そっか。
私もこの言葉が欲しかったのかもしれない。
ずっと世間の普通から外れるのが怖かった。
だから、1人でもいい、仲間が欲しかった。
『私もそう思う。』
『実は…』
なんて、いつもは隠している本音の部分を曝け出して、あー、わかる!実は私もそう思ってた!という人を見つけたかったんだなと。
だいたい悩みを吐き出すと、
慰められる事が多くて。
(私には理解できないけど)大丈夫、きっとそんな人もいるよ!と言われているような感覚だった。
あー!分かるー!
そうそう!
ではなくて。
あー、確かに。
そう考える人もいるね。
あなたはあなたの思うように進めばいいよ、正解なんてないんだから!
=私には理解できないけど…
と、突き放されているような気さえしていたんです。
確かに、障害のある子を育てているお母さんって知り合いにはなかなかいなくて。
理解したくても理解出来ないし(育ててないから)、寄り添いたくてもどんな言葉がいいのか分からない事もあっただろうなって。
それなら、障害のある子を育てるママさんと知り合いになればいいか!と思っていたら、そんな簡単なものではなかった。
考え方が違う人が多過ぎて、逆に私があー分かる分かる!となれなかった。
マイノリティの中のさらにマイノリティになってしまい、なんだか余計に孤独を感じた。
療育手帳や支援制度は本当にありがたい。
でも、障害児ばかり恩恵を受けていると感じる定型児ママさんや世間の考えを見たり聞いたりした時に、大変な子育てをしているのだから頼りたい気持ち半面、なんだか申し訳ない気持ちになったり。
せっかく制度を利用しようと思っても、所得制限に引っかかり(夫は住民票を我が家に残したまま単身赴任中のため、収入だけが増えたと思われている。二重生活は正直カツカツだ)、あらゆる手当がストップ。
そして、たまたま出会ったママさんが、ウチよりはかなり軽い雰囲気だが、使えるもんは使いまくろう!我が子イチバン!な雰囲気で、話が合わない。
さらには、もうひと方はウチと同じかやや重そうなお子さんで、地域にいるのが苦痛という感じ。
いじめや浮く事を思えば少しでもあたたかい支援の中で守られていたいと。
気持ちはすごく分かるけど共感は出来なくて。
ウチみたいに、軽度でもない、重度でもない、支援はある程度必要だけど、そんなにガッチリ守って欲しいわけでもなく、ほどほどに生きたい人になかなか出会えなくて、とても難しいなと感じています。
私はカミングアウトもかなり早かったし、テンション上がってワー!ってなっちゃう時も、今嬉しくてね、とか、今ちょっとパニックになっててなんて普通に話しちゃうので、まわりも、あーそーなんだ!!って感じで理解してもらえていたり、もしかして怖がっている人とは距離も取れているはず。
今のところはニコニコちゃんなので、優しく接してもらえているかな。
でも、結局どちら側にも属せないというか。
健常児ママとも、障害児ママとも微妙な距離が出来てしまう。
そこに悩んでました。
でも、実はそんな風に考えているのは私だけなのかな?とも思うようになり。
微妙な距離を置いているのは私の方かも知れないなと。
だから、ちょっと心のバリケードを緩めて、傷つく事を恐れ過ぎないで、どちらのママの中にも気の合う人がいるから、そういう人達と過ごせばいいか!と。
全て同意なんて難しい。
違う考えももちろんある。
そこにこだわらずに、色々な人と色々な距離感で過ごしていたら、いつか知らぬ間に居心地の良い場所が見つかっているかも。
いや、そもそも、もう居心地の良い場所があるのに、自分で居心地悪くしてしまっていたのかもしれない。
特定の誰かとつるまなきゃ!ずっと一緒にいなきゃ!仲間と認められない!なんて。
いつまでそんな子供じみた価値観で生きるのかと。
大人として独り立ちし、どんな人とも対等に心地よい距離感で過ごせばいい。
きっと似た価値観の人も現れるだろうし、もしかしたらもう側にいるかもしれないなと。