(営倉で放置されているよりかは、はるかにマシとはいえ……)
夕呼の執務室を出て、とある一室に部屋に放り込まれたが、着替えもなければ食事もない。
一応シャワールーム付の士官用居室のような造りで、レポートを書き出せと言われてPCは宛がわれたが、机と椅子はともかくベッドのシーツさえない。当然の如くドアは外からカギがかけられている。
さすがに拘束は解かれたが、軟禁状態に等しい。下手に忘れられて、このまま放置されると餓死しかねない。
(夕呼先生との接触は、まあ好感触では、ある)
なにやら緊急の呼び出しがあったようだが、必要なところまでは話した。この地下19階にこの程度の監禁レベルで武を残していることからも、一定以上の興味は持ってもらえたはずだ。
ただ、武の記憶には、この時点で夕呼が慌てるような事案がない。
思いつく限りのことを書き出しておけ、と言われてものの、最初から躓いているような感じだ。
「まあ悩んでいても仕方ないし、忘れないように書けるところから書きますか」
切り替えるためにわざと声を出し、PCに向かう。そして気分的にも手を付けやすいところからという意味で、こちらが欲しい物の筆頭であるXM3の仕様書ならぬ願望リストを作る。
とはいえ、XM3に関しては書き出しておくことは少ない。もともと感覚的な説明だけで作ってもらったものなので、あらためて説明するというのが難しい。出来上がって先日まで使っていたものを思い出しながら、書き出していく。
コンボ、キャンセル、先行入力といった概念の説明と、「パターン認識と集積」が可能であれば実装して欲しいくらいだ。反応速度が上がったという話も聞いているが、あれはOSの機能ではなく第四由来の高性能CPUの恩恵だろう。
結局はシミュレータでの武の挙動を見てもらって、それを元に説明するしかない。
XM3の件を簡単に纏め上げ、あとは一周目と二周目でのテロやクーデターなど大きな事件について思いつくままに羅列する。
それとは別に、因果導体やループの原因となったことの考察などの因果律量子論に関する件と、「あ号標的」から得たBETAに関する情報も必要だろう。
これらはすべて詳細は後回しに、だ。単語だけでも要素だけでもなんでもいいので、簡単な分類だけで箇条書きにしていく。
(忘れないうちに、というか何を伝えられるかさえ今は整理できてないな)
朝起きたら見知らぬ病室でした、というのが今の武の状態だ。伝える情報が整理できていないという点では、二周目どころか下手をすると一周目よりも酷いかもしれない。
武が持てる知識と記憶とをすべて提出した後、夕呼が約束を守るかどうかも、いまだ定かではない。
だが隠しておいて交渉のカードに使う、などという器用なことが自分にできるとは思えない。体感的にはつい先程までいたかのような二周目のみならず、おぼろげに残っている一周目の記憶からも、武は自分が政治向きでないことは理解している。
それに思い返せば、XM3のトライアルの巻き添えでまりもが死んだ後、夕呼が武を元世界に戻したのは夕呼自身すでに限界だったのかもしれない。いや夕呼はすでに現時点で追い詰められてギリギリの瀬戸際にいると考えられる。
そんな夕呼相手に、下手な隠し事や小手先の謀略など、無駄な負担をかけるべきではないはずだ。
(とはいっても、身近な知り合いくらいは、今度こそ護りぬきたいよなぁ)
出会ってないからかまだ実感できないが、2001年10月22日の「今」であれば、A-01の先任たちも207B分隊の皆も、まだ生きているはずだ。
彼女たちを護る力が自分にはある、などとは最早自惚れない。それでもなにか手助けくらいはできるのでは、くらいは思いたい。
伝えるべき記憶を書き出していきながら、自分の望みも整理していく。
武としては正直なところ、一衛士としてA-01で使い潰してもらっても、夕呼のことだからそれが人類の為に必要な犠牲なのだろうと受け入れることもできる。
ちょっと未来の知識があるとはいえ、武には衛士の経験しかないのだ。衛士としての能力には自信もあるが、それで護れるものなど高が知れてる。それは何度も繰り返されたループで思い知らされた。繰り返させられた一周目と、つい先日までの二周目の記憶からして、白銀武という人間はうまく使い潰してもらう方が、人の役に立つのではと自虐に陥ってしまいそうだ。
世界を救うなどという馬鹿な英雄願望の結果が、XM3の出来に有頂天になった挙句にまりもを死なせた。それを受け入れられず世界から逃げ出した結果、元の世界にさえ危険に晒したのだ。
ありえないはずの「三周目」に直面しているということは、すべてを救うどころかすべてを失うことすらもありえる。
(ダメだな。腹が減ってきたせいか、ヘンな方向に気持ちが沈む)
