トライアル会場は一種異様な緊張に包まれていた。
ざわめきもなく、ただ二機の武御雷のアイドリング音だけが、高く響き渡っている。
悠陽殿下からのお言葉を賜っております。ご起立ください、とアナウンスがあったものの敬礼まで命じたわけではない。
だがそのアナウンスよりも先に、会場の大半がわずかに不揃いながら、命令もなく起立し敬礼していた。
紫の武御雷、そして同じく紫の零式衛士強化装備。
帝国の衛士であってその意味が分からぬ者はない。国連軍の訓練兵だと紹介されようが、それを信じる者など居ようもないのだ。
髪を束ねる白のリボンや髪形が変わっていようとも、「別人」だなどと考える余地などありえないのだ。
(一応、命令はしてない……よな? 自発的に皆様が勝手に訓練兵に敬礼してるだけだ、よな?)
起立しろといったのは、今から流される悠陽のお言葉へのことだ。けっして「御剣冥夜訓練兵」に対してのことではない。
冥夜を、煌武院悠陽が演じる「御剣冥夜」だと誤認させる、という目論みは今のところ間違いなく成功している。成功しすぎているといっても良い。
XM3という新型OSへの感想など、会場に集まった帝国衛士たちの中からは、ほぼ消え失せてしまったに違いない。
おそらくは会場の誰もが長く感じられる時があり、しかし実際には霞のアナウンスからほとんど間を空けず、悠陽の言葉が静まり返った会場に静かに流れ始める。
『まずは此度の新型OSの開発に携わった皆様方に感謝を。今後、国と民が蹂躙されようかという際、もしあの時に準備をしておけばなどと後悔をしたくない、ただそれだけの私の我侭を形にしてくださりありがとう存じます』
誰にとは具体的には名は告げない。
第四自体が国連の秘匿計画なので、夕呼の名前は軽々しくは表に出せない。そして技術大佐相当官で国連軍の訓練基地副司令を勤めているという表向きの役職程度では、悠陽が名指しで感謝の言葉を述べてしまえば、無用な軋轢を生む。
『未だ戦場に立つこともできていない、衛士として未熟な私が戦術機用OSの開発に口を出すことなど、本来であればおこがましい限りではあります。ですがすでに朝鮮半島からの撤退も進み、この国が戦火に晒されるのは目前となっております。この新OSが衛士の皆様の身を、共に戦う幾多の兵を、そしてなによりもこの国と民とを護る一助とならんことを、切に願っております』
前線に立つべき衛士たちに、時間の無さを指摘した上で侵攻に備えよと、そしてXM3の持つ意味を匂わせながら無駄にその身を散らさぬようにと釘を刺している。
(書面だけでも送ってくれればと考えていたが、直接お言葉を録音してくださるとは……)
今回のことは、悠陽が独断でできることではないはずだ。少なくとも五摂家や城内省が認めなければ、代理人の書面一つで済まされてもおかしくはなかった。
この場にいるのはたしかに現役衛士が大半だが、各界の上層部に伝わらないはずがない。この声明を聞けば、彼らは武家の総意として城内省が第四の積極支援を表明したと看做すだろう。
これだけのことをして貰ったのだから、何らかの見返りは期待されているのかもしれないが、武個人としてみればXM3の性能を以ってして、衛士とその後ろにいる者たちの命で返すしかない。
(ただ、このタイミングで出してきたってのは、夕呼先生の差し金だよなぁ)
武は周囲の反応を観察しながらも、このサプライズの仕掛け人が判ってしまう。
普通に考えれば、トライアルの開始直後、基地司令たちの挨拶の時に流すべきものだ。わざわざ冥夜の登場を待って聞かせるようなものではない。
悠陽の言葉を聴きながら、武は臨時指揮所として使っているテントの陰となる奥から、列席している者たちの反応を探る。
双眼鏡を持ち出して直接見たくなるものの、さすがにそれは目に付いた場合に言い訳ができないので、トライアルの状況を撮影している無人偵察機のカメラを列席者に向けて、モニタで見るだけだ。
衛士たちは、直立不動でその短い音声を聞き、それぞれの立場で驚きを表している。
夕呼やターニャが、短い間ながらにXM3の開発には悠陽が関与していると噂としては流していたようだが、おそらくここに居並ぶ衛士のほとんどはそんな話を一笑に付していたのだろう。
