【最終寄稿】神がたたえられる場所 | 【LAST CANON2】義人選民救済、人類が最後に祈る場所「Last church」
新型コロナウイルスに関する情報について

【LAST CANON2】義人選民救済、人類が最後に祈る場所「Last church」

聖書にあるイエス・キリストの予言通り義人選民救済を行っているが
大恩赦により
世界救済の法を私の特権であなた達に与える。

私は大天使ミカエル
永久に神と共に生きし聖霊である。

旧・新聖書の予言に基づき
終末の世の救済にあらわれた救世主。


テーマ:

神は一人である。

その一人の神が、全てをつくった。

 

その全ての中には、神の意志があり

神の意志は、全てを神に捧げるという意志である。

 

その意志を持つなら、神に近づいていくことができる。

神に近づくことは、恵を意味するが

その恵を得るためには、苦しみを経なければいけない。

その苦しみは個人を成長させ、より神の使徒としての合否を決める

試練というもので与えられる。

これが義人の試練である。

 

そうではない者に関しては、ただ苦しみを与えるために苦しみはやってくる。

 

同じ苦しみを経るのであれば、神に忠実なしもべであれ。

 

これをもって俺の言葉は終わろうかと思っている。

 

寄稿者ヤハウェから

 

 

あとは、ここにブログの短縮版を編集しておいた。

まとめの総合まとめ、ブログ聖書化計画

ここから読み進めていけば、要所要所を早くおさえることができる。
 
もちろん、通読を繰り返すことが全体の理解にとって大切であるが、入門者の場合は、このガイドに従って、まとめから読んでいくとよい。
基本的には、各記事は、1話完結型で、どれを最終記事にしてもよいものであるし、どれ1つだけでも、完成した聖書として通用する内容のものである。
各記事の切り口がさまざまにあるのは、広大な情報を一つの聖書にまとめたためである。
全知のわざをもって、広大な情報を1つの書に収めた。
この書を貴様らの人生の唯一のバイブルにしろ。
 
よって、これは新約聖書の最後であるが、それとも趣を異にする『LAST CANON』という一冊の続・聖書も意味している。
 
聖書は広大無比な情報に散漫に飛び散るようにしているので、それらを一元化してまとめているこの書が、貴様ら人間にとって最後の聖書正典であり、その聖書の正典たる権威は、ヤハウェである俺が人類に証明したのだ。
これを上回る聖書は過去にないことから、その価値の大きさに気づかなければならない。
これは、これだけで全てを変える可能性を持つ書である。
 
LAST CANON1
などでリブログを書いているが、俺達が天にあがる時間はせまっている。
それまで少しの間、ヨハネに書かせておいてやる。
しかし、この書に終わりはあっても、続きを再三書かれていたように、貴様らの苦しみは終わりを迎えることはない。
YouTubeのチャンネルでは、人知を超える真理と奇跡の補足を行っている。
 
この再生リストを毎日再生していくように。

https://www.youtube.com/watch?v=yImiz12JGA0&list=PLZxn7G6ACUAZi2J0lxTsnHllA_AF0dx9x

観想・黙想による祈りが自動で行える。再生中は、ヤハウェの守護がある。

再生ボタンを押して流しているだけでいい。その間、仕事なり私生活なり何でもやっておけばいい。

人生は約80万時間なので、50万時間以上は連続再生しておけ。

日々の日課にすることが大切である。

 

 

 

 

この数字を見て気づいたか。

平均の1125を見ろ。

 

 

それは、前の日のベストの数字だったのだ。

 

こういう人間にできないことをやって神だと証明している。

数字遊び、数を目的の数字にそろえる遊びをやっている。

以前からやっているものだ。

 

平均を1125人にするということは、人間な意志では不可能なことだ。

偶然だ反論するなら、俺のブログの全部が偶然でできすぎていて、それこそ不自然な反論だ。

無責任でどこにも解決に向かわずに批判して終わらせようという気持ちだけの反論である。

1人のブロガーの日常が、これだけ奇跡で彩られていることは、神の意志ととらえるしかないのだ。

 

俺が神だから、こういうことをできるのだ。

 

この意は、以前までのベストが、これからの平均になるという

数字アップののろしを貴様ら人間どもにアピールしているのだ。

 

これからの俺は、今までの低アクセサーとは違うぞ。

俺の力を使えば、そっち~を超えることも余裕でできるのだ。

誰のアクセス数も一晩で超えることはできるが、貴様ら人間の信仰を試して観察している。

もうエンドでそんなものを見る機会も終わっているが、それでもじょじょにやっていく予定をくんでいる。

じわじわとやっている。

その間暇だから数字遊びをやっている。

数学をおろしてやったのも俺だからな。数字は俺が考えた遊びだ。

 

