『起立、敬礼っ!!』
扉越しに、どこか懐かしく感じる207B訓練分隊隊長の、榊千鶴が掛ける号令が聞こえる。
今一度、その号令に合わせ、武は深く息を吸う。緊張が無いとは言えないが、流石に三度目である。内心の動揺を隠して顔を合わせることくらいはできるはずだ。
「本日は、座学の前にいくつか連絡がある。まずはこの207訓練小隊に、時期外れではあるが一人増員がある。白銀、入れ」
「は、白銀武訓練兵であります。療養明けのため、体力面などで皆様の足手まといとはなりましょうが、よろしくお願いいたしますっ」
まりもの簡単な説明の後に、入室を許可され教壇横に立ち、挨拶させられる。
時期外れの、それも徴兵年齢からずれている男の身だ。それなりの挨拶も考えていたのだが、武自身からすれば慣れ親しんだ連中との顔合わせなので、どうとでもなるだろうとかなり気楽に構えていた。
いやつい先程まで、朝食も取らずに書き続けていた桜花作戦のレポート、その仕上げのため寝不足で何も考えていなかったという方が正しい。
だが、室内の面子を見てそんな事前の余裕は吹き飛んだ。
こちらを見つめているのは、見慣れた、しかしほんの数日前に失ってしまった五人の少女だ。
そう、この時点で五人いるのだ。
訓練中の負傷で入院している鎧衣美琴がこの場にいないのは記憶通りだ。
一番警戒しているのは、分隊長の榊千鶴だろう。能力を推し量るかのように睨み付けてくる。
彩峰慧は何を考えているのかわかりにくい無表情で、観察しているように見える。
珠瀬壬姫は男の訓練兵という者に警戒でもしているのか、少しばかり緊張しているようだ。
御剣冥夜は昨夜に出合っていたからか、どこか余裕の表情で武の紹介を受け入れている。
内閣総理大臣、榊是親。
帝国陸軍中将、彩峰萩閣。
国連事務次官、珠瀬玄丞齋。
そして、日本帝国国務全権代行である政威大将軍、煌武院悠陽。
この世界における彼女たちの背景を知った今は、その意味に圧倒される。
親族を並べるだけで判るほどに、それぞれが複雑な背景を持つ少女たちだ。そのわずかでも知る日本帝国の国民ならば気後れするのも当然だが、かつての武はそうではなかった。平和な日本での彼女たちの記憶を元に、付き合いを始めてしまった。今思えば、それくらいの無理が無ければあの関係性は作れなかったはずだ。
だが、今武が声も出せないほどに驚かされたのは、一番後ろの席で大きく口を開けてる「五人目」の存在だった。
(なんで鑑が207Bにいるんだよっ!?)
世界が変わっている、佐渡島にも横浜にもハイヴはないと夕呼から昨日伝えられていたのに、その影響というものをまったく考慮していなかった。白銀武が訓練兵として存在するように、鑑純夏もBETAに捕獲されず別の生き方をしているのは当然だ。
そして前の世界では00ユニットになった鑑純夏が、その候補者を集めるA-01や207訓練小隊にいるのは、少しでも考えておけば想定できたはずだった。
(レポートを仕上げるために、できるだけ鑑のことは考えないようにしていたとはいえ、どーすんだよこれから……)
徹夜明けの顔には、表情として出ていないとは思うが、続けようと思っていた言葉も出てこない。
「白銀は、お前たちよりも前の代の訓練兵だったが、訓練中に負傷してな。つい先日まで療養していた。任官には問題ないとのことだが、その関係で体力及び座学面での不安があるため、こちらに配属となった」
武自身が説明しない様子を見て、まりもが補足してくれる。このあたり強面の軍曹を演じていても、根の優しさが出てしまうようだ。
ただ負傷療養明けと聞いて、千鶴の顔色がさらに悪くなる。
演習まで間もないこの時期に追加の人員、さらに病み上がりだ。分隊長としては歓迎できるものではないだろう。
さらに今の武は、得意とは言えないデスクワークの徹夜明けで、くたびれ果てている。見た目だけであれば、間違いなく病み上がりだ。
「心配するな。この白銀は総合戦闘技術評価演習には参加しない。こいつは先に所属していた訓練分隊で合格しているからな。貴様らの中に入れては、演習の難易度が下がってしまう」
特別扱いともいえるがむしろ経験者としての教えを請え、とまりもは続ける。
