてしまいます。しかしながら、感情を排除した機械的な繰り返しでも、とても大きな効果があります。
瞑想の上達に応じて、内的な変化を持たせていくことが大切です。
声に出してのジャパは、ヴァイカリー・ジャパと呼ばれます。一方、ささやき声でのジャパは、ウパームスと呼ばれます。心の中で唱えるマーナシカ・ジャパは、もっとも強力ですが、心はふらふらと彷徨う傾向にあるため、鋭い集中力が必要とされます。周囲の環境にも配慮する必要がありますが、大きな声によるジャパの利点は、世間の騒音や気をそらすものをシャットアウトし、集中力を維持しやすい点にあります。周囲の環境、心の状態、集中力や眠気など、必要に応じて方法を変えるのがよいでしょう。
この種の取り組みに慣れていないビギナーの人たちは、マントラを5分や10分繰り返しただけで、すぐに音をあげてしまうかもしれません。しかし、少なくとも30分は辛抱して繰り返すことで、意識の中にマントラが浸透し、数日の内にその恩恵を感じ取ることができるようになるでしょう。
マントラを繰り返し唱える間、好きな神さまのイメージを想起することは、ジャパの効果を大きく高めます。音と形は、お互いに強め合います。集中力と信念があれば、音波は、意識の中に対応した形をつくり出す力があります。このプロセスは、胸や眉間に神さまの姿を想起することで、非常に高められます。視覚化によって、その神さまの多様な性質に気づきます。その神さまが心に内在し、神さまが心や意識を内から浄め、マントラの力によってその存在が大きくなることを感じましょう。
例えば、シヴァ神を瞑想するとします。物理的なエネルギーは、数珠を繰ることに集中されます。そして、三つ目、三日月、コブラ、三叉矛、太鼓などのシヴァの特徴的なイメージが、心の一層を占めます。同時に「オーム・ナマ・シヴァーヤ」のマントラが繰り返され、意識の中にもう一層が形成されます。マントラの繰り返しは、蓄積的な作用があり、継続することでその効果が増大します。ジャパによる瞑想は、単なる言葉の繰り返し以上のものであることは明らかです。最終的には、三昧の境地に導くものです。
結びの祈りや、瞑想後の過ごし方も重要です。ジャパが終わった後すぐに、世俗的な活動に取り組むのはよくありません。10分ほど静かに座し、神さまを想念し、神さまの存在を感じます。日常の活動を再開した時も、神聖な波動はしばらく残っています。どのような活動に従事しようと、この傾向がいつまでも続くように心がけます。
手仕事を行うときは、手は仕事に集中し、心は神さまに捧げます。
友だちと会話を楽しみながら編み物をしている女性のような場合は、メンタル・ジャパをすることもできます。練習をすることで、手仕事は無意識のうちにこなすことができます。マントラが一日を通じて繰り返されるようになれば、神さまの意識が生活の中にまで浸透してくるでしょう。
リキタ・ジャパと呼ばれるマントラを紙に書くことは、ジャパの補完的な方法です。リキタ・ジャパでは、この目的のためだけのペンとノートを特別に用意して、マントラをノートに書いていきます。静寂と集中力をもって、30分間続けます。書いている間は、心の中で同時にマントラを唱えることで、意識下の影響が強められます。リキタ・ジャパはどの言語や字体で行っても構いません。これは、集中力を高め、瞑想状態に導く大きな助けとなります。人がどのような状態であっても、人々を守り導く神聖なエネルギーの影響を継続させる助けとなる方法です。
これ以上の高度な瞑想方法は、指導者の指示なしに行わない方が賢明です。あまり知られていないビージャ・マントラやシュリー・ヴィディヤーなどの特殊なマントラは、マントラやサンスクリット語に精通していない場合は唱えない方がよいでしょう。不適切に唱えられた場合は、精神的によくない影響がある場合もあります。高度で特殊なマントラに精通していない場合、指導者が近くにいない場合は、広く知られている一般的なマントラに集中するようにしましょう。
神々のマントラは、集中されたジャパ瞑想を長期間にわたって行うプラスチャラナに用いられます。プラスチャラナを行う際は、ジャパのために毎日数時間割り当てる必要があります。マントラは、1種類につき100万回繰り返されます。そして、規定の回数をこなすまでは、信心を込めて、正しい姿勢と心構えで挑みます。マハーマントラのジャパをゆっくり行うと、終了するまでに3年ほどかかります。実行者は、プラスチャラナに関する聖典の記述にある規則や規律を確認し、定められた食事制限などを遵守する必要があります。
アヌシャーサナは、ある精神的な目的達成のために行われる宗教的な苦行です。成功するためには、願望は霊性に関するものであり、苦行の間つねに信念を持ち続けなければなりません。苦行の厳しさはさまざまですが、実行者の体質や健康状態にも依存します。
ジャパ・アヌシャーサナでは、望む目的に応じた神さまのマントラを選択するべきです。個人的に好きな神さまがクリシュナであったとしても、心に響く音楽を作曲したいならばサラスワティー女神のマントラを唱えたり、精神的な障害を取り除きたい場合にはガネーシャのマントラを唱えるとよいでしょう。こうしたジャパ瞑想は、鋭い集中力を持った雑念のない状態で長期間にわたって行われれば、希望の目標に到達することは間違いありません。
ジャパ瞑想については他にもさまざまな形式があるかもしれませんが、一般論とテクニックに大きな違いはありません。信念と愛をもって、不屈の精神で行えば、ジャパは覚りを実現する直接的な道となります。
ヒンドゥー教において現代は、「カリ・ユガ」(ユガとは時代のこと)と呼ばれる「悪と不正が世界を覆い尽くす時代」であると言われています。ヒンドゥー教では、その時代ごとによって最適な修行方法が定められていました。善が世界を覆い尽くす「クリタ・ユガ」では瞑想が、悪が世界の4分の1を支配する「トレーター・ユガ」(ラーマの時代)では儀式を執り行うことが、悪が世界の半分を支配する「ドヴァーパラ・ユガ」(クリシュナの時代)では神への礼拝が、それぞれ神に到達する最適な手段であるとされていました。そして現在の「カリ・ユガ」ではジャパ(マントラを繰り返し唱える)あるいはナマスマラナ(神の御名を繰り返し唱える)を行うことであると言われています。例えば『ヴィシュヌ・プラーナ』では、「カリ・ユガ」ではヴィシュヌの名を唱えるだけで巨大な功徳を積むことができるとされています(Visnu-Purana,
ed. M. Gupta, Gorakhpur,
1952)。シヴァやクリシュナ、ラーマなどの神さまの名前も、それ自体非常に強力なマントラになっているため、それを繰り返し唱えることで巨大な功徳を積むことができると言われています。
このように、悪が世界の4分の3を支配する時代では、マントラを唱えるという非常に簡潔な方法が、最も効果の高い修行方法であるとヒンドゥー教では定められています。このような時代であったために、いにしえの聖者たちは、この時代に生まれることを強く望んでいたとも言われています。ジャパを行うことは特に道具を必要とせず、また場所を選ぶこともありません。
ジャパには次のような段階が定められています。
