紫黒の因果 01/10/22
2001/10/22 朝鮮半島 鉄原ハイヴ南方
秋晴れの、どこまでも青く抜ける空。
その下に広がる、荒れ果てた荒野の先に見えるのは、不規則な皿のような地盤を積み上げた、巨大なアリ塚とも見える「地表構造物」。一つの山ともいえるほどの巨大さから、距離感が失われてしまう。
――BETA
Beings of the
Extra
Terrestrial origin which is
Adversary of human race
――人類に敵対的な地球外起源種
1958年、米国の探査衛星ヴァイキング1号が火星で生物を発見。
1967年、国際恒久月面基地「プラトー1」の地質探査チームが、サクロボスコクレーターを調査中に、火星の生命体と同種と推定される存在と遭遇。付近にて実弾演習中であった第203調査・観察中隊がこれを救援。初の人類と地球外生命体の交戦が勃発。
この「サクロボスコ事件」を契機にして、異星起源種がBETAと命名される。
以来現在まで30年以上続くBETA大戦がはじまった。
1973年4月19日、中国新疆ウイグル自治区喀什にBETAの着陸ユニットが落下。
人類はじりじりとその版図を削り落とされ、今やユーラシア大陸はそのほぼ全域がBETA支配地域となった。この30年に渡る敗走の象徴こそが、眼前の巨大構造物、BETAの前線基地ともいえる「ハイヴ」の地表構造物「モニュメント」だ。
そのモニュメントを見つめるのは、一見してバラバラな三人。
帝国陸軍の壮年の将官に、「青」の強化装備を身に纏う帝国斯衛軍の若き女性衛士。
そして国連軍C型軍装の、年齢を感じさせない小柄な女性。
それぞれの副官や随行員は、普段よりわずかに離れている。今、彼ら三人の周囲を囲むのは、撮影機材を抱え忙しなく位置を変える広報スタッフだ。日本帝国と国連軍から派遣されているスタッフは、さすがに民間の従軍記者などとは違い、将官に対して無暗な注文などはせず、的確に必要な映像を集めている。
第一、特に注文など付けずとも、文字通りの「前線視察」、ハイヴ地表構造体が目視できる位置に並ぶ高級指揮官たち、というだけでも広報素材として貴重だ。しかも今は作戦開始直前。彼らの背後に並ぶは、日本帝国陸軍の機甲師団に、日米を主体とした国連軍。そして青、赤、黄の色が目立つ帝国斯衛戦術機大隊。兵への士気高揚のための広報映像撮影としては、うってつけであろう。
そんな映像で高揚できるような士気が各軍に残っているかはともかく、政治的パフォーマンスでしかないと三人が三人ともに感じていながらも、その必要性もまた十全に理解している。
一国の中に指揮命令系統が異なる三軍が存在するという、純軍事的観点からすれば唾棄すべき事態。だがそれが現時点ではすぐさま解消できない問題である限り、上に立つ身としては自身を使ったパフォーマンス程度はこなさなければならないのだ。
「作戦開始前のこのような時に、お時間を取らせ申し訳ありません、デグレチャフ事務次官補。それに彩峰中将も」
「いえ崇宰殿。斯衛の大隊指揮官殿と大陸派遣軍司令官殿との歓談の機会というものは、むしろこちらからお願いしたいところでした」
事務次官補と呼ばれた女性は、年齢の判りにくい笑みを浮かべながら応える。距離を取っていた彼女の副官がその表情に驚きを表す程度には、社交辞令ではなく本心からの喜びのようだ。
「本来であれば、対BETA戦の最前線に立ち続けられている次官補殿とは、もう少し早くにお話をいたしたかったのですが……」
「私も同様ですな。かつて次官補殿のお薦めでユーロに参戦した海の者たち、彼らからは会う度ごとに貴女への賞賛を聞かされ続けておりました」
ただ斯衛の指揮官である崇宰恭子にしても、大陸派遣軍司令官たる彩峰萩閣中将にしても、このターニャ・デグレチャフ国連事務次官補との会談はパフォーマンス以上の価値がある。二人としても彼女の持つ見識には多大な敬意を払っている。
国連軍統合代替戦略研究機関(JASRA)。
ターニャが初代局長に就任して、すでに27年。このままでは終身局長かとまで噂されている。これほどまで長きにわたりその地位に就いているという事実は、小柄な女性の特異性の一面でしかない。
彼女の経歴を紐解けば、まさに異常としか言い表せないほどの戦歴である。そもそもこのBETA大戦での始まりともいえる第一次月面戦争から参加し、かつ今なお生き延びているのだ。現在まで続く対BETA戦の基本ドクトリンを構築しただけでなく、ユーロ各地での撤退戦にも参加、そして昨今では極東方面での作戦立案にも関与している。
