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<Infinite Dendrogram>-インフィニット・デンドログラム- Another Episode 作者:海道 左近
46/46

遥かなる渇き 結

(=ↀωↀ=)<17巻作業なかったので早めにできました

 □■ある日の別れ


 ある日の晩、バルタザール・グランドリアは私室で独り、酒を飲んでいた。

 テーブルの対面には、中身が入ったまま誰も手を付けていないグラスがある。


「…………」


 誰もいない対面の席を見ながら、バルタザールはグラスを揺らす。

 討伐艦隊が【モビーディック・ツイン】の撃破を果たしてから、<Infinite Dendrogram>の時間で二週間が過ぎた。

 犠牲者達の合同葬儀や作戦参加者への論功行賞も済み、ようやく事態は終結したと言える。

 しかし、問題もあった。

 【大提督】醤油抗菌の不在である。

 彼は合同葬儀を済ませた後、ログアウト(地球に帰還)したまま戻ってこない。

 友の仇である【モビーディック・ツイン】を討伐はしたが、それで友や犠牲者が戻ってくるわけではない。

 そんな状況で自身に向けられる賞賛には思うところがあったのだろう。論功行賞など、受けたくもないということだ。

 その気持ちは、彼と同じくカイナルを弔うバルタザールも理解できた。

 バルタザールとカイナルは共に先代の船団長であり、同年代のライバルとして競った仲でもある。

 ゆえに、全てが済んだ後にこうして独りで弔っている。


「次は儂か……マーヴィンのアニキか」


 バルタザールは既に自分の老いを実感している。

 そして、彼より年嵩の現大船団長マーヴィン・グランバロアは、ベッドの上から起き上がれない日が増えた。

 遠からず、老人である自分達はこの世を去るだろう。

 そしてその後の……次世代のグランバロアはきっとそれまでとは違うものになる。

 <マスター>達と歩む国になるはずだ。

 いや、そうでなくては……生き残れない。

 元よりこの世界の海は魔境。グランバロアの建国前は『処刑場』と同義だった。

 そんな環境に立脚して先人達は国を築き上げ、バルタザール達は国を護ってきた。

 だが、今回の事件は脅威の桁がまるで違った。

 情報のみ存在した<SUBM>という存在との、初めての交戦。

 もしも<マスター>達がいなければ、もしもカイナル達が先に交戦してデータを得ていなければ、グランバロアは滅んでいただろう。

 バルタザールには確信がある。

 【モビーディック・ツイン】は終わりではなく、幕開けに過ぎない。

 今後、より大きな脅威が現れてくるだろう。

 そうなれば……ティアンだけでは命を繋げない。

 ゆえに、<マスター>との協力は不可欠だ。


「今更か」


 協力しなければ、この世界()では生きてはいけない。当然のことだ。

 だからこそ……この国は六〇〇年以上も存続できたのだから。


「…………さて」


 不意に、バルタザールは椅子から立ち上がって後ろを見る。

 そこにあったのは、開かれてもいない窓だけ。

 窓の外には街灯の光と大海原の星空があり、聞こえてくるのは波の音だけ。

 だが、バルタザールはふうと溜息を吐いて、


バカ娘(・・・)。こんな夜更けにイタズラか?」


 そこに誰かがいるように、声をかけた。

 果たしてその声を契機として、室内の様相が変わる。

 空気から染み出るように……空気操作による光学迷彩(ミラージュ)を解除して、ミイラのような装いの少女が現れる。

 言うまでもなく、ゼタだ。


「……疑問。なぜ、分かったのですか?」

「さあな。何となくだ」


 バルタザールは本当に、何となくそう思っただけである。

 グランドリア家に限らず、四大船団長家には時折勘のいい人間が生まれる。

 一説には四大船団長家には長い歴史の中で、初代大船団長グランバロアの……特殊超級職【先導者】の血が入っているためとも言われている。