ジャパの最終的な目標の一つには、意識していなくても心の中で常にマントラが流れている状態にあります。そのために、どこにいてもジャパを行うことができます。
ジャパは、われわれに与えられた、最も手軽であり、かつ最も強力な修行方法であるといえるでしょう。
ジャパに関しては、多くの聖人・聖者たちが称賛の言葉を送っています。
『定められた回数のジャパを実践し続けていれば、やがて、内面の光が輝き出すでしょう』
『ナマジャパ(訳注:ナマは神の名前の意味)は非常に強力な力を秘めている』
『ジャパによってのみ、心は浄化される。ジャパは心の病を負った者への唯一の薬だ』
『怠惰な思いにとらわれたとき、ジャパは大きな助けになるでしょう』
『ジャパは必要不可欠です。ジャパは単なる言葉ではありません。それぞれの神の名前は、神の波動で満ちあふれています。この波動は、わたしたちの肉体と精神の両方を含めて包み込み、守護してくれます』
『シヴァはあなた自身です。シヴァはヒンドゥー教でもイスラム教でもキリスト教でもありません。シヴァはすべてのものの本質です。シヴァは内なる至福です。シヴァは尽きることのない愛です。シヴァの名前のジャパを、常に行いなさい』
『スピリチュアルな人は、ジャパによってのみ目的に達することができよう。それ以外のことは、しようがしまいが関係ない』
『マントラを繰り返し唱えることで、心が統制される。そうして、マントラは心と、そしてプラーナと一体になるのだ』
『われわれは実利的な目的のためにジャパというサーダナ(苦行)を行う。それ以外の理由はない。それゆえ、われわれは何を為しているのか常に気をそらしてはならない』
『カルマの影響は、そのほとんどがジャパによって解消されうる』
『ジャパは心の本質を変成する。ジャパは心を、サットヴァ(純粋、平安)の性質で満たす』
出典:SitaRama
ナーマスマラナの効果
わたしたちは常にリズムをともなって生活しています。そのリズムが崩れると、思うようにいかなくなり、いわゆるスランプに陥ります。スランプは、人間である以上、完全に避けることはできません。しかし、努力と工夫次第で軽減させることはできます。そして、ナーマスマラナ(神の御名を回想すること、繰り返し唱えること)は、本来のリズムを取り戻し、スランプを克服するひとつの特効薬です。
運動選手であれば、基本動作に立ち戻り、フォームを調整することによって、本来のリズムを取り戻すことができます。スランプであるとき、あらゆる動きには誤差が生じてきます。一流の運動選手は、その誤差を絶えず修正する自己修正能力が備わっているといえるかもしれません。今年MLBに移籍した松坂投手は、大リーガーの練習になじめず、日本で行っていた走り込みや投球練習を取り入れることにより、復調しつつあることは記憶に新しいでしょう。
また資格試験や受験勉強に取り組んでいる人であれば、いままで解けていた問題がうまく解けなくなることは、一度は経験したことがあるでしょう。しかし、このような時には基本問題を大切に、よく復習すれば、やがて本来の調子を取り戻すことができます。
しかしここで、心に潜む問題、憂鬱、無気力、怒り、悲しみなどとなると、スポーツや勉強と違い、心のフォーム修正や、基礎を固めるといった作業は格段に難しくなってきます。
心の問題も、実は日常の言動や些細な仕草で表面化しているものですが、勝敗や点数となって数値化されないために、見落とされがちです。また違和感を感じても、現代では価値観があまりにも多様化しているために、正否の判断がつかず、何かの「気のせい」だと思ってその警告を無視しがちです。そして、やがて大きな問題へと発展していきます。
ヒンドゥー教では、すべての人々の心の中、さらに言えばすべての被造物や空間に神が宿ると教えます。何らかの違和感を肌で感じたら、それは「気のせい」ではなく、内なる神からの「助言」ととらえた方がよいかもしれません。もちろん、その「助言」は、人を傷つけない、社会に損害を与えないなどの基本的倫理観が前提となります。
本来の自分自身にはない悪い考えが頭をよぎるとき、暗く否定的な感情に支配されるとき、どのような方法で思考や感情を修正するのがよいのでしょうか。心本来のバランスを取り戻す方法としては、古くから瞑想やヨーガなどが勧められています。しかし、さらに簡便な方法として、ナーマスマラナ(神の御名の回想)があげられます。ナーマスマラナ(ナマスマラナ)というと、聞き慣れない方も多いかもしれませんが、これは、マントラ(真言、神の御名)を繰り返し唱えることに相当します。
ナーマスマラナは、お金も道具も必要としない、時と場所を選ばずに実践できる、すべての人々に平等に与えられた万能薬です。ヒンドゥーの聖典によれば、ナーマスマラナには、目に見える表面的な問題から、深層意識に至る問題まで、わたしたちが抱え得るすべての問題を解決する力が秘められています。
しかしナーマスマラナは、ヒンドゥー教に限られた概念ではありません。キリスト教徒であればキリストを、仏教徒であれば仏陀を、どのような宗派でも、それぞれの宗教の神々を讃えればよいとされています。さらに広義の意味では、聖書や教典を読み、神々の栄光を心に刻み込むこともナーマスマラナの一種だと言えます。またあらゆる場所に神々が浸透しているという普遍的概念をもつならば、自然の恵み、美しさを絶えず憶念し、感謝することなどが当てはまるでしょう。
本来の自分自身のリズムを失い、スランプを感じているとき、まずは神から与えられた万能薬であるナーマスマラナを毎日実践されることをお勧めします。毎日実践することで、確実に本来の明るく朗らかな内面を取り戻すことができます。古より幾多の困難を乗り越えてきた聖賢たちが太鼓判を押すこの効果には、疑いの余地がありません。ナーマスマラナは、すべての人々に分け隔てなく与えられた、神からの最高の贈り物といえるでしょう。
出典:SitaRama
ガーヤトリー・マントラのバリエーションについて
ガーヤトリー・マントラは、聖音オームや他のマントラのコンビネーションによって、さまざまなバリエーションで唱えられています。
ガーヤトリー・マントラの本体は、リグ・ヴェーダに記されていますが、これは次の部分から成り立っています。
「タットゥ・サヴィトゥル・ヴァレーニャム・バルゴー・デーヴァッシャ・ディーマヒ・ディヨー・ヨーナハ・プラチョーダヤートゥ」(RV
3.62.10)
サーマ・ヴェーダでは、上記のマントラに次の3語が前置きされました。
「ブール・ブヴァッ・スワハ」
このように、すでに広く知られているガーヤトリー・マントラは、いくつかのヴェーダのマントラの組み合わせによって成り立っています。
「The Mystique of Om」では、さらに深くガーヤトリー・マントラのコンビネーションについて述べていますので、ここに紹介いたします。
1. 「オーム」がひとつ、マントラの前に置かれる場合、このジャパは「エーカパダ」と呼ばれます。
「オーム・ブール・ブヴァハ……プラチョーダヤートゥ」
このジャパは、糖尿病などの病に有効であると信じられています。
2. 「オーム」がマントラの前後に置かれる場合、このジャパは「サンプタ・ジャパ」と呼ばれます。
「オーム・ブール・ブヴァハ……プラチョーダヤートゥ・オーム」