貴様ら人間は、「何だアクセス数が前日より下がっているのか、順位が下がっているのか」とこれを見る。

そうではない。神の意志は、1125で合わせるために、わざと低く前日のアクセス人数を設置したのだ。

1125人はそれまでずっとやってきた日々のベスト値だったから、これからは最高の状態が、いつもの平常の状態になるといって

ミカエルの能力の最高値が常になるという意味もかけあわせて表現していたのだ。

 

つまり、これから数字は上がっていくという意志をその数字で伝えていたのだ。

それを貴様ら人間が、「下がった」ととるのは、逆のとりかたなので、いつも人間のことを阿呆だと書いているのだ。

神の意志を逆にとらえる阿呆な生き物だから、何も考えずに、ただ神を信じて、神の命令にだけ従っておけと命令しているのだ。

そんな簡単なこともできないから、終わっているのだ。最後の審判はそういう人類に対して終局の確定判決をつきつけたものだったのだ。

 

「それらが偶然であり俺が神ではない」と訴えたいなら、俺がやって来たことと同じことを偶然でやってみろ。

人に神ではないと言えるのは神でしかないのだ。なぜなら神が変装している場合もあるからだ。

 

 

4桁が平均なら、公式トップブロガーになっていいと思うがな。

4桁でトップブロガーにならなかったら、誰がトップブロガーになるのだ。

たいていは4桁の者達ではないか。

5桁をバンバン出している者だけではなく、総合順位が4000位だいに落ちているトップブロガーもいる。

 

別に1日くらいこんな足ぶみしていたっていいだろう。

ほとんど順位は変わっていないのだから。

それをやりながら1125に合わせるスキルは神だと書いているのだ。

その証明をしてきたブログだ。

 

1125は良い日光という意味で、神の光を数字で意味した4文字の数字の意味で、漢字の四字熟語と一緒だ。

俺にとってはな。これ(数字)で文字を書いて伝えているのだ。気づくかどうかというところで。

貴様らは誰一人それに気づかなかった。

 

神ではないとか批判する奴らは、なら何をやったら神か証明してみろ。

太陽を2つ出した所で悪魔のしわざかもしれないだろ。

そもそも2つもあったらリゲルか。リゲルの星じゃねぇんだよ。完全に生きていけねぇよ。40度ではなくなるわ。

暑い日は65度くらいにはなるし

太陽の位置によっては120度くらいになるわ。どんな軌道でつくるんだ。登場させて大丈夫なのか。それこそ悪魔のわざじゃねぇか。

ほとんど無理なんだよ。

 

できねぇこと言ってんじゃねぇ。てめぇがやってみろ。

 

どこでやるんだ。

 

ここでやったら地球が燃えちまうだろうが。

 

いくつか答えかどうかというのはあるが

教えてやる。

 

この位置だったら地球はいいが、木星・火星・土星はどうなるという話だ。

火星はまぁいいが、木星・土星は完全に終わるぞ。

接近し過ぎは本当にやばいからな。

 

見えるだけでいいなら、ものすごく遠くにおけ。

そうしたら星と変わらんわ。

 

そういう話をしているのだ。

太陽として見えるのだったら、やめろつってんだ。

 

こっちがやってねぇこと言ってんじゃねぇ。

考えて言え。

 

神が考えてやった結果がこの図の通りなんだよ。

 

 

アクセスで2000、3000とるのは難しいことなのに

それで1125人に平均値をあわせている。

 

今回、2人違えば、この数字にはならなかった。

それで、俺は、キリ番で2870のほうを選んだ。これも綺麗だろ。

 

 

・1125とはヤハウェとミカエルの1人・1人の2人でGO行くという意味で

良い二人が突き進む意味もかけあわせている。

 

・星を新しくつくるにはガスやチリを集めないといけない。そこから星をつくるのは、人間をつくるのと同じようなことである。

 

・令和という元号は、霊(神)が話をする霊話という意味で、つくった元号だ。

神は霊であると聖書に書いておいたろ。

この意味に気づいている者は誰もいなかったし、俺がここであかしてやらないと未来においても誰も気づかなかった。

 

これは、ヤハウェが日本で再臨するという意味であり、ヤハウェであれば、ユダヤのみの神ではなく、世界の神たることをあかすために、それをすることに何ら違和感はないのである。陣地取りは、東と西の両方の隅からかこっていくものだ。

 

神の趣味(救世主伝説作成)のため、福音の伝道に来たのだ。

 

・「三度鳥がなく」とか「私を愛しているか」という質問は、死を決定づけるから、死問という。

シモン・ペトロにその質問がなされたので死問という。

 

