片山さんが購入したバイク登場!
世界グランプリロードレースの
元世界チャンピオンである片山
敬済さんが普段乗りの「肩慣らし」
で選んだオートバイは、カワサキ
のZ400ネイキッドだった。
自分でお金出して二輪を買うのは
40年以上ぶりだという。
そして、なぜこのマシンを選んだ
のかの質問に対して敬済さんは
答えている。
「カワサキということ」と第一声
で。
それについては深くは言及しては
いない。
だが、そこには「カワサキだから
選んだ」「選ぶならばカワサキ
から」という本人の意思のニュア
ンスが含まれている事が読み取れ
る。
「カワサキということ」という
言葉。
サラッと言って、その後流しては
いるが、かなり意思表明の表現と
しては強いものがそこにはある。
なぜカワサキか。
私の場合は16歳で免許を取得して
からの二輪ライフのスタートは
カワサキ2ストからだった。
それ以前の中学の時のオフロード
での練習はヤマハだった。
生まれて初めて自分だけで二輪車
を運転したのはホンダのカブで、
12歳の時だった。
しかし、高1で免許を取得して
公道に走り出したのはカワサキ
からだ。
道行きの原点はカワサキだ。
その直後からのクローズドコース
ではホンダのMT125で、中にF3
を挟んで次にヤマハTZ250となっ
た。
街乗りもヤマハになる事が多かっ
た。
ヤマハのオートバイが飛び抜けて
走行性能が良かったからだ。
だが、原点である高校時代のカワ
サキの2台が忘れられず、またカワ
サキに戻った。原点回帰だ。
私の周囲でも、カワサキに乗り換え
る人が増えている。
なぜカワサキなのか、いろいろその
人たちは語ってくれる。
共通するのは、そこに一つの「思い」
がある事だ。
これは他のメーカーのファンにもあ
るのだろうが、カワサキを選ぶ人た
ちはある種独特の思い入れがあるよ
うに見受けられる。
そして、特徴。
カワサキ好きは、他メーカー好きの
人の事を非難したりはしない。
なぜか他メーカー好きの人たちは、
自分の好きなメーカー以外を好きな
人に対して矛先を向けて、人様の
好みを非難して喜ぶ傾向がある。
かなり迷惑な話だが、そういうの
がとても多い。
カワサキ好きたちは、「我関せず」
だ。我が道を行く、という感じ。
これはカワサキ乗りに最大公約数と
して共通しているのが読み取れる。
カワサキ乗りに接してみて、彼らが
発する言葉にそれが窺える。
言葉は、その人の質性を如実に表す。
慇懃無礼というものがあるように、
言葉の単語並べをいくら丁寧に連ね
ていても、失礼を通り越して無礼
千万、度外れた非常識なえげつない
質性で人に接して来る人間も世の中
には多くいる。
言葉は、その表面上の言葉の言質
がどうのではなく、その表現の裏に
ある人的な質性、真意こそが重要
だ。
私はなぜカワサキなのか。
カワサキに乗り換える時、妻が言
った。
「ヤマハじゃなくていいの?」と。
私の印象はずっとヤマハだったから
だという。
「初恋の相手なんだ」
と私が言ったら、飲んでたお茶を
ブッと噴き出してた。いや、まじで
噴いてた。
しでえなあ。
人の思いを笑ったらいけねえぜ。
古い友人まで別な日に言いやがった。
「ヤマハを捨てるんだな」と。
捨てやしないよ。ヤマハの車は
昔も今も大好きだよ。車作りと車
そのものが。
でも、カワサキなんだよなあ。
何故だかはよく分からない。
道に出るようになって、世界観を
変えてくれたのがカワサキだった
んだよなあ、私の場合は。
二輪自体は12歳から運転操作は
していたけど、世界観が変わった
のは、やはり16歳で広い世界を
知ってからだ。
ガソリンを給油したらどこまでも
行けるの?という事を知った時、
人生観が一気に変わった。
徐々に変わる「変身」ではなく、
生物学的には一気に変わる「変態」
というやつ。
冶金学の世界だと、オーステナイト
が一気にマルテンサイトに変わる
熱変態のような。
私は、カワサキによって、ダンから
スピナーに脱皮できたのだ。
カワサキによる熱変態によって、
私は鋼としての本来の姿を得た。
別段、私はカワサキマニアでも
偏執的なカワサキファンでもない。
ただ、常に寄り添うように、ごく
自然に心の中にカワサキがあるの
だ。
信号で止まるたびに、よくカワサキ
のタンクをポンポンと叩く。
「お前、年寄りなのによく頑張って
くれてるなあ。これからも頼むな」
と心の中で語りかけながら。