このジャパは、精神的な病に有効であると信じられています。
3. 「オーム」が3回唱えられる場合は、「トリパダ・ジャパ」と呼ばれます。
「オーム・ブール・ブヴァハ・スヴァハ
オーム・タットゥサヴィトゥル……
オーム・ディヨーヨーナハ・プラチョーダヤートゥ」
このジャパは、唱える人に高い霊性の力をもたらすといわれます。
4. 「オーム」が5回唱えられる場合は、「パンチャパダ」と呼ばれます。
「オーム・ブーフ・オーム・ブヴァハ・オーム・スヴァハ
オーム・タットゥサヴィトゥル……
オーム・ディヨーヨーナハ・プラチョーダヤートゥ」
このマントラは、心臓疾患に有効であると信じられています。
5. 「オーム」が6回唱えられる場合は、「シャトゥパダ」と呼ばれます。
「オーム・ブーフ・オーム・ブヴァハ・オーム・スヴァハ
オーム・タットゥサヴィトゥル・ヴァレーニャム
オーム・バルゴー……
オーム・ディヨーヨーナハ・プラチョーダヤートゥ」
このマントラは、血圧や身体の主要な8部分に関する病を癒すといわれます。
6. 「ナーラダ・プラーナ」には、「マハハ、ジャナハ、タパハ、サティヤム」が前置きされたガーヤトリー・マントラが記されています。
7. 「オーム」は、ガーヤトリーを拡張する場合に使われることもあります。ガーヤトリー・マントラの最後に、次のジャパが続きます。
「オーム・アポー・ジョーティ・ラソームリタム
ブラフマ・ブールブヴァハスヴァローム」
8. また「エーカパダ」に次のようなマントラが追加されて、100語のガーヤトリー(シャタークシャラ)とされることがあります。
(a)「オーム・ジャタヴェーダセー・スナヴァム・ソーママラティ・ヤトー・ニダハティ・ヴェーダハ/サ・ナハ・パルシャダティ・ドゥルガニ・ヴィシュヴァ・ナヴェーヴァ・シンドゥム・ドゥリタティヤグニヒ」
(b)「オーム・トリャムバカム・ヤジャーマヘー・スガンディム・プシュティヴァルダナム・ウルヴァールカミヴァ・バンダナートゥ・ムリティヨールムクシーヤ・マームリタートゥ」
9. アムリタサンジーヴァニ・ガーヤトリーは次のように唱えられます。
「オーム・ブールブヴァハ・スヴァハ・オーム・トリャムバカム・ヤジャーマヘー・オーム・タットゥサヴィトゥルヴァレーニャム・スガンディムプシュティヴァルダナム・バルゴーデーヴァッシャディーマヒ・ウルヴァールカミヴァ・バンダナートゥ・ディヨーヨーナ・プラチョーダヤートゥ・ムリティヨールムクシーヤ・マームリタートゥ・オーム」
ガーヤトリー・マントラが、マハームリティユンジャヤ・マントラとオームによって、再構成されているのに気がつくと思います。このマントラは、究極的な死を避けるために使用されます。
10. 「トリプラナヴァ・ガーヤトリー」では、以下のように「オーム」が3回唱えられます。
「オーム・ブールブヴァハスヴァハ
オーム・タットゥサヴィトゥルヴァレーニャム
バルゴーデーヴァシャディーマヒ・ディヨー・ヨー・ナハ・プラチョーダヤートゥ・オーム」
このように、ガーヤトリー・マントラは、オームやその他のマントラと組み合わされて、目的別にさまざまに唱えられることがあります。ここでは、一例を紹介させていただきましたが、どれを唱えたらよいか迷ってしまうという方は、もっとも基本的で広く唱えられている「エーカパダ」を唱えられるのがよいかもしれません。
参照:
Jayant Burde, “The Mystique of
Om”, p92, New Age Books, India
出典:SitaRama
ガーヤトリー・マントラの恩恵
現在知られているマントラの多くは、現世利益的な効果を願ったものですが、ガーヤトリー・マントラは、私たちに良識を与えてくれるように願う唯一のマントラといわれています。そのガーヤトリー・マントラの恩恵の一例として、「Gayatri – The Highest Meditation」よりご紹介します。
知性が啓発されない限り、真理は覆い隠されたままです。知性は、タマス(暗質)とラジャス(激質)によって覆われています。世俗的な事にどれほど聡明で、賢くても、本当の安らぎや幸福は手に入りません。知性は、サットヴァ・グナ(浄質)すなわち静寂によって浄められ、光り輝く状態となります。ガーヤトリー・マントラの光は、暗く鈍い状態や激情の原因となる錆や埃を取り除き、内面を照らすことによって真理を映し出します。この光輝によって、人は至高の平安を手にします。これを経験した後のすべての行為は、社会を向上させる模範となります。彼らは、人類に祝福される存在となるでしょう。
暗質的な行為や激質的な行為によって、日々浪費されているプラーナ(生命)・エネルギーは、上昇に転換します。神聖なガーヤトリー・マントラは、プラーナ・エネルギーの浪費を防ぎ、人々を健康、繁栄、勇敢、無尽蔵の強さによって祝福します。
ガーヤトリーの光は、禁欲的な力、真理の力、スピーチの力、ヒーリングの力、他人にスピリチュアルなエネルギーを伝達する力などで祝福します。
ガーヤトリー・マントラの実践によって、健康、長寿、無執着、人間性、霊的な洞察力、無私の奉仕、犠牲、相互理解、忍耐、普遍的友情、真理への揺るぎない信念、宇宙的意識、普遍的愛、その他の神的な美徳などが人々にあらわれます。
人は、無知の暗闇によって、過ちや罪を犯します。ガーヤトリーは、真理の光によって祝福し、カルマ(業)や輪廻転生の渦から救い出します。叡智の第三の目を開くことで、私たちの過去、現在、未来が明かされ、穏やかに天界へと導かれます。私たちのエネルギーを神聖な愛や創造性に転換させるガーヤトリーの光は、私たちの人生すべてを神聖なものにします。
ガーヤトリー・マントラは、あらゆる恐怖を取り除きます。すべての病にとっての最高の治療法です。カルマを破壊し、解放によって祝福します。ガーヤトリー・マントラが唱えられるところは、神の言葉の炎によって、悪魔や悪霊が祓われます。
参照:Sadguru Sant Keshavads, Gayatri The Highest
Meditation, p67, Motilal Banarsidass Publishers Pvt. Ltd.,
India
出典:SitaRama
ガーヤトリー・ジャパの日
2010年8月25日は、ガーヤトリー・ジャパの日です。
この日は、ガーヤトリーの栄光を讃え、ガーヤトリー・マントラを唱える事がすすめられています。
以下に、スワミ・シヴァーナンダの「Hindu Fasts &
Festivals」より、ガーヤトリー・ジャパの日についての記事をご紹介します。
偉人たちの人生を、人々の心に呼び覚まさせるため、古代の宗教家たちはとりわけ神聖で吉兆な日として、1年のうちにいくつかの祭日を設けました。これらの祭日では、国をあげてこの偉人たちの栄光を讃え、彼らの精神を呼び覚まし、人々に永遠の記憶を植え付けます。
ヒンドゥー教のカレンダーには、神の化身や聖仙、聖者の誕生日、ギーター・ジャヤンティ、グル・プールニマ、シヴァラートリ、ヴァイクンタ・エーカダシ、そして多くの吉日が記されています。
ガーヤトリー・ジャパの日は、これらの神聖で栄光ある日のひとつとして、すべてのマントラの中でもっとも偉大かつ栄光ある神聖なガーヤトリー・マントラを思い起こす日として設けられています。
