【飯田 一史】まさに“ネット界の文春砲”…“現代の公開処刑”ともいえる「コレコレ」とはいったいなんなのか
2021年1月に人気YouTuberマホトがファンの未成年女性にわいせつな画像を送らせていたことを被害者女性が出演する生配信を通じて暴露したことでも知られる“ネット界の文春砲”ことライブ配信者/YouTuberのコレコレが初の著書『告白』(宝島社)を刊行した。
この本には、彼が配信を通じて世に知らしめてきたインフルエンサーの犯罪や疑惑の数々を紹介しながら、コレコレ自身の考えや現在のスタイルに至った経緯が書かれている。
しかし、なぜコレコレはYouTubeライブなどの同時接続者数でアイドルと並ぶほどの人気を得ているのか。視聴者は何を求めてコレコレを観ているのか。
コレコレの配信はジャーナリストの仕事とどこが違うのか
もちろん「ネット界の著名人のゴシップが見たい」ということは大きいだろう。
とはいえ彼の配信はいつも大ネタを扱っているわけではなく、基本的に何かの被害に遭うなどして困っている人からの相談に応えるかたちで進行していく。コレコレ自身が本の中でもたびたび言うように「相談を解決するエンターテインメント」という形式を取っている。
コレコレの影響力が大きくなっていったのは相談配信を繰り返すうちに「相談に応える→加害者・疑惑の当事者がたまたま有名人だった→SNS上で拡散される」ということがたびたび起き、徐々に「YouTuberやTikToker、歌い手関連で何か相談するならコレコレ」という認知を獲得した結果である。
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ただ、そうはいってもよくある人生相談とは違う。では何なのか。
コレコレが相談や暴露をする理由は、本人いわく「おもしろいから」であって「正義のジャーナリストではない」という。たしかに、コレコレはジャーナリストのように自分の足で独自取材を行うわけではない。
コレコレはTwitterのDM経由で持ち込まれた相談を配信で取り上げ、可能な限り相談者が主張する「被害」の証拠を提出させる。そのうえで「容疑者」と目される人物の連絡先を手に入れコンタクトし、配信に呼び出して同様に証言や物証を詰めていく。その際に「コレリス」と呼ばれる配信の視聴者の中にいる法律など各分野の専門家からの情報を元に、相談者・容疑者にツッコミを入れていく。
コレコレの主な仕事は、事件の争点とコレリスの集合知を交通整理して「やったのかやってないのか」「ウソをついたのかついていないのか」「証拠はあるのかないのか」をひとつひとつ潰していくことだ。
つまり情報のハブであり、同時に進行を仕切る司会者である。
ジャーナリストのようにあるスジからのタレコミに対して事実のウラトリをしてから表に出すのではなく、ウラトリ作業自体を公開配信で行う。だから疑惑の証拠が出ないまま終わることもあるし、逆に相談者側の虚言がバレて立場が逆転することもあり、この点が疑惑をかけられた側からの批判を招いてもいる。
「正しさ」を背負い、集団が時間を共有し参加できる「祭り」
コレコレの生配信を視聴しているときの感覚は、個人的には2000年代前半に2ちゃんねる(現5ちゃんねる)で「祭り」と言われていたものに立ち会ったときに近い。
もう20年ほど前のことになるので筆者もあまり思い出せないが、かつて2ちゃんねるでは、たとえばネット上に掲載されている不倫日記から書き手や不倫相手の勤務先を割り出して会社に通報したり、日記の記述からパスワードを洗い出してサイトをハッキングしたりする様子が高速でスレッドを消化しながら進行していたような記憶がある。「今まさに事件が展開している現場に立ち会っている」という面白さが、コレコレの配信と2ちゃんの祭りには共通している。
思えばいつからか「炎上」とは言っても「祭り」とは言わなくなった。「炎上」は燃えている側にフォーカスが当たっているが、「祭り」は観ている側、燃やしている側が楽しんでいるというニュアンスが強い。参加者の気分としては似ていたとしても、「炎上」を「祭り」と呼ぶと社会正義の著しい欠如が感じられ、今の時代に合っていない(被害者がいる炎上の場合、楽しんで燃やしている感じが出ると叩いている側に都合が悪いし、被害者の気持ちへの配慮がない)印象を受ける。
コレコレは架空請求業者に凸る(電話をかけて問いただす)ことはあっても、サイトのハッキングをしたり、業者の住所や個人名を晒して攻撃を煽ったりはしない。極力、法的にセーフな範囲内、「コレコレが悪い」という糾弾が起こりづらい範囲内に収まるよう、つまり突っ込まれても自分が「正しい」と言え、叩かれる側になる隙を作らないように注意深く振る舞っている(もっとも、それでも後者に関しては時々叩かれてはいるが)。
