何故トランスフォーブとの対話は不可能なのか?

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最初に答えを書いてしまうと、彼らが議論の前提を認めないからです。

 

※トランス差別的な内容が多分に含まれます。閲覧にはご注意ください。

トランスジェンダー問題とかよくわからん! という方はとりあえず↓こちらのまとめをご覧下さい。このエントリーではトランスに関する知識について詳しくは解説しません。

togetter.com

これは「イデオロギー闘争」ではない

一ヶ月ほど、Twitter上でのトランスフォーブ(トランスジェンダー差別主義者*1)と論争を繰り返していたのですが、彼ら彼女らは自分たちの主張を「政治運動」や「イデオロギー闘争」の一種と考えており、自らが正義側だと信じていました。典型的な例として、以下のようなツイートが挙げられます。

彼ら彼女らの論理では、日本は現在欧米発の思想「トランスジェンダリズム」とその推進者である「TRA(trans rights activist)」*2の思想汚染を受けており、それは男女の差異を無化し、結果的に女性スペースへの侵入など、女性差別に加担するものであるため、反対しなくてはならない、と主張します。

 

しかしながら、このような発言は幾重にも事実に反しています。

 

まず、トランスジェンダリズム」なる思想は存在しません。誰もそんな「主義、思想、イデオロギー」を持っていません。

イデオロギーを成立させるためには、某かの哲学やテーゼが必要です。例えば「フェミニズム」は「女性の地位向上、権利拡張」をテーゼとしており、広く女性からの支持を得ているため、イデオロギーとしての要件を満たしています。

ここで、「トランスジェンダーの地位向上、権利拡張」をテーゼとしているのだから「トランスジェンダリズム」も成立するではないか、と批判が来るかも知れません。しかし、それは事実に反します。「トランスジェンダーの地位向上、権利拡張」は「トランスジェンダリズム」の結果にすぎず、目的ではないからです。

 

例えば、フェミニズムが運動の成果として、女性参政権を獲得したとしましょう。次に彼女らは、「男性と同様の議員数」等を求め、更なる「女性の地位向上、権利拡張」を進めるでしょう。これは「フェミニズム」のテーゼ上、当然の成り行きです。何も間違ってはいません。

対して、「トランスジェンダリズム」や「TRA」が求めているのは、現状通り「外見が男性/女性であるなら、逮捕されずに「性自認」の性のトイレを利用する権利(これは法律上も認められています)」だとか、「外見が男性/女性であるなら、外見と「性自認」に沿った脱衣所*3を利用する権利」、「外見が男性/女性であるなら、性暴力に遭った場合に外見と「性自認」に沿った性暴力センターを利用する権利」等々、どれも「トランスジェンダーでなければ何の問題もなく、当然認められているはずの権利」です。そして、トランスジェンダー個人の多くが既にこれらの権利を(自身の外見や社会的性別移行度合いと相談して)行使しつつ、参政権などを得ている以上、それ以上の「権利拡張」は行いようがありません。他のLGBTQ当事者と同じく、就職や結婚で性的少数派であることを理由に差別されないよう求めるくらいでしょう。それはリベラリズムであって、「LGBTQイズム」と括られるようなものではない、広い意味での人権運動です。*4

 

勿論、当事者支援の立場からは、現在多くが自費診療で行われているジェンダークリニックの診断や性ホルモン療法、性別適合手術の保険適用や、性別変更時の「子供無し」要件の撤廃、よりスムーズで正確な医療プロセスの充実等を求めていくことは、非常に重要な政治的課題です。ですが、これらの権利が「トランスジェンダリズムの問題」とされることは殆どありません*5。これらの方針に賛同しない「TRA」はほぼ居ないにも関わらずです。「トランスジェンダリズム」の反対者にとっては自分と関係が無く、無関心だからでしょう。

 

繰り返しますが、これらの「権利」はトランスジェンダリズム」によって勝ち取られたものではなく、当事者達が既に行使している権利に過ぎません。これらに反対することは、即ち「トランスジェンダーの権利剥奪」を意味します。先日テキサス州で可決されたHB25法案は、トランスジェンダーと診断された男女の学校でのスポーツ参加を事実上禁止するものですが(どうしても参加したい場合は、「生まれたときの性別」で参加する事が求められています)、これは「反対派が勝利した結果」の典型的な例でしょう。

 

何と何が対立しているのか?

↑を考察する前に、トランスフォーブ達の本音を見たいと思います。彼ら彼女らは、理屈を駆使して自分の本音を覆い隠そうとする傾向が「何故か」とても強いのですが、下記ブログの人物は「保守右派」を自認しており、その論理は非常に簡潔で単純明快です。

実際の統計を出すならば、性犯罪の90%以上が男性によるものでその被害者は女性か女児または男児である。繰り返すが女性が女性を加害する率は限りなくゼロに近いのだ。これについては拙ブログでも何度も取り上げて来た。

性犯罪者=男性という構図は偏見でもなんでもない統計上の事実なのである。

誰も男性を女子施設から排除したからといって性犯罪を根絶できるとは言っていない。しかし性犯罪を防ぐための最低限の方法として男性と女性の施設を分けることが得策であると我々常識人はずっと主張してきたし、これまで往々にそれは成功してきた。

著者が完全に無視している点は、現法では男性が女子施設に立ち入る行為そのものが犯罪だということだ。その犯罪行為を犯罪ではないとしてしまえば、その後に起きるもっと深刻な犯罪を防ぐことができなくなる。

ロサンゼルスの女湯に侵入した露出狂男*6はこれまでにも公衆わいせつ罪で何度もつかまっていた常習犯だった。だが、女性を自認するだけで女子施設への立ち入りが許されれば、こういうわいせつ行為をする性犯罪者も犯罪者として扱われなくなるのだ。「犯罪を犯したものが犯罪者」だと言うが、既存の犯罪を犯罪ではないとしてしまえば犯罪者も犯罪者ではないということになるのだ。

トランス女性は女性ではない、彼らはただの女装男性だ。そんな男が自分らは女性だと主張し、それを認めろと女性に要求する行為そのものが男尊女卑以外のなにものでもない。

もしトランス女性が自分らが本当に女性だと思っているなら、男性が女子専用施設に入りやすくなる法律を歓迎するはずがない。

biglizards.net

要するに、彼ら彼女らが求めているのは「風紀を撹乱する性犯罪者の取り締まり」に近いものであり、女性への性犯罪対策であるから、当然に議論の余地無く「正義」であると確信していることがわかります。念のため書いておきますが、筆者も性犯罪対策は議論の余地無く正義だと思っています。

 

当たり前ですが、このような論理は二重三重に事実に反しており、完全に誤っています。

 

第一に、性犯罪者の90%以上が男性なのは事実ですが、このような議論は「全男性の何%が性犯罪者であるか」を(意図してかしないでか)無視しています。こちらの記事によれば、2019年に検挙された男性性犯罪者は約6000名であり、これは日本の総成人男性人口(約5000万人)の0.012%に当たります。仮に暗数が膨大で、実数がこの10倍あったとしても、0.12%です。これは貴方が男性で、1000回ランダムなトイレに入ったら、一度顔を合わせるか合わせないか程度の確率ということです。

「実感と合わない」「何故痴漢などの被害が止まないのか」という声もあるかも知れません。こちらの記事に寄れば、性犯罪は再犯の確率が高く、一人の性犯罪者が2名以上の犠牲者を出すことも少なくないということです。単純な話、一年あたり6000人の性犯罪者が一人平均2回犯罪を犯せば、1.2万人の女性を毒牙に掛けることが出来るということです。対策として必要なのは、徹底した検挙と厳罰・精神医療による再発防止、そして何よりも、性犯罪者が犯罪を犯しにくい社会環境を整備することでしょう。勿論、トランスを排除しても解決出来ません。

 

第二に、トイレなどの施設をトランスジェンダー男女が利用出来るように開放したところで、犯罪が増加したエビデンスはないと言うことです。

こちらの記事では、アメリカのファクトチェック機関MediaMattersによる、「トランスジェンダーのトイレ利用を許可すると(シスジェンダー男性のものも含む)性犯罪が増加し、治安が悪化する」という「神話」が偽りであり、実際に法施行したアメリカではそのような事態になっていないことが明らかとなっています。

また、「トランスジェンダリズム反対派」は世界中に存在しますが、彼ら彼女らから「恐ろしく高いトランスジェンダー女性の性犯罪率!」などのデータが示されたことは過去一度もありません。最初のツイート主が言うように、実際に多数の性犯罪が起きているならば、その増加がデータとして表れるはずですが、そういった報道は一度も無く、代わりにTwitterでの真偽不明な痴漢発生事例などが何度も何度もピックアップされ、限られたクラスターの中でのみ繰り返し流通しています。