ガーヤトリーは、敬虔深いヒンドゥー教徒すべての生命であり支柱です。それは、信奉者を守り導く決して破れない霊的な鎧であり、堕ちることのない要塞です。事実、ガーヤトリーの言葉の真の意味は、「それを歌う人を守るもの」です。
ガーヤトリーは、人間を神へと変え、最高の霊的光輝によって人々を祝福する神の力です。自分の好きな神が誰であっても、ガーヤトリー・ジャパを数マーラー(1マーラーは108回唱えること)を毎日定期的に行うことで、限りない恩寵と祝福が降り注ぐでしょう。それは、絶対神の光に捧げられた純粋で熱心な祈りのすべてに当てはまります。至高のブラフマンであるガーヤトリー・マントラは、すべてのマントラの中でもっとも重要です。信条や身分に関わらず、すべてのブラフミンにとって、ガーヤトリーは寄る辺となるただ一つの光とされています。学生期(独身者)、家住期(世帯主)、林住期(退職者)では毎日このマントラを唱えるべきであり、サンニャーシン(隠遁者)は、このマントラの代わりにオームを唱えるよう求められます。
ガーヤトリー・マントラの本質は、あなたの好きな御姿を瞑想している時にも、唱えることができることです。信奉者の多くは、ガーヤトリーは女性の神格と考えています。女神として礼拝している人々は、この信念を曲げることはありません。しかし、実際のところ、ガーヤトリーは女性として語られることはありません。ガーヤトリー・マントラの中には、女性として出てくる単語は一語もありません。「ガーヤトリー」は女性形の単語ですが、必ずしもその神格を女性にすることはできないのです。それは単なる韻律の名称にすぎず、その神格を示しているものではないからです。
またある人は、ガーヤトリー・マントラは太陽を司ると考えます。しかし、この考えも少し見直さなければなりません。ここでの太陽は、私たちの肉体の目で見える、地上を照らす太陽ではなく、「タット サヴィトゥル」すなわち「あの太陽」です。あの太陽とは、輝くものではなく、人格もない、絶対的なブラフマンのことです。
したがって、その主宰神は至高のブラフマン自身に他ならず、ガーヤトリーはすべてのマントラの中でもっとも偉大なマントラです。それなのに、どうして他のマントラに心を惹かれるのでしょうか。ガーヤトリー自身が至高のマントラ、すなわちすべてのマントラの中の王なのです。ナ・ガーヤトリヤハ・パロー・マントラハ――ガーヤトリーより偉大なマントラはありません。
ガーヤトリーのそれぞれの単語、それぞれの文字は、絶対かつ至高の真理であるヴェーダンタ哲学の頂点に位置します。ガーヤトリーのジャパを行いなさい―それは、あなたにもっとも素晴らしい果報、すなわち永遠の果報を授けるでしょう。
マントラは次のとおりです。
Om bhur bhuvah svah
Tat savitur varenyam
Bhargo devasya dheemahi
Dhiyo yo nah prachodayaat.
Om:至高のブラフマーの象徴
Bhuh:地界
Bhuvah:空界
Svah:天界
Tat:その、すなわち神の
Savituh:創造主
Varenyam:崇拝すべき
Bhargah:罪と無知を消し去るもの。栄光、光輝
Devasya:目映い、光輝く
Dheemahi:私たちは瞑想します
Dhiyah:知性、叡知
Yo: 〜であるもの
Nah:私たちの
Prachodayaat:啓発せよ、導け、駆り立てよ
意味:私たちは瞑想します。
この宇宙を創造したお方を、
崇拝されるべきお方を、
知識と光輝の化身であるお方を、
一切の罪と無知を取り去るお方を、創造主の光輝を。
どうか彼が、私たちの知性を啓発しますように。
ここで、ガーヤトリーは以下の5つの節から成り、それぞれの節の後には休止が入ります。
1.オーム
2.ブール・ブヴァハ・スヴァハ
3.タット・サヴィトゥル・ヴァレーンニャム
4.バルゴー・デーヴァッスヤ・ディーマヒ
5.ディヨー・ヨー・ナハ・プラチョーダヤートゥ
この非常に貴重な神の財産であるガーヤトリー・マントラは、現代の若者たちに軽視されています。これは非常に深刻な問題です。この神聖な日に心を入れ替え、今すぐにガーヤトリーのジャパを熱心に始めてください。少なくとも108回(1,008回ならなお良いでしょう)、このガーヤトリー・ジャパの日に唱えましょう。そして、一日たりとも忘れずに、毎日それを唱え続けるのです。
この吉兆なガーヤトリー・ジャパの日の啓蒙を通じて、ガーヤトリーの意識が全世界に浸透しますように。今この瞬間から、ガーヤトリー・ジャパを毎日行う誓約を立てて、あなたたちすべてに三界の祝福がありますように。あなたが、ガーヤトリー・マントラの内なる真理を悟ることができますように。
ガーヤトリー・ジャパの日は、ラクシャ・バンダンまたはアヴァニ・アヴィッタム(7月〜8月)の日の後に行われます。
出典:Swami Sivananda, “Hindu Fasts & Festivals”,
http://www.dlshq.org/download/hindufest.htm#_VPID_6
翻訳:SitaRama
サンスクリット語のマントラは、それを瞑想する人、唱える人、聞く人を守護する祈りの言葉です。このようなマントラの中でも、ガーヤトリー・マントラは神の力の源泉であり、その効果と可能性において、他のすべてのマントラに秀でるとされています。それは、リグ、ヤジュル、サーマ・ヴェーダの中でも、特に抜きんでた効果をもつマントラです。
ガーヤトリーは、マントラの形式の名称にすぎません。リグ・ヴェーダのおよそ4分の1のマントラは、このガーヤトリー調で書かれています。ガーヤトリーのもう一つの意味は、太陽神サヴィターに捧げるサーヴィトリー・マントラとしてのガーヤトリーです。
ガーヤトリー・マントラは、インド全土にまたがるヒンドゥー教のあらゆる分野で、全ヴェーダの知識の真髄と考えられています。
王であったヴィシュヴァーミトラは、聖仙ヴァシシュタが飼っていた願いを叶える聖牛を力ずくで奪おうとしましたが、ガーヤトリー・マントラの聖なる力によってそれを退けたと言われています。
アトリ・マハーリシによると、ガーヤトリー・マントラを毎日1,100回唱える人は、すべての罪から自由になります。ヤージュニャヴァルキヤによると、ガーヤトリー・マントラを唱えることで、すべての罪は灰と化します。偉大な立法者であるマヌは、「人里離れた場所へ行きなさい。調和のとれた心を持ちなさい。水辺のそばに座り、ガーヤトリー・マントラの朗誦と共に、日々の儀式を行いなさい」と述べています。インドの聖者たちは、ガーヤトリー・マントラの意味とその波動は、人々を力づけるものであると強く信じていました。
近代では、世界的な詩家ラビンドラナート・タゴールの父であるマハーリシ・デベンドラナート・タゴールは、ガーヤトリー・マントラの偉大な実践者であり、それを唱えることによって大きな恩寵を手にしました。パンディット・マダン・モーハン・マラヴィヤは、ガーヤトリーの朗誦を実践することによって、ベナレス・ヒンドゥー大学を創設するに至りました。マハートマ・ガンジーは、自叙伝の中で、ガーヤトリーを実践する者は、どのような病にも冒されることもないと述べています。