 しかしながら初代ほど世界に導かれ、人々を導く人物は確認されていない。

 もしもそんな人間がいるとすれば、それは……。


「それで、何の用だ。別れ(・・)でも告げに来たのか」

「……………………何故」


 自分の侵入だけでなく、『目的』まで言い当てられたことにゼタは驚く。

 しかし、そちらは勘ではない。

 バルタザールがこの三年少々、ゼタと接していて気づいたことである。


「いよいよ。本当に盗賊になる気になったってことだろう?」

「…………」

「まぁ、お前さんが【盗賊(ジョブ)】に就いたころから、こんな日が来るかもしれんとは思っていたさ」


 犯罪者としての盗賊と、ジョブとしての【盗賊】は違う。

 <Infinite Dendrogram>において【盗賊】は【海賊】同様にジョブの一つであり、必ずしも犯罪者とは限らない。

 有用なスキルもあり、AGIも高く、対人能力も高い。

 また盗む・奪うとは広義には敵対者を弱める行為だ。

 海賊船団においても公的な敵対者――他国の違法船や犯罪者――から盗賊系統のスキルで盗んだものは、国の重要物品を除きボーナスとして懐に収めていいことになっている。

 より多く稼ぎたいがために【盗賊】に就く者は珍しくない。

 しかし【盗賊】でもゼタは真面目であり、単に盗むだけでなく潜入任務でも活躍していた。

 それゆえ大恩あるバルタザールを助けるため、そんなジョブに就いたと思われていたが……。


「お前さん。『バカが価値を無駄にする』のが大嫌いだろう?」

「…………」

「だから大っぴらに相手から『価値』を剥奪できる盗賊系統に就いた」


 ゼタは無言のまま感心し、感動さえしていた。

 『ああ、ちゃんと自分を理解してくれているのだな』、と。

 かつて「『親代わりになってやる』なんて上から目線の物言いはしねえ」などと言っていた老人だが、……やはりゼタにとっては七人目の親と言える人物だったのだ。

 子供(ゼタ)のことを、よく見ている。


「肯定。私はこの世界に足を踏み入れ、常識を学んでいたころから……ずっとその思いを抱いていました」


 自らの信じる『価値』を低く扱う世界そのものが嫌いだと自覚したのは、<超級>に至る前。

 しかしその前から自覚していたのは、『価値を無駄遣いする人間』が嫌いだということだ。

 貴重な品々を粗雑に扱う者。

 消化もしきれぬほど飯を食う者。

 他者から(価値)を無理やり搾りとっては眺めるだけで満足し、腐らせる者。

 ゼタにとって、そうした存在は以前から不快だった。

 だから【盗賊】となり、バルタザールが言うように愚か者から『価値』を奪っていたのだ。


「これまでは、海賊船団のクエストの範疇でその衝動を解消してきました」


 仕事にかこつけて小遣いを増やす他の【盗賊】と何も変わらない。

 むしろ、より悪い。

 彼女が奪うのは『価値』あるもの。

 しかし他者の『価値』を奪ったからとて、必ずしも彼女がそれを活かせるわけでもない。

 そうした時点で、彼女も『価値を無駄にする人間』である。


 『木乃伊取りが木乃伊になる』、とでも言ったところか。


 それでも、『やめる』という選択肢は……ついぞ感情が許さなかったが。


「ですが……」


 俯きながら、言葉を続けようとするゼタ。

 しかし彼女がその言葉を発する前に、バルタザールが言葉を述べる。


「もう抑え(・・)が効かんのだな」


 自分が言おうとした言葉を先に言われて、ハッとバルタザールを見る。


「バカ娘。敵や犯罪者から盗むだけではもう駄目なのだろう?」

「…………はい」

「この国への親しみを、根柢の怒りと妬みが上回りかけている(・・・・・・・・)、か」

「……本当に、私のことをよく理解されていますね」


 犯罪者ではない、無辜の民。

 そうだとしても、彼女の地雷を踏むことはある。

 日々の生活の中で、視界の端で、何気ない行為が彼女の怒りと妬みを刺激する。

