筆者は2019年11月の当連載(https://diamond.jp/articles/-/220475)で、京急が1995年に最高速度を時速105キロから時速120キロに引き上げた際に、特発の移設や増設を行わなかったことが事故の遠因ではないかと指摘した。

 ところが結論から言えば、これは「誤り」だった。京急の快特列車は現在、子安~神奈川新町間を時速120キロで走行しているため、時速105キロの時代も同様だったと思い込んでいたが、実は神奈川新町第1踏切に特発を設置した1981年当時、当該区間の制限速度は時速85キロだったのである。つまり設置当時と現在で時速35キロもの速度差がありながら、特発の移設や増設は行われなかったのだ。

 この速度は停止距離にどの程度の影響を及ぼすのか。非常ブレーキの減速度を京急の車両では一般的な4.5キロ毎時毎秒(1秒当たり時速4.5キロ減速)とし、空走時間を2秒とした場合、時速120キロからの停止距離は約510メートル。これが時速105キロだと約400メートル、時速85キロでは約270メートルになる。

 事故調査報告書によれば、当該列車が神奈川新町第1踏切までに停止するためには、特発を視認できる位置に到達後、約1.5秒以内にブレーキ操作をする必要があった。京急は事故以前、最高運転速度における標準ブレーキ距離以上の地点から視認できる位置に特発を設置するとしていたが、具体的な余裕時分は定められていなかった。

京急がまず行うべきは
運輸安全マネジメントの再検証

 例えば前述の八人山踏切事故における事故調査報告書によれば、JR西日本は特発の見通し距離について「非常ブレーキ距離(運転最高速度)+2秒の位置から連続視認できること」と定めている。さらに余裕をもって3秒とした場合、時速120キロでは約610メートル、時速105キロでは約485メートル、時速85キロでは約340メートル地点で特発を視認する必要がある。

 神奈川新町第1踏切から子安駅のホーム端まで約567メートル。子安駅の前後には半径800メートルの左カーブがあるが、カーブを抜けてから踏切まで約330メートルは直線区間である。また京急の調査によると列車の運転席から踏切を見通せる距離は約400メートルで、最も遠い特発(遠)も踏切から約400メートルの位置に設置してあった。

 これを踏まえて速度ごとに比較すると、時速120キロでは子安駅のホーム端より手前で特発を視認する必要があった(実際はホーム端を通過時に左カーブの架線柱の隙間からかろうじて視認が可能という「神業」レベルだった)。