神津里季生(こうづ・りきお) 連合会長
1956年東京都生まれ。東京大学教養学部卒。在学時は野球部マネジャー。79年、新日本製鐵に入社。84年に本社労働組合執行委員となり、専従役員の活動を始める。外務省と民間の人事交流で90年より3年間、在タイ日本大使館に勤務。その後、新日鐡労連会長、基幹労連中央執行委員長などを経て、2013年に連合会事務局長に就任、15年より同会長。近著に「神津式労働問題のレッスン」。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
神津里季生・山口二郎の往復書簡(5)「あいまいさの海」にいては嵐を回避できない
既にJリーグやプロ野球の開幕も現実のものとなっています。選手や関係者全員のPCR検査が前提となっているようです。スタート時点では無観客試合のようですが、私はこちらも徐々に観客数を増やしていってもらいたいと思います。テレビ中継で見られるからそれでいいという問題ではありません。
無観客試合を中継する画面で目に飛び込んでくる光景、それは一流の選手たちの熱戦が繰り広げられる一方で、スタンドはガラガラという異様な姿です。そしてその光景は、コロナのもたらす「無言の圧力」として、全国に流し続けられるわけです。人々は脅威の呪縛から解放されることなく、いつまでも、恐る恐るの日常を継続せざるを得なくなります。
私は、PCR検査の徹底と陽性者の治療もしくは隔離という当たり前のことができるのか否か、それがこの国の当面の状況を決定的に左右すると思います。
専門的知識を有する方々のなかには、感染初期における検査数絞り込みによって医療崩壊が阻止されたという“実績”をもって、PCR検査の拡大に消極的なスタンスを持っておられる方も少なくないのかもしれません。しかし、今は局面が異なります。
感染症対策と経済復興が矛盾しない世界を実現していくためには、いつでも当たり前のように検査を受けることができる体制が必要であり、それによってはじめて、不安を抱えることなく日常生活を送ることができるのです。
そのステージに踏み出していかない限り、秋に来るであろう感染期に、またもや補償なき自粛要請が繰り返され、生活も経済もさらに厳しい状況に追い込まれるのではないでしょうか。
これまで指摘してきたように、この間わが国は、かなり中途半端であいまいな政策推進であったにもかかわらず、感染による死者数は相対的にかなり低い水準におさまっています。それは、欧米の各国とくらべて顕著です。
この状況を前にして、私の脳裏には、最近よく使われているあの名将、故野村克也氏の名言「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」が浮かびます。まさしく不思議な勝ち。なんでこの程度の状況でとりあえず済んでいるのか、本当のところはまったく解明されていません。
私たち日本人は、あいまいさをついつい許してしまう性癖がどこかにあるように思えてなりません。
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