「あと鎧衣の退院が早まった。今日の午後には戻ってくる予定だ。訓練への復帰は明日からになる」
その言葉で、白銀武という乱入者に対する緊張が、一斉に解ける。
やはり壁はあっても分隊の仲間が戻ってくるのはうれしいのだろう。
「さて、最後に先程の話にも合った総合戦闘技術評価演習だが、喜べ。予定が繰り上げられ、今月末の27から30日にかけて行われることになった」
美琴の退院、という話で和らいだ室内の空気が一気に固まる。武の編入などとは比較にならない緊張だった。
(ああ……こいつら自分たちが合格できるとは、微塵も考えてねぇな)
武にとって、主観的には二度繰り返した演習だ。どちらもギリギリの線で合格を果たしたという実感はある。そして白銀武という要素が無ければ、合格しなかったのではないかという予感も、ある。
問題は分隊員の能力の欠如ではない。単純に隊内の意思疎通がうまくできていないのだ。それぞれが複雑な背景を持つがゆえに、自然と壁を作りあい、不干渉を貫くことを不文律として認めてしまっている。
この世界では純夏という乱入があるとはいえ、207Bの問題点がこの時点で解決できていないのは、この空気だけでよく判った。
「合わせて、演習へ向けての意識を高めるために、白銀を除き大部屋への移動を命じる。本日の訓練が終了次第、荷物を纏めておけ」
まりもは戦技演習合格に向けての意識改革として、昨夜武が言ったような分隊長の変更という手段ではなく、無理のない選択をしたようだ。演習まで時間的余裕はないが、日常生活においても四六時中顔を合わせることでの、最低限の連携を作らせようという考えだろう。
その程度で纏まる物か、という不安は武にはある。だがまだ隊に紹介されただけだ。今は様子を見つつ、問題解消の手助けに口を出すのは少しばかり先にしようと思う。
「では白銀が入ったということで、いい機会だ。これまでの座学の復習から始めるぞ」
午前中の座学は何とか耐えた。
途中、何度か意識が飛びそうになったが、初日から居眠りを叱責されて腕立て伏せなど避けれるものなら避けたい。先日までの武であれば徹夜も二日くらいはこなせたはずだが、療養明けというのが効いているのか、それとも苦手な書類仕事だからか、思っていた以上に疲労が激しい。
ふらふらとしながらも昼食のためにPXに来たが眠い。すぐに食べられると思い注文したうどんを、いつの間にか身に付いていた早食いを発揮して食べつくす。
「白銀……そなた顔色が悪いが、医務室に行かずとも良いのか?」
「いや原因は判ってる、徹夜で単なる寝不足なんだ。悪い御剣、午後の実習まで寝る。みんなにもスマンと言っといてくれ」
武同様に、すぐに出てくるうどんを注文していた冥夜だけが、今はテーブルに着いている。
礼には欠けるし、隊の結束を強めるという面でもマイナスだが、このまま午後の実技教練に出れば倒れかねない。伝言を頼んでトレイを返しに行くのさえ後に回し、テーブルに突っ伏した。
207Bの面子が集まって来たときには、武はすでに寝入っていた。
「……ねてる?」
「タケルちゃん、何やってるのっ!?」
「何やら徹夜だったらしい。皆には挨拶もできずに申し訳ないということを告げていた。訓練兵としては褒められた話ではないが、午後の実習が始まるまではそっとしておいてやれ」
「あ、白銀さん、こちらです~」
武が207Bが集まっているテーブルを探していると、壬姫に声を掛けられた。
場所的には以前の記憶と同様だったので、自然とそちらに向かっていたようだ。
「悪いな、京塚のおばちゃんに捕まって……ん?」
カウンターでPXの主とでもいうべき、京塚志津江臨時曹長と話していたら、テーブルに着くのが遅れてしまった。昼には顔を合わせてなかったのもあり、話し込んでしまったのだ。
「君がタケルか~よろしくね、ボクは鎧衣尊人」
「え、あ? ああ……白銀武だ、よろしく頼む」
いるかもしれないと思っていた六人目、鎧衣がその場にいるのはそれほどおかしなことではない。ただ、その訓練兵制服が男子の物だっただけだ。
下手な対応はしないようにと気を付けていたが、その差異に武の心構えはいきなり崩された。
(なんで尊人なんだよっ?)
