はあちゅうとイケダハヤト(*1)、ネットから文筆業を始め、今最も稼いでいそうな2人と思われる。だが彼らはネットの面汚しのように批判されている。最近ではこのような批判が挙がっていた。
はあちゅうは月に300万円noteと有料サロンで稼いでいる件
イケダハヤトさんのお弟子さんはせっかく限界集落に住んでるんだから引きこもってブログなんて書いてちゃ駄目でしょ
両者への批判は2点に集約される。
1.サロンなど「文筆業」以外での収入が多い
2.書いているものに中身がない
ただ、結果として彼らが幾ばくかのお金を稼いでいる。需要はあるのだ。だとすれば価値があるのは「なぜ売れるか」のほうだろう。私はこの答えが「作家のアイドル化」だと考えている。
本の中身に、どれほど価値があるのか?
ある本を読んだとき、その「中身」にどれほど価値があるだろうか。私が本を購入するときは『知識を得る』と『情感を味わう』のどちらかが得られそうなときだ。前者の知識系の本(ウイスキーの専門書や医学入門書など)は正直、作者よりも中身が重要だろう。女の子が美味しそうにウイスキーを飲む写真が半分を占めるウイスキー専門書なんて、いらない。
だが『情感を味わう』になれば話は別だ。私は小林秀雄の論理性をぶっちぎった「もうそう感じるんだから仕方ないじゃん!」と割り切ったエッセイを楽しんでいる。たまに鎌倉にあるお墓へ参ることもあるし、彼の愛した店を辿ることもある。
たぶん、私にとって小林秀雄は「アイドル」なのだ。もし彼が今も生きていて、毎日何を食べたか書いたnoteが売られていたら喜んで買うと思う。そしてそんな私を「変だなあ、作家に入れ込むなんて」と笑う友人はいるかもしれないが、少なくともさげすまれることはない。
属人的価値でものを売るということ
おそらく、はあちゅうとイケダハヤトを好む人たちも同じように「はあちゅうさんのようになりたい」「イケダハヤトさんみたいになりたい」と思って、あるいはせめて彼らを少しでも知りたくてnoteを購入したり、高知県へ移住しているのだろう。好きなアニメキャラクターの聖地へ移住するのだと思えば、なるほど高知県へ引っ越すわと納得できる。
彼らは「アイドル」になったし、積極的にアイドル的な売り方をしている。それは今まで文士にファンがついたのとは、大きく異なる点だ。
2人とも既に「アイドル」的なものの売り方で生活できるほどフォロワーを手に入れているので、アンチがいかにいようとも(AKB48に文句を言う人間がいても、ドルオタがなんとも思わないように)どうでもいいのだ。なんてったって、アイドルなんだもん。
アイドルは、やめらんない!問題
文筆家が自分を積極的にアイドル化して売り込む際に唯一問題があるとすれば、アイドルはやめらんない! 点だと思われる。1度アイドルとしてコンテンツを売るようになると、新しい課題を抱えることになる。しかしはあちゅうとイケダハヤトは、どちらも下記の通り独自の対策を打つことで「アイドル化」のリスクを回避できているように思える。
1.新規ファン獲得のハードルが上がる
文章を読む層はは作者が持つ「コンテンツ」を知ってから好きになっていくので、既存ファン向け有料コンテンツだけでは「課金してからよさが分かるゲーム」のようで新規ファンを獲得しづらい。
はあちゅうの対策 …… TV出演で新規一般読者へ知名度をアップ
イケダハヤトの対策 …… 彼を信じるブロガーによる宣伝効果
2.アイドル的コンテンツ以外を売りづらくなる
アイドルとしてのはあちゅう、イケダハヤトを好む人は「鋭い論旨や世相を斬る発言よりも、キラキラした人生を見せて欲しい。教祖になってほしい」層が増える。アイドルとはもともと、世相を斬るものではなく視聴者を癒すものだからだ。従って過去の自分が唱えた議論を翻したり、世相に反するエッジの効いた議論は却って出しづらくなる。
はあちゅうの対策 …… 「最近こう思うようになった」という論旨で心の揺れとして以前の議論から転換する
イケダハヤトの対策 …… 「このほうがお金になるから」というシンプルな論理で読者に彼の変化を受け入れさせる
彼らが平成のネットアイドルとして積極的に自分を売り出し、文筆できるなんて稀有な才能・努力があったことは間違いない。そしてそれが受けている市場も面白い。
こんな人たち、文士じゃない! と批判したいのであればなぜ彼らが受けているのかを分析し、それを超える手法を見出してからでも遅くは無いだろう。彼らはビジネスをしているのであって、宗教戦争をしているのではない。アイドルの握手会付きCDが売れるのが嫌なら、それを超える音楽を作るしかないのである。
*1 便宜上敬称を略しています。あらかじめご了承ください