俳優・歌手として活動するつちやかおりさん。つちやさんには、11年前にアルツハイマー型認知症と診断された89歳の母親がいます。今ではつちやさんを娘だと認識することができません。当初は葛藤する日々を送っていましたが、グループホームで穏やかに過ごす姿に接し、気持ちを変えます。母を受け入れ、「母の喜びが自分の喜び」と語るつちやさんと、同じく母親の介護をしている脳科学者の恩蔵絢子さんが語り合いました。
1964年に東京で生まれたつちやかおりさん。父の安正さんは板金業を営み、母の玲子さんは夫の会社で経理の仕事をしていました。玲子さんは優しく穏やかで、つちやさんと兄の正彦さんを大切に育みます。
つちやさんと母・玲子さんと兄・正彦さん
つちやさんは1979年にドラマ「3年B組金八先生」でデビュー。その後アイドル歌手としても活躍し、玲子さんは心から応援してくれました。
つちや:私は母っ子で、なんでも相談していました。母ですけどお友だちのようでもあり、母がいないと私はダメという感じでした。母は料理も洋裁も得意で、私の衣装も母が作ったんです。例えば聖子ちゃんみたいなボンボンつけてとか、明菜ちゃん風にしてとリクエストしたら、完璧に作ってくれた。ライブの衣装も母が全部。
恩蔵:えー!かっこいい!
つちや:ある程度私の体に合わせただけで縫ってしまうんです。型紙をとっているところは見たことがないですね。だから自慢の母でした。
玲子さんが作った衣装を着て歌うつちやさん
しかし、つちやさんはあるとき、玲子さんが認知症かもしれないなと思いはじめます。
つちや:今からどれぐらい前なのかな?どこが、っていうのがないんですよね。じわじわだと思うんですけど。いちばん最初に感じたのは、私の息子が俳優をやっていまして、その舞台をすごく楽しみにして、六本木まで来ることになったんです。それがいくら待っても現れなくて、だいぶ経ってから来たんです。とにかく迷いに迷ったそうで、慣れているはずの六本木なのに来られなくて。そして、母もとてもよく知っている私のお友だちの人たちをわからなかったんです。でも、人のことを忘れるとか、名前を忘れるとかって私たちにもよくあるじゃないですか。
恩蔵:あります、あります。
恩蔵絢子さんとつちやかおりさん
つちや:これはたぶん年のせいだろうとかね。ごまかしごまかし、何年も経ったんですよね。
恩蔵さんのお母さんが認知症になられたのは、とても若い頃ですよね。
恩蔵:65歳のときです。
つちや:不安がすごくあったでしょうね。私の母は78歳のときですから、まぁしょうがない。元々のおっとりさんに輪をかけて、おっとりしちゃったんだろうな、くらいに思いたかったんですよね。
恩蔵:ありとあらゆる理由をつけて認知症じゃないと思おうとしますよね。
つちや:そうなんですよね。そんなはずはないって。今になれば、そんなはずあるでしょって思うんですけど。母は待ち合わせに遅れた理由を、「駅がわからなかった」と言ったんです。六本木に着いてから出口がわからなかったとかではなくて、もっと大きな出来事を忘れてしまっている。
不安になったつちやさんは、認知症だと信じたくない気持ちを抱えながらも、玲子さんを病院に連れて行こうとします。当時、つちやさんは玲子さんと離れて暮らしていましたが、一緒に暮らす父と兄は病院へ行くことに反対でした。
つちや:そんなことがあってもなかなか病院に行かなかったんですよ。「ちょっとおかしいんじゃない?」っていう私の言葉を、父と兄は「なんでそうやってお母さんを認知症にしたいんだ」みたいな。「そんなことない。一緒に暮らしているんだからわかる」って言う。でも認めたくないっていう気持ちのほうが強い。現実を見ない。