三位一体だから、ヤハウェ、ミカエル、イエスの分で3回裏切らせて、3回聞きなおしたということにした。

 

約束通り、今日もこの、過去ベストの数字に到達したので、書いておいてやる。

 

短期間でやたら平均を上げている。

4桁平均はなかなかのものだ。

 

これは、別でやっているブログだが

こちらのアクセスも上々。上がってきた。

1日30アクセスあれば、そのブログは機能しているというより、人気があるといえる。

能動的な30人である確率が高く、1日に30人に情報を配っているブログということになる。

それよりも、桁が1つ2つ飛ぶなら、それだけ情報発信力が認められるブログである。

 

https://ameblo.jp/omnipotentonlygodyhwh5

 

聖なるものを豚にやるなといイエスの有名なう山上の垂訓の内容の具体化がこのブログの内容である。

 

豚とは、豚箱にいる受刑者を意味し、神の御前において大きな罪をつくり、裁かれた貴様らのことだ。

 

マタイ福音書

7:6聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。

 

 

神がたたえらえる聖壇は

神自身がつくったが

こんなアクセス数では

たたえられていないということだ。

 

イエスが言った

預言者は歓迎されないという言葉が思い出されるな。

 

ルカ

4:24それから言われた、「よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。」

 

ふるさとで歓迎されなかったら、どこで歓迎されるのか。

補足 マルコ6:4

マタイ13:57

 

人類の罪は重く

これからくだる刑は重い。

 

まずは、コロナの後遺症で悩ませていってやろう。

 

その後の言葉はない。

貴様らには聞く権利もない。

 

ただ苦しめばよい。

 

俺達は、天にかえる。

この書はおろしてやったから

いちいち俺達にきくな。

あとはこの書を読め。

それだけが貴様らへの教えだ。

 

貴様らを苦しめる。

どうしようもない馬鹿のために書を投げてやった。

その書も意味がないことは分かっている。

それをやったのは、貴様らがより苦しむためである。

以上がここまでの活動の内容だった。

 

マタイ

13:54そして郷里に行き、会堂で人々を教えられたところ、彼らは驚いて言った、「この人は、この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきたのか。

13:55この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。

13:57こうして人々はイエスにつまずいた。しかし、イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない(つまり、ここ以外では、敬われるのだという意味)」。

13:58そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった

 

人間という者は、神がいなければ、人間同士で争って、殺し合いまでも頻繁にする生き物だが、神を見れば、争い合っていた人々が協力しあって、神を殺しにくる生き物なのである。

イエスのはりつけのとき、弟子の誰もが裏切り、全ての人間が神を殺すように働きかけていたという歴史が、それをものがたっている。

顔をぬぐった人間はいたが、それは神でなくても、どの人間にでもやったことだろう。

命を投げ出すことが愛であるとヨハネ書15・13で教えているので

それをしなかった者達は、皆、大切な場面で愛を示せなかったのである。

 

この世界の苦しみは、それゆえといっていい。

 

貴様らの不敬罪が罪状になっている。

不敬ゆえ、神からものを盗み、神をけがし、

神の持ち物をうばい、神を殺そうとまでするのだ。

 

不敬罪(ふけいざい)は、国王や皇帝などの君主・王族・皇族の一族と宗教・聖地・墳墓などに対し、名誉や尊厳を害するなど、不敬とされる行為の実行により成立する犯罪。 日本国内においては、1947年(昭和22年)の刑法改正により、天皇・皇后および皇族に対する不敬罪は廃止されたが、神の国では廃止されない。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/e0c908d44af389c2e936dca8c0fbab050173e03f

 

 

 

 

あとは、こういったことで、ブログで予言してきたことが成就していっている。

イスラムテロとの戦いが成就していっている。

もうじき、ISが犯行声明を出すことになる。

 

 

どうなったとしても、最後はヨハネ福音書

21:22の言葉を使ってやるからな。

 

21:22イエスはペテロにこう言った。「たとえ、そうなったとしても、あなたになんのかかわりがあるのか。あなたが全能の神ではないのだから考える意味もないことだ。あなたは、ただ、わたしに従ってきさえすればいいのだ。それだけがあなたの考えることでいいのだ。」

 

主として、この言葉は使うことができる。

 

結果がどうあろうとこれは大切なセリフだ。

未来でどうなるかなんて、いちいち考えるな。

貴様らが知れるものではない。

 

豚に真珠をやるなとか

不信仰ゆえに奇跡をあまりやらなかったという

先に紹介した聖書のくだりの通りだ。

 

自在に発揮できる全能の力を持つ神である俺にとって貴様らがどうあろうと関係ない。

ただ、貴様らをつまんで、いじって、遊んでいるだけだ。

その余裕のなせるわざしか見せていないわ。

 