書き出すべきことをとりあえず箇条書きにするだけで、正午を大きく過ぎている。朝に病人食だけしか食べていない身としては、そろそろ苦しい。
「どう、進んでる?」
そんなタイミングを見計らっていたように、夕呼が食事と着替えとを届けに来てくれた。
「ざっくりした部分は書き出してますが、細かい部分は今日明日かかりそうですね。あ、XM3……新OSに関してだけは終わってます」
「自分の欲求に忠実なのは、長所だと認めてあげるわ」
「……ふーん、ちょっと見てるから、食べながらでいいからアンタはこっちのレポート読みなさい」
「りょーかいっと、いただきます」
レポート作成の前段階、自分用の箇条書きメモを見つけられ、これは質問漬けになりそうだと諦めながら食べはじめる。
予測通りに、一緒に差し出されたレポートに眼を向けるが、武が読みだすよりも先に、夕呼から声がかかった。
「一周目をループしているとなってるけど、これ並列事象なのかしら……?」
「当時の俺自身の体感としては一周目と二周目が繋がっていたんですが、記憶が解放された今となっては、なんというか……並列?というか総当たり式というか、ある意味で何でもありですよ。俺自身の死んだ記憶はぼんやりしすぎていますが、BETAにやられるだけじゃなく、対人類戦で落とされてたりもしてたようですし」
「ふ~ん、戦闘経験は豊富、といったところかしら」
「あやふやな記憶まで含めれば、という但し書きは付きますけどね。帝国の戦術機であれば、そうですね海神とかでなければほとんど乗ったんじゃないかなぁ」
一周目の207分隊の時は実戦には出ていないが長らく撃震を使っていた。ここまでははっきりと覚えている。その後、バビロン作戦以降の記憶は明確ではないが、どういう経緯か黒の武御雷に乗っていた記憶まである。
「しかしこれ、アンタ207B分隊の連中全部食ったの?」
「食ったって……そういう世界が存在する可能性がある、という話ですよ。因果律量子論って、そういう事ですよね?」
元の世界でも一周目でも207B分隊の皆と関係を持ったという「記憶」が今はある。ただ「二周目」を経た今の武には実感も感情も伴わないのは、純夏によってその記憶が「漂白」され失われていたからかもしれない。
「概略は知ってる、というわけね。ま、同一分隊の連中とそういう仲になるというのも、可能性だけで言えば存在する。そしてゼロでなければ実現している世界がある、か」
「あ~わざわざ書き出すまでもないかというか誤魔化せばいいかと思って書いてませんが、神宮寺軍曹どころか、夕呼先生と関係したこともありますよ?」
第四の破棄が決定された直後、正体不明なまでに酔っぱらった挙句の行為だと言い訳しつつも、武は夕呼との関係があったことも明かす。
「……あたしが年下は性別認識外だって知ってて言ってる、のよね? ……ま、計画破棄が確定した直後なら、自棄にもなるか」
夕呼にしてみれば、第四の停止と第五への計画以降は、人類の敗北そして絶滅と同義である。第五移行後にも何らかの対策はしているのだろうが、さすがに破棄が言い渡された直後には、平常ではいられなかったのだろう。
「まあ計画破棄が決定された直後の夕呼先生はともかくですねっ、そういう意味では元の世界での夕呼先生からは『恋愛原子核』とかスゲェ言われようもしましたが、アレ本気だったのかなぁ」
「なにそれ?」
「俺の、というか元の世界の白銀武の周りには、恋愛要素が惹きつけられてくる、とかそんなネタ話ですよ。というかまりもちゃん……そっちの世界の神宮寺教官があまりにすぐ男に振られるのを見て、言い出したって感じです」
「へぇ、それはそれで面白そうね。まあ今のアンタは、さしずめ三周目といったところかしら? 因果導体でなくなっている可能性が高いという意味では、出がらしね。『恋愛原子核』とやらもなくなってるんじゃない?」
「そんな感じですね。今こうやって体験したことを話していても、どこか距離があるというか、実感が伴わない感じです」
「確認するわね。元の世界?と一周目の傍系記憶を除けば、今のアンタは207B分隊の連中には恋愛感情はない。間違いないかしら?」
「今思い返しても、あいつらがスゲェ奴らだということは間違いなく判っていますし、感じています。ただそれが俺からの恋愛感情だとはまったく思えません……いえ、あいつらは俺のことを想ってくれていたんですが、俺は気が付けなかったんですよ」
武としてはつい先日失ってしまった207Bの皆。
その遺書を目にするまで、彼女たちの想いに武は思いも至らなかった。
(いや……あいつらの気持ちに俺が気が付けなかったんじゃない。気が付けないように誘導、あるいは二周目最初の時点で「そういうシロガネタケル」として作り上げられていた?)