ヒンドゥーの古の伝統では、聖なる紐の授与式は、ガーヤトリー・マントラによって力を与えられることによって行われます。ブラーフミンの少年は8歳、クシャトリヤの少年は11歳、ヴァイシャの少年は12歳の時に、この聖なる紐の授与が行われます。
ガーヤトリー・マントラは、身分、信仰、出身、性別を問わず、どのような人でも唱えることができます。正しい心構えでその意義を理解することによって、唱える人は誰でも大きな恩寵を得ることができるでしょう。
出典:SitaRama
さて、前回からマントラ(真言)について説明しています。
なぜマントラの話をするのかと言えば、バガヴァッド・ギーターに神とつながった状態になるための方法のひとつとして、マントラのジャパ(繰り返し唱える事)が挙げられているからです。
神と信者、永遠で無限の存在と我々とのコミュニケーションのために、瞑想、礼拝などいろいろな方法がありますが、マントラもひとつのとても有力な方法です。
前回、仏教、キリスト教、イスラム教など、ヒンズー教以外の各宗教でマントラがどのように使われているか、例を挙げて説明しました。
そして、
その意味を深く集中して考え、繰り返し唱えることによって解脱がもたらされる言葉
というマントラの定義についても話しました。
さらにマントラは、聖なる公式(Holy Formula)、神秘的な公式(Mystic
Formula)、神の住処などとも呼ばれていると話しました。
科学に公式があるように宗教にも公式があり、それがマントラです。
ここで神秘的な公式と言うのは、深く瞑想している聖者の心の中に湧き上がってきた音節がマントラであり、なぜそのサウンドが神聖なマントラなのかをそれ以上説明できないからです。
神の住処と言うのは、マントラを唱えることによって神と出会うことができるからです。
一番古いマントラはヴェーダの中にありますが、儀式の時にもマントラが唱えられます。
日本でも仏教寺院たとえば高野山、成田山などでも儀式の際マントラが唱えられますが、ホーマ(護摩)の儀式の源はインドにあり、マントラはもともとサンスクリット語で、それが時には中国などを経由して日本の真言に変化したのかもしれません。
サンスクリット語はとても神聖で美しい言葉であり、正しい発音で完璧に唱えられたマントラからは神聖な波動が生じます。
儀式や礼拝ではマントラを唱えますが、たとえば供物を供える時にもマントラを唱えます。
儀式のマントラ以外に平安のマントラ(シャンティ・マントラ)もあります。
シャンティ・マントラを唱える目的は皆さんの幸せと平安のためですが、勉強の前後にも師と生徒の幸せを願って、シャンティ・マントラを唱えます。
このクラスでも講話の前には「オーム サハナーヴァヴァトゥ~」(Om
sahanavavatu~)、終わりには「オーム プールナマダッ~」(Om purnamadah~)と唱えますが、これもシャンティ・マントラです。
インドで聖典勉強の前後には、必ずこの平安のマントラが唱えられます。
さて、これから儀式のマントラ、平安のマントラ以外に三種類のマントラについて説明します。
(1) 自己の本性を理解するためのマントラ
「サ アハム(Sah
aham)」は「それは私です」という意味のマントラで、これを続けて発音すると、変化して「ソーハム(So ham)」となります。
ここで「それ」とはブラフマンを指します。
「私はブラフマンであり、私の本性とブラフマンの本性は同じです」というのがこのマントラの意味です。
ブラフマンの本性とはサッチダーナンダ「絶対の存在・知識・至福」であり、この偉大なレベル(マクロレベル)でのブラフマンの本性が、個人レベル(ミクロレベル)での我々の魂、内なる自己(アートマン)の本性でもあるのです。
ギャーナ・ヨーガの実践者は、絶えずこのソーハムというマントラを唱えます。
自分の本性を理解したい人に、このマントラは大変適しています。
では皆さん、一緒に唱えてみましょう。(参加者と一緒に唱える)
大切なのは口先で唱えるのではなく、その意味に心を集中することです。
マントラを唱えることと瞑想は一緒なのです。
マントラを唱えながら心では次の予定のことを考えているようでは、結果は出ません。
たとえ8~10時間唱え続けたとしても、あまり効果は現れません。
全く効果がないのかと言えばそうではなく、少しは効果があるのですが、本人が期待するほどではありません。
マントラの結果を求めるのであれば、その言葉の意味を深く考えてください。
(2) 神聖になるためのマントラ(ガーヤトリー・マントラ:Gayatri Mantra)
とても有名で人気のあるマントラで、インドでは頻繁に唱えられています。
このマントラを唱えることで神聖になります。
Om
Bhur-Bhuvah-Suvah オーム ブール ブヴァッ スヴァハ
Tat-Savitur
Varenyam タット サヴィトゥール ヴァレンニャム
Bhargo-devasya
dhimahi バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒ
Dhiyo yo nah
prachodayat ディーヨーヨー ナハ プラチョー ダヤット
昔はブラーミン(カースト)だけがこのガーヤトリー・マントラを唱えていました。
時代を遡ると古いヴェーダの時代にはそのような伝統はなかったのですが、ある時からブラーミンだけがこのマントラを唱えるというのが社会の伝統となりました。
そして現代ではブラーミンでなく、さらにインド人やヒンズー教徒でなくても、誰もがこのガーヤトリー・マントラを唱えるようになりました。
神聖になりたいのであれば男女、国籍、宗教、カーストに関係なく、誰でもこのマントラを唱えて構いません。
それではこのマントラの伝統的な唱え方をしてみます。(スワミが節をつけて唱える)
これが伝統的な唱え方ですが、皆さんは必ずしもこのように唱える必要はなく、きちんとした発音で唱えることが大事なのです。
ではこのマントラの意味を説明します。
絶対の存在の栄光が持つ光を、我々は瞑想します。この地球、天国、地球と天国の間の場所は、この絶対の存在から生じました。その存在よ! どうか我々の心を照らしてください。我々の知性を導いてください。
(3) 守護のマントラ(マハー・ムリットゥンジャヤ・マントラ:Maha Mrityunjaya Mantra)
困難や危険に直面した時、信仰を持つ人はこのマントラを唱えます。
Tryambakam yajamahe トラヤムバカム ヤジャーマヘ
Sugandhim pusti-vardhanam スガンディム プシュティヴァルダナム
urvarukamiva bandhanat ウルヴァールカミヴァ バンダナット
mrityor-muksiya maamritat ムリットョール ムクシヤ マームリタット
このマントラも伝統的な唱え方をしてみます。(スワミが節をつけて唱える)
意味を説明します。
私は超越状態を知る神を礼拝します。神よ! あなたはすべての繁栄を与えています。熟した果実が樹から落ちるように、私を死の束縛から解放してください。不死であるという自分の本性を忘れませんように。
