○以下文責・王谷晶でございます。
要約すると、「私は差別してた。差別やめる。差別やめよう」という話です。そこにうねうねと自分を自分で納得させるに至った脳内理屈の経緯をくっつけている長文です。
このなっがい文章はほぼ自己の整理のために書いたので、あんまり文の体裁がちゃんとしてないところもあると思います。また、この文章そのものも誰かを傷つけてしまう可能性もあると思います。でも、下記のような「えーっ」を私と同じように感じて、「差別はいけないのは分かってるんだけど、でもなー……」ともやついている(いた)人は他にもいると思い、そういう方に、私が自分をどう捉えて整理していったか読んでもらうのは、悪いことではないんじゃないかと思ったので、こうして公開した次第です。なのでひとつの意見というか例というか、王谷はこんなふうな経験と思考をしたというのを読んでいただけたら、嬉しいです。
私はヘテロ―非ヘテロ、シス男性―シス女性の構造の中ではマイノリティですが、シスジェンダー―トランスジェンダーの構造の中ではマジョリティです。で、トランスジェンダー差別に関する話をいつごろ認知したのかはちょっと記憶が曖昧なんですが、ともかくその話題の中で自分の属性を「マジョリティ」と言われているのを読んで、反射的に「えーっ」となってしまった。このえーっはつまり「私はまだマイノリティとしてぜんぜんケアされてないんすけど!?!?」という思いで、そういう思いに一旦着いた火が消せませんでした。今まさに他のマイノリティが苦しんでいるという現実よりも、自分の傷付きを優先してしまったんです。
私がセクマイの性暴力サバイバーとしてろくなケアを受けていないのは間違いなくそうなんですが、でもその責任や関係はトランスジェンダーの人にはひとっっつも無いんです。3秒考えれば当たり前に分かるそんなことを、どうしても飲み込もうとしなかった。「そっちの事情も分かるけど(←※分かってない)私もケアされたい、自分のつらさを吐露したい、もっと慮ってケアしてくれ、ずるい、私のほうこそ先に優しくされたい」というエモーションの湧き上がりが止められなかった。それがここ数ヶ月の私でした。これは、認めるのが心苦しいですが、トランスジェンダーへの差別意識があったからだと思います。当初は「そんなつもりも自覚もない」と思っていましたが、差別というのはやるほうの「心づもり」は関係ないのを思い出し、この数日間で自分を振り返ってそれを認め、今それを解体するためにつとめているところです。
それで、これまで性差別や人種差別などに対してさんざん威勢のいいこと言ってたのに、差別はよくないと分かってるはずだったのに、自分の中に差別心があったり、マジョリティ属性があるのを長い時間認められませんでした。だから「トランス差別に反対です」とは言ったもののその後に「でも…」という形で男性身体に対する恐怖を語ったり、ヘイトに対抗する文脈でもシスサバイバーに対する言葉に配慮してくれという、所謂トーンポリシングな発言もしてしまいました(ヘイト側には何も言わなかったのに)。またトランスジェンダーに対する明確にひどい差別発言を見ても、他のトピックの時のように表立ってズンドコ批判したり批判記事のRTとかをほとんどしませんでした。どころか、「より手厚くケアされたい」「私の事情や辛さをまず汲んでほしい」という自分の気持ちを慰めてくれそうな言説を求めて読んだり、ツイッター上のものならふぁぼったりもしました。これらのことで、この数ヶ月の間にいろいろな人を傷つけたり、戸惑わせてしまっていたと思います。これらの行為は例えば積極的なヘイトスピーチのようには目立ちはしなかったかもしれませんが、明確な差別行為であったと今は認識しています。
トランスジェンダーへの差別や排除はあってはならないし、その差別に抵抗する責と力はマジョリティ、つまりシスジェンダーである私も持っている。また私の安心や安全は誰かを差別したり排除したりして得られるものではなく、誰かを差別する世界は私も差別される世界である。というごくシンプルな話を飲み込むのに、おそろしく時間がかかり、また回り道をしてしまいました。いただいたリプを読み、その方々のホームやリツイートなどを辿って、遅ればせながらトランスジェンダーへのヘイトスピーチの酷さ、多さ、それを受けて辛い思いをしている方々の現状を再確認しました。同じ社会に生きている人間として、フェミニストを公に名乗っている者として、それを無視してきた自分を恥じました。
以下、ここに至るまで自分で自分を整理し納得させるために書いた文章なので、コラムか?みたいな妙な語りかけ口調になるのをお許しください(そのほうが書くのが楽だったんす)。改めて、過激なフレーズなどは使っていないとは思いますが、途中でやだなと思ったらもちろん読まなくて大丈夫です。あとギャグとかほぼ入れていないので、面白くはないです。