ちなみに先程のブログを書かれた人にこのデータを示したところ、「プロパガンダ」と一蹴されてしまいました。都合の悪いデータはとにかく見ない姿勢が窺えます。

勿論、全生物学的男性の0.3%程度と言われるトランスジェンダー女性のうちに、0.012%の確率*7で性犯罪加害者が潜んでいることは否定出来ません。しかし、そんな超レアケースの心配をするなら、素直にシスジェンダー男性の防犯対策に力を入れた方が良いのではないでしょうか? フェミニストの岡田育氏は、他国のオールジェンダートイレを紹介し、これらの設置が防犯対策にもなっていると述べられています。

 

第三に、トランスジェンダー生物学的にも脳の一部は「性自認通りの性別」であると言われています。

脳科学研究によれば、不安やストレスなどに関係する脳の分界条床核という部位は、男女で有意な大きさの差があり、トランスジェンダー男女ではそれが逆転している場合が確認されています。また、マウスの実験により、生殖器の形成後に脳が性ホルモンに晒された際、性ホルモン受容を阻害したりすると、マウスの行動が雌雄逆転することが判明しています。*8

勿論、「トランス現象」それ自体を全て科学的・器質的原因に帰そうとするのは、大変に危うい議論であり、当人の自己決定権やジェンダー・生育環境の問題が無視出来ないのは言うまでもないことです。しかし、「トランスジェンダー」の言葉の響きから、社会的・構築主義的な「ジェンダー」の問題のみが「トランスジェンダー」を構成するはずだというのは思い込みであり、科学的にも誤りです。

彼ら彼女らは、単なる「男装者/女装者」ではなく、歴史的にも極少数ながら常に存在し、いつも我々の隣人でした。悪魔でもなければ、空想上のキャラクターでもなく、変態性欲者でもないし、殆どは犯罪者でもありません。しかし、あまりに過酷な差別のために、自らを偽って生きなければいけなかっただけなのです。

 

即ち、「TRA対トランスフォーブ」とは、こうした科学的エビデンスを元に現実に基づいて人道的支援と差別の撤廃を求める人々と、誤ったアイディアに固執し、現実や科学を認めず、差別を続ける人々の争いです。

例えるなら、ワクチン推奨派対反ワクチン派のようなものでしょうか。コロナワクチンに複数の有害事象や重篤な副作用があるのは事実ですが、それをもって「ワクチンは打たない方が良い」などと述べるのは、科学的に誤っているだけではなく、他者が正しい情報にアクセスする権利を侵害し、命を奪いかねない極めて危険な行為であり、絶対に反対しなければいけません。

トランスの権利を「争点」と呼び、あたかも有効な議論があるかのような言い方をするのはやめてもらえませんか。ジェンダー・クリティカルやTERFは、道徳的、科学的、論理的に何の根拠もない単なるトランスフォビアです。

- ジェイミー・レインズ*9

 

何故対話が不可能なのか

繰り返しになりますが、上記したような前提を「トランスフォーブ」が決して認めないからです。

当然ですが、特にトランス男女の手術要件の撤廃には当事者の間ですら賛否両論があり、拙速な議論は避けねばなりません。当事者団体の一つである「日本性同一性障害・性別違和と共に生きる人々の会」は、政治保守的な観点から性別変更における手術要件の撤廃に明確な反対意見を表明しています。当事者団体や一般市民にも反対の感情が強いようであれば、世界的な潮流に逆行する形であれ、例えば全面保険適用や専用の任意保険を作る、手術が難しい場合は内服的措置による男性/女性機能喪失のみで可とする等、身体・経済的な負担軽減を行う事で「セルフID制」の代替とする、といった方法も考えられるでしょう。「トランスジェンダー問題」について、本来行わなければいけないのは、こうした当事者の立場に立った医学的・経済的な議論であるはずです。トイレに関しては、以下のように「女性の権利を侵害しない」アイディアもあるでしょう。

しかしトランスフォーブ達は、自分たちのやっていることを「正義の政治運動」だと誤認しているので、こうした「マトモな議論」が行えず、当事者をよってたかって攻撃したり、トランスの「性自認」を否定することを目的に、執拗に「トランスジェンダーの定義付け」を迫るなどの行為を繰り返し行っています。勿論、日常的な差別発言やトランス蔑視とセットです。

 

こうした彼ら彼女らの姿勢から窺えるのは、トランス当事者への蔑視感情は無論のこと、その背後に横たわる男性全般への激しい憎悪、憎しみに基づいた政治を「正義」と呼んで憚らない傲慢さ、そして社会への破壊衝動です。

 

過去、WANにトランスジェンダー差別エッセイを載せた事で有名になったフェミニスト政治活動家の石上卯乃は現在、市民団体「No!セルフID 女性の人権と安全を求める会」を率いています。インタビューに答える形で、自分の「目的」をこう述べています。

組織の目的は3つあります。トランスジェンダーが「セルフID」を広めるのを阻止すること、女性の性に基づく権利を守ること、そして権威に挑戦した人が不当に攻撃されないように、言論の自由がある社会を求めることです。

私たちは、次の国会に注目しています。また、「セルフID」の考え方が法的な分野以外にも広がっていることを非常に懸念しています。私たちの闘いは長いものになるでしょう。私たちは、国内外の他の団体やグループと協力して、「セルフID」システムを阻止していきます。私たちの声を政党やメディア、公的機関に届けることが急務です。

「女性の人権と安全を求める」んじゃなかったんですか? という感じですが、とにかく何が何でも法的性別変更の緩和を防ぎたいこと、「性自認」の概念そのものを否定したいこと、ネット上での「トランスフォーブ」を「権威への挑戦」「言論の自由」として守っていきたいことが伝わってきます。

とにかく分かるのは、このようにトランスジェンダーの存在そのものを否定している人々に対しては、「差別をやめろ」と声を上げていく以外、他に対処のしようが無いということです。個人の生命は最後の防衛ラインですから、これは当然のことです。

 

トランス差別が吹き荒れるイギリスでは、欧州最大のLGBTQ団体Stonewallへの批判として、英BBCが「LGBTQ活動家の影響を受けすぎている」などと自己批判するレポートが掲載されました。万一Stonewallが支持を失って空中分解すると、ヨーロッパでのトランスジェンダーの権利が脅かされることは勿論のこと、他の性的少数派の権利もまた侵害されることに繋がりかねません。事実、イギリスで「憎悪団体」と噂される「LGB「のみ」の権利を守る会」LGB Allianceのサポーター達は、「次はバイセクシャルを運動から分離する」とコメントしているようです。

はっきり言いますが、これらの運動は極右的であり、シスジェンダーの性別二元主義を固定化することによって、結局現在の家父長制システムから恩恵を受けている一部の強者男女*10を保護するものです。トランス排除にかまけて碌な防犯対策もしないのですから、犯罪は減らず、女性差別は解消されず、LGBTQの支援を失ったリベラル派は退潮することでしょう。全ての性差別の根源である家父長制と、それを支援する保守派男性の罪を、性的マイノリティであるトランスジェンダーに転嫁するのは詐術であり、許されざる不正義です。

石上のようなトランスフォーブは、誰にも否定出来ない「女性差別反対」のテーゼを盾に、自らの保守的な性的道徳観をあらゆる女性達に押しつけようとしているだけです。シス女性はトランス女性と連帯し、男性に対して現状のシステム改革を迫るべきなのです。「女性のトイレを潰すな」ではなく、「男性のトイレを潰して私たちに寄越せ」くらい言えないものでしょうか。

 

私は、こんな運動の一部が「フェミニズム」の美名の下に進められていることに、強い憤りを覚えます。

 

「女性スペースを守る会」は石上の団体とは別団体で、滝本太郎が弁護士を務めています。

 

ウィリアムズ:ジェフリーズ*11道徳観では、トランス女性を「彼女」と呼ぶことは不名誉なこととされています。ジェフリーズ曰く、

『生物学的な意味を持つ代名詞にこだわる理由は、フェミニストとして、女性の代名詞は「尊敬の念を表す言葉」だと考えているからです。尊敬は、従属を生き抜いてきた性的カーストのメンバーとしての女性に与えられるものであり、名誉を持って呼ばれるに値するものです』

トランス・ピープルの存在について、貴方は道徳的な立場をとっていますか?

