「それで、詳しく聞かせてくれるのよね?」
先程外された右手首と目隠し以外の拘束はそのままに、車椅子に固定された形で連れてこられたのは、見慣れたと言ってしまってもいい、地下19階の夕呼の執務室だ。極東どころか世界最強度レベルの機密ブロック、無菌室とまで囁かれた横浜基地のその本当に中枢たるここでなら、何を話しても安心だろう。
「すいません夕呼先生、その前にこの拘束着外して貰えませんか?」
「まだよ。話次第によっては、そのまま処分するから」
「ですよねー」
目隠しされていないのは、武の表情を読むためだろう。首だけでも動かせるのがまだ救いかも知れない。さすがに首まで固定されたままだと話しにくい。
「えと、まず確認しておきたいのですけど、第四計画の目的って、第三のESP発現体以上の能力を持つ『生物根拠0生体反応0』の00ユニットを用いてのBETA情報の収集、その上での対BETA戦略の構築、で間違いないですか?」
「ほんとに知ってるのね、上で喋らなかったことは、褒めてあげるわ」
あの二人にクスリ打たなくて済んだのは貸し一つね、と真顔で嘯く。
訓練教官でしかないまりもは、ほぼ第四計画には関与していない。A-01も所詮は実行部隊の人間である。もし話を聞かせていれば、第三計画由来の記憶消去処理が必要だったのだろう。
「夕呼先生相手に交渉で勝とうなんて思ってませんよ。だいたい貸しどころか、あの二人を巻き込まなかったのは、俺の勝手な我儘です」
もう失われた世界での経験だが、白銀武にとってあの二人は決して忘れてはならない恩師である。その二人を戦場以外の危険に晒すことは、武の望むところではない。
「簡単に言うと俺には、この世界での記憶がまったくありません。逆にこことは別の世界の記憶が、三種類ほどあります」
「それがさっき書いてた世界1と世界2ね。あと一つは?」
「今の俺の記憶、その主幹となっている『白銀武』自身は、もともとまったくの別世界、BETAなんていない世界の人間だったんですよ」
BETAが居ないと聞かされて、合いの手のさえ打たないが、夕呼は睨み付けるように武の顔を覗き込む。
「BETA不在というのも可能性世界としてはありうる、ですよね? で、そんな世界でのほほんと生きていた『白銀武』が、こっちの世界の2001年10月22日にいきなり現れて、まあ元の世界でも恩師である夕呼先生に頼り切る形で衛士訓練兵としての生活基盤を与えられました」
「さっきから先生先生って繰り返してたのは、その関係ってことね」
「その世界のちょうどここにある白陵柊学園、夕呼先生はそこで物理教師でしたよ。ちなみにまりもちゃんが英語教師で俺の担任でした」
「……そう」
めずらしく夕呼が優しく笑う。夕呼も、親友の神宮司まりもが本当は教師に憧れていたのは、知っているのだ。
「細かい部分は後で報告書の形に纏めようと思いますから、ざっくり飛ばします。先にお伝えしたように、最初に現れた世界では00ユニットが完成できず、結果を出せなかった第四は凍結されます。それが今年のクリスマスです」
「あと二ヶ月ってことね」
別の世界、可能性世界とはいえ、因果律量子論の提唱者たる夕呼のことだ。何らかの要因が無ければ、ここでもその結果へと収束することは予測できてしまうのだろう。表情を取りつくろう余裕もないのか、感情を削ぎ落した鋭さだけが浮かんでいる。
「で、まあ第五が進められて2004年に人類の極々一部はバーナードへ向けて移民船団に。同時にG弾の集中運用でBETAの根絶、のはずが地球規模で重力異常を発生させてしまって、生き残ったのはアメリカの一部だけですよ」
――「大海崩」と呼ばれた海水の大移動に伴いユーラシア大陸は水没。干上がった大洋は塩の砂漠へと変貌。
(このあたり、なんか記憶があやふやなんだが……まだ目が醒めていないだけか?)