この件で一番話題にのぼっているのがトイレの話なのでトイレの話をしますが、まず私はすっぴんでテキトーな格好をしてても、すれ違った人のだいたいが「おばはん(女)だな」と感じるであろう顔と背格好をしている。と思います。その全身是おばはんの私が仮に女子トイレの個室に入って盗撮カメラを仕掛け、後日回収に入ったとしたら、誰も絶対そこで犯罪行為が行われたとは気付かないと思います。110%くらい気づかれない自信があります。そんなもんに自信を持つなという話ですけど、仮に自分がやろうと思ったら、他にもいろんな犯罪が容易にやれることがシミュレートできてしまいました。
シスヘテロの同性間でも、性暴力は起こります。男性の被害者もいます。トランスジェンダーにもサバイバーはいます。どの属性、年齢、見た目やファッションのジャンルの人にも犯罪者やわるいやつは当たり前にいます。なので、ある特定の外見上・肉体上の傾向や特徴を持つ人(そもそもここを決めるのだって無理筋だし非現実的)だけ警戒したり排除しよう、と言うのは意味がないし、それはやっぱり差別だと思いました。性犯罪者と私の見分けというのも、他人から見たらつかないはずです。世界中の誰だってそうです。なのにそれをトランス女性に対してだけ言うのは、やっぱり差別です。
誰も『マイノリティ・リポート』みたいな事前に犯罪を予知する超能力は持ってないし、外見や身体で犯罪者かどうかを分けるのは意味がない。警戒するなら誰でも全員等しく警戒したほうがいい。それを突き詰めると、間口は広くして、その上でどんなジャンルのわるいやつが入ってきても犯罪行為をやれない/やりにくい設備を作る、ハード面を整備するのが、結果的にいろんな人の安全の一番の近道になるのではと思いました。
トイレでの性犯罪はほんとしょっちゅう起こるし、当然憎むべきもの、絶対撲滅するべきものです。犯罪者が憎い。犯罪を起こしやすい環境が憎い。犯罪が起きたらちゃんと対応しない施設とか行政とか警察とか司法も憎い。被害者叩きをするやつらが憎い。これらにはどんだけ怒っても怒り足りないし、抗議の声を、犯罪者以外の全員があげるべきだと思ってます。犯罪許さねえ!の声があまりに少ないから、それどころか茶化したり無視したりへらへら犯罪者に同調するパターンがあまりに多いから、もっと日常生活が不安になる。それに関してはほんと毎日悔しいしド怒っています。
でもそれと「誰が犯罪者なのか、犯罪を起こす可能性が高いのか」をネット上で喧々諤々するのは、違うと思ったんです。それは差別まっしぐらな行為であると同時に、繰り返しになりますが犯罪者を見分けられる能力は、何をどうしようが人間に搭載されない。私に今まで暴力を奮った人やハラスメントをした人、また逆に親切にしてくれた人や助けてくれた人たちの外見の共通点は何もありません。どんな外見・ジェンダーの人でも犯罪者や嫌なやつの可能性があるし、どんな人でも善人の可能性があるし、同じ人が日によってがらっと外見が違ったりもします。見た目じゃわかんないですし、どんなに頑張ってもジャンル分けしたり見分けたりすることはできないです。
あとはっとしたのが、今までもトランス女性は女性として普通に女子トイレを使ってきている、という旨のどなたかの書き込みです。私は特に人間が佃煮にしても余るほどいる東京都内に住んでいるし、お年頃(中年)だから外出先ではしょっちゅうトイレに行くので、絶対どこかのトイレでトランス女性とすれ違っているはずです。そりゃそーだ。でも意識したことなんてぜんぜんなかった(そも出先でトイレに行くときはだいたい便意か尿漏れとの戦いの最中ですし)。それなりに警戒心がある私が十年以上の東京暮らしでちっとも意識しなかったくらい、それはすでに日常的なことだったんです。そんなことすら考えないでこの問題に口を突っ込んでしまったんだな、と改めて恥ずかしくなりました。
つまり、現時点ですでに日常的に問題なく共有している場所に、急に見た目や、服を着ていたら見えない身体の別で関所を作ろうとするのは非現実的だし残酷だし、差別的だと考えました。だいたいその見た目の基準は誰がどうやって決めてチェックするんじゃいと考えると……しばらく考えてみましたが、やっぱり無理筋です。「外見のここをこうしたら女として認める」みたいな基準は、世の中にあってはいけないし。そんなもんがあったら下手すると私も脱落しそうです(頭がモヒカンなんすよね今……)。それを決めてしまうのは多くのシスジェンダー女性にとっても、つらい世界の入り口になってしまうと思います。シス女性が全員常に所謂「女っぽい」服装や見た目をしているわけでもないし、したいわけでもないし、先にも言ったとおり「どっからどう見ても女」な人が犯罪行為をしないとも限らない。ので、外見で判別するのは無理です。ここの基準はもちろん、キレイとかそうでないとかオシャレとかダサいとかきちんとしてるとかだらしないとか、そういう視点においてもそうです。
