青年の病室には次々と新しい患者が入ってきました。
今度は19歳の青年です。
悪性リンパ腫の患者の多くは「びまん性B型」という種(名称)です。
B型だと「リツキサン」という特効薬が使え、寛解(治癒)率が高まりますが、19歳の青年はB型ではありませんでした。
この結果に青年の母親は泣くじゃくります。
「もうこの子は助からないのではないか」「19歳という若さでこの世を去るのではないか」と・・・。
しかし主治医(青年と同じ鎌倉医師)は言います。
「B型でリツキサンが使えても、効果がない患者もいるのです」。
事実、悪性リンパ腫全体では「5年生存率」は「60%」程度で、5人に2人が5年以内に亡くなってしまいます。
オリンピック水泳池江璃花子選手の白血病は悪性リンパ腫の親戚のような血液のガンで、池井さんも「完治」したわけではなく「寛解」つまり「治癒」「ガンの進行が止まった」に過ぎません。
池井さんの顔が毎回厳しいのはそのためです。
いつ再発するか、亡くなるか、わからないからです。
池井さんの治療は個室でしたが、個室が使えるのは、VIPか重病患者だけと決まっており、青年の場合は「一般病室」で、しかも昭和の名残が残った「6人部屋」でした。
毎週土日になると青年以外の患者のもとにはたくさんのお見舞い人が来ますが、青年には一人も来ませんでした。
そんな中、青年の大学教育実習時代の友人・山岡氏がやってきます。
昔は氷室京介みたいにかっこよかったのに、今は見る影もありません。
そして彼は神様に向かって叫びます。
「俺なんか、生きていても仕方がない。奪うなら俺の命を奪え」。
青年も山岡氏も泣きじゃくります・・・。
他方、この頃の竹内結子は「人生最大の試練」の日々を送っていました。
竹内結子は2月に杉並区役所に離婚届を出したその足で、実は青年宅に向かってしました。
竹内結子は青年と一緒に暮らすことを切望していました。
しかし竹内結子も青年も小さいころから「仲の良い兄妹」の間柄であったとはいえ、一つ屋根の下に居れば、どうなるかわかりません。
実際、竹内結子と青年は3親等以上離れており、法律上は「結婚」できたのです。
竹内結子は何度も長男と共に青年宅の近くに来ては、戻ってしまいます。
青年はそんな竹内結子の気持ちが十分わかっており、竹内結子と長男と一緒に暮らすか否か、毎日悩みます。
そしてジャーナリストから映画業界に正社員として入社し、「決意!!」しましたが、その途端、ガンを発症してしまったのです。
神様はなんと惨いことをするのでしょうか?
青年は未だに竹内結子に「自分がガンでもうすぐ死ぬ」ことは告げられずにいました・・・。
白血球、顎口膣科、耳鼻科
十一月十日 月曜日
朝は血液検査から始まった。起きて間もない朝から自分の血を見るのは、楽しいものではない。血液検査は嫌いだ。よく漫画に出てくるような「ぶっとい注射器」で血を大量に採るのだ。丹羽先生が採りにきたので「こんなにたくさん血を採っても大丈夫ですか?」と聞いたら「血はすぐにできますから、大丈夫ですよ」と言われた。血というのはそんなに簡単にできるものなのだろうか?
抗ガン剤治療を行ない、一週間から十日すると白血球値が急激に下がる。正常の場合は、一ミリ立方メートルの中に、四○○○~九○○○個の白血球があるらしい。いったい、どのくらい減ってしまうのだろうか? 皆目、検討がつかない。
この病院では血液検査して少しすると、「血液検査詳細情報」なるものが配られる。ヘモグロビンの値や炎症反応を示すCRPなど、今まで健康なときには見たこともない血液のデータを見せられるのだ。しかし、なぜか患者ごとにデータの項目が違う。例えば、血小板値が掲載してある患者もいれば、そうでない患者もある。医師は「全部プリントするのが面倒だったから絞りました」と患者には説明しているが、頻繁に患者間で喧嘩のタネになる。どうして同じ病気と闘っている患者同士が喧嘩しなければいけないのだろうか? 恐らく、医師の言っていることは半分、本当なのだろう。だが、中には『患者に見せてはいけないデータ』があるようだ。その最たるものが「白血球値」だ。患者は医師や看護師からやたら「白血球」の話をされるから白血球ばかり気にかけるようになってしまう。確かに白血球は細菌を殺すのに無くてはならないのは誰もが知っている。でも、本当に白血球だけ見ていればいいのか? 疑問に思う。何はともあれ、白血球の話が中心的な話題になる日がくるとは・・・青年には思いもしなかった。
城北大学病院では「血液検査の検査詳細情報」の他に「白血球の推移表」もくれる。白血球は健常者、つまり健康な人では、下限値三・五、上限値九・〇と「検査詳細情報」には書いてある。脇に「×10^3/」と出ていたから、たぶん、一ミリリットルあたり三五〇万個から九〇〇万個が正常値だということだろう。
今回、僕の白血球が一・七まで下がったようだ。ここが僕の限界値らしい。つまりこれ以上、僕の白血球が下がったら危ないということだ(感染症にすぐかかり、死ぬ可能性が高い)。そもそもの正常な人の下限値が三・五だから、僕の今の白血球数は正常の人の下限値の半分となる。白血球がこんなに素晴らしいもので、かつ、なくなると怖いものだとは今まで思いもしなかった。
白血球がこれ以上、下がってはマズイと医師が判断した段階で「白血球を増やす注射」を打つ。「医学は進歩したもんだよ」と、以前、テレビで有名な医師がいばっていた。
午後、白血球を上げる注射を宮前看護師に打たれる。肩から上腕の部分に「ブスッ」と筋肉(皮下)注射をする。これがまた、痛いのなんのって……。注射針から液体が右腕上腕部から入っていくたびに痛みが増す。痛い。でも、皮下注射なんて何年ぶりだ? インフルエンザ予防接種以来か?
