経済学を疑え!

お金とは一体何なのか?学校で教えられる経済学にウソは無いのか?真実をとことん追求するブログです。

私たちは時間を有効に使おうとして人生を台無しにしている

「時間の無駄」という概念

私たちは普通、時間を有効に使うことが良いことであり、時間を無駄にすることは悪いことだと考えています。

例えば、すきま時間を使って勉強をすれば「時間を有効に使った」とポジティブに捉えますし、ダラダラとゲームをして過ごせば「時間を無駄にした」とネガティブに捉えますよね。

このように考えるのはおそらく人間だけです。

動物や虫は「時間を無駄にした」などと考えていないでしょう。

 

イモムシは「時間の無駄」と思うか

動物や虫に「時間の無駄」の概念が無いのは人間よりも頭が悪いからでしょうか。

仮に、イモムシに人間並みの思考力があるとして考えてみましょう。

木の葉っぱをもりもり食べているイモムシがふと食べるのを止めて、しばらくの間ぼーっと空を眺め、物思いにふけったとします。

この時、イモムシは時間を無駄にしたと考えるでしょうか。

そんなことはないはずです。

イモムシにとって、葉っぱを食べる以外に特にこれといってすることがありませんから。

どういうペースで葉っぱを食べようがイモムシの自由ですし、空いた時間に何をするのもイモムシの自由です。

イモムシは何でも好きなことをやればいいのであり、何をしても時間は無駄になりません。

イモムシは仮に人間並みの思考力を持っていても「時間の無駄」などと考えることは無いのです。

 

ライオンは「時間の無駄」と思うか

動物の場合も考えてみましょう。

シマウマを捕らえて食べたライオンが、満腹になってしばらく眠ってしまったとします。

この時ライオンは「眠ったりせずにもう一狩りすれば良かった。時間を無駄にした」と思うでしょうか。

 

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そんなことはないはずです。

もう一頭シマウマを仕留めたところで満腹なので食べませんし、肉を上手く保存することも出来ませんから。

寝る間を惜しんで狩りにいそしみ、必要以上の肉をため込んで腐らせてしまったとしたら、それこそ無駄なことです。

狩りは必要になったらすればいいですし、空いた時間にはやりたいことをやればいいのです。

寝たければ寝ればいいし、遊びたければ遊べばいいでしょう。

やりたいことをやっている以上、時間が無駄になることはありません。

ライオンは仮に人間並みの思考力を持っていても「時間の無駄」などと考えないのです。

 

人間はどう生きるか

以上の考察から、生物としての自然な生き方が分かります。

つまり、食べ物などの必要を満たしたら後はやりたいことをやる、ということです。*1

人間以外の全ての生物はこの原則に従って生きていると言っていいでしょう。

そうだとすると、人間も本来はこの原則に従って生きるのが自然なのではないでしょうか?

例えば大昔に狩猟採集で生活していた人間たちは、そのように生きていたはずです。*2

寝たい時に寝て起きたい時に起き、お腹がすいたら森で食べ物を取ってきて食べる。

肉が食べたくなれば皆で狩りをする。

暇な時間は遊んだり、ぼーっとしたり、踊ったり、交尾したりして過ごし、やがてしかるべき時期が来ればこの世を去る。

こんな人生の中に「時間の無駄」などあり得ないでしょう。

ところが現代社会に生きる私たちはなぜか、時間を「無駄にした」とか「有効に使った」などと考えながら生きているのです。

 

どんな時に「時間の無駄」と感じるのか

私たちはどんな時に「時間の無駄」と感じるのか、改めて考えてみましょう。

  • なんとなくテレビを何時間も見てしまった時
  • ツイッターなどのSNSを延々と眺めてしまった時
  • ほんの息抜きのつもりで始めたゲームを何時間もやってしまった時

こんな時ですよね。

逆に「時間を有効に使った」と感じるのはどんな時でしょう。

  • 仕事をしてお金を稼いだ時
  • 将来役に立つようなスキルを学んだ時
  • 身体や頭脳を鍛えた時

こんなところでしょうか。

要するに、私たちは自分の利益につながるような行動をした時に「時間を有効に使った」と感じ、利益につながらないような行動をした時に「時間を無駄にした」と感じるわけです。

つまり、「時間の無駄」という概念は「利益」という概念と密接に関係しています。

「利益」の概念が無ければ「時間の無駄」もありません。

 