思い返せば皆それぞれ、同じ分隊の仲間という以上に武には接してくれていた。女性の気持ちには鈍感だという自覚は確かにあるが、それにしてもおかしなほどに、武は彼女たちの想いを仲間への友情だと思い込んでいた。何者かによって意図的に操作されていたかのように。
「カガミスミカに関しては?」
「っつ!! ……失ったせいでしょうか、まあ、あいつに関しても……幼馴染なんですよ? それなりに大切な奴ですけど、その程度……ですよ」
考え出せば、何か「ワルイモノ」に行き着いてしまう、そう思うせいで口からは当たり前の言葉しか漏れてこない。
「ふ~ん……さっき三周目とは言ったけど、記憶の中の『白銀武』とアンタ自身は別人物、と割り切りなさい。そもそも話を聞く限りじゃ、完全に別物ね」
「いや、別って、俺シロガネタケルですよね? 白銀武じゃなければなんですか、俺って?」
「あと可能性が高いとさっきは言ったけど、ほぼ確実にアンタは因果導体ではない。いえ、カガミスミカ、だっけ? その00ユニットになったヤツが、自分を救い出させるためにアンタの記憶の中から他の女との関係を漂泊していたって事態を前提とすると、今その記憶が欠片でも残っているということは逆説的にアンタがそのカガミスミカに選ばれた存在ではない、ということよ。つまりはアンタは因果導体ではない。判った?」
「え~つまり俺はこの世界での白銀武であって、因果導体だったシロガネタケルとは、記憶があるだけの別人?ですか」
夕呼の畳みかけるような説明はどこか懐かしいと感じてしまうが、今の武にとって重要なのはその内容だ。
「なんとなく因果導体じゃないってのは理解できましたが、記憶があるのに別人だと思うのは、ちょっとアレですね」
「別存在に決まってるじゃない。アンタ今朝までこの基地のベッドで寝てたのよ? 別世界から飛び出してきたわけじゃない」
「あ、そう言われると、それは……そうですね。俺ってこの世界の人間なんだ」
どこかでストンと納得してしまった。今までとは違い元々ここに居たのだ。
「まあガキの恋愛相談はおしまい。で、そっちのレポートの感想は、歴戦の衛士さん?」
「よくできたテキストだと思いますよ。これが実行されるなら戦術機で前線に立つ身としても安心できます。ですが、うーん……」
今のって恋愛相談だったのか、とは思い浮かぶもののツッコミはしない。一度話が変わった夕呼に、元の話をしても無駄だ。代替コーヒーを口にしながら、意識を切り替えた。
話ながらの斜め読みでまだ途中までですが……と言い訳のような前置きをしたうえで、武は感想を纏めようとする。
(国連軍統合代替戦略研究機関ねぇ……聞いたこともねぇんだよな)
座学が得意とは言えないが、一周目では小隊長もこなしていた武である。時間もあったことで、それなりに著名な戦闘記録や各戦線でのレポートなどは目にしている。だがこのレポートに関しては組織の名前もその内容も初見であった。
(オルタネイティヴ計画に関わる極秘レポートと考えるにしては、ありきたりの内容なんだよなぁ、これ)
見たことが無いのは計画がらみかとも一瞬は考えたが、内容からしてそういうものではない。対BETA戦の基本事項の確認のようなものだ。士官教育用の初級テキストと言われた方が納得できる。
光線級による「空」の喪失を、対BETA戦における大前提として認識させる。
その上での航空戦力の代替としての戦術機運用の問題点と、解決案。
空軍の代替策模索の一環として宇宙軍の活用提案。
既存兵力の効率的運用必要性の指摘、砲兵隊と工兵隊の有用性提案。
軌道防衛網での迎撃失敗時の「BETA着陸ユニットへの即時かつ無条件の核攻撃」も歓迎したい事態ではないが、アメリカが強行したカナダでの判断は今となってはあれが最適解だとしか言いようがない。
途中までしか書かれていない、というかレポートの一部だけを渡されたような形なのだろうが、それでもこの部分だけでも感じられるのは、半ば病的なまでの積極的な消耗抑制。目的としているのは、徹底した遅滞戦略による時間稼ぎだというのはよく判る。
「歯切れが悪いわねぇ、なにか問題でもあるの、白銀?」
「あ、いえ。問題というか、全体としてはすごく納得できるんですよ。ただちょっと古い?というか基本的すぎるというんでしょうか。言葉にしにくいんですが、なんというか、なんなんでしょう? 時間を稼ぐための防衛戦略としてはいいんですが、ここまで書いておきながらハイヴ攻略に関しては説明不足どころか実質的にはなにも書いていないのが、不思議というか気持ち悪いというか……」
