これの件です。『「共産党が非実在ポルノ規制」といういつものオタクの誤読』で触れたように表現規制が話題となると毎度のこと同じようなことを言う人が出てくるのですが、このような主張が説得的だったことはありません。

 というわけで、今回はこの『海外諸国の非実在ポルノ規制と性犯罪率【令和最新版】』にツッコミを入れながら性犯罪を論じるうえでの基礎を論じていきます。以下の引用は全てこの記事からです。

認知件数と発生件数を混同する愚

 なお、各国の性犯罪率はUnited Nations Office on Drugs and Crime(UNODC: 国連薬物犯罪事務所)のSexual violenceのデータを用いました。未成年に対する性犯罪率の適切な参照先があればどなたか教えていただきたいです。
 また、暗数についてですが、法務省が定期的な調査を行っており、日本の場合4~6倍と推測されるようですが、いくつかの媒体によって数字が大きく異なり(諸外国も媒体によってばらつきが大きい)、これを使ってよいのか、判断がつきませんでした。またすべての国を調べきれなかったので、今回は保留とさせていただきます。
 まず初歩的なところから。性犯罪は暗数が多いと考えられ、認知件数を発生件数とみなすことは不適切です。もっとも、暗数は調査によってばらつきが大きいことや、全ての国の暗数を調べるのが困難なのは事実です。その辺は正直ですね。
(21.10.23追記)各国の性犯罪の基準が違うので、なんらかの手法で統一するべきという意見をいただきました。しかし、国民はその国において、性犯罪の線引きを充分把握しているはずです。性犯罪率は、その線引きを超えてしまう人の割合と考えれば、比較として扱ってよい数字ですので、今回用いております。もちろん、専門の分野でどのように扱われているかわからないので、ご助言いただけますと幸いです。
 ちなみに、批判にはこのように応じていますが意味不明です。各国の性犯罪の発生件数を比べたいのに、その線引きが異なれば適切な比較にならないのは言うまでもありません。例えば、A国では性器の挿入を伴わなければ性犯罪とみなされない一方、B国では臀部に触れる程度でも性犯罪とみなすという状況があったとすれば、当然B国のほうが性犯罪の件数は多くなりますが、それB国のほうが『その線引きを超えてしまう人』が多い=犯罪者が多いとみなすのは誤りです。
(21.10.24追記)「表現が規制される国では、おそらく性犯罪の基準が厳しいと考えられ、そのような国では容易に性犯罪となることから件数が増えるのは当然」という指摘をいただきました。しかし、表現規制の厳しい国においても、その国の表現規制度に応じた社会通念が形成されるはずです。にもかかわらず、表現規制の厳しい国で性犯罪率が高いというのは、「表現規制によって、性犯罪を抑制するような社会通念は形成されない」あるいは「表現規制によって、性犯罪を抑制するような社会通年は形成できるが、性犯罪は減らない」ということになりませんか。
 同様の批判に別の場所でも答えていましたが、輪をかけて意味不明になっています。仮に『表現規制の厳しい国で性犯罪率が高い』という結論が事実だとしても、このような結論にはなりえません。筆者は厳しい規制が社会通念を作るはずなのに云々と言っていますが、この議論は国家間で性犯罪の基準が異なるから比較ができないという批判には一切対応していないものです。
 「非実在児童ポルノの規制と性犯罪率の関係」については、検証されている論文が見つからなかったため、今回簡単な検証をすることにしました(見つけられなかっただけかも)。いくつかの先進国から、非実在児童ポルノの規制について「制作」「配布」「所持」の観点から表現の自由度を算出し、性犯罪率との比較を行いました。表現の自由度は、完全に自由であれば1、何かしらの制限がある場合に0.5、完全に禁止であれば0です。
 この表現の自由度には、各国のウェブサイトおよび下記サイトを参考にして、独自で点数をつけています。ただし、非実在児童ポルノに関してのデータや規定がそもそも無い国に関しては、暫定で0.5をつけています。
 例えば、アメリカ合衆国では、非実在児童ポルノは公序良俗に反するとされています。販売・流通・単純所持どれも禁止されており、実刑判決となります。ただし、その性的な漫画や彫刻・フィギュアなどが文学的、政治的、科学的、芸術的価値を持つと判断された場合は、その限りではないようです。このような場合の表現の自由度のスコアですが、なんらかの価値がある限り自由が認められるとして、制作・配布・所持を0.5点ずつつけています。これらの得点の平均値を表現の自由度としています。実際にはなんらかの価値が見いだされるのは難しく、実質0点のように思いますが、主観が入るのを防ぐため、このようなルールとしています。
 あと、この記事では児童ポルノに対する規制を数値化しているのですが、これもおかしなことになっています。百歩譲って、規制を数値化して扱おうというアイデアはいいとしましょう。しかし、その数値化が極めていい加減なものになっています。