十五時からお風呂に入った。まだ髪の毛は抜けていない。しかし、脱衣場や洗面場は髪の毛だらけで、頻繁に掃除のお姉さんがモップで毛を採っている。
かなり夕方遅くになって顎口腔科から呼ばれる。味覚障害の謎なんて、本当にわかるのか? 上野ヘルパーに連れられ、寒い中、向かう。
あたりは真っ暗だ。かなり待たされるとのことだったので、上野さんにはいったん、戻ってもらった。しかし、暖房は切ってあるのか? 寒い。
ようやく順番が来た。多田野という、いかにもインテリっぽい医師がクラシックをかけながら治療している。口を大きく開けろと言うから開けると、多田野医師は「舌はしびれるかな?」「どこか痛いのかな?」と質問してくるが、どこも痛くもかゆくもない。僕の知りたいことは「味覚障害を治してほしいが、治るのか?」ということだけだった。しかし、多田野医師は言った。
「人事部か……ストレスたまるね。これはストレスのせいだね」
味覚障害がストレスのせい? わけのわからないことを言ってきた。これでも医師か?
「口内環境が悪いね。ここの売店で、世間の薬屋にはないマウスウォッシュを売っているので使ってみて」
そんなもので治るのか?
「はい、今日はこれで終わり、また予約して状況教えて」
フランクな言い方はいいのだが、こんなに簡単に味覚障害が治るなら安いものだ。でも、今まで、亜鉛を飲んだり、サプリメントを飲んだり。さまざまなことを試してきた。それでもダメだった。まあ、多田野医師も医師には変わりないのだから、マウスウォッシュ、試してみるか。
上野さんに迎えに来てもらって部屋に戻った。すでに部屋の連中は夕飯を食べ終わっていた。
夜、寝る前に、薬を飲もうとすると喉に引っ掛かる。結局、抗ガン剤も効き目がなかったのだろうか? 不安になり、なかなか寝つけなかった。
十一月十一日 火曜日
今日も白血球を上げる注射を打たれた。二日続けて打つようだ。ところで、この注射はなんという名前の注射なのか?
午後、上野ヘルパーに「マウスウォッシュ」を買ってきてもらった。一七三○円。ネットで見たより安かったが、本当にこんなモノで僕の味覚は戻るのか?