「だけどアンタの話じゃ世界2、二周目になるのかしら、そっちでは00ユニットは完成できたのよね?」
「ええ。ちょっとまあ、ありえない方法というか、裏ワザ的というか、無茶しすぎというか、そんな感じなんですけど……」
「それで、アンタが欲しい物は何? 金や地位、女とかなら、なんとでもなるわよ」
何度か世界を行き来したというのをどう説明しようかと悩み言い淀んでいる武を見て、交渉の一環とでも思ったのか夕呼が条件を提示してきた。
値踏みされてるな、とは思う。
確かに香月夕呼の力があれば、ガキが欲しがる程度のものなら簡単に揃えられるだろう。
こちらが自身の持つ情報にどれだけの価値があると理解しているのか。そして何を提示されれば、他に売り払ってしまう可能性があるのか。その辺りを測られているのは、交渉ごとに慣れぬ武としても、夕呼との付き合いの記憶から理解できてしまう。
「安心してください。俺の持つ情報は他には漏らしませんよ。とはいっても言葉だけでは信じては貰えないでしょうが」
むしろ言うだけで信用されるようなら、逆に驚きだ。それに欲しいものも、ある。
「女はともかくですね……一つは簡単で、地位というか、俺に戦術機で戦える立場をください」
「そういえばアンタ、前の世界でも衛士だったのね。こっちでは訓練中に負傷で、休暇扱いが続いてるけど。……そうね、とりあえず207訓練小隊に放り込むわ」
「それでお願いします。座学はどうにかなりそうですが、身体が完全になまってるみたいで、扱かれ直してきますよ」
病室で目覚めてすぐに拘束されたが、日常生活ならともかく衛士としての筋力があるようには感じられない。鍛え直す必要は実感している。
「で、次は?」
「二つ目は金という形になるのですが、ちょっとした概念を追加した戦術機用の新OSを作ってもらいたいんです」
二周目で作ってもらったXM3。あれが有るのと無いのとでは、雲泥の差だ。
今思い返せば、あの時作ってくれたのはストレス発散の一環だったのかもしれない。身元不明のガキに貴女の計画は失敗しました、と言われた腹いせ、の可能性は否定できない。
こちらでも同じとは言えないが、夕呼にとっての利点も提示しておかなければ、優先順位を下げられかねない。
「判ってるかもしれないけど、戦術機とかOSとかは、あたしの専門じゃないわよ?」
できないとは言わないのが夕呼らしい。しかも完成させられることは武は「知っている」。
「二周目の世界で作ってもらったものなんですけど、CPU自体の性能がそれなりに必要だそうで、既存の戦術機用の物では実現できないんですよ。で、CPUは第四計画で試作していたものを流用した形です。さして高価なものではないとはいえ、初期ロットは第四で作ることになるでしょうし……」
「ソフトとしての完成したOSだけではなく、追加装備となるハードの方も、取引材料に使え、と?」
「第四計画の本流ではないでしょうが、00ユニット開発の派生でハイヴ攻略用に必須のために開発した、とかなら他の部署にも説明付きやすいのでは?」
もともと00ユニットが完成したからといって、それがすぐさま情報を集められるわけではない。ハイヴ最深部、反応炉まで到達することも第四計画の実現には求められているはずだ。
「それに以前の第三では、ソ連が米軍機を借りたのが問題になってませんでしたっけ?」
「そうよ。ソ連も複座型の戦術機を開発しようとはしたみたいだけど……ってそういう意味では、新OSの開発とその実績とってのは交渉材料にはなるわね」
第三では、衛士でもないESP発現体をハイヴに連れて行くためだけに、複座型が必要だったのだ。本来であれば計画誘致国が各種の施設や装備を提供するはずが、それを競争相手ともいえる米国から機体を借り受けたことも、第三計画の失点の一つでもある。
「あ~あと、その新OSの開発に、データ取りというかサンプルとして俺も参加させてください。具体的にはシミュレータの使用と、できれば第三世代機の実機を」
「ふ~ん? まあその辺りは、そのOSの仕様を確認してからよ?」
「それは当然です。ただその前にシミュレータで構わないので、俺の挙動を見てもらってからの方が話が早いとは思います」
XM3無しでも武の戦術機挙動は変態扱いされたのだ。概念実証のための説明にまりもやみちるに見てもらえれば、夕呼への強力な説得要因になるはずだ。
「つまりアンタの希望は、衛士訓練兵としての立場と、戦術機用の新OSの開発、あとは……」
いつもの何かを企んだような笑みを夕呼は浮かべる。
「夕呼先生? 女を宛がう、とかは止めてくださいよ?」
「はいはい、若いのにヘンに枯れてるわね、平行世界での経験のお蔭ってやつかしら?」
「あ~自覚できてないですが、それはあるかもしれませんね。主観時間だとそろそろ30手前……まではいってねぇとは思うんですけど」
年を数えはじめて躊躇う。下手をすれば夕呼の今の年齢を超えているのかもしれない。年だけ重ねても無駄だとは判っているが、武の精神安定としてはよろしくない。
「逆にアンタがあたしに提供できるのは、一周目の失敗した世界と、二周目の成功した世界の知識、ということかしら?」
「そうですね。あとは『あ号標的』との接触などで知りえたBETAの情報です。こっちのほうが第四としては本題では?」
「出し惜しみはしないみたいね」
「さっきも言いましたが、俺は夕呼先生相手に交渉事で勝てるとは思ってませんよ。もちろん無条件降伏もしませんけど」
「ふん。訓練兵としての立場はすぐに手配できる。事故による怪我で長期療養、治ったので復帰で済むわ。OSの方はアンタの仕様説明次第で時間が変わる。アンタの知識に関してはレポート書いて……」
と続けていると、机の書類の下で内線が鳴り響いた。
ちっと大きく舌打ちし、傍目にも判るほどに苛立たしげに内線に出る。
「……なに? …そう……ええ、判ったわ。受け入れの準備はお願い。……仕方ないわね、一度上がるわ」
武からは内容は聞き取れないが、連絡を受けた夕呼の表情が取り繕うことなく硬くなる。間違いなく非常事態だ。
「シロガネタケル、だったっけ? 隣の部屋を開けるから、レポートを纏めておきなさい」
「了解しました」
ここまで夕呼が慌てることは珍しい。反論して時間を取らせる訳にはいかなさそうだ。
ちょっと短めですが、三周目タケルちゃんとしてはXM3関連は外せんだろうということで。あと死んでない?ので立場は訓練兵のままに……