「トヨタの豊田章男社長は、消費税増税をやめてくれと何度も言ってきた。消費税を上げる度に国内で自動車が売れなくなり、中国市場を重視せざるを得ないようになった。ある意味、トヨタを中国に追いやったのは日本の消費税増税だとも言えるのだ。」
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管理人注 : 普通の就職活動学生と同じにトヨタの試験を受け、面接を経て、平社員から始まった。章男ちゃんはまれに見るまともな御曹司だ。
係長、課長、次長と
きちんと少しづつ上がった。係長から平社員への降格も経験している。周りは御曹司と知っていたから、普通ではない出世だったろうが、きちんと真面目に各段階での仕事をしていった。こんな人も少ない。いやいない。
バナソニックの親支那社長とは違う!

生い立ち[編集]

豊田章一郎、博子の長男として愛知県名古屋市に生まれる。母博子は三井財閥一族の伊皿子家八代目、元三井銀行取締役三井高長の三女[6]

愛知教育大学附属名古屋中学校慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。バブソン大学経営大学院修了(MBA)。

在学中にはアメリカ合衆国ハワイ州へ渡り、米国大統領をも輩出したプナホウ・スクールで学んだ[7]。慶應大在学中にはホッケー部に在籍し、ホッケー男子日本代表にも選出されたが、モスクワオリンピックは日本のボイコットにより出場はならなかった[7]

大学卒業後は渡米。語学習得を目的としていたが[7]、バブソン大学(マサチューセッツ州)のビジネススクールに入学し、1982年に経営学修士(MBA)を取得した。この頃の豊田はゴルフに夢中になっていた。

金融業界から自動車業界に[編集]

MBAを取得したのち、アメリカ合衆国の投資銀行A. G. Becker & Co.)にて勤務した[8][9]。しかし自分が豊田家の人間であるという周囲の目から悩みが増していき、上司の「同じ苦労をするなら、トヨタのため苦労したらどうなんだ?」という言葉に豊田の姓を受け入れることを決意。1984年金融機関を辞し、トヨタ自動車に入社した。トヨタ自動車への転職を決意した章男に対し、父である章一郎は「(章男を)部下に持ちたいと思う人間は今のトヨタにはいない」[10]と戒めたうえで、特別扱いはしないと言い渡した。その為、章男はトヨタ自動車に対して履歴書を提出し、章一郎は社員としての入社を認めた[10]

入社後は、生産管理や国内営業などを担当した。係長から平社員への降格人事も経験したものの[10]販売部門への「カイゼン」活動の横展開などを通じ、販売部門の改革を主導した[7]1998年には、自動車関連の情報を総合的に提供するウェブサイトGAZOO.com」を立ち上げた[11]。その後、アメリカ合衆国カリフォルニア州にて、ゼネラルモーターズとの合弁企業「NUMMI」の副社長を務めた。

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