計策の輻湊 01/11/23
執務机に積みあがった書類を見て溜息が漏れてしまうのは、どれほどに齢を重ねてもなかなかに克服しがたい。
眼前に立つ補佐役たるウォーケンも溜息それ自体は見て見ぬ振りはしてくれるものの、執務の代行は無理だ。ターニャ本人の決裁が必要な案件をこれ以上溜め込まれると、JASRA全体の活動にも悪影響が出る。それに彼自身の処理能力の限界を迎えるのことも、明らかだった。
ターニャ自身、「ターシャ・ティクレティウス特務少尉」としての活動はそれなりに控えているが、所属するのは香月夕呼直轄の特殊任務部隊A-01部隊、それも実質的には新設となる中隊のCPだ。暇を持て余せるような立場ではない。
しかもその中隊がただの実働部隊ではなく、戦術機用新OSであるXM3のデモ部隊ともなれば、教導隊の立ち上げに一から関与しているようなものだ。直接機体を動かす衛士以上に、CPに掛かる事務的な業務負担は大きい。
部隊設立から一週間、JASRAに関する業務はほぼ手を付けられていなかった。
好みの豆で淹れたコーヒーを味わうような気分的な余裕もなく、ただ眼を覚ますためだけの代替コーヒーを飲み、書類に向かう。
まずは選り分けられていた物のうち、サインだけで済むところから手に取り、機械的に処理をしていく。もちろん内容には眼を通すものの、差し戻すような必要がある案件はこちらには纏められていない。
だが数が多いとはいえ書類整理などターニャにしてみれば手馴れたものだ。さらにウォーケンによりもともと整理されていたということもあり、不味い代替コーヒーを注ぎ足すほどのこともなく、机の上は片付いていく。
「ふむ? 思っていたよりも早く片付いたな。少佐のおかげというべきかな?」
君も飲むかね?と、本題とも言うべき話をはじめる前の少しばかりの贅沢として、好みのコーヒーをウォーケンにも薦める。
「頂きましょう。コーヒーの淹れ方も、いつまでたっても局長に追いつけそうにもありませんからな」
「日本の諺ではないが、好きこそものの上手なれ、だ。とは言うものの私も人に誇れるほどではないがね」
「局長の腕前でそう謙遜されては、本国のダイナー連中は皆失業してしまいますよ」
苦笑気味にウォーケンはそう言葉を漏らしてしまう。ウォーケンからしてみれば、ターニャのコーヒーの淹れ方であれば間違いなく店を開けそうなものだとも思うが、本人はいまだ納得いく腕前ではないようだ。このあたり何かにつけてターニャの自己評価が低すぎると、彼からしてみれば思えてしまう。
「さてコーヒーの腕前を上げるためにもまずはあの土木機械どもを片付けねばな。帝国と合衆国とのXM3搭載の第三世代機が揃っていると仮定したうえで、喀什をどう墜とす?」
幾度か話していたことだが、喀什攻略はいまだ正式に立案してはいない。だが、G弾が実戦使用された今となっては第五計画が本格的に動き出すまでの時間的な余裕はさほどない。安保理を納得させられるだけの計画を、草案だけとはいえ年内には作り上げておきたい。
「……投入可能な兵力は?」
「戦術機のみで軍団規模、1000機程度だ。軌道爆撃は可能とする」
「日本帝国と在日国連軍から一個師団強、合衆国が一個師団、他をユーロからの義勇兵で、何とか軍団規模ですか」
ターニャが言った数字の内訳を、ウォーケンは推測する。それはほぼターニャの予測通りの数字だ。
「軌道降下能力の上限にはまだ余裕は残るが、どう言い訳してもこれ以上は引っ張ってこれまい」
数字の出所はAL世界線の桜花作戦だが、今の世界を知るターニャとしても集められるのはこの程度だろうと予測する。
もちろんアメリカが総力を挙げるというのであれば、これに数倍する戦力は存在する。が、ターニャの想定する喀什攻略では第四主導という名目が必要なために、帝国とアメリカとの戦力提供比率があまり偏ることはできない。
「その兵力では、G弾がどうしても必要でありましょう」
「なに、『あ号標的』が消え去るまでG弾を投射し続けるというのでなければ構わんよ」
たとえ戦術機のすべてがXM3搭載機だったとしても、通常兵力だけでもどうしても限界がある。
上官のG弾に対する拒否感は知っている上でウォーケンは問うが、ターニャにしても何もG弾を完全に否定しているわけではない。最低限の使用に留めるのであればという条件は付けたものの、先を促す。
そしてG弾を用いると前置きしたうえでウォーケンが提示したのは、投入できる兵種が限定的ではあるが、既存のハイヴ攻略案を下にした比較的常識的な物だ。
