恋愛と友情の序列化、恋愛と性愛の違い
――野本さんと春日さんの関係についても、ツイッターなどではさまざまな声が上がっていましたね。二人が構築しているのは恋愛関係なのか、それとも別の何かなのか、読者さんによって感じ方が異なっていた部分もあるようです。
二人の関係の熟し方や、野本さんが自覚するまでを長めのスパンで描いてきたこともあってか、読者さんの捉え方が分かれているなというのは感じていました。これは恋愛なのか友情なのか……。ゆざきさんとしては、友情と恋愛に序列をつけたくはない、どちらも平等に扱いたいという意志があるんですよね。「これは恋愛とかじゃなくてもっと崇高で純粋なものなんだ」とか、反対に「これは友情を超えた特別なものなんだ」とかの捉え方はしたくないとおっしゃっていました。
これは私個人も不思議だなと思うんですが、とくに恋愛の場合、「恋愛関係になる=俗っぽい」みたいなマイナスイメージが付きやすかったりするじゃないですか。「恋愛じゃなくて友情だったらよかったのに」と言われることはあっても「友情じゃなくて恋愛だったらよかったのに」と言われることってあんまりない気がする。どうしてそこに差がつくんだろう、と感じていたので、ゆざきさんのお話を聞いてストンと腹落ちした記憶があります。
――たしかに、なぜか恋愛は不純で友情は純粋、というような空気はありますよね。
あと、恋愛描写だと受け取られにくい理由の一つとして「何をもって恋愛フラグとみなすか」という部分の差があるんじゃないかと。たとえば、食事に誘われるというイベントが男女間で起きたときには「それはもう恋愛対象としてOKってことじゃん」っていう異性愛規範に基づいた認識をされがちじゃないですか。でも同性からご飯に誘われたりしても「それって恋愛じゃん」という受け取られ方にはなりにくいんですよね。同じ行為でも、恋愛フラグとしての意味合いが異性と同性では全然違うんだなって。
――恥ずかしながら「言われてみれば」と感じてしまうところがあります。
1巻の最後にあたる9話で野本さんが春日さんに「クリスマスも年越しも一緒に過ごしませんか」って告げるシーンがありますよね。あのシーンは、ゆざきさんも私もめちゃくちゃ恋愛に踏み込んだつもりだったんですよ。ネームもかつてなく難航して、調整に調整を重ねた上での踏み込みだったのですが……。
読者さんの反応を見ていると、意外とあのイベントを恋愛フラグだと捉えている方は少なくて。「あれ!?」ってなりましたね(笑)。単純にこちらが伝えきれなかったという問題もあるのかもしれませんが、私たちが想定していたよりもずっと、世間の「女性同士の恋愛フラグ」というハードルが高かったのかな、とも思います。
――どうしても、恋愛関係の深さと肉体接触の深さがイコールで捉えられてしまうところはありますよね。
そうなんですよね。私とゆざきさん両方の意見として、「二人の関係を描くときには、性愛に頼らない恋愛描写をしよう」というのがあるんです。女性同士の恋愛を題材にしたフィクションって、どうしても「性愛の話をしないと読者に恋愛だと認識されない」という問題を抱えているんですよね。それこそ、キスから話を始めないと分かってもらえないとか。あとは、性愛=ポルノというわけではないのですが、描写としてそのように機能させられてしまう現状も否定はできないのかなと思います。
なので『つくたべ』では、性愛と恋愛はあくまで別のものとして扱おうという姿勢があるのですが、そういう面があるぶん踏み込みが浅く見えるというか、恋愛ではない友達同士の関係としても解釈されやすいのかなと。
――なるほど! 二人の関係にウェットなところがないなとは感じていたのですが、そういう意図があったのですね。
もちろん性愛を否定しているわけではなく、恋愛は恋愛、性愛は性愛として切り分けたうえで尊重したい。「恋愛」を構成するピラミッドの頂点に性愛を置くのではなく、それぞれ別個の欲求や感情として取り扱いたいということです。
それに、今後の段階はゆざきさんもまだ迷い中とのことなので「そこは一歩一歩相談しながらやっていきましょう」という話はしていますね。ゆざきさんは本当に誠実にGLをやろうとしていらっしゃって、私はだいたいそれに追随する形なのですが……。ゆざきさんの中で何か疑問や懸念が発生したときには、一緒にそれを解きほぐしていくお手伝いができればいいなと思っています。
――本日はありがとうございました!
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