無理筋の設定で迷走したままだった「おかえりモネ」
作品の軸となる「心の傷」が説得力欠いたまま。29日最終回
東日本大震災から10年後の今年5月から始まったNHKの朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」が、見る者に躍動感を十分に与えないまま終盤を迎えている。宮城県気仙沼で育ち気象予報士となった主人公・永浦百音(清原果耶)が抱え作品の軸となる「心の傷」が、説得力に欠けるためだ。ドラマの主題につながるエピソードが腑に落ちず、視聴者の想定を超えて弾けていく傑作の領域には迫れず、10月29日の最終回が近づく。
百音は震災の日、高校受験の発表で島を離れていた。身近にも犠牲者を出した島の親しい人らに後ろめたさをぬぐえない百音に落とす影が、その後の人生選択や人間関係に及ぼしていく。妹の未知(蒔田彩珠)に「(お姉ちゃんは)津波を見ていないから」と言われ、百音も「私はここから逃げたから」と自責の念を隠さない。
やりたいことが見つからない百音は高校を卒業すると実家を離れ、宮城県北部の登米市の森林組合に就職。そこでの気象予報士との出会いがきっかけとなり、気象を通じて故郷に貢献できないかと予報士の道を歩むというストーリーだ。
「震災時に現場にいなかった」がトラウマになるのか
しかし、「震災時に現場にいなかったことがトラウマになる」ということが、そもそもあるのだろうか。
脚本を担当する安達奈緒子氏は、「『東北を舞台に現代の朝ドラを』というオファーでしたので、震災を描くだろうとまず覚悟しました」と述べている(NHK出版『連続テレビ小説 おかえりモネ Part1』)。震災時の不在については、「『妹や幼なじみたちと二度と同じ思いを共有できない』という寂しさと隔絶を感じてしまう。そして、何もできなかった、何かを取り戻したい、という思いから人の役に立てることを模索します」と説明している(同)。
阪神大震災が舞台「その街のこども」の説得力―誰のせいにもできない
子どものときに阪神大震災を体験した十年余り後の若者2人を描いたNHKドラマ「その街のこども」が、2010年に放送された。脚本を手がけた渡辺あや氏に、この年インタビューしたときの言葉が思い起こされた。
渡辺氏は震災について、「まだ誰も総括していない。戦争とちがい、どう捉えていいかわからない。災害なので、誰のせいにも出来ない」と語っていた。後に朝ドラ「カーネーション」、近作「今ここにある危機とぼくの好感度について」と常に手垢のついていない作風で余韻を残す脚本家の背骨を、発言からすでにうかがわせていた。
阪神大震災のとき夫の仕事の関係でドイツにいた渡辺氏は、兵庫県西宮市の実家が半壊。「その街のこども」は、追悼のつどいがある前日の1月16日夕、神戸市へ久々に戻った男女2人が出会い、翌朝まで神戸をさまよい、思いを語り合っていくというあらすじだ。
実際に神戸市東灘区で震災を体験した森山未来と佐藤江梨子が、説得力をもって演じた。
リアリティーとは。被災者と支援者との関係では明確な主張が
ドラマはフィクションだから、設定は自由だ。ただ震災後に、「津波を見ていないから」と半ば責めるような台詞が発せられることにいまひとつリアリティーを感じない。震災のとき重大な被災地にいなかったことを、ひけめに感じる人はどれくらいいるのだろうか。
未知からは「お姉ちゃんはいいね、やりたいことを見つけて仕事にして、好きな人と仲よくて……。順調じゃん、全部持ってんじゃん、私の気持ちなんかわかるわけ?」とも突きつけられる。地域に貢献したいと故郷に帰ってきたことに、漁師となった元同級生の及川亮(永瀬廉)に「きれいごとにしか聞こえない」と言われる。
本音をぶつけるというより、毒を吐くような言葉に対し、他者に思いを寄せる百音は寛容に受け止めるが、心の傷をえぐっていくような展開がずっと続いた。
安達氏は被災者とボランティアら支援者の関係について、脚本で百音に語らせている。
百音の母から勉強を教わった中学3年の少女が「助けてもらってばかりで悪いから」と話すのに対し、百音は「助けられているようで、こちらも助けてもらっている。助けてばかりだったとしても、それはそれでいい世の中の方がいいんじゃないか」と返す。気仙沼にあいさつに行く恋人の菅波光太朗(坂口健太郎)に、「助けてください、といわれるのも幸せなもんですね」と言った。
助けられる方が負担を感じるという一方的な関係ではない、ことをはっきりと伝えている。震災時の不在に対する脚本家のメッセージが最後に示されるのかもしれないが、まだ見通せない。
迷走の原因は、描きたい「被災者の核心」があとづけになったからか
安達氏は、17年7月から放送されたフジテレビの人気ドラマ「コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命」(シーズン3)の脚本を担当した。病院の救急医療を担う若い医師たちの群像をくっきりと描き出す、心のうちの言葉が見事だった。
それぞれが目ざす命を救うアプローチをめぐる苦悩と行動を、ひとりひとりのモノローグを通じて表現し、作品全体の共振をもたらせていた。
ところが、「おかえりモネ」では百音が就職した東京から故郷に帰ることを決意、地元の気象予報を発信することで漁業などに役立つ仕事に志を定めたものの、「心の傷」が癒えたのかはっきりしない。むしろ、女性の自立、地方への回帰という方向性が前面に出て、自家中毒状態ともいえる「震災時の不在」の克服もぼやけているように映る。
東日本大震災の被災地を舞台にしたドラマでは、山田太一氏が脚本を書いた14年の「時は立ちどまらない」(テレビ朝日)が記憶に残る。婚約者を亡くした娘は家も家族も無事だったが、相手の家庭からは3人も死者を出していた。避難所に身を寄せながら無事だった元婚約者一家からの支援を拒否する心情を描いた。
「絆」という言葉でくくれない姿を提示し、見る者を巻き込んで考えさせた。
「日本沈没」―初回から不都合な真実に葛藤する姿
今年10月10日からTBSの日曜劇場で始まったドラマ「日本沈没―希望のひと―」は、在野の研究者が唱える関東沈没説をめぐる騒動から始まった。
田舎に生まれ野心を持ち環境省官僚として国家の中枢に駆け上がった主人公の天海啓示(小栗旬)が、否定したい不都合な真実に目を背けられない自らの明晰さとともに葛藤する姿に立ち上がりから期待を抱かせた。
「おかえりモネ」の迷走の原因は、「東北を舞台にした震災もののドラマ」から出発したため、描きたい「被災者の核心」があとづけとなったからと思えてならない。脚本を中心に批評してきたが、安達氏の責任を問うのが真意ではない。関わったスタッフ全員が番組を作り上げたのだから、問いかけは制作者総体に向けられている、と考えてもらいたい。
(川本裕司 朝日新聞記者)
外部リンク
無責任な動員の責任を問え 世論と「識者」転向の陥穽
オリンピックという略奪
市民はオリンピックと手を切るべきである。なぜなら、オリンピックはスポーツの好き嫌い、選手たちへの応援や競技への興味の問題などではなく、一つの国際NGO主催にもかかわらず国家事業の体裁をとって巨額の公的資金を投入し、その資金源であるはずの市民の生活を将来にわたって破壊する出来事だからだ。
すでに化けの皮は見事に剥がれている。4年に1度開催されることが「自然」なことではなく、人為的に企図されたグローバル興行であり、競技は見世物(スペクタクル)なのであり、興行であるからにはそれを継続させるための収益を生む工夫がなされる。それは資本主義のルールにのっとってなされていると思いきや、今も昔も、まったくの「ぼったくり」=略奪であることがバレてしまった。
それに気づいた市民一人一人が「わしがよんだわけじゃない」とは思っていても、「オリンピックはひとりでかってにやってきたわけではない」のである。作家の小田実が1964年の東京大会に際して記したエッセイをこう締めくくっている(「わしがよんだわけじゃない」講談社編『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』2014年)。オリンピックと、それとセットにならなければ開催できないパラリンピックを招致し、開催し、その過程で生じた社会的、経済的、政治的、生存的不都合や不利益を結果的に被るのは誰か、またそれに対する責任を取るのは誰か。それをしっかり考えろと、小田は言っていたのだ。
オリンピック(パラリンピックともに)と手を切るべき理由は、新型コロナウイルスによる感染症の爆発的増加と医療崩壊と、それらを招いた為政者の統治能力の欠如があからさまになる以前にはっきりしていた。開催直前の様々な世論調査で示された6割から8割の国民が開催の延期か中止を求めている結果を受けて、ディック・パウンドIOC委員はそれでも「開催したらきっと成功を喜ぶことだろう」(「週刊文春」21年6月3日号)とうそぶいた。宗主国が被植民地者を「子ども扱い」するのと同じで、まあ、バカにされたものである。しかしこれは、開催地の危機的状況を考慮するよりも「オリンピズム」を継続させようというIOCの傲慢な帝国主義的態度をわかりやすく表しているだけでなく、「開催」さえしてしまえばそれはほぼ自動的に「成功」なのだという、社会学者の阿部潔がレガシーの「先物取引」と呼んで強烈に批判したIOC上層部の認識をさらけ出すことになった(『東京オリンピックの社会学 危機と祝祭の2020 JAPAN』コモンズ、20年)。コロナがあろうがなかろうが、東京はすでにこの「先物取引」に不可欠な銘柄だったのだ。
数々の不祥事の「浄化」を期待されたはずの聖火リレーは、各地の期待を裏切るコース変更とえげつないスポンサーの宣伝手法のために大コケした。しかしそれはありうべきオリンピックの姿を歪めている行き過ぎた商業主義への「反省点」として総括された。開会式直前の生放送で唯一光ったサンドウィッチマン富澤たけしによる不祥事当事者たちの「炎上の炎を聖火台へ」発言も、式典自体があまりにも間の抜けたものだったがゆえに、実際競技が始まるとガス抜き程度のインパクトしか持たなかった。マスメディアは選手の活躍に「喜ぶ」姿や風景ばかりを切り取り、東京駅前の丸の内中央広場に設けられた「カウントダウン時計」周辺の閑散は映さなかった。
「私たち」の責任は
結局東京大会は、ボランティアの「動員」や、批判的言論を「イロモノ」扱いする「同調圧力」の勝利に終わったのだろうか。コロナの影響を理由に延期される前から、オリンピックの「オフィシャルパートナー」となって取材源の確保のために(建前とはいえども)公正中立の原則を売り渡した朝日新聞を含めたマスメディアの翼賛的な動きや、「アスリートファースト」が虚しく響くほどに競技日程や会場の変更を頭ごなしに決められた選手や「ボランティア」の立場、巨額の公的資金の投入、コロナ感染者や医療関係者への積極的配慮は後回しにして五輪へと突撃していくさまとそのための社会統制の強化は、かつての「インパール作戦」にもなぞらえられた。それは戦時総動員体制下のファシズムを横目に見ながら、誰も責任を取らない無謀な作戦と同じだというわけである。ジャーナリズム・メディアは誰が「動員」し、どこが「圧力」をかけているのかを明らかにしようとせず、無責任さと無謀さは、かつては数多の屍を、いまは今後確実に訪れる開催の経済的社会的政治的「つけ」を生み出すのみであろう。16年のリオ五輪閉会式でマリオに扮して登場した安倍晋三前首相の尻拭いをし、かつ詰め腹を切らされる菅義偉首相の首一つぐらいでは足りない。無観客となった挙げ句の商業的損失は巨額の公金によって借金という形で補填されるだけではなく、アスリートはここまでして競技することに固執したとみなされ、その社会的存在価値やスポーツ自体への信頼は揺るがざるを得ないだろう。
しかし、もし1945年前後と現在とを比べるならば、むしろ戦後占領軍によって「民主化」されたはずの日本社会とポストオリンピックの現在とが酷似しているのではないだろうか。その類似現象を一言で言うならば、「転向」である。メディアを通じて五輪を語る知識人、とくに自ら進んで社会批評を世に問うている人たちの、「転向」だ。それも単なるUターンではなく、いくつかのひねりを経た比較的長い道のりでの、「転向」。
時系列的に整理すると、過度な商業化、各国のオリンピック委員会単位で参加せざるを得ず、メダルの数比べに終始するナショナリズム、「勝つ」ためにドーピングや身体改造に手を染めてしまうアスリートも出てきてしまうなど、多くの問題を前にして五輪に懐疑的にはなるけれど、いざ開催が決まってしまうと東日本大震災からの「復興」や国や民族の違いを超えた「人間讃歌」を謳う「五輪の理念」や、困難に打ち勝って競技するアスリートが体現することになっているはずの「スポーツの素晴らしさ」を理由に、「どうせやるなら」うまくやろう、成功させようと呼びかける人たちがいた。
しかし少し経つと同じ人たちが、オリンピック再延期や中止を求め出した。だがそれはあくまでもコロナを制御できていない東京大会に限った話であり、IOCが主催するオリンピックという興行の仕組みや原理への批判には至っていなかった。「オリンピックはいいものなのだから、世界が落ち着いてから思い切ってやればいい」。逼迫する医療状況を尻目に、そんなどこか牧歌的な匂いさえ漂わせる再延期論だった。
しかしさらに事態は進み、「アルマゲドンでもない限り実施」(前出のパウンドIOC委員)だの、オリンピック開催とコロナ感染者増加には一切の関係性はない「パラレルワールド」のようなもの(マーク・アダムスIOC広報部長)だのといったIOC上層部の強引な発言や姿勢が報道されると、非難の矛先はIOCという興行主へと向かった。「識者」たちは口々に、今度はオリンピックの中止のみならず、IOCの高慢ちきな態度をやり玉に挙げて、「オリンピックの理念はいいものなのだから、それを捻じ曲げている現状のIOCやオリンピックのあり方を根本的に見直す」ために、東京大会の中止が叫ばれるようになる。弁護士の宇都宮健児を始めとする「識者」たちの呼びかけで45万人ものオンライン署名が集められたのもこの頃であった。
反オリンピック勢力と国民世論は、ここで同調したかのように見えた。二つの争点が共有された。一つは、オリンピックとそれに伴うIOCやグローバルスポンサー企業の利益ではなくコロナにさらされている国民の命を守れ、医療への配慮を優先させろということ。しかしこれは再びナショナリズムへと人々を引き戻す論理だ。オリンピックによって大勢の人々が海外からやってくる。街では接触の機会も増えざるを得ないから、感染のリスクが高まる。だから付帯条件を削ぎ落として単純化すれば、国境を閉じ日本人を守れ、ということになってしまう。国境や民族を超えた相互理解、それもスポーツ競技や応援することを通じてなされるべき異文化交流や異文化体験。これがオリンピックの理念だとするならば、文字通り真っ向から対立する一国ナショナリズムによる「安心安全」の確保を求めているかのようである。
二つ目はさらに複雑だ。パウンドやアダムスの発言に加えて、トーマス・バッハIOC会長を始めとするIOC幹部クラスの移動費や滞在費の多くを、当初は日本が負担するということが明るみに出たことも追い風となって、コロナ禍での五輪強行開催はIOCとIOCに尻尾を振る「ポチ」たるJOC、組織委員会、政府のせいだということにされた。興行主とそれにへつらう悪質な香具師が「ほんとうは美しく楽しい」お祭りを牛耳って利権のお狩場にしてしまったというわけである。「インパール作戦」を始めとする無謀な玉砕や自国住民の虐殺を繰り返して終わった戦争を「軍部が悪かった」「天皇制が悪かった」、だから国民は騙されただけだというのと同じように、「健全な」オリンピックを求める国民、市民、市井の人々、「私たち」は悪くない……。オリンピックへの反対世論の盛り上がりはこの見解を後押ししたのだろう。
オリンピックの根本原則に立ち返り、肥大化しすぎた組織と予算を見直し、運営と仕組みを適正化しようとする姿勢は、それがいくらリップサーヴィスに過ぎないものだとしてもIOCによる「アジェンダ2020」、そしてそれを受けて東京大会の組織委員会によって提案された「アクション&レガシープラン2016」に、一応示されてはいる。だから、「悪いのはわかってるんだから、こっちだって努力してるよ」という反論は可能なのだ。
そして、ここが最後のひねりである。オリンピックの価値や意義をつい最近まで祝(ことほ)いでいながら、コロナによって奇しくもあぶり出されたオリンピックの「闇」が社会へ反映されていると考えたオリジナルの「どうせやるなら」派は、現行のオリンピックを批判した。IOCの抜本的改革までを視野に入れて、非難した。しかし、である。いざ開催され、パラアスリートによる競技までを見終えてしまうと、必死にプレーするアスリートの活躍に絆(ほだ)されたのだろうか、今度は再びあの「感動と勇気」のメディアミックスに同調し直してしまうのだ。