 今は自制している。耐えている。

 だが、そろそろ……限界が来る。


「限界。私はもう我慢できません」


 理性ではなく、感情による発作的な衝動を止められるかは、ゼタにも分からない。

 彼女はもう、自覚している。

 彼女の世界にはなかったものを知ったがゆえの、欲望。

 あちらでは欲しても手に入らない『価値』を無為にされる、怒り。

 そして、満ち足りていることに無自覚な者達への……妬み。


「欲するモノを奪い、気に食わぬ行いに怒り、妬ましいモノを殺す。自らの価値観を他者に押しつける生き方に……歯止めが掛けられなくなる」


 この地で不幸な顔をしている人間でさえ、本当(リアル)の彼女に比べれば満ちている。

 他の人間にとって隣人は友であろうと、敵であろうと、無関心であろうと、存在する。

 空気など、『吐いて(・・・)捨てるほどある』。

 誰と触れ合うこともなく、空気さえも自分で作り上げなければならない世界に生きているのは……彼女だけだ。

 求める欲望、妬みの殺意。

 そのどちらもがこの数年で彼女の中に蓄積し、既に心は破裂寸前だった。

 自分はこのまま、何事か(・・・)をするだろうと……ゼタは自覚している。

 しかし……。


「去就。だから、罪人として去ります。憎い世界でも、皆さんが好きだから。危害を加えないうちに……去ります」


 衝動をこの国の人間で発散しないために……彼女は国を去る決意をした。

 この国で彼女は昏い衝動を溜め込んだ。

 しかしそれはこの国……バルタザール達が愛と共に与えてくれたからこそ、だ。

 欠けたものばかりの彼女を救ってくれたと知っているから、彼女はその恩義を忘れない。


「そうか」


 バルタザールは引き留めない。

 引き留めて衝動が抑えられるなら……この聡い娘は出ていく選択などしないからだ。


「罪人として、と言ったが指名手配になる気だな。……儂らが疑われんように」


 このままゼタが出国したとしても、グランバロアに所属したまま。

 単に国籍を外しても、グランバロアの外部工作員になったと邪推されるだろう。

 だからこそ、『グランバロアにとっても犯罪者である』という証拠がいる。


「何をする気だ。いや、何をしてきた(・・・・・・)?」

「…………」


 ゼタは無言で、懐からあるものを取り出した。

 それは古い繊維質の紙で……何事かが書かれた【誓約書】だ。


「……おい、バカ娘。それはうちの国の重要文化財(国宝)だぞ。国営博物館に忍び込んだのか?」

「理解。分かっています。けれど、指名手配されるような品で、盗んでもあまり迷惑の掛からないものがこれしか思い浮かばず……」


 ゼタの言葉に、バルタザールは顎に手を当てて呻く。

 彼女が言うように、それは盗まれてもあまり問題がない代物だ。

 なにせ、既に期限(・・)が切れている。効果としては紙くずだろう。

 しかし同時に、人類唯一と言っていい宝でもある。


 なぜならそれは――世界最大最強の生物(・・・・・・・・・)と人類の交わした誓約の証明。


 伝説に伝わる最初の<四海走破>、最後の試練での一幕。

 これの存在自体が、建国の伝説を証明している。

 それゆえ厳重に保管されていたが……【盗賊王】にして<超級>であるゼタならば盗み出せもするだろう。


「貴重。価値で言えば一番は【グランバロア号】ですが、技術的にも心情的にも盗めません」

「そりゃそうだろう。盗めたら大泥棒にも程があるぞ」

「次点。あとはオルカも候補だったのですが……。いなくなると海賊船団の仕事が差し支えるでしょうし、子供達も悲しみます」

「あいつにはお前も懐いてたからなぁ……」


 結局、今では文化財に過ぎない紙が一番マシである。


「……やれやれ、明日の朝は大騒ぎだな。儂の仕事も増えるだろうし、エドワーズがお前を追うだろう。コーキンの奴も飛んで戻って来るかもな」