あとたとえば、ひとくちに「イケメン」と言っても十人居たらだいたい全員違う人挙げるじゃないすか。さらにそこで他人のチョイスに「えっ…それがイケメンとか信じられない。眼科行ったら?」とか言ったら終わらない大戦争になるじゃないすか。見た目の主観ってそれくらい人それぞれだし、定義とか作れない。作るべきじゃない。そういうものを不特定多数の人が利用する公共のトイレの運用の柱にするのは、理屈で考えても無理があるなと思いました。
身体の手術の事も、私は無知でほとんどのトランスの方は手術を希望しているんだろうなと思いこんでいたんですが、そうではないのを知りました。希望していても様々な条件で手術ができない人がいることも読みました。手術の内容もいくつか読んで、どのパターンでも術後のケアも含めてめちゃくちゃ大変なんだな……と知りました。経済的にも肉体的にも精神的にも事務手続き的にも大変なことを、赤の他人がやれとかやるなとか言うことは酷いことです。自分が仮に言われたとしたら凄く辛い。心身のことももちろん大量の事務手続きで絶対泣いてしまう。だからこれに類する言説にも反対しますし、自分ももちろん言いません。
なのでトイレに関してはトイレそのものの設備面を整える、誰もが安心して使えて、かつ誰が入っても犯罪をやりにくい構造のトイレを増やしていくために行動する、というのがよいと思いました。カメラ仕掛けにくいような構造にしたりとか、天井まで仕切り壁のある作りにするとか、そういうのを地元の自治体とか商業施設に要望出ししていくのが安全に繋がる近道だと思います。公園や駅のトイレも仕切壁に穴開いてたりひどいの多いし(私の地元の治安が悪いだけかもしれませんが)、そういう設備の不備に気付いたら、役所にがんがんメールしたろと思います。税金払ってんだし。
そういう設備が全国に整うのは時間がかかると思いますが、その間も、防犯に関しては明らかにおかしいと感じることがあったらその設備の人に即ホウレンソウして対処をお願いする、あとまず自分がその場から逃げて身の安全を確保する、という対策(つまり今まで自分がしてきた対策といっしょ)をしよう、という考えになりました。
と、以上のような考えに至って(これもすでに同じ感じのことを大分前からたくさんの人が言っていた話なんですが、私は読んでもちゃんと理解してなかったんです)、自分はだいぶ頭が整理された感じがしました。
また、ここが本稿のミソの部分なんですけど、サバイバーとしての自分のケアのために、オープンで拡散されやすいSNSという場でつらみの全てを言わなくてもいい、と思うようになりました。つらい、不安な感情を言葉にして、誰かに共感してもらいたいと思うことは自然なことです。でも自分が生きるために出した言葉でも、別の誰かを死にたいと思わせるほどひどく傷つけてしまうなら、それは、凄く駄目だなと思ったからです。
繰り返しになりますが私はジェンダー構造においてはマジョリティ側です。雑な言い方をすると、より強い方です。その強い方の自分が恐怖や不安をオープンな場で言うことで、その恐怖と本来何の関係もないトランスジェンダーの人を追い詰め苦しませてしまう可能性がある。それは絶対に駄目だし嫌です。私はフォロワーも多いですし、それが特に、まだ若年や未成年のトランスジェンダーに届いてしまっていたら……と今更気が付き、自分は何てことをしてしまったんだと思いました。子供を苦しめるのは、私がこの世で最も避けたいことの一つです。凄く後悔しています。
私が言えた義理ではまったく(ホントに)(マジで)ないと思いますが、今トランスジェンダーへの差別・分断・排除、そしてその煽動的な発言をしている方も、Twitterには未成年者や精神的に不安定な方もいることをどうか思い出してほしいです。大人が子供を守るという点においては、思想や属性や個人的な好き嫌いや自分の気持ちや都合の別は無いし、越えられると信じています。
一度出したものは削除しても完全には引っ込められないのがインターネットで、私はそれを承知してずっと利用しているつもりでした。自分はネット上級者、プロフェッショナルツイッタラー(なんだそれは)のつもりで慢心していましたが、自分のツイートの向こうにはあらゆる人がいるんだというのを、ちゃんと理解していませんでした。この点が本当に申し訳なく、一番謝りたいと思っているところです。
