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2013.01.28
問題解決を学ぶことは意志の力を学ぶこと-これは問題解決を知らない人のために書いた文章です
これは問題解決を知らない人のために書いた文章です。
問題解決について、最低限のことだけを説明します。
問題解決とは何をすることなのか? それを知るとどんな得することがあるのか? といった、世の中の問題解決について書かれたいろいろなものよりも、少し手前にある話題についてです。
問題解決って何?
問題解決とは、自分で目標を決めて、それに向かってうまく行動していくことです。
目標とは「こうしたい」とか「こうなりたい」と思うものです。「こんなのはいやだ」も、みがいていくことで目標になります。
決まった目標について〈うまく行動する〉のは、ものによっては機械にもできます。
アリやハチは、集団で協力してすばらしい巣をつくります。
他にも〈うまく行動する〉お手本にできるものは多いです。
ですが、目標を決めるのは人間だけです。
問題解決をするのは人間だけなのです。
問題解決-ない場合、ある場合
問題解決をやらないと、うまくいくかどうかは、いつも運まかせになります。
問題解決をやらないと、困ったことになっても、逃げ出すか、我慢するしかありません。
問題解決をやると、逃げ出す/我慢する以外の、それよりましな行動を選ぶことができます(いつもではないにしても)。
問題解決をやると、チャンスを、自分の知恵と意志の力で生み出すことができます(必ずではないにしても)。
問題解決をやると、ピンチが、自分の知恵と意志の力を試し鍛える機会になります(はじめからうまくいかないにしても)。
問題解決をやると、運命から人生を取り戻すことができます(すべてはないにしても)。
誰もがやっている問題解決
誰でも気付かないうちに問題解決をやっています。
悩む人、考える人は大抵、問題解決の最中です。
また、失敗したという人は問題解決をやった人です。
「こうしたい」と思って行動してはじめて、〈失敗〉することができるからです。
〈あきらめる〉ことさえも、問題解決の一種です。
というか、実際には、最も多く採用される問題解決の方法です。
いろいろやってみるためのエネルギーや時間やお金や材料などが足りないとき、〈何もしない〉ことが一番マシな行動である場合もあるからです。
なぜ問題解決を学ぶのか?
誰でもすでに問題解決をやっているのなら、どうしてわざわざ学ぶ必要があるのでしょうか?
それは自覚してやる方が、問題解決の質が高まるからです。
それに意識してやる方が、問題解決は上達します。
無自覚にやる問題解決は、ワンパターンに陥りがちです。
〈あきらめる〉という問題解決法でうまくいった人は、くりかえしこの方法を使いがちです。
〈怒りを周囲にぶちまけて、我慢できなくなった周囲の誰かに問題解決を丸投げする〉という手で何度か味をしめると、もう他の問題解決のやり方があることを思いつけなくなります。
〈あきらめる〉〈怒りをぶちまける〉という問題解決法は、繰り返しているとやがてその人の性格になり、さらに運命になります。
しかし、ひとつの問題解決は、どんな場合でも、一番よいやり方であるとは限りません。
問題解決を学ぶと、問題解決のやり方はいろいろあることを知ります。
人間は、ワンパターンな問題解決を取りがちなことや、それを避けるためのやり方・考え方についても学びます。
人が問題解決を学ぶのは、すでにやっている問題解決を反省して、その時々に応じた問題解決を探すことができるようになるためです。
また、問題解決を学ぶと、違った人が違った状況で用いた問題解決を、自分の問題に応用することもできるようになります。
つまり他の人から知恵を借りてくることを学ぶことにもなるのです。
さらに、問題解決を学ぶと、〈あきらめる〉〈他人にまかせる〉以外のことが自分にも可能であることを知ることになります。
何かを望んでそれを実現することが、自分にも可能であることを知ることになります。
それは、自分の意志の力を知ることです。
問題解決どんなときに役立つか?
