遠い記憶
マリーナの言葉に一抹の不安を抱いたエカテリーナは、寮に帰ってフローラと予習復習をこなしたのちに一人になると、真面目に記憶をたどった。
なんの記憶かというと、前世の、ゲームをプレイした時の記憶だ。破滅フラグが立たないように、ゲームと同じことはしないほうがいいだろう。
なんて、破滅フラグとか久しぶりに思い出したけど。
学園祭は、大きなイベントの一つだった。そこでの悪役令嬢エカテリーナが何をして、どうなったかというと……。
どうなったっけ……?
すー…………っ、と自分が青ざめるのがわかった。
記憶が!
ないわけじゃないけど、めっちゃ薄い!
覚えているのは……派手なドレスを着たエカテリーナを、お兄様が美しいと褒めていたこと。
あとは……。
なんだっけ?
クラスの演し物とか……あ、ヒロインは悪役令嬢エカテリーナのせいで、この頃になってもクラスではハブられてたから、単独で行動するのが正解……だったっけ。皇子の好感度を上げるためには、それが正しい選択……だったよね……?
でも、じゃあクラスは学園祭で何して、どうなった?
忘れた!ぎゃー、全体に、ゲームの記憶がすごく薄れてしまってる!
な……夏休みの間、ゲームのシナリオと無縁な生活だったから。忘れそうで怖い、とか思ってたら本当に忘れてる……。
しっかりしろ自分!
でもでも、他に覚えることもやることも、たくさんあるんだー!
ユールノヴァの女主人として三桁の使用人を抱える公爵邸の切り盛りとか、魔法制御を始めとする学園の授業とか、ガラス工房の経営とか、お兄様のお仕事関係のいろいろとか、皇国とこの世界の歴史とか、いろんな常識とか、それはもういろいろ!
あとは……無意識に、破滅フラグへの危機感が薄れているんだろうな。この世界をよく知るにつれて、周囲の人たちとの関係が深まっていくにつれて、ゲームの中のエカテリーナがどんどん遠く思えて……。
うわーん。
……そもそもそんなに乙女ゲームに興味がなかったからだな。
過労死前の変なテンションで、思いつきで乙女ゲームをやってみようと思ったものの、本来は乙女ゲームが好きなタイプじゃなかったから。お兄様にハマっただけで、ゲーム自体はそれほど……だったもんなー。
お兄様のことしか覚えてないわー。
記憶がある間に、ノートにでも書き留めておくべきだったかもしれない。
でも、万一そのノートを誰かに見られたら……と思うと、リスクを冒す気にはなれなかった。読めないように日本語で書くとかも考えたけど、そんな謎の言語をずらずら書くこと自体が怪しいだろうし。
あと正直、日本語を書ける気がしない。話す言葉と同様に、書く言葉も自動的に皇国語に変換されるから、日本語を書こうとすると、一文字一文字考えながらでないとたぶん書けない。
うわー……どうしよう。
いや待て。落ち着け自分。
ほら、二学期が始まる前に、いろいろ整理したよね。
私とお兄様の身に、ゲームと同じ破滅が起きるなんて考えにくいけど、あり得ないとは言い切れない。
破滅の真因として考えられるのは、ユールマグナの陰謀。
悪役令嬢エカテリーナが犯した罪に付け込まれて、お兄様を巻き込んだ断罪破滅に至ってしまったとすれば、ゲームの破滅に説明がつく。だからあちらに隙を見せないために、悪事は絶対ダメ!って。
よって……悪いことさえしなければ、学園祭でクラスが何をやろうと、きっと大きな影響はない。
バカだなー自分.……。
あんなにせっせと考えたのに、またゲームに囚われちゃって。
……って、脱力したとたんに思い出したわ。ゲームでは、クラスは劇をやったんだった。エカテリーナの派手なドレスは、舞台衣装だよ。
