「詫びとは申しませんが、白銀とやら。私にできることであれば協力は惜しまぬと、煌武院悠陽の名にかけて誓いましょう」
悠陽が詫びという形で、協力を申し出てくれる。
さてここからこそが本題だ、と武は意識を切り替えた。五摂家の当主二人の言葉は、あくまで斯衛へのXM3導入を前向きに考える、といった程度の物でしかない。ターニャと夕呼とで先に話し合っていたように「煌武院悠陽」の名を借りることこそが、今回の目的なのだ。
「我々第四計画が殿下にお願いいたしたいのは、このOS、XM3の日本帝国内での導入に、お力をお借りしたいというただ一点でございます」
「帝国内、ですか? 斯衛であれば崇継殿も恭子殿も導入に前向きのようですし、私の一存で予算面に関しても少々の無理は通せなくはありませんが?」
予想していなかった武の言葉に、悠陽が少しばかり眼を開く。
斯衛であれば城内省直轄のために、まだ予算的には融通が利くところがある。対して国防省麾下の帝国四軍には、悠陽では介入することはほぼ不可能だ。
政威大将軍は日本帝国国務全権代行ではあるものの、現時点においてそれは形骸化している。悠陽がたとえ何を命じようと、帝国政府が動くことはまずない。そして議会決議がなければ軍政事項に関しては動かしようが無い。
「はい。身内の恥を晒すようで心苦しいのですが、第四計画は帝国内においてはさほど信用のある機関ではございません。そこが主体で作り上げたOSなど、通常の方法では帝国軍すべてに採用されることなどありえません。違いませんか、巌谷中佐?」
「ふむ。身内の恥という意味では、こちらも確かにそうですな。私個人の意見であれば、このXM3というOSは可及的速やかに配備運用がなされるべきだとは考えますが、第四計画が作り上げたとなれば、陸軍内部からの反発は必至でありましょう」
問いを投げられた巌谷も、苦しげにそう答える。巌谷自身はさほど第四計画にも夕呼にも思うところは少ないのだろうが、帝国軍となると反対派まではいかないが苦々しく思っている者の方が多い。
「私の名に、それほどの力があると、そなたは申すのですか?」
「殿下に、いえ今の政威大将軍という地位に実権が無いこと、そして殿下が実権を欲しておられないであろうことは、自分にも推測できます。それとは別にして、です」
実権が無いお飾りだという武の言葉で、先程までのやり取りでわずかに緩んでいた空気が再び硬いものとなる。真耶など今にも斬りかかってきそうなほどに、視線が鋭い。
先程までとは違った威圧感が武に押し寄せるが、ここで留まることはできない。受け入れてもらうべき要件は、次の言葉だ。
「このような状況ですので、殿下が衛士の命を慮ってOSの改良を指示していたとすれば、陸軍側も受け入れやすいのではないかと愚考しております。XM3は、殿下の発案を第四が形にしたという態を取って発表したいと考えております。殿下のお名前を利用する形となりますが、そのご許可を頂きたいと」
名を貸す、というだけでなく悠陽に対して事実を捏造しろという武に、室内の緊張がさらに高まる。
顔色どころか表情を変えていないのは、言われた本人の悠陽と、そしてターニャの二人くらいだ。鎧衣でさえも武の目にも判ってしまう程度には身体に力が入っている。
「しかしそれは、私にそなたたちの実績を奪い取れ、と申しておるように聞こえるが?」
「はい。第四としましては、帝国全軍にこのOSが採用されれば、それをもって諸外国へのプレゼンテーションの足掛かりといたします。それだけで十二分に第四計画としては実績となります。私個人といたしましても、開発関係者としての栄誉よりも、実益を取りたいと考えております」
そんな周囲の緊張に引きずられていない風を装い、武と悠陽は言葉を交わしあう。
開発国の国内で採用されていない物が、諸外国に受け入れられるとは思いにくい。斯衛での運用があったとしても、極一部の守備隊にしか配備されていないのでは、と邪推されてしまえばそれまでだ。
「ああ、申し訳ない。一言口を挟ませていただきますが、あとは来年初頭に予定している第四とJASRAとの協同での作戦行動の際に、斯衛より戦力提供をお願いしたい、というのはありますな。その為であれば、XM3の調達費用の幾割かは、こちらが負担いたしましょう」
ターニャが横から、費用を持つ代わりに戦力を出せ、と直接的に切り込む。が、今この場では計画の概略さえできていないので喀什攻略は口にしようがない。
「ふむ。それに関しても、さすがにこの場で即決はできませんな」
「ええ、もちろんです、斑鳩殿。あくまでこちらがそう考えている、とだけお記憶に留め下さい」
導入に伴う価格交渉さえまだなので、崇継にしてもターニャにしても今すぐに答えが得られるとは考えていないはずだ。あくまで双方の利益がどこにあるのかを確認しただけである。
「しかし白銀とやら、貴様、殿下の名を自らの道具とするつもりか?」
戦力提供があれば導入費用を負担するというターニャの話で、一度は緩まった部屋の空気を、紅蓮は再び引き戻す。
問題は「煌武院悠陽」の名を、第四計画が好きなように利用していると、斯衛や武家からは見えてしまうということだ。
「失礼ながら、紅蓮閣下。私もそちらの白銀少尉と同意見であります。先の言葉通り、XM3が第四計画の一環として作成されたOSであるなれば、国粋主義的傾向の強い本土防衛軍などは、強く反発するでしょう。ただ、もしたとえそれが偽りであったとしても、殿下の意を受けて第四計画が協力したというのであれば、逆に彼らは導入に反対する心情的要因を失います」
武が紅蓮に答えるよりも先に、巌谷が導入の反対派となるであろうと想定していたことをほぼ代弁してくれる。
やはりそうなるかと武としてはわずかに落胆するが、帝国軍参謀本部直轄の本土防衛軍がそのように動くであろうことは理解できなくもない。そして巌谷もそれが予測できるからこそ、悠陽の名を使ってでも導入への道筋を立てようと、紅蓮に意見を述べているのだろう。
(いや、巌谷中佐はその先も予測してるか? XM3導入に伴う「煌武院悠陽」の実績蓄積と、帝国内の政威大将軍の立場強化を望んでいるのか?)
