「群青物語 〜青き追憶の呪い〜」「群青物語 〜青き追憶の呪い〜」

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05.有岡大貴の呪い

誰かが扉を閉める音で目を覚ますと、そこは地下室のベッドの上だった。
何故自分がこのような場所にいるのか。奇妙な空気が包むその青い部屋は一面が朽ち、まるで廃墟のようですらある。窓もなく、青いコンクリートの壁が寒々しい。床には紙が散乱し、雑多に置かれたソファには埃が溜まっている。
外へ出ようとドアノブに手を伸ばすと、外側から鍵が掛けられていることに有岡は気づく。押しても引いても、その扉はびくともしない。
諦めて部屋を散策し始める有岡の耳に、パキ、と何かが割れるような音が聞こえた。足元を見やるとそこにはガラスの破片が落ちている。
その時、有岡の脳裏に、何故か山田の姿がフラッシュのように浮かんだ。ホテルの一室で、グラスを壁に叩きつける山田。そのグラスは粉々に砕け散り、床に散らばった。そんな様子が急に、そして鮮明に浮かんだのだ。
空の水槽の乗ったテーブルに目を移すと、そこには妙なメモ書きが残っていた。「266」「青い狐」と書かれたそのメモは、誰かが震える手で書いたのだろう、綺麗ながらもどこか覚束ない文字である。
空の水槽には、何かを飼っていたであろう申し訳程度の残骸が残るだけで、その様が一層有岡を不安にさせる。
此処に居てはいけない。どんどん耳鳴りが強くなっていく。
部屋を散策し、どうにか出られる方法を探す。
鍵は何処だ。鍵さえあれば外に出られるんだ。
だが見つからない。ここには埃と、無機質な集合体とも言うべき朽ちた家具があるのみだ。
だめだ。出られない。
脳が溶け、理性が消えていく感覚に襲われる。不安を掻き消す衝動は破壊へと変わり、有岡は次々と無機質な集合体を蹴り、そして倒した。椅子を壁に投げつけ、少しでも理性を取り戻そうとした。だが戻らない。もはや自分が誰かも分からなくなっていく。
『……有岡大貴……SOS……SOS……』
その思念は何処へ届くのか。何処へも届かないかも知れない。
永劫とも思える密室で、声にならない叫び声をあげる。
やがて有岡は、白い埃の積もる床に「HELP」と指を這わせた。誰かに届いてくれ。誰か僕を助けてくれ。
そして、その時はやってきた。
突然有岡の脳に、誰の声とも知れぬ言葉が届いたのだ。それは幾重にも重なるように大きくなっていき、やがて、『青い狐の近く』と、明瞭に聞こえた。何処か懐かしい、あたたかい声だった。
思いが通じた。
有岡は青い狐の描かれた絵へと近づく。
辺りを探すと、あれだけ探しても見つからなかった鍵が、ぽつんと落ちていることに気がついた。
「266」のキーホルダーの着いた鍵。
矢庭に鍵穴へと差し込む。鍵穴はいとも容易く回り、かちゃりと施錠が解除される音を有岡は聞いた。
開いた。開いたんだ。
有岡は歩き出す。異世界なのか地球の果てなのかは分からない。だが、歩き続ければ分かることもある。そう信じ、頑なに歩を進める。
やがて前方の光景が開けていく。
霧の中に、ぼんやりと浮かび上がる車。
何処かで見た車だ。
確か、伊野尾とドライブに向かおうとしていた車。
そうだ。確か、彼はコーヒーを差し入れてくれたのだ。だけど、もう自分はコーヒーを買っていて……。
そこから先の記憶は無い。
だが、有岡が今いる世界は明らかに先程の青い世界とは違っている。現実感のないままではあるが、車のエンジン音が頼もしくさえ感じる。
車は走り出す。
何処へ向かうか分からないが、とにかくこの霧を抜け、誰かに会いたいのだ。

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