1泊300万円のスイートルームや聖火リレーでのスポンサーの過剰露出や、パラアスリートの自助努力への過剰な賛辞の裏で強化される優勝劣敗の思想といった実情を墨塗りし、「人間讃歌のスポーツの祭典」に合致する部分だけを塗りつぶさずに、残す。戦後直後の教科書のように。昨日まで「天皇陛下のために死になさい」と言っていた教師が、「そんな馬鹿なことはやめなさい」と諭す。「オリンピックは本当はいいものです」と言っていた「識者」が、「あんなものはだめです、はじめから分かっていました」としたり顔でしゃべるのだ。反オリンピックという立場からは歓迎すべき「転向」なのかもしれない。しかし、不都合な真実を口にすることが「安心安全」になったとたんの、是々非々のご都合主義も余りある「転向」派が湧き出ている現状は、無責任な者が別の無責任な者をその場その場の雰囲気で誹謗中傷しているようにしか見えないのだ。
「感情的」な声を拾わぬ報道
まるで風見鶏のように「どうせやるなら」派から「転向」派への転身を図ってきた人々は、では特別声が大きく、マスメディアにも受けが良い、「ああ、またこの人たちか」というマンネリ感と同時に読者が妙な安心感を抱くような、そういう「識者」たちばかりなのだろうか。「開催すれば成功を喜ぶ」とパウンドIOC委員が見立てたのは、誰あろう日本に暮らす「私たち」である。好むと好まざるとにかかわらず、そこには市民たる「私たち」も含まれているのである。あまりにも使い古された公式のようで気が引けるが、ナチスによる大量虐殺をヒトラーだけのせいにしてはいけない。彼をあんなことができる地位へと持ち上げたのはワイマール憲法下での市民たちだったのだから。戦艦武蔵の建造を飛行機と空母時代を読みきれなかった時代遅れの軍令部と技術神話に取り憑かれた船舶技師の妄想のせいにしてはいけない。無数の名もなき労働者や下請け業者、なにか特別なものが作られていると感じ取った市民までもが嬉々として建艦作業を後押ししたのだから。
では「一億総懺悔」ということなのかといえば、そういうことではない。意思に反して都営霞ケ丘アパートを追われた人々は「懺悔」など必要ない。招致決定から一貫してオリンピックのからくりを見抜き反対してきた人々、場合によってはもっと以前から世界各地の反オリンピック運動と連動して活動してきた人々、声に出し、直接行動には移せなくてもずっとオリンピックに批判の目を向けてきた人々、「おかしいな」と思い続けている人々は、忸怩たる思いとともにオリンピック統治の責任を追及しつつも、同時に自分たちはなぜオリンピックの開催を許してしまったのかを問い続けているであろう。だから、「懺悔」の必要はない。要は、市民とは同質的な公共的総体などではなく、それはまるで先日亡くなられた色川大吉が誤解されるたびに説明していた彼の「民衆」のように、矛盾だらけで、移り気で、ずる賢く、是々非々で、媚と抵抗を自覚的に使い分ける存在なのであり、ロマンティックで絶対的な主体などではない。ここで私たちは、まるで「どうせやるなら」派や「転向」派を映し鏡で見ているかのような錯覚に陥るのだ。
ジャーナリズムはこの映し鏡のアングルを見定め、その死角を見つけ出したり作り出したりする役割を、本来は期待されていたはずだ。そこからオリンピックに対峙する多方向な思考や活動を作ることができるからである。
しかし中止や再延期案も含め、開催に批判的な声を採り上げた報道でお決まりのように登場したのは、「どのような条件なら開催できるのか」「中止の場合はどのような手続きや困難が予想されるのか」などの合理的かつ「科学的」な根拠が提示されるべきであるといった、開催支持派からも反対派からも一定の距離を取り「中立」を装う言葉たちだった。「オフィシャルスポンサー」を担っているメディアの一部が「中立」というのは原則的に大きく矛盾しているが、現場の記者たちは取材源の主張、自分の視点、会社組織の一員としての立場の合間で、書けることと書けないことの線引きを厳しく迫られていたのだろうと予想はできる。しかし、オリンピック反対派の行動や論調がまるで無闇に「感情的」で、代替案や現実的な困難を視野に入れてはいないというかのような論調も目にし、耳にすることが多かった。
それらはまるで、感情を理性や「科学」や、客観化され普遍化されたように見えたり聞こえたりする言葉とは反対に、根拠に乏しくいきあたりばったりにしか見えたり聞こえたりしないものだと捉える古臭い二項対立に基づいた発想である。
中立公正な報道という理念型が存在するならば、それはいかにしてジャーナリズムが当該社会の外に身を置くことができるかということとは異なるはずだ。だが、相対的に情報アクセス力が高く、知識があり、発信力も与えられている「識者」の「転向」ぶりと、批判力を形にしきれなかったその読み手たる市民との不思議な映し鏡的状況をなぞるだけで、なぜどのようにそうなるのかを読み取ることができる報道はほぼ見当たらなかった。それもそのはずだ。息も届かない「神の視点」から見下ろせばぼやけた図像しか把握できないのだから、ジャーナリズムは解像度を上げてその図像解析を提示すべきなのに、多様な声をただ羅列することで「客観性」を担保した気になっているような報道は、何かを変えることではなく、変えないように、変わらないように仕向けているかのようだからだ。
このような身構えは、オリンピックに巨額の税金を投入して開催後の経済破綻を目の当たりにしないと目が覚めないのだから、とにかく最後までやってしまえというある種のディストピア的加速主義と親和性がある。ともに自分たちがそのディストピアの渦中で困窮するとは思っていないから他人事で済ませられるのだ。まるで当該社会の渦中でのたうち回る市民と、それを見下ろせる「上級市民」の間に階級分断があるかのようである。
この分断は、五輪開催に反対しろという声に対して、「私は何も変えられない」とうつむいた池江璃花子を想起させる。そんなことはない。池江が懸命に泳ぐ姿を見て、プールに向かいたくなる人は必ずいるだろう。変えられるのだ。ど真ん中の当事者であるにもかかわらず、矛盾や不都合からは超然とした存在であることを、求められ、強いられ、自分でもその気になってしまう仕組みが、そこかしこで起動している。しかし市民は、不都合との接触と折衝を断つわけにはいかない。だからその根源であるオリンピックと手を切るべきなのだ。
このオリンピックが「人類がコロナに打ち勝った証し」として年表に記されることはないだろう。もうすでに何百万人もがこのウイルスに侵され命を失っているし、医療崩壊が世界中のそこかしこで起きてしまっているという不都合な事実を皆が知っているからだ。そうではなく、「こいつらは感情的だ」と片付けてしまうことによって、オリンピックに反対する世論を愚民の声扱いすることで作られる見えないシェルターに逃げ込める人間たちが合理的に観察できたオリンピック。そんな記載のされ方にならないように、別の言葉たちを創り出していく作業を続けることにする。この作業に、願わくばジャーナリズムが並走してくれんことを。(文中敬称略)
※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』10月号から収録しています。同号の特集は「五輪の禍福」です。(小笠原博毅 神戸大学大学院教授)
夏から秋へ――震災から10年の福島で
東日本大震災後に、首都圏から故郷の福島県いわき市に戻った劇作家・演出家が、津波被害にあった海辺でくらし、原発事故を身近に感じながら、思いをつづります。五輪の喧騒を遠くに聞きながら過ごした、コロナ禍の中の2021年の夏から秋へ――。
早朝、防災緑地帯を眺めながら歩く
夢をみた、リアルな。
リアルと言っても、具体的な場所や実在する親類知人、過去に経験した状況がそのまま現れるのではない。そう、今まで居たような場所、会ったような人物、人生で過ぎ去ったいくつもの場所が、関わった何人もの人物が、重なり合って登場する夢だ。だから、感覚的にリアルなのだ。
なぜか中年の男性の世話になろうとしている。勿論、僕は自分が見えない。心細さが体温のように感じられるのは夢の中に存在しているからだ。男性は大きな藪を指さす、その下の空洞に寝ろと言う。本当の居場所に戻って眠りたいと尻込みする僕。でも、本当の居場所、帰るべき場所がわからない。男性は僕の心細さを見透かしたように言う、送ろうか。
こうして僕たちは藪を出るのだが、驚いたことに、そこは古い家屋が建ち並ぶ住宅街の真ん中だ。家並みの向こうには今立っている道と平行に通りが見える。通りに沿った住宅の連なりも同じ風景だ。その後ろにも同じような通りと家の連なり。それが幾重にもサンドイッチのように重なって見える。どこへ向かったらいいのか。尋ねようと振り返るが、いつの間にか男性はいない。
ぷかりと現実世界に浮かび上がった。久之浜の自宅の寝室だ、外はまだ暗い。ざわつく心を鎮めようと散歩に出た。防潮堤沿いの緑地帯を歩いてから町に下り、古めかしい家々が軒を寄せる裏通りのコースだ。
波音に包まれながら緑地帯の遊歩道を歩く。左側の下には真新しい防潮堤が海岸線に沿って伸びている。砂浜を洗う穏やかな夏の海。雲間から覗く太陽はまだ弱々しい。右側には久之浜の町が広がっているのだが、緑地帯の樹木に遮られて見えない。
東日本大震災の津波は堤防沿いの家々を破壊し、大火が堤防から町の大通りまでの広域を焼き尽くした。
その後、震災復興土地区画整理事業が始まり、瓦礫を撤去した更地に盛土をして樹木を植え、防災緑地が造成された。
岬下の河口から町はずれまで延々と続く緑の丘だ。海を隠し、町を守る高い城壁だ。
緑地帯は堤防沿いの区画を埋めて造られている。
原発の漁業補償金で潤った地域の今は
僕が子供だった頃、久之浜の人々は皆一様に貧しかった。その中でも漁師が多く住む堤防沿いの町は特に貧窮していた。粗末な港に浮かんでいるのは小型の底曳網漁船が数艘、ほとんどが2人か3人乗りの伝馬船だ。伝馬船を漕いで海藻や貝を採り、家族が町内で売りさばく。干物を作る小規模の水産加工場もあった。
隣町の漁業組合のように遠洋漁業に出かける船舶も財力もない、町の沖合で漁をする零細な漁師の集まりだった。
その中にも、船主と雇われる漁師がいる。大きな入母屋造りの家は船主、小さな家は舟子か家内漁業従事者と決まっていた。しかも、バラック同然の家が肩を寄せ合うように堤防下に固まっていた。嵐の度に大波が堤防に打ち付ける。その飛沫が堤防を越えて降りかかり、トタン屋根を鳴らした。
だが、1971年3月に東京電力福島第1原子力発電所が稼働すると、貧窮は次第に改善されていった。生活を潤したのは原発の漁業補償金だった。
新しい家を建て、木造から強化プラスチックの船に替え、港を拡張した。漁獲量は飛躍的に増加し、水揚げした魚は〝常磐もの〞と呼ばれて重宝された。すべてを奪ったのが津波と原発事故だった。
緑地帯を下る。
人っ子一人いない真新しい大通りを横切り、狭い裏道に入る。この辺りは昭和の面影が残る昔からの町並みだ。住人のいない家々、倒れた墓石の目立つ墓地、寂しい景色を横目に寺と神社の裏を抜けると、突然近代的な津波避難ビルが現れる。
震災後、木造の役場を壊してコンクリート三階建の「いわき市地域防災交流センター久之浜・大久ふれあい館」が建てられた。久之浜のような田舎町ではランドマークだ。
ここからはなだらかに広がる造成地の中を歩く。津波と火災で被害を受けたこの地区は、市が焼け跡を宅地造成して持ち主に返した。しかし、放射能避難から10年、帰郷を諦めたのか、家を建てる資金がないのか、夏草の茂った空き地ばかりが目立つ。
対照的なのは緑地帯の上に見える新興住宅地だ。
震災の6年後から山を削って開発されたこの造成地はまるで住宅展示場のようだ。ひな壇に並んで町を見下ろしている最新のモデル住宅。だが、造成地の後ろは海に落ち込む絶壁だ、嵐の度に潮風が吹き上げて金属を腐食させる。家の南面には三森山から強風が吹き当たり、外に洗濯物を干すこともできない。地元の人なら家を建てない場所だ。それを知らない町外の人が住んでいるのだろう。それでも、眼下には町と海を一望できる美しいロケーションが広がる。窓という窓がギラギラ輝いているのはフィルムシートの反射だろうか。
嬉しい友人の来訪、父母の墓に参る
8月8日 「日大全共闘芸闘委の軌跡~バリケードを吹きぬけた風」(橋本勝彦著)読了
Sさんがホッカホカの柏餅を持ってお茶飲みにやって来た。
いわきでは有名な和菓子屋の経営者兼現役職人だ。90歳の今も仕事場に立っている。早朝から餡子をこね、柏餅を蒸しあげ、7時半に店を開ける。そして、一段落した頃に自作の菓子持参で町内の茶飲み友達宅を訪れる。あのお宅は抹茶、このお宅はコーヒー、僕の家は紅茶という具合に出されるお茶の種類も決まっている。Sさんの茶飲み話はとにかく面白い。
老舗の和菓子屋に入り婿となってこの町に来たよそ者のSさん。彼は身を粉にして働いた。製菓と店頭販売だけでなく、当時は仕出しも営んでいた。結婚式にはお赤飯を、葬式にはおふかしを配達した。その縁で結婚式や民謡、日本舞踊の司会を頼まれた。人の良い彼はほとんどの依頼を引き受けた。地域に溶け込むことが彼の願いであり、認められることが生き甲斐だった。懇願されて地域づくり協議会の会長も務めた。
しかし、東日本大震災は彼の過去も未来もすべてを奪った。津波後の火災で店も住居も焼けてしまったのだ。焼け跡に立って思ったそうだ、明治から続いてきた和菓子屋も自分の代で廃業か…だが、Sさんを励ましてやる気にさせたのは昔からの友人たちだった。Sさんは冗談めかして怒ったように語気を強める。
「まったく、あいつら…土地貸すから、国道脇なら客が来っから…ってうるさくて」
現在では新しい店舗に行列ができる有名店になった。これからは東京から来た孫が彼の跡を継いで行くのだろう。
Sさんを門まで送った。後ろ姿を見送りながら気づいた。おしゃべりな彼が昨日終わったオリンピックを話題にしなかったのはなぜだろう。そうなのだ、コロナの脅威が僕たちの命と生活を脅かしている、オリンピックどころではない。それでも、このちっぽけな交流だけが息抜きなのだ。
いわき市では8月2日から8日の週の感染者合計が357人、昨日8日は39人。昨日からまん延防止等重点措置が適用されている。
8月11日 いわき市のコロナ感染者数101名
早朝から墓掃除に行って来た。
梅雨入りの前に除草剤を撒いたためか、雑草に悪戦苦闘することもない。落葉を集めて茶碗を洗い、花とお線香を供えるだけで簡単に終わった。家督は妹の婿殿が相続している。きっと老舗割烹旅館と代々の墓を任された婿殿の重圧は大変なものだろう。
演劇界という不安定な社会に身を投じ、好き勝手をやっている長男の僕。誠に申し訳ないと詫びることもできないから、お盆前と春彼岸前には墓掃除に出かけている。 少しでも婿殿の負担を減らしたい、両親には親不孝を謝りたい、そう思って。
帰宅して庭先のベンチに座り込んだ。汗を拭きふきお茶を飲みながらどうしてか笑い声がこぼれる。母が亡くなって15年にもなるが、父母を思い出すのはこんな時ばかりだ。晩年、父は認知症を患って寝たきりとなり、母はその介護にかかりきりになった。
盆休みに帰省したある夜、夜中に階下の寝室から母の声が聞こえてきた。そおっと寝室を覗いたら、父は介護ベッド、母はそのベッドの下に布団を敷いて寝ている。すると、手の不自由な父が自分の枕を母の顔に落としたではないか。起こされた母はブツブツ文句を言いながら起き上がり、枕を父の頭にあてがう。そしてまた父は……この攻防戦が疲れ切って母が寝入るまで延々と続くのだった。
父の死後、僕は父が県のコンクールで最優秀賞を受賞するほどの俳人だと知った。その時すでに母は遺品のすべてを処分していた。俳句を揮毫した短冊も、著名人の句集や俳句の同人誌までも。好き合っていたのか、憎しみ合っていたのか、傍目ではわからない夫婦だった。
怒涛のかすかな響きが僕を包む、覆いかぶさるように茂った萩を潮風が揺する。その萩の細やかな一枝に赤紫の花を見つけた。
「盆過ぎて一人暮らしに又戻る」 たすく
教え子の言葉が心に響く
まん延防止等重点措置が適用されていわき市の繁華街や商業施設から人が消えた。
劇場監督を務めるチームスマイル・いわきPITでもコンサートやイベントの延期や中止が相次いだ。秋から冬にかけて開催される主催事業の準備もまだ始めることができない。
去年から今年にかけて演劇公演を3本中止にした。特に今年1月末に予定した朗読歌舞伎「女殺油地獄」の中止には忸怩たる思いが残った。昨年は2公演中止にしている。だが、コロナ感染症を恐れてばかりはいられない。俳優の絡みがない朗読劇なら感染することもないだろう。そう思って市内から有志を募り、11月から稽古を開始したのだ。
