“イバラの道”続く「グリュック王国」(2)

1.施設のコンセプト

●「ドイツ」と言えば誰でも城、音楽、環境・・・・

 クラシック音楽をよく聞く。特にドイツ系が好きで、モーツァルト、ベートーベンからシューベルト、ブルックナー、ワーグナーそしてマーラーまで、その時の気分によって聞き分ける。マイカーもドイツ車である。高速クルージングの間、MP3に変換した交響曲全集やオペラを、結構な音量で楽しむ。そういえば日頃の酒もまたビール中心で、これもドイツと縁がある。
 しかし、2002年のワールドカップでは、ドイツを応援していない。テレビの前で、ブラジルの天衣無縫なテクニックにしびれていた。そういえば、ロマンチック街道も、ウィーンの森もまだ体験していない。
 つまり、自分にとって馴染みのドイツとは、音楽やテクノロジーのような文化であって、それ以外の関心となると“とにかく名所はすべて回る”観光旅行のメニューに他ならないのである。

●ステレオタイプの万国博覧会場の国別パビリオン

 そういう自分が、仮にドイツをモチーフとした集客空間を造れとなると、どのようなプランを考えるだろうか。実は、「グリュック王国」の施設構成と同じような結果になってしまうと感じる。なぜなら、一般的なドイツイメージのステレオパターン、「古城」、「音楽」、「(残酷な?童話)、「ビール&ソーセージ」、「環境」の固定観念をベースに、これにそのときのブーム的な要素、例えば「組織的なサッカー」などの要素が加味されるだろう。逆に、自分がドイツを体験する立場になれば、こうしたイメージで作られた演出に何の違和感もなく納得するであろう。まさに、万国博覧会のドイツ・パビリオンである。これほどわかりやすいコミュニケーションはない。要するに日本人に共通した異国のイメージをつくれば、「人が集まってきやすい」のである。


●欧州旅行をきっかけにドイツを選択

 1980年後半、地元・帯広のディベロッパーとして活躍していたぜんりんレジャーランド(株)の西社長が、十勝観光を活性化できる中核施設を構想したとき、このような思考に落ち着いたのであろう。「人が集まる」わかりやすい、北海道・帯広の風土にあった空間。実は、施設のテーマは、ドイツでなくてもヨーロッパであればどの国でもよかったという。

 「グリュック王国」のホームページに次のような一文が掲載されている(※現在閉鎖中)。

・・・話せば長くなりますが、15年ほど前、国王(社長のこと)がヨーロッパ旅行をして、ドイツに立ち寄ったところ、非常に美しい街並みや、環境に感激をしてその理由を探したら、ドイツ人の行動規範の一つに「未来の子供たちのために」というものがあり、いまあるものを大切にして、次世代へ伝えようとします。その心に打たれ、ドイツをテーマに「グリュック王国」というものを作り上げました・・・

 国王と自称する事業主を語るのは気恥ずかしいが、要するに、このときの国王のヨーロッパ旅行がなければ、「グリュック王国」は日の目を見なかったわけで、もしも東南アジア旅行であったなら、「アンコールワットの復興」になったかもしれない。

 そして、恐らく「ハウステンボス」や「ポルトヨーロッパ」の建築に刺激されていたのであろう、国王はそれ以上のレベルを求め事業に突き進んだわけである。

 コンセプトだが、事業に関する公式ガイドブックのようなリリースがないため、施設の造作説明を中心とした写真集『グリュック王国とビュッケブルグ城の旅』の説明や、公式ホームページ、立地する帯広市観光協会のホームページ等の紹介を参考に、弊誌になりにまとめてみた。

「中世ドイツとグリム童話の世界を再現した文化体験型テーマパーク」(このときは)。



グリム兄弟の銅像。オリジナルのあるドイツ・ハーナウ市より再現許可をもらい、実物から鋳造した



中世ドイツを徹底したこだわりで
建設物に再現し、当初は遊園地機能がなくても、
帯広を代表するテーマパークであった



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