未知や未体験の出来事と遭遇したとき、
知識や能力以上の課題が突き付けられたとき、
やり方や、そもそも何をすればいいか分からないとき、
つまり、どうしようもなくなったときに
問題解決は役に立ちます。
人間はあらゆることについて準備しておくことはできません。
知らないことやできないことは、どうしてもやってきます。
全知でも全能でもない人間に不安や恐怖の種はなくなりません。
しかし問題解決があります。
万能にはほど遠いですが、何もないよりはずっとましです。
問題解決は、やり方を作り出すやり方です。
今はない解決策を生み出すものです。
「できない」「しらない」ことに発する不安や恐怖を消すことはできなくても、受けて立つことはできます。
問題解決は、そのために磨かれてきた武器です。
(問題解決の方法)
問題に気付く/問題を見つける
問題に気付くことから、問題解決は始まります。
「問題解決」と言うように、「解決」はその半分でしかありません。
同じ状況におかれても、そこに問題を見つける人もいれば、そうしない人もいます。
一度、問題として捉えることができれば、いろんな手があります。
他人の手を借りることもできます。
しかし「問題」として取り上げることがなければ、何もはじまりません。
「問題」として捉え直さないうちは、それは単なる〈不幸〉や〈不運〉や〈不都合〉でしかありません。
嘆いたり怒ったりする以外に、できることはありません。
しかし感情は、問題を見つけ出すためのシグナルとしても使えます。
「これはおかしい。もっと何とかなってもいいはずだ」と考えたとき、〈不幸〉や〈不運〉や〈不都合〉を「問題」として捉え直したときから、問題解決は始まります。
運命から人生を取り戻す戦いが始まります。
問題を定義する、問題を設定する
問題を定義することは、解決しようとしている問題がどのようなものかをはっきりさせることです。
学校などで行われる試験の問題は、必ず解けるように作られています。でないと、問題をつくった人がヘマをやったと怒られます。
普通の問題解決では、問題を解決する人が、問題じたいをつくらなくてはなりません。
へたにつくると、解けるものも解けない問題になります。
うまくつくると、あっさり解決策が見つかったりします。あるいはよりよい解決策ができるようになります。
1個のオレンジを取り合う姉妹の小話がよく語られます。
これを〈平等に分けるにはどうすればよいか?〉という問題として定義すると、オレンジを二等分して分けるしかありません。
しかし、〈どちらも満足するにはどう分ければよいか?〉という問題として定義すると、ジャムをつくりたい姉は実の部分を、オレンジピールをつくりたい妹は皮の部分をとればよいことになります。
重さで考えるとこのわけ方は不公平ですが、半分ずつを分け合ったときよりも、姉も妹も、作りたかったものをよりたくさんつくることができます。
問題解決の上手下手は、そして問題解決の経験の差は、問題の定義の差に最もよく現れます。
あざやかに見える解決策は、実はあざやかな問題定義によることが多いです。
うまく解決策がみつからないときは、何度でも戻って問題をつくりなおす(定義しなおす)べきです。
いいえ、本当は解決策を探す前に、幾通りにも問題を定義するべきです。
問題解決が必要な場面は、当事者がひどく困っていたり追い詰められていたりすることも多いので、どうしても視野が狭くなりがちです。
これでは、うまくいかない〈これまでのやり方〉以外の手を思いつくことはできません。
幾通りにも問題を定義することで、問題のいろんな側面に気付きます。
問題がおかれている状況をより広い範囲で、より大きな全体の中で、捉えることもできるようになります。
解決策を考える
解決策は多いほどよいです。
問題解決が下手な人ほど、ひとつの解決策にこだわります。
一つがダメだと「またゼロからだ」と落ち込み、これが数回つづくと、もう問題解決じたいをあきらめます。
問題解決が上手な人は、最初からたくさんの解決策をつくります。これだと、一つがダメでも、すぐに他の解決策を試すことができます。
エジソンは一つの発明に、たくさんの試作品をつくって試しました。
たとえば蓄音機の音を出すラッパですが、何千という試作品(失敗作)が残っているそうです。