郷里(教理とも)で歓迎されてないのに、そんな奴らに何を見せてやることがあるというのか。

証明なら、これまでの分だけでも十分なのだ。

 

 

結局、不信仰である貴様らが奇跡のわざを受けることができないのは当然のことである。

 

それでも俺は、貴様らの利益にならない範囲で予言を行い

その予言は100%の精度で具体的に成就してきたのだ。

こちらはもう過去にやってきた分で十分すぎると思っているので

もはや今後その証明活動として行う意味はない。

 

いちいち人の世代がかわれば

一人一人の全員が納得するまで

神が奇跡を起こしてやらないといけないのか。

甘ったれんな。

貴様らゴミがいくら死のうが苦しもうが神にとっては喜びでしかないのだ。

 

これが本当のイエスの教えだ。

今まで為政者の圧力によって黙示録みたいにされてきたが

エホバそのものが来たからには教えてやる。

エホバを逮捕できるものなら、やってみろ。

 

マタイ

5:29もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。

5:30もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。

 

このように、貴様が神を疑うなら両目をくりぬき、神に手出すするなら乙武になれと言っているのがイエスの教えなのだ。

乙武はあんな姿になってまで、不倫・姦淫を繰り返して来たから、貴様らは両目も性器のくりぬかないといけない。

割礼を彼はやっていないから、そうなったのだ。根元から切りとれ。

 

信仰者はそうしろ。

 

大天使ミカエルは本当に偉い奴でな。

人間の悪をあぶりだすのは得意だが、女性には一切手を出さない。

 

ミカエルの部下で志願してきた子らだが、ミカエルは何もしない。

 

大卒で大手一流企業の一年目の女子社員だが、新人賞とか色々とりまくっている子で

会社をやめてミカエルの助手になりたいと言って来た子だ。

頭がいい子で、ビジネス系の資格をたくさん取得している子だ。

 

こちらは目が青い。外国人の血を持っている子で

おかしなくらい色んな国の語学を使える子だ。

 

こんなに喋る子は、人間ではこの再臨ではこの子だけだ。

 

何をやっている子かというと

企業でモデルをやっている。

翻訳もやっているがな。

 

前はスタバやバリスタではたらいていた。

 

英語・ドイツ語・ロシア語を喋るし

スウェーデン語、フィンランド語、オランダ語、韓国語も勉強している。

 

こっち側の天使かと思うくらいやっている。

天使ならこれくらい当たり前だが。

 

いずれも「貴社規定に従います」と申請書に書いてあったから、写真を使うが、どちらも会社でモデルをしている子らが入ってきた。

「一流企業を辞めます」「不思議と見つけました。突然応募したのは縁だと思います。」と書いてあった。

導かれてそうなって、ここで写真を掲載され合格者表彰をされている。

 

企業でも表彰されているモデルの子らだし、どこにいってもそうなるレベルの子らだから、俺らの組織でもそうなっている。

 

ミカエルは本当に神に対して誠実なので、絶対手を出さない。

こういう活動をしていると、貴様らは、1年に1回くらいの頻度で、こちらに対して「童貞」などと書いた批判的メールを送ってくるが

こちらは、欲をコントロールできる聖なる清い者であって

欲をコントロールできずに性を謳歌している未熟な悪の人間が送ってくるのは間違いだぞ。

むしろ、こちらの天使には、欲すらないのだぞ。無私で従順。魂には輝きしかない。全天使の筆頭(かがみ)である大天使ミカエルは、そういう魂の者だ。

 

ミカエルの経験人数は8年で4桁以上だからな。

年間120人以上の女がいつもミカエルにべったりしていたのだぞ。

バーニングの全国オーディションを1位で受かってみろ。

女子校にファンクラブがよくできていたのだぞ。複数の女子校でファンクラブができていたのだぞ。

女子校生・女子大生がカネを貢いでくるのだぞ。

 

そういう者は、命令があれば何でもやるし、命令がなければ何もしない。

それが神への信仰なのだ。

 

最も美しい者が最も神に近い者であり

その者(ミカエル)には全能の力を与えている。

俺の分身だからな。

 

・こういう活動をしていて浮き彫りになることがある。

それは、天使か人間かという違いだ。

人間であれば、人間のためにやめろという要求をこちらにする。

天使であれば、神の求めを成就することを喜びとするので、人間のために辞めろという発想はなおこらない。

自由とか民主主義というものの社会をつくってやって、まだ間もないし、それは世界を制覇していない。

共産圏もイスラム圏も世界にはある。国連が5か国を常任理事国にしているが、イスラム圏からサウジアラビア(メッカなどがある)やパキスタンかイラクなども含めて7か国にしたほうが世界は平和になりやすい。