でも、ヒロイン・フローラは劇からハブられてしまう。ていうか、ハブられて劇に出るのは諦める選択肢が正解。そしてヒロインは、学園祭が盛り上がるようにと、個人的に校内の飾り付けをすることを思い付く。この頃には仲の良い人たちが他のクラスや厨房などにいて、先生にも味方がいて、その協力もあって見事に飾られた学園の様子は来客の称賛を浴びる。
そして、学園祭の投票で「最も活躍した人」に選ばれて、表彰されて、後日行われる舞踏会で皇子のパートナーになるんだよね。
今にして思うと、アリなようなナシなような……。個人で飾り付けって、学園祭のビジュアル、ティッシュペーパーで花を作るのとは訳が違ってたけど。プレイしてたときも、凄すぎだろってつっこみましたよ。
でもフローラちゃんのポテンシャル、ハンパないからなー。出来ちゃうかもなー。
それを思い出しても役には立たないけど、スッキリしたから良しとしよう。
学園祭は、クラス皆での合唱でいいんじゃないかな。演し物は音楽で決まり!って下地が出来てるから、提案すればきっと採用になるだろう。やっぱり、ゲームとは離れておきたい。心の安寧のために。
オリガちゃんに、
よし!懸念事項は片付いた。
「お嬢様」
考え事が一段落したそのタイミングで、ミナが声をかけてきた。
「あ……何かしら」
「寮母から呼ばれて、手紙を受け取ってきました。レフからです」
「まあ!ありがとう、ミナ」
いつも通りの無表情のミナに笑顔で礼を言って、エカテリーナは手紙を受け取る。
ガラス工房の天才職人、レフは、日々ガラスペンの製作に励んでいるはず。皇帝陛下から皇后陛下への贈り物として注文を受けたものは、無事に皇后陛下の手に渡り、大いに喜んでいただけたそうだ。
『このように美しいペンで綴れば、美しい言葉が書けそうですわ。心まで美しくなりそう』
『そなたの心は充分に美しいが、美しい言葉というなら、恋文を所望したいものだ』
『あら、直接聞きたいとはお思いになりませんの?』
そんな会話があったらしい。
ありがとうございます皇后陛下、お言葉はキャッチコピーとして宣伝させていただくつもりです、商人ハリルさんが。
それにしても両陛下、ラブラブですね!
そうして押しも押されぬ一流の職人として皇都に名を馳せつつあるレフは、今はユールセイン公の注文品を製作中で、オーダーされた美の女神をどう表現するかに悩んでいたはずだけど……。
わくわくしながら手紙に目を通したエカテリーナは、歓喜の声を上げた。
「ユールセイン公ご注文のお品が出来上がったのですって!」
「そうですか」
「わたくし、次の週末にムラーノ工房へ行くわ。レフに手紙を書くわね、ミナ、届けてくれる?」
「もちろんです」
そっけないようでいて、嬉しそうなエカテリーナの様子にミナの口角がわずかに上がっているのだった。
現在、五巻の書籍化作業に入っております。皆様のおかげです!
そして、角川ビーンズ文庫が今年20周年を迎えるそうで、素敵な企画がたくさん準備されております。情報解禁になりましたらお知らせいたします。
ここの定期更新も続けていくつもりですが、ちょうど新たな展開に入って進め方に悩みつつ書いていることもあり、間に合わなくなってしまうかも……。今も、いろいろと戦っております。その中には、なろうで素敵なお話を見つけて読み耽りたい誘惑、なんてものもあるのですが。
あと、どうも寒暖差にやられたようで、体調が……。
そんなわけで、もしも更新日なのに更新がない、ということになってしまいましたら、浜千鳥は何かに負けたんだな、と思ってくださいませ(コラ)
間に合わないと事前に見極めがついたら、お知らせいたしますね。
本当に、皆様のおかげで書き続けることができています。ご感想、評価は心の支えです。
どうかこれからも、エカテリーナとアレクセイたちをよろしくお願いいたします。