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あと2ヶ月程後に死ぬ予定でしたが、もう限界なので近日中に自ら断つことを決心しました。もう遺書も既に書きました。あとは場所を探して行動に移すだけです。短い間でしたがありがとうございました。いつか自殺者が一人も出ないような真の意味で平和な世の中になりますように。
本当は私だってもっと生きたい。 病気や事故、災害、事件等で命を落とす人達でさえ未練があるかもしれないのに、ましてや私に未練がないなんてことはない。上げたらキリがない。
死ぬことは良い事とは限らないが、生きることが良い事とも限らない。 どうも多くの人達の意識の根底には「生きること」「生を受けたこと」=「無条件で良い事」みたいなのが刻まれている気がする。
私の父も、母も、私が悩みを打ち明けたり、「死にたい」と言った時に割と冷たい態度をとるのに、いざ私が死んだとしたらたぶん凄く悲しむだろうから、自○しようにも躊躇いが若干残るし、辛いんだよなぁ...。
・「死にたいって言ってる奴ほど死なない」なんて事はない。自○する人は本当にします。 ・本気で「死にたい、消えたい、自○したい」って思ってる人にどんな励ましを送っても意味が無いし、場合によっては逆効果になり得ることもあります。 ↑↑↑これらのことをもっと多くの人に知ってほしいです。
あと3ヶ月後を予定していたのですが、予定を早めるかもしれません。 本当はもっと何かを形として残したかったし、もっと色んな人と話したかったけれど、それも叶いそうにないです...。そのぐらい本当に辛いし苦しい。そもそも自○を考えてる時点でそんな大層な夢見てたのが間違いだったな、、、。
ダメだ、、脳がバグってきた。 死ぬのは怖いんだけど、''まだ生きていたい''って気持ちより''死にたい''って気持ちが上回ってるってのはそういう事だろう、多分。
初めっから死にたいなんて思う訳ないじゃない。でも生きるのももう辛い。たけど、安楽死はできないから絶対に痛みはあるだろうし、正直、死ぬのは怖い。親や友達に助けを求める気にもなれない。それしか頭の中にない。もう本当にヤバいのかな自分、、、。
楽しいことも何も考えられないし、何か美味しいものを食べようとも思えない。考えても考えても八方塞がりで先が見えないし、心が押しつぶされる寸前。自○を決行した人達の感覚ってこんな感じなのかな...。
今まで何度か本気で死にたいと思う度に友達とか親に愚痴とか相談してたけれど、もうそうする気も起きないや。 あと約3ヶ月後とかじゃないかもしれない。いよいよ本当にやばい。それぐらい今とても苦しいし、何も考えられない。
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圧倒的に嫌な事が多い人生だったけれど、全てがそうだった訳でもなく、親や友達含め少なからず恩に感じていることもあるんだよなぁ...。そう思うと身勝手に死ぬ自分がやるせないし、責任感も多少感じる。いや、自殺を考えてる時点で責任感もクソもないか。
あと107日、とか言うけれど、もしかしたら不慮の事故で早死にする可能性もあるから(それはそれで本望だが)遺書だけは書ける内に書いておかないとな。
生きたくない。でも苦しみも少なからず伴うだろうから本当は死にたくない。死にたいというよりもは誰にも迷惑をかけずに永遠に眠っていたい。 私の自殺願望の本質はこんなもんだろう。しかし、それは許されない。 だから自ら命を断つしかない。
「お前が死んでも何も響かないし、それで世の中が変わるわけでもない」 ↑↑↑だったら私が死んでも何ら問題ないよね☺、という逆の発想。
容姿に優れていて、才能にも恵まれていて、一見何不自由なく見える人でも自殺してしまうこともある。 恵まれているように見えても人それぞれ抱えてる悩みに対する意識には差異があるんだよ。貴方の価値観で「お前は俺より恵まれているんだから自殺なんかするな」と勝手に決めつけないでもらいたい。
こうして他人を引き合いに出して比べるのは失礼なのは承知だしあまり好きではないけれど、 クソみたいなことが多かった人生だった私でも一応、友達と呼べる存在もいて、美味しいものを食べたりできて、SNSという手段を介して後世に自分の思いを遺して逝けるだけ まだマシだよなぁ。
きっともう誰に自殺を止められたとしてもこの決意が揺らぐことはないだろう。例え好きな芸能人に止められるようなことがあっても。何よりそんな生半可な気持ちで自殺したくない。それ程までにこの意志は固い。
前向きに生きるために安楽死が必要 老後の心配がなくなったらみんな貯金せずに消費が増えるから経済にもいいよ!私みたいなゴミがいなくなるから明るい人による明るい人のための明るい社会が実現するよ!ぜひ一度ご検討を!!
@ki4nenryoy4444がリツイート
私は私の死を以て、自殺という問題の深刻さを訴える。それならば私自身が生きて生き抜いて必死でその問題の深刻さを訴え続けるべきだ、と言う人もいるかもしれないが、残念ながら負のエネルギーに頼った方が世の中には伝わりやすい。そして何より、私自身にその気力がない。
例え私が死んだとしても、この垢が私が生きていた事の証明になる。もしニュースにでもなったとしたら尚更だろう。 だからその証として、できるだけ私の考えを、思いを、この垢に遺しておこうと思う。こういう人間が確かにいたのだ、と。
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Twitter一般ユーザー(1年目)
取得時刻: 2021年10月16日 17:15:13