マッキノン:私は道徳的な立場を取りません。私は政治的・法律的な理論家であって、道徳的な理論家ではありませんし、道徳的な理論化は基本的に独りよがりの大げさなものだと考えています。上記のような発言は、この考えを強化するものです。セクシャル・ポリティクスの政治的分析の観点からは、自然の中に道徳を基づかせることは、フェミニズムが達成してきたすべてのことに反していることを指摘しておきます。

www.transadvocate.com

 

参考:

英国のレズビアン議員マリ・ブラック氏の解説。右翼がフェミニスト等を利用してトランスフォビアを広めていると主張されています。


www.youtube.com

goatskin.hatenablog.com

www.vox.com

トランスジェンダーによくある10の誤解のまとめ。(英語)

style.nikkei.com

news.mynavi.jp

sciencebasedmedicine.org

トランスジェンダーへのホルモン治療等のヘルスケア批判への医学者からの反論。(英語)

www.politifact.com

「バスルーム神話」についてPolitiFactによるファクトチェック。

www.stonewall.org.uk

トランスジェンダー女性の性暴力センター利用によって問題が生じたケースはないとの調査記事。(英語)

 

*1:彼ら彼女らを所謂TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)と呼ぶ向きもあり、上記したまとめではそう記載しているが、実際問題としてTwitter上には男性も多数おり、フェミニズムに反対する右派なども混じっているため、単に「トランスジェンダー差別主義者」と呼ぶのが適切であると考えた

*2:これ自体反対派のつけた蔑称であり、筆者も含めてそう自称する人間はいない

*3:性器を見られる可能性がある場合は個々人の事情に合わせて考える必要はある

*4:最近、スーパーマンバイセクシャル設定となったことが一部で話題となったが、所謂ポリティカルコレクトネスも「少数派の平等」を求めるリベラリズムイデオロギーであって、「トランスジェンダリズム」とは無関係である

*5:まとめにあるように、海外では特に子供向けのトランス医療について一部に論争がある

*6:筆者注:Wi Spa事件のことだと思われる

*7:単純に掛け算すると0.0036%

*8:この辺りの議論は英語版Wikipediaに良く纏まっているのだが、トランスフォーブに提示したところ、「疑似科学」「Wikipediaソース」「全員に検査でもする気か!」と散々な言われようであった

*9:サムネ画像の人物。人気YouTuberでトランス当事者。トランスジェンダー研究により心理学の博士号を取得している

*10:男性批判を飯の種にしている一部の自称「フェミニスト」を含む

*11:シーラ・ジェフリーズ。イギリスのラディカルフェミニストであり、石上も所属するトランスヘイト団体「Women’s Human Rights Campaign」の運営者

推しを感染させないためにどうしたら良いか――本間ひまわりさんのケースから

先日、新型コロナウイルス感染を発表していたVtuberグループにじさんじ所属のバーチャルYouTuber、本間ひまわりさんが久しぶりの復帰配信で、当時の体験を詳細に語りました。

 

 

1.本間さんの体験談から見る、コロナウイルス感染症

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【にじさんじ 切り抜き】本間ひまわりのコロナになって辛かった事」のワンシーン。

感染発覚直後、本間さんは「過去一週間で出会った人を思い返して(誰にも接触していないので)大丈夫だと思った」と語っていますが、自分よりもまず他人を案ずる優しさも然る事ながら、これはコロナ感染時の対応として極めて的確です。

コロナウイルスの厄介な特徴として、症状が発現しない、所謂潜伏期間と感染能力のズレがあります。

平均して、感染者は感染後、5日程度で発熱等の症状が出て、発症後5日ほどで悪化のピークを迎え、その後更に5~7日程度で回復します(重症化した場合はさらに長く症状が続きます)。しかし、コロナが最大の感染力を発揮するのは発症の直後であり、その後は急速に感染力を失っていきます。この時間差のため、無症状である潜伏期間が長ければ長いほど、気付かないうちに他人に移してしまっている可能性は大きくなります。本間さんのように、若年者であれば平均以上に症状が顕在化しにくい場合もあります。それ故、発症一週間前までの接触履歴は大変重要になります。

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英国の医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルによる感染力(viral genome)と症状(illness)悪化のグラフ。感染力が潜伏期間を経て発症直後ピークに達し、以降は症状の悪化度合いに関わらず減衰していくことがわかる。

また本間さんは、発症2日後(?)にどうしても休みたくない収録が有り、自宅で録ったと語られていますが、上のグラフの通り、発症2日前後ではまだ症状悪化のピークではなかった(体力があった)と推測されます。しかしながら、その後の悪化はほぼ確定的であるため、体力維持のためにもピークまでは絶対安静にすべきだったと言えるでしょう。勿論、そのプロ意識は立派であり、彼女を責める意図はありません。

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パルスオキシメータについて ~酸素飽和度ってなに?~ | 医師ブログ」より

症状のピーク時には、パルスオキシメーターの酸素飽和度が95以下まで下がったと言われていますが、上のグラフの通り、95は高齢者の平均値で、93以下になると一気に危険な状態となります。救急隊員の「息を深く吸って95以上を保ってください」という指導は、医療崩壊下の自宅療養としてはやむを得ないものですが、普通であれば即時入院相当であり、いかに当時の東京が異常な状態であったかわかります。

本間さんは、コロナウイルス感染症の代表的な後遺症の一つである味覚障害に悩まされていると語っています。これは耳鼻口腔内部で増殖したウイルスが神経細胞を破壊したためであると推定されており、20~30代感染者の7割に症状が見られ、改善に1~2年かかるケースもあるとの報道もあります。仮に軽症で済んだとしても、種々の後遺症に苦しむ可能性は否定出来ないのです。

何れにせよ、自分がコロナに感染しないため、そして大切な推しを守るためにも、感染症対策は絶対に行わなくてはいけません。でも、具体的にどうすればいいのでしょうか。

 

2.ワクチンの接種とそのリスク

現在猛スピードで接種が進むコロナウイルスワクチンについては、所謂反ワクチン派による悪質なデマが大量に拡散されており、SNSは勿論、ウェブサイトや書籍ですら専門家の解説にスムーズにアクセスするのが難しい状況にあります。金儲けの為に人命を奪いかねないデマを流す人物の下劣さには文字通り付ける薬がありませんが、特に「コロナに感染しても重症化しにくい」にもかかわらず「ワクチンの副作用が強く出やすい」、相対的に「ワクチン接種のメリットが薄い」若年者は、専門家による正しい情報へアクセスすることが大事です。

なお、20代以下の若年者であっても、副作用などワクチンによるデメリットが、ワクチン接種のメリットを上回ってしまうケースはほとんどありません。ワクチンによる一時的な発熱や倦怠感は、コロナウイルスに感染した場合、より重篤な症状が出ていたであろうことを示すものであり、キツめの副作用が出た場合でも「感染しなくてラッキー」と前向きに考えるべきでしょう。

ワクチンの効能及び副作用の解説については、専門家が作成する解説サイト「こびナビ」の解説が、日本語では最も正確で詳細です*1。運営組織(政府関係者?)の不透明さについて一部で批判もありますが、記述自体に誤りはなく、特にワクチンQ&Aは(やや小難しい部分はあるものの)よくある疑問点を詳細に回答しており、有用と言えるでしょう。

自分がワクチンを打てる状況になったら、「ワクチンQ&A」で詳細を調べ、それでも不安や疑問点があれば動画コーナーで知りたい内容の動画を探してみると良いと思います。

ワクチンを打った後は、数日間出来るだけ安静にし、激しい運動などは控えるようにしましょう。若年者が一番怖いワクチンの副作用は、10万人に4人程度の確立で発生する心筋炎で、これは運動により急激に悪化する可能性があります。部活のトレーニングなども休んだ方が賢明です。

 

3.最強の盾、不織布マスク

しかし、特ににじさんじファンの方は「まだ10代だし、ワクチンをいつ打てるか分からない」「来年まで打てないかも知れない」という状況の人も多いでしょう。加えて、所謂コロナウイルスデルタ変異体の驚異的な感染力により、ワクチンだけでは感染症の終息は難しいと報道されています。では、今まで通りに出来るだけの外出自粛を続けるしかないのでしょうか?

