会長・事務局長メッセージ

会長メッセージ

国境なき医師団(MSF)日本 会長 外科医
久留宮 隆(くるみや・たかし)

私たち一人ひとりができる人道援助を

「医療の根本は“患者の望むことを為す”こと」。この言葉を原点に、私はこれまで国境なき医師団(MSF)の人道援助活動の現場に赴いてきました。紛争や災害、感染症や栄養失調など、危機に瀕している人たちに医療を提供するMSFの活動は多岐にわたります。たとえ医療設備の整わない環境であっても、自分の専門外の対応を迫られる時も、常に患者さんのニーズに応えるべく最善を尽くし、過酷な状況にある人たちの苦しさを軽減することを目指して、私たちは日々取り組んでいます。

世界には今、紛争や迫害を逃れるために故郷を追われた難民や国内避難民、庇護(ひご)申請者はおよそ7950万人(※)いると言われています。この数字は第二次世界大戦後、過去最多を記録し、今や97人に1人、全人類の1%が苦しみの中で暮らしていることになります。また、この数字に含まれない、紛争や迫害以外にも、極度の暴力や貧困を逃れて移住を余儀なくされる、移民の人びとも加えると、さらに多くの人が危機的な状況に置かれていると言えます。

“人道”という言葉は一般にはなかなかなじみがないかもしれませんが、もし街中で小さな子どもが目の前で転んだのを見たら、たいていは自然に手を差し伸べるのではないでしょうか。それが“人道援助”であり、自然な人間の行動なのだと思います。一方、日本で生活をしていると、人道危機の情報はなかなか伝わって来ず、「目の前の事」として知ることができにくいのが実情です。人道危機の現場を目撃している組織の代表の一人として、私は多くの日本の皆さまにも世界で起きている現状に目を向けていただき、傷ついた人びとに対して、私たち一人ひとりがどう行動できるのか、自然な人としての行為として何ができるのかをともに考えていく努力を続けていきたいと考えています。

  • 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)グローバル・トレンズ2019

MSF日本会長、消化器外科の専門医。愛知県立旭丘高等学校卒業。1984年、三重大学医学部を卒業後、同年4月より三重大学医学部第一外科入局。三重県を中心に地域中核病院での外科に勤務し、済生会松阪総合病院にて手術室部長を務めるなどした。その後、あいち肝胆膵ホスピタル診療部長、地方独立行政法人桑名東医療センター手術室部長、三重北医療センターいなべ総合病院救急総合診療部長を歴任し、現在、三重県津市の永井病院において救急を担当。2004年よりMSFの活動に参加。2006 年から2012年、および2017年からMSF日本理事、2018年よりMSF日本副会長を務める。2020 年3月より現職。

事務局長メッセージ

国境なき医師団(MSF)日本 事務局長
村田 慎二郎(むらた・しんじろう)

「人道主義」への支持を広め、日本から世界に向けたうねりを

MSFは1971年の設立以来、資金面で政治からの独立性を保つことにより組織運営の独立性を維持してきました。これにより、「人種、宗教、信条、政治的な信条の違いを超えて、差別することなく、現地の人びとが求めている援助を届ける」という人道主義の原則にのっとった活動を続けており、その方針はいままでも、そしてこれからも変わることはありません。

私自身、2005年から海外派遣スタッフとしてMSFに参加し、その人道主義の原則に沿ってシリアや南スーダン、イエメンなどでいくつもの活動を指揮・統括してきました。そこには、国籍や人種などさまざまなバックグラウンドのスタッフが、「緊急援助が必要な人を助ける」という同じ目的で集まっています。政情不安定な国や地域でこそ、女性や子どもをはじめとする人びとの医療や人道援助へのアクセスが必要ですが、近年「テロとの戦い」の名の下、紛争地の前線では医療機関への攻撃や特定地域に住む一般市民への援助活動の制限が正当化・合法化されており、多くの救えるはずの命が救えなくなっています。問題はこれらの行為が、国際人道法を順守する責任があるいくつもの国家(政府)により行われていることです。21世紀は、医療倫理や人道主義が危機を迎える時代になるのではないかと危惧しています。
ですから私は、日本のより多くの皆さまに「独立・中立・公平」の人道主義の原則に関心を持っていただき、日本から世界中のMSFの活動に貢献できるうねりをつくっていきたいのです。それがひいては、世界中で苦しみの淵にある人びとを一人でも多く救うことにつながると確信しています。

MSFにおける日本人初の事務局長。静岡大学を卒業後、外資系IT企業での営業職を経て、2005年にMSFに参加。現地の医療活動を支える物資輸送や水の確保などを行うロジスティシャンや事務職であるアドミニストレーターとして経験を積む。2012年、派遣国の全プロジェクトを指揮する「活動責任者」に日本人で初めて任命され、シリアや南スーダン、イエメンなどで援助活動に関する国レベルでの交渉などに従事。以来のべ10年以上を派遣地で過ごす。2019年夏より、紛争地で人道援助が必要な人たちの医療へのアクセスを回復・維持するために医療への攻撃を止めさせるアドボカシー戦略を練ることをゴールに掲げHarvard Kennedy School(ハーバード・ケネディスクール)に留学。John F. Kennedy Fellow (ジョン・F・ケネディフェロー) として行政学修士(Master in Public Administration=MPA)を取得した。2020年8月より現職。