武個人としては何年ぶりになるのかもう判らない。もう二度と会うことはないだろうと思っていた、男としての鎧衣尊人だ。会えて嬉しいのは間違いないが、なぜこんな変更があるのか、と答えの出ない疑問がわき上がるのも仕方がない。
「いや~いままでボクだけ男だったから、ちょっと緊張してたんだよねー」
「ウソだろ、お前がその程度で緊張するわけねぇだろ」
嬉しそうに笑うが、緊張感など欠片も感じられない。性別など関係なさそうな距離感は、記憶通りだ。
「あ、それでね、病院のテレビでね」
「本気で鎧衣、お前は人の話きかねぇなっ!?」
これ以上相手していても話も食事も進まないと半ば諦めてしまい、席に着く。
「あ~鎧衣だけじゃないな。みんなにもちゃんと挨拶できなくてスマン。白銀武だ。年齢は同じはずだから、気軽に相手してくれ。でそっちが、榊に、彩峰、珠瀬、だよな?」
「さすがに苗字くらいは覚えてくれてるのね」
「えらいえらい」
「はわっ!?」
「人の名前を覚えるのが得意って訳じゃあないが、まあお前ら三人は有名だから、な」
武としては忘れようもない名前だが、彼女たちからすれば今日会ったばかりだ。わざと確認するように顔を見ながら苗字を呼んでいき、ちょっとした探りを入れてみる。
三者三様の反応だが、慧と壬姫にしてみれば父親が著名人、程度の反応だ。睨み付けるように拒否感を表しているのは、千鶴だけだ。
「で、鑑に御剣に、鎧衣か。いやホント。昼飯の時は悪かった。鎧衣も会いに来てくれてたらしいが、熟睡してた」
こちらは簡単に流しておく。純夏は少しばかり不満そうだが、武自身がどう対応していいのかいまだに心が定まらない。
「タケル~尊人でいいよ。せっかくの男子なんだし、ほらボクもタケルって呼んでるし」
「あ、ああ。じゃあ尊人、よろしく頼む」
ハイ握手、と武は手を差し出しかけたが、すでに尊人の視線はテレビの方に向かっていた。さっくりと右手は空を掴む。
「でさぁ、チャンネル変えられるんだよねー」
「いや、だからちょっとくらいは話し合わせろよ……」
その話は終わってたんじゃなかったのか、という気力も失せる。武としては、記憶通りのマイペースさに嬉しくもあるが、やはり疲れる。
冥夜と千鶴とは、どこか諦めたかのような顔で食事を続けている。だが、そこには尊人が戻ってきたからだろう、間違いなく安堵の色合いが見える。
(思っていた以上に隊は纏まってる、のか? 榊と彩峰もいきなりいがみ合うって感じじゃねぇし……でも一回は演習に落ちてるんだよなぁ)
先程探るように親の話を仄めかしてみたが、さしたる反応はない。
座学では判りにくかったが午後からの実技や、いま尊人を加えた六人は表面上はそれなりに纏まり、隊として回っているように見える。
(前回の演習で「落とされた」のは、やっぱり夕呼先生の思惑がらみか、これは?)