コロナウイルス感染の有効な防御策は、とにかくウイルスを体内に入れないことです。その為には、外出時は常に不織布マスクを着用し、特に人混みなどでは絶対に外さないことがとても大切です。もちろん、外食もダメです。

WHOがデルタが所謂エアロゾル感染によって異常な感染力を獲得していると認めたにも関わらず、頑なにその事実を認めないばかりか、正しいマスクの選び方についても国民へ啓蒙しないのは政府の怠慢であり、「ワクチン一本槍」と揶揄されるのは当然と言えます。エアロゾルはウレタンマスクや布マスクを容易に貫通しますので、これらのマスクを着用することはほとんど無意味です。特に若年者には、お洒落の観点からウレタンマスクを愛用している人が未だに多く見られますが、唾などによる飛沫感染がメインだった初期のウイルスならともかく、デルタに対しては不織布以外に感染を防止する効果はないとハッキリ言うべきでしょう。

当たり前ですが、布すら貫通する微粒子ですので、フェイスガードやパーテーションも全く意味がありません。常時不織布マスクを付け、鼻や顎からの空気漏れがないように気を付けながら、外す際などはよく手を洗い、口内へのウイルスの付着を防ぐことが大事です。マスクは直接ゴミ袋などに捨て、二度と触らないようにしましょう。

一部のYouTuberが「マスク無意味説」等を唱えていますが、以下のグラフにある通り、少なくとも不織布マスクは相当程度感染を防止出来るエビデンスがあります。無意味なのは布とウレタンだけです。不勉強な大人の言うことではなく、専門家の意見に耳を傾けましょう。

実験で新事実「ウレタンマスク」の本当のヤバさ」より、感染症専門家・西村博士の実験データ。微粒子に対してはウレタンマスクが感染予防に全く無意味であるとわかる

 

しかし、そうはいっても「常に白いマスクはイヤ」「折角買ったウレタンマスクが勿体ない」という声もあるでしょう。そういう人にお勧めしたいのが二重マスク(ダブルマスク)です。

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アメリカ疾病予防管理センターマスクガイド」より。不織布マスクの上にマスクフィッターや布マスクの着用を推奨している

不織布マスクは感染予防に適切ですが、どうしても「空気漏れ」が発生しやすく、漏れた隙間からエアロゾルを吸い込んだ場合、マスクを付けていても感染してしまう恐れがあります。マスクをより強く顔に密着させるためには、不織布マスクの上から布マスクやウレタンマスクを付けることが効果的であり、ルックスも改善されます。当然ですが、「ウレタンマスクの上に不織布マスクを付ける」または「二重に不織布マスクをつける」などの行為は無意味なのでやめましょう。息苦しいだけです。

女性など、口紅や化粧がマスクについてしまうことを気にする場合は、立体型の不織布マスクを着用することをオススメします。9月8日に、シャープが新製品「シャープクリスタルマスク」を発売しています。お値段は少々高いですが、国産品であり、防御性能も問題ないと思われます。普通の不織布マスクと違い密着しないため、息苦しさも改善されます。

 

4.日常を取り戻すために

現在、コロナウイルス感染症のためにエンタメ業界は深刻なダメージを受けており、現状が続けば、以前に行われていたような大規模ライブは開催が難しくなっていくでしょう。

一刻も早く日常を取り戻すためにも、ウイルスへの感染と拡散を食い止め、簡易で適切な治療法の確立まで時間を稼ぐほかありません。エアロゾル感染についての研究はまだ発展途上にありますが、米国や英国はいち早く大規模音楽フェスの実験的開催に踏み切るなど、コロナ対策への知見を日々積み重ねています。

ワクチン接種とマスク着用の徹底によって、来年は皆で推しのライブを見に行けるようにしましょう。

 

参考文献コロナウイルス感染力シミュレーション、マスク着用方法等)

 

*1:念のため記載しておきますが、新型コロナウイルス感染症については未だ研究の途上にあり謎が多く、こびナビにある最新の研究が今後更に訂正・修正される可能性は大いにあります

【全編ネタバレ注意】幼子の見る夢と呪われた眼差し―映画「白爪草」について

著名なバーチャルYoutuber電脳少女シロ主演の映画「白爪草」を見に行った。

 


映画『白爪草』予告【2020年9月19日(土)公開】

 

「世界初のVtuber主演映画」などと謳われた本作は、一見すると単なるファン向けのアイドル映画にしか見えないのだが、9/19の公開後、口コミで反響を呼び、上映わずか二館で観客動員数の全国ランキングに入るなどの快挙を成し遂げている。


一体「白爪草」はどのような映画なのか。ネットを見ると「ワンシチュエーションサスペンス」「サイコスリラー」「ミステリーホラー」等の評判が断片的に見えてくるが、物語の内容に触れない限りは、このカルト的傑作に隠された仕掛けは何も見えてこないだろう。よって本レビューでは物語の核心に触れる内容をガシガシ述べていくので、未見の方はお読みになる前にぜひ映画館に足を運んでいただきたい(10/2で上映終了予定とのこと)。

 

21/1/30追記:チケットぴあでのオンライン上映が開始しています。下記のツイートを参照。

 

 

1.鏡写しの双子


レビューを行うために、物語のあらすじを簡単に追っていこうと思う。

 

物語の主人公は、電脳少女シロが演じる*1白椿蒼という女性。推定年齢19~21歳の彼女は、高校卒業後、花屋の店員として働きながら生計を立てつつ、桔梗なる女性医師からのカウンセリングを受けていた。桔梗の助言もあり、彼女はある理由により6年間服役していた一卵性双生児の姉、白椿紅と再会することを決意する。

 

蒼は紅と取り留めのない会話をしながら、まるで鏡写しのように同じ仕草で紅茶を飲み、菓子を摘まんでいくのだが、二人の間には大きな花飾りが鎮座しており、お互いの姿を視認することが出来ない。そんな状態の中、会話は紅が6年前に行った犯罪について触れていく。

 

紅は、6年前(作中の情報から推定すると、彼女が中学生の頃と思われる)に両親を毒殺した罪で少年刑務所に服役し、最近になって社会復帰したのだった。蒼は紅に、両親を殺害した動機について問い詰めるも、紅は記憶にないと回答する。蒼はその回答に怒り、紅に「私の重荷を降ろしてくれないの?」と詰め寄るが、唐突に意識を失いその場に倒れこむ。

 

意識を取り戻すと、蒼は紅の格好で縛られており、紅は蒼の格好になっていた。紅の目的は、蒼に成りすまして自身の犯罪歴を消し去り新たな人生を歩むことであり、その理由は、蒼が両親殺しの罪を自分に擦り付けたからだと語る。蒼は両親殺害の真犯人が自身であると認めつつ、自身を殺そうとする紅に、殺したところで死体の始末はどうするのか、どうやって警察から逃げ切ろうというのかと逆に問い詰める。「待っているのは結局地獄だよ」。蒼の説得に応じた紅は、ではどうすればいいのかと蒼に尋ねると、蒼は罪滅ぼしの為に自ら紅と入れ替わり、自身は適当な時間を過ごしてから紅として自殺すると宣言する。

 

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こうして目論見通り蒼との入れ替わりを果たした紅だが、実はそれはカウンセラーの桔梗と仕組んだ策略であり、蒼にカウンセリングを介して両親殺害の犯人が自分であると思い込ませ、罪を擦り付けた上で人生を丸ごと奪おうとしていたと明かす。計画の成功を確信した紅は、花弁が舞い落ちる夢想的な光景の中で高笑いをしながら踊る。両親を殺害した本当の動機は、蒼を不幸にしたかったから。紅は蒼によって奪われてきた自身の幸福がようやく取り戻せたと語る。

 

三か月後、蒼の遺品のブローチと日記が紅のもとに届く。日記を読むと、蒼が生前、紅と同じ罪を背負うために無差別連続殺人を犯していたことが書かれており、さらにその死体の一部は花に隠す形で処理したと述べられている。ハーバリウムに残された人間の「爪」で日記が真実と確信した紅は、鏡の中の自分を見て、恐怖のあまり絶叫する。

 

エンドクレジット後、花屋で作業をする紅のもとに何者かが来訪してくる。カメラは花冠の隙間から覗き込む紅の姿を映し、物語は終わる。

 


2.鏡像の二人、そしてファリック・ガールとしての蒼≒電脳少女シロ

 

フランスの精神分析家、ジャック・ラカンの理論に「鏡像段階論」というものがある。これは(哲学素人である筆者の観点で)非常にざっくり述べると、精神分析の見地から、人間の幼児が発育過程において、いかに自我を獲得するのかをラカン流に考察したものである。

http://www.ne.jp/asahi/village/good/lacan.htm
鏡像段階は一次的ナルシシズムの到来であり、しかもこれはまったく神話の意味でのナルシシズムである。というのは、鏡像段階は死、つまりこの時期に先行する期間における生の不全という限りでの死を指し示しているからだ。

幼児は、前鏡像期においては寸断されたものとして生きている。たとえば自分の身体と母の身体との間、あるいは自身と外界との間に、なんらの差異も設けない。ところが母に抱かれた幼児は、自分の像を認めることになる。実際、幼児が鏡の中の自分を観察し、鏡に映った周囲を見ようと振り向くのを見ることができる(これは最初期の知性である)。そこでこの幼児の身振りとはしゃぎぶりから、鏡の中にある自分の像に対しある種の認知がなされているのがわかる。そして彼は、自分の動きが鏡に映し出された自分の像や周囲ともつ関係を、遊びながら試し出す。