だが、1月11日、福島県は時間短縮営業の協力を要請。それに伴って20時を越える劇場や公共施設の使用が中止された。そんな時だ、主役の俳優が「県から要請が出たので自分はできない」と言い出したのは。関係者全員が説得しようとした。それでも、彼は頑なに出演を拒んだ。こうして、コロナ禍で3本目の公演が中止に追い込まれた。
3カ月の稽古を無駄にした主役の無責任にも立腹したが、この状況下で何もできない自分が無性に情けなかった。演劇は無力なのか……そう自問自答しながら、東日本大震災から創作と公演を続けてきた。
劇団青年座から離れ、東京から被災した故郷に戻って来た、演劇が力になると信じて。しかし、このコロナ禍の社会で何ができるのか…徒労感と絶望感がじんわりと僕を蝕む、虚無感の泥沼に沈んでゆく。何もかもが嫌になっていた時、劇団文化座の『しゃぼん玉』を観たのである。
いわき演劇鑑賞会の例会で上演されたその公演には青年座研究所の教え子が出演していた。楽屋の外で彼に菓子を渡し、ねぎらいの言葉をかけた。コロナ禍での旅公演だ、感染の恐怖や公演中止の不安がいつも付きまとう。
数日後、彼からメールが届いた。そこには差し入れのお礼と東北地方巡演の苦労が書かれ、最後はこう結んであった。
「……演劇の火は消しません…」
心に響くメッセージだった、渇いた心を潤す慈雨だった。僕は教え子に教えられたのだ。
沿岸につくられる「イノベーション施設」
8月18日 「福島イノベーション・コースト構想」パンフレット読了
お盆は息を潜めて過ごした。これまでも不要不急の外出を控え、徹底的に感染対策をおこなってきたが、市内で感染者が急増してからは家からも出なくなった。
日課の散歩も雨にたたられてできない。こんな時にはオペラ公演の演出プランを練るのが一番と楽譜を開いた。あれやこれやとプランを妄想するのが楽しみなタイプだ。だが、音符や演奏記号が僕の周りをふわふわ漂うばかりでさっぱり音楽が聞こえてこない。考えるのもわずらわしくなって机横の冊子を取り上げた。
「福島イノベーション・コースト構想」のパンフレットだった。
かなり前、東京の友人を「東日本大震災・原子力災害伝承館」に案内した時、ラックから抜いてきたものだ。伝承館は、福島第一原子力発電所がある双葉町に建てられた情報発信施設で、博物館を併設している。キャッチコピーに「集う、創る、叶える、ふくしまで。」とある。加えて「浜通り地域等の産業基盤を構築する国家プロジェクト」と厳めしい。興味津々で表紙をめくった。
イノベーション・コースト構想の施設は原発事故で被災した双葉郡の市町村に造られているが、沿岸部の6市町を書き出してみた。
楢葉町=楢葉遠隔技術開発センター(原発の廃炉促進のために遠距離操作機器の開発実証施設)
富岡町=廃炉国際環境共同研究センター
大熊町=大熊分析・研究センター(原発事故の放射性廃棄物や燃料デブリの分析・研究を行う施設)
双葉町=東日本大震災・原子力災害伝承館
浪江町=福島水素エネルギー研究フィールド(世界最大規模の水素製造施設)
南相馬市=ロボットテストフィールド(ロボットフィールドの開発実証拠点)
更に、先端技術を取り入れた農林水産業の復興と再生を謳っている。
大熊町では大規模なイチゴのハウス栽培、楢葉町では耕作放棄地の活用と避難した住民の帰還を促すために「地域と連携した企業の農業参入」を行い、大規模なさつまいも栽培に取り組んでいる。
確かに、莫大な予算を投じた国家的プロジェクトだ。そこには学生や研究者、企業家や国際的な学者が集まってくる。それによって学問的な、産業的な賑わいが生み出されるだろう。しかし、これが町民の望む故郷の復興だろうか、賑わいだろうか。
ふと思い立って、福島イノベーション・コースト構想に含まれる主要6市町の居住人口を町のホームページから書き出しみた。(2021年8月末現在。世帯数と町内居住者数)
楢葉町 2144世帯 4137人
富岡町 5608世帯 12114人
大熊町 215世帯 250人(2020年8月1日現在)
双葉町 2199世帯 5698人
浪江町 1079世帯 1717人
南相馬市 26438世帯 58292人
浪江町民の登録数は6788世帯、16338人だが、居住者は1079世帯、1717人だけしか戻っていない。原発のある大熊町や双葉町では1割から2割ぐらいの帰還率だ。大熊町では住民登録をしていない居住者が推計600人ほどいる。おそらく原発関連の仕事をしている人たちだろう。
国家的プロジェクトによる経済的な復興によって、地域社会のコミュニティは復活するのか。いや、まったく新しい社会が形作られるに違いない。イノベーション・コースト構想に組み込まれない人々は故郷を捨てなければならないのか、それとも故郷から棄てられるのだろうか。
掘り起こされた「思い出」の行方は
8月20日 ドキュメンタリー「自衛隊だけが撮った3.11~そこにある命を救いたい~」鑑賞
偶然、震災のドキュメンタリーを見つけた。過酷な最前線に派遣された自衛隊員の記録だ。津波の被害を受けた石巻市の大川小学校、そこに行方不明者捜索のため部隊が投入される。しかし、杳として見つからない。
「瓦礫は捨てろ、思い出は掘り起こせ」と捜索中に見つけた遺品を拾い、ボランティアがきれいにして展示した。父母に返すために、子供たちの生きた証として。
そういえば、浪江町にも「思い出の品展示場」があったはずだ。被災した沿岸部で見つかった品物を持ち主に返すために展示している。国道6号線沿いのギフト店跡に保管していたが、現在どうなっているか調べてみた。今年の3月21日に閉鎖されていた。震災から10年がたち、来場者や引き取り件数も大幅に減ったことから決まったらしい。こうして忘れられてゆく、生きた証さえも。時の流れは残酷だ。忘れることが前に進むことなのか、僕にはわからない。
8月25日 MV「ザネリ」(作詞・作曲=てにをは/歌=Ado)視聴
歌い手のAdoが歌う「ザネリ」のMVが公開された。
ザネリとは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にちょっと顔を出す少年の名前だ。主人公のジョバンニと友人カンパネルラは銀河鉄道に乗って宇宙を旅する。ザネリは二人が銀河鉄道に乗り合わせるきっかけを作る脇役だ。ジョバンニへのいじめと、ザネリを助けようとして川に落ちたカンパネルラの溺死。二つの出来事によって、賢治は生者と死者の出会いを設定した。
だが、この出来事のきっかけを作ったザネリの心情は書かれてはいない。ザネリはその後の人生をどんな思いで生きて行くのだろうか。作者や読者が気にも留めない端役の心情を思いやった歌詞だ。しかも、Adoの歌唱がザネリの心の奥底に案内してくれる。童話では脇役だが、歌曲の中では主人公のザネリだった。
MVは歌詞が画面に流れる。だから、複雑で深遠な歌詞でもよくわかる。
最近、日本のオペラでも歌詞がプロセニアム近くに映写されるようになった。オペラは歌唱と演奏が渾然一体となって音楽を生み出す。だが、声の響きが大きすぎると歌詞がわからない、三重唱四重唱となるとまったく歌詞が聞こえない。心地よい音楽が耳をくすぐるのに、頭は歌詞の意味を求めている。このギャップを埋めるのが字幕だ。
今年5月に世界遺産の上賀茂神社(京都)で上演された僕の作品でも舞台両脇に歌詞が映写された。古事記を下敷きにしたこの作品は古語が多用されている。だから、歌詞の意味が分かると、より一層オペラが楽しくなる。
8月28日 双葉町内の特定復興再生拠点区域の農園で野菜の試験栽培を実施
29日 リアン8歳の誕生日
愛猫リアンの誕生日にはスティック型のおやつをあげる。尿路疾患を患うリアンには年に1回の大御馳走だ。しかし、昨年はガツガツ食らいついたのに、今回は一向にはかどらない。市長選の選挙カーが大音響で周辺を回っているからだろうか。
僕が東京から転居して来た2013年の夏も市長選挙が行われていたような記憶がある。あの年の28日朝に天ちゃんが亡くなった。4年と6カ月の短い生涯だった。1歳の誕生日を迎えた頃、原発性免疫不全症を発症した。免疫は体内に侵入した異物に対して攻撃する、体を守るための防御システムだ。だが、彼の免疫は自分の肺を攻撃した。アビシニアンとシャム猫、アメリカンショートヘアの掛け合わせによって生まれた猫種がオシキャットだ。異種のかけ合わせによって時折遺伝的疾患が現れるらしい。
診察できる獣医を見つけた時、彼の肺は真っ白で半分だけ機能していた。獣医はいつ死んでもおかしくないと言って、動物の大学病院を紹介してくれた。月に1度病院に行って3時間の治療を受け、毎日2回3種類の薬を飲む。それでも良くなる疾患ではない。治療と投薬で苦しませるのは辛かったが、猫じゃらしに飛びつき、鳴きながら僕を追いかけ、日向で長閑に寝転ぶ、その姿が唯一の救いだった。こうして、天ちゃんと僕は東京で暮らし、一緒に故郷へ戻って来たのである。戻って5カ月目の別れだった。
ペットロスに陥った僕を救ったのは、天ちゃんをいただいたブリーダーさんからの電話だった。病弱の猫を購入させて申し訳ないと謝ってから、生まれたばかりの子猫をくださるとおっしゃる。よくよく伺ってみると、子猫は天ちゃんの姉が産んだ子で、天ちゃんの甥っ子だった。しかも、死んだ翌日に産まれている……まるで天ちゃんの生まれ変りじゃないか。僕は死から生への営みに言葉が見つからなかった。そして、子猫の命名をフランス語で〝リアン〞、〝永遠の絆〞としたのである。
庭の萩が満開になった。ほろほろと散る花が涼風に舞っている。
9月1日 県内で57人の新型コロナウイルス感染者 いわき市で19人
真夜中、ぽかんと目を覚ました。いつの間にかリアンが布団に潜り込んでいる。体の左側に沿って長々と伸びている。思わず体を動かして仰向けになろうとした。でも、僕の左足の太ももに置いた前足の爪がパジャマを通して食い込む、まるで離さないぞというように。その痛みに、僕は動きを止めた。ねじれた姿勢のままで天井を眺める。心なしか天井が発光しているような気がする。そうなのだ、きっと外の世界は月の輝きで満たされているのだ。そこは不思議な陰影を描く影たちの世界だ。リアンがびくびくと体を震わせた。夢でも見ているのだろうか。そして、それはどんな世界なのか。
今夜は夢を見ないだろう。(高木 達 劇作家・脚本家・演出家)
東京五輪音頭 “歌謡遺産転がし”による国民総踊り計画はなぜ失敗したのか・後編
戦後日本の復活を印象づけた1964年東京五輪の際に大ブレイクした昭和歌謡「東京五輪音頭」のリメイクした「東京五輪音頭―2020―」を使い、令和日本の東京オリンピック・パラリンピックを盛り上げようとした国民総踊り計画。しかし、“歌謡遺産転がし”ともいえるこの試みは、あえなく失敗に終わった。
日本が元気だったころの再来を夢見て、二匹目のドジョウを狙って国が主導した企てはなぜ、うまくいかなかったのか。論座「“歌謡遺産転がし”による国民総踊り計画はなぜ失敗したのか・前編」に引き続き論じたい。「失敗の検証」から浮かび上がったのは、日本の「今」への深刻な懸念だ。
東京五輪音頭 昭和38(1963)年
作詞・宮田隆、作曲・古賀政男、歌・三波春夫
場所:東京
「五輪音頭」で盛り上った64年五輪前の盆踊り
本稿の前編で明らかにしたように、今回の「東京オリンピック・パラリンピック2020」において、半世紀前の1964年東京オリンピックのテーマソングをリメイクした狙いは、“歌謡遺産転がし”によって国民を総動員して躍らせようという一大作戦にあった。そうであれば、その企画立案には、日本を代表する知恵者がかかわっていたはずであり、事前に下調べをし、これならやれるという「確証」を得ていたはずである。
64年東京オリンピックの当時、東京の高校3年生であった私には、その年の盆踊りで「五輪音頭」が踊られていた記憶がある。真偽を確かめるべく、同世代の友人10人ほどに「コロナ見舞い」をかねてメールと電話をしてみた。
東京神田生まれの生粋の江戸っ子は「はっきり記憶に残っている」と言い切った。当時広島で高校2年だった友人からは、「わが家にテレビが初めて入ったのは1963年。五輪へ向けてテレビが急速に普及している時期だった。当時、五輪音頭が流され、人が踊っているのを眺めていた記憶が残っている」と言う。高校まで長崎で暮らした友人からは、「盆踊りで実際に踊った」という回答があった。
興味深かったのは、それらの友人のなかで、今回の「新東京音頭国民総踊り計画」に参加したものは一人もおらず、その存在すらも知らなかったことだ。
友人情報だけでは「証拠不十分」なので、往時の新聞記事をあたってみた。すると、元祖五輪音頭は、わずか1年前のリリースという「にわか仕込み」にもかかわらず、その年日本各地の盆踊りで踊られたことは間違いなさそうである。ちなみに――
「東京五輪音頭」が制作発表されて5カ月後の1963年11月2日、五輪のプレイベントとして招致された東京国際スポーツ大会には35カ国が参加。その前夜祭には国立競技場に7万人の観客をあつめ、そこで日本民謡協会の踊り手7000人によって踊られた。(読売新聞、1963年11月3日)
翌1964年の9月9日、宮崎県延岡で行われた聖火リレーでは、それをことほいで1万人の市民が「東京五輪音頭」を踊った(読売新聞、1964年9月10日)
10月9日、東京後楽園球場を満席にする4万人弱を集めて開かれた前夜祭では、東京母の会連合会の総勢1500人による「東京五輪音頭」の踊りがはじまると、スタンドの観客が、にぎやかに手拍子をあわせた。(朝日新聞、1964年10月10日)
こうした「事前情報」を企画立案者たちも確認したはずで、今回は3年も前に仕込むのだから、前回を超える大成功まちがいなしと胸算用したとしても不思議ではない。ところが、すでに前編で記したように、今回は、笛を吹けども、国民は踊ってくれなかった。勧進元にすれば、まさかの結果だったろうが、それにはしかるべき理由があったのである。
若い世代の唄ではなかった
耳にタコができるほど聞かされたおかげで、今も口ずさむことができる五輪音頭。私の実体験から、先に結論を記すと、今の日本で国民が再び踊ってくれなかった理由は、ひとえに往時の時代状況に対する現代の無理解・誤解のなせるワザである。
この歌を耳にした私の第一印象は、強い違和感だった。それは、海の向こうからやってくるオリンピックというモダンな香りと、派手な着物姿の民謡歌手のドメスティックな泥臭さとのミスマッチだ。
これは私だけの印象ではない。前年には、いわゆる“ビートルズ旋風”が日本にも上陸し、多くの同級生や下級生はたちまち虜になった。中にはビートルズに距離感をもち、舟木一夫や吉永小百合の青春歌謡曲を愛好する者たちもいたが、断言できるのは、それらをひっくるめて三波春夫のファンは皆無に近かったということだ。少なくとも、「東京五輪音頭」は、若い世代の唄ではなかった。
なお、「東京五輪音頭」は、録音権が開放されており、三橋美智也や坂本九や橋幸夫、大御所では藤山一郎など有力歌手が競ってレコードリリースしていた。私もそうだったが、当時の日本国民の多くにとって、ラジオやテレビから耳に入ってくるのは三波春夫の朗々たる声音なので、てっきり三波の持ち歌だとばかり思っていた。
「五輪音頭」は「チャンチキおけさ」から孵ったヒナ
そして、今だに忘れられないのは、私が「東京五輪音頭」に違和感を覚えたときに、三波の「チャンチキおけさ」が執拗に耳にかぶさってきたことだった。
三波春夫というキッチュな存在を知ったのは、東京五輪の5、6年ほど前、三波がうたって大ヒットした「チャンチキおけさ」( 作詞:門井八郎 作曲:長津義司 、1957年)である。
♪月がわびしい路地裏で・・・小皿たたいてチャンチキおけさ……
♪故郷(くに)を出る時、持って来た、でっかい夢を……
10歳の小学生には、この歌詞が、東京をめざして地方からやってきた人々の挫折を慰撫するものとまでは理解が及ばず、調子のよさから、♪チャララ、チャララ、チャラララ、ラララと囃子詞(はやしことば)を合唱しながら給食の皿をたたくのが、同級生のあいだではやった。自宅でもそれをやって、母親から「子どもがそんなことをするものではありません」とさんざんたしなめられたものだった。
やがて私たちの耳元へ、コニー・フランシスやニール・セダカのアメリカンポップスが届き、すっかりそれに魅了されると、「チャンチキおけさ」の珍奇さはますます脳裏の奥底に刻みこまれた。
要するに、私たち団塊世代にとって、三波春夫はキッチュな歌い手として忘れがたい存在であり、「チャンチキおけさ」はその珍妙な懐メロの卵、「東京五輪音頭」はそこから孵(かえ)ったヒナといっていいかもしれない。
あっという間に冷めた「東京五輪音頭」熱
