(C)橘蓮二
(※本稿の初出は『yomyom vol.63』(新潮社)です)
一九九一年八月十四日、金学順さんが元「慰安婦」として初めて顔と実名を出して記者会見をした。当時私は中学三年生。在日韓国人として生まれたということは政治的人間としての自意識を強いられることだから、戦時下暴力のことはいやでも耳に入ってきていたはずなのに、その記者会見についての記憶はおぼろげだ。若さのせいか? しかし、この会見から強い衝撃を受けた同世代の女性たちが少なからずいたことを、のちに私は知る。彼女たちは金学順さんの勇気に心を打たれ、日常と非日常とのあいだに亀裂が走るのを見た。私はそうではなかった。そのときの金学順さんにどれほどの恐怖と覚悟とがあったのかということに思いを馳せず、私の日常はそれからも安穏と続く。
二〇二〇年五月七日、および同月二十五日、元「慰安婦」である李容洙さんが二度にわたる記者会見を行った。その内容とは、元「慰安婦」支援の市民団体である正義連(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)を非難するものである。
要約すれば、二〇一五年の「慰安婦」をめぐる韓日協定における日本側からの十億円拠出を、尹美香(ユン・ミヒャン)前代表(今は与党側の国会議員となっている)だけが知っていたのではないか。元「慰安婦」支援との名目で集められた募金がほとんど自分たちのためには使われてない。「慰安婦」問題がまだ解決していないのに、尹美香前代表が国会議員になるべきではなかった。水曜デモ(毎週水曜日に在韓日本大使館前にて行われる抗議デモ)は学生の貴重な時間やお金を、ボランティアや寄付金として費やさせている。水曜デモはもう終わらせ、日韓の若者たちは親しく交流しなければならない。私がなぜ性奴隷ですか。その汚い「性奴隷」という言葉をなぜ使うのか。