軌道爆撃によるAL弾の投射により、重金属雲を形成。
一個師団を第一陣として地下茎地図の無い北部に投入。ハイヴ北部の「門」周辺に陽動のために防衛線を構築する。
地上にそれなりの数が誘因出来た後にG弾を投下。光線属種の低減の後に第二陣が降下開始。地下茎地図の存在する南西部の「門」から侵攻し、「あ号標的」を目指す。
最後、第二陣のハイヴ地下茎への侵攻後に、第三陣が追加降下。第二制圧目標のアトリエである「い号標的」を目指す。
ありきたりの案ですが、とウォーケンは言うが確かに計画としては凡百である。だが補給線が確立できていない内陸部のハイヴを攻略しようとすれば、選択の幅などないに等しい。
G弾を使うとしてもそれで全てが片付くわけでもない。とくに喀什のハイヴは地球上では最大規模のフェイズ6にまで拡大している。数発のG弾ではモニュメント部分だけでさえ完全に破壊しきれるかどうか疑わしい。
またG弾の起爆直後からBETAの活動が一時的に停止するという未確認の情報もあるが、それを作戦の組み込めるほどではない。
そして威力としては核をはるかに凌ぐG弾ではあるが、その威力ゆえに問題もある。G弾投入後は間違いなく形成された重金属雲は消し飛び、打ち漏らした光線族種が数によっては、二次降下以降の難易度は跳ね上がるどころか、ほぼ不可能となる。
「しかし、白銀が出してきた案と基本はさほど変わらんな」
「ほう?」
「あちらは一応はXG-70が用意できるという条件での案も出しては来ているが……」
見てみるかね、と用意していた数枚の提案書をウォーケンに差し出す。
細部まで作り上げられた計画ではないため、一瞥すれば概略は読み取れた。
ターニャの言うとおり、武が提示したという作戦案はXG-70を使う使わないに関わらず、編成にしても降下部隊を三段階に分けるという点において大筋ではウォーケンのものと同じだ。違うところといえば、各段階での到達目標の設定だけだ。
そしてその目標の設定という一点の違いこそが、武の出した案の骨子でもあった。
「ああ……なるほど。白銀少尉の狙いはただ『あ号標的』のみ、ということですな。『い号標的』へ向かう部隊を第二段階としてそれさえも陽動として扱う、ということですか」
「貴様とてそれを思いつかなかったわけではあるまい? 優先度の違い、としか言いようがないな」
国連に出向しているとはいえウォーケンは合衆国軍人であり、どうしてもアメリカの利益を優先してしまうところがある。無意識下の判断とはいえ、G元素貯蔵施設と目されている「い号標的」、アトリエと称されるその地点の確保を重視したとしても攻められる謂れもない。
対して武は、帝国の立場さえ考慮することなく、ただ「あ号標的」重頭脳級の破壊のみを目的としている。G元素の確保など、作戦目標としてはまったくといっていいほどに想定していないようにも見える。
「ただ、この白銀案ではたとえ作戦が成功したとしても、その後の帝国には少なからず悪影響がありそうですが……」
ウォーケンとしても言葉を濁すものの、武案は言ってしまえば参加する全将兵を陽動として、ただ「あ号」に到達することのみを目的としている。大隊規模の「あ号標的」殲滅を目的とした部隊以外の、1000の衛士を磨り潰すことを想定しているとも取れた。
「そのあたり何も考えておらぬのだろうな。危うい……とも言えるが、作戦の根幹は誤っておらん」
「確かに。自分の案は、重頭脳級を破壊しつつG元素も確保しかつ参加兵士の帰還まで含め、想定が甘すぎましたな」
武の出してきた案は、自身が参加することを理解した上で、文字通りに「決死」のプランだ。無自覚なのかもしれないが、参加将兵が皆、死に臨むことを前提として立案されている。
ハイヴ突入部隊は当然、地表での陽動でさえ生還を想定していない。
「帰還方法に関して、どこか投げやりなのは生きて帰ることを考えておりませんな」
「戦術機を現地に放棄した上での、XG-70による衛士のみの軌道退避、だからな。これは帝国でさえ呑むまい」
前提としてXG-70が利用できなければ、そもそもこの撤収計画は成り立たない。それも作戦終了時に満足に稼動していることも絶対条件だ。
さらに心情面としては、武御雷を賜っておきながらその機体を戦地に捨て去るなど、斯衛の者に聞かれればただでは済まないだろう。
「いや、斯衛どころか隊内の御剣少尉に聞かれただけで、反発は必至、だな」
クツクツとターニャは嗤うが、真那あたりならばいきなり斬り捨ててもおかしくはない。