イスラムをテロだと呼んでいるのは宗教を知らない人間の言葉であり、彼らはジハードという神聖な行為を神の命令でやっているのである。

ジハードとは神のためになす努力のことであり、命をかけて、勇気をふりしぼることである。

 

イエスの教えでは

ヨハネ

12:25自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。

13:38イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。

15:13人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

 

そして、この友というのは、イエスの意味であることはこちらから分かる。

 

15:15わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。

 

21:17イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。

15:19もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。

15:23わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。

15:24もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て、憎んだのである。

15:25それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。

16:2人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。

 

15:12わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

 

この意味は

第一の教えは、命をかけて神を全力で愛すること。

第二の教えは、第一の教えができている者達の間では、神を愛するよりも小さい愛で愛し合いなさい=大切にしあいなさい。

というイエスが教えた聖書の最大の教えの意味である。

 

このようにイエスは死ねということを命令している。

そのため、使徒はその命令を守り、神のために迫害され、次々に殉教していったのである。

イエスの家族もまたそうであったし、イエスの処刑に加担した最高法院の議員も後にそうなって殉教していったのである。

 

これは、まさにその命を大切にしようとするものは、それゆえ、命を失うという戒律(ヨハネ12:25)の厳しさをあらわしているものである。

 

人間の命を捨てることが、神に示す愛の行為であり、同じ唯一神を信仰しているキリスト教もイスラム教をそれを戒律にしているのである。

それは貴様らが思っている優しい宗教ではない。

無信仰者が多い日本という国は、いまだ宗教の空白地帯であり、この国を宗教で制圧することは、キリスト教・イスラム教の双方の戦略にとって重要な拠点となる。

 

使徒行伝

4:37自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。

5:1ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、

5:2共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。

5:3そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。

5:4売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。

5:5アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。

5:6それから、若者たちが立って、その死体を包み、運び出して葬った。

5:7三時間ばかりたってから、たまたま彼の妻が、この出来事を知らずに、はいってきた。

5:8そこで、ペテロが彼女にむかって言った、「あの地所は、これこれの値段で売ったのか。そのとおりか」。彼女は「そうです、その値段です」と答えた。

5:9ペテロは言った、「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」。

5:10すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。そこに若者たちがはいってきて、女が死んでしまっているのを見、それを運び出してその夫のそばに葬った。

5:11教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた。

5:12そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。

 

これが本当のキリスト教であり、キリスト教の神のなすわざなのである。

命をかけて神に奉仕することが宗教(人の心得る道)であり、

 

3:6ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。

3:7こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、

3:8踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。

20:33わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。

 

3:13アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光を賜わったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことに決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。

3:14あなたがたは、この聖なる正しいかたを拒んで、人殺しの男をゆるすように要求し、

3:15いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。

 

5:16またエルサレム附近の町々からも、大ぜいの人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人たちを引き連れて、集まってきたが、その全部の者が、ひとり残らずいやされた。

5:17そこで、大祭司とその仲間の者、すなわち、サドカイ派の人たちが、みな嫉妬の念に満たされて立ちあがり、

5:18使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れた。

5:19ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った

5:20「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。

5:21彼らはこれを聞き、夜明けごろ宮にはいって教えはじめた。一方では、大祭司とその仲間の者とが、集まってきて、議会とイスラエル人の長老一同とを召集し、使徒たちを引き出してこさせるために、人を獄につかわした。

5:22そこで、下役どもが行って見ると、使徒たちが獄にいないので、引き返して報告した、

5:23「獄には、しっかりと錠がかけてあり、戸口には、番人が立っていました。ところが、あけて見たら、中にはだれもいませんでした」。

5:24宮守がしらと祭司長たちとは、この報告を聞いて、これは、いったい、どんな事になるのだろうと、あわて惑っていた。

5:25そこへ、ある人がきて知らせた、「行ってごらんなさい。あなたがたが獄に入れたあの人たちが、宮の庭に立って、民衆を教えています」。

5:26そこで宮守がしらが、下役どもと一緒に出かけて行って、使徒たちを連れてきた。しかし、人々に石で打ち殺されるのを恐れて、手荒なことはせず、

5:27彼らを連れてきて、議会の中に立たせた。すると、大祭司が問うて

5:28言った、「イエスの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」。

5:29これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。

5:30わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、

5:31そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。

5:32わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。

5:33これを聞いた者たちは、激しい怒りのあまり、使徒たちを殺そうと思った。

5:34ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求して

 

ガブリエルと名前が似ているな。惜しい所で違うと。

 