必要利益と余剰利益

動物に「時間の無駄」の概念が無いとすると、動物には「利益」も無いことになります。

しかし動物が狩りをして得た食べ物は、その動物にとって利益と言えば利益ですよね。

これはどう考えればいいでしょう。

動物が狩りをするのは生きるために必要だからで、得た利益(獲物)はすぐに消費してしまいます。

この生きるのに必要な利益のことを「必要利益」と呼ぶことにしましょう。

しかし動物は、必要を超えて2匹目、3匹目の獲物を狩ろうとしません。

つまり動物に無いのは「必要を超えた利益」の概念です。

これを「余剰利益」と呼びましょう。

まとめると、動物は必要利益は得るが余剰利益を得ようとはしません。

余剰利益を得ても貯め込むことができず腐らせてしまうため、得る意味が無いからです。

 

人間はやりたくないことをして生きている

これに対し大多数の人間は余剰利益を得ようとして、やりたくもない仕事をすることに時間を使っています。*3

良く考えてみましょう。

必要を満たすのに使う時間を必要時間、それ以外の時間を余剰時間と呼ぶことにすると、動物は余剰時間にずっとやりたいことをやっています。*4

しかし大多数の人間は余剰時間のかなりの部分をやりたくないことに費やしているわけです。*5

この2つを比べると、動物の生き方の方が優れていると言うべきではないでしょうか?

せっかくの余剰時間にやりたくないことをやっている人間は「時間を無駄にしている」のではないでしょうか?

 

想定される反論

このように書くと、1日8時間以上働いている方々からいろいろと反論があるかと思います。

想定される反論について、一つずつ検討してみましょう。

 

「私はやりたいことを仕事にしている」

それは素晴らしいですね。

毎日楽しく仕事ができていますか?

仕事が楽しいのであれば何も言うことはありません。

しかし、もしやりたかったはずの仕事がつまらなかったり辛かったりするのであれば、立ち止まって考えてみてもいいかも知れません。

私が本当にやりたかったことは“これ”なのだろうか?と。

 

「私は最低限の生活では満足できない。ある程度ぜいたくをするためにお金が必要だ」

確かにそうですね。

ギリギリ生きていけるだけの収入だけでは、生活が楽しくないという人も多いでしょう。

しかし、高額な出費をしている場合には注意した方が良いかも知れません。

貴方は本当に、その高級ブランドの商品が心から欲しいのですか?

企業の巧妙なマーケティング戦略によって欲しいと思わされていませんか?

見栄を張りたいだけとか、他人と張り合いたいだけではないですか?

貴重な余剰時間を労働に費やしてもいいと思えるほど、本当に心から欲しいのであれば良いのですが。

 

「私がやりたいことにはお金がかかる。そのためにお金を稼いでいるのだ」

例えば貴方が登山家で、海外の山に挑戦するための資金を働いて稼いでいるのでしたら、何も言うことはありません。

貴方はやりたいことをやるために自分の時間を使っています。

自分の人生を生きている、と言えるでしょう。

しかし、仮に貴方のやりたいことが「キャバクラに行くこと」だとしたらどうでしょう。

貴方の人生で本当にやりたいことは“それ”ですか?

「私はキャバクラに行くために生まれてきた」と、胸を張って言えるでしょうか。

良く考えてみてください。

貴方の「やりたいこと」は、人生の貴重な時間を労働に捧げてでも本当にやりたいことなのかどうかを。

 

「結婚資金を貯めているのだ」

私たちは結婚にはお金がかかると思っていますが、結婚それ自体にはお金はかかりません。

役所に婚姻届を出すのにお金は必要ありませんよね。

それどころか、2つの単身世帯が1つになるのならむしろ節約になります。*6

「結婚にはお金がかかる」というのは本当は「結婚というイベントには大金をかける風習がある」ということです。

この風習を無視する覚悟さえあれば、結婚資金を貯める必要は無いでしょう。*7

 

「私は金持ちになりたいからお金を貯めているのだ」

金持ちになりたい、だからお金を貯め込むというのはある意味でとても合理的な行動です。

と言うのも、この資本主義社会の中ではお金を貯め込めば貯め込むほどゲームを有利に進められ、資産を買うことでさらにお金を稼ぐことが出来るからです。

金持ち(資産持ち)になれば遊んでて贅沢な暮らしが出来ます。

庶民の夢ですね。

しかし、お金でお金を稼いで、それで終わりでしょうか。

大金を稼ぐのですから何か大きな「やりたいこと」があるのではないですか?

「俺は金を儲けるために生まれてきたのだ」というのは変な話でしょう。

お金というものは結局のところ手段ですから。

金持ちになって美女をたくさん抱きたい、ですか。

それもいいでしょう。

しかしそうであれば、モテ方面への努力に時間を使う方がいいのではないですか?