それが政威大将軍である悠陽から、在日国連軍への直接的な感謝の言葉として聴かされると、驚愕するしかない。
そしてやはりというべきか、本土防衛軍から来ている者たちには、少しばかり不満げな表情の者が多い。帝国軍参謀本部直属というその立場は、斯衛とはまた違った意味で自尊心を肥大させてしまうものだ。
陸軍側の反応は様々だ。大陸派遣軍の者は「もしあの時に……」という後悔を幾度となく経た上で、この国に戻ってきているのだろう。その上でどうしても新装備というものに対する懸念が拭えないように見える。
反応が薄いのは、悠陽の持つ意味合いが理解できない第七艦隊から来ている一部の若手衛士くらいのものだ。合衆国ならば大統領がすべての役職を飛び越えていきなり末端の装備開発に口を出してきたのか、程度のものだ。
逆に古参の米軍衛士たちは日本の内情を知る者も多く、声を立てずに驚きとどこか期待に満ちた顔付きだ。政威大将軍の持つ意味が判る者からすれば、日本が本土防衛、そしてその後ろに控える米国防衛に向けて挙国一致体制へ移行しつつあると感じたのだろう。
『まさかと思うけど、白銀? 御剣の任務って……』
「おいおい何を考えてるんだ榊分隊長殿? 御剣訓練兵の任務はさっきのアナウンス通りだ。今から始まるXM3に換装した武御雷での演舞だよ」
悠陽の声明に驚きつつも、冥夜に音声まで偽装させたのかと問いそうな千鶴に、武は言葉を被せて誤魔化しておく。たしかに悠陽と冥夜との声は似ているかもしれないが、通信越しで判断しにくいとはいえ、間違えるほどではないはずだ。
ただ、それを疑う程度には千鶴も動揺しているようだ。
(ま、御剣のことを知っている榊でさえ勘違いするんだ。事情を知らない衛士からしたら、どう見ても殿下じきじきにお出であそばされたしか思えないか)
政威大将軍である煌武院悠陽が衛士教育を受けていることは、決して機密でもなんでもない。むしろ国難の際には、率先して前線に立たれるのではとまで噂されている。
無論、その噂も作られたものであろうことは、今の武は推測できる。だが直接会った上で、やはり悠陽であれば自ら先陣を切ろうとしてしまうのではないか、とも考えてしまう。
『では、皆様ご着席を。篁中尉と御剣訓練兵による、帝国最強たる戦術機による剣の舞をご覧ください』
アナウンスとして、霞の声は何事も無かったかのように続く。
なるほどたしかに、こういうときには霞の落ち着いた声は、耳に心地よい。霞は、先のAL世界線では桜花作戦において凄乃皇のナビゲートも務めていた。武自身あの声にかなり助けられていたことをふと思い出してしまう。
(頼むぞ二人とも。機体に傷が付くくらいならともかく、怪我だけはしないでくれよ)
横に居る尊人には気付かれているのだろうが、今の武は見守ることしかできず、戦術機のコクピットに居る時以上に緊張していた。
演舞ということもあり、装備自体はともに右手に74式長刀を、そして予備として背部の可動兵装担架に一本だけだ。
問題は、本来訓練などであれば装着するはずの、刀身に付けるべき樹脂緩衝材が無く、刃も落としていない純粋に実戦用の74式長刀を装備していることだ。
この二日ほど、冥夜と唯依とは武の指導の下、加速度病にかかる限界まで実機とシミュレータでの訓練を続け、空いた時間は道場で向かい合うという、この演舞のためだけの訓練を続けていた。
まさに寸暇を惜しんでの特訓だった。
もともと今回の演舞は冥夜と真那とで予定していたが、唯依がトライアルが終わるまでは日本に残るということもあり、急遽頼み込んだのだ。
真那の腕が唯依に劣るということは無く、また冥夜の太刀筋を良く知る者ではあり、本来であれば演舞の相手としては、真那のほうが安全ではある。
ただ武家内部の序列はどうであれ、一般衛士には月詠よりも篁の名のほうが間違いなく高い。そのため唯依には無理を押してもらった。
200mほどの距離を空け、二機の武御雷は正対している。
人間サイズに換算すれば少しばかり離れすぎているようにも見えるが、戦術機のそれも武御雷の機動性をもってすれば、すでに間合いの内だ。
開始の合図とともに、山吹の武御雷はそのわずかな距離を脚力だけでまさに一瞬で詰め、示現流の真髄ともいえる初太刀を浴びせる。
「殿下」に対し、たとえ演舞といえど刃を向けることに、躊躇いなど一片も見受けられない一撃だった。