「しかしXG-70が使用できない場合は、中国全土を横断して黄海へ……ですか」
「まったく何も考えていないわけでもないだろうが、直線距離としても3600kmだぞ。無謀を通り越して無策としか言えんな」
地形的には戦術機であれば移動しやすいルートとも言えるが、ハイヴ攻略後にBETA支配地域をそれだけの距離踏破することなど、現実問題として不可能だ。
「距離的には苦しいが、経路としては判りやすい上に、軌道投下ができれば途中の補給自体は可能ではあります。ですが実現性は極めて低いとしか評価しようがありませんな」
ウォーケンにしても苦笑しか出てこないが、実のところ一応は彼自身もこのルートは想定はしたのだ。
喀什はほぼ全域がBETA支配地域となったユーラシア大陸のほぼ中央にあたる。人類支配地域に逃げ出そうとすれば、東西南北それぞれに問題がある。
武が出した東へのルートは、地形面だけで言えば最善ではある。ただこれは距離がもっとも長い。北へ抜けてカラ海に至るのもさほど距離は変わらぬ上に気象面でも問題が多く、これはそもそも想定にも上げようがない。西に抜けるのはカスピ海を経由するにしてもハイヴの多い地域であり、地中海に出るのは困難を極める。
「自分としましても、一応はベンガル湾方面へのルートも考えてはみましたが、こちらも不可能でしょうな」
「インド方面へ陸路での移動など、ボパールの間引きがどれほど効果を上げていても、良くて死神の鎌の下を踊りながら通るようなものだからな。それでパキスタン方面、アラビア海を目指す……か」
それらの条件を踏まえたうえでウォーケンが提示した撤収経路は、地形的には移動が困難ではあるが、距離的には最短ともいえる南東ルート、パキスタンへと至るものだ。
喀什からアラビア海に面するカラチまでは直線距離にして2000km未満。他方面に比べて圧倒的に近いといえる。
パキスタンはイランのH2マシュハドハイヴからもインドのH13ボパールハイヴからもそれなりに距離がある。BETA支配地域とはいえ、戦術機による踏破だけならば困難ではあるが不可能ではない。
そしてイスラマバードからカラチまでは直線距離で1000km。この距離であれば最悪はNOEでインダス川に沿って飛び続けるという方法も取れなくはない。
「問題は、喀什からイスラマバード、いえムザファラバードまで、ですな」
だが、ウォーケンの言葉が言葉を濁すように、パキスタンに入るまでが非常に困難だ。パキスタン方面へのBETA侵攻を防いだともいえるカラコルム山脈だが、これを超えねばならぬのだ。
喀什からムザファラバードへ至るには、今なおBETAに齧り崩されていない細い峠道を800km以上に渡って移動しなければならない。
「遥かなり神々の座、か。いやあれはチベットだったか?」
「局長?」
「ああ……いや、ふと昔読んだ本を思い出しただけだ。だが、このルートが一番現実的ではあるな」
あくまで他ルートに比べ可能性が高いというだけではあるが、安保理に出すには武の案では無理だ。建前とはいえ全将兵の無事な帰還まで含め、計画は立案されねばならない。
「正直に一衛士として言わせていただければ、白銀の出したXG-70による軌道退避が、もっとも有効だとは考えます」
XG-70が必須となるが、ハイヴ制圧後の周辺防衛のために残る部隊を除き、彼らに戦術機本体を含め装備はすべて預け、負傷者なども一括して帰還する人員だけを軌道上に運び上げるというのは、帰還計画としては理に適っているともいえる。
「XG-70……戦略航空機動要塞、か。盾としては強力だが、矛としての能力には疑問が残る。とはいえ、たしかにML機関による自律軌道到達能力は、作戦完了後の撤収という面では魅力的ではある」
XG-70はG元素を利用したムアコック・レヒテ型抗重力機関によって稼動する。ML機関によって形成されるラザフォード場による機動制御と、その重力場を用いた防御、そして重力制御の際に生じる莫大な余剰電力を利用した荷電粒子砲が、主な特徴だ。
そしてラザフォード場の防御力とともに、取りざたされやすいのがその荷電粒子砲の威力だ。が、あれは文字通りに両刃の剣だ。
射撃後にラザフォード場の維持ができなくなるというだけでも、使い勝手が悪い。重光線級を撃ち漏らしでもすれば、機動力のないXG-70では対レーザー装甲をもってしても、生存の可能性は著しく低い。
だが今注目すべきは、重力制御によって自力での大気圏外離脱が可能という点だ。人員の撤収に限れば、間違いなく最良の選択とは言える。