 簡単に言えば、筆者の主張する「何らかの規制があるから0.5」という判断は妥当ではありません。本来、規制にも「ないに等しい規制」から「ほぼ全面規制に等しいもの」まで幅があるはずだからです。そして、規制が厳しくなるほど性犯罪が減るという仮説を踏まえれば、この幅は重要な意味を持つはずです。例えば、筆者はアメリカを3つの側面全てで0.5であるとしていますが、筆者自身は本当は1に近いのではないかと考えています。こういうとき、本当にアメリカを0.5であるとみなしていいのでしょうか。逆に、骨抜きにされた規制のある国も0.5として扱い、1に近いかもしれないアメリカと一緒にしていいのでしょうか。

 以降で論じるように、筆者はこの数字をもとに散布図を作り分析をしようとしています。こういうとき、横軸にある0から1までの数字は少なくとも間隔尺度として扱われているはずです。間隔尺度というのは数字の間の長さが一定である尺度のことです。つまり、0から0.5の間と、0.5から1までの間の長さが等しい尺度だということです。逆に、数字の間の長さが一定ではない尺度には順序尺度があり、例えば徒競走の順位がこれにあたります(1位と2位のタイムの差は2位と3位の差と同じではないため)。

 筆者は数値化した規制を間隔尺度として扱っていますが、これは間隔尺度ではありません。上述のように、0.5という数字が「全く規制がない状態」と「完全に規制のある状態」のちょうど真ん中を意味しているのではなく、何らかの規制があるが完全ではないという状態を便宜的に表現するだけのものにすぎないからです。間隔あるいは比率ではない尺度を使って散布図を作ることは誤りです。数値間の間隔が一定であるという仮定が存在しないため、図に表示されたメモリに何の意味もなくなってしまうからです。

 ちなみに、筆者は日本を0、つまり全く規制のない国として扱っていますが、これも怪しいものです。確かに日本は「非実在児童ポルノについては」規制がありません。しかし、全面的に創作物における性器表現が規制されています。これを規制が皆無な国として扱うべきなのかは疑問です。

外れ値と疑似相関

 先進国として、30ヵ国を選択し、表現の自由度と性犯罪率を表にしました。ただし、性犯罪率とは、人口10万人あたりの性犯罪件数になります。
 日本は一番右下にあり、表現の自由度が高く性犯罪率が低い国になります。
 これを、グラフにすると次のようになります。
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 性犯罪率は各国の教育水準、社会情勢、性犯罪抑制への取り組み、道徳観念、...など、多数の結果表れるものです。これは、その変数のうちのただ1つ、表現の自由度をとって、相関(=因果ではない)を確認したグラフです。
 相関関係と因果関係は異なります。表現の自由度と性犯罪率には相関がありそうですが、このグラフだけで「表現の自由度が増すことによって、性犯罪率を減らすことができる」とは言えません。実際には相関がないのに、別の因子によって相関が見えている可能性(=擬似相関)も考慮しなければなりません。
 ただし、「表現を規制すれば性犯罪が減少する」は明確に違うと言えるでしょう。擬似であろうかなかろうが、そもそも相関関係が見えないです。これは各国の暗数調査の結果を入れても変わらないと思います。
 筆者は数字をこねくり回し、散布図を書きました。そこから、『「表現を規制すれば性犯罪が減少する」は明確に違う』という結論をひねり出しました。しかし、仮に筆者の数字を全面的に信用するとしても、これは明白に誤りです。

 いい加減言われ続けてきたためか、筆者も疑似相関の可能性があることは重々承知しているようです。しかし、疑似相関についての理解が不足しているためにおかしな主張に走っています。

 筆者の理屈では、もし表現を規制に性犯罪を抑止する効果があるなら、疑似だろうが何だろうが相関が見えるはずだがそうはなっていないので効果はないのだということになっています。しかし、これは疑似相関のメカニズムのたった一側面しか考慮していない稚拙な議論にすぎません。

 一般的に、疑似相関は本来相関がないところに相関関係がみられてしまうものです。しかし、その逆に、相関関係があるはずなのにそれが見えなくなってしまうこともあります。例えば、夏の平均気温が暑くなるほどアイスの売り上げが上がるという、頑健に証明された相関関係があったとしましょう。しかし、単純に平均気温の推移とアイスの売り上げをグラフにしてもその相関がみられない場合があります。これはアイスの売り上げが夏の暑さだけではなく、アイスの流行り廃りや嗜好品にかけられるお金を決定する経済的余裕にも左右され得るからです。夏は年々暑くなっているが、不況が続いているのでみんなアイスを買う余裕がなくて売り上げが上がらないということはあり得るのです。