だが柳の構えにて待ち受けていた紫の武御雷はその一太刀を、半身ともいえぬ動きにて微かに刃を当て、逸らす。
そして「二の太刀要らず」とよく話されるが、示現流に連携がないわけではない。
山吹は初撃を躱された直後には次の動作に入っている。柄から左手を離し、右腕のみで振り下ろした剣先を下から首元を凪ぐように跳ね上げる。
紫はその二撃目もわずかな脚運びのみで躱し、捌いた刀が戻りきる前に突き出される切っ先を、刃を立てることなく静かに押し別ける。
荒々しくすべてを吹き飛ばすかのような剣戟を繰り広げる山吹に対し、紫はまさに流れるように静かに一太刀ごとを受け流し通り過ぎさる。
演舞として組み立てられた手順だが、幾合かの斬撃の応酬が繰り返される様は、真剣なせめぎ合いにしか見えない。
『ん~なんなんだろ』
『……なにか御剣の動きが悪い?』
だが、訓練をともにしてきた207Bの皆は、どこか違和感を感じはじめていた。
「彩峰と鑑は気が付いたか? いまはどちらの機体もOSの機能を制限してる。仮称ではXM1、キャンセル機能だけを搭載したバージョン同等だな。で次はXM2、先行入力が可能になる、と」
武の言葉に合わせたかのように、二機の武御雷が再び距離を取る。めくれ上がった地面で判りにくいが、メートル未満の誤差で最初の立ち位置のはずだ。
今回も先ほどと同じく山吹がいきなり距離を詰めるが、今回は左側面から回り込むように薙ぎ払いに行く。
それに対し、紫は受けるのではなく脚裁きで摺り下がるように回避していく。
『ああ、今回は動きを見せるんですね』
「そのとおり、演舞とは言ったがあくまでXM3のトライアルの一環だからな。こういうことができますよっていうデモだよ」
『……デモ?』
「っと、デモンストレーション……模擬機動だな」
壬姫が冥夜の回避行動を見て演舞全体の意味を掴んでくれるが、久しぶりにEX世界線でしか通用しない言い回しを使ってしまい、言葉に詰まる。
しかしそんな武とは無関係に、演舞のほうは続いている。
先ほどまでは、地面にまっすぐな直線が描かれるほどに一本の線の上で戦っていたが、今は円を描くように二機はその位置を目まぐるしく入れ替えていく。
基本的には先と同じように、唯依の山吹の武御雷が斬りかかり、それを冥夜の紫の武御雷が最小の動きで躱すということの繰り返しなのだが、唯依は常に太刀筋を変え、また冥夜も同じ回避方法を取ることもない。
『これって、芝居とは違うけど、型は決まってるのよね?』
「演舞だからな。流れは決めてある。御剣がここ二日お前たちとは別行動だったのは、これを覚え込んでもらうためだった」
実際のところ、操作だけに関して言えばこの第二段階が一番煩雑だ。
特に唯依は、冥夜の回避を見てから次の振りを入力しているようでは繋ぎが不自然になるため、常に先行入力で舞踏の拍子を取っているようなものだ。
流れが決まっているのでキャンセルを挟むことはほぼないが、もしどちらかが何らかのミスを犯せば即座に太刀筋を変えねばならぬために、唯依の負担は大きい。
最初にこの段階の説明をしたときなど、緊張から気を失うのではないかと思うほどに蒼白になっていたものだ。
対して冥夜にしてもけっして楽なわけではない。実戦のように見てから如何に避けるかという判断を下す必要があるわけではないが、相手の踏み込みに合わせ常に受身で対応し続けなければならない。
だが衛士二人にそれだけの負担をかけるだけのことはあったようで、先ほどまでは少しばかりざわめきの残っていた会場も、その動きに魅了されるように二機の駆動音しか聞こえなくなっている。
「で、本番はここからだ」
再び二機は最初の位置に戻り、距離を取る。
『え?』
次はどう仕掛けるのか期待を持たせた瞬間に、動いたのは冥夜の紫の武御雷だ。
無線越しに聞こえた誰かの驚きの声こそ、会場の反応と同じだ。
今まで受けに回っていた紫の武御雷が一切の準備動作なく跳躍ユニットを吹かし、瞬時に斬りかかる。
それを受ける山吹もまた跳躍ユニットを使い、横ではなく上に躱す。避けるだけに留まらず、空中で兵装担架に収めていた予備の長刀を左手の逆手にて抜き放ち、落下の勢いに任せて二刀を振るう。