だからか、若い私たちは、どうして大人たちはこんな歌に乗せられて盆踊りを踊ってしまうのか、心底不思議だった。しかし、実は当の大人たちも、ヒナである「東京五輪音頭」が成鳥にまで育つとは思っていなかった節がある。「東京五輪音頭」熱はあっという間に冷めてしまったからである。
先の友人たちにも確認したところ、「東京五輪音頭」で盆踊りを踊ったのは、東京オリンピックの前だけで、私の記憶でも、それ以降、東京の盆踊りのBGMは定番の「東京音頭」や「炭坑節」に復している。それについて新聞記事にはこんな論評が掲載されている。
「あれから4年。また五輪の季節がやってきた。が、この五輪音頭、いまや人びとの口にのぼることは少ない。音楽専門家は『国民全体を踊らせようという意図でつくられたうた。大きな集会で、はなやかに流されても、人びとが自然と口ずさむうたではない』と口をそろえる。『心に深く定着するうたではない』ともいう。流行歌として短命だったのは、五輪というワクにあまりにピタリだったためだろうか。オリンピック・サイズでつくられた競技施設がその巨体をもてあましているように。東京五輪の立役者東龍太郎前都知事にきいてみた。『五輪音頭?歌詞もメロディーも忘れたなあ。そうそう、歌い手はたしか三波春夫だった』」
(朝日新聞東京版朝刊 1968年6月1日「東京のうた 波に乗った4年前」)
「五輪音頭」から「世界の国からこんにちは」へ
さて、ここからが「失敗の検証」にとって、肝心なところである。
では、「チャンチキおけさ」という卵から生まれた「東京五輪音頭」は、「ヒナ」のまま終わったのかというと、そうではなかった。
前掲の1968年の朝日新聞の指摘は2年後に覆される。時代は、三波春夫と「五輪音頭」を忘れていなかったのである。
1970年3月15日、「大阪万博」が開幕した。せいぜい2000万人がいいところだろうという大方の予想を大きく裏切って、半年間の会期で、のべ6421万8770人.なんと国民の半数を超える人が万博会場を訪れた。
来場者は万博史上最多を記録。この未曾有の動員の功労者の筆頭は、三波がうたいあげた万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」(作詞・島田陽子、作曲・中村八大)であった。
♪こんにちは こんにちは 世界のひとが/こんにちは こんにちは さくらの国で……
全国津々浦々で流された三波の歌声に誘われて、人々は大阪は千里の会場へと足を運んだのである。
この万博テーマソングもまた、「東京五輪音頭」にならってレコード会社各社の競作だった。テイチクの三波春夫をはじめ、坂本九(東芝)、吉永小百合(日本ビクター)、山本リンダ(ミノルフォン)、弘田三枝子(日本コロムビア)、西郷輝彦・倍賞美津子(日本クラウン)、ボニー・ジャックス(キングレコード)など有力歌手によってリリースされ、総計で300万枚を売り上げたが、その中でもっとも売れたのが140万枚の三波春夫盤だった。かなり水をあけられての2位が坂本九盤だったことからも、三波が「笛を吹いて国民を躍らせた第一の功労者」であったことは間違いあるまい。
「共産主義国」が得意とするプロパガンダソング
「チャンチキおけさ」という卵から「東京五輪音頭」というヒナが孵(かえ)り、「世界の国からこんにちは」でついに成鳥となった瞬間だった。
なぜ、三波にはそれが可能だったのか。
その経緯については、本連載「嗚呼!昭和歌謡遺産紀行〜あの時、あの場所、あの唄たち」の第1、2回で、大阪万博のテーマソング「世界に国からこんにちは」を取り上げて詳述したので、結論をはしょって記すと、三波春夫が満州でソ連軍の捕虜となってシベリアのラーゲリ(強制収容所)に収容され、そこで“赤色教育”をうけた元“共産主義浪曲師”だったからである。
**〈参照〉|bold**{{「大阪万博その1 笛吹男は収容所帰りの赤色浪曲師 【1】三波春夫『世界の国からこんにちは』」|https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019101800006.html|https://news.line.me/reflink/676/3/2c4c287a26d8b4d83b603777c84635cf162045bb}}
{{「大阪万博その2 仕掛けられた「反博」の爆弾 【2】三波春夫『世界の国からこんにちは』」|https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019101800011.html|https://news.line.me/reflink/676/3/7f5c86a9760ca053baca02a8610af2227705e0b3}}
「チャンチキおけさ」も「東京五輪音頭」も「世界に国からこんにちは」も、前者は地方上京者の悲哀、残りの2者は国民的イベントとテーマこそちがうが、底抜けの明るさといい、限りない未来信仰といい、そして歌詞の連呼によるサブリミナル効果といい、基本にあるのは、「共産主義国」がもっとも得意とするプロパガンダソングである。
であればこそ、それは元共産主義者の三波にはお手のものであり、競合する吉永小百合以下の国民的歌手たちを足元にもよせつけなかったのは当然であった。
国民を高度経済成長へ駆り立てた「笛吹男」
しかし、三波春夫の余人をもっては代え難い「個性」と「才覚」だけで、「東京五輪音頭」が「チャンチキおけさ」からヒナとして孵(かえ)り、「世界の国からこんにちは」という成鳥へと育ったわけではない。そこには、これまた他をもっては代えがたい「揺籃(ゆりかご)」が、重要な役割をはたしていたのである。
その「揺籃」とは、「今日より明日がよくなる」と国民を信じこませた「高度成長」という名の共同幻想である。
私は東京は中目黒の育ちだが、中学まではわが家のトイレは汲み取り式だった。それが水洗になるのは、東京オリンピックの開催が持ち上がり、地方出身者が続々と東京へ集まり、彼らの受け皿が求められることになってからである。
私の近所でも、子ども時代にセミや鬼ヤンマを追いかける格好の遊び場だったガスタンクの森が伐採され、水洗を完備した近代的なアパート群が誕生。それが契機になって、わが家も水洗付きに「改良」された。この頃を境に、私の「故郷」である東京は、都電が撤去され、日本橋の上には高速道路がかかりと、にわかに今日よりも明日が快適で便利で奇麗な大都会へと変貌をとげていく。
上京者たちの多くは高度成長に駆り出されて「国を出たときもってきたでっかい夢」は実現できなかったが、時に路地裏の屋台で小皿を叩いて不満をはき出すことはあっても、郊外のニュータウンに2LDKのマイホームを手に入れるぐらいの「小さな夢」はなんとかなえられた。
したがって、東京“原住民”の私にとっては、三波の「チャンチキおけさ」と「東京五輪音頭」と「世界の国からこんにちは」は、地方から大勢の人が動員されてくる光景の背後にながれる、3つでワンセットのBGMであった。
三波春夫は、国民を五輪と万博という国家イベントへ駆り出しただけでなく、高度成長という経済イベントへも駆り立てた、希代の「笛吹男」であった。
それに私がはっきりと気づかされたのは、高度成長が巡航速度に落ち、かげりが見えてきてからである。そのときには、三波はもはや「笛吹男」の役割をおえて歌謡界の大御所となり、この国も「笛吹男」を必要とはしない「成熟」という名の低成長時代に入っていたのだった。
「今日より明日がよくなる」という共同幻想なき日本で
さて、以上で、「半世紀前の“歌謡遺産転がし”による国民総踊り計画」という今回のオリパラの裏作戦をめぐる検証は完了である。ここから今回の不首尾の原因はおのずから導き出されるだろう。
東京五輪音頭は、半世紀前に国民の多くを踊らせることに成功したが、それは、高度経済成長を心地よい揺籃(ゆりかご)に、その申し子というべき希代の「笛吹男」によって育て上げられたからである。
そもそもそうした歴史的文脈を無視して、歌詞のほんの一部と歌手を替えることで、半世紀前と同じように国民を総動員しようと目論んだところに、無理があったのだ。
おそらく電通傘下の優秀な企画マンが立案したのだろうが、あまりにも安直すぎる。“歌謡遺産転がし”によって国民を踊り狂わせようというのであれば、あの時代と同じく、「今日より明日がよくなる」という共同幻想を全国民が共有することが大前提になる。そうすれば、三波春夫のような異能の「笛吹男」も生まれ、国民に熱を吹き込んで乱舞させることができるかもしれない。
しかし、いうまでもないことだが、ずいぶん前から日本では「明日は今日より悪くなる」という共同幻想が国民のあいだに深く定着している。そんな状況下で、半世紀前の笛吹唄をリメイクして流されたところで、国民が踊らかなかったのは当然の結果である。
せめて往時の楽しい思い出が残っている私たち70歳以上は「ノッてくる」のではないかと期待されかもしれないが、むしろ高度成長時代と現在の落差を比較できるだけに、笛を吹かれても再び踊る気分にはなれなかったのだろう。
ふと思った。先に紹介した加山雄三の聖火リレー走者辞退の真意は、コロナによる“反五輪気分”への配慮ではなく、三波春夫の代役の一人を引き受けたことの無理筋に遅まきながら気づいたからではないか。
2025年大阪万博で危惧される「同じ轍」
今回のオリパラで「“歌謡遺産転がし”による国民総踊り計画」が失敗したのは、ある歌が遺産(レガシー)になるには、「時代の精神」と激しく共振しなければならないことへの理解が、当事者たちにまったくできていなかったからだ。だが、それ以上に私が心配するのは、彼らが、うまくいかなかったのはコロナのせいだと考えて、「事後検証」を放棄することである。
だとすると、4年後に控える2度目の大阪万博でも、日本は同じ轍をふみかねないのではないか。あらかじめ忠告しておく。70年万博を彩った「世界の国からこんにちは」を、天童よしみか島津亜矢の歌でリメイクして、再び国民の半数を大阪へ動員しようと企図しても、それは本稿で明らかにしたとおり、失敗が約束されている。
くれぐれもやめておいたほうがいい。
(前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家)
外部リンク
「投票日だけ主権者」の私たち~イニシアティブ制度による政治参加を(上)
権力政治が織りなすドラマの見物人
菅義偉首相の辞任表明(9月3日)から1カ月にわたり、新聞・テレビなどメディアは1日も欠かすことなく連日、自民党総裁選絡みのネタを発信し続けた。とりわけ、テレビの情報番組やワイドショーは報道番組以上に時間を割き、芸能ネタを扱うかのように候補者4人の動向を紹介。そこでは「辺野古」「森友」「桜」といった言葉はほとんど発せられなかった。
「高市氏を支援した安倍氏は、岸田氏と取引してキングメーカーに」
「長老からの圧力か。河野氏を支持していた議員の相当数が投票日直前に離反する」
「岸田新総裁は安倍氏への配慮から高市氏を政調会長に起用する」
「岸田氏、幹事長に据えた甘利氏が安倍、麻生両氏との『緩衝材』となることを期待」
ここに示した通り、披露されるネタはボス同士の思惑、確執、駆け引きといったものがほとんど。お馴染みの政治評論家や政治部長は、権力志向型政治の側面のみに着目し、権力闘争の裏と表を訳知り顔で解説。そんな彼らにとって私たち国民は、権力政治が織りなすドラマの「観客・見物人」でしかない。主権者なのに。
こうした政治ドラマは総裁選のあと衆議院解散総選挙という演目に変わってなおも続く。ただし、総裁選時とは異なり、私たちはただの観客・見物人ではなく議員を選ぶ投票に参加することができる。しかもそれは4年ぶりの政権選択選挙であり、観客席から立ち上がって主権者としての威力を発揮する機会がやってきたのだ。
選挙は大切だけれど
わが国の場合、地方政治とは異なり国の政治は「改憲の是非」を国民投票で決すること以外、原則としてすべて代表民主制(間接民主制)によって事を決する。立法・行政・司法の三権のうちの立法府(国会)の議員を選ぶのは私たちであり、その議員の多数派が行政府(内閣)の長となる内閣総理大臣を選出するのだから、選挙がとても大切だというのは言うまでもないことだ。
新聞やテレビに登場する識者やキャスターらは、例によって「棄権しないで投票に行こう」「政治を任せられる人を選ぼう」「あなたの一票で社会を変えよう」などと国民に呼びかけている。選挙の度ごとにやるルーティンだ。
そういう呼びかけは学校での主権者教育の場でも行われており、近年、模擬投票を行う学校が増えつつある。もちろん、それ自体は決して悪いことではない。
だが、そうした「投票への参加」に終始する呼びかけに私は疑問を抱いている。とにかく投票に行って代表(議員)を選び、あとは観客席にいて彼らにお任せしましょうということになってはいまいか。
ソ連を盟主とするかつての旧社会主義国のような独裁体制でない限り、高い投票率は、代表民主制における選挙というツールが多くの人々に肯定され活用されている証だといえる。ただし、高投票率になりさえすれば横暴で汚れた政治の刷新や国民主権の深化がもたらされると考えるのは幻想でしかなく、ときどき実施される選挙の際、投票所に足を運んで一票を投じるだけでは、まったく不十分なのだ。
選挙に参加するだけであとはお任せという(議員にとって)都合のいい主権者、「不断の努力」(憲法12条)を怠る主権者となってはいけない。
私たちが主権者として持つ政治的権利は「選挙権」だけではなく、自ら立候補する「被選挙権」もある。あるいは、政府を相手取った「違憲訴訟」も起こせるし、国会議事堂を取り囲む100万人デモを決行することもできる。また、地方政治の場合は首長・議員の解職や議会の解散を求めたり、条例の制定・改変を求めたりする直接請求権を行使することもできる。
ただし、国民主権を形骸化しないために決定的に必要な「国民発議・国民拒否」といったイニシアティブの制度が日本にはない。それについては、この記事の後段で詳細に記す。
政治の場から外される主権者
国政選挙で判断、選択を誤ると、行政府や立法府が愚かなこと、汚いことをしても、私たちは次の選挙の投票日が来るまでは観客席に追いやられ、閣僚や議員に対して主権者として実効性のある働きかけができない。
「アベノマスクなんて馬鹿すぎる」「加計、森友や桜の真相を明らかにしろ」「3.11から学び、原発は稼働するな」などとSNSや集会でヤジを飛ばしたり怒号を浴びせたりしたところで、権力者はその声を汲みはしないのだ。
そして、たぎらせていた彼らへの怒りは次の選挙までの間に半減し、たいていの人は不信感を募らせながらも「仕方ない」とあきらめる。私たちは戦後70年余り、そういった営みを繰り返してきた。
政治学者で東京大学教授だった辻清明は、「60年安保」の直後に書き上げた著書『政治を考える指標』(岩波書店刊)でこう述べている。
「たとえ、個々の政策や法律に対して激しい批判や反対運動がおこなわれても、ひとたび国の方針として決まると、国民のなかにあきらめに似た無力感が漂い、一種の挫折感に支配されやすい傾向がみられる……ぎゃくにこうした精神状況が予見されるからこそ、政治指導者の側は、国家の安全とか秩序の維持とかに名を借りて、無理なことでも強行し、権力の上にあぐらをかく」
この本の刊行からすでに61年が経過したが、こうした傾向は弱まるどころか強固に常態化している。「コロナ禍での開催反対」という7割を超す世論を押し切って開催された東京オリンピックだが、開催後、反対していた人の半数近くが「開催してよかった」に心変わりした事実は、辻氏が指摘したことの典型例といえる。
事は五輪開催に限らない。着々と進む各地の原発再稼働も同様の傾向、流れになりつつある。今後、政権を担うのが自民・公明であれ立憲・共産であれ、国政が代表民主制一本で運営される限り「無力感が漂い、挫折感に支配される」現象はこの先も続くことになるだろう。
衆愚観に覆われた主張に反駁せよ
ノーム・チョムスキーは、自著『メディア・コントロール』(集英社刊/鈴木主税訳)の[観客民主主義]の項でこのように語っている(括弧内は筆者による付記)。
「民主主義社会における彼ら(大多数の国民のこと)の役割は、リップマンの言葉を借りれば、『観客』になることであって、行動に参加することではない。しかし彼らの役割をそれだけに限るわけにもいかない。何しろ、ここは民主主義社会なのだ」
「そこでときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。『私たちはこの人をリーダーにしたい』、『あの人をリーダーにしたい』というような発言をする機会も与えられるのだ。何しろここは民主主義社会で、全体主義国家ではないからだ。これを選挙という。