シヴァ神を礼拝する時は、この守護のマントラを唱えます。
ヴェーダのマントラとして儀式のマントラ、平安のマントラに加えて、自分の本性理解のためのマントラ、神聖になるためのマントラ(ガーヤトリー・マントラ)、守護のマントラ(マハー・ムリットゥンジャヤ・マントラ)の三種類を紹介しました。
次にタントラのマントラについて説明します。
ヒンズー教の聖典を時代順に見ると、最初はヴェーダ、次にダルシャナ(哲学)、それからラーマーヤナやマハーバーラタなどの叙事詩、そしてプラーナ聖典(ヴィシュヌ・プラーナ、バーガヴァタ・プラーナ)、一番新しいのがタントラです。
タントラのシヴァとシャクティ(シヴァとドゥルガー)というコンセプトは、サーンキャ哲学におけるプルシャとプラクリティ、ヴェーダのブラフマンとマーヤ、プラーナのクリシュナとラーダ、というコンセプトと共通性があります。
タントラのマントラは新しい形式を持っています。
オーム(Om)、リム(Hrim)、クリム(Klim)、オイム(aim)などのヴィージャ・マントラ(種のマントラ)に神の名を合わせたのがタントラのマントラです。
ポピュラーなマントラである「オーム・ナマ・シヴァーヤ」(又は「オーム・シヴァーヤ・ナマハ」)、「オーム・ナマ・クリシュナーヤ」等にならって、オームに南無阿弥陀仏の南無のもとになっているサンスクリット語ナマ、それに神の名を加えて「オーム・ナマ・神の名」という形にすれば、理論的には我々でも自由にマントラを創れるように思えます。
しかし実際にその言葉を唱えた結果悟れなければ、いくら形式的にマントラの要件を備えていても、それはマントラとは呼べません。
タントラの霊的実践をしている聖者の心に降りてきた新しい神秘的な音節が、タントラのマントラにおけるヴィージャ・マントラとなりました。
ヴェーダにはヴィージャ・マントラという概念はなかったのですが、ヴェーダのマントラであるオームはタントラのマントラではヴィージャ・マントラとして使われ、伝統的なヴェーダのマントラ以外にも新しい多くのヴィージャ・マントラが、タントラのマントラには使われています。
リム(Hrim)、クリム(Klim)、オイム(aim)などのヴィージャ・マントラは、ヴェーダの時代には存在しませんでした。
タントラのマントラのひとつの特徴は、今説明したヴィージャ・マントラですが、もうひとつの特徴が神の名です。
イニシエーションは、グルからマントラを頂く儀式です。それは、ほとんどがタントラの伝統にのっとっていて、そこで使われるマントラもタントラのマントラです。
ではタントラのマントラにはなぜ神の名が含まれるのでしょうか?
神と神の名は同じであるという信念が、タントラのマントラに神の名が使われる理由です。
これはとても論理的な考え方です。
名前とそれが指し示しているものを、分けて考えることができるでしょうか? できません。
ある人の名前を考えれば、その人の姿が思い浮かびます。
名前とその人の形を切り離して考えることはできません。
四人の人間が寝ている時、「佐藤さん!」と呼びかけると佐藤さんだけが起き上がります。
人は皆名前と自分を同一視しているからです。
たとえば新聞に自分の名前が載ると、それが何らかの業績によるものであれば喜び、犯罪者として載った場合は恥ずかしいと考えますが、どちらの場合も自分と自分の名前を同一視しているからです。
神も同じで、シヴァの名を唱えればシヴァ神とつながった状態になります。
普通の人間の聴力には限度がありますが、神には聴力の限界はなく、どんなに離れていても神にはあなたの呼びかけが聞こえます。神は全知・全能・遍在です。
面白い話があります。
あるイスラム教徒が大声で「アッラー! アッラー!」と叫んでいました。
それを聞いたある人が、「なぜそんなに大声で神の名を呼ぶのか! 神は我々には決して聴き取ることができない蟻の足音さえ聞こえるというのに!」と言いました。
小さい声でも、或いは声に出さずとも心の中で「オーム・ナマ・シヴァーヤ」と唱えれば、神には通じます。
神と神の名が同じであるということについて、面白いたとえ話があります。
シュリ・クリシュナの誕生日に、その妻はクリシュナの体重と同じ重さの金塊を人々に寄付しようと考えました。
そして大きな天秤の片方の皿にシュリ・クリシュナを載せ、もういっぽうの皿に金塊を積んでいきましたが、どれだけ積んでもクリシュナのほうが重く、釣り合うことはありませんでした。
クリシュナ神を礼拝する時に用いられる、トゥルシーという神聖な葉があります。
ある信者が「神の重さを金で測ることはできません。トゥルシーの葉の表面にビャクダンのペーストでシュリ・クリシュナの名前を書いて、それを金塊の代わりに秤に載せてみてください」と助言しました。
その通りにしてみると、シュリ・クリシュナの名を書いた一枚の葉と、シュリ・クリシュナの重さはぴったり釣り合いました。
我々がそうであるように、神も自分と自分の名前を同一視しているので、マントラで神の名を唱えれば、神は自分が呼ばれていることがわかるのです。
タントラのマントラがどのように作られているかは今説明しましたが、ヴェーダのマントラのオームは、タントラのヴィージャ・マントラとしてもとても多く使われています。
それはオームがとても神聖で普遍的な音節だからです。
オームは三つの音から成り立っており、もとはサンスクリットなのを敢えてアルファベットで表すと、それぞれA(アー)、U(ウー)、M(マ)となります。
三つを続けて発音するとAUM=OM(オーム)になります。
オームは、基本的で普遍的で神聖なマントラです。
なぜ基本的なのかと言えば、人が最初に声を出す時はおなかから風を生み出します。
その風が喉の筋肉を圧迫すると音が出るのですが、最初に喉から出る音は誰でも自然にアーであり、風が口の中に上がってくるとウー、口から出て行ってしまうとマとなります。
これは人種や言語を問わない、人間にとって自然な発声のメカニズムであり、これがオームが基本的だという理由です。
すべての言語に共通する音節としてオームがあり、これを基本としていろいろな組み合わせで多くの新しい音節が生まれました。
オームはキリスト教では説教の後に唱えられるアーメン(Amen)になり、またイスラム教ではアミン(Amin)になっているという説がありますが、これがオームが普遍的であるという意味です。
またオームはとてもシンボリックな音節です。
アー:創造と創造神ブラフマー
ウー:維持と維持神ヴィシュヌ
マ :破壊と破壊神シヴァ
を表しており、すべてを合わせた音節オームはブラフマンのシンボルだと言われています。
また、
アー:地球
ウー:地球と天国の間の場所
マ :天国
を表しています。
さらに、
アー:目覚めの状態
ウー:夢見の状態
マ :夢を見ない深い睡眠状態
であり、オームは超越状態を表すともいわれています。
また、
アー:リグ・ヴェーダ
ウー:サーマ・ヴェーダ
マ :ヤジュル・ヴェーダ
のシンボルでもあります。
最後にオームが神聖であるというのは、それを唱えることでその人が浄められるからです。
オームについて説明しましたが、ではなぜマントラは何回も繰り返し唱える必要があるのでしょうか?