複数の解決策を比べてみることで、問題の気付かなかった面を発見したり、思いつかなかった解決策にたどり着いたりすることがあります。
ひとつひとつの解決策について、これを実施したらどうなるだろうと考えることで、問題をより深く理解することができます。
そうすると、もっと別のやり方で問題を定義できるかもしれません(問題の定義に戻りましょう)。
もっと別の解決策が浮かぶかもしれません(さらにもっと多くの解決策を考えましょう)。
大抵の問題には、複数の解決策があります。
どうしてもひとつしか解決策が思いつかない場合は、「なにもしない」「すべてやめる」「現状維持」といった(自覚されないだけで頻出の)問題解決法を付け加えましょう。
「もしも何の制約もなかったできる理想の解決法」も、たくさんの解決策を生み出す呼び水になります。取り除いた制約を少しずつ加えていって、少しだけ現実的な解決法を次々考えるのです。
「もしも~だったら」と考えることは、理想の状態以外でも、問題についての理解を深め、解決策を増やします。たとえば実際よりも制約を増やして、発想に刺激を与えることもよく使われます。
「あべこべにする」「他の解決策の一部を取り替える」のも、複数の解決策をつくるのに、よく使われる手です。
新しいことをする
まだ誰もやっていない〈新しいやり方〉をはじめるのは、問題解決の王道です。
大抵の問題解決の本には、このことばかり書いてあります。
問題解決のプロの人たちも、提案してくるのは〈新しいやり方〉ばかりです。
〈新しく〉ないとお金が取れないからです。
しかし自分で問題解決するときは、別に〈新しく〉なくても、うまく行けば、それで良いのです。
試したこともないのでうまくいくか未知数なところと、うまくいくまで試行錯誤が必要なことを考えれば、〈新しいやり方〉は危険が高く手間もかかります。
同じくらいの効果なら、〈新しく〉ない方が得です。
それでも〈新しいやり方〉が問題解決の王道なのは、わざわざ問題解決のことを考える場合は、今までのやり方ではどうやってもうまくいかなくて行き詰まっていることが多いからです。
このことは〈新しいやり方〉を見つけるのに、これまで探したことがないところを探さなくてはいけないことを教えてくれます。
人に尋ねる
よく知っている人に尋ねたり相談したりするのも、よく使われる問題解決の方法です。
中でも専門家は、専門としている分野について、他の人よりもずっとよく知っています。
自分が取り組もうとしている問題が、どの分野のものか分かるなら(たとえば病気になったら医者という専門家に相談することを大抵の人は知っています)、専門家は役に立ちます。
専門家は、あなたよりよく知っているだけの人ではありません。
あなたとは違う見方をしてくれる人でもあります。
たとえば医者は、ただ人間の体や病気に詳しいだけではなく、あなたの体や病気について、あなたとは違う見方をしてくれる人です。
こう考えておくと、専門家に問題解決を丸投げしたり、責任を押し付けたり、あるいは最初から馬鹿にしたりすることなく、問題解決の大切なパートナーとして専門家と付き合うことができます。
問題解決の必要を強く感じるとき、今までのやり方ではダメなことが多いのですが、自分だけでは古いやり方から抜け出すことは難しいことが多いです。
だからこそ、専門家があなたとは違う見方をしてくれることが役に立ちます。
逆に取り組んでいる問題について、あなたが専門家である場合、そして専門家のあなたがいろいろやってみてもうまくいかない場合は、他の専門家や時にはド素人に尋ねてみることもよいかもしれません。
他の専門家は、あなたが解決しなければならない問題と、別に付き合う義理がないので、あなたとは違う見方で問題を見ることができます。
ド素人は、その問題について、あなたが持っているような知識がないので、あなたとは違う見方で問題を見ることができます。
どちらが正しいかは、あまり重要ではありません。
問題に対して、いろんな見方ができることが重要です。
それに問題解決に、答がたった一つであることは、ほとんどありません。
そして、どのような解決策も、少なくとも部分的には合っています。
これまでに一番の解決策も、もっと駄目な解決策に触れることで、なお良くなっていくことがあります。
似ている問題解決を探す
〈新しいやり方〉ばかりが問題解決ではありません。