「初の海外派兵となる大隊の指揮官、それも帝国斯衛のともなればお手隙の時間などありえないことは、理解できます」
恭子に向けたターニャの言葉に偽りはない。
国土防衛、それも突き詰めれば「将軍家」の防衛のみを目的としているのが帝国斯衛軍だ。侵攻能力に重きを置かない防衛隊を、大隊規模とはいえ海外へ派兵し実戦運用する、その指揮官が暇なはずがない。
「我らが大隊も本土で鍛え上げているとはいえ、やはり実戦に勝るものはないかと。整備の者たち含め、経験を積ませてやりたかったのですが……」
「しかし現実は御覧の通り、ですな」
口を濁す恭子に対し、ターニャがどこかしら皮肉めいた口調となるのも仕方が無かろう。
彼らの背後に閲兵式のように並ぶのは全高18メートルほどの巨人ともいえる、戦術歩行戦闘機。BETAの、光線級と呼ばれる対空レーザーにより航空兵力が運用できない現在、対BETA戦の主力を担う人型巨大ロボットである。
だがここに並ぶ戦術機は、数はあれども国連軍と大陸派遣軍はどちらも77式撃震。斯衛のほうも82式瑞鶴のみだ。共に日本帝国において改良が続いており、F-4ファミリーとしては高性能とはいえ、よく言っても第1.5世代機。けして最新鋭とは言えない。
機動力に劣るこれらの機体では光線級吶喊は当然、間引きに伴ってハイヴ浅瀬への侵攻を試みることさえ覚束ない。
(まあ光線級が残っているようなら、あの部隊に対応してもらうとしよう。溜まりに溜まった負債の、その利息分程度は働いてもらわんとな)
最前線のここからでは見えないが、後方に配備されている国連軍内部の「秘匿部隊」。おそらくはこの半島に展開している中では唯一、第三世代機のみで構成された部隊だ。
最悪の場合は、命令系統外のそれを使い潰すことさえ考えながらも、ターニャは表情を動かさない。
もちろん帝国本土であれば第三世代機が無い、というわけではない。すでに世界初の第三世代機と名高い94式不知火は、帝国の本土防衛軍をはじめ、国連太平洋方面第11軍にも秘密裏に連隊規模で配備されている。さらに斯衛であれば前年より00式武御雷の配備が始まってはいるのだ。
ただ、どちらもそれを前線に出せるほどに余裕があるわけではない。
「不知火を配備した大隊をこちらに持ってくるという話もありましたが……申し訳ない」
彩峰中将としても、その表情は苦々しげだ。広報スタッフが並ぶ前で見せる顔では、ない。
朝鮮半島に展開している大陸派遣軍の総司令官たる中将にしてみれば、戦力としては不知火が欲しいのだろう。打診もしたに違いない。だが、現状ここに無いということは、つまり話は話だけで終わったということだ。
そもそも帝国陸軍において最新型と言っていい不知火は、本土防衛軍に優先して配備されている。大陸派遣軍にも回ってはいるが、いまだに十分な数が揃っているとは言い難い。大切な機体を間引きに使用して損耗させたくない、というのも判る。
「斯衛としても、万全の態勢で参加できていないことに変わりありません」
恭子も、自身の機体である青の武御雷を持ち込めていないのだ。
現時点では最強の対BETA用戦術機とも噂される武御雷ではあるが、その性能は余りに犠牲にしているものが多い。年間生産数30機程度という希少性に加え、帝国本土での十全な体制の下でしか運用できないほどに、その整備は困難を極めるという。海外派兵などすれば、一戦するどころか、出撃が可能かどうかさえ覚束ない。
正式配備から一年、実戦証明は欲しいが、損耗は避けねばならない。実戦証明がされていないために、出撃どころか参戦さえもできない。つまりは結局のところ実戦証明も得られない。馬鹿げたループだと一笑するには、武御雷は貴重すぎる。
「いえ、どのような形であれ帝国の方々に半島での作戦行動へ参加していただけたことには、感謝しかありません」
ターニャも国連軍関係者としては、兵力に疑問があるとはいえ、参加そのものには間違いなく感謝している。
国連軍に編入されている日本帝国軍であれば、国連の権限の下で自由に運用できる。逆に言えば、自国外での戦闘に帝国がそれ以上に兵を出す義務はないのだ。日韓の間に防衛協定があるわけでもなく、ここでの戦闘の趨勢が日本帝国の防衛にも大きく利をなす、とはいえ帝国軍の派遣は日本の「善意」によるものとなっている。
「それに今回の作戦は間引きであります。個々の性能よりも、まずは数。質的向上は今後の課題でありますが、揃えられない質には意味もありません」
「そう言っていただけると、私個人のみならず帝国軍としても助かります」