恩蔵:認知症だったら困っちゃうって。一緒に暮らしていると困る気持ちが強くなりますよね。
つちや:一緒に暮らしているかどうかで違うと思います。女性より男性のほうが大変なのかもしれませんね。不安なのかもしれない。
2010年にようやく受診すると、アルツハイマー型認知症と診断されます。
認知症の診断が出た玲子さんの在宅介護を始めたのは、同居する兄の正彦さんです。そして3年後の2013年、父の安正さんが亡くなります。その頃になると玲子さんは、部屋の中で頻繁に探し物をするようになりました。
部屋の中で探し物をする玲子さん
正彦さんの負担は日に日に増し、自宅で暮らし続けるのは無理かもしれないと、つちやさんの不安も高まっていきました。物を置いた場所をすぐに忘れるのは、認知症の一般的な症状だと脳科学者の恩蔵絢子さんは説明します。
脳科学者 恩蔵絢子さん
恩蔵:アルツハイマー型認知症は、海馬という組織から傷がつくのが特徴です。海馬は新しいことを覚えるために使われる部位です。海馬が傷つくと、例えば、財布をどこに置いたのか、覚えるのが難しくなります。そうしたときに、『誰か盗んだんじゃないか』といった発言をすることがありますが、別に不思議なことではありません。というのは、私たちもお財布を意外といろんなところに置いちゃいますね。
つちや:私たちでもね。
恩蔵:でも私たちだったら、「昨日、私は違うバッグに入れて出かけたんだった」と記憶をたどれるので、誰かに盗まれたわけではないと気持ちを落ち着かせることができます。でも認知症の方は、記憶をたどることが難しい。だから「盗まれたんじゃないか」という気持ちが強くなってしまう。人って自分は責めないんですよね。物事の原因は自分にしない。まさか自分にとって大事なお財布を自分が隠したとは思わないから、他人が隠したって理由づけをしてしまうだけです。誰にでもある脳の仕組みですが、認知症の方に物事の取り違えが多くなるのは、海馬のせいだと考えています。
つちや:私の母は本当に温厚で、認知症になってもすごく穏やかだったんですけど、一度だけ、兄に対して「盗んだんじゃないか?」って言ったことがありましたね。そのときに兄は初めて、これはちょっと・・・と思ったみたいです。
恩蔵:お母さんの気持ちもわかりますが、お兄さんもきつかったでしょうね。
つちや:そうですよね。切なかったでしょうね。
玲子さんの住まいは東京から3時間近くかかり、3人の子どもを育てるつちやさんは簡単には会いに行けません。1人で在宅介護を行う正彦さんには大きな負担となりました。
つちやさんは正彦さんと相談し、玲子さんを施設に預けることにしました。
つちやかおりさん
つちや:子どもたちはまだ3人とも学生だったので、なかなか毎日会いに行けるわけでもなくて、(兄に対して)申し訳なかったですね。すごく申し訳なかったけど、私には本当にできることがなかったので、施設に預けたらと兄に提案しました。兄もちょっと自分じゃ無理だと思ったんじゃないでしょうか。
預けて1か月は(母とは)会えない決まりでした。家に帰りたくなっちゃうから。その時期がいちばんつらかった。会えないことと、このままずっと家に帰ってこられないかもという気持ちです。あと、兄は預けるまではたしかに大変だったけど、いざ母と離れると寂しそうなのを見て、私のせいかなと、そのときはすごくつらくなりましたね。後悔が大きかったです。でも、母には徘徊もあって心配だったので、葛藤ですよね。
恩蔵:プロの方に見ていただいたほうが、幸せなところもあるでしょうし。離れる時間を持たないと、母に優しくできないところもあると私も思いますから。お任せすることは、そんなに悪いことじゃないはずなんだけど、やっぱり自分の気持ちの持って行き方がわからないですよね。