だが、いったん特別階級の誰かに支持を表明したら、あとはまた観客に戻って彼らの行動を傍観する。『とまどえる群れ』は参加者とは見なされていない。……この背景には一つの論理がある。至上の道徳原則さえある。一般市民の大部分は愚かで何も理解できないということである」
事の本質を衝くとはこういう言説だ。「国民発議・国民拒否」といったイニシアティブ制度を備えない代表民主制のみの政治参加としての「選挙」というものを、チョムスキーはこう捉えている。
前述の「棄権しないで投票に行こう」と呼びかけるキャスターや主権者教育を担う教員は、彼の考えに賛同できなくとも理解したほうがいい。
念のために言っておくが、チョムスキーは「観客民主主義」の現実を述べているだけで、市民は何も理解できないから政治的決定の参加者にしてはならないなどと考えてはいない。
選挙原理主義に陥るな
民主政の源とされる古代ギリシアの都市アテナイでは、法案の提出権を持つ評議会や行政執政官、あるいは司法職を選挙ではなく「持ち回り」および「くじ引き」によって男性市民の中から選んでいた。当時を生きたアリストテレスも選挙の非民主性を指摘しつつ、「くじ引き」で選任することの公平性、合理性を説いていた。
そして、こうした考えは現在に引き継がれており、実際に「くじによる代表者の選任」を行なっている国や地域がある。
フランスでは、「経済社会環境評議会」の議員の一部を「くじ」によって選んでいるし、アイスランドでは憲法改正を議論するための委員(1000人)を市民の中から「くじ」で選んだ。
またスイスでは市民グループが、国民議会(下院)の議員選出方法として「くじ引き」の採用を提案。ベルン州にあるビール市では、市議会議員の半数をくじ引きで選ぶよう求めている。
つまり、代表民主制での代表決定を選挙に限るのはおかしいし、[選挙=民主主義]と単純化するのもまちがっている。
さて、それでもなお「一般市民の大部分は愚かで何も理解できない」から、くじ引きではなく賢い代表を選んですべてお任せしたほうがいいと主張する人は大勢いる。そういう人たちに私はこう反駁する。
安倍政権が行なったいわゆる「アベノマスク」の全戸配布だが、これを使用した国民は全体の5%にも満たない。
余りの愚かさに、多数の国民が憤ったり呆れたりしたが、この歴史的な失政は「衆愚」について論じる際、説得力のある材料になる。
「一般市民の大部分は愚か」と思っている政治家、官僚や学者、言論人は数多いるが、莫大な公費(つまり税金)を使って「アベノマスク」のような拙い製品を造らせ、あのタイミングで日本の全戸に郵送配布しようと考える一般市民はこの国には存在しない。それをして利益を得られる人、経費無駄遣いの責任を問われない人以外は。
また、あんな拙い製品を(公費による買い上げ契約もなく)1億枚以上製造してあのタイミングで販売する民間企業もない。そんなことをしたら、まったく売れずに莫大な額の損失を出して倒産に追い込まれるのは分かりきっているから。
あんなにも愚かなことを思いつき、しかも何百億もの金を使って実行したのは、自分たちが市民よりはるかに賢いと思い込んでいる官僚や閣僚で、彼らはその過ちを認めさえしない。傲慢な無謬論者と呼ばせてもらおう。
原発政策に関しても同じで、電力会社や推進派の政治家、立地自治体のボスたちは半世紀にわたり「専門的な知識が必要な原子力発電について素人が口を出すな」「国が信頼している学者や専門家が『安全だ、大きな事故は起きない』と言っているのだから大丈夫」などと喧伝し、カネと脅しで地元住民らを支配。3.11から10年が経過した今もまた同じようなことを言って再稼働を進めている。
巨額の交付金をばらまき、日本国中に原発を拡散する政府や電力会社のお先棒を担いできた学者・専門家と少数派ながら科学的な知見を備え常識的な判断をしていた反対派市民のどちらが愚かであったかはすでに明白だ。
「選択的夫婦別姓」や「同性婚」、「入管行政」などについてもそうで、国会議員や官僚が私たち市民より人権感覚を有し、優れた判断を行なっているとは到底思えない。
イニシアティブ制度の導入を
前述のチョムスキーの指摘通り、民主代表制での「選挙」というツール一本では、「選挙と選挙の間」の日々行われる政治的決定の場に私たちは係われず、観客民主主義に陥ることが避けられない。これは個々人の情熱の問題ではなく、主権者として政府や国会に実効性のある働きかけをなし得る制度が整っているか否かの問題だ。
そして、その制度・仕組みこそ「国民発議・国民拒否」のイニシアティブにほかならない。
「国民発議」は、憲法や法律の制定・改廃、国際条約の批准・廃棄などについて、規定の連署を条件に国民の発議権を認めるもので、請求後に国民投票が実施される。
ただし、EUの「欧州市民イニシアティブ」やフィンランドの「アジェンダイニシアティブ」など、市民が発議した事柄を国民投票ではなく議会が審議して採否を決める制度になっているものもある。
「国民拒否」というのは、政府(あるいは自治体)および議会が、多くの国民にとって納得のいかない行政や立法を行なった場合、一定期間内にそれを撤回、廃止すべしという請求を行うのもので、規定の連署を添えて請求すれば、自動的あるいは政府(自治体)や議会が請求を拒んだ場合に、賛否を問う国民(住民)投票が行われて決着をつける制度だ。
スイスやイタリアなどは国政および自治体レベルで、ドイツやアメリカなどは州を中心とした自治体レベルでこの制度を導入し盛んに活用している。
例えば、「禁酒の発議」「連邦軍廃止の発議」「ベーシックインカム導入の発議」「原発交付金制度の廃止の請求」「大麻摂取・保持の合法化の発議」「医療目的のマリファナ承認の発議」、「小児性愛者を児童関連事業に就かせない発議」「最低賃金アップの発議」「すべての動物実験禁止の発議」……。
1900年以降、諸外国において発議・請求されたイニシアティブの数は、国民投票だけで軽く300件は超えており、これに世界各地で行われた自治体レベルでのイニシアティブを加えると優に何万件という数字になる(※このイニシアティブ制度の中身や具体的な事例に関しては(下)で詳しく紹介する)。
実現すれば日本でも活用されるはず
こうした制度が日本にもあれば、3.11が起きた2011年の段階で「原発の稼働を認めない発議」を行うべく、市民による全国的な署名収集運動が展開されたに違いない。あの頃、首都圏に住む多くの市民が自発的に官邸前、議事堂前に集り「再稼働反対!」と叫び続けたが、民主党政権も自民党政権もその声に応えはしなかった。まさに辻清明氏が言うところの「無力感が漂い、挫折感に支配された」わけだ。だが、国民発議制度があれば、どの党による政権であっても主権者の多数意思を無視することはできなくなる。
また、国民発議制度は他国との協定や条約の改廃にも使える。2019年2月に「辺野古」県民投票が実施されたが、元山仁士郎氏らこの直接請求運動を起こした若者たちなら、沖縄県のみならず県外の人々にも呼び掛けて「日米地位協定改定の発議」を実現させるかもしれない。彼らはこの制度を活用するセンスと実行力を持っている。
こんなふうに、代表民主制を採用しつつ「国民発議・国民拒否」のイニシアティブ制度を併用すれば、市民参加の可能性が大きく広がり、「無力感が漂う」ことも少なくなる。そして、多くの人が観客席を離れて政治参加、行政監視に足を踏み出すことになる。
国民の側から強く求める必要がある
こうした制度を導入するには憲法の一部(41条など)を改める必要があるが、市民自治や国民主権を強化・充実させるための憲法改正であり、いわゆる護憲派がこの改正を問題視するなら、それは間違っている。護憲というのは「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」といった憲法3原則を深化・拡充し具現化することであり、条文を一言一句変えないことではない。
ただ、今度の総選挙で「国民発議・国民拒否」といったイニシアティブ制度の導入を提唱したり公約にしたりする政党や立候補予定の候補者は、私が知る限り一人もいない。おそらく、こうした制度についてまったく知らないか、知っていても「議員の権限を弱める悪しき制度だ」という認識なのだろう。
実際は、イニシアティブ制度が活用されれば、国会多数派が強引かつ合理性に欠ける政治的決定を強行することが難しくなり、多くの人が不信感を抱いて久しい代表民主制が健全化する可能性が高まるはずだ。
イニシアティブ制度の導入を提唱する政党、候補者が一人もいないという状況は、私たち主権者・国民の側が強く求めない限りこの先も変わることはないだろう。道はかなり険しいが、多くの主権者が求めれば可能性は広がる。
まもなく衆議院総選挙が公示され実施される。あなたが主権者として選挙に参加することは大切だが、それだけではなくこうした制度の導入を求めることの意味も考え、行動してほしい。
※(下)では、スイスやイタリア、ドイツ、アメリカなど、この制度を整え、活用している諸外国の実施事例や発議に必要な署名数など基本的なルールについて紹介する。(今井 一 ジャーナリスト・[国民投票/住民投票]情報室事務局長)
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人生の答えあわせ~40代から年齢を重ねて見えてきたfortune 槇村さとる
なつかしい話は人生のスイーツみたい
なつかしい話というのは人生のスイーツみたいだ。甘味、美味。どんなに身勝手に自分勝手に想い出してもかまわないのだから。
「それはちがう」とか「あなたはそう想ってたかもしれないが私にはそうきこえなかった」とか、文句を言う人はもう自分の近くにいないし、思いきり美化して反論しようもない人(夫や若い人)に向かってたれ流す……そんな中高年になりたくない! 語ってる最中、うっとりしている顔を人に見られるのもアホウみたいで恥ずかしい。そんな想い出話をしてる場合じゃないデショ! 今しなきゃいけないのは目の前の仕事。目の前のネーム(漫画の設計図のこと。絵コンテ)を描くことだろうが! と思うタイプの人間だった。
――なのに、このごろ折にふれ人を想い出し、エピソードを想い出し、感情を想い出し、そのことについてもう一度考えたりしてしまう。そういう時、「老けたな」と思う。
まあ実際、齢はとったし、身体はあちこちポンコツで頭ン中も人並みにあやしい感じだしね。想い出に溺れてしまうのは仕方ないか……と許せるが……。しかし、掃除の最中などに過去の自作を読みふけってしまい、うっかりツボって笑ったり涙ぐんだりしてしまう様は、バカ丸出しである。
自分で何を描いたのかをすっかり忘れて読者になり切ってしまうのだ。30年前の自分の作品で今、ニヤニヤしたりびっくりしてりゃあ世話ないわァ。
私の描き方は体系をもたないフリースタイル
50年も描いているのだ。
新人の時は、ひとつの作品、ひとつの課題、ひとつのエピソードさえ想いつかず、人間とは何か? なんかも知らず、少しずつ武器を手に入れ、人間としての経験を積み、それを煮て? 蒸して? 加工して、ネームを描く技術や自分のツボを知って、描けるようになってきた。
また、読んでくれる人達と自分のポジション取りなども、苦労したポイントだ。
あと仕事上の人間関係ね、そりゃもう大変。でもまあそれも今は昔。……です。
今や私の描き方は、あまり「漫画の描き方」として人に話せるような体系を持たないフリースタイル化している。
こんな感じだ。
まず紙の前に座る。みつめる、「ひとつだけ」と心の中でつぶやく。とりあえず、とにかく、ひとつだけ、描きたいことを、決める。
表情でもよい、エピでもよいし、雰囲気でも、感情でも、何かを探し出すためによすがになるものをたぐっていく。ああこれだわ、これ描きたいのよ私! というものを探り出せたらひと段落。その種(タネ)から前後左右に枝葉を広げていけるからだ。
作品の種は苦しい思いだったり、エゴさだったり、切なさだったり、だいたい描きたいコトの回りには、あまり他人には話せない情けないだらしない自身の経験だ。
ネーム描きと家事をミルフィーユにして
さて、そんな種探し、ネタだし、ネーム描きは、けっこうエネルギーを使う。脳は疲れ、心も消耗するので、私はネームと家事をミルフィーユにして、すすめる。15分とか20分とか、ネームに集中し、15分とか20分とか無心に家事をする。私にとって家事は「ただ対象に没頭する」極楽タイム。
やればやるだけ部屋はきれい。ネームは進む。部屋はきれい。ネームは……(つづく……)。そうやって、どこを切ってもマインドフルネスなひとときをすごし、夕方飲むビールはこの上なくうまい。
15分以上脳をいじめつづけない! 疲れる前に、やめる! 15分に一回自分をほめまくって細かく達成感を味わう! これが私が50年かけてあみ出したネームのつくり方⁉ (笑)
ネームづくりの時の人気ナンバーワンの家事は台所みがき。特に流し回りをキラッキラにみがく時は気分も良い。自分の中へ深く入っていくネームのプロセスと、汚れを取ってステンレス本来の輝きをみがき出すという行為が似ていて、ノリが良いのかもしれない。
そう書くと、槇村さんちは整理整頓されてキラッている……ように想像される方もおるかもしれないので言っとくけど、「流し」以外はいつもゴタゴタ状態です。
「千代ばあのようになるだろう、なりたいのだ」
40代なかばから、流しみがきは始まった気がする。私は流しに向かう時(大ゲサ!)、必ずある人のことを想い出すのだ。その人の名は「織田千代」。「千代ばあ」……自分の作中に出てくるバーサンだ。『おいしい関係』というレストランを舞台にした、食べること、食べさせること、愛すること、愛されなかったこと……などにまつわるストーリー。少女の成長譚なのだが、そこに出てくる、食の世界の御意見番的な、いじわるバーサンが千代ばあだ。うまいものを食い、好きなように自分で決定して生き、他人に忖度(そんたく)せず空気は読まず、「和」をこわしまくり、暴力的で(ツエを振りまわしている)カッコイイバーサンだ。
私はこのバーサンが大好きで、作中の事態が膠着(こうちゃく)すると、必ずこのバーサンを呼び出し、大暴れしてもらって若いモン(主人公たち)のオシリをたたいてもらう。千代ばあ、大好き。このストーリーの連載中はあまり自覚がなかったが、千代ばあは自動書記だった(話がオカルトチックになってますが、ついてきて下さい)。
登場すればOK。あとは千代ばあが勝手に動き、しゃべり出し、暴れ、風のように去っていく。そんな描き心地だったのです。当時はとても不思議に思っていました。
私はたびたび原稿上の千代ばあに向かって、「あなたはだれなの?」と問いかけていました。そして、うすうすはわかっていたような気がします。「いつか千代ばあのように私はなるのだろう、なりたいのだ。千代ばあはいつも私の中にいる、ウソをつかない丸出しの私なのだ」と。
勝手に自分物語をつくり上げる。幸福な妄想
『おいしい関係』の作品にこんなシーンがあります。
“ねぼうした主人公が台所へ走っていくと、すでに千代ばあが朝食のしたくにかかっている。米をとぐ音がきこえる。掌(てのひら)で米をとぎ水をそそぎすてる。水と一緒にこぼれてしまった流しの中のひと粒の米を見つけた千代ばあのアップ、人差し指を米に押しつけ、くっついた米を釜にピッとはじいて戻す。それを見てる主人公”
このシーンは、自分について多くを語らない千代という人間を表現しようとふと思い、描いた。反戦、子供を戦争に出し、食べ物のない時代を生き抜き、米と野菜とあとに続く料理人たちを育てようとする、女。
このシーンを描いた時も、やはり「千代ばあ、あんただれ?」と思ってたと思う。
表現するということのおそろしさは、隠しおおせないということです。どんなに隠そうとしても出てくる。その人の本質というか芯の部分が出て来てしまう。先に! 無意識の底に眠る自分でもまだ知らない自分が出てくるんです。コワイですね~~~っ。
こういうキャラクターが出て来た時は、少ない力で大きな話をつくれるし、思い入れも強く、楽しく、幸福に描けます。
そして時間がたった時、そのキャラクターは、果たして自分なのか? 自分は千代ばあになれているのか? と人生の答えあわせが出来るのです。「なつかしい話」の中でもこの「答えあわせ」みたいな類が好きだ。あーでもない、こーでもないと勝手に自分物語をつくり上げてゆく。幸福な妄想。
ああ……これを老けたって言うのよね、わかってますとも。
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(槇村さとる 漫画家)
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世界最速で進むアジア太平洋地域の高齢化 私たちに準備はできているか?
