米村滋人(よねむら・しげと) 東京大学大学院法学政治学研究科教授
2000年東京大学医学部卒。東大病院等に勤務の後、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。日本赤十字社医療センター循環器科勤務を経て、2005年より東北大学大学院法学研究科准教授、2013年から東京大学大学院法学政治学研究科准教授、2017年から同教授。法学の教育・研究を行う傍ら、循環器内科医として診療にも従事。専門は民法・医事法。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
国民の多様な意見を反映させた感染症対策の「総合戦略」が必要だ
第2に、日本の規制は強制力のない「自粛要請」が中心であり、強制力のある措置は飲食店等の事業者に対する営業制限など少数にとどまる。しかし、この仕組みは長期間にわたり安定的な感染症対策を実現するには不十分であったと言わざるを得ない。ここの問題は、強制力を発揮できない法規制にあるのではなく、政府が感染対策の必要性と根拠を丁寧に説明し、国民の理解と納得を得るのを怠った点にある。
この1年半、政府(安倍・菅政権)はその種の説明をほとんど全く行わず、現実に実施される感染対策の必要性を裏付ける基礎データを開示することもなかった。メディアでは人流抑制に協力しない人々が増える現象を「自粛疲れ」と呼んでいたが、これは単に疲れたということではなく、一切の説明を怠る政府に対する国民の不信感の表れと見るべきだろう。
これらの2つの問題は、筆者の見るところ同じ根本原因に基づいている。本来は、複数の対策の有効性や弊害を科学的知見に基づいて予測し比較した上で、実施の時期や組み合わせ方を工夫し戦略的な対策メニューを策定する必要があるにもかかわらず、政府のコロナ対策では、ほぼ常に、乏しい根拠に基づいて場当たり的な対応を行うにとどまったと言わざるを得ない。そのことが、ミクロ対策を不当に軽視して、感染拡大局面で緊急事態宣言=マクロ対策のみに依存する方針を生み出し、また基本方針や個別対策の理由の説明がなくとも国民の任意の協力によって十分な感染防止が実現できるとの楽観的な見通しにつながったと考えられる。
しかも、これらのことは、根拠も決定過程も不明なまま、ほとんど密室で決定されてきたに等しい。国民は、理由もわからぬまま政府がいきなり提示する不十分な感染対策を受け入れるしかなく、そのことも国民の不満を大きくしたことは容易に推察される。
筆者は、昨年6月時点で、コロナ対策には複数の「戦略」が存在するため、そのいずれを選択するかは幅広い専門家や一般市民の意見を聞きながら政策判断として決定すべきであると主張していた(米村滋人「感染症対策の法的ガバナンスと専門家の役割」法律時報92巻7号1-3ページ)。ここで指摘した複数の「戦略」とは、感染者を完全にゼロにすることを目指す「完全制圧戦略」、感染拡大を容認し集団免疫の獲得を目指す「集団免疫戦略」、それらの中間で緩徐な感染拡大を容認する「軟着陸戦略」の3種である。
このいずれを選択するかは、コロナ対策の大枠の方向性を決めるものであり、あらゆる個別対策を選択する前提として極めて重要である一方、これは感染症疫学等の科学的知見によって決まる問題ではなく社会的選択であるため、専門家の判断に委ねるのではなく国民的な議論の上に決定する必要があると述べたものである。
ところが、今日でも上記のうちどの戦略が選択されているかは定かでないばかりか、コロナ対策の「基本戦略」を検討する組織体も手続きも存在しない。昨年4月時点では、安倍首相(当時)の記者会見等では完全制圧を目指すかのような勇ましい説明もされたが、いつの間にかその種の発言は出なくなり、しかし明確に完全制圧が放棄されたともされていない。これでは、適切な個別感染対策を打ち出せるはずもないだろう。
そして現在では、コロナ対策と経済活動の両立をどのように図るかが重要な課題となっており、感染症対策の有効性や見通しを踏まえつつこの種の「基本戦略」を策定する必要性がさらに高まっている。そのことを踏まえてか、10月15日、岸田首相はコロナ対策の全体像を11月早期に取りまとめる方針を発表した。しかし、そこで挙げられている内容は、以前から検討されてきた個別対策の寄せ集めに過ぎず、筆者のいう「基本戦略」にはほど遠い。ワクチン接種者について行動制限を緩和する方向性も示唆されているが、ワクチンの効果は数カ月後に低下するとすれば、ワクチン接種により経済活動を再開できるのはごく短期間にとどまる可能性があろう。より長期的・普遍的なコロナ対策の方針こそが必要である。
コロナ対策の「基本戦略」においては、ワクチンによる効果はいつまで持続可能か、ワクチンによる集団免疫獲得は可能なのか、などの科学的知見をもとに、社会経済活動を大きく抑制しない感染症対策を組み合わせることで感染リスクの低減を図ることが目指されるべきだろう。その中では、マスク着用や換気などのミクロ対策を基本に据えた上で、感染状況に応じて段階的に対策を追加するのが合理的であり、どのような状況になったらどの社会活動を制限するかを事前に定めておく必要があろう。
その際には、特定の事業者のみが不当な負担を負うべきではなく、また感染リスクの低い活動が制約されることのないように配慮しなければならない。いたずらに十把一絡げに規制することは、かえって国民一般の不満を増大させ、任意の協力を得にくくし、感染対策の有効性をそこなうのである。
そして、この種の戦略を立てる際には、国民各層の幅広い声を聞きながら透明性の高いプロセスで決めることが重要である。失われた国民の信頼を回復させるには、多くの国民が納得する手続きで方向性を決める必要があろう。
政府の2021年の新型コロナ対策は、明らかに失敗した。なぜ失敗したかの原因を正しく認識し、その点を改めつつ新たなコロナ対策の方針を立てることこそが、今求められているのである。そのためには、幅広い専門家や国民各層の英知を集め、何が国全体にとって良い選択であるのか、真摯(しんし)な議論を行うことが何よりも重要である。衆院選の論戦が展開される中でも、この種の議論が交わされることを期待したい。
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