グルが弟子にイニシエーションのマントラを授ける時、「このマントラを少なくとも108回唱えなさい」などと言います。
我々は世俗的な状態にあり、それを変えたいなら神聖なバイブレーションを注入しなければなりません。
我々は意識の中だけでなく、潜在意識の中にも不純で否定的なものをたくさん抱えています。
普通の意識に比べて、潜在意識はコントロールするのがとても難しいのですが、ひとつの方法がマントラを唱えることです。
マントラを繰り返し唱えることで、その純粋な波動が意識から潜在意識に浸透して、我々を浄化します。
ガラスのインク瓶は、一回洗っただけではきれいにはなりません。
インク瓶を他の用途に使いたいなら、そこにインクが貯められていた年月に応じて、きれいな水で何回も繰り返し洗わなければなりません。
インク瓶の本性は透明であり、インクによって一時的に汚れているだけなので、洗うことによってその本性を取り戻せます。
インク瓶にはインクを入れる前は曇りがありませんでした。
同様に我々の本性も、マーヤによって一時的に汚れているに過ぎません。
我々の意識、潜在意識が汚れている状態は一時的であり、永遠な状態ではありません。
この一時的な状態を、インク瓶をきれいな水で何回も洗うように、マントラを繰り返し唱えることによって、永遠のきれいな状態に戻せます。
我々の意識のどれほど奥深くまで世俗的な考えが入り込んでいるか、皆さんにはわかりません。
これを浄化することは容易ではありませんが、マントラを何度も唱えることで可能なのです。
マントラを繰り返し唱えることの必要性について説明しましたが、ではなぜ108回なのでしょうか。
仏教でも108という数は特別な意味があり、たとえば数珠は108玉が基本となっています。
この108の意味について、ひとつの説を紹介します。
まず100は全体(wholeness、completeness、fullness)のシンボルです。
次に5は五大元素(地・水・火・風・空)を表します。
残りの三つは、太陽・月・自分の魂、です。
すべてを足し合わせて108です。
次に、マントラの唱え方を説明します。
・ヴァーチカ(Vachika) :普通の声(他人にも聞こえる)
・ウパンシュ(Upanshu) :小さな声(他人に聞こえない囁き)
・ジハヴァ(Jihva)
:舌だけ(口は閉じたまま動かさない)
・マーナシカ(Manasika) :無言(心の中で唱える)
最後のマーナシカはマナス(Manas:心)がもとになっている言葉です。
他人に聞こえる声より小さな声のほうが好ましく、さらにそれよりも口を閉じて舌だけを動かすのが良く、最も良いのは心の中で唱えることだとされています。
聖典でも心の中でのジャパ(マントラを繰り返し唱えること)が勧められています。
心の中でのジャパは周りに人がいようが、仕事中であろうが、どんな環境にいても可能です。
電車やバスの中で声を出して「オーム・ナマ・シヴァーヤ」などと唱えたら、周りの人間からおかしな人だと思われるでしょう。
マーナシカはいつでも、どこででもできます。
それでは声を出すヴァーチカは必要ないのかと言えばそうではなく、たとえば心が落ち着かない時などには有効です。
マントラには普通のマントラと、グルから授けられたイニシエーションのマントラの二種類があります。
普通のマントラは他人に聞こえても構いませんが、グルから与えられたマントラは絶対に他人に聞かせてはいけません。
心が落ち着かない時、周りに誰もいないことを確認したうえで、グルから貰ったマントラを声に出して唱えると、心は徐々に静まっていきます。
そして声に出すことで、唱えている本人がそれを聞くという効果もあります。
口という感覚器官で声に出し、それを耳という感覚器官で聞くのです。
またグループでマントラを唱和する時、もちろんヴァーチカは必要です。
そしてどの唱え方でも、ゆっくり、そしてはっきり唱えることがとても大切です。
また、集中してマントラを唱え続けると、だんだん無意識のうちに心がマントラを唱えるようになります。起きている時も寝ている時も心の一部分はマントラを唱えている-これが「アジャパジャパ」というジャパの実践の最高の状態です。
マントラの回数の数え方ですが、ヒンズー教の伝統では指で数えたり数珠を使って数えたりします。
数珠は108玉のものもありますが、それでは長すぎるという人のために半分の数の54玉のものもあります。
ジャパの際はマントラの意味に心を深く集中させることが必要だと言いました。
日本の仏教ではマントラ(お経やお題目)を唱える時は、それだけを行います。
また禅宗で座禅(瞑想)する時はマントラは唱えません。
これに対してヒンズー教ではマントラを唱えながら瞑想しますが、このようにマントラと瞑想を両方合わせて行うということは日本の仏教の伝統にはあまりありません。
ジャパしながらの瞑想、瞑想しながらのジャパ、どちらも同じで両者は一体なのです。
毎日長時間、長期間にわたってジャパを続けているのに、あまり成果が出ない人がいます。
その大きな原因はマントラを唱えながら、心で買い物、仕事、食事などを考えているからです。
マントラを10万回唱えれば神聖になれる、と考えるのは間違いです。
マントラの意味に集中しているかどうかが問題です。
また唱えるマントラをころころ変えるのもよくありません。
今週は「オーム・ナマ・シヴァーヤ」、来週は「オーム・ナマ・クリシュナーヤ」などとあれこれ変えるのではなく、自分のマントラとしてひとつに絞ったほうが良いのです。
今は本などでもいろいろなマントラを知ることができます。
あるマントラを一ヶ月唱えて、どうも結果が出ないようなので別のマントラを試してみよう、というのはよくありません。
マントラを自分で選ぶことももちろん可能ですが、それが自分にとって最適のマントラであるという確信がなかなか持てないので、ヒンズー教の伝統ではグルにイニシエーションを受け、マントラを選んでもらうことが重視されています。
グルは弟子のことを完全に理解して、熟慮したうえでマントラを与えるので、弟子も信頼してそのマントラを受け入れ、長く続けることができます。
グルから授けられたマントラと、本やインターネットで得たマントラではその力が違います。
グルも悟った師からイニシエーションのマントラを受け、そのマントラで悟っています。
