日本人は無宗教だと言われるし、自分自身でも「無宗教」だと平気で言う。
「家の宗派は浄土真宗ですが」みたいに。
そして、たぶん、日本人の中でも、もっともこだわりがないのが神戸だと思う。
なぜなら、たとえば「イスラム寺院」と「ユダヤ教会」が、同じ中央区にあるだなんて、全国で神戸だけ。
それだけ「国際的」・・・さまざまの国の人がやって来た・・・証拠と言えばそうだけど、
もともと神戸に「宗教アレルギー」がなかったからこそ、できたことだと思う。
江戸時代は、それでも締め付けが厳しいから
六甲山塊の南は「臨済宗」北は「曹洞宗」と幕府の指示で分けられていた。
だから、禅宗の寺は今でも、このとおりだよ。
それから、山田町13ケ村のお寺は、隣同士宗派が違う。
浄土真宗の隣は真言宗、そして禅宗、浄土宗、真言宗・・・お隣同士は同じ宗派が許されなかったという。
この政策によって、「一向一揆」が未然に防げる。
村人は、神社も寺もお隣同士別々だから、大集会を開けない。
宗教は奈良時代の昔から、国政を預かる者には脅威だった。
単に反体制を嫌っただけではなく、この宗門をわける政策は、さまざまの宗派に生活の糧を与えた。
江戸時代って言うのは、ほんとうにすごいね。
それでも、一番多いのは「門徒ともの知らず」と言われた「浄土真宗」だと思う。庶民の宗派だから。
おしなべて禅宗と日蓮宗は、武士階級が好んだ。
真言宗はお公家さん、
庶民は浄土真宗・親鸞さん
「なんまんだぶつ」いうてたら、ええねん。
それで極楽にいけるさかい。
「え?極楽ってほんまにあるか?てか」~そんなもん行て見てきたもんがないねんから、わからへん。
ええねんて、いらんこと考えんと、
なんまんだぶつなまんだぶつ・・・ありがたい・ありがたい・・・いうて心をわずらわせずに暮らしたらええねん。
仏壇になにをどうお供えするとか、形とちがうねん。心やねん。
仏さんはな、我が子のように人を愛してくださるんやで、
殺生やかて、漁師が、そんなこと気にしたら生きて行かれへん。
なんまんだぶつ言うとき!
庶民は、都合のよいように解釈して、神様も仏様も、自分らを助けてくれるのが仕事やと勘違いして、気楽にやってきた。
こうせなあかん。というこだわりがない。
だから、外人がいろんな宗教を持ち込んでも、気にしなかったんだろうね。
そもそも宗教に大きな価値観を持ったり、すがりつく風情がないから、
邪魔くさいご禁制を破ってまでマリア様に入れ込んだりしない。
そもそも自然環境が厳しかったり、作物の出来が悪くて、食って行くだけで精いっぱいという土地なら、人々は、何かにすがらないとやっていけない。
神戸は、もともと、すがらなくてもやっていける。
だから、戦後の新興宗教にも染まり方が薄かった。
確かに「学会さん」は折伏大行進をやったみたい。
北区の市営住宅では、そのとき、のきなみ学会になったと聞いたよ。当時の北区は貧しかったからね。
大震災の倒潰家屋からオウムの武器が見つかったことがあった。
「神戸にもオウム信者はいるんやで」と警察に言われて驚いた。
もしかしたら、神戸が宗教に無関心な顔をしているのは、案外、いろんなものに出会って免疫がついているからかもしれないね。
醒めきっている。
「貧・病・争」が、人々が神仏の救いにすがる三大要素。
その苦しみごとが少ない豊かな土地柄、よそものが出会う十字路、来たものには愛想よくして帰す、いちいち異邦人に心を動かされない。
こういう気質が神戸でひとつの宗教が爆発することを許さない。
だからと言って、岡山のように神道系の独特の宗教が深く根付いているわけではない。
こういう風土だから、本来の神戸市民だけだったら、来年の市長選挙で「維新やみんな」に投票するはずないのだけど・・・東灘区は、ほぼリトル・トーキョーだからね。もう、古き佳き神戸は夢のまた夢・・・ほんと、震災以後の神戸って植民地みたい。リトル・トーキョー。
公害をきらって、重工業を追い出した。
あのころ、昔からの金持ちの勢いがそがれたのかなあ・・・
「神戸の名士」という人たちが見えなくなった・・・神戸製鋼所のだれそれ、とか岩井産業の岩井さんとか、岡崎さんとか、もともとの金持ちは高い文化を持っていたのだけど、こういう気風が消滅したのが大震災だった。
だから、ま、ひらたくいえば、公明党・学会が推せば勝つ・・・普通の街になってしまった。
クリックよろしくお願いします。
行路遭難者の碑
天竺から来たって?