「ははは……斯衛の私には耳の痛い話ではあります」
「いえいえ、我が祖国たる合衆国に対する、同業者にのみ零せる個人的な愚痴、ですよ」
「……ラプター、ですか」
合衆国の傀儡ともいえるJASRA、その局長ではあるが、この事務次官補は対BETA戦に問題ありとすれば議会への殴り込みどころか、クーデターギリギリまで実行すると噂されている。そんな噂の正否はともかく昨今ではG弾ドクトリンと、それに付随する最新鋭戦術機たるラプターへの批判は有名である。
「武御雷は、その生産性と整備性、そこから派生する継戦能力などには問題を感じます。が、短期での決戦能力という点には疑惑はありません。ハイヴへの侵攻も考慮すれば最適とも言えましょう。ですがラプターは、正直どう使っていい物やら」
対BETA戦どころか、中長距離ミサイルの運用できないステルス機が対人戦でなんの意味がある?とまで嘯く。
「それより現状、問題としたいのは……」
同盟国とはいえ他国の人間に、それも国連所属としての立場から続けるにはいささか問題ありと気付いたのか、ターニャはわざと話題を変える。斯衛と帝国軍の将官に、半ば非公式な発言として伝えておきたいことは、細かな戦術機の性能差などではないのだ。
そもそもたとえ最前線で戦うとはいえ、国連軍のみならず帝国の大陸派遣軍も斯衛も、ここでの立場は「支援」だ。
残存する韓国軍とそれを指揮する在韓米軍が主力であり、命令系統の頂点にある。国連軍でさえ米軍の要請によって動いているというのが現状だ。独自判断で行動できているのは、大東亜連合だけであろう。
「国が無くなるという事態に直面しながらも、戦時作戦統制権をいまだ他国に委ねているという事実。もはや驚き呆れるしかありませんな」
命令系統が複雑怪奇なのは撤退戦が続く対BETA戦の常とはいえ、ここまで酷い事例も珍しい。問題はこの朝鮮半島における政治・軍事的問題が、BETA侵攻後も何一つ解決されていないことに起因する。北朝鮮政府が中国共産党の傀儡として、もはや形だけの亡命政府となっている現状であっても、朝鮮戦争が終わったわけではないのだ。
その上で、自国の防衛と避難民の保護及び後方国家への疎開が韓国政府の方針であり、韓国軍はそれに沿って活動している。国連としては「自国の防衛」を拡大解釈して、韓国軍が独自にハイヴへの攻勢を始めない限りは、積極的には介入できない。
「次官補殿の見解としては、やはり……?」
彩峰中将が言葉を濁すのは、ターニャの華々しいまでの「経歴」の一つから推測される事態。いや、彼女が重慶ではなくこの鉄原ハイヴに視察に赴くと聞いた時から、予感していたことだ。
もう15年以上過去の話ではあるが、ギリシア撤退の時にこの事務次官補が取った対応は、軍・政治関係者には有名なのだ。
「バンクーバー協定第六三条、『避難勧告非受諾者に対する例外規定』……ですか」
「ええ、帝国のお二方に見ていただきたいのは、此度の撤退戦。その困難さ。その上で必要となる判断です」
住み慣れた想い出ある土地から離れたくない、という感情は判らなくはない。資産としての金品のみならず、衣類の持ち出しもまあ理解はできる。
ただそれを理由に強制避難勧告まで発令され、撤去期間を過ぎて居座り続けている者たちのために、配下の兵を磨り潰すべきなのかと問われると、多くの指揮官は正しく答えられないであろう。
「ご安心ください、とは言い切れませんが、九州及び山陰からの国外移住は進んでおります」
言外に、韓国軍が無様を晒して避難民の誘導が遅れたとしても放置しておけと告げるターニャ。それを彩峰中将はわざと曲解したうえで、帝国本土の疎開状態の説明に切り替える。
「そういえば東南アジア方面だけではなく、オーストラリア西岸の一部を、帝国は買い取られたのでありましたな」
「海軍の関係で、佐世保や長崎の人員は移動させられませんが、あちらでもいくつかの造船所は動き始めていると報告を受けております」
現在、洋上に展開している対馬級上陸支援ロケット砲艦のうちの何隻かは、そちらで改装された物だという。
重慶にしろ鉄原にしろ、溢れたBETAが次に目指すのは、台湾か九州、本州山陰あたりだろう。
九州は北部に港湾施設や重工業地帯が拡がっている上に、在日米軍が使用する施設も多く、すぐ様に疎開といった処置はとれない。佐世保が使用できなくなれば、第七艦隊の作戦行動にも大きく影響する。