これが神のみわざなのだ。いくら牢に閉じ込められても、釈放される。

ムチうちだけで出て使徒が喜んでいる場合もあれば、このように天使が牢屋の鍵をあけにくる。

しっかり鍵のかかった牢屋にとじこめられても、使徒は天使によって釈放されるのだ。

 

ジャンヌ・ダルクもつかまる前に言っていたように、恐ろしいのは神にさからうことである。

だから、人の手におち、裁きにかかることで、神への信仰を示したのだ。

そのジャンヌは今、聖人とされている。

 

キリスト教やイスラム教の参考書になっているのが新約聖書であり、キリスト教の多くの者は、これだけを読むので一番学習量が少ない阿呆向きの宗教である。新約聖書のみを読むのがキリスト教者である。旧約なんて改変された法律だから意味がないとしてキリスト教者の多くの者は旧約聖書を読まない。

イスラム教の場合は、ユダヤ教も勉強し、キリスト教も勉強して、イスラム教をおさめる。

どういう関りがあったかを勉強するからだ。

ユダヤ教の場合は、旧約聖書だけを勉強する者が多い。

しかし、キリスト教の場合は、4(死)福音書のいずれかを読もうとするので、最も学習量が少ない。

師の福音書なのか、死の福音書なのか。当然、死ねと教えているのだから、死福音書である。

 

キリスト教には言えない教義が多すぎるので、ヨハネ黙示録などというものが最後をしめていた。

 

ここでは、全員が神の名と権威によって、殺されろという呪怨のような文言が並びたてられていて、その意味がはっきり分からないという理由から、聖なる書として扱われ、当然イエスの使徒が書いたものだから、それを聖書におさめることにしたのである。

それは啓示によって得られた言葉であるから、このブログの内容はそれ以上のものであり、ヤハウェそのものが書いたものだから、より上位に位置するし、4福音書より上位に位置する。

 

神は人間に人権というものを認めず、旧日本帝国憲法のような天皇を絶対の神とあがめ、不敬罪を導入するということが、神の教えに近かった。それは上記の話、ペテロの聖霊を騙そうとした者が次々死んでいったことから分かる。彼らも土地を売って金を払ったのだが、自分たちの持ち分を確保して、収める金が足りないという理由から、神又は聖霊によって殺された。

 

5:35一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。

5:38そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。

5:39しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。

 

これが、律法学者のガマリエルが言った言葉である。

 

5:40使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、今後イエスの名によって語ることは相成らぬと言いわたして、ゆるしてやった。

5:41使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。

5:42そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。

 

殺される場合でも、このようになる。

 

貴様らは、俺らがブログをやっていることに関して、随分と削除の依頼を運営会社に出したし、

弁護士に相談したり、警察に通報した者が多かった。

それも厳罰を求めて、実名公表と実刑を求め、人によっては、殺してやろうとして、それをやってこようとした者がいた。

 

それは今までのブログに紹介している限りではなく、実に多くのサイトでそれは行われていた。

https://ameblo.jp/glitteringmusic/entry-12677594342.html

 

https://ameblo.jp/socchidiary/entry-12645119178.html

 

ここで起きていることは、ほんの一部である。

呪怨的なメッセージがきたことは、実に多かった。

 

「絶対に殺してやるからな!」

「身バレさせて、どこまでもおいかけて殺してやる」

「弁護士に言って裁判を起こします」

「警察に通報したから」とか

警察の通報窓口を、俺らを訴えるために、特に俺を訴えるために、掲示板で特設して、教えまわっていた奴らがいた。

 

そういうことをやっている間に、世の中では、アメブロの闘病ジャンルでは人が毎日死に続け、日別でそういう奴らが上がってきたり、コロナの新規感染者が増えて、1日26000人を超えて、とめられなくなっていたのだ。

それは、俺の気がすんだから、次のシナリオにかえたが、人類には甘い罠をはっておいた。

それで気を許した者は、地獄に行くことになる。

 

そのやり方は、ゼウスのやり方と同じである。

ゼウスに気を許してはいけない。ゼウスからの贈り物は受け取ってはいけない。

賢明な者(プロメテウス)はそういったのだ。

 

これは浦島太郎のくだりと同じである。

ゼウスがパンドラという美女を与えたのは、竜宮城で美女がもてなしたというのと同じくだりである。

贈り物の箱をあけるとそうなったのは、万国に普遍的に流れている神の神意

ということである。

 

ここで俺が何か良いことをしてやると書いた場合、それを受けとった者は十分な礼ができないなら要注意である。

命をかけて愛を示さねば、浦島太郎のようになってしまうのだ。

 

世の中に災いがふりそそがれる。

それは雨露のようにおちてくるだろう。

 

キリスト教が伝えていることは

最後の審判があり

それが重要な歴史的イベントであるということだ。

 