また〈新しいやり方〉も、100%完全に新しいことはありません。
似たような問題について、かつて成功した解決法は、そのまま使えなくても、ヒントをくれます。
失敗した解決法さえも、部分的には正しいことがあります。状況が変わって、今のほうが役に立つことすらあるのです。
かつての問題解決を行った人(昔のあなた自身かもしれません)が知らなかったことも、今のあなたは知っているかもしれません。
するとかつての問題解決者と、今のあなたでは、問題の見方が違うかもしれません。
ならばかつての問題解決者の解決法を見直すことで、問題についての違う見方を手に入れることができるかもしれません。
試行錯誤する
思いつきだけでは、問題を解決することはできません。
どんなに良さそうなアイデアも、一流の専門家が立てたプランも、試してみないことには、実際にうまくいくかどうか分かりません。
今までどおりのやり方で大丈夫な場合か、あるいはまぐれ当たりでもするのでなければ、どうしてもこの作業が必要です。
新しいことをやるのに、試行錯誤は絶対に欠かせません。
問題解決がうまくいかない人は、ここのところで手を抜くことが多いです。
試行錯誤と〈行き当りばったり〉の違いは、試すことをマネジメントしているかどうかです。
そのために、試行錯誤するときは、何のために何をやったか、その結果はどうだったか、ちゃんと記録をとります。
1回の試行ごとに記録すべき事項は、少なくとも次の5つです。
(1)事前想定 どうなると予想するか?
(2)試行 何をしたか/何に対して、どのように/いつ、どこで
(3)結果 その結果どうなったか?何が、どのように起こったか?
(4)分かったこと/うまくいったこと
(5)分からなかったこと/うまくいかなかったこと
(5)まで書き終えたら、次の試行を考えて、また(1)から書いていきます。
そして何度も読み直します。
書いたり、読み直したりしているときに思いついたことも、必ず書き残します。
どんなにくだらないことも、当たり前だと思えることも、書いて出します。
本当に大切なアイデアは、こうしたところから生まれてくることが多いのです。
問題解決について、最低限のことだけを説明します。
問題解決とは何をすることなのか? それを知るとどんな得することがあるのか? といった、世の中の問題解決について書かれたいろいろなものよりも、少し手前にある話題についてです。
問題解決って何?
問題解決とは、自分で目標を決めて、それに向かってうまく行動していくことです。
目標とは「こうしたい」とか「こうなりたい」と思うものです。「こんなのはいやだ」も、みがいていくことで目標になります。
決まった目標について〈うまく行動する〉のは、ものによっては機械にもできます。
アリやハチは、集団で協力してすばらしい巣をつくります。
他にも〈うまく行動する〉お手本にできるものは多いです。
ですが、目標を決めるのは人間だけです。
問題解決をするのは人間だけなのです。
問題解決-ない場合、ある場合
問題解決をやらないと、うまくいくかどうかは、いつも運まかせになります。
問題解決をやらないと、困ったことになっても、逃げ出すか、我慢するしかありません。
問題解決をやると、逃げ出す/我慢する以外の、それよりましな行動を選ぶことができます(いつもではないにしても)。
問題解決をやると、チャンスを、自分の知恵と意志の力で生み出すことができます(必ずではないにしても)。
問題解決をやると、ピンチが、自分の知恵と意志の力を試し鍛える機会になります(はじめからうまくいかないにしても)。
問題解決をやると、運命から人生を取り戻すことができます(すべてはないにしても)。
誰もがやっている問題解決
誰でも気付かないうちに問題解決をやっています。
悩む人、考える人は大抵、問題解決の最中です。
また、失敗したという人は問題解決をやった人です。
「こうしたい」と思って行動してはじめて、〈失敗〉することができるからです。
〈あきらめる〉ことさえも、問題解決の一種です。
というか、実際には、最も多く採用される問題解決の方法です。
いろいろやってみるためのエネルギーや時間やお金や材料などが足りないとき、〈何もしない〉ことが一番マシな行動である場合もあるからです。
なぜ問題解決を学ぶのか?