つちや:結果論ですけど、今思えばあのときに預けてよかったです。ホームで過ごしている穏やかな母を見ると、母にとっても間違いじゃなかったっていうのはわかるんですけどね。そのときはどうしても気持ちが沈みがちになりました。
葛藤を抱きながら預けたグループホーム。時間と共に認知症の症状は進行しましたが、玲子さんの様子は穏やかになっていきました。つちやさんは、その様子を動画や写真を添えてブログに綴っています。
動画では、つちやさんのデビュー曲や、初出演したドラマの主題歌「贈る言葉」を玲子さんが笑顔で歌っています。つちやさんが話しかけてもほとんど会話が成り立ちませんが、楽しそうに歌えるのです。恩蔵さんが音楽の持つ不思議な力について解説します。
恩蔵絢子さんとつちやかおりさん
恩蔵:歌うと、その当時の感情も一緒に呼び起こされるんですね。感情が動いた出来事って、人間は忘れにくい。だから、つちやさんのデビュー曲やドラマのテーマ曲を覚えているのは、当時、感情が大きく動いたということで、その音楽を忘れないで今でも歌えるのは、お母さんにとってどれだけ大事なことだったかを表しています。
認知症になっても、音楽の能力は最後まで残りやすいと言われていいます。私の母も、昔好きだった曲を口ずさんだり、テレビの相撲を見ていて千秋楽で国歌が流れると、それをきっかけに国歌を完璧に歌うとか、驚かされることがありますね。
つちや:そうなんですよね。会話はまったく無理なのに、あれだけの歌詞が歌えるのが不思議で。内容をたどって歌っているわけではないと思いますが、歌い終わったときに、すごく喜んで笑うんです。その笑顔を見るために私が歌ってもらっているようなものなんですけど。
恩蔵:その音楽を歌うと、当時の感情も一緒に呼び起こされているんだと思います。
つちや:私たちもそうですよね。その曲でその頃、何をやっていたかって思い出したりもしますから。そういう感情が残ってるってことですかね。
恩蔵:そうだと思います。音楽は人の感情を呼び起こすとか、感情的な面にすごく有効だと言われています。
つちやかおりさん
かつては料理を作ったりパッチワークをしたりなど、グループホームの手伝いを積極的にしていた玲子さん。つちやさんにもうれしそうに自慢していたといいます。
つちや:お手伝いをしていたのは昔なんですが、できることをやってもらうと、本人もものすごくうれしそうで。(グループホームの)班長さんみたいになって、すごく張り切ってやっていたみたいですね。
恩蔵:あれだけの衣装を縫えた方ですから、手芸などの能力はずっと消えないと思います。それを活かすことで『私はできるぞ』っていう感覚を持てると、その人の幸福感とか活動度に影響があることが研究でわかっています。お母さんが自信を取り戻して、生き生きできる時間だったと思いますね。それがたとえ認知症をよくすることにつながらなくても、お母さんの人生の中で楽しい時間が確保されるのはすごく大事です。
グループホームで穏やかな日々を過ごしていた母の玲子さんですが、ある日異変が起きました。2019年に突然、食べることをやめてしまったのです。つちやさんのブログには当時の不安な心境が綴られています。
生きる意欲をなくしてしまったのか心配が募る毎日でしたが、数か月後にグループホームを訪ねると、変化が見られました。
その様子は動画にも残されています。
おいしそうにプリンを食べる玲子さん
玲子さん:プリンはおいしいですねえ。
つちやさん:よかったねえ。
玲子さん:(つちやさんにプリンをすすめながら)お母さんも。
つちやさん:え?お母さん?私がお母さんか…。
玲子さん:どうぞ。
つちやさん:ありがとう。すごくおいしい!
