上記で永江朗さんも指摘していますが、そもそも「活字離れ」というのは、どういう意味なのか、そこからして、はっきりしないのです。
「活版印刷」や「和文タイプ」に用いる字型が本来の意味の「活字」。しかし、この意味の活字は現在、ほぼ使われていない。だからおそらく国民の9割は「活字離れ」している。
「文芸」「評論」などの「文字もの」という意味である(文字離れ)としても、「基準」がわからない。例えば、「何冊」が「読書離れしていない」状態で、「何冊」以下であれば「読書離れ」なのか。
なんとかこのあたりをはっきりさせるために、「出版指標年報」のデータを使って、次のような試算を試みました。
1.の方式で算出した「一人あたり販売部数」は、こんな感じでした。
これを見ると、確かに80年代末のピークと比べると、一人あたりの販売部数は落ちています。しかし、よく見ると、特に生産年齢人口については、90年代末からあまり変わっていないことがわかります。
活字離れを「一人あたりの本の平均購入部数が減ること」と定義すれば、「ここ十数年は減っていない」ということになります。さらにいえば、書籍に関しては、
ということも指摘できます。
2.については、ちょっと説明が必要かもしれません。私の目にした限り、あらゆる「出版統計」が、1950年代の「100円」と現在の「100円」を同じ価値をして扱っていますが、本当は、これは、おかしいのです。
お金の価値は常に変動しています。「狂乱物価」と言われた1970年代には、1年で物価が2割上がるなどしました。この前後の「100円」を、同じ価値のものとして扱うのは変ですよね。
夏目漱石が東京大学の講師を辞めたとき、それまでにもらっていた給料は年「800円」だったとのことです(青空文庫「入社の辞」参照)。
これを見て、現在の貨幣感覚から、「うわっ、夏目さんの給料、低すぎ……?」と驚いてはいけないわけです。実質でなく名目上の金額でものを考えてしまうことを、経済学で「貨幣錯覚」と呼んだりしますが、インフレ率で調整しないと、この貨幣錯覚に騙されてしまいます。
そのため、総務省が発表している「消費者物価指数(帰属家賃を除く総合)」という数値で、2010年基準で過去の金額を調整してみたのが以下の図です。
一人あたりの実質金額で見ると、どうやら1973年あたりから、書籍の消費金額というのはあまり変化していないようです。
雑誌はどうでしょうか? まず、一人あたりの冊数です。
雑誌の場合は明らかに減っていますね。金額の方も同じような傾向です。
でもよく見ると、書籍と同様、現在の水準は1973年頃に戻っただけとも言えます。1995年~97年頃の拡大があまりにも激しかったので、落差が目立つだけなのです。
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