特集:厳冬続く地方のレジャーパーク

“イバラの道”続く「グリュック王国」(1)

「中世ドイツとグリム童話」の本格テーマパーク
しかし文化創造体験に生活者は呼応せず苦境に。前途はオーナーの決断次第か?

2005年12月28日
※書籍「レジャーパークの最新動向2002」(2002年8月発行)の記事を掲載しています


 北海道・帯広市に1989年にオープンしたテーマパーク・「グリュック王国」。事業主は地元大手ディベロッパーのぜんりんレジャーランド(株)で、西惇男社長の感性とこだわりによって造られた。マネジメントはすべてトップダウンというワンマン体制で運営されてきた結果、現況は、マスコミ報道で喧伝されているように、事業主にとっては、ぎりぎりの状態でのなってしまった。バブル期の過大な銀行融資をバックに、湯水のようにつぎ込んだイニシャルコストのほとんどは、債務として残ってしまった。そして、ランニングコストを調達しようにも、金融情勢が変わって以来、まったく融資は閉ざされたままだという。

 そして、2002年からは、オープンとともに個人・法人を対象に募集した「ホテル会員権」(「シュロスホテル」、現在は会員制運営を中止)の多数が満期を迎え、預託金の返還が迫っている。合わせて約1,000口、金額にすると1億4,000万円にのぼる。融資も絶望的、しかも入込も低調な状況で、契約は無事に守れるのだろうか。すでに同社としては一部カット等を想定しているようだ。これもまた悪評となって、さらに入込を減らすのではないかと危惧される。

 しかも、強烈な個性によるトップダウンの弊害として、テーマパーク運営のノウハウを掴んだ多くのスタッフが会社を去ってしまったという。せっかくの創意工夫や接客体験が再生産されず、結果的にリピート客の消失につながってしまった。強烈な夢を持つ事業家が、バブルに乗って夢を叶えたという意味では、ハウステンボスもシーガイアにもその要素は共通する。しかし両社ともすでに運営の母体が交代し、往時のトップは表舞台から身を引いているのが現実なのである。上下分離、公設民営ではないが、起業と運営は切り離した方がリスクヘッジになり、その分、早期にサクセスストーリーに転じられるわけだが、「グリュック王国」維持の力の源泉は変わっていない。

 以下、このレポートでは、「グリュック王国」の現況を再確認し、施設が志向した「文化創造とエンターテイメント」を融合した集客ビジネスの可能性の検証から、テーマパーク運営における体制のあり方を考えてみたい。



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