黙り込んだ武を、夕呼が急かす。感想と言われたので、本当に感想程度の答えしか返せない。
だが斜め読みとはいえ気になったのは、その点だ。レポートのどこからも感じられるのは敗北主義的なまでの防衛重視だが、これだけの物が書けるならば、ハイヴ攻略に関しての言及がまったくないのが、逆におかしい。
「防衛戦略用のレポートだから、攻勢に関する記述を省いた、とは考えないの?」
「ここにきてテストですか、夕呼先生? 間引きでさえ、ハイヴ表層への侵入攻撃は可能であれば実行されてますよ。まあピンポンダッシュ程度の効果しかないんでしょうが、まったく考慮しないってことはありえません」
戦術機の運用目的は、航空機の代替と前線の構築という点もあるが、他兵種では不可能なハイヴ内部への侵攻が大きい。
武が衛士だから余計に気にかかるのかもしれないが、このレポートには戦術機運用に関して言及されていながらも、ハイヴ侵攻を想定していない。
「……いや想定してないんじゃないのか。ハイヴ攻略を見据えた上で、時期尚早と判断? 戦術機や他兵種の能力不足? その為の時間稼ぎ、なのか?」
消費を抑制した上での徹底した遅延作戦、その目的は時間稼ぎだが、なんの為の時間を稼ごうとしているのか。
なにか思いつきそうで、武はぶつぶつと呟きながら考え込んでしまう。
「ふ~ん、稼いだ時間で何をしようとしているか、気になるのはそこというわけね? でもアンタ、さっき言ってた実戦経験ありってのは、ハイヴ攻略経験もあるってことなのかしら?」
「え? ええ。はっきりと覚えているのは、先日……って俺の記憶の先日ですが『桜花作戦』、オリジナル・ハイヴの攻略だけです。一周目でもどこかでハイヴ攻略はやったはずなんですが……」
「十分よ。喀什のデータなんて、最重要に決まってるでしょ、とっとと吐き出しなさい」
武としても「あ号標的」への攻略が最重要だとは理解している。
ルートを完全に覚えているなどとは豪語できないが、それでもどの程度の間隔で戦闘があったか程度なら、書き出せる。それにいくつかの新種の説明だけでも重要なはずだ。母艦級などは、この時点では発見もされていないが、その存在を想定しておくだけでも被害は減らせる。
(ん? なんで母艦級のこと知ってるんだ、俺? クソッ、XG-70dの戦闘ログがあれば、詳細な報告があげられるんだけど……)
さすがに世界をもう一度渡ってログを取ってくることなど、今となっては不可能だ。そもそもあの世界に戻れるのであれば、オリジナル・ハイヴの完全な地形データなども手に入るのだろうが、因果導体でなくなった武には世界を渡ることなどできようがない。
「ま、こっちのレポートに関してはまた今度説明してあげるわ。まずはアンタの方の、その『桜花作戦』? それに関するレポート仕上げなさい」
夕呼は話は終わりとばかりに立ちあがり、内線を繋ぐ。
「じゃ、社。あとは任せるわ」
「……え?」
内線で呼ばれて、すぐに部屋に入ってきたのは、国連軍C型軍装とは少し違った服の、10代前半の少女だ。
「この娘は社霞よ。知ってるのよね?」
「え、あ。はい」
当たり前だが先日泣かれながら別れた時、ほぼそのままの姿だ。
だが今ここにいる霞にとっては、武は初対面なのだ。武としても、いつかは顔を合わせるとは思っていたが、さすがに突然すぎて対応の仕方が咄嗟には思いつかない。
「あ~はじめまして、だな。か……社」
霞と呼びかけて、止める。いきなり名前呼びはダメだろう、と。
それでなくとも警戒されているのは間違いない、部屋には入ったものの、ドアから離れないその様子から、いやでも判る。
(なんというか最初に会った時以上に距離があるな。いや、そもそも霞からしてみれば、ヘンな記憶を持ってる俺はまるっきし不審者だからなぁ)
一応挨拶の返答として、コクリと頷いてはくれるものの、今にも逃げ出しそうな位置取りだ。前途多難、としか言いようがない。
溜息をつきかけて、夕呼先生の相手をする限りこれが続くのだと思い返し、飲み込む。
「必要な物は、社に言えば多分取ってきてもらえるわ。仲よくやりなさい」
「了解しました、香月副司令」
あとは若い者同士で、とばかりに投げやりに出ていく夕呼に、半ば嫌がらせに教本通りの敬礼を返す。
よーやく霞が出せたーっと言いたいのですが、メインヒロインではありません。
あとルーキー日刊ランキングの存在をすっかり忘れておりました……ということでルーキー期間は何とか頑張って投稿し続けようかと。ストックヤバそうですが。