仙人伝説
長田神社の追儺式
よそ者が居心地のいい街
客人(まろうど)文化
国際色豊かな寺院たち
英国国教会
クリックよろしくお願いします。
「家の宗派は浄土真宗ですが」みたいに。
そして、たぶん、日本人の中でも、もっともこだわりがないのが神戸だと思う。
なぜなら、たとえば「イスラム寺院」と「ユダヤ教会」が、同じ中央区にあるだなんて、全国で神戸だけ。
それだけ「国際的」・・・さまざまの国の人がやって来た・・・証拠と言えばそうだけど、
もともと神戸に「宗教アレルギー」がなかったからこそ、できたことだと思う。
江戸時代は、それでも締め付けが厳しいから
六甲山塊の南は「臨済宗」北は「曹洞宗」と幕府の指示で分けられていた。
だから、禅宗の寺は今でも、このとおりだよ。
それから、山田町13ケ村のお寺は、隣同士宗派が違う。
浄土真宗の隣は真言宗、そして禅宗、浄土宗、真言宗・・・お隣同士は同じ宗派が許されなかったという。
この政策によって、「一向一揆」が未然に防げる。
村人は、神社も寺もお隣同士別々だから、大集会を開けない。
宗教は奈良時代の昔から、国政を預かる者には脅威だった。
単に反体制を嫌っただけではなく、この宗門をわける政策は、さまざまの宗派に生活の糧を与えた。
江戸時代って言うのは、ほんとうにすごいね。
それでも、一番多いのは「門徒ともの知らず」と言われた「浄土真宗」だと思う。庶民の宗派だから。
おしなべて禅宗と日蓮宗は、武士階級が好んだ。
真言宗はお公家さん、
庶民は浄土真宗・親鸞さん
「なんまんだぶつ」いうてたら、ええねん。
それで極楽にいけるさかい。
「え?極楽ってほんまにあるか?てか」~そんなもん行て見てきたもんがないねんから、わからへん。
ええねんて、いらんこと考えんと、
なんまんだぶつなまんだぶつ・・・ありがたい・ありがたい・・・いうて心をわずらわせずに暮らしたらええねん。
仏壇になにをどうお供えするとか、形とちがうねん。心やねん。
仏さんはな、我が子のように人を愛してくださるんやで、
殺生やかて、漁師が、そんなこと気にしたら生きて行かれへん。
なんまんだぶつ言うとき!
庶民は、都合のよいように解釈して、神様も仏様も、自分らを助けてくれるのが仕事やと勘違いして、気楽にやってきた。
こうせなあかん。というこだわりがない。
だから、外人がいろんな宗教を持ち込んでも、気にしなかったんだろうね。
そもそも宗教に大きな価値観を持ったり、すがりつく風情がないから、
邪魔くさいご禁制を破ってまでマリア様に入れ込んだりしない。
そもそも自然環境が厳しかったり、作物の出来が悪くて、食って行くだけで精いっぱいという土地なら、人々は、何かにすがらないとやっていけない。
神戸は、もともと、すがらなくてもやっていける。
だから、戦後の新興宗教にも染まり方が薄かった。
確かに「学会さん」は折伏大行進をやったみたい。
北区の市営住宅では、そのとき、のきなみ学会になったと聞いたよ。当時の北区は貧しかったからね。
大震災の倒潰家屋からオウムの武器が見つかったことがあった。
「神戸にもオウム信者はいるんやで」と警察に言われて驚いた。
もしかしたら、神戸が宗教に無関心な顔をしているのは、案外、いろんなものに出会って免疫がついているからかもしれないね。
醒めきっている。
「貧・病・争」が、人々が神仏の救いにすがる三大要素。
その苦しみごとが少ない豊かな土地柄、よそものが出会う十字路、来たものには愛想よくして帰す、いちいち異邦人に心を動かされない。
こういう気質が神戸でひとつの宗教が爆発することを許さない。
だからと言って、岡山のように神道系の独特の宗教が深く根付いているわけではない。
こういう風土だから、本来の神戸市民だけだったら、来年の市長選挙で「維新やみんな」に投票するはずないのだけど・・・東灘区は、ほぼリトル・トーキョーだからね。もう、古き佳き神戸は夢のまた夢・・・ほんと、震災以後の神戸って植民地みたい。リトル・トーキョー。
公害をきらって、重工業を追い出した。
あのころ、昔からの金持ちの勢いがそがれたのかなあ・・・
「神戸の名士」という人たちが見えなくなった・・・神戸製鋼所のだれそれ、とか岩井産業の岩井さんとか、岡崎さんとか、もともとの金持ちは高い文化を持っていたのだけど、こういう気風が消滅したのが大震災だった。
だから、ま、ひらたくいえば、公明党・学会が推せば勝つ・・・普通の街になってしまった。
行路遭難者の碑
天竺から来たって?
仙人伝説
長田神社の追儺式
よそ者が居心地のいい街
客人(まろうど)文化
国際色豊かな寺院たち
英国国教会
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