子どものころの僕は、お金は汚いものだと考えていた。
「普通に生活していくだけの収入があればよく、それ以上は不要」と考えていたのだ。
だけども無一文になっては困るし、収入が不安定なのもよくないので、
「勉強をして将来的に平均かつ安定的な収入を得られる仕事に就こう」とは思っていた。
そして実際にこの思考は現実化したわけだが、学生から社会人になって気づかされたことは、「何をするにもお金がかかる」ということだ。
衣食住と教育にお金がかかるのは昔から知っていたが、大人になるとさらにリアルな現実を知ることになる。
例えば出産、葬式、法事などだ。
生まれるとき、死ぬとき、そして死んだあともお金がかかるのだ。
もう少し身近なものでいえばライフラインである。
電気・水道・ガスは生活線と呼ばれている。
僕の知り合いのひとりに極度の貧乏を経験した女性がおり、
彼女は電気と水道料金の支払いができずに止められたことがある。
そこで彼女が痛感したのは、止められて一番困るのは水道、次いで電気ということだ。
ガスに関しては、止められたことはなかったそうだが、
「水道や電気と比べれば、優先順位は低いね」と話していた。
このように、人は生きているだけでお金がかかるのだ。
人間にとってお金とは燃料のようなもので、それを少しずつ燃やしながら人生を維持しているのだ。
自分で稼ぐにしろ、税金で援助を受けるにしろ、人はお金から逃げることはできない。