武は巌谷の政治スタンスを確認してこなかったことをいまさらながらに悔やむ。技術廠から誰かオブザーバーとして出席をとは期待していたが、誰が来るかが予測できなかったが故の失態だ。
ターニャしても顔には出さないが、巌谷の立ち位置を訝しんでいるようにも見えなくもない。
「紅蓮大将閣下、そして殿下。自分の考えは、皆さまのお言葉の通りです。殿下のお名前を道具として用いることになったとしても、XM3の早期配布を推進したいと望んでおります。先の巌谷中佐のお言葉ではありませんが、このOSを可能な限り早く、帝国のみならず全世界の衛士に広めたいのです。それが人類の一助となると、自分は考えております」
「なぜに第四がその名を表に出さぬ? このXM3が拡がれば、第四の、いや香月博士の悪評も、少しは和らぐであろうに?」
ここで言葉を止めれば屈してしまうと、武は腹を括り一気に言葉を続けた。
その態度に何か感ずる物があったのか、紅蓮は少しばかり視線を緩め、心底不思議そうに尋ねてくる。
(しまった……夕呼先生の印象の改善とか、まったく考慮してなかった)
武の知る世界線とは状況が変化していることも多いが、夕呼の帝国内での印象評価が高いとは感じていない。とはいえ武としては、夕呼の偽悪的な振る舞いなどは当然のものとして受け入ていた。
それに近頃はターニャと並んで相手をすることが多かったので思考から抜け落ちていたが、ごく普通に考えればXM3の性能であれば確かに今までの評価を覆させることもできるはずだ。
「博士本人ではないので、あくまで自分の予想となりますが……香月博士は、その悪評さえ必要としております」
「悪評を必要としている、ですか?」
紅蓮ではなく、悠陽があらためて問いかけてくる。
「はい。第四計画総責任者としての立場から、香月博士には内外に様々な敵対者が存在しております。それらに対するため、如何なる手段でも取りうるという意思の表れかと、勝手ながら推測いたします」
(ああ……そういうことだったのか)
おそらくは、という武の想像によるものだが、口に出してようやく腑に落ちた。
以前の世界線、とくにAL世界線では、夕呼は武に対してもどこか蔑むような態度を取っていた。当時は憤りはしたものの、文字通りの意味での常識知らずで世間知らずのガキに対する嘲笑かと思えば納得もできた。
だが、そういった偽悪的という言葉では少しばかり足りない夕呼の態度は、周囲に対して覚悟の表明でもあるのだろう。敵対する者たちへの警戒のためにわざと作っている隙であり、また身内に対しても必要であれば切り捨てるという意思表示だ。
夕呼の態度は、人としてはけっして誉められたものではないかもしれないが、今の時代には必要なものだ、とそう思ってしまう。
「お願いします。殿下のお名前をお貸しください。それで帝国陸軍への導入は早まります。第四計画にではなく、前線で今も戦い続ける衛士の命を護るため、そしてその後方にいるすべての人々のために、殿下のお名前を使うことをお許しください」
今の武は、その夕呼ほどには割り切れていない。
以前の、二度目と思っていた先の世界線で目覚めた時に感じていた、何を以ってしてもまずはBETAの駆逐を最優先するべし、とは考えられなくなっている。
なぜ対BETAで団結もせずに人類同士で争うのかなどという問いは、周りが見えていないからこそ口にできた言葉だ。
たとえBETAを地球から駆逐したとしても、主義や主張、政治信条や宗教などに限らず、どんな小さなことであれそこに個々人の尊厳が残っていなければ、人を護ったなどと言えるのかと、自問してしまう。
それは先の世界線でクーデター事件を経ても、今なお結論の出せない問題だ。
ただそうであっても人々を護るべき術が手に入りそうな今は、斯衛にそして悠陽に、実のために名を穢してくれと、頭を下げることしかできない。
「つまり白銀、今後このXM3ですか、このOSで救える命と、私のわずかばかりの尊厳を秤に掛けよと申しておるのですね」
重ねて問うてくる悠陽の言葉とは別に、武としては四方からの殺気だけで死にそうな気分である。だが今逃げるような言葉を一言でも漏らせば、悠陽はともかく周囲が納得しない。