誰でもすでに問題解決をやっているのなら、どうしてわざわざ学ぶ必要があるのでしょうか?
それは自覚してやる方が、問題解決の質が高まるからです。
それに意識してやる方が、問題解決は上達します。
無自覚にやる問題解決は、ワンパターンに陥りがちです。
〈あきらめる〉という問題解決法でうまくいった人は、くりかえしこの方法を使いがちです。
〈怒りを周囲にぶちまけて、我慢できなくなった周囲の誰かに問題解決を丸投げする〉という手で何度か味をしめると、もう他の問題解決のやり方があることを思いつけなくなります。
〈あきらめる〉〈怒りをぶちまける〉という問題解決法は、繰り返しているとやがてその人の性格になり、さらに運命になります。
しかし、ひとつの問題解決は、どんな場合でも、一番よいやり方であるとは限りません。
問題解決を学ぶと、問題解決のやり方はいろいろあることを知ります。
人間は、ワンパターンな問題解決を取りがちなことや、それを避けるためのやり方・考え方についても学びます。
人が問題解決を学ぶのは、すでにやっている問題解決を反省して、その時々に応じた問題解決を探すことができるようになるためです。
また、問題解決を学ぶと、違った人が違った状況で用いた問題解決を、自分の問題に応用することもできるようになります。
つまり他の人から知恵を借りてくることを学ぶことにもなるのです。
さらに、問題解決を学ぶと、〈あきらめる〉〈他人にまかせる〉以外のことが自分にも可能であることを知ることになります。
何かを望んでそれを実現することが、自分にも可能であることを知ることになります。
それは、自分の意志の力を知ることです。
問題解決どんなときに役立つか?
未知や未体験の出来事と遭遇したとき、
知識や能力以上の課題が突き付けられたとき、
やり方や、そもそも何をすればいいか分からないとき、
つまり、どうしようもなくなったときに
問題解決は役に立ちます。
人間はあらゆることについて準備しておくことはできません。
知らないことやできないことは、どうしてもやってきます。
全知でも全能でもない人間に不安や恐怖の種はなくなりません。
しかし問題解決があります。
万能にはほど遠いですが、何もないよりはずっとましです。
問題解決は、やり方を作り出すやり方です。
今はない解決策を生み出すものです。
「できない」「しらない」ことに発する不安や恐怖を消すことはできなくても、受けて立つことはできます。
問題解決は、そのために磨かれてきた武器です。
(問題解決の方法)
問題に気付く/問題を見つける
問題に気付くことから、問題解決は始まります。
「問題解決」と言うように、「解決」はその半分でしかありません。
同じ状況におかれても、そこに問題を見つける人もいれば、そうしない人もいます。
一度、問題として捉えることができれば、いろんな手があります。
他人の手を借りることもできます。
しかし「問題」として取り上げることがなければ、何もはじまりません。
「問題」として捉え直さないうちは、それは単なる〈不幸〉や〈不運〉や〈不都合〉でしかありません。
嘆いたり怒ったりする以外に、できることはありません。
しかし感情は、問題を見つけ出すためのシグナルとしても使えます。
「これはおかしい。もっと何とかなってもいいはずだ」と考えたとき、〈不幸〉や〈不運〉や〈不都合〉を「問題」として捉え直したときから、問題解決は始まります。
運命から人生を取り戻す戦いが始まります。
問題を定義する、問題を設定する
問題を定義することは、解決しようとしている問題がどのようなものかをはっきりさせることです。
学校などで行われる試験の問題は、必ず解けるように作られています。でないと、問題をつくった人がヘマをやったと怒られます。
普通の問題解決では、問題を解決する人が、問題じたいをつくらなくてはなりません。
へたにつくると、解けるものも解けない問題になります。
うまくつくると、あっさり解決策が見つかったりします。あるいはよりよい解決策ができるようになります。
1個のオレンジを取り合う姉妹の小話がよく語られます。
これを〈平等に分けるにはどうすればよいか?〉という問題として定義すると、オレンジを二等分して分けるしかありません。