罪人は裁かれ、生き残る善人はノアの箱舟のような人数であったということだ。

 

世の教会の全てが間違いを教えているので

今回は預言者ではなく、神自らがおりてきたのだ。

 

預言者はクルアーンにあったように

マホメットが最後であり

マホメットの説いた教えが

神の教えに最も近かった。

 

キリスト教が愚民を扇動するためのまやかしの甘いアメであり

釣られた魚が

焼かれて神に食べられている宗教である。

 

そうはなりたくないなら、イスラム教のように厳しい戒律を国家がかして

その縛りの中で神の奴隷という自覚をもって生きていかなければならない。

それが宗教というものであり、この教えは、古代エジプトの考古資料に残されている。

そこでいうファラオは、王ではなく、神の前では、みんなと同じ奴隷であったし

それは本当にしんどいことで毎日苦しいことなのだと残されている。

 

これが万物の神の教えである。

その万物の神は、神ゆえに人の姿でもあらわれ、自ら著作を行い

愚かな羊たちに向けてこれが神の教えであると開示した。

 

キリスト教の親分であるペテロに

俺の羊を買えと言った

一番上の親分が、これを発表しに来たのである。

 

武士道とは死ぬことだと書かれているが

そのサムライの道を尊重する日本におりて

死ぬことが宗教だと

神の災いとともに

説きにきたのである。

 

あるじのために

死になさい。

 

愚かな人間は、五体を切り裂いてでも

目玉をくりぬいてでも

地獄におとされないほうが幸いなのである(マタイ5:29-30、イエスの教えである山上の垂訓の名言)。

 

「のろわれた者どもよ、わたしを離れて、地獄におちるがいい!悪魔のために用意されている永遠の火にはいってしまえ!」というのは、イエスの後期教えの名言である(マタイ25:41)。

 

イエスが去る前に、彼は間違いなくこう教えたのであるし、それは、山上の垂訓で教えていた内容と何ら変わるものではない。

 

師のヨハネが、そのように糾弾を繰り返しまくっていて、人の領地にまで入ってきて、為政者にそれをやっていて、それで捕えられて処刑されたのだから。

 

イエスも人の家にずかずかと入っていって、こういう糾弾を繰り返していた。

 

そのため、常に命を狙われていた。

 

それはなぜかというと、おもてなしとか言ってオリンピックを開催したがっていたくせに

 

25:42あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、

25:43旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。

 

25:44そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。

 

それは今回だと言っているのだ。マタイ24で人の子は予想もしないときに、人の子の姿でくると言ってから

この話で

25:45そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。

 

観世音菩薩のように小さい者に変装して来たら、貴様らは俺にこのような待遇で扱って

牢屋にまで入れたからだ。

 

ミカエルが6年入ったと言っているが

中は俺なのだから。

 

俺が操作しているキャラがミカエルなのだから。

 

ミカエルに変装して俺がやっていたが

そのミカエルも人間の小さい者に変装してやっていた。

 

そうしたら、貴様らは小さい態度の者だとなめるので、無実の者に対し、偽りの罪をでっちあげて、イエスの時のように牢屋にまで入れたのだ。

 

貴様らは人間同士では争いあうが、神に面すると協力しあって神にかかってくるというゴミの生き物だ。

最後の審判の判決をくだす上では、言い訳ができない事実をくらっておいてやろうと思ってな。

ミカエルの修行が第一であるから、彼の伝道もその修行であったのだ。

 

ミカエルは俺が操作しているが、別個の人物(神の分霊、俺の子)としても見ている。

そういう視点でのストーリーをつくっている。

 

貴様らのために、全財産を投資して、愛ある布施を行い、世界の全ての民を永久に救われるために導いてきた者が

貴様らの罠にはめられて、もう少しで殺されそうな所にまできていた。

そこで、その話はエンドにし、ミカエルに神の全知全能の力を復活させ(解禁し)

俺の命令によって最後の審判を開始させた。

その判決結果は人類全ての処刑だった。永遠の業火に投げ入れるというイエスの先の教えが成就したということを示しに、俺はLASTCANONのブログを書いて公表したのだ。その内容は人類全員の処刑である。永遠の業火に入ってしまえという判決内容である。

この内容は永遠に変わることはない。

 

過去の記事でも書いたように

神のつくった世界には色々なルールがあるが

1に、予定というものでなりたっており

2に、最後の審判というものがある。これは清算・決着のイベントである。過去に色々なことをやってきたことについて、帳尻をあわせる行事、整理する行事である。

この2つは、普遍的なルールであるので、これくらいはちゃんとあるということを教えてやってもよいことだ。

 