 対策と犯罪の関係についても同じことが考えられます。ある対策をすれば確かに効果があるはずなのに、単純に認知件数との相関がみられないのであれば、それは対策とは別の要因が認知件数を増加させている可能性もあるわけです。なので、相関がないなら少なくとも2つの変数に絶対関係はない、という結論は早計です。まぁ、雑多な変数の影響を凌駕するほどの効果が対策にはないのだ!と主張することは不可能ではありませんが、それは一般に強弁と表現されるものです。
 上記のような考察が妥当かと思いますが、果たして国連の勧告は聞く必要があるでしょうか。性犯罪を容認するような社会通念は形成されているでしょうか。日本は、海外諸国から「児童ポルノ天国」などと揶揄されているようですが、むしろ国際的に性犯罪の少ない国と言えます。
(中略)
 もちろん、「日本は性犯罪が少ないから対策はいらない」とはまったく思いません。依然として、性犯罪に苦しむ人がいるのは事実てす。性犯罪を根絶するために、表現規制に向かう動きがありますが、むしろ「表現規制によって性犯罪は増えるおそれがある」と考える方が自然です。表現規制ではなく、その他の適切な対策により性犯罪の根絶に取り組むべきです。
 前述した通り、今回はデータの取得の難しさから、児童の性的虐待率でなく性犯罪率で代用しています。また、表現の自由度も粗いルールで得点をつけたので、グラフに誤差が含まれます。ただ、表現の自由度が高い国ほど、明らかに性犯罪率が低くなる傾向があります。
 もう1つの問題は、外れ値を考慮せずに相関を検討しようとしていることです。相関は外れ値の影響を強く受けるものです。そのことは筆者自身が作ったグラフを見れば一目瞭然です。いまはなんとなく「規制が強いほど性犯罪が多い」ように見えているかもしれませんが、一番左上の点と日本を含む右下の点を隠してみてください。相関があるように見えますか?

 そもそも、日本のように非実在児童ポルノが全く規制されていない(と筆者に評価された国)は3つか4つしかなく、極めて稀です。この時点で、日本を含むこれらの国が外れ値的な立ち位置にあることがわかると思います。また、左上にある国も極端に性犯罪率が高く、これも外れ値的です。

 これらを外すと、残った点で描かれる分散はほとんど長方形であり、相関らしいものは見当たりません。ですから、このグラフを使って論じるならば、相関はないというのが妥当です。
 第一、考察の最初に相関はないと言っているにもかかわらず、あとで規制が弱いほうが犯罪率が小さいという相関があるかのように論じるのは議論が一貫していません。相関がないと言ったならそのことを通しましょう。

急上昇は(おそらく)社会の変化

 ちなみに、日本の性犯罪率の経年データですが、年々低下しています。いくつかの文献では、おそらくネットの普及による影響だと考察されています。
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 一方で、非実在児童ポルノの規制の厳しい国ではどうでしょうか。韓国とフランスの例を見てみます。
 韓国
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 フランス
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 こちらも考察程度しか見つかりませんでしたが、基本的に規制の厳しい国ほど性犯罪率が上昇しています。
 このように、非実在児童ポルノを規制することは、性犯罪の抑制にまったく効果がないどころか悪影響が強く懸念されます。性教育にリソースを費やしたほうが効果が期待できるようなので、日本もぜひ、その方向で性犯罪の根絶に向かっていただきたいと思います。
 筆者は最後に、日本と韓国やフランスとの性犯罪の変化を検討しています。そこから、規制が厳しい国のほうが犯罪が多いと結論し、さらに規制は『性犯罪の抑制にまったく効果がないどころか悪影響』があるとまで言っています。1万字も書かないうちに疑似相関の話は忘れたようです。

 しかし、国家間の性犯罪の基準の違いをさておくとしても、この議論には重大な問題があります。それはやはり、認知件数をそのまま発生件数と読み替えていることです。

 グラフのかたちではなく数字を見るとよくわかるのですが、実は日本は「微減」と呼べる程度しか減少していないのに対し、韓国とフランスは「急増」と言ってよいほど増えています。犯罪率が倍近くになっています。認知件数=発生件数という理解でこのグラフを読むと、韓国人やフランス人はここ10年で倍近く狂暴になったということになりますが、そんな結論があり得そうにないことは言うまでもありません。

 犯罪の認知件数が急に変化するときには、たいていの場合、実際の発生件数の変化よりも社会の変化のほうが影響しています。人が急に悪くなったりよくなったりはしないからです。

 韓国やフランスでこれだけ犯罪率が増えているのは、実際に増えているのではなく認知される数が増えているにすぎないとみなすのが妥当でしょう。つまり、社会が変化して性犯罪を訴えやすくなったために見かけ上の件数が増えているのです。

 そうした背景を一切無視し、グラフだけを単純に並べて議論するというのは極めて稚拙なやり方であり、大学生のレポートでも落第になるレベルのことです。

 このように、筆者の議論には問題点が無数にあります。にもかかわらず、あたかもまっとうな議論であるかのように流布してしまうのは、表現規制に関する議論が全く進歩のないことの証左と言えるでしょう。このような議論に耽溺する人々が政治の世界から無視されるのは当然のことのように思われます。