しかし、〈どちらも満足するにはどう分ければよいか?〉という問題として定義すると、ジャムをつくりたい姉は実の部分を、オレンジピールをつくりたい妹は皮の部分をとればよいことになります。
重さで考えるとこのわけ方は不公平ですが、半分ずつを分け合ったときよりも、姉も妹も、作りたかったものをよりたくさんつくることができます。
問題解決の上手下手は、そして問題解決の経験の差は、問題の定義の差に最もよく現れます。
あざやかに見える解決策は、実はあざやかな問題定義によることが多いです。
うまく解決策がみつからないときは、何度でも戻って問題をつくりなおす(定義しなおす)べきです。
いいえ、本当は解決策を探す前に、幾通りにも問題を定義するべきです。
問題解決が必要な場面は、当事者がひどく困っていたり追い詰められていたりすることも多いので、どうしても視野が狭くなりがちです。
これでは、うまくいかない〈これまでのやり方〉以外の手を思いつくことはできません。
幾通りにも問題を定義することで、問題のいろんな側面に気付きます。
問題がおかれている状況をより広い範囲で、より大きな全体の中で、捉えることもできるようになります。
解決策を考える
解決策は多いほどよいです。
問題解決が下手な人ほど、ひとつの解決策にこだわります。
一つがダメだと「またゼロからだ」と落ち込み、これが数回つづくと、もう問題解決じたいをあきらめます。
問題解決が上手な人は、最初からたくさんの解決策をつくります。これだと、一つがダメでも、すぐに他の解決策を試すことができます。
エジソンは一つの発明に、たくさんの試作品をつくって試しました。
たとえば蓄音機の音を出すラッパですが、何千という試作品(失敗作)が残っているそうです。
複数の解決策を比べてみることで、問題の気付かなかった面を発見したり、思いつかなかった解決策にたどり着いたりすることがあります。
ひとつひとつの解決策について、これを実施したらどうなるだろうと考えることで、問題をより深く理解することができます。
そうすると、もっと別のやり方で問題を定義できるかもしれません(問題の定義に戻りましょう)。
もっと別の解決策が浮かぶかもしれません(さらにもっと多くの解決策を考えましょう)。
大抵の問題には、複数の解決策があります。
どうしてもひとつしか解決策が思いつかない場合は、「なにもしない」「すべてやめる」「現状維持」といった(自覚されないだけで頻出の)問題解決法を付け加えましょう。
「もしも何の制約もなかったできる理想の解決法」も、たくさんの解決策を生み出す呼び水になります。取り除いた制約を少しずつ加えていって、少しだけ現実的な解決法を次々考えるのです。
「もしも~だったら」と考えることは、理想の状態以外でも、問題についての理解を深め、解決策を増やします。たとえば実際よりも制約を増やして、発想に刺激を与えることもよく使われます。
「あべこべにする」「他の解決策の一部を取り替える」のも、複数の解決策をつくるのに、よく使われる手です。
新しいことをする
まだ誰もやっていない〈新しいやり方〉をはじめるのは、問題解決の王道です。
大抵の問題解決の本には、このことばかり書いてあります。
問題解決のプロの人たちも、提案してくるのは〈新しいやり方〉ばかりです。
〈新しく〉ないとお金が取れないからです。
しかし自分で問題解決するときは、別に〈新しく〉なくても、うまく行けば、それで良いのです。
試したこともないのでうまくいくか未知数なところと、うまくいくまで試行錯誤が必要なことを考えれば、〈新しいやり方〉は危険が高く手間もかかります。
同じくらいの効果なら、〈新しく〉ない方が得です。
それでも〈新しいやり方〉が問題解決の王道なのは、わざわざ問題解決のことを考える場合は、今までのやり方ではどうやってもうまくいかなくて行き詰まっていることが多いからです。
このことは〈新しいやり方〉を見つけるのに、これまで探したことがないところを探さなくてはいけないことを教えてくれます。
人に尋ねる
よく知っている人に尋ねたり相談したりするのも、よく使われる問題解決の方法です。