「しかし……戦略航空機動要塞、ですか。使えないのが厳しいですな」
XG-70に付けられた大仰なまでの兵種分類名だが、WW1の時代から続く空中軍艦の系譜といえなくもない。ただ飛行船をベースとしたそれらと違うのは、ラザフォード場という頑強な盾を持つことだ。
「火力にはさほど期待できんだろう? 補給物資の移送目的か?」
「いえ。それらも重要ですが、あれでしたらCPを現地まで運べるのではないかと」
「……その問題もあったな」
防衛戦であれば、重金属雲下でもなければ後方の司令部から指揮できる。
これがハイヴ内部に侵攻してしまえば、ハイヴの構造素材のせいか無線通話はほぼ不可能となる。長々と中継用の有線ケーブルを這わせていくことも難しい。
CPの補佐なく、大隊や中隊規模の指揮を執れというのは、口で言うほどに容易くはない。ましてそれが地球最大規模のハイヴ内部ともなれば、そもそもが自機の操作だけでも熟練の衛士をして手に余る。
「以前話していたように、突入部隊に複座型を配備してCPも現場にまで送り付けるか」
「合衆国では難しいですが、この帝国や欧州であれば、負傷などで衛士を止めた者がCPとなっている場合もありますので、可能かと」
理想を言えば、ハイヴ突入を想定する部隊には中隊ごとに一機の複座型を配備し、中隊付きのCPを現地に送り込みたい。
ただ戦闘機動を行う戦術機に、後席とはいえ特性の低い者を乗せては。満足な作戦伝達など困難だ。ならば元衛士でCPを担っているものを乗せるしかない。そしてアメリカ以外では、負傷によって衛士から離れた者も少なくはない。
「そのCPの問題もXG-70が利用できればある程度は解決できるかとも考えましたが……」
「机上の空論どころか、妄想の範疇ではあるな。なんといっても起動の目処さえ立っていないのだから」
ターニャとしては、ウォーケンの前で口には出すわけにはいかないが、XG-70があればそれも二基同時に運用できるのであれば喀什攻略も可能性が高いと考えている。しかし浮かび上がるどころか、ML機関の安定起動でさえ覚束ない現状では、その利用を前提とした作戦計画など認められない。
対してウォーケンからすれば、70年代半ばに始まったHI-MAERF計画が生み出そうとした戦略航空機動要塞XG-70シリーズなどそれこそ妄想の産物に等しい。それでも喀什攻略成功後の撤収計画を語るのは、なにも上官たるターニャに話を合わせているだけではない。
たとえ作戦が成功したとしても生存者などゼロに等しいと、結局のところ武だけでなく、ターニャもウォーケンも厳然たる事実として受け入れているのだ。
「ただまずは九州だな」
「やはり九州だとお考えですか? 台湾方面への侵攻を予測する向きも今なお強いのですが……」
「あちらに行ってくれれば、私としても助かるがね? 日本海よりも台湾海峡のほうが冬場でもまだ波は穏やかな上に、中国本土海岸側への砲撃である程度は数も減らしやすい」
台湾海峡は浅く、要塞級にいたっては海面上にその身が出るほどである。要撃級などでも場所によってはその感覚器が見えるほどだ。BETAは水面下であれば基本的に攻撃を行ってこないので、台湾海岸側からや洋上から文字通りの鴨撃ちができる。
弾薬の安定供給にさえ問題が無ければ、台湾防衛はさほど難しくはない。
「早ければ12月頭、遅くとも年内には九州侵攻がある。重慶と鉄原周辺の飽和状況にもよるが早まることはあってもそれよりも遅くなることはない」
「了解いたしました。その想定の上で今後の予定を繰り上げておきます」
「ああ……使い古された陳腐な表現だが、我々に残された時間は限りなく少ない」
それはウォーケンにというよりは、ターニャには珍しく、自身に言い聞かせるような言葉だった。
三章開始~と言いますか、年内に何とか更新できてよかった……次回更新はでもちょっと未定です、1月中旬くらいからはペース戻したいところ。この三章が最終章になる予定ですので完結まではがんばりたいなぁ、と。
普通?ならというか原作準拠なら12.5クーデターとか桜花作戦とかが山場になるんですが、この話の場合どこが山になるか結構プロット纏めているはずなのに書いてるほうにもけっこうナゾですが、できましたら2018年もお付き合いください。
ちなみに今回出てる喀什攻略案はかな~りアヤフヤです。ハイヴ周辺どころか、ユーラシア全域でのBETAの配備?状況とか良く判らないので、こういうぼんやりした話に。というか原作だと桜花作戦終わった後の撤退計画ってどーなってたんでしょ?