アジア太平洋地域で人口の高齢化が猛烈なスピードで進んでいます。過去に例のない急速な人口動態の変化に、私たちはどう向き合えばいいのか。「国際高齢者デー」に合わせて、国連人口基金(UNFPA)アジア太平洋地域事務所長のビヨン・アンダーソン氏に寄稿をしていただきました。
※この記事は日本語と英語の2カ国語で公開しています。{{英語版「Asia-Pacific is the world’s most rapidly ageing region, but are we ready?」|https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021092100004.html|https://news.line.me/reflink/676/3/526dd1b6392015dd2ccfa07d5415b673a565ce65}}でもご覧ください。(論座編集部)
2050年の世界を想像してほしい。アジア太平洋地域では、4人に1人が60歳以上の高齢人口となる。2010年の3倍に相当する。今から30年も経たないうちに13億人近くが高齢者になるということだが、アジア太平洋の国々は、はたして高齢化社会への準備が充分にできており、人々は尊厳を持って歳を重ねることができるだろうか。
話を現在に戻そう。
東南アジアのとある国で人里離れた村に住む72歳のピンさんは、毎日糯米(もちごめ)を3キロほど売って生活を賄っている。彼女は夫が亡くなってから10年以上もこの仕事を続けている。息子は2か月前に亡くなり、娘2人は結婚して他の地域へと移り住んだ。彼女は現在、健康保険からいくらかの補助金を受け取っているが、この先さらに歳をとっても健康でいられるかどうか気がかりでならない。
かつてアジア太平洋地域の多くの国々では、ピンさんのような女性たちは、家族や地域社会に老後の暮らしを支えてもらうことができた。しかし、時代は変わってきている。人の移動や都市化により、高齢者を支える伝統的な扶助システムは機能しなくなり、政府は医療費による財政圧迫や、労働力の減少に苦慮するようになった。
現在、アジア太平洋地域で何らかの年金を受け取っている高齢者世代は全体の3分の1以下だ。しかし、高齢人口の増加に伴い、年金支給に必要な財源は増加傾向にあり、政府の負担はさらに増大している。
高齢化に対応していくために、政策の転換がこれまで以上に急務となっている。そうした政策の転換には、様々な課題を新たな人口動態の可能性として捉える視点への切り替えが必要である。
人口の高齢化は脅威ではなくチャンスだ
私たちは今、人口の高齢化が一体何を意味するのかを再考しなければならない。
人口高齢化は、政府が国の開発に成功した証として祝福すべきことであり、実際、それ以外の何ものでもない。なぜなら、健康、栄養、経済、社会福祉といった分野で持続的な前進を続けた結果、多くの人々が長生きできるようになったからだ。
人々の平均寿命が伸びる一方で、少子化も進んでいる。これには、夫婦にとって子どもを何人も持つ余裕がないというワーク・ライフ・バランスなど、様々な要因が関係している。
しかし、そもそも少子化と長寿化という社会現象自体が問題なのではない。本当の問題は、私たちがこの急速な人口動態の変化に立ち向かう準備ができていないということだ。
政府は今こそ、行動を起こさなければならない。政策立案者は有識者や市民社会と協力し、人権を中心に据えた高齢化政策や制度を、国家の開発計画に組み込まなければならない。
アジア太平洋のいくつかの国では、すでに高齢化対策が講じられてきている。だが、新型コロナウイルスの感染拡大や人道危機などで、高齢者がより弱い立場に追いやられる状況においては、施策の実施により一層の努力が求められる。
ジェンダー平等に根差すライフサイクル・アプローチが重要
アジア太平洋地域では、高齢者人口の半数以上が女性であることを踏まえ、ジェンダー平等と人権に根差したライフサイクル・アプローチを取り入れることが重要になる。
高齢化社会においては、女性は生涯にわたって存在するジェンダー差別により、さらに不利な立場に置かれることになる。とりわけ高齢の女性は、一般に教育水準が低く、家事など所得による対価が得られない労働を担うことが多いため、高齢の男性に比べて他者への経済的な依存が高くなる傾向がある。
人々がどのような人生を歩むかは、それぞれのライフステージへの投資によって決まっており、それは生まれる前からすでに始まっている。
女性が子どもを安全に出産できれば、母子ともに健康な状態が長く続く。少女たちが包括的な性教育を含め質の高い教育を受けることができれば、思春期や成人期に起こりうる人生を変えるような出来事について、十分な情報を得た上で判断できるようになる。女性が男性と平等に働く機会が与えられ、からだの自己決定権を持つことができれば、自らの手で未来を切り開くことができる。
女性たちが人生の様々な局面で自ら決定すること、それが許されることが、より健康的で経済的にも安定した老後を送ることにつながるのだ。
残された時間は少ない
私たちは今すぐ行動を起こさなければならない。急速な人口動態の変化という巨大な潮流が、アジア太平洋地域のみならず世界全体で社会のあり方を大きく変えているからだ。
国連は2020年から30年までの10年間を「健康な高齢化の10年」と宣言した。これは、来年で20周年の節目を迎える「高齢化に関するマドリッド国際行動計画」(MIPAA)を補完するもので、アジア太平洋地域、さらに世界中の各国政府が集まり、これまでの進捗を振り返るとともに、今後の課題に向けたプランを策定する。
人口高齢化に対応する単一的かつ包括的な政策は存在しない。そのため、すべての世代の人々のニーズに応える形で、先進的かつ人権とジェンダー平等を実現する政策に投資をしていかなければならない。
そうすることで、アジア太平洋地域の国々は、誰ひとり取り残すことなく、すべての人にとってのより良い未来を目指し、達成することができるのである。
すべての世代のために
「国際高齢者デー」の本日(10月1日)、国連人口基金(UNFPA)アジア太平洋地域事務所は、地域全体の人口高齢化を考えるうえで欠かせない、人権に基づくライフサイクル・アプローチの重要性を訴える啓発キャンペーン「すべての世代のために(For Every Age)」を開始する。
このキャンペーンは、国際人口開発会議(ICPD)の行動計画を推進するもので、アジア太平洋地域の国々が、人々のライフサイクルを通じた投資を行っていくことにより、高齢の女性や男性の生活を向上させる政策や社会システムを積極的に取り入れるように促すことを目的としている。
(ビヨン・アンダーソン 国連人口基金(UNFPA)アジア太平洋地域事務所長)
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Asia-Pacific is the world’s most rapidly ageing region, but are we ready?
Imagine it is the year 2050. In Asia-Pacific, one in four people will be over the age of 60; three times the number of older persons in 2010. With close to 1.3 billion senior citizens in less than 30 years from now, are countries in the region prepared to fully address the needs of older persons so that they age with dignity?
Let’s rewind.
Today, 72-year old Ping sells three kilos of sticky rice each day in her remote village in a Southeast Asian country, earning barely enough for a basic living. She’s been doing this for more than 10 years, ever since her husband passed away. Her son died two months ago, and her two daughters have married and moved to another province. Ping gets some consolation from the health insurance she is entitled to, as maintaining good health during her old age is her main concern.
Back in the day, Ping and other women in numerous countries across Asia-Pacific may have been supported by their families and communities. Yet, times are changing. Migration and urbanization have shifted traditional support systems for the elderly, and more and more governments are grappling with increasing healthcare costs and a shrinking workforce. While less than a third of older persons in the region currently receive a pension of some sort, pension payments are increasing as the older population increases, straining governments further.
More than ever there is an urgent need for policy reform in addressing population ageing. This must be driven by a shift in mindset to convert the challenges into a demographic opportunity.
Population ageing is not a threat, but an opportunity
We must rethink population ageing, celebrating it as the triumph of development that it truly is. More and more people are living longer due to the result of successive advancements in health, nutrition, economic and social well-being.
Along with longer life-expectancy, couples are having fewer babies. This is due to a variety of reasons such as challenges couples face in striking a work-life balance to not being able to afford having more children.
However, low fertility and longer life-expectancy are not the problem. The real problem is not being ready to face this rapidly changing demographic shift.
This is why governments must act now. Policy makers must work together with academia and civil society to incorporate rights-based ageing policies and systems into national development plans. While some countries in Asia-Pacific have already taken steps, implementation must be strengthened, particularly within the contexts of COVID-19 and escalating humanitarian crises that increase vulnerabilities of older persons.
Adapting a life-cycle approach with gender equality at the core
In Asia-Pacific, with more than half of the older population being women, it is crucial to adapt a life-cycle approach to population ageing, grounded in gender equality and human rights.
Life-long gender discrimination leaves women even more disadvantaged in an ageing society. Older women are often more financially dependent than older men due to generally lower education levels and unpaid work, having often carried the burden of being the family caregiver.
Investing in each stage of life, starting from before a girl is born, determines the path of her life course. When a woman is able to safely deliver her baby, this in turn improves the long-term health of both mother and child. When a girl has access to quality education, including comprehensive sexuality education, it helps her make informed decisions about life-changing matters as she transitions from childhood to adolescence and on to adulthood. When a woman has equal opportunity to contribute to the workforce and has bodily autonomy, she has the power to shape her own future.
The decisions she makes, and is allowed to make, at every stage of her life, paves the way towards a healthier and more financially secure silver age.
There is little time to lose
We need to take action now. The megatrend of rapid demographic shifts is altering Asia-Pacific and our entire world.
This is why the years 2020-2030 have been declared the UN Decade for Healthy Ageing, complementing the Madrid International Plan of Action for Ageing (MIPAA) whose 20th anniversary next year will bring together governments in Asia-Pacific, and globally, to review progress made and better plan for the challenges ahead.
While there is no single comprehensive policy that can address population ageing, we must invest in forward-thinking, rights-based and gender-sensitive policies that focus on the needs of people at every age of their life. In so doing, countries in the Asia-Pacific region can aspire to, and achieve, a better future for all, where no one is left behind.
For Every Age
Today on International Day of Older Persons, the UNFPA Asia-Pacific Regional Office is launching a regional advocacy campaign titled ‘For Every Age’ to raise awareness on the rights-based life-cycle approach towards population ageing across Asia-Pacific. The campaign is underpinned by the Programme of Action of the International Conference on Population Development (ICPD) and aims to encourage all countries within the region to actively adopt national policies and systems that enhance the livelihoods of older women and men, through investments throughout their life-cycle.