それでも熟練工とその家族などを筆頭に、オーストラリアでの新規事業に向けてすでに移住している者は100万の単位だ。農林水産業関係は移住先の選定と収穫期の問題など困難も多いが、国外の租借地へ移転も始まっており全体的な疎開計画としては進んでいると言える。
ただし元々の人口が少ない山陰地方は、北関東から東北太平洋側への疎開を予定しており、現在のところ緊急時の移動計画のみに留まっていた。
「逆に斯衛の身としてお恥ずかしい話ですが、やはり首都移転が遅れたせいもあり、瀬戸内の移動はまったくと言って進んでおりません」
「それに海のことゆえ詳細は存じませんが、広島を動かすとなると連合艦隊の行動にも大きく制限が出そうですからなぁ」
「やはりそこは難しいでしょうな……いや、これ以上は内政干渉となりましょう」
経済の中心が東京だとはいえ、神戸大阪は首都近郊でもあり、また巨大工業地帯だ。当然の如く人口も多い。その生産設備と人員とを移転することなど簡単なことではなく、計画の目途すら立っていない。一応のところは、今後は瀬戸内の施設拡大は停止し、北関東を中心に設備の拡張を図る、といった程度だ。
まして連合艦隊において横須賀と並ぶ、西の中心ともいえる呉の機能を移転させることなど、出来ようもない。
「さて。名残惜しいですが、そろそろ作戦開始時刻ですか。お二方ともに、ご自身と配下の兵をお護りください」
他国の軍の支援のために自身をすり減らすなという意味を込めて、ターニャは言葉を重ねておく。国連から距離を取っている大東亜や、そもそも政治的にも戦力的にも使いにくい韓国軍よりも、まだしも日本帝国軍は使い道があるのだ。
「はは、ご心配なく事務次官補殿。与えられた役職の中で、最善を尽くして見せましょう」
「では私は戦術機の方で待機しております。また作戦終了後にでも」
作戦開始とはいえ、急ぐことはない。周辺の人員も緊張感はあれ待機のままだ。さすがに広報スタッフは撤収を始めているが、それさえも整然としたものだ。
そもそも一番槍は米海軍からの支援砲撃であり、それで光線級の脅威が排除されるまでは、こちらに出番はない。
「ああ、見えてきましたな……ん、一発だけなのか?」
中将が指し示すのは、遥か高みから落ちてくるそのミサイルらしき飛翔体。
その言葉が、訝しげに途切れる。
今回は軌道投下はないとはいえ、黄海に展開している合衆国第七艦隊からの支援砲撃が始まらない。本来であれば文字通り「弾雨」と表現しうるほどの物量で光線級に対抗するのが常道なのだが、作戦開始時刻になって撃ち下ろされたのは、軌道上からの一発だけだ。
ただ人間側の違和感など関係なく、BETAは迎撃活動を開始し、ハイヴ周辺から幾条もの光線が延びる。
伸びていくのだが、迎撃に撃ち出されたそのレーザーが、飛翔体の周辺で捻じれ、消え去ってしまった。
普段であれば即座に撃ち落されるはずの砲弾がただ一発だけ、どこか舞い散るような速度でハイヴに向かって進んでいく。
その飛翔体は、周囲に渦巻くうっすらと黒紫の歪みに包まれ、それがレーザーを歪めているように見える。
対レーザーコーティングではありえないその光景に、周囲の兵士たちも疑問を抱きながらも、その顔々に僅かに期待を浮かべはじめた。
「総員衝撃に備えるように伝えろっ! 兵は可能であるならば退避壕へ、戦術機も伏せさせろっ、急げっ!!」
だが、ただ一人。ターニャだけがその飛翔体の正体を見抜いていた。そしてハイヴ直上のモニュメントを狙っていたのであろう弾道が、逸れていることにも。
ありえないはずだが迎撃のレーザーの影響か、そもそもの照準ミスか、あるいは何らかの妨害か。
「な、何をおっしゃっておられるのですかっ、次官補殿っ?」
「お二方も、急ぎ退避命令を……いや、最早時間はないようですな。反応が始まってしまった」
どこか諦めたかのような口調と、その視線の先。
音もなく飛翔体は「黒く」光り、のたうつような球状の境界面が拡がってくる。空間を侵食し、消失させる光球。知覚できるはずがないのに、その拡がりが判ってしまう。
(あれは間違いなく、この場にまで影響を与える。いや、離れていても「私」だけは巻き込みそうだな)
諦めたかのような先の口調とは裏腹に、ターニャの表情はひどく歪む。獲物を見つけた猛禽類の如く、壮絶な笑みに。
……狂った時間感覚の中、光の先に、クルミ割り人形が笑ったように見えた。
こういう感じでちょこちょこと原作からズラしながら進めて行こうかと。
ちなみに"Muv-Luv Lunatic Lunarian"準拠ということでターシャ・ティクレリウスさんではなくターニャ・フォン・デグレチャフさんです。たぶんこのころで70才前後?