各々の視点について、以下に考え方を詳述する。
(1)個々の国民に対する感染症の予防・治療に重点をおいた対策
- 現行の伝染病予防法は、明治30年に「伝染病の防御の機を失せず病毒の襲来を防ぎ病勢の頓挫を期すべく予防上至上の効果を収むべきを信ずる」との趣旨で制定されたものである。現行法は、コレラの年間患者数・死亡者数が10万人を超える年もあるといった制定当時の状況を背景に、伝染病の拡大防止といった集団の感染症予防に重点を置いており、患者・感染者が良質かつ適切な医療の提供を受け、早期に社会生活に復帰できるようにするといった発想は乏しかった。
しかし、今日にあってはワクチンや抗生物質の開発に代表される医学・医療の進歩、公衆衛生水準の向上等に伴い、多くの感染症の予防・治療が可能になってきている。このため、個々の国民の感染症予防及び良質かつ適切な医療の提供を通じた早期治療の積み重ねによる社会全体の感染症予防の推進に重点を置くことが必要である。その際、感染症情報の収集・分析とその結果の国民への提供・公開を進めていくことが重要である。
(2)患者・感染者の人権の尊重
- 現行の伝染病予防法は、集団の感染症予防に重点を置いてきたことから、人権の尊重に配慮した法律とは言い難い。今回の見直しに当たっては、患者・感染者を社会から切り離すといった視点で捉えるのではなく、患者の人権を尊重し、差別や偏見なく一人一人が安心して医療を受けて早期に社会に復帰できる等の健康な生活を営むことができる権利、個人の意思の尊重、自らの個人情報を知る権利と守る権利等に配慮することが重要である。例えば、たとえ患者・感染者が入院治療を要する場合でも、可能な限り個人の意思を尊重し、自らの症状、入院治療の必要性等についての十分な説明と同意に基づく入院を促すといった当該患者の自覚に基づく入院を基本に考えることが重要である。その上で、入院命令やその実効性を確保する措置の発動を限定的なものとすることが必要である。さらに、限定的に、入院命令といった措置が発動される場合でも、明確な措置の発動基準に基づき所要の行政手続を通じたものとする。なお、国内に居住・滞在する外国人についても、国民と同様の取扱いとすることが必要である。
(3)感染症類型の再整理
- 現行の伝染病予防法においては、法定伝染病として11疾病、指定伝染病として3疾病、届出伝染病として13疾病が規定されている。しかし、既に法定伝染病としての対応が不要となっている痘そう、日本脳炎が法定伝染病に残る一方、エボラ出血熱等の対策の必要性が国際的に求められている感染症が規定されていないといった問題を有している。さらにワクチンや抗生物質の開発・普及に代表される医学・医療の進歩により、感染症に罹患したとしても多くの場合、病状が速やかに回復に向かい、感染力が早期に減弱・消失するようになってきている。したがって、一定期間の隔離といった措置を一律的に講ずる必要がなくなっていること等、感染症を取り巻く状況の変化も生じている。
感染症対策の見直しに当たっては、最新の医学的知見に基づいて、各感染症の感染力、感染した場合の重篤性、予防方法や治療方法の有効性等の再評価に基づく感染症類型の再整理が必要である。その結果に基づいて、患者・感染者の早期社会復帰を支援するための良質かつ適切な医療の提供や感染発生・拡大防止のための必要最小限で均衡のとれた行動制限を行っていくことが重要である。
(4)感染症の発生・拡大を阻止するための危機管理の観点に立った迅速・的確な対応
- 今日においては、1年間に数万人単位でコレラの患者・死亡者が発生するといった事態は想定し難くなってきている。しかし、国際交流の活発化や航空機による大量輸送の進展により、原因不明の感染症や感染力が強く重篤な感染症の発生・拡大の危険性が指摘されている。そのため、地球的規模の感染症発生動向調査を進めるための体制等の構築に努めるとともに、予期せぬ大災害や犯罪・事故による病原体の放出といった事態に備えて、危機管理の観点から、国・地方公共団体が連携をとって総合的な対策を迅速かつ的確に講じることができる体制の整備が必要である。
(5)上記の視点を実現するための法体系の整備
- 上記の基本的方向・視点を具体化するためには、伝染病予防法の改正に向けて感染症、医療機関、行動制限、手続保障等に関する施策類型の整理を行うとともに、国と地方公共団体、国内防疫と検疫について、現有の人的・組織的資源とその限界を踏まえつつ、今後のあるべき体制整備と連携を図る必要がある。特に、実効ある感染症対策を講じていく上で国内外を含めた感染症情報を継続的かつ的確に収集・分析し、その結果を国民に対して提供・公開することにより、国民自らが適切な対応を図ることができる仕組みの確立に資する法体系の整備が必要である。
また、伝染病予防法以外の感染症対策関連法規については、上記の各視点を踏まえた改正、あるいは新しい法体系への統合が考えられる。各法の目的と対象とする感染症の性質の差異、近年の改正の状況、関係者の意見、国民意識の動向等について整理した上での対応が望まれる。
以上のことから、本委員会としては、伝染病予防法の改正を中心にすえた法体系の再構築を行うことを提言する。