* This article is published in two languages, Japanese and English. See also {{the Japanese version.|https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021092100003.html|https://news.line.me/reflink/676/3/7be34a9881d2ce81c8216efcc881ff623ad0257a}} (The Asahi Ronza)
(Björn Andersson Opinion Editorial by UNFPA Asia-Pacific Regional Director)
外部リンク
イギリスと日本 新型コロナ対策にみる医療資源の投入の仕方、そして増税
人流抑制に重点を置いた日本の新型コロナウイルス感染症対策は、いまになって臨時の医療施設の設置や医療機関の活用が話題になっています。イギリスではこの間、どのような医療政策のもとで対応してきたのでしょうか。「医療制度から考える新型コロナ危機」シリーズで2020年4月、イギリスの大胆な新型コロナ対策をリポートしてもらった政治学者の石垣千秋さんが再び解説してくれました。日本との政策の違いが浮かび上がってきました。(「論座」編集部)
日本より感染者や死者が多い状態でも社会生活を再開
イギリスでは2021年7月19日、新型コロナウイルス(SARS-CoV2、通称Covid-19)の感染予防のため、1年以上にわたって実施されていた「人と人の距離の確保」、「マスクの着用」、「集会の制限」といった対策がほぼ全面的に解除された。当初は6月下旬の解除される予定だったが、規制が4週間延長された後の解除だった。
解除の数日前の記者会見でボリス・ジョンソン首相は、「このウイルスとの闘いはまだ終わっていない」という厳しいコメントを残している。実際、9月24日の感染者数は約3万6000人、感染が確認された人の死亡は180件、これまでの死亡者数は約16万人。緊急事態宣言中の日本より感染者、死者数も多い状態で、社会生活が再開されている。
新型コロナウイルス対策の体制
政府の主席科学顧問と主席医療官が専門家をリード
2020年1月にイギリスで最初の感染者が発見されてから1年半あまり、イギリスの新型コロナウイルス感染症対策の司令塔となったのは、内閣府に設置された危機対策本部(Cabinet Office Briefing Rooms、略称COBR。メディアの多くなどではCOBRAという略語が用いられている)である。
中国武漢市で新型コロナウイルスが発見された直後、1月上旬から情報収集を開始。ジョンソン首相を本部長に、関連分野の大臣、関係機関の責任者が参加し、感染拡大状況の監視と対策立案にあたった。保健・ソーシャルサービス省、ランカスター公領大臣(起源は王室の領地管理を行う大臣だが、現在はNHS以外の公共分野のコロナ対策を担っている)、大蔵省、外務省が中心となる対策を担い、他の省庁や関係機関が連携した。
大枠では日本と似ているが、大きく異なるのは対策本部に専門的な助言を行う専門家組織の規模である。科学的助言を実施する専門家組織はSAGE(Scientific Advisory Group for Emergencies)と呼ばれ、政府の公職にある主席科学顧問(Chief Science Advisor、現主席科学顧問 Patrick Vallance氏)が率いる。また、「国家の医師」と呼ばれる主席医療官(Chief Medical Officer、CMO)もSAGEのメンバーの一人だ。
他のSAGEメンバーは公の場には登場せず、2020年7月までは名前も公表されていなかった。首相の会見の場には多くの場合、主席科学顧問と主席医療官(CMO)が共に同席し、専門的な質疑に対応している。
感染状況の分析、データの提供を行い、COBRAに専門的な助言を行う専門家組織として、SAGEの存在感は絶大だ。2001年に設置され、2003年3月にWHO(世界保健機関)によってSARS(重症急性呼吸器症候群)のパンデミック宣言が行われた際は、政府に助言する機関としても機能した。
80人を超える専門家がメンバーであり、その多くがイギリスの名門大学の研究者、または公衆衛生の実務にあたる医学者である。感染者数の予測モデルや行動変容の分析集団、呼吸器疾患の専門家のネットワーク等のサブグループがある。
政治と科学者の距離
まだわずかな感染者しかいなかった2020年1月22日に開催されたSAGEの第1回会合の席で、すでに国境封鎖を主張する専門家もいた。欧州最大のヒースロー空港から新型コロナウイルスが国内に持ち込まれる可能性があったからだ。
しかし、EU離脱(Brexit)を前にして、経済への影響を心配した政府はこの助言を検討しなかったとされる。3月12日、ジョンソン首相は国民向けの演説で新型コロナウイルス感染症が公衆衛生上の危機であることに触れ、「愛する人を多く失うだろう」と述べた。だが、この時点では国民に厳しい行動制限は課さず、当初イギリスの感染症対策は他の欧州諸国よりもずっと緩やかだった。
首相演説の2日後(3月14日)、イギリス内外の500人を超える科学者が、規制を強化しなければ数週間のうちに何百万人もの犠牲者が出ること、NHSの集中治療室がひっ迫することで、他の病気の患者を不要なリスクにさらすことになると主張し、より強力な感染症対策を講じることが必要だとする意見書を発表。政府は対策を厳しいロックダウンへと急転換させた。
多面的な新型コロナ対策法で広く課題を網羅
一方、当初の緩やかな対策の最中にも、法整備は進められていた。イギリス政府は根拠法「新型コロナ対策法案」(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド各地の関連法、例えば精神保健法、年金関連法などの改正内容を含む)を議会に提出。3月19日に最初の審議が行われ、3月25日に成立した。
同対策法案は、緊急時の医療関係者の臨時復職制度、▽最前線の医療スタッフに対する事務的業務の簡素化、▽臨時ボランティアの動員、▽メンタルヘルスの維持政策、▽NHSの運営体制、▽死亡・死産登録、▽食糧供給体制、▽教育機関の休校、▽感染可能性がある国民に対する行動制限、▽イベントや集会開催についての政府の権限強化、▽傷病休暇取得の緩和策、▽年金制度の臨時変更、▽刑事司法手続きの一時的変更、▽地方選挙の延期、▽遺体の保管及び処理、▽産業界への資金援助など、感染症が拡大する時に予想される課題を、幅広く網羅するものになっている。
ただ、短い審議時間で膨大な領域にわたる法を制定したことに野党を中心に批判が強く、2022年度以降、検証委員会が設けられる見込みである。ロックダウンの規制内容は、健康保護法(1984年制定、直近改正2021年)の条項をその都度改正することによって、規制内容が定められた。
各病院では救急専門医や感染症を専門としない医師、看護師も配置換え
2020年3月3日には、保健・ソーシャルケア省からイギリス全土(スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを含む)に対する行動計画が発表され、政府の役割、各地域機関の役割や対応方針が示された。3月17日にはイングランドのNHSの運営を政府から委託されているNHSイングランドから、新型コロナへの体制整備について、各地域の運営機関や病院に通知がなされた。通知の発表前から、各病院では救急専門医や感染症を専門としない医師、看護師の配置換えを行い、感染者への対応を最優先する体制が徐々に整えられた。病状が深刻化しがちな循環器や呼吸器疾患の手術も延期された。
政府は基金を創設してNHSイングランドへの財政支援をするとともに、NHSを退職した看護師と医師6万5000人に対して、臨時に職場復帰を求める依頼状を送付した。依頼状に応えた退職者のほか、学生も動員され、感染拡大の渦中だった2020年4月30日、1万8200人の臨時スタッフが動員された。うち看護師が約1万100人、その約7割は看護学生である。また、一般国民にボランティアを呼びかけ、病院への受診支援、退院時の自宅までの移動支援、自己隔離している人への食料の配布などに何十万人もが参加した。
政府は民間医療機関から8,000床と治療にあたるスタッフを買い上げ
通知により、病床や医療機器の確保も進められた。緊急性の低い手術の延期、退院可能な患者の早期退院などにより、少なくとも3万床の病床確保が目標とされた。
通常はNHSの制度外で診療を行っている民間医療機関から、政府は病床8,000床及び治療にあたるスタッフを買い上げたほか、臨時の病院を設営(ナイチンゲールホスピタル)した。こうして病床確保を進めた結果、3月17日時点で1万2600床だった病床は、4月12日には5万3700床まで増加した。
また、民間病院に人工呼吸器の提供を依頼したほか、必要な医療機器の増産をメーカーに呼びかけた。こうして2020年春の「第1波」の感染流行に対する体制が急速に整えられた。
新型コロナ最優先で通常医療への対応は大きく低下
日本でも報道されているように、イギリスの感染者は日本とは比較にならないほど多く、約16万人が死亡している(2020年9月24日現在)。さらに医療機関での新型コロナ対応を最優先した結果、通常医療への対応が大きく低下した。2020年4月時点でGP(General Practitioner)からの紹介による受診や予定入院が、例年の4分の1程度に低下していたとするシンクタンクの分析もある(2020年7月22日 Nuffield Trust)。
イギリスの新型コロナ対策で重視されたのは、イギリスが世界に誇る医療制度、NHSを崩壊させないことだった。それは「命を救おう、NHSを救おう、家にいよう(Save lives, Save NHS, Stay home)」という対策のスローガンにも表れている。
遅れたケアホームでの感染対策
その一方で、高齢者の入所施設や障害者施設などを含むケアホームでの感染対策について政府の危機感は薄く、当初は新型コロナウイルス感染症に見合った感染対策の指示がなされなかった。ケアホームでの対策強化の必要性に政府が気づき、感染防止のガイドラインによって対策が強化されたのは4月半ばだった。
政府の危機感の問題だけでなく、感染防止のためのマスクや医療用ガウンなど(PPE)不足も、「第1波」の感染拡大当初には問題になった。医療機関でのマスクなども新型コロナウイルスの感染を防止するためには不十分なレベルだったが、ケアホームでは流通経路が医療機関とは異なっているために一層不足する状況であり、現場が要望する量の10%程度しか供給されなかったという。
ケアホームでは、さらに入所者の感染を確認する検査が当初は十分に実施されなかったこともあり、高齢者を中心に感染が拡大、そのケアを担う職員にも感染が拡大し、多くの死亡者が出た。2020年4月下旬、1週間でケアホームで約8000人、病院では同じ週に約1000人が死亡し、ケアホームの死亡者は病院の8倍に上った。第1波でケアホームに入所する大切な家族を亡くした遺族たちは、政府に大きな不信感を抱いている。
大規模検査体制の整備
第一波の後、1万8000人の職員を採用して追跡調査体制を整える
2020年の第1波は5月下旬頃から落ち着き、全土一律での行動制限は徐々に緩和された。その後、指標に基づいた地域ごとの行動規制に移行していった。
第1波が落ち着き始めた5月下旬、政府は検査の拡充と感染者の追跡調査を充実するために、新たにNHST&T(NHS Test and Trace)を設立した。NHST&Tは保健・ソーシャルケア省の組織と位置づけられ、首相と保健・ソーシャルケア大臣が直接指示をする。200以上の官民検査機関と契約して検査体制を拡充すると共に、1万8000人の職員を採用して感染者の追跡調査のための体制を整えた。
ただし、追跡調査は運営が軌道にのっても50%を超える程度の捕捉率にとどまり、結果としてNHST&Tの業務は検査が中心となった。感染予防に効果的な検査方法や精度管理について、専門家組織SAGEが助言を行っている。会計検査院の推計では、2020年度、NHST&Tに380億ポンド(1ポンド=150円、5700億円)の費用が投入された。
検査は新型コロナウイルスへの感染が疑われる人、濃厚接触者を対象にPCR調査を実施するほか、NHSの職員やソーシャルケアに従事する職員、またエッセンシャルワーカーを対象に実施している。全国展開するドラッグストアの店舗などを検査会場とするほか、アマゾンの協力を得て自宅に検査キットを配送しての実施も拡大してきた。検査数は最大で一日189万件にまで達した。上記の調査以外に大規模な抗原検査や新たな検査方法を開発するなど、感染の実態を把握するための検査も展開してきた。
検査体制が充実したことにより、感染が流行している地域では症状がない人も含めて検査を実施することが可能になったほか、小中学校や大学での検査も実施されてきた。
2020年秋以降の感染拡大
感染者が多い地域では郵便番号で指定された地区全体で検査実施
2020年秋以降、気温の低下と共に感染は再び拡大し、2021年初頭、イギリス全土でこれまでで最も厳しいロックダウンが開始された。同居家族以外に介護等を必要とする人が世帯以外の人と接することは認められていたが、子どもにも感染が多いことを理由に学校も閉鎖された。宗教行事と結婚式は、ごく少数に人数が限定された上で例外的に許可された。
NHST&Tの運用によって拡充された検査能力を活かし、感染者が多い地域では郵便番号によって指定された地区全体に対して検査が実施された。だが、死者数も第1波より多く、最も多い時には1300人を超えた。
世界に先駆けたワクチン接種
死亡者を多く出したケアホーム最優先で接種
2020年12月8日、ロンドン市内の病院で91歳を迎える女性にファイザー(・バイオテック)社のワクチンの接種が行われた。イギリスの命運をかけたワクチンである。
ワクチンの接種はジョンソン首相を最高責任者とし、製薬関係に精通したベンチャー・キャピタリストの民間人をトップとしてタスクフォースを結成した。タスクフォースの役割は、ワクチンを国民に可能な限り早く提供すること、国際的にワクチンの提供と配分を担うこと、また将来のパンデミックに備えて長期にわたるワクチン開発計画を策定し、製薬企業を支援することだった。ワクチン購入のためにタスクフォースが交渉した製薬企業は7社以上ある。
■「希望の灯台-英国ワクチン・ストーリー」
ワクチン接種の優先順位について助言するなど、実際の提供にあたって科学的知見を提供したのは、やはり専門家組織JCVI(Joint Committee on Vaccination and Immunisation)だった。JCVIはもともとポリオのワクチンの評価のために設立された公的、独立機関であり、やはりイギリス有数の大学、大学病院の研究者から構成される。新型コロナウイルスのワクチンについての責任者はノッティンガム大学病院の専門家である。
この優先順位のなかで、接種の最優先とされたのは、第1波で死者を多く出したケアホームに入所している高齢者とケアにあたるスタッフだった。二番目には80歳以上の高齢者と最前線で治療にあたる医療者、ソーシャルケアの従事者、三番目に75歳以上の高齢者、四番目に70歳以上の高齢者と重症化リスクのあるその他の年齢層の人と、優先順位は10段階に設定された。
ワクチンの打ち手の確保のため、政府は2020年10月に「ヒトに対する医療規制法」を「新型コロナウイルス及びインフルエンザ規制法 2020年」に改正し、医療者以外にも一定の研修を受講した一般ボランティアが接種をできるようにした。打ち手の拡充に努めた結果、接種数は多いときで80万件を超えた。そして、接種が進むにつれて死者数は顕著に減少してきた。
ロックダウン解除のための4ステップ
2021年2月22日、ジョンソン首相は下院で「ロックダウン解除」のための4ステップを下院で説明した。
解除のステップ1として、3月8日に学校や保育施設の再開。ステップ2として、4月12日に(これまで休業していた生活必需品以外の)小売店の再開、飲食店やパブなどの屋外営業を許可。ステップ3になると、イギリス人の生活に欠かせないパブの屋内営業が許可され、大規模イベント(1000人または収容人数の50%以下)も再開された。
ステップ4は、当初6月21日から人と人の距離確保やマスク着用も含む規制が全面解除される予定だった。だが、イギリスも日本や他の国と同様に、インド由来の変異種(WHOの名称デルタ)で感染状況が収まらず、全面解除は7月19日に延期された。
現在も日本より感染者、死者も多い状況にあり、国民にも規制の全面解除についての不安感はなくなっていない。だが、下院でジョンソン首相は今回の解除が「自由への一本道」(2021年2月22日)と述べており、再びロックダウンを実施しないという強い決意を示している。
今後に向けての取り組み
2022年4月から所得税、法人税を増税し、NHSとソーシャルケアの立て直しへ
規制の全面解除後、徐々に感染拡大前の風景が戻ってきた。先日起きたアフガニスタン問題では、アメリカと共に国際社会で主導権を握ろうとするジョンソン首相の姿もメディアに登場するようになった。
だが、新型コロナウイルスの感染者の動向は今も決して楽観できる状態ではなく、NHSの医療の状況も感染症前80-90%程度のパフォーマンスだと言われている。感染症を優先した医療体制の下、先送りにされた治療を数カ月間待つ人も少なくない。
もっとも、現在の保守政権になってから医療財政の緊縮により受診待機者が多く、専門家たちも新型コロナウイルス感染症の医療ひっ迫への影響を評価するのは難しいとしている。過去10年あまり力を入れてきたがん対策も、かなり後退したとも言われている。
2021年9月に、新型コロナウイルスの感染拡大を抑制する対策と医療体制、ソーシャルケア体制の拡充のための新たな動きがあった。
まず、2022年4月から所得税、法人税を1.25%増税し、NHSとソーシャルケアの立て直しの財源にされることが決まった。また、変異種による子どもへの感染が頻発することを理由に、12歳から15歳の子どもにもワクチンの接種が進められることになった。ワクチンの専門家組織JCVIは、子どもへの接種はメリットが少なく、心筋症の可能性もあるため推奨していないが、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの各主席医療官(CMO)が決定した。
9月14日には秋から冬にかけての感染対策計画が発表され、50歳以上の国民とケア従事者などにワクチンの追加接種、いわゆる「ブースター接種」が行われることも決定した。一方、2020年3月に成立した新型コロナ対策法のうち、今後必要がないと予想される条項は順次削除していく方針だ。
イギリスは、日本と比べて感染者、死者とも桁違いに多く、かけがえのない人を亡くした多くの人が今も悲しみの中にある。当然、政府や首相への批判も多い。だが、新型コロナウイルスをめぐって、ジョンソン首相や主席医療官、主席科学顧問らは頻繁に開催される会見で、記者はもとより、時には直接国民からの質問にも時間をかけて答えてきた。対策に際して法整備がなされたほか、第1波が過ぎた後、議会で政府の対応について検証作業が行われたことも重要だ。
日本もまだ続く新型コロナウイルス対策のために、過去1年半あまりの検証、現在進行している対策、今後の対策についてプロセスの透明化をはかっていく必要がある。
■シリーズ「医療制度から考える新型コロナ危機」(2020年)
感染者14万人でも「医療崩壊」しないドイツ 感染者1万人で「医療危機」の日本
CAも活用 イギリスの大胆な新型コロナ対策 日本も見習うべきだ
感染者の1割死亡のスペイン 医学生・看護学生、退職者を動員し出口探る
イタリアが「医療崩壊」を招いた三つの遠因が見えてきた
■シリーズ「新型コロナ・キーパーソンに聞く」(2021年)
コロナのゴールライン 死亡者数が季節性インフルエンザ下回るのが目安【国立国際医療研究センター 大曲貴夫・国際感染症センター長】
コロナで見えた医療の弱点 普遍性の高い基本的な感染対策が普及していなかった【国際医療福祉大学医学部医学教育統括センター・感染症学 矢野晴美教授】
在宅介護から施設入所へ コロナ禍の巣ごもりで見えてきた介護現場の課題【アゼリーグループ 来栖宏二代表】
コロナ禍で進む学校の二極化 オンライン授業の遠い道のり【横浜市立日枝小学校 住田昌治校長】
震災経験が自治体・医師会・医大の融和をもたらした 新型コロナの「福島モデル」【星総合病院理事長、福島県医師会副会長 星北斗氏】
「生命の危機が遠のいてもそこはゴールではない」 新型コロナ対策のロードマップ【文京区長、東京都23区の特別区長会副会長 成澤廣修氏】
「病気の怖さ」と「社会的に糾弾される怖さ」 バランスが変わった新型コロナ【元厚生労働省結核感染症課長、DeNA・CMO 三宅邦明氏】
「ここが正念場」という言葉の落とし穴 命か経済かの二者択一は正しいのか【元東京都福祉保健局技監、東京都結核予防会理事長 桜山豊夫氏】
五輪、ワクチン、自粛で怒りの炎が燃えさかる 「正義感が攻撃性を正当化してしまう危険性」【横浜市立大学医学部看護学科講師 田辺有理子氏】
コロナ対応・医療政策で都道府県の成績評価 コロナ後に訪れる医療の抜本改革【慶応義塾大学名誉教授 池上直己氏】
「最善は変わり続ける」ことを前提にして対策を考えることが重要【慶応義塾大学医学部教授 宮田裕章氏】
(石垣千秋 山梨県立大学准教授)
外部リンク
『中国vs.世界』の著書・安田峰俊さんが語る中国取材の裏の裏
お久しぶりです。プロ野球と著者をからめたインタビューをやってきたカープおじさんですが、コロナ禍においてやれることが尽きてまいりました……。
私ごときでこれなら、海外取材ベースの書き手はもっと大変なはず。大宅壮一ノンフィクション賞に輝いた『八九六四──「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)など、無数の中国人を相手に精力的な取材を重ねて傑作を書いてきた安田峰俊さんも、渡航できない現状ではさだめし苦労しているのではないか──。
そう思って安田さんの最新作『中国vs.世界──呑まれる国、抗う国』(PHP新書)を読むと驚かされます。新規の海外取材をせずに、10もの「マイナーな」国と中国との角逐を鮮やかに描き切っているのです。
コロナ禍であろうが、中国取材の困難さは習近平体制以降「今さら」の話だ。こう語る安田さんは、「第三国を通じて中国を語る」という手法をコロナ前から準備しておくことで、記者として新境地を切り拓いてみせました。
これは野球を後回しにしてでも、コロナ後の取材者のあり方を考える知見を安田さんから得なければ。そういうわけで、オンライン取材敢行です。
──阪神タイガースファンでもある安田さん、今年は楽しそうでいいですね。うらやましい!