コレコレ自身は、自分は「正しいか」よりも「面白いか」どうかを優先しており、正義厨(他人に制裁を加えることに腐心している人たち)が乗っかってくるのは困る、と言っているが、同時に、かつてニコニコ生放送で配信していた時代と比べて、現在の方が世間の雰囲気に合わせて堅苦しいことを言うようになったとも本の中で語っている。また、もともと法律やルールを守ることにはうるさい性格だとも言う。
したがって、何かを叩きたくてウズウズしている人たちを誘引しやすい構造にあると言える。
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ポイントは、視聴者も常に心理的に安全で優位な立場から、自分たちに義があり道理があると思える立場から事態を見守ることができるように設計されている、という点だ。
コレコレの動画では渋谷の喫煙所近辺で路上喫煙やポイ捨てする人たちを注意するものも人気だが、これにしても、未成年と性行為したインフルエンサーを糾弾する配信にしても、法的にアウトな(という疑いのある)人を責める側に立って観ることができる。
また、コレコレの本によるとコレリスの中核は20代女性だが、相談者はそれよりも若い未成年であることが少なくない。つまりネットリテラシーがある程度身についている人間たちが、身についていない側が巻き込まれたトラブルについての相談を楽しんでいることになる。視聴者は動画を通じて自分の無知を突きつけられたり、立場が脅かされたりすることはない(もっとも、2019年に起こった旭川いじめ自殺事件の被害者もコレリスだったというから、コレコレの配信で取り上げられるような「悪人たちにはいつか鉄槌が下る」と期待しながら観ている人たちも一定数いると思われるものの)。
正義厨でない視聴者層の大半は、おそらく野次馬的な興味から観ているだろう。相談者と疑惑をかけられた側、どちらがどう転んでもいいが、リアルタイムで発言や行動の矛盾が突っつかれて追い詰められていくのを見るのがスリリングでおもしろい、というものだ。
現代の魔女狩り、公開処刑
→炎上にしろ祭りにしろ、実質的には中世に魔女狩りや公開処刑を娯楽にしていた人々や、古代ローマで奴隷同士の拳闘を楽しんでいた人々と大差ないと筆者は考えている。
魔女狩りや公開処刑が庶民の娯楽だったのは、当時ほかに娯楽が少なかったからだとも言われるが、おそらくそれだけではない。
集団で(自分たちのほうが悪いという疑念を抱くことなく)暴力を振るったり、暴力の行使を目撃したり、安全地帯から殴り合いや殺し合いを眺めたりして高揚感を共有することには、ほかの娯楽には換えがたい独特の群衆的な享楽がある。
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コレコレの生放送は現代の魔女狩りであり、公開処刑であり、拳闘の観覧である。
今日においては、かつての公開処刑のように、あるコミュニティの成員がひとつの事件(ないし暴力)が起こっている現場に居合わせ、娯楽として消費し、騒ぐ機会は少ないが、彼はそれを提供している。
アイドルやYouTuber、VTuberなどが行う大半の生配信は、配信者やそのコンテンツのファンとして配信者および視聴者同士で時間を共有することはある。しかし、コレコレのケースのようにゴシップや「裁き」をリアルタイムで共有できることはまれだ。
テレビやラジオの場合、「生放送」といっても進行台本がきっちり存在し、予定調和的に進む。対してコレコレの配信の場合、相談者から持ちかけられた話がどう転ぶのか、どこまで証拠が出てくるのかがわからない面白さがある。
ただし、本当に何が起こるのかまったく予想がつかないと、それはそれで何を楽しみに見ていいのかわからなくなる。コレコレの場合、相談者と容疑者がいて、どこまで容疑者を追い詰められるか、どちらがウソを付いているのかといったポイントになる部分をコレコレが整理することによって、非常に見やすいものになっている。
視聴者と時間と情報を共有し、コメントや電話を通じてやりとりしながら相談を解決していくリアルタイムでの展開が重要であるという点で、コレコレの魅力は文春砲のような「報道」の提供価値とは異なる。
・安全地帯から正義を背負って観られる(叩く側の野次馬になれる快楽)
・どう転ぶかわからない事件が展開する現場に集団参加する面白さ(ライブ感あるサスペンス)
・人間(時折、著名人)の裏側、暗部が暴かれる衝撃
これらが揃っているのがコレコレの生配信の特色なのだ。
外部サイト
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