中でも専門家は、専門としている分野について、他の人よりもずっとよく知っています。
自分が取り組もうとしている問題が、どの分野のものか分かるなら(たとえば病気になったら医者という専門家に相談することを大抵の人は知っています)、専門家は役に立ちます。
専門家は、あなたよりよく知っているだけの人ではありません。
あなたとは違う見方をしてくれる人でもあります。
たとえば医者は、ただ人間の体や病気に詳しいだけではなく、あなたの体や病気について、あなたとは違う見方をしてくれる人です。
こう考えておくと、専門家に問題解決を丸投げしたり、責任を押し付けたり、あるいは最初から馬鹿にしたりすることなく、問題解決の大切なパートナーとして専門家と付き合うことができます。
問題解決の必要を強く感じるとき、今までのやり方ではダメなことが多いのですが、自分だけでは古いやり方から抜け出すことは難しいことが多いです。
だからこそ、専門家があなたとは違う見方をしてくれることが役に立ちます。
逆に取り組んでいる問題について、あなたが専門家である場合、そして専門家のあなたがいろいろやってみてもうまくいかない場合は、他の専門家や時にはド素人に尋ねてみることもよいかもしれません。
他の専門家は、あなたが解決しなければならない問題と、別に付き合う義理がないので、あなたとは違う見方で問題を見ることができます。
ド素人は、その問題について、あなたが持っているような知識がないので、あなたとは違う見方で問題を見ることができます。
どちらが正しいかは、あまり重要ではありません。
問題に対して、いろんな見方ができることが重要です。
それに問題解決に、答がたった一つであることは、ほとんどありません。
そして、どのような解決策も、少なくとも部分的には合っています。
これまでに一番の解決策も、もっと駄目な解決策に触れることで、なお良くなっていくことがあります。
似ている問題解決を探す
〈新しいやり方〉ばかりが問題解決ではありません。
また〈新しいやり方〉も、100%完全に新しいことはありません。
似たような問題について、かつて成功した解決法は、そのまま使えなくても、ヒントをくれます。
失敗した解決法さえも、部分的には正しいことがあります。状況が変わって、今のほうが役に立つことすらあるのです。
かつての問題解決を行った人(昔のあなた自身かもしれません)が知らなかったことも、今のあなたは知っているかもしれません。
するとかつての問題解決者と、今のあなたでは、問題の見方が違うかもしれません。
ならばかつての問題解決者の解決法を見直すことで、問題についての違う見方を手に入れることができるかもしれません。
試行錯誤する
思いつきだけでは、問題を解決することはできません。
どんなに良さそうなアイデアも、一流の専門家が立てたプランも、試してみないことには、実際にうまくいくかどうか分かりません。
今までどおりのやり方で大丈夫な場合か、あるいはまぐれ当たりでもするのでなければ、どうしてもこの作業が必要です。
新しいことをやるのに、試行錯誤は絶対に欠かせません。
問題解決がうまくいかない人は、ここのところで手を抜くことが多いです。
試行錯誤と〈行き当りばったり〉の違いは、試すことをマネジメントしているかどうかです。
そのために、試行錯誤するときは、何のために何をやったか、その結果はどうだったか、ちゃんと記録をとります。
1回の試行ごとに記録すべき事項は、少なくとも次の5つです。
(1)事前想定 どうなると予想するか?
(2)試行 何をしたか/何に対して、どのように/いつ、どこで
(3)結果 その結果どうなったか?何が、どのように起こったか?
(4)分かったこと/うまくいったこと
(5)分からなかったこと/うまくいかなかったこと
(5)まで書き終えたら、次の試行を考えて、また(1)から書いていきます。
そして何度も読み直します。
書いたり、読み直したりしているときに思いついたことも、必ず書き残します。
どんなにくだらないことも、当たり前だと思えることも、書いて出します。
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