朝に感じた彼女たちの自信の無さというのは、失敗に対する経験不足からくるものかもしれない。
今の207B分隊は、慧が独断専行に走るほどには思い詰めているようにも見えず、千鶴が少しばかり杓子定規なだけだ。確かにそれぞれの間には壁が感じられるが、その程度はどこにでもある。
そもそも、部隊員全員が仲良しグループである必要はない。個々人の隠し事や蟠りがあるのは当然で、それをなんでも曝け出せばいいというものでもない。あくまでそれらを踏まえて、隊として機能していればいいのだ。
この世界においては、武が無理に介入せずとも演習は合格するのではないか、と思ってしまう。
「って聞いてるの、タケル?」
「あ、いやスマン。飯が美味くてまったく聞いてなかった」
「京塚曹長が作ってくださる食事が美味なのは確かだがな、白銀。そなたが何をなすために衛士を目指しているのか、という問いだ」
最初に口にしたのは千鶴のようだったが、冥夜が話の流れを断ち切って、あらためて問う。他の者たちも武の答えに興味深げにこちらを見ている。
「俺が衛士を目指した理由か……笑うなよ?」
絶対に笑われるだろうが、このメンバーに馴染むうえでも都合がいい。一番馬鹿げた答えを用意しておく。
「ロボットに乗ってみたかったんだっ!!」
「うんうん、男の子はそういうの多いよねー」
「やっぱりタケルちゃんだなぁ」
「いや、だから笑うなって」
尊人と純夏とが、笑いながらも納得している。壬姫も目を見開いて驚いているが、そういうものだと受け入てたようだ。
武としては素直に肯定されて腹立たしくも恥ずかしくもある。この世界での「白銀武」が衛士を目指したのかは、記憶の上書がなされてしまった今となっては知りようもないが、一周目で武自身が衛士となったのはただただ「リアルでロボットに乗れる」という子供じみた願望からだ。
「で、その後はアレだ、『この星の未来を救う』って言い出した」
俺には何かできたんじゃないかと、移民船団を見送りながら思ったのが、それだ。結果として二周目では今目の前に並んでいる者たちの犠牲の上に「あ号標的」を撃破したのだから、目標を実現させたと言えなくはない。
もちろんこの世界での話ではないが、彼女たちは間違いなく未来を救ったのだ。それを否定しては、散っていった者たちへの冒涜だ。
「大きく出たわね、白銀」
「……さすが特別」
「だからっ、お前たちも宣誓しただろ、あんな感じだよっ!」
「――私は、国際平和と秩序を守る使命を自覚し、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、責任感を持って専心任務の遂行にあたり、事に臨んでは、危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって人類の負託に応える事を誓う」
「……すげぇな榊。お前あれ覚えてるんだ」
「白銀? あなただって宣誓したんでしょ?」
武とて宣誓はしたが今も覚えているかというと怪しい上に、その言葉を守れているとは言えない。そもそも第四に組している時点で「政治的活動に関与せず」など空言も甚だしい。
「HaHaHa!! うん、いや、確かに誓ったね。誓ったが、まったく守れてねぇっ」
記憶の中の白銀武は、事に臨んで世界を渡って逃げ出したどころか、周りの皆を巻き込んてしまった。完遂できた責務など、記憶を辿る限り数えるほどしかない。いつも後悔だけが積み重なる失敗と敗走の思い出だ。
顎に力を入れて笑い飛ばしでもしなければ、ふとした拍子に眉間を撃ち抜きたくなる。
「ふむ。今は違うようだな、白銀」
よくある話を二つ出して、周りは納得したようだが、一人こちらを睨み付けていた。
やはり冥夜は、無駄なまでに人の機微に鋭い。隠しきれたと思った慚愧の念を、読み取られてしまったようだ。
「ああ、世界や未来が救えるなら救いたいが、今はそれが第一の目標じゃない」
いや、そもそもがそんなことを「白銀武」は望んでいなかったのかもしれない。
結局のところは自己中心的で、自分勝手な願望だ。
なによりも自分が傷つくのが怖いのだ。
お前を護ると言い続けるのも、失うのが怖い、失うことで後悔する自分が嫌なのだ。人に助けを求めず不安を隠すのも、それで人から見放され蔑まれるのが怖い。
それでも今この目の前にいる皆を護りたい、と思う心に偽りはない。
「目の前にいる誰かが苦しむのを見たくない、頑張ってるヤツが認められずに泣き崩れるのは嫌だ、ガキどもには元気に遊んでいて欲しい、ちょっとくらいは俺も恰好は付けたい、そんな程度だよ」
そして何よりも、御剣冥夜を二度と撃ちたくはない。
「んじゃ悪い。診断があるんでちょっと俺は先に行く。明日からもよろしくな」
純夏さんは当然207Bに居ます。で鎧衣さんちは息子のような娘、いや娘のような息子となりました。
次こそ久々にデグさん予定。