たしかに事前に思い描いていた、帝国臣民のそして人類の為であれば悠陽は受け入れるはずだというのは直接話している今でも確信できる。
それはしかし悠陽個人の問題であればという前提がある。
悠陽は自身の尊厳のみと矮小化してくれているが、それに収まる話ではない。
名を貸すということは、その責を負うということでもある。そして第四計画総責任者の香月夕呼よりも、日本帝国政威大将軍たる煌武院悠陽の方が当然上位者だ。つまるところXM3に何か問題が発生すれば、それはすべて悠陽に責がある、ということになる。
そのことを紅蓮だけでなく、斯衛の関係者たちは憂慮している。
そして「政威大将軍」としての形ばかりの地位を護ることも、悠陽にしてみれば自らに付き従ってきてくれる武家の者たちの尊厳を護ることにも繋がっているのだ
先の紅蓮の問いではないが、夕呼が名を出そうとしないという点で、なんらかの裏があると邪推されてしまうのだ。
言葉で、そんな裏などない、と言うのは簡単だ。だがそれで相手が納得できるわけでもない。
夕呼にしてみれば、XM3など駆け引きのためのカードの一枚に過ぎない。おそらくは武の知らない交渉材料があといくつかはあるはずだ。それらを知っていれば、もしかすれば紅蓮らを説得する切っ掛けにはなったかもしれない。
ふと、ターニャであれば何か知っているのではないかと顔を窺いかけるが、紅蓮に対するのとはまた違った脅威を感じ、意思を振り絞って正面から目を離さない。
ターニャに助けを求め縋ることは、少なからず白銀武という人材の価値評価を下方修正することに繋がる。
その時点ですぐさまにターニャが、武をそして第四計画を切り捨てることはないだろうが、マイナスの評価が積み重なっていけば話は別だ。ターニャが第四を見限れば、「許容しうる最低限の損害」としてG弾の限定使用を容認したうえで、合衆国による喀什攻略に踏み切るはずだ。その先は、たとえ人類が勝利したとしても、アメリカによる一極支配が待っていることだろう。
それが悪いことだとは断言できない。
ただ冥夜が望んだ、民と国と、そして悠陽を護りたいという願いに沿うかどうかは定かではない。
(落ち着けよ白銀武。今ここでビビッてどうする。それに説得するのは周りの連中じゃねぇ……戦術目標を見誤るな)
ターニャへの畏怖ではなく、シンプルに恐怖ともいうべき感情から、逆に武は落ち着く機会を得た。
「……その通りです、殿下。配下の者の業績を奪い取ることを良しとされないそのお姿には感服いたします」
ここは帝国議会でも国連安保理でもない。説得すべきは煌武院悠陽ただ一人だ。悠陽が受け入れれば、五摂家といえど斑鳩も崇宰も口では反対したとしても、了承するしかない。
ならば白銀武には悠陽に伝える言葉は一つしかない。少しばかり深めに息を吸い、脳裏に昨夜の彼女の姿を思い浮かべて、口を開く。
「ですが、その程度の『夜の冥さ』は、『悠陽』殿下にも受け入れていただきたい、と」
たぶん今の自分の顔色は間違いなく死人同様だろうと、感じる。
冥夜の名を割って告げた言葉で、斯衛の属する者たちが腰を浮かせてしまう。真耶に至っては鯉口を切りそうにまでなっている。
「ふふふ……そういえば白銀、そなたはかの者を見知っているのですね」
だが目標とするその人物が、逆に朗らかに笑いはじめ、場の空気が緩んだ。
「そう言われてしまいますと、私としては受け入れるしかございません。判りました。新OS、XM3は私が戦術機教練の際に不満に思うたことを香月博士に話したことが切っ掛けとなり開発されたと、布達いたしましょう」
武ができたのは、ありがとう存じますと漏れ出すように返答することだけだ。
ただ、その感謝は間違いなく心からのものだった。
前回と今回のは、何とか一話に纏めようとして諦めました。
で、この世界の日本の予算編成がどうなっているのか、かなり目にナゾですが、2001年11月にXM3が完成していても、帝国軍全軍に配備用の予算下りるのって2003年以降とかになりそう……とか考えたらどうしようもなくなりそうだったので、そのうちにどうにかするかもしれません。