互いに向かい合った幼少の子供にみられる転嫁現象にはじつに驚かされるが、そこでは文字通り他者の像にだましとられている。ぶった子がぶたれたと言い、そちらの子の方が泣き出してしまう。ここに認められるのは、想像的審級つまり双数的関係、自身と他者の混同であって、人間存在の構造にかかわる両価性と攻撃性である。

 

http://kagurakanon.sakura.ne.jp/10200.html
ではこうしたイライラはなぜ起きるのか?よくよく胸に手を当てて考えてみると、案外と自身の隠れた理想が反転した形であることが実に多かったりもする。我々はまさに自身の理想を他者に奪われているからこそ、双数関係的にイライラするのである。

けれど、こうした感情はむしろ人として自然なことであろう。何をやっても上手くいかない時はある。人はそんなに強くはできていないし、世の中努力は必ずしも報われない。「あいつさえいなければ」と、誰かを恨みつらむことでしか心の平衡を保てない時期もあると思う。

もちろんこれは本質的な解決ではない。結局のところ、人は自らの理想と対決していかなければならない。

 


非常によく似た双子である紅と蒼は、互いに理想の自我を投影し合っており、想像的な次元において、互いを鏡に映った他者=自分自身であると捉えている節がある。紅の蒼に対する(端から見ると筋違いな)憎悪と、蒼の紅に対する(ナルシスティックで歪んだ)深い愛情は、年齢不相応に未熟な自我を保ち続けている二人が、互いを文字通り他者の像として騙し合っているからこそ発生した感情なのではないか。

 

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上記引用サイトに書かれているとおり、通常はこうした鏡像的関係を承認する位置に第三者としての他者=両親がおり、子は親との関係性≒社会性を徐々に形成していく段階において、幼児的万能感から脱し、「大人」として社会のルール(象徴界)に従って生きるようになっていく。

 

しかし、物語の開始前に両親は既に紅によって殺されており、前科者として社会から爪弾きにされてきた紅は勿論、蒼もまた一人前の大人になる前に社会に放り出されてしまったように見える。未熟な彼女たちは、少女としての理想*2を色濃く残した自我と酷薄な社会とのギャップに耐えられず、「生きているのか死んでいるのか」さえもよく分からなくなってしまっている。そして、狂言回しのカウンセラーが彼女らの心を外部から弄くったことにより、二人の狂気は大きく加速していくことになるのである。

 

想像的な理想を夢見ながらも、社会からの仕打ちを前に苦しみ、運命を変えるために足掻いているのが紅なら、自ら作り出した想像的世界*3に安住し、誰も傷つけたくないと願うばかりに正反対の攻撃的狂気に陥っていくのが蒼であるとも言えるだろう。そしてこの蒼の立ち位置は、普段バーチャルアイドルとして活動している主演女優・電脳少女シロの存在ともある意味でダブっている。

 

どこまでも「想像的な」世界であるバーチャル空間にいながら、彼女は声優やタレント・MC業もこなせる卓越した知性と演技力を備えたプロ中のプロである(と、一ファンの私は思っている)。バーチャルYoutuberとしてはキズナアイに次ぐ活動キャリアを誇り、誰よりもバーチャルの可能性と限界を知り尽くした彼女が、心から楽しそうにはしゃいでみせるのは、ゲームで敵を次々とブッ殺している最中である。
知らない人から見れば少々荒唐無稽にも見える蒼の連続殺人は、彼女が象徴界に「去勢」されなかった想像的ファルスを駆使するバーチャルアイドル*4である事実を持ってメタ的に補完されている。映画「リング」松嶋菜々子が最後に生き残る展開に説得力を持たせているのは、彼女の演技力では無くスター性であるのと同じように、バーチャルアイドルが「女優」として出演していることに、明確な意味を付与した脚本だからこそ許される力業と言うべきだろう。

 


3.「現実界」からの眼差しと恐怖、紅の「対象a

 


ラカンの有名な理論として、鏡像段階論の他に、先ほども少し述べた「現実界・象徴界・想像界」「対象a」と言ったものがある(順番が前後して申し訳ありませんが、詳しくはリンク先を参照してください)。「対象a」の方は、名作アニメ「ひぐらしのなく頃に」シリーズでもそのものズバリなタイトルのテーマソングがあるくらいなので、サブカル好きなら聞いたことがあるかもしれない(そういえばあの作品にも、物語上重要な立ち位置に双子の美人姉妹が登場する)。

 

「白爪草」の物語を俯瞰的に眺めたとき、紅にとっての「対象a」は蒼であるように見える。2.で述べた論理に従うなら、蒼は紅にとって最初の他者であるから、これはある意味で当然だ。しかし、対象aの恐ろしいところは、それが想像的な他者に止まらず、現実界象徴界の間を揺れ動く点にある。

 

ホラー映画としての本作の白眉は、なんと言っても紅が蒼の日記を黙読し、恐るべき真実を目の当たりにする一連のシーンだろう。紅は激しく狼狽しながら花屋の室内を彷徨い、鏡に映った己の姿を見て恐怖のあまり叫び声を上げてしまうのだ。

 

鏡の何が彼女を恐怖させたのか。恐るべき妹、蒼の姿が、鏡に映った自身にそっくりだったから。あるいは、自分自身が蒼になってしまったと改めて自覚したから。王道の解釈は差し詰めそんなところだろう。しかし、私は少し違う考えを持っている。

 

蒼と紅は、そっくりな双子という設定ではあるが、よくよく見ると少しずつ違う。髪型も違うし、声の感じも違うし、顔つきも微妙に異なっている。紅にとって、蒼が自分にそっくりなのは生まれたときから知っている事実である。鏡に「蒼」の姿が映ったくらいで、今更そんなに恐怖するだろうか。

 

しかし、姉妹ではっきりと同じ部分がひとつある。眼だ。

 

恐らく意図的だと思うが、眉や眼つきで区別は出来るものの、姉妹の眼は同じ3Dパーツが使われているように見える。それが蒼のものか紅のものか、髪型などの情報が無ければ判断できない。その特性はラストシーンにも最大限生かされている。

 

ラカン理論における「現実界」とは、お母さんが言う「Vtuberなんか見てないで現実を見なさい!」の「現実」のことではない*5。それはトラウマであり、語り得ないが確かに存在するものであり、触れることで人を狂気に陥れてしまう恐るべき何かである*6。紅はあの鏡から、現実界を示す対象a、つまり蒼の眼差しを見てしまったのではないか。自分自身の内側と外側にあった、空虚なる欲望の対象。対象aの代表的存在として、ラカンは「乳房、声、糞便、眼差し」の四つを挙げている*7

 

 http://www.suiseisha.net/blog/?page_id=12693
飛躍を恐れずにいうと、今日のまなざし論は、じつはみなさんがよくご存じの物語と同じ構図をもっています。賢治の『注文の多い料理店』です。キアスムというのは、自分がまなざしていると思っている主体が、じつは他者からまなざされていたのだと気づく契機を含んでいます。賢治の世界ですよね。賢治の物語では、自分が食べるつもりで「山猫亭」に入ってきた人間たちが、じつはいままさに食べられつつあることに気づいて恐怖する。

 

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蒼に眼差され、精神的にも社会的にも蒼に同一化してしまった紅は、蒼の残したものを背負いながら、何を見つめようとしているのだろうか。それは劇中の「真実」を越えた、バーチャルYoutuber達と同じく想像的な「現実」を生きる、我々観客に対する眼差しであったのかもしれない。

*1:バーチャルYoutuberなので、声はもちろん、3Dモデルも彼女自身のものを流用している。さながらVtuberによる演劇である

*2:お花屋さんになるのが夢とか、彼氏を作ろうとしないとか

*3:花が満ちあふれた映画のビジュアルは、少女の夢想を越えて最早悪夢的でさえある

*4:斉藤環風に古い言い方をするなら「戦闘美少女」

*5:このように日常的な意味での「現実」は、ラカン理論では人間の認識できる世界の一部=想像界に属する

*6:ラカンは、人は死ぬ時にだけ「現実界」に触れられるとも語っている

*7:恐ろしいことに、(貴方がファンなら知っているだろうが)これらは全て「電脳少女シロ」を象徴するキーワード達である

彼女らの魂に安らぎあれ

バーチャルYoutuberキズナアイをめぐる一連の議論は、何の教訓も引き出せずに擁護・批判する両陣営が傷つけあうような、個人的に大変残念な方向に着地しつつあります。以下、そうなった理由を自分なりに考えて書いていきます。
尚、本件ではフェミニズム的観点に問題を局限するため、既に多数が活躍している男性バーチャルYoutuberについては、その大半を意図的に無視していることを付言しておきます。ごめんなさい。


