異世界カツサンド
「ミハイル様、お待たせして……」
廊下側の窓枠に肘をついて人待ち顔のミハイルに、エカテリーナはフローラと共に急ぎ足で歩み寄った。
ミハイルはニコリと笑う。
「僕が勝手に期待して待っているだけだから。それに実は、リーディヤがこのあたりを行ったり来たりしていたと聞いて、きっと遅くなるだろうと思っていた」
「……」
リーディヤちゃん……いいタイミングで出てくるのはすごい令嬢スキルだと思っていたら、そういう地味な努力の結果だったのか……水面下でせっせと水を掻くという白鳥のようだ……。
「いつもお昼をもらっているんだから、君はもっと僕に威張ってもいいと思うな」
「まあ、そのような」
笑顔で答えつつもエカテリーナは、言われてみればそうだった、と思っていたりするのだった。
でも餌付けしてしまったわんこを待たせてしまったら、罪悪感は覚えるものだ。人として。
……内心とはいえ皇子をわんこ呼ばわりしている私って、めちゃくちゃ威張ってるよ。すまん皇子。
「ミハイル様にはたくさんのご恩があるのですもの、威張るなどとんでもないことですわ」
しれっと言って、エカテリーナはバスケットを開く。
ふふふ、今日は自信の一品なんだぜ!
「どうぞ、おひとつ召し上がれ」
「ありがとう」
バスケットに詰まっているのは、サンドイッチだ。遠慮なくひとつ取って、断面に見える分厚い肉に、ミハイルは嬉しそうな顔をした。皇子とて食べ盛りの男子、肉々しいメニューは大歓迎に違いない。
「揚げてあるの?」
「ええ、パン粉などをつけて、たっぷりの油で」
「美味しそうだ」
ミハイルがぱくりとかぶりつくと、サク、と良い音がした。夏空色の目を見開いて、ミハイルはサンドイッチを咀嚼している。
飲み込むと、しみじみと言った。
「すごい。美味しい」
よっしゃあー!
けっこう大変だったけどカツサンド作って良かったー!
内心でガッツポーズしつつ、エカテリーナは品良く微笑む。
「ミハイル様は、お肉がお好きでございましょう。お昼に食べやすいよう、工夫してみましたのよ。いつぞや、ミハイル様のお好きなものをお昼にお作りすると申し上げましたのに、食べたいものをおっしゃってくださらないのですもの。ですから、お口に合いそうなものを考えてみたのですわ」
「もらったものがどれも美味しかったから、選べなかったんだ。それでこれは、僕のために作ってくれたの?」
「はい」
エカテリーナはあっさりうなずいた。
だが実はこれ、大変だったのだ。
お昼を作るようになってからずっと、日本食を作れないかなあ、とは思っていた。お兄様に美味しいものを食べて欲しいから。
けれども、二十一世紀の日本食は、二十一世紀の調理器具や食材があってこそ作れるものですね!
あと調味料!醤油や味噌はもちろん、トンカツソースだのマヨネーズだのケチャップだのポン酢だの、どれもこれも美味しかったもんなー。ソースの原材料、詳細は全然覚えてないけど、すごくいろんな野菜や果物や香辛料がずらずら並んでいたのはうすらぼんやり記憶にある。ああメーカーの尊い企業努力……、あっ脳内に某経済番組の主題歌が。
それに出汁……日本に海外の料理人、フランス料理とかの人が来ると、ちょっと前は包丁を買って帰ったけど、最近は利尻昆布とか出汁をとるものを買って帰る、なんて話をどこかで聞いたことがあった。日本食以外にも取り入れられるほど、出汁の美味しさは優れものだったわけですよ。
でも皇国には、出来合いの調味料はほとんど無い。調理器具も、IHやガスのオーブンやレンジとは比較にならない、薪の火で調理する火力の安定しないかまどやオーブンしかない。そんなんで二十一世紀の日本食を再現なんて、かなり無理。
もしも前世の雪村利奈がそのままこの世界に来たのだったら、日本食が食べたくて必死になったかもしれない。でも今生のエカテリーナは、日本食を口にしたことはない。記憶だけだと、どうしても食べたい!という気持ちは湧いてこないようで、シェフが作ってくれる皇国の食事に満足している。幽閉されていた頃に出された食事は本当にろくなものじゃなかったので、今の食事は美味しく嬉しくいただくばかりなのだ。なのでお昼も、ずっとフローラが教えてくれる皇国料理を作っていた。
けれど、数ヶ月経つとさすがに、ちょっとチャレンジしたくなってくる。
で、基本的な材料はすぐ手に入る上、十代の男子にはウケがいいこと確実な、トンカツを作ることにしたのだ。
ただし自分を過信しない主義のエカテリーナは、ユールノヴァ家のシェフをがっつり巻き込んだのだけど。
トンカツの原型は、ミラノ風カツレツと聞いたことがあった。似たような料理は、ヨーロッパに似たこの世界にもある。
でも違う。
パン粉はあっても、日本のものとは違ってずっと細かい。トンカツ向きの粗いパン粉を作るための、おろし金を探すところから始まった。
それに豚肉は、品種改良が進んだ日本の豚さんではないせいか、ちょっと臭みがあって固い。シェフが肉叩きでとことん叩いてヨーグルトに漬けるとそこそこ柔らかくはなったのだけど、分厚くても難なく噛み切れるトンカツとは、ちょっと違う感じだった。
あとは油。カラッと揚がるような油は、なかなかない。それに揚げ物ができるほどたっぷり使うのは、とても贅沢な真似。シェフにおののかれてしまった。
そんなこんなをひとつずつ、地道にクリアしていったのである。
いつもは、お昼は厨房にある食材をもらって作っていた。
でもこれは、かなりの部分が持ち込みだ。パン粉は、ユールノヴァ家のシェフが作ってくれたもの。豚肉は、猪型魔獣の血が入って美味しくなった高級品種。ユールノヴァが原産で、祖父セルゲイが皇都の郊外に連れてきて育てさせたものだったりする。油もユールノヴァ家から運び込んだ。
そこまでして作る献立を、厨房のスタッフたちが興味津々で見守る中、作ったのがこのカツサンドなのだった。
「ユールノヴァでの晩餐でお出しした、豚肉のローストがお気に召しましたでしょう。あの豚を、祖父が皇都の郊外で飼育させておりましたの。それを取り寄せて作りましたのよ」
「高級食材だね。……わざわざありがとう、君が僕に作ってくれたと思うと、ますます美味しく思える。すごく嬉しいよ」
ミハイルは幸せそうに微笑み、エカテリーナはにこにことうなずいた。
やっぱり男の子には肉ですね!
オリガちゃんの件では、いろいろお世話になったから。喜んでもらえて私も嬉しいよ。
喜んでくれるかなー、って思って作ったし……。いやお礼だからね!借りを返さないでいるのは性に合わないからね!
「エカテリーナ様、そろそろ」
フローラに言われて、はっ!とエカテリーナは我に返った。
いけない、お兄様をお待たせしている!できれば温かいうちに食べて欲しいのに!
「ありがとう存じますわ、フローラ様。ミハイル様、それでは」
「うん……また明日」
ミハイルがジト目でフローラを見たような気がしたのは、きっと気のせいだとエカテリーナは思った。
お兄様が美味しいって言ってくれますように!
私が作ったものは、なんでも美味しいって言ってくれるけどね!お兄様シスコンだから!
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