夕方、会社の部下、倉田さんよりメールがある。明日か明後日来たいと言う。うーん困った。しかし、髪の毛が抜け始めるのもそろそろだろう。まだ髪の毛がある前に少しでも早く会うのがベストだろう。明日、来てもらうことにした。しかし……病棟内はマズイなあ。身近にガン患者がいない場合、「毛がない患者達」を見たら、かなりの衝撃だということは想像できる。しかも、病室のやつらは、この病気は治らないとか死ぬしかないとか……相変わらず刹那的なことしか言わない。気がおかしくなる。倉田さんには、入院病棟内地下のスターバックスで会うことを提案した。
今日もなかなか眠れなかった。相変わらず喉の様子がおかしい。明日は元気な姿を見せないとなあ……。
十一月十二日 水曜日
お風呂のある日の朝は血液検査から始まる。
十八時頃、倉田さんからスターバックスに着いたとメールがある。茶色の靴に緑色の靴下、赤いTシャツにピンク系のボタンダウンにエンジのラガーシャツを着て、ブルーに黄色のフードが付いたジャンパーを着て、スターバックスに向かう。
寺内常務と倉田さんがスタバで待っていた。
「元気そうだな、まだ、退院できないのか?」
「はあ」
「何か飲むか?」
「自分で買いますので、大丈夫です」
寺内常務は、味覚障害がどんなに辛いか、理解してくれていない一人だ。倉田さんはさすがに三十代半ばの女性だけはある。「飲んでも大丈夫なんですか?」と心配してくれた。仕方なく無難にホットミルクを頼んだ。スタバでミルクを飲むとは思わなかった……。ミルクなどめったに注文しないのか? 店員は作り方がわからないと揉めているのだ。しかも店員はペチャクチャ、楽しそうにしゃべなりがら、ちんたら作っている。結局五分かかった。
「いやぁ会社は大変だよ」
「元気そうで」
倉田さんからデカいメロンをもらった。こんなモノもらってもなあ。味、わからないし。
「結論として病気はどうなの?」
ああ、ついにこの質問か……。
「……ええ、検査検査ばかりで……扁桃腺の菌がリンパに入って厄介なことになっているようなんです。季節が春や夏ならまだしも、これからは風邪やインフルエンザが流行る冬なので医師も心配して……白血球が下がると死ぬこともあるらしいんです。いやあ、参りました。忙しいときにすみません。今後は、逐次、詳細を連絡します」
そう答えるのが精いっぱいだった。間もおかず常務から
「役員は十パーセント給与カット。この場合、毎月の給与データはどう処理したらいいの? マイナスした額も計上するの?」
「それでいいと思います」
「社員の冬のボーナスは一時、出ない予定だったが出るようになったよ」
「それはよかった」
「社員の異動が始まったが、でも、俺じゃダメだ。みんな、俺の言うことを聞かない」
「土生さんが早く戻ってきてくれないと。私なんか、もっと無理ですから」
「映画館総支配人の大泉氏もウツで休職してしまった。休職は、きみを入れて二名だ。ハハハ」
「すみません……」
謝るしかなかった。
「年末調整は、土生さんの指示通りやりましたら、できました。ありがとうございました」
「よかった。病院でもパソコン使えるからデータ送ってもらってもよかったんだよ」
「そうなんですか? だったら、これからは」
「いやいや、病院に送るより、早く出社してくれないとなあ」
僕は、一瞬だけでも「人事部長」に戻ったような気がした。久々の感覚だ……。
三十分ほど話して、二人は帰って行った。
「早く戻ってこいよ、お前がいないと、どうにもならない」
「完璧に治してから出てきてください。パソコンが使えること聞いて、安心しました」
階段を登っていく二人……あたりは真っ暗だ。もうこれで会うのが最後かもしれないと思うと涙が止まらなかった。
常務と倉田さんと別れ、部屋に戻ってくると石坂君が帰る用意をしている。
「あれっ? まだ帰ってなかったの?」
「そうなんっすよ、村野からアサイチで帰宅していいと言われたから待っていたら、やっとさっき村野の野郎が来て、OKされたんっすよ。八時間も俺を待たせておいて、ひでえ教授ですよね」
「なるほど、それで、さっきから廊下で美女が行ったり来たりしているわけね」
「美女? 普通ですよ、タクシー代もったいないので、アッシーですよ」
「アッシーさん? 凄いね、気をつけて」
「じゃあ、帰ります、あと、よろしくお願いします」
そういうと石坂君は足早に女性と帰って行った。僕と同じように抗ガン剤治療が終わって、問題はなかったみたいだ。でも、突然、帰ってもいいとか、ダメとか言われても、こっちの調子もくるってしまう。確かに、勘弁してほしいよね。
夜は石坂君がいないせいか、本当に静かだった。何しろ彼は、夜中まで映画観ているからなあ。でも、いないと、やはり寂しい。僕の場合、今日は特に、上司と部下と会ったせいか、仕事ができないもどかしさがいっそう寂しさを助長した。鎌倉医師の指示に従い、このまま半年も治療を続けて本当に治るのだろうか? それとも、病室内の患者達が話しているように、この病気は一生治らないのだろうか? 不安が募る……。
