日本はかつて「一億総中流社会」といわれてきた。しかし、その中心にいた中間所得層は今や激減している。経済学者の井上智洋さんは「GAFAのような巨大IT企業に富が集中し、中間層が没落して、低賃金労働者が大勢いるという超格差社会が到来する」という――。

※本稿は、『ゲンロン12』(ゲンロン)の掲載論文「無料ではなく自由を 反緊縮加速主義とはなにか」の一部を再編集したものです。

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■ITの発達が既存産業の雇用破壊を生んでいる

マイクロソフトやGAFAのような商業主義的な企業が情報産業で支配的になったことで、ITは雇用問題を引き起こさなかったかと言うとそうではない。

確かに、無料のソフトウェアが、有料のソフトウェアを駆逐し、プログラマが軒並み失業するといった事態には至らなかった。

けれどもその代わりに起っているのは、ITによる既存産業に対する雇用破壊だ。特にアメリカで、中間所得層が主に従事する事務労働の雇用量が、ITによって急速に減らされている。具体的には、コールセンターや旅行代理店のスタッフ、経理係などだ。

代わって増えているのが、低所得者が主に従事する肉体労働と、高所得者が主に従事する頭脳労働である。

図表1において、0%の水平線よりも上にグラフが伸びているのは雇用の増大を示しており、下にグラフが伸びているのは雇用の減少を示している。すなわち、低所得と高所得の職業では雇用が増大しているのに対し、中所得の職業では雇用が減っているのである。経済学では、このような現象は、労働市場の「両極化」(polarization)と呼ばれている。

アメリカの職業別就業者シェアの変化(16~64歳)。経済産業省「労働市場の構造変化と課題」、3ページを基にゲンロン編集部制作

■中間所得層が二極に分解し格差が拡大している

日本ではどうかと言うと、アメリカほどではないにせよ、やはり、図表2のように両極化が起きている。それゆえに、男性については図表3の左側のような所得分布の変化が現れている。

これまで所得分布は、一つの山を成しているように考えられてきた。ところが、近年の日本では山が二つになっており、間の谷が深くなっている。要するに、中間所得層が二極に分解し、格差が拡大しているのである。低所得層と高所得層はいずれも割合が増えているが、低所得層の方がより増大している。これは端的に貧しい人が増えていることを意味する。

なお、女性についてはそもそも所得分布の形状がおかしい。低所得層が最大のボリュームゾーンになっている。

日本の職業別就業者シェアの変化。同資料4ページを基にゲンロン編集部制作
日本の所得階級別割合変化(60歳未満)。同資料9ページを基にゲンロン編集部制作

■「労働移動の逆流」が起きている

たとえ、ITが既存の雇用を奪うにしても、一方で新たに雇用を作り出すと考える人は少なくないだろう。ところが、中間所得層の労働者は仕事を奪われた後、高所得の職業ではなく主に低所得の職業に移動する。ITの雇用創出力は弱いので、事務労働を奪われた人達の多くはアマゾンやグーグルに行くのではなく、清掃員や介護士などの昔からあるような職業に就くのだ。

かつて工業化の過程では、電気掃除機や冷蔵庫、テレビなど多くの新しい財が生み出されて、そうした財を生産するための労働者の需要が増大し、農村の余剰人員を吸収した。それに対し、現代の情報化の過程では、続々と新しいスマホ・アプリやネット上のサービスが生み出されても、事務労働などで生じた余剰人員の多くは、そうしたハイテク分野には転職しない。そうではなく、昔ながらのローテクの仕事に従事するようになる。私はこれを「労働移動の逆流」と呼んでいる。

経済学は、工業化の時代に発展した学問なので、基本的には「工業モデル」を展開している。経済学は、大方の人の抱くイメージとは異なって宗教じみており、経済学者は教科書に書いてある内容が正しいか否かをさして検討することはなく、妄信する傾向にある。したがって、工業化の時代の法則をそのまま情報化の時代にも当てはめたがる。

■なぜITは新しい雇用を生み出さないのか

だが、ソフトウェアやデジタル・コンテンツなどの情報財は、自動車や電気掃除機などの工業製品と根本的に性質が異なっている。自動車を1台作り、さらにもう1台追加して作ろうと思ったら、その分費用が掛かる。このような費用を「限界費用」と言う。「限界」というのは、経済学では「追加的な」という意味で使われる。

それに対し、ソフトウェアは購入者が一人増えても、ほとんどただに近い費用でコピーを作って対応できる。このことを「限界費用ゼロ」と言う。

限界費用がプラスの産業では、一般に生産量に応じて労働者の雇用も増大する。自動車の販売台数が増えれば、それだけ自動車を作る労働者が必要とされる。一方限界費用ゼロの産業では、生産量が増えても労働者の雇用は増大しない。10人にしか売れていなかったソフトウェアが、100人に売れるようになったとしても、労働者が余計に雇用されるようにはならない。したがって、限界費用ゼロこそが、ITの雇用創出力が弱い理由だと言える。

それでも、様々な企業が乱立して、それぞれの企業が開発するソフトウェアごとにプログラマが必要とされれば、雇用が増大するのではないかと考えられるかもしれない。そういう一面がないわけではないが、一般に経済学は、限界費用ゼロの産業では、「自然独占」が発生すると考えている。要するに、一つの企業が市場を占有するようになるのである。

