2自分のキャリアは自分で作る
大学時代には食わず嫌いをせずたくさんの人と関わって経験を増やしたいと思い、まず大学受験の予備校で高校生向けに小論文を教えるインターンに参加しました。
将来、文章に携わる仕事を目指すときに可能性を広げたい気持ちもありました。
大学に入るきっかけになった学園祭の運営団体にも参加して、社会貢献関連のプロジェクトを立ち上げました。
当初は学園祭の趣旨にそぐわないと内部で反対されましたが、メンバーのうち約80人と一人ひとり話し合いました。
どうしたら反対理由を解消できるか、じっくりと対話を重ねた結果、組織の中で承認が下りて企画を通すことができました。
人と何かを作り上げる喜びを知れた経験でした。
文章を書くことにもそれ以外のことにも挑戦した大学生活も終わりに近づき、いよいよ進路を決める時期になりました。
22歳の誕生日、同じゼミの先輩で小説家志望の男性から「きみ、将来どうしたいの?」と聞かれました。
私は「文章に関わる仕事がしたいです」と即答しました。
色々なことを試しても、やはり文章への思いは変わりませんでした。
その先輩は書籍の執筆をした経験があり、その制作を手がけたプロダクションには70代の敏腕女性社長がいました。
その社長が若いライターを探しているということで、紹介してもらい彼女の元でライターとしてのキャリアを始めることになりました。
やりたい気持ちを伝えたことで、チャンスが舞い込みました。
しかし、入ってから半年も経たず社長がガンであることが判明、会社をたたむことになり、私は編集プロダクションを離れることになりました。
私はここでライターになるつもりだったので、普通の就職活動をしていません。
卒業まであと半年という時期だったのでとても焦りましたね。
ライターの仕事で出会った関係者に仕事が欲しいと相談したのですが、全く相手にされませんでした。
現役女子大生ライターということもあって、ちやほやされる場面も多かったのですが、名刺を失った瞬間に周りにいた人が去りました。
駆け出しだった私に仕事が来たのは会社の看板や肩書があったからで、私個人に価値を感じている人が誰もいなかったことに気づきました。
ショックでしたね。
結局、留年して就職活動を行い、編集プロダクション時代に企画を持ち込みたかった出版社に就職しました。
ようやく文章に携わる仕事ができると期待していたら、配属されたのは庶務の仕事でした。
辞令を聞いたときは編集に携われずショックでしたが、会社にはいろいろな仕事があるから、一生懸命やってみようと思いました。
その反面、文章の仕事を諦めきれない自分もいました。
そんな社会人1年目の6月、学生のときにお世話になったNPOの代表と再会したとき、「旅行記を書いていて、出版したいと思っている」と言われました。
これはチャンスだと思い、執筆を手伝わせてほしいとお願いしました。
平日の業務後や週末の時間を使って自力で編集作業を行い、1年かけて、電子書籍を出版。
ネット通販サイトの3部門で販売数1位を獲得しました。
2014年のことでした。
周囲からは「なんで無償で編集しているの?」「未経験なのに出版なんてできるの?」と不思議がられたこともありました。
人に何と言われても、「編プロの解散」「編集職以外への配属」と2回も文章を書く仕事に就く夢が頓挫したので、自力でチャンスを掴むしかないと必死だったんです。
出版後は、販売数1位の実績ができたことで、ライターや編集の仕事の話が舞い込むようになりました。
このとき、自分のキャリアは自分で作れるということ、仕事が仕事を呼ぶということに気づきました。
出版とほぼ同じタイミングで会社の人事異動があり、編集の部署に異動しました。
初めからその部署にいたら、他部門の仕事を経験することも、パラレルキャリアをすることもなかったはずです。
とにかくもがいて大変だった1年目でしたが、ビジネスマンとしての視野が広がったという意味で幸運でした。