1.キズナアイの主体性に関する誤解
太田弁護士をはじめとするフェミニスト論客たちが誤ったのは、「キズナアイが性的表象であるか否か」の点ではなく、「キズナアイに(女性としての)主体性が存在するか否か」であると考えます。結論から言うと、キズナアイには明白な自我と主体性が存在しており、そこが既存の所謂「萌え絵」との唯一にして最大の相違点でもあります。しかし、殆どのフェミニストたちはバーチャルYoutuberに対して無知であったために、既存の「萌え絵」とキズナアイの区別がついていませんでした。

キズナアイは、Activ8株式会社が2016年に開発した3Dモデルであり、「人工知能」を自称し、普通のYoutuberと同じように企画などをこなしていくというスタイルが過去にない*1ものと受け止められ、局地的な人気を博すに至りました。
2017年12月には後発のバーチャルYoutuberである「輝夜月」や「ミライアカリ」が登場し、VRChatなどお手軽に3Dアバターを利用できるツールの普及も相まって、アマチュアも巻き込み爆発的なブームを引き起こしていきます。

キズナアイの動画は、既存Youtuberの「〜をやってみた」ような企画ものと、ゲーム実況ものに大きく分けられており、チャンネルも動画の傾向に合わせて分割されていますが、いずれの動画にせよ、既存Youtuberが用いる程度の「脚本」は存在すると推定されているものの、基本的にはキズナアイのアドリブで成立しており、キズナアイの「中の人」は実質的にキズナアイ本人とイコールであると見なされています。幾つかの動画においては、脚本を無視し当人のアドリブのままに暴走するようなシーンすら見られます。

アニメキャラを主人公として利用した既存の動画類では、アニメ絵を設置し合成音声に喋らせる(ゆっくり実況など)、音声はなく文字のみで解説を行うなどの手法が一般的でしたが、キズナアイの最も画期的な点として、声優や演者の情報を徹底的に秘匿することにより、演者を≒キズナアイ本人とし、イベントでのトークや生放送での雑談、Twitter等のSNSによるファンとのコミュニケーションを、動画上の「キャラクター性」を損ねることなくシームレスに結合することに成功したことが挙げられます。単なる「アニメキャラ」ではない、自我を持つAIとしての「キズナアイ」のアイデンティティは、日を追うごとに強固なものとして成立していきました。

故に、「キズナアイ」は碧志摩メグのような「萌えアニメキャラ」とも初音ミクとも異なる、所謂「アイドル声優」などに近い存在としてファンに受け入れられており、その前提を無視したことが炎上の第一の原因となっているように思います。


2.フィクションとバーチャルYoutuberの微妙な距離
バーチャルYoutuberブームを受けて、数多くのバーチャルYoutuberが企業や個人の手によって生み出されていくことになりますが、彼女ら彼らはキズナアイの作った基本路線を概ね踏襲しつつも、独自の方向性を打ち立てていくことになります。

フィクション性の高いバーチャルYoutuberとしては、「鳩羽つぐ」や「げんげん」が挙げられるでしょう。前者は(恐らく)幼児誘拐をテーマとした不穏なストーリーの「登場人物」として動画を投稿しており、声優は存在するものの、アドリブや演者のキャラクター性などは極力抑えられています。後者に至っては声優が存在せず合成音声での表現となっており、既存のゆっくり実況などに近いスタンスだと言えます。また、作品も一話完結型のコメディ(?)が多いです。これらのバーチャルYoutuberは、既存の「アニメキャラ」に限りなく近い存在であり、声優は存在していても、主体的な意思などは特に感じられません。

もう少しフィクションの濃度を下げた位置に、キャラとしての「基本設定」を守りつつ演者オリジナルの振る舞いをする一群があり、キズナアイもここら辺に含まれると考えられます。記憶喪失という設定の「ミライアカリ」、月のお姫様を自称する「輝夜月」など、アニメ的な企画動画も実況もこなせる点が大きな強みです。

さらにフィクション濃度を下げ、普通のYoutuberやストリーマーに近い一群には、「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」や「月ノ美兎」が含まれるでしょう。前者については、現実的には技術者の男性であることを明かしつつも、ギャップによる笑いを誘う要素として美少女のアバターを利用している例であり、後者については、「真面目な委員長」というアニメ的な設定がありつつも、それを半ば無視して演者の個性を前面に押し出すことでストリーマーとしての人気を博した例です。ここまでくると、「キャラとしての主体性」に疑問を差し挟む余地はほとんどなく、むしろ「普通のYoutuberと何が違うのか?」と(フィクション性の高い)Vtuberのファンから批判されるほどです。

このように、一言で「バーチャルYoutuber」といっても、その在り方は多種多様であり、十把一絡げに「こうだ」と規定できる理路は何もありません。ましてや詳しく知らないならば猶更のことです。


3.バーチャルYoutuberの「主体的意思」について
ようやく本題です。
第一項で私は、「キズナアイには明白な自我と主体性がある」と(あえて)断言しましたが、当然ながら彼女が「AI」であるというのはアニメ的なフィクションに過ぎず、実際にはプロの声優が「キズナアイ」を演じ、その自我を形作っています。*2

そして、バーチャルYoutuberがブームとなり、GREEなどの大手も参画するメディア産業として成長していく過程で、キズナアイのような存在に憧れる女性たちが数多く出現してきます。
彼女らの出自は、ゲーム実況者であったり、ストリーマーであったり、声優の卵であったりと様々ですが、自らの意志で美少女のアバターを利用することを選択したという点ではキズナアイと共通しています。
アバターを利用するメリットとしては、外見的な可愛らしさ以上に、ルッキズムで評価されないというメリットがあります。特に女性のストリーマーの場合、トーク力やゲームの腕前よりもまず外見で評価されてしまう傾向が強かったのですが、バーチャルアバターの登場によりそれが解消され、「(美少女が求められるという)ルッキズム的要請に配慮しつつ、ルッキズムを半ば無視する」というアクロバットが可能になりました。
バーチャルYoutuberには、中の人の顔写真が公開される所謂「顔バレ」をしてしまい炎上した例もいくつかありますが、そうした批判は概ねファンにとっては「無粋」で「心ない」ものと見なされ、顔バレした演者も「美少女キャラ」として引き続き受け入れられているケースも見られます。

女性としての外見的な美しさを問われず、好きなゲームや好みの話題を語ることで、多くのファンの支持を得ることが出来るバーチャルYoutuberは、例えそれが既存の女性Youtuber達の既得権を幾らか侵害するものだったとしても、広範な支持を受けるのが自然ですし、これらが女性の主体的な自己実現の手段ではないと断ずるのは、フェミニズム的な観点から言っても相当に無理があると思います。


4.キズナアイ欅坂46
では、バーチャルYoutuber産業は女性の自己実現のために役立っており、そこにフェミニストの言う「女性性の搾取」の問題など存在せず、批判は全く的外れなものなのでしょうか。

キズナアイは、ことあるごとにアイドルグループ「欅坂46」の大ファンであることを公言しており、関連する動画もいくつか出しています。中には本気でけやき坂46のオーディションを受けるような内容のものもありますが、生放送で脚本を無視してでも欅坂について熱く語ったなどの逸話を見る限り、キズナアイの「中の人」が、アイドルに憧れてエンタテイメント業界に入った人物であることは容易に推定できる事実だと思います。

私の個人的な意見ですが、欅坂を含めて秋元康プロデュースの女性アイドルグループは、「恋愛禁止」が暗黙の了解とされているなど少女への人権侵害的な側面が目立つため、全く好きになれません。
翻って、バーチャルYoutuberであるキズナアイにとっては「恋愛禁止」はさしたる問題ではなく、例え中の人が密かに結婚していようが、それを隠し通すことは容易であると考えられます。何しろバーチャルなので、年も取りませんし、永久に「美しい少女」のままでいられるのです。

しかしながら、それは同時に「キズナアイ」がキズナアイを辞めることが出来ないということも意味します。
欅坂46のような「アイドル」は、アイドルをやめれば単なる女性に戻ることが出来ます。女優として華々しく再デビューすることもできますし、強硬なフェミニストとしてかつての自己を否定することもできるでしょう(アグネス・チャンがそうしたように)。それは本人の女性としての自己決定によるものであり、自由です。
しかし「キズナアイ」は、演者の自我とキャラクター性を強固に結び付けられ続ける限り、キズナアイであることを途中で放棄したり、「普通の女の子」に戻ることはできません。自らの外見が、女性的な魅力を都合よくデフォルメした「アニメ美少女」そのものであると指弾されても、姿かたちを変えることもできませんし、大人になることもできません。そして、強引に「キズナアイ」であることをやめた時点で、それが中の人のセカンドキャリアの形成に役立つとも思えません。

