もちろん、インド洋に直接接する地域では、さらに深刻な異常気象にさらされる。
アフリカ東岸では、豪雨と洪水、マラリアの流行などに悩まされることになり、オーストラリアやインドネシアでは極端に乾燥した状態になる。2019年から20年にかけて、オーストラリアでは、半年間にわたる森林火災で国内の2割に相当する森林が失われた。
そして、ぼくはふと西インド洋のマスカリン諸島はどうだろうかと思い起こす。ドードーがいたモーリシャス島では、4000年ほど前に極度の乾燥に見舞われた時期があることがわかっており、本書を読んだ後では、それもまたダイポールモード現象が関係する乾燥イベントだったのではないかと思い当たった(確信はない)。
現在、世界中の博物館が持っているドードーの標本のほとんどは、そのときの乾燥イベントに由来するものだ。水場に集まって死んだドードーの亜化石が大量に出てくる沼地があり、その1ヵ所で発掘されたドードーの骨が、世界中に流通するものの9割以上を占めている。千葉県我孫子市の山階鳥類研究所に所蔵される日本唯一の標本もそのひとつである。
インド洋の巨大な海洋気象現象が、ドードーの歴史と現存する標本の起原にも、当然のように関わっているのである。
本書『インド洋』には、そもそも「インド洋とはなにか」という根本的なことを考える章でも、大いに興味をひく部分がある。
2億年ほど前までのインド大陸は、南半球で、南極・アフリカ・オーストラリアの各大陸と隣接していた。その後、インド大陸だけが北上する中で、ユーラシア大陸の南側の大洋が拓けた。また、インド大陸がユーラシア大陸にぶつかったために、ヒマラヤ山脈が隆起したことを耳にしたことがある人も多いだろう。
過去2億年で1万キロメートルに及ぶ道のりを旅したというのは、地質学的な年代における超スピードだ。著者は「南半球から北半球へと駆け抜けた」と表現する。
その「駆け抜け」の痕跡は、インド洋の海底に今も刻まれているという。
一つは、インド大陸の東から南東側を走る「東経90度海嶺」だ。南北5500キロメートルにも及ぶ直線状の海山の連なりで、8000万年前から3800万年前にかけての「インド大陸北進の航跡」とみなせるという。著者はこれを「真北を指す細い槍」と呼んだ。
一方、インド大陸西側にもインド大陸北上の痕跡、チャゴス・ラッカディブ海嶺が残っている。インド東岸から観光地として有名なモルディブ諸島を経て、なんとドードー類の故郷マスカリン諸島のレユニオン島へとつながっている。
レユニオン島は、ドードーがいたモーリシャス島からわずか180キロメートルほどの距離で、マスカリン諸島の中でもいちばん若い火山島だ。今も非常に活発な火山がある。
さらに関連事項として、インド洋の海底地形の基本構造として指摘される「逆Y字」の中央海嶺もまた興味深い点だ。これらは、南極プレート、アフリカプレート、インド・オーストラリアプレートの境界部分にできたものだ。
そして、3つのプレートが接する部分は、なんとソリテアがいたロドリゲス島のすぐ近くで「ロドリゲス三重点」と呼ばれる。
結局、マスカリン諸島の西端のレユニオン島から、東端のロドリゲス島にいたるまで、インド洋の核心部分ともいえる海域なのである。
その海域で進化したドードー類は、やはりインド洋の申し子のような存在であったとの思いを深めた。
インド洋の核心ともいえるロドリゲス三重点近辺で、著者を含む研究チームがおこなった深海底の研究は、本書の中で最もいきいきと描かれる重要なエピソードだ。
太平洋、大西洋に比べて、調査がおこなわれることが少なく、謎の大海だったインド洋について、1990年代のはじめに「新しい風」が吹いた。世界最高レベルの研究船「白鳳丸(二代目)」や、深海潜水船「しんかい6500」が1989年に就航し、日本の若手研究者を中心にインド洋中央海嶺を研究する気運が高まったのだという。日本の研究者たちによって、インド洋の新たな知見がもたらされる準備が整った。
最初のターゲットとなった海域は、まさにロドリゲス三重点付近だった。
1993年、白鳳丸はモーリシャス島で補給をおこなったうえで調査海域に赴いている。主たる目的は、インド洋初の海底温泉を見出すことで、著者は深海の海水の化学分析から海底温泉の存在を証拠づける成果を挙げた。
さらにその後、2000年の無人探査機「かいこう」の潜水で、実際に海底から熱水が吹き出す現場を見出したことで、インド洋深海底探査は新たなフェーズへと入る。
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