誰にも倒れたり死んだりしてほしくないので、そのためには自分の認識を改めないとと思いました。私はひどい事をやらかしましたが、差別や加害をしたくないという意思だけは本気で持ち続けていたいのです。なのでこれを最後に、SNSなどのオープンスペースで自分の恐怖や不安を語るのはやめにします。性犯罪と性差別には今まで通りブリバリ抗議してくよ! でもちょっとパーソナルな苦しさは、出し場所を考えます。
話して、または言語化して楽になるというのは確かにあります。それは凄く大事な事です。サバイバーからその行為を奪ったり、サバイバーが苦しむことも当然ぜったい望んでいません。でも出す場所は選べる。オープンSNS以外にも場は探せる。私は思い切って友達に頼んで、LINEとかで随時そういう話を聞いてもらえるようにしてもらいました(圧倒的感謝)。
あと比較的近所でカウンセリングをしているクリニックを検索して、スマホにブクマしときました。今後つらみがやばいなと感じたらトライしてみる予定です。お守りみたいなもので、いつでも相談出来ると思うと不思議とちょっと楽になります。金で解決でき、しかも向こうが守秘義務を持っている赤の他人の相談先というのも、後腐れがなくてGOODだなと思います。
また、これを読んでくれている方の中にも未成年の方、相談や打ち明け話ができる相手がいない、お金やクリニックが近くに無い、外出が辛いという方もいると思います。下記のリンクは日本の性暴力被害支援センターの紹介ページで、未成年者の相談や、被害から時間が経過している場合の相談も受け付けているセンターが載っています。メールや電話での無料相談がOKとのことなので、こういった施設の利用もぜひ検討してみてください。ネット、こういうところへのアクセスが簡単になったというのはほんと素晴らしいな……。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/topics/9/
この他にも色んな方法があると思います。私はこれは、つらさのゾーニングみたいなものかなと考えています。スケベ絵がよくないのではなくゾーニングされていないことがあかんのと同じように、恐怖や不安を持つことや話すことがよくないのではなく、それを無関係の、しかも社会的立場の弱い人や子供たちに(仮にそのつもりがない場合でも結果的に)ぶつけてしまうのがいけないんだと。自分がまだまだ生き延びたいし、同時に誰も死んでほしくないというのが、今の私の気持ちです。
ということで、差別と性犯罪のない、少なくとも「減っていってる」と感じられる社会で生きていきたいので、それを突き詰めてこんな感じの考えになりました。差別やめます。差別やめよう。差別をやめることは自分の権利を削ったり差し出すことではないし、また誰かを差別しても自分の安全や安心は確保できないんだとやっと納得できました。遅い。あと、お前差別してっぞと言われたら、その時はムカッ腹が立ってもいったん立ち止まろう。即レスしないで、止まって落ちつこうと思います今後も。差別をしない人間はこの世にいないので、しちゃったら(したと言われたら)まずとにかく止まってやめて、それから考えて、謝って、また考えて、繰り返さないように自分の中で対策を練る、という作業が必要なんだと思います。私には必要でした。これからも必要です。
また、謝罪は相手のためにすることで自分のためではないので、許されたいとは思っていません。許されなくて当然だと思います。(話はちょっと逸れますがこれ謝られる立場だと「謝罪は向こうの義務でこっちは受け入れたり許さなきゃいけない義務があるわけではない」と思うんですよね。どっちも正解だと思います。どっちにしても謝罪は必要で、許しは義務ではないです)誰にも許されなくても、これからもトランス差別に反対します。ヘソ曲げたりしません。ほんとよ。
とりあえず今のところは、以上な感じです。なっっっっが! 長いわ! まだ読んでくれてる人いらっしゃいますでしょうか。
また、最後になってしまいましたが、今回のことでDMやメール等をくれたり応援してくださった皆様、無礼にも個別の返信ができずじまいで本当に申し訳ありませんが、お気持ちほんとに嬉しかったです。気にかけてくださってありがとうございます。気にしてもらえる、それだけで心がとても休まりました。私はもう相当大丈夫なので、どうかご安心ください。皆さんも心穏やかに過ごせることをマジの本気で願っています。こんな長い文章をここまで読んでくださって、ありがとうございます。
王谷晶
追記:レスとかなるべくしたほうがいいとは思うんですが、いま仕事と家族の体調の問題でパンパンで心身共にいろいろキャパ超えしてるので、ツイッターはちょっとしばらくRTと仕事案内メインのスロー運用モードにしたいと思います。通知はちゃんと読みます。スンマセン…