■規模が大きい企業ほど価格競争に強い

なぜ独占が生じるのだろうか? 情報産業でも、「固定費用」はゼロでないことに注意しよう。固定費用は、生産量にかかわらず掛かる費用だ。ソフトウェアを最初に作り上げるには、それ相応の開発費用が掛かる。購入者が1人であっても100人であっても、変わらず掛かる費用が固定費用である。

限界費用ゼロで固定費用だけが掛かるこうした産業では、規模が大きい企業ほど優勢になる「規模の経済」が働く。ある企業Aが1000万円でソフトウェアを開発したとする。このソフトウェアが100人に売れる見込みであれば、10万円以上で売ることによって利益を生み出せる。それに対して規模の小さなライバル企業Bが同様のソフトウェアを1000万円で開発したとしよう。このソフトウェアが、10人にしか売れる見込みがないのであれば、100万円以上で売らなければ利益が出ない。したがって、企業Bは、規模が小さいがために価格競争力を持ち得ず、企業Aに太刀打ちできないのである。

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■だからGAFAが市場を独占する

私達がWindowsに対抗してOSを開発しても、全く儲からなそうな気がするのはこのためだ。すなわち、限界費用ゼロの産業では規模の経済が働くがために、巨大企業が市場を独占するのである。

だから情報産業では、似たような商品やサービスを展開する企業が乱立するような状態にはなり得ない。実際、パソコン用のOSのほとんどは、マイクロソフトとアップルによって提供されている。

検索エンジンやSNSのようなプラットフォームも、基本的には、限界費用はゼロに近いが固定費用はプラスだ。最初の開発に掛かる費用の他に、サーバーの維持費などが固定費に含まれる。固定費は利用者が1人でも掛かるが、追加的な費用は100人増えてもほとんど掛からない。

したがって、プラットフォームについても規模の経済が働き、よく知られているように、グーグルやフェイスブックが独占企業ないし寡占企業として君臨している。限界費用ゼロは、ITの雇用創出力が弱いことだけではなく、一部のIT企業に富が集中することの原因にもなっているのである。

■「巨大企業以外は低賃金」の超格差社会が到来する

さらに悪いことに、プラットフォームでは「ネットワーク外部効果」が働く。これは利用者が多いほど利便性が増す現象を指す。古くは電話やファックスがそうだが、この効果の見られる分野では利用者が増えれば利便性が増し、さらに利用者が増大するという好循環が生まれる。極端な話、世の中に自分1人だけが電話を持っていても、掛ける相手がいないので、なんの役にも立たないだろう。

『ゲンロン12』(ゲンロン)

電話の所有者が多ければ掛ける相手も多くなり、電話の利便性は上昇する。検索エンジンやSNSは、ネットワーク外部効果を生じさせるようなプラットフォームサービスだ。

ネットワーク外部効果もまた、独占を生じさせる要因になり得る。なぜなら、利用者が多いほど利便性が高まるのであれば、やはり規模の大きい企業が提供するサービスがその利便性ゆえに利用されがちになるからだ。

したがって、このままいけば情報社会の未来は、暗澹たるものになる。富はGAFAのような企業に集中し、他に風変わりなソフトウェアやネットサービスを提供する企業がそこそこ儲けて、後は肉体労働に従事する低賃金労働者が大勢いるという超格差社会が到来するのである。

■もう資本主義はやめるべきなのか

では、格差がもたらされるから、もう我々は資本主義とおさらばすべきなのだろうか? 既に述べたが、互酬が市場経済にとって代わる気配はないし、それが望ましいとも思われない。資本主義のオルタナティブは今のところあり得ないだろう。

ソ連邦崩壊後に立ち現れた、出口なしのように見える資本主義を「資本主義リアリズム」と言う。イギリスの批評家マーク・フィッシャーによれば、それは「資本主義が唯一の存続可能な政治・経済的制度であるのみならず、今やそれに対する論理一貫した代替物を"想像することすら"不可能だ、という意識が蔓延した状態」である(※)。

このリアリズムに対し取り得るスタンスが二通りある。一つは、資本主義を減速する立場で、もう一つは加速する立場だ。(『ゲンロン12』へつづく)

※Fisher, Mark. Capitalist Realism: Is there no alternative?, John HuntPublishing, 2009, p.2. 邦訳はマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』、セバスチャン・ブロイ、河南瑠莉訳、堀之内出版、2018年、10頁、引用符原文。

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井上 智洋(いのうえ・ともひろ)
駒澤大学経済学部 准教授
早稲田大学非常勤講師、慶應義塾大学SFC研究所上席研究員。博士(経済学)。2011年に早稲田大学大学院経済学研究科で博士号を取得。早稲田大学政治経済学部助教、駒澤大学経済学部講師を経て、2017年より同大学准教授。専門はマクロ経学。最近は人工知能が経済に与える影響について論じることが多い。著書に『人工知能と経済の未来』(文春新書)、『ヘリコプターマネー』(日経BP)、『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書)、『純粋機械化経済』(日本経済新聞出版)、『MMT』(講談社)など。
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(駒澤大学経済学部 准教授 井上 智洋)