故に、フェミニストキズナアイを批判するとすれば、アイドルに憧れ、都合の良い「アニメ美少女」の表象を身に纏ったはいいが、まさに自分自身が(男性中心の顧客の要望に応えることを中心とした)性搾取的な構造の中に取り込まれ、身動きが取れなくなっているという、まさにその一点を突くしかなかったと思います。
おそらくそのように批判されたとき、キズナアイ(とその製作者たち)は何も言い返せなかったはずです(何しろそれが生業だから)。ただ、一方でアイドル文化もYoutuber文化も、女性が主体的に参加しうるコンテンツである以上は、「性搾取だからやめちまえ」と強引に処断できるような類のものではなく、ならば何らかの形で「中の人」の交代やセカンドキャリアを考える道筋を(女性たちのために!)作っていくことこそが必要だとも言えたのではないでしょうか。


5.おわりに代えて
今回の論争では、批判者同士、お互いがお互いの文化的背景を全く理解せず、一方的な偏見に基づいて処断し、バーチャルYoutuber産業が抱える新しい構造的問題や、既存のアイドル文化を含めた女性差別の問題については、殆ど何も語られることなく、ただ不毛な煽りあいだけが継続するという状況になってしまいました。
ポリコレに違反していようが、誰かを差別していようが、それが文化であり誰かの生きる糧である以上は、その在り方に真摯に向き合い、あるべき方向性を探るのが文化批評の役割ではないかと感じるのですが、そういったことを真剣に語る論者は皆無でした。別に愚かしいなら愚かしいで構わないのですが、真面目にやる気がないなら何も言わずに放っておいてくれたほうがまだマシではないかと思います。既に言い尽くされていることではありますが、文化的摩擦の存在に配慮せず、単に「クールジャパン」のような浅薄な文脈に乗って今回の起用を決めたと思われるNHKにも、大きな問題があるでしょうが、本題ではないので省略しました。

バーチャルYoutuberを目指し、あるいは既に活動している全ての人々の魂に安らぎがあることを望みます。

*1:Ami Yamatoなどの先駆者は居ましたが、日本国内では無名でした

*2:声優が誰なのか、ファンは当然全員知ってるのですが、ここでは特に記述の必要がないので省略します

ファニーゲーム

「落ち度は、誘い出されたその馬鹿に反撃を許してしまった事だ。
だが、返り討ちにあって殺されてしまったのだから世話もない」
「そんな言い方……」
「何が悪い? これはそういうゲームだ」

ダンガンロンパ1・2 Reload - PSVita

ダンガンロンパ1・2 Reload - PSVita


「尊師MMD」なるポリゴンモデルが人気である。第14回MMD杯で受賞した動画を幾つか見てみたが、どれも抱腹絶倒ものの傑作揃いだ。動画は↓のページから見ることが出来る。
尊師MMDとは (ソンシエムエムディとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
これら動画から、2012年頃から聞いていた「唐澤貴洋」弁護士への中傷事件が、沈静化するどころか全く違うフェーズへ拡大・深化を遂げていることを知る。


No such wiki - ShoutWiki Hub


上記は問題のまとめwikiであるが、こと「中心人物」とされた人々については実名は勿論のこと、住所、年齢、性別、職業、果ては顔写真まで掲載されており、やりたい放題の極地という趣を見せている(編集しているのは主に2ちゃんねる「なんでも実況J」板住民(なんJ民)と思われる)。唐澤氏が「尊師」と呼ばれていることも含めて、何となくネット黎明期の「オウムサイト」を彷彿とさせる。(事実、「旧尊師」の項目もある→No such wiki - ShoutWiki Hub
これだけやっても警察は動かないどころかプロバイダーから削除すらされないのだから、ネットで匿名の誹謗中傷が蔓延るのも当たり前であろう。


http://logmi.jp/43315

基本的にはソーシャルゲームです。普通はネット上の嫌がらせをソーシャルな活動とはみなしませんが、使用された戦略や策略から、加害者たちが単独ではなく、実際はゆるやかに互いに連係していることがわかります。


そしてこのソーシャルな部分は、プレイヤー、つまりは加害者が参加し、実際に攻撃をエスカレートさせようというやる気を起こさせる強いモチベーションとして働きます。そうすることで仲間から賞賛と承認を得られるからです。


それは、だんだん厚かましく汚くなる攻撃を仕掛けることで「ネットポイント」が得られる、一種の仲間内のポイント制度みたいなものです。そういった攻撃を記録し、証拠として伝言板に書き込み、戦利品や成績のように互いに見せびらかすのです。


ソーシャルゲームの全体的な構造がわかりましたよね。プレイヤーがいて、「悪役」つまり私がいます。戦場があり、仲間内のポイント制度もあります。


でも大事なのは「これはゲームではない」ということです。これは巨大なスケールで女嫌いの怒りをあからさまに示したものです。「男の子はそんなものさ」とか「ネットとはそんなもの」と片付けられるものではありませんし、無視したからといってなくなるものでもありません。単なるゲームじゃないのです。


彼女がそう言いたくなる気持ちもわかるが、それでもコレは単なるゲームである(そう捉えないと本質を見間違う)。
上記記事を受けて「女性差別けしからん」という声がにわかにわき上がっているようだが、誹謗中傷の度合いで言えば唐澤氏の方が悪質で酷いし、匿名者から長期間に渡り誹謗中傷を受けたという意味合いでは、スマイリーキクチ氏や多田野数人氏の方がよほど酷い目にあっている。
多田野氏に至っては、本人がセクシャルマイノリティであること*1が中傷の主な理由の一つなのだが、性差別にうるさい(自称)リベラル連中が、何故多田野氏の件では一様に口を閉ざすのだろうか。


キーパーソンインタビュー:ネット上の中傷「加害者を減らしたい」 お笑い芸人のスマイリーキクチさん - 毎日新聞

検挙された方々はみんな普通の社会人で、それなりの社会的地位の人もいました。しかし、検挙されても謝罪よりも被害者意識の方が強いようです。「私は悪くない」から始まって、最初は「犯人が憎い」「許せなかった」と言いますが、なぜ自分がやったかと問い詰められると、「ネット上の情報にだまされただけだ」「最初にウソを書いたやつが悪い」「みんなやっている人がいる。何で自分だけ」。そして「私もストレスを抱えてつらい」……。


 最後には「キクチのせいで犯罪者にされた」となる。「私が書いた回数は少ない」と言い張る人もいました。でも、万引きは1回でも犯罪になります。人を殴るのが1発ならいいのか、という話になりますか。


 仮に少年法がもっと厳しく改正されたとしますよね。未成年でも実名報道になって、テレビでも新聞でも顔写真が出る、名前も出る。そうしたらネット上の中傷は無くなると思いますか。僕は無くならないと思う。彼らは「新聞がやっている、テレビがやっている。だから俺たちもやる」となるだけで、結局、中傷に加担する人たちは、今と同じことを別の理由で正当化して続けていくだけだと思う。常に逃げ道を探して、無責任で人ごとになる。どうして中傷するのか、もっと根本から考える必要があるでしょう。ヘイトスピーチも差別表現も根は同じだと思います。

被害者の弁としてキクチ氏の意見は尤もだが、匿名の中傷を「無責任」から去来しているものと見るのはいかにも皮相だ。
唐澤氏への中傷では、2ちゃんねるへ殺害予告を書き込んだことにより実際に何人もの逮捕者が出ており、騒動の課程で実名や住所を晒されてしまった「ゲームのプレイヤー」も枚挙に暇がない。それでも彼らはやり続けるのである。何故か? 単なる横の繋がりや、評価経済の中で承認欲求を満たしたいから、だけではないだろう。


No such wiki - ShoutWiki Hub

騒動初期に弁護士事務所のTwitterアカウントで複数人のアイドルのアカウントをフォローしていたことが判明した。また、判明の5分後にTwitterアカウントに鍵が掛かっているため、なんJを覗いていた可能性が非常に高い。

高学歴を誇る金持ちのボンボンでありながら、唐澤氏がやってたことはまるで2ちゃんねらーである。


思うに、これらのような誹謗中傷事件を読み取るには、「何故彼女/彼がターゲットとして指名されたか」を考えなければならないんじゃないか。
「(中傷をする人には)共感能力が欠けている」とキクチ氏は言う。しかし、「足立区出身の元不良」で「そこそこ成功した(過度に有名でない、というとこがポイント)お笑い芸人」であるキクチ氏に対し、少なくない中傷者達は、自分と近しいもの、不可思議な連帯性のようなものを感じたのではないか。
だからこそ、誰かを集団で中傷する=集団暴行殺人の犯人である者達に対し、歪んだ黒い鏡に写った己の姿を見いだし、それをキクチ氏に「転嫁」してみせたのではないか。最も、「転嫁」された側であるキクチ氏が、そのことに気付かないのは当然であるが。


多田野氏のスキャンダルが判明したとき、球界は彼を事実上追放し、マスコミも含め、誰も彼に対して救いを差し伸べることはなかった。それは、彼が「AVに出ていた」からではなく、旧態依然としたホモソーシャルであるプロ野球界で、未だにゲイセックスがタブーと見なされているからではないか?
そして、「火遊び」によって周囲の承認を得ようとする悪芋たちにとって、「タブーに踏み込む」ことはこの上ない快楽を与えてくれるのではないか?