そのグルが弟子に適したマントラを選んで与え、やがて弟子もそのマントラで悟りを得てグルとなり、自分の弟子にイニシエーションを与える、という形でグルから弟子へマントラのフレーズだけでなく、その悟りの力も伝承されていくのです。
このことは本を読んだり、CDを聞いたりするだけでは絶対に不可能です。
ですからヒンズー教では、グルからイニシエーションを受けることが理想とされるのです。
ここで、ラーマクリシュナ・ミッションの伝統について少しお話します。
インドでもヒンズー教の宗派がいろいろあり、日本でもそうですが、イニシエーションに当たってそれを受ける側が金銭を支払う、というシステムになっている宗派もあります。
我々ラーマクリシュナ・ミッションでは、イニシエーションの際金銭を要求することはありませんし、イニシエーション後も他の神を崇拝したり、他宗教の礼拝施設を訪れたりすることを禁じていません。もちろん改宗も求めません。
神は普遍的であり、信仰の数だけ道があると考えているからです。
また宗派によっては、イニシエーション後に菜食主義者になることを要求するところもありますが、ラーマクリシュナ・ミッションではそれも求めません。
もちろん、どんな食事が体に良くどんな食事が悪いのかというアドヴァイスはありますが、自分で考えて食物を選んでください、ということです。
マントラのジャパによって何がもたらされるか、についてお話しします。
ジャパの結果が出るためには、信仰と実践の両方が大切です。
種を植えても、すぐに芽が出て大きな木になるということはありません。
「桃栗三年柿八年」という言葉があります。
私にも経験がありますが、「待ちきれないのですぐにイニシエーションしてほしい」と言ったのに、イニシエーション後にどうもあまり実践しているように見えない人がいます。
それではあまり意味がありません。
結果が出ないからと言ってすぐにあきらめずに、信仰と忍耐をもって続けてください。
ではマントラによってもたらされる結果ですが、まず否定的な考えに抵抗する力が生まれます。
人は誰でもどうしたらストレスをなくせるかを知りたがりますが、ストレスは否定的な考えによって起り、自分は考えたくなくてもずっとその否定的な考えにとらわれ続けます。
現代社会ではストレスは伝染病のように蔓延しています。
ストレスを抑えるために薬を飲むと心が鈍感になり、これは問題です。
否定的な考えを止めるためには、肯定的な考えを持つことが必要です。
肯定的な考えの代表例がマントラです。
冷蔵庫の中のサーモスタット(自動温度調節装置)のように、ジャパは心の中の否定的な考えをコントロールします。
サーモスタットは温度をコントロールしますが、これに対して私はジャパスタットという言葉を使っています。
否定的な考えをなくすためだけではなく、誘惑や挑発に直面した時にもジャパは有効です。
これは想像ではなく、私自身の経験に基づいて話しています。
カンガルーの赤ちゃんは危険に出会うと、すぐに走って母親のおなかの袋に逃げ込みます。
マントラは母カンガルーのおなかの袋のようなものです。
マントラを唱えることによって、肉体、心、感覚が無意識のうちに浄化されます。
言葉にどれほどの力があるかご存知ですか?
たとえばある人を「素晴らしい」と褒め称えると、その人は喜びます。
もし「馬鹿」と言えばもちろん怒りますが、考えてみれば「素晴らしい」も「馬鹿」もどちらもただの言葉にすぎません。
しかしその言葉の内容によって、それを聞いた人の反応は正反対になります。
マントラの言葉の力で罪人が聖者になった例があります。
叙事詩「ラーマーヤナ」の作者であるヴァールミーキは、もともとは盗賊で多くの人を殺しており、アングリマーラのような悪人でした。
ある時彼は聖者ナーラダに出会い、ラーマ神の名を唱えるように教えられ、「ラーマ、ラーマ~」と唱え続けて、ヴァールミーキという聖者になりました。
マントラで不純な人間が純粋になり、心が静かで穏やかになります。
またマントラを唱えると神に守護されているという感覚が生まれ、困難の時でも自信を持ってそれに立ち向かえます。
同じ病気の病人に同じ薬を処方しても、ある人は治りある人は治らない、という経験をしている医者は多くいます。その違いは神の守護があるかどうかです。
長くマントラを唱え続けていれば病気になっても、自分は神に守られており、たとえ病気で亡くなったとしても死後も神の守護がある、という安心感が生まれ心が落ち着きます。
神を信じてマントラを唱えるなら、神経衰弱になることなく、自信をもって困難や危険に立ち向かえます。
そして最終的には悟ることができます。
出典:インド大使館におけるラーマクリシュナ・ミッションのグルによる講話より抜粋(2014年11月1日)。
「聖者ヴィシュヴァーミトラは、ガヤトリー・マントラを上質の薬として霊性の探求者たちに与えました。この聖者は称賛にあたいします。この「薬」は、ブッディ(理智)を目覚めさせ人を他の動物よりはるかに高い位置にひきあげる、人に特有の資質、ヴィヴェーカ(英知)、ヴィッチャークシャナ(識別力)、ヴァイラーギヤ(無執着)を授けるからです。…(略)…人は神性です。人の内にはハートに宿る神がいます。それなのに手足を縛られ、みじめで、限られ、弱く、心乱されています。なぜでしょう。自らの真の姿を知らないからです。自分が弱くてかぎられ縛られた存在であると思いこみ、想像力の源であるはずのその心にきつく制限されているからです。どうしたら解放されるのでしょう。どのようにこのブラーマ(幻想)を乗りこえることができるのでしょう。電車を追いこすには、車に乗ってスピードを上げるか飛行機に乗らなければなりません。電車より遅い乗りものでは役に立ちません。幻想を乗りこえるには、神の中に自らを確立しなければなりません。マーナヴァシャクティ(人の力)による幻想は、ダイヴァシャクティ(神の威力)を得ることでのみ超えることができます。ガヤトリー・マントラはこのダイヴァシャクティの獲得を促します。――サイババ」
(サティア・サイ・スピークス5 p.46)
「ガヤトリー・マントラ[知性を照らすヴェーダの祈り]は、人の心の内からわきおこる神の呼び声、愛と光の体現者になるようにとの不変にして永遠不滅の神の呼び声です。――サイババ」
(サティア・サイ・スピークス13 p.79)