つちやさんのことを「お母さん」と呼んでしまう玲子さん。しかし、自分がおいしいと思ったものを人にも食べさせたいという優しさは、元気だった頃の玲子さんと重なります。
つちや:もう食べることは無理だろうと思ったんですけど、食べたんですよね。すごくうれしかった。それも私がいるところでプリンを食べてくれた。でももう、私のことを『かおり』って呼べない。『お母さん』って呼んだり『近所のおばさん』だったり。10年前の、病気がわかった直後にこういう状態だったら、私はすごく切なかったと思う。『どうして?かおりでしょ!』と母に詰め寄ったと思う。でも今、私がこうやって穏やかに『そう、お母さんよ。食べさせて』と言えるようになったのは、年月なんですよね。
恩蔵絢子さんとつちやかおりさん
恩蔵:自分がおいしいと思ったものを人に食べさせてあげようという気持ちになる、その優しさは残っていらっしゃるんですね。自分はおいて、人のためっていう気質が残っている。お母さんの根本みたいなところは変わらないんだなと思いました。たとえ、(つちやさんの)役割が、娘から母親に、お母さんの中で変わってしまっても。
つちや:そうなんです。お母さんだったり、近所のおばさんだったり、妹だったり、姉だったり。
恩蔵:でもやっぱり、お母さんの中に、「この人はすごく大事で、おいしいものがあったらこの人に食べてもらいたい」っていう気持ちが生じるところが・・・。
つちや:「お母さん」も「近所のおばさん」も、私がたとえられる人はみんな、母にとって大事な人ってことですね。「誰さん」でも「何さん」でも私は構わないんです。私が話したことに対して、母がうなずいたり、楽しそうにしたり、とにかく笑っている顔が見られれば。私のことを「大切な人」と思ってくれていれば、それでもういいよって。
穏やかに生活する玲子さんを見て、つちやさん自身の気持ちにも変化が生まれました。“母の喜びが自分の喜び”という気持ちの芽生えです。
つちやさんの手を握る玲子さん
つちや:(母は私に)ほかの人とは違う接し方をしてくれる。ホームから帰るときに、ぎゅっと握った手を離さないんです。私のことはわからないんですけど、大切な人と思ってくれてるのかなって。
今までは、母が私を忘れていくことが苦しかった。母がかわいそうじゃなくて、私自身の苦しみが勝っていた。だけど、今は母が喜んだり楽しんだり、穏やかに過ごせているのであれば、それが私の喜びです。ここに来るまではすごく時間もかかったし葛藤もありました。ふとした瞬間に寂しさがこみ上げてくることもありました。1回でいいからまた『かおちゃん』と呼んでほしいと。でも今は、その願いはすごくちっぽけなものになっています。母が好きなので。
現在、つちやさんは講演会で自身の経験を話す活動を行っています。自身の経験を伝えたいという思いからです。
講演会を行うつちやさん
つちや:講演会をしたときに、ホームで働いている方たちからの質問がすごく多かったことがありました。(ホームの対応などについて)家族はどう思っているのか、家族はどういう不満があるのかとか・・・。家族はたとえ不満があっても、なかなかホームの方と話し合う機会がありません。ホームの方たちも、葛藤して迷いながらお仕事をなさっている。そういう方たちともっと話をする機会があればいいなと思いました。
そして、つちやさんは認知症に対してもっと専門的なことを学びたいと思い、「認知症ケア指導管理士」の資格を取りました。本人、家族、ホームの職員という三者から聞き取りをして指導を行うための民間資格です。つちやさん自身に、この三者をつなぎたいという強い気持ちがあったのです。
つちや:家族はわからないことを聞きたい。でもどこに相談していいかわからない。それはホームの方たちも同じで、家族がどう思っているのかをもっと知りたい。患者さんに対してどうすればいいのか、みんなで話し合いたいんです。私が経験した中で、いろいろと話ができたらいいなと思って。
恩蔵:自分が求めることをご自身でやるっていうのはすごいですね。
つちや:それは母への愛ですかね。とにかく何かしたかったんです。
恩蔵:やっぱり家族は「プロだからできるでしょ」と思って、不満を言っちゃうところもあるんですよね。プロの側の大変さがわかるようになるって、すごく重要なことなんだと思いました。
コロナ禍の今、グループホームでの面会が厳しく機会が制限されています。去年の1月以来会えていませんが、つちやさんの玲子さんへの思いは変わりません。
つちやかおりさん
つちや:母は今年で90になります。 私たちよりも、母の1年ってすごく重要だと思うんですね。だって1年会えなかった分、そのあと何年会えるかは分からないでしょ。それは本当に切実なことで。
認知症についてはまだわからないこともいっぱいあるし、つらいとこともあると思う。でも、早く母に会いたいのがいちばんです。会ったらいっぱい笑います。食べてくれて、笑ってほしい。それだけですね。
※この記事はハートネットTV 2021年5月25日(火曜)放送「私のリハビリ・介護 母が私を忘れても… つちやかおり」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。