安田 カープファンには申し訳ないけれど、タイガース、強いですね。だけど、最近は野球を追えていない生活だったので、実感がないんですよ。
──しかしコロナ禍では満足な取材活動ができず、忙しくならないのではないですか。
安田 いえ、『「低度」外国人材──移民焼き畑国家、日本』(KADOKAWA)がすべての大手紙で書評されるなど好評だったこともあって、国内でのベトナム関係の取材とか、ばんばんやってますよ。
──たしかに、最近は在日ベトナム人にかかわる事件を追ったルポを発表されていますね。
安田 この間はベトナム人のウーバーイーツ配達員に密着していました。なぜ彼らはチャリで首都高速道路に入ってしまうのか、とか。
──……マジですか、それ。
安田 はい。私が話を聞いた同じ家に住んでる配達員4人組のうち、少なくとも3人は「首都高に入った」って言い切ってました。彼らは標識が読めない上に、Google Mapだけを頼りにチャリを漕いでるものだから、スイスイ首都高に登っていっちゃうんですよ。
──不謹慎ですが、面白い話です……。いいネタを仕込まれていますねえ。
安田 こんな感じで、あちこちに国内取材に行くことはできています。感染対策にはできるだけ注意を払っていますが。
潜入取材した「孔子学院」は「餃子の王将」!?
──『中国vs.世界』では、西側諸国の一部から中国政府の出先機関だと疑われている語学教育機関「孔子学院」に潜入する、という企画もありましたね。
安田 オンライン授業をやっている学校があったので、Zoom潜入取材となりました。私は上級コースを受講しましたが、半年間、週イチでかなりレベルの高い授業を受けられて、学費は4万円未満です。
──破格の安さですね!
安田 はい、中国国民の血税で、語学力をブラッシュアップさせていただきました。
──でも、ノンフィクション作家という素性がバレたら出入り禁止になってしまうのではないですか。
安田 取材のあと、次の期も別の孔子学院に上級コースの受講を申請しました。そうしたら受講者不足で無理です、と断られたのです。
──孔子学院、オンライン放校処分だ。
安田 これは素性をチェックされたんだなと思ったんですけど、実は今月になって「ごめん、実はあれ先生が足りなかったからなんだ」って連絡が来ました。
──ずいぶん適当ですね。
安田 おかげで今期も孔子学院でありがたく学ばせていただいています。昨日はトライアルで、さらに別の大学の孔子学院にも行きました。
──どうですか、スパイ的な話はありましたか。
安田 いえ、ノリが違っただけですね。出入り禁止にもなりませんでした。『中国vs.世界』でも書きましたが、私は「孔子学院イコール餃子の王将」説をとなえるようになったのですよ。
──店舗ごとにメニューも経営方針も違う、と。
安田 1店舗ぐらい、すごい意識が高い王将、世界と勝負する王将があってもおかしくないじゃないですか。同じように、世界と戦う孔子学院があるかもしれませんね。
──著者として『中国vs.世界』で印象的だった取材はどのようなものでしたか。
安田 コラムとして入れた対談(ウスビ・サコ氏、マライ・メントライン氏)は2本とも気に入っています。やっぱり生で喋るほうが楽しいですよね。そこを除くと、ダントツで好きなのが、セントビンセント及びグレナディーン諸島と中国の関係。日本人でこれを真面目に論じた人は1人もいなかったですから。
──セントビンセント及びグレナディーン諸島。これは国家の正式名称なのですね。
安田 カリブ海に浮かぶ人口11万の島国です。日本とはいちおう国交があるのですが、大使がいるのは200キロ離れたトリニダード・トバゴの大使館。この大使、カリブ海の近隣9カ国の大使を全部兼務しておられるみたいなんですよ。
──日本も適当に相手している感じですね。
安田 まあ、国家とはいえ人口が鳥取市(約19万人)よりも少ないミニ国家が何カ国も含まれていますし……。逆に、セントビンセントのほうも日本に対して適当です。極東の大使館をすべて、「台北に置いている大使館」という超レアな施設に集約させています。
──日本の情報も台湾経由でやってくるのですね。
安田 この国にとっての東アジアは、台湾なんですよ。面白すぎるじゃないですか。
──『中国vs.世界』では、セントビンセントと台湾の熱い結びつきが描かれ、一方で中国の圧力により次々と台湾と断交していく諸国の事情が報告されています。台湾の首脳が国交のある国を訪問し、友好をアピールして帰ってきたらその2週間後に断交が発表される、っていうのがテンプレみたいになっていて恐怖しました。
安田 わりとある話ですね。いきなり裏切るとか、巨額のカネを要求してくるとか。
──で、それはちょっと……とやると断交されてしまう。
安田 そしてその国は中国と国交を樹立して、投資を得るわけです。しかし、台湾は台湾でしたたかなもので、コソヴォとかソマリランドとか、絶妙にネタになる国(「国」なのかも議論がありますが)に接近していたりする。ぜひ取材に行きたいところですが……。
──やっぱり現地取材、したいですよね。
安田 そりゃ、すごく現地取材したいですよ。セントビンセントみたいな国って絶対にガードが緩いでしょうから、普通に現地の台湾の大使館に行ってピンポン押したら話してもらえる気がするんですよね。そういう緩いところから国際情勢に食い込んでみたいなって。
中国が東京五輪を褒めた理由とは
──では、次の海外取材は、どちらへ?
安田 オリンピック嫌いなんですが、2022年の北京冬季五輪の取材はちょっと行ってみたいですね。五輪取材用のビザで入国したら拘束されることはないでしょうから(笑)
──でも2週間の隔離はありますよね。
安田 私自身は同時に複数のことをするのが苦手なので、本だけ書いてりゃいいとか、本だけ読んでりゃいいとかだったら、2週間くらいやれる気がするんですよね。
──Wi-Fiは必須ですね。
安田 でも、当局は通信内容をチェックするだろうし、盗撮してもおかしくない。そうなると、2週間一度もエッチな動画を見ないで過ごさないといけないのが……。
──逆に盗撮される快楽に目覚めてみてはいかがでしょう。
安田 いやあ、あとになって動画の閲覧履歴から中国の国家安全部が学習した、私の性癖にぶっ刺さるハニートラップとか仕掛けられたら困るじゃないですか。いや、それなら仕掛けられてもいいですけど。
──どんな動画を見るつもりなんですか……。というのはともかく、いろいろ困難が予想されるのに北京五輪は大丈夫なのでしょうか。
安田 断言します。絶対に開催されますよ。
──力強いですね。どうしてでしょうか。
安田 まず、中国は相対的に見ればコロナ封じ込めに成功しています。かなり。
──これから新たな変異株も蔓延するでしょうに、封じ込めは有効なままなのですか。
安田 1人陽性者が出ただけで、地域単位でPCR検査実施に封鎖とか、やってますよ。それに、中国ではコロナ陰性を証明する「健康コード」と個人情報を紐付けしてオンライン申請しないと、何もできません。中国国民は「健康コード」アプリで黄信号が出る、つまり濃厚接触者をすこしでも疑われると、もうどこにも行けなくなる。逆に家がある地域が封鎖されることもある。会社に行っただけなのに何日間も家に帰れなくなっちゃうとか、わりと聞くので。そうなってくると、危ないことは誰もしなくなる。
──マスク外してうぇーい、みたいな中国人はいないんですか。
安田 それはそれでいるみたい……というか、習近平さんほか党の最高幹部はノーマスクOKだったりもしますが。それも感染封じ込めの自信のあらわれなんでしょう。
──封じ込めと監視社会化が本当に徹底しているのですね。ほかに五輪を開催するだろう、と考える根拠はありますか。
安田 中国のメディアが、めっちゃ東京五輪開催に賛成していたんですよ。それに、あのグダグダ開会式とかですら、無理筋な論理で褒めてるんですよね。コロナ禍で五輪をやることによって、どういう弊害が出るかとか、実際に人を動かしてみたらどこがトラブるかとか、どこで感染しやすくなるかとか、東京五輪をやってもらえたことで、大量のデータを取れたのだと思いますよ。
──我々、実験台だったんだ……。
安田 東京五輪が開催されたことの最大の意義は、中国が北京五輪を完璧に実施して国威発揚に成功するための壮大な「プレ大会」を開いてあげた点にあったわけですよ。真っ先に地雷原に突撃して、生きた実験台データを中国に提供してあげたんですから……。日本国民の税金を数兆円突っ込んで。
──だからといって褒めることないじゃないですか。参考にしといて、ぜんぜんダメじゃん、と突っ込んではいけないんですか。
安田 もしも北京五輪で同じ問題が起きたら恥をかくから、褒めておくほうが安全なんですかね。五輪は大規模イベントすぎるので、どれだけ頑張っても、かならずなんらかの穴は出ますし。
──北京五輪が100%成功するかわからないから、とりあえず褒めとけばいいわけだ。じゃあ中国メディアでは、もう五輪というものについては前向きな意見ばかりが出ている、ということですね。
安田 はい、前向きですね。そういうわけで北京五輪、行ってみたい気がしています。2週間隔離のあとなら、町を歩いてもいいかもしれませんし。
「○○と中国」というテーマがいいなと
──では北京五輪に向かいつつある安田さん、この先はどんなお仕事を予定されていますか。
安田 まず、星海社新書でWebに対応した文章術の本を出す予定です。ほかに現代中国の少数民族や、中国入門的な書籍、ベトナム人犯罪ルポ……と、執筆さえできれば本を出す用事はたくさんあります。
──ガチのノンフィクションはどうですか。
安田 「○○と中国」というテーマがいいなと思っています。先週も取材に行っていたのですが、○○はあれだけ中国との関係が話題になるのに、いざ書店で見てみると中国との関係を語った本がほとんどないんですよ。
──なるほど、現地の報道や研究で欠落している視点かもしれない。
安田 ○○と●●が対立している構図にも興味があります。●●や▲▲の人たちは×××の惨禍をほとんど経験していないし、■■問題にも直面していない。一方で、◇◇を中心とした●●たちの▽▽▽は□□に◆◆◆なんです。それってすなわち◎◎◎◎……!
──いや、興味深い話ですが伏せ字が多くてわかりません。
安田 すいません。最近、テレビがわりと私の企画をパクるんですよ。どうやら在日中国人のプロデューサーがいる制作会社がよくパクっている。個人のノンフィクションと、主要局の名刺を出せる企業の仕事では制作費も社会的な信頼性も段違いですから、やられるとどうしようもない。まあ、ノンフィクションの命はテーマの企画力とはいえ、企画だけパクって別の人に取材する行為は「法的には」問題ないんですが。
──おお……。仁義ないなあ。
安田 日本の報道関係者なら「法に触れなくても道義的にダメだな」と考えるところを、「法に触れないからやってもいいよね」となるのが中国的な発想。もっとも、これ自体は文化の差異なので全然否定しません。ただ、彼女らが日本の社会で仕事をするのに中国ルールを持ち込んで利得を得るなら、逆に私が中国ルールで自衛策を講じても文句ないよね? とは思います。
──どういうことですか?
安田 一昔前の中国だと、調子に乗ったやつがレストランを開いていたら、ライバル店の同業者は公安やら水道局やら消防署やらにその店を片っ端から通報しまくって、店を潰しにかかったわけですよ。中国ルールの世界はこわい。いつか記事にするかな。ウフフ。
──中国での取材活動が制約されるようになっても、まだまだ面白い企画ができそうですね。頼もしいです!
安田 楽しみにしていてください。ワクチンを打ち終わったら、続きは球場で話しましょう。
──タイガースの胴上げはあまり見たくないですが、ぜひ!(井上威朗 編集者)