そう考えれば、日本の状況と異なり*2、女性がある程度の社会的地位を獲得したアメリカ社会にあって、女性差別は「タブー」であると同時に、この「ゲーム」に参加しているユーザー=自身を「弱者」「被害者」と思い込んだ男性達にとっては、抑圧された暗い鏡の中の自分へ手を差しのべる、唯一残されたアクセスの方法なのではないだろうか?


「深淵を見るものは……」の格言ではないけれど、何かを強く批判するとき、見えない鏡の中にいる自分自身を見つめられない者は、何れ火の中に己が身を投じるハメになるのではないか?


望んでそうしたいなら、まあ好きにすればいいが。

夜中に化粧してどこ行くの
自分の亡霊がやけにめかし込んでんね
俺のヘッドの中のあんたって一体誰なんだっけ
昨日ステージで何やってたんだっけ
こんなゲームにそもそもなんで参加してるんだっけ
名前すら持たずに
鏡に写ってるあんたって一体誰なんだっけ

*1:釈明会見で当人は否定しているが、ネット上では公然の事実と前提されている

*2:本邦においては、そもそも「ゲーム批評をするフェミニスト」のような存在は、あと20年以上経っても出てこないかもしれない。それぐらい状況は悪い

奴隷の星

前の仕事を辞めて、最低賃金の職場で働き出してから、早3ヶ月が経った。
恐ろしいことに、生活はあんまり変わっていない。精神面ではむしろ以前より余裕がある。財産価値のありそうなもの(車とか)を軒並み売り払ったので、その金が入ってきたのもあるが、この社会はどんだけデフレに対応してるのか、と思う。
収入が相当に低くても、スマホをいじりつつそれなりの生活が出来てしまう。ということ自体、「奴隷的セーフティーネット」というか、貧しい大衆が現状肯定に傾く最大の理由なんだと、改めて知った。
実家の弟は、相変わらず引きこもりを続けている。以前は彼の将来を憂いて色々と余計な老婆心を発揮したのだが、母親も諦めている様子なので、もうこれでいいのかな、と(今になっては)思う。自分のことで心配をかけているのは申し訳ないが。


さて、2014年は大衆の急激な奴隷化が進行した年だった(と私は思っている)。
アベノミクスは、予想通り、富裕層を更に肥えさせ、日本のアメリカ化をより推し進めただけだった(今後もそうなるだろう)。しかし安倍さん本人さえ、大衆がここまで己を支持してくれるとは思ってなかったのではないか。しかも(本人一押しの)右翼的政策に対してではなく、大衆自身を痛めつける経済政策に対して。

はてなブックマーク - Midasのブックマーク / 2014年12月7日

Midas 「個人のブランド化」と言ってたこの人がアベノミクス大賛成なのは当然の展開。ここで声を大にして言っとくがアベノミクス民族浄化以外の何物でもない。後世の歴史書には必ず「エスニッククレンジング」と記される 2014/12/07
Midas アベノミクスは「借金して株を買ったら富を得れると国家が保証します」と主張してる。こんなトンデモはない。それと同時に(それ故に)よほど怠惰な人間でない限りこの誘惑に逆らうのも難しかろう 2014/12/07
Midas 但し狂気とは正に主観的な認識(まさかそんな旨い話がそうそうある訳ない)と客観的な行為(でもとりあえず株でも買っとくか)のギャップのことであって大半の国民「私は懐疑的だけど株は買う」は巻き込まれる 2014/12/07
Midas こうしてみると大きな流れの前には個人などというものはひとたまりもないのだとよくわかる(「スゴい踏み絵を『ふんでみろ』とつき出されてるんだなぁ」と率直に感心してる)。 2014/12/07

ちなみに、私の車を売った金の一部は株の購入資金に充てた。



ゆらゆら帝国坂本慎太郎がニューアルバム「ナマで踊ろう」に発表した曲で、「あなたもロボットになれる」という曲がある。寡聞にしてPVがあるのを知らなかった。アニメは画家でもある坂本の手書き水彩画で作られている。
「ナマで踊ろう」は、「人類滅亡後の地球で、ハトヤのCMだけが流れているイメージで作られたアルバム」らしく、歌詞はディストピア的な未来社会における出来事がモチーフになったものが多い。

眉間に小さなチップを埋めるだけ
決して痛くはないですよ
ロボット 
新しいロボットになろう
不安や虚無から解放されるなら
決して高くはないですよ
ロボット
素晴らしいロボットになろうよ!
日本の二割が賛成している
不安や虚無から解放されるという……

「あなたもロボットになれる」が、よくあるディストピアSFと異なるのは、上記の歌詞がテレビCMを模した体裁で歌われていることだ。
つまり、人々は(全体主義的、管理主義的な政体などによって)無理矢理「ロボットにされる」のではない。「ロボットになること」の素晴らしさを認識し、各々が持つ「自由意思」とやらによって、決して安くはない代償を支払い、自分で眉間にチップを埋め込むのである。ちょうど、生活保護費をプリペイドカードで貰うように

日本の五割が賛成している
危険のランプが点滅している……

誰のものともつかない警句を残して、曲は唐突に終わる。
ゆらゆら帝国時代から、一切政治的なテーマの曲を作らなかった坂本が、このように露骨な作品を作ったことに対しては賛否両論あるようだが、逆の言い方をすると、彼がそこまで言わなければいけないほど事態は切迫しているということだ。
スティーヴン・ホーキングは、人工知能により人類は滅亡するかもしれないと言ったが、SFのテーゼに従うなら、まさしく自らが生み出したものによって人類は滅びるのである(管理社会、情報社会、人権思想……)。

ナマで踊ろう(初回盤)

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NHK クローズアップ現代

風俗店の求人広告です。
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シングルマザー歓迎。
今、貧困状態に置かれた女性のサポートをうたい文句にする、風俗店が増えています。

最も貧しい女性に手を差し伸べるのは、今や風俗産業だけになった。これは、(恐らく安倍さんが予期すらしなかった)70年越しの慰安婦制度の勝利と言える。
奴隷はいやだ、ロボットはいやだと、口で言うのは容易い。だが、奴隷になることで、ロボットになることでより豊かな生活が保証されるとするなら、誰がそれに逆らえるだろうか。かく言う私も奴隷ロボとして働いているわけだが。


では、諦めて時代に身を任せるのが賢いのだろうか。外山恒一はこう言っている*1
【総選挙2014】「良識ある不良市民」は議会政治の枠外で「横議・横行・横結」せよ!(外山恒一)|ポリタス 「総選挙」から考える日本の未来

ニヒリズムに陥ってると批判されることはよくあるし、実際私はニヒリストなのだが、ニヒルとシニカルは似て非なるもので、私に云わせればこの期に及んでまだ選挙に期待している連中こそ(「期待はしてない」などと云い訳を用意している手合いなどは一層ますます)ニヒリズムならぬシニシズムに陥っている。
絶望的な状況を直視した上で自らのとりうる行動を模索するのがニヒリズムであり、絶望的な状況をうすうす察知しながら(しているからこそ)それを直視することを避け無意味なルーティンでやり過ごそうとするのがシニシズムである。
あれこれの屁理屈で投票の意義を説くシニカル野郎は後を絶たないが、選挙結果を左右するのは諸個人の果てしなく軽い「一票」の累積などではなく、マスコミの強力な世論誘導であることは、誰にでも(認めたくないだけでシニカル野郎どもにも)ちょっと考えるまでもなく明白な事実ではないか。


かといって、いきなり路上に出て旗を振るのも何だから、個々人、脱税をしたり引きこもりをしたりすることから始めるのがいいんじゃないだろうか。
一度「反社会的存在」「社会の下層」と名指されたなら、そうではない者にとっては、それらの生存そのものが反逆的なのだから。
民族浄化に消え去ることなく、税金を無駄遣いしながら、来年もしぶとく生き延びていきたい。苦悩や不安や虚無を抱えたままで。

*1:ただし、言いながらも結局、具体的にはデモや選挙外政治行動を言外に示すことしか出来ないのが彼の限界とも感じる。結果的にそれ故「塀の中でぐるぐる回ってるような」旧左翼的なアナクロニズムの陥穽にはまっているのではないか