立ちションの話が多い理由 | 富の哲学

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決して読者さんに不快感を与えようという気はないのだ。

 

僕にとって立ちションとは文化なのだ。

少なくとも、僕が子どものころはそうだった。

 

秋田の実家に住んでいたころは、外で小用をたすのが当たり前だったね。

 

母も……

 

   という感じでニコ

 

玄関の雪かきをしているときなども、

家のトイレまで行くのが面倒なので、わきにある小さい雪山にしていたものだ。

頻繁にしているので、雪山が黄色く染まって白いところがないという(^^;

 

でも母も妹も気にしない^^


 

夜中に尿意をもよおしたときは、よく二階の窓から小便をしていたものだ。

     
一階のトイレまで移動するより、圧倒的に楽なのだ。
トイレまで距離があるし、冬になると廊下はすごく寒いからねぶー

冬の風物詩である

もし夏にやると、
すごく臭いし、草は枯れるし、蛆はわくし よいことはない(経験談)


そんな自分だったから、
東京で暮らすようになると、なかなかできる場所がなくて困るのだ。

地元では草むらや物陰で放尿できたのだけど、
都会ではトイレを探さなくてはいけない。

でもいざ公衆トイレを遠目に見ると、
ちょっと遠いとの理由で、付近で済ませることが多々あった。 習慣はなかなか抜けない。

 

 

 

すると一緒にいた女友達から……

 

 

と都会の洗礼を受けるのだ(笑)

 

 

そういうわけで外ではあまりしなくなったけども、

学生寮ではやらかしたことが……😅

 

焼酎を飲まされて、意識がかすんでいたこともあり、

実家にいるのだと勘違いし、寮の窓から雨を降らせてしまったのだ。

 

もちろん僕に飲酒を強要した先輩たちが悪いんだけども、

僕の身体に習慣が染み付いていたのも要因だ。

 

雨を降らせた下はアスファルトだったんだけど、

光沢を帯びてテカテカになっていたらしい。
同期の寮生が写メを残していたのだ。

 

ここは雨が降るまでずっと臭っていた

 

 

というわけで、外で立ちションするのはおすすめしません。

 

僕が言っても説得力ないか😅

 

だけど娘ができてからは、しなくなったもんねてへぺろ

 

⇒備忘録

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