「私を『性奴隷』とは呼ばないで」 従軍「慰安婦」問題への、男としての後ろめたさ

文=李龍徳
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 ハンギョレ新聞(韓国の新聞)に寄稿されたキム・ヨンヒ延世大学国文科教授・延世大学ジェンダー研究所長の文章の一部を引用する。

「日軍慰安婦」をめぐる言説の場の歴史は、五十年間は沈黙の暴力で覆われた時間であり、その後三十年間は他者化の暴力に覆われた時間だった。

 ここでいう、沈黙の暴力で覆われた「五十年間」とはもちろん自らの体験を表に出すことすらできなかった期間を指すのであり、また、他者化の暴力に覆われた「三十年間」とはつまり、さまざまな政治的思惑によって勝手に役割を当てはめられた期間を指すのだろう。ところでこの「他者化の暴力に覆われた」との表現に、小説書きである私は、「物語化された」との同型のピースを思わずにはいられない。そして別の罪意識を抱えそうになるが、そちらへの内省はまた違う機会にしよう。

 「私を『性奴隷』とは呼ばないで」と李容洙さんは言った。李容洙さんが望む理想のかたちは何か。金学順さんは一九九七年に亡くなった。金学順さんが本当に望んでいたことは何か。「他者化の暴力」を避け、彼女たちひとりひとりの声に耳を傾ける。外の世界を凝視しつつ、鏡像としての我が身を見ることも怠らない。今後は、そうでありたい。反抗心ばかり育った中学生のときのあの卑劣さを、金学順さんが亡くなったというニュースをまるで覚えてないその情けなさを、私は繰り返したくない。

(※本稿の初出は『yomyom vol.63』(新潮社)です)

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