十一月十三日 木曜日
朝から騒がしい。瀬戸爺さんが、地元の町田の病院で治療することになったので退院するというのだ。確かに、ここまでお見舞いに来るのは大変だからな。瀬戸爺さんの娘が病室に入ってきた。また例の調子でしゃべり始めた。
「お爺さんは、もう治療しても治らないから、家の近くの病院に移動することになったの、わかる?」
「はあ?」
娘はでかいバッグの中からメモ帳を取り出して、何やら書いて、爺さんに見せた。
「ああ、帰るんだね」
「そうそう、もうダメなんだって、死ぬだけだから、家の近くの病院のほうが私がラクだから」
瀬戸の爺さんは、娘が酷いことを口にしても笑い続けている。この娘は本当に酷い女だ。
丹羽先生が入ってきた。
「私はこのまま入院を勧めますが、本当に町田でいいんですね? ここより治療レベルは格段に落ちますよ」
「治らない父をここに置いておいてもしょうがないでしょう? 延命治療なんてごめん」
「そうですか、お父様は承知しているのですか?」
「九十二歳の老人に何が判断できるというのですか?」
「いつでも戻ってきていいので、きちんとお世話してあげてください」
「でも、あとは死ぬだけですから」
「お父様は年齢こそ九十二歳ですが、とても健康体ですよ」
「でもガンになったんだから、抗ガン剤で延命治療してもらっても困るので」
「わかりました。町田の病院には私から連絡しておきます」
丹羽医師がそう言い終わるや否や、娘は瀬戸の爺さんを車椅子に乗せて、挨拶もせずに出て行った。丹羽医師は複雑な顔をしていた。
「ひどい女だね、ぶっ殺してやりたいね」
「早く親に死んでもらって、金をもらいたいわけだ、とんでもない女だ」
テリー伊藤こと笹山さんと、仏像画の原田さんの言うとおりだ。僕はもっともっと、瀬戸の爺さんから「戦争の話」を聞きたかった。耳さえよければなあ、もっと話せたのに。抗ガン剤治療が「延命治療」か……。延命治療でもいいじゃないか!
瀬戸の爺さんは町田に帰り、石坂君も一時帰宅中だから、本当に静かだった。鎌倉先生は八王子の病院のバイトの日だったな、木曜日は。そんなことを考えてトイレに行ったら、ついに恐れていたことが起こった。そう、毛が抜け始めたのだ。それも陰毛から……。トイレに行った瞬間、ドバっと抜けたのは驚いた。次は髪の毛か? 抗ガン剤投与後、二週間経ってからのことだった。
十一月十四日 金曜日
また、朝から血液検査だ。こんなに血液を採って大丈夫なのか?
昨晩、テニス仲間の鈴木君からメールが入っていた。「すみません、忙しくて、なかなか見舞いに行けそうもありません。本当にすみません」……。仲の良い後輩との間柄でもこうなんだからな。どうして「ガン」と聞くと、皆、ビビるのだろうか? 一番、苦しいのは患者なのに……。
十一時すぎに耳鼻科に呼ばれた。弟の長月が買ってきてくれた赤のスウェットパンツを穿き、白のカーディガンを着て、上野ヘルパーと出かけた。月曜日から違和感がある喉の原因はなんなのか? 恐怖が襲ってくる。
耳鼻科には本当は来たくなかった。「死を覚悟しろよ」「いつまで生きるか聞いたほうがいいぞ」と以前、耳鼻科の平田医師から言われたことがあるからだ。耳鼻科と聞くだけで、あのときの光景が蘇ってくる。さっそく症状を話すとファイバースコープを鼻から入れられ、喉の検査が始まった。口からも入れられた。ベロを出すようにも言われた。なんの検査をしているだろうか? しかし、平田医師は「特に変わったことはない」としか言わない。それでも僕は、「起きていると大丈夫だが寝ているとき、苦しい」と何度も説明するも、「大丈夫です、大丈夫です」と馬鹿の一つ覚えのように同じ言葉を繰り返す。しかも、以前の扁桃腺の写真と今日の写真を僕に見せつける。やめてくれ! なぜ、この病院は告知ばかりするのか? 残酷な写真を平気で患者に見せるのか? 気絶しそうになった。
結局、平田医師から「なんでもないから、とっとと帰れ!」みたいなことを言われた、平田医師は、僕を軽蔑するような目つきで睨みつけた。僕が元気だったら殴っているところだ。僕は上野ヘルパーを呼ばずに、一人で耳鼻科をあとにした。
異常はない、と言われたのは嬉しいが、事実「喉に違和感」があるんだ。抗ガン剤を打つ前から違和感があるんだ。医師でもわからないことが僕にわかるはずがない。
今日は金曜日、お風呂の日だ。昨晩、陰毛がドッと抜けたが、そろそろ……という予想は当たった。髪の毛がパラパラと抜けてきた。ああ、もうすぐオバQか!?
夕方、鈴木医師が耳鼻科の結果を持ってくる。やはり「大丈夫だ」としか言わない。では、この喉の違和感はなんなのか?
(続く)