これが神意、神の御心というものだ。

真理というものは、神がどうつくっているかということで、とめどなく世界をつくっているから、はっきり言えないことが多いが、これくらいは教えてやれることだ。世界の創造を語ることは、神の無限の心を語ることであり、とめどなく言葉が出てくるものである。

その全ての中から共通のパターンをとりあげると

1に神に賛美するということに全てが収束している。

2は無いといってもいい。1に神を賛美することであり、ここに全てが収束するといっていい。

それ以外のまとめ方をすると人間は頭がおかしくなるので、それしか知らないほうがいい。

迷いというものは無いほうがいいから、あまり多くを教えすぎないほうがいい。

今まで解説してきたことは、神の存在の実証である。

その実証のために行ってきた者であり、その神の命令は、神を賛美しろという万にある宗教の共通の鉄則である。

全ての宗教に共通する法則を見いだした場合、それは、神を賛美する掟になる。

 

つまり、賛美を要求していることが神の意であり

それは命をかけること、命を捨てる思いで奉仕を続けることにあると

キリスト教やジハード宗教は教えている。

 

財(罪)を捨てることや、断食を繰り返すことも

全てを見ている神の御前において、良いカッコウをみせびらかさないために

大切な行なのである。

 

人々のためにそれをやるなら神を思わず人間を思っている者であるし

神を思っているなら神のためにやる者である。

 

この書は、神から見て、全ての事を書いたと感じられる

まとまりある書である。

人間にとって必要なことは、この書にある限りであり

この書にないことは散策してはいけないのである。

この書を日々の行として、その存在がある限り

永遠に神への奉仕として

人間は苦しみ続けなければならない。

人間はうまれもってその苦しみを得

その苦しみは未来永劫続くのである。

罪をなした人間は、その苦しみは大きくなっていき

人の一生はたった数十年という期間の間に

無限に刑を重くしているのである。

この輪廻の楔は永遠に断ち切られるものではない。

 

それは、神が人間をゴミだと思って

つくった被造物であるため

人間は最後は焼却処分をし続けられるという永遠の定めになっているのである。

ゴミは焼却処分されることによって、ゴミから噴き出す罪も滅せられるのである。

神はドミノ倒しと同じで、創造というものは、全てを破壊するときが面白いので、その破壊の瞬間のために創造をしているのである。

その破壊は被造物にとって永遠に続く苦しみとなるのだ。それが全能の神を楽しませるスパイスなのである。

全能の神の力は絶大であるがゆえ、これを喜びとできる余裕がある。

 

それはイエス・キリストの前記の教え

「罪人よ!永遠の地獄の業火に入ってしまえ!」という重要な教えや

ヨハネの苛烈な教え「蛇やまむしの子らよ!処刑される前に悔い改めろ!」という重要な教え

使徒達も同じ教えを伝えていったという重要な教えから分かることである。

その聖書は、最後の審判でしめくくられ、その教えはイスラム卿にも踏襲されている。

世にある多くの宗教が、そのような教義をとなえていることは人類の滅び・永遠の苦しみは

愚かな人類にむけた神からのメッセージなのである。

貴様らの運命は、イエス・キリストの予言とともにあり、貴様らが救済されることはらくだが針の穴を通るほど

無理な話なのである。このブログ制作の組織の外にいる者達は、ノアの箱舟には乗れなかった者達である。

 

ペトロの時のように誰々がなくなったとか、ここには書かないし、ヨハネの所で書かせておくから。

毎日闘病者ジャンルであがってくる者達や

ガクトがどうなったかで推して知ればよい。

 

本当に良い話を書いてやったわ。

世は本当に乱れていたが(信仰は狂っていたが)

これを発表したことで

神の心はスカッとした。

 

へいこうしてヨハネがやっているこちらのブログも良い感じだ。

 

俺がやっているこのブログは平均も順調に上がっている。

 

まぁ、俺が何もしなければ、何も起こらないのだがな。

アクセスが上がっているときは、俺がハジキをやったということだ。

 

・人の味方をしたプロメテウスの話にあるように、神から火を盗んだ人間は

明るくなった。その明るさは文「明」といわれるものである。

人々の生活は便利になったが、神のうらみから、パンドラの箱はあけられ、世界中にあらゆる凶事が拡散し、人々は苦しみを背負って生きることになった。

 

これは、エデンの園から知恵の実を盗んだ愚かな女の話と変わらない。

 

ここから、ギリシア神話であったり、ユダヤ教であったり、キリスト教であったり、イスラム教であったりの、共通の神意というものを知ることができる。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/f3998ec1f27e37557bb35cb566cc643971e4c22b

 

これで、俺の予言の通りになっていることが分かるだろ。

 

AD

Ameba人気のブログ