 国宝を盗まれても、バルタザールには今すぐ通報する気はなかった。

 止めても止まらない以上、誰かを呼べば無駄に被害が出る。


「謝罪。ご迷惑をおかけします。けれど、覚悟の上です」

「お前さん、妙に思い切りがいいのは誰に似たんだかな」

「…………」


 ゼタは目の前の老人を見ながら、包帯の内側で微笑んだ。

 それからゼタは【誓約書】を懐に戻して……代わりにアイテムボックスを一つ取り出した。

 グランバロアでは潜水艦などに使われる気体用のアイテムボックス。気体の温度等もそのままの状態で閉じ込めておけるので使い方によっては冷房器具や暖房器具にもなる。

 しかし、従来品よりも少しばかり武骨な作りであり、破損しにくいようになっている。


「進呈。【誓約書】の代わりになるかは分かりませんが、せめてこれを受け取ってください」

「ふむ。……お前、これに()を詰めた?」


 察しの良い育ての親は、ゼタが寄越したアイテムボックスがどういう類のものかも予想がついていた。

 対して、ゼタは悪びれもせずにこう述べる。


戦術核(・・・)。三重水素を核融合反応寸前の状態で封じてあります。アイテムボックスの破壊と同時に、半径一キロは消し飛びます。出奔のお詫びに残します」

「…………」


 どこの世界に詫びで核兵器を置いていく娘がいるというのか、……火星にはいたらしい。

 バルタザールも詳細の理解まではできていないが、<遺跡>から出土する先々期文明兵器レベルの危険物であることは分かった。


「……まったく、お前という娘は……」


 呆れるやら、驚くやら。老人の心臓に悪いが、しかしこの手先は器用ながらも心は不器用な娘なりの誠意と受け取った。

 実際、今回の【モビーディック・ツイン】のような事態になれば役立つかもしれない。


「…………」


 置き土産も渡し終えたゼタは、数歩後ろに……窓に近づく。

 その動きを見て取って、バルタザールが声をかける。


「ゼタ。別れの挨拶は儂のところだけか?」

「肯定」


 こうなる前に親しい者達とは顔を合わし、普段通りの会話を交わしただけだ。

 チェルシーは何か察している様子だったが、踏み込んで聞いてくることはなかった。

 ああ見えて、距離感を大事にするクールな友人だった。


「お前さんが去ると寂しく思う者も多かろうがな」


 ゼタは他の船団からは畏れられていたが、海賊船団には慕う者もいた。

 その理由も、彼女の性質によるものだ。

 彼女は『価値』を無駄にされることを嫌う。

 しかし奪えない価値として『才能』があり、それらの無駄遣いも彼女には不快だった。

 だから、せめて無駄遣いとならないように、彼女が溜め込んだ知識で矯正することを日常的にやっていた。

 そのこともあって、彼女は海賊船団の中では尊敬と親しみを得ていたのである。


「まぁ、儂の方から上手く説明しておくさ」

「感謝。ありがとうございます」


 ゼタはペコリと頭を下げて礼を述べた。

 それから顔を上げて……。


「別離。それでは失礼します。……お世話になりました」


 今度こそ、別れの言葉を告げた。

 ウラノスの大気操作が触れぬままに窓を開けて、海洋の夜風が部屋に吹き込む。


「ああ。……いつか帰ってこいとは言わん。お前も覚悟を決めてのことだろう」


 月明かりと星空を背負ったバカ娘に、バルタザールも別れの言葉を告げる。


「ただまぁ、そうさな」


 それから、ふと思いついたように自分の顎を手で撫でて、


「いつか儂の訃報でも聞いたときは、海に花の一つも投げてくれや」


 そんな、頼み事をした。


「……ロマンチックなことを言いますね」

「海に生きているんだ。ロマンの一つにも被れるさ」


 老人はそう言って、ニヤリと娘に笑いかけた。

 娘もまた、老人のジョークに笑って……。


 夜風が吹いたとき、その体を夜に溶かして……風のように去っていった。


 ◇◆


 それがゼタとバルタザール……グランバロアとの別れだった。

 この後