金目当ての女性を相手にしても面白くないでしょう。*8

 

「いざという時のためにお金を貯めているのだ」

突発的なイベントでお金が必要になる事態に備えたいということですね。

例えば大病を患ったり大怪我をしたりさせたりで大金が必要になるケースです。

しかし大抵の「いざという時」は公的な制度や共済などでなんとかなります。

一人ひとりが大金を貯め込んで備える必要はありません。

 

「老後のためにお金を貯めているのだ」

老後に使うお金を貯めておくというのは難しいことです。

と言うのも、どれぐらい長生きしてしまうかは予測が出来ないからです。

90歳まで生きるつもりでお金を準備していても、100歳まで生きてしまうかも知れません。

逆に100歳まで生きても大丈夫な金額を用意していても、60歳で死んでしまうかも知れません。

だから年金という制度があるんですよね。

だったら老後は年金で生活すればいいじゃないですか。

足りないんだったら生活保護だってあります。

なんとでもなりますよ。

老後も豊かな生活をしたい?

それは何歳までですか?

その年齢を超えたら生活保護レベルで構わないんでしょうか。

 

「仕事を引退してから、残りの人生でゆっくりやりたいことをやるのだ」

それは結構ですが、何歳でリタイアするつもりですか?

60歳や70歳でリタイアしても、衰えた体と頭では貴方の「やりたいこと」は十分に楽しめないのではないでしょうか。

早めにリタイアした方が良さそうですね。

いっそのこと、今すぐにリタイアしてはどうですか?

完全にリタイアするのは無理でも、生活に必要なお金だけを稼ぐことにすれば、余剰時間は全てやりたいことに費やせますよ。

 

おわりに

私たち人間の多くは虫や動物と違って、余剰時間のかなりの部分と必要時間で「やりたくないこと」をやっています。

一生懸命「やりたくないこと」をやった上で、身体を壊したり、心を病んだり、時に命を絶ってしまったりしているわけです。

かなり倒錯した状況にあるように私には思われるのですが、如何でしょうか。

 

*1:食べ物を得て食べることだってやりたいことですよね。

*2:現代でも狩猟採集生活をしている社会は存在しますが。

*3:少数派ですが、余剰時間にやりたいことをやっている人も居ます。アルバイト等で生計を立てている売れない(商業的に成功していない)芸人や役者などです。

*4:動物の場合、必要時間にもやりたいことをやっていると言えます。

*5:人間の場合、必要時間にもやりたくないことをやっていると言えます。

*6:引っ越し代はかかりますが。

*7:結婚相手やその家族を納得させる必要はありますが。

*8:紀州ドン・ファンは結局財産目当ての妻に殺されてしまいましたね。

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  • 通りすがり2

    ちょっと待ってください・・・
    和歌山の彼は奥さんに殺されたかはまだ分かりませんよ??
    無罪になるかもしれません・・・
    殺されたことを当然の前提にように私も思ってましたが、あれはまだ分からない・・・

  • 通りすがり2

    和歌山のドン・ファン氏はかわいそうでしたね。
    お金持ちで、若い女性にモテて。
    ちっとも羨ましくないというのが彼の魅力でしょう。
    でもその1つのことに命をかける姿勢は、トルストイの「人にはどれだけの土地が必要か」の主人公を思い出させます。

  • 通りすがり2

    なかなか考えさせられる内容でした。
    ずれてるかもしれませんし、これはあまり支持を得られないのですが、私が常々思うことがあります。

    人が10の幸せが得たければ10の不幸が必要なのだ。
    これはドストエフスキーの「悪霊」でステパン先生が述べた言葉です。
    不幸がないと幸せと思えないというわけです。

    あと、私が好きな話がありまして・・・
    ロッテの伊良部投手の話しです。彼は速球派のピッチャーで158キロの速球で打者を撃ち取る、というイメージがあります。
    ところが若いときにうまく抑えられないわけです。
    落合とトレードでロッテに来た牛島投手をみると、138キロのストレートで打者が振り遅れている。
    伊良部投手は牛島投手に聞くわけです。どうしてあんなに遅い球で撃ち取れるのですか?僕の158キロの速球はなぜ打たれるのですか?僕は速球派の投手になりたいのです。どうしたらいいですか?
    牛島投手の答えが、遅い球を投げる練習をしろ、というものでした。
    速い球なんて存在しないんだ、速いと感じる球があるだけなんだ。速く感じさせるためには同じフォームで遅い球を見せるんだ。
    これが回答なわけです。
    速球派投手になるためには遅い球を投げなければならない。矛盾しているように思いますが・・・

    こんな話しを思い出しました。