それを受ける余裕などありえないとしか思えなかったが、紫は待ち受けていたように手にする長刀ではなく、左右の肘で二刀をいなす。
さらに半身に逸らした勢いで、踵のブレードを山吹の頭頂に落とすように蹴り上げる。
『ええっ!? いまの御剣さん、なんか凄くない!?』
「武御雷だからな、内装の短刀が各部にあるんだ。せっかくだから使ってもらうことにした。あとこの前話に出てた各部のブレードエッジだな」
もちろん当てるわけにはいかないので、その踵落としを今度は山吹が軽やかに避けていく。
「鑑さんじゃないけど……凄いね、御剣さんも」
尊人も横で感心したような声を上げている。
ただ、双方が跳躍ユニットによる無理やりな空中機動からの近接格闘を続けているため見た目は派手だが、実のところ操作自体は先ほどよりも楽なはずなのだ。
空中からの二刀振り下ろしを肘の短刀で受けたのも、その流れからの踵落としも、ともに今回の演舞に合わせた特別なコンボを設定しているだけだ。実用性はまったくないが、見栄えのするものをいくつか仕込んでいるのだ。
「おいおい、こんなのはあくまで演舞だ。お前らだってパターン覚え込んで、この程度はこなせるようになってもらわないと困るぞ」
「いやぁ、タケルならたしかにできるんだろうけど、あんなに振り回されたら普通は眼を回す程度じゃすまないよ」
『鎧衣君の言うとおりだよータケルちゃん基準で考えてたら、振り回される御剣さんがかわいそうだよ』
「あ~いや、この程度だとまだ振り回すうちには……」
さてどう言うべきかと思っている間に、二機は演舞の最終局面に入っていた。
今までの距離とは違い、二機は500mほど大きく離れ正対しなおす。
山吹が左にも持っていた長刀をゆっくりと離し、再び両手に一本だけを持ち、大上段に構える。
対して紫のほうもまた一刀のみで柳に構え、繰り出される一太刀に備える。
三度目とは逆に、再び先に動いたのは山吹だった。正面ではなくわずかに上向き、高度にして100フィートほどまで跳ね上がり、そこからパワーダイヴ。一振りにまさに全身全霊を掛けた一振りを繰り出す。
当たらずとも掠るだけで大破してしまいそうなその突進に、紫の武御雷は左斜め前方にわずかに噴射跳躍し、即座に左の跳躍ユニットはそのままに右だけを前方に向ける。速度の乗ったままにコマのように機体全体を捻り上げ、完全に振り切った山吹の背面から、その無防備に晒された項部分に切っ先を突き尽きた。
『白銀……今のって』
「おう、初日にシミュレータでお前たちに見せたヤツの、ちょっとした応用だな」
ターニャからドリフトターンと言われた機動の、その近接用のアレンジだった。
今回のように相手が止まらければ確かに剣の間合いから外れるが、それであればそのまま噴射跳躍で切り込めばよいだけだ。
「コンボを使えば、誰でもあの動きができるようになる」
まあ問題は、戦術機適正の低い衛士にとってすれば、恐ろしく酷い体験になるらしい、ということだけだ。
『以上を持ちまして、篁唯依中尉と御剣冥夜訓練兵による演舞を終了させていただきます』
霞のアナウンスを受けて、まばらに拍手が起こる。冥夜の件にしろ、その後に見せられた武御雷の挙動にしろ、会場全体がどう反応すればいいのかまだ理解が追いついていないような状態だった。
『では午後からはXM1、XM2、そしてXM3の各段階ごとの挙動の違いなどのご紹介を経た後に、シミュレータではありますが搭乗の機会を設けておりますので、ご希望の方は……』
そんな反応の薄さなどまったく気にしていないような平坦なままの口調で、霞は必要事項だけを伝えていく。
「お前たちも機体をハンガーに戻して、昼食って来い。午後はひたすらに質問攻めにされるぞ?」
霞のアナウンスを聞きながら、207Bに休憩の指示を出しておく。
武としても仕事は終わったと言いたいところだが、忙しいのはここからだ。
半島撤退に言及する悠陽殿下のお言葉、初期案ではチャーチルから引用かなーとか考えてました。が、ちょうど?ダンケルクが上映していることもあるし、そもそもBETA相手に降伏という選択肢がないので、今回はこんな感じで。
そしてなにやら久しぶりに戦闘?シーンを書くと大変疲れました……トライアル自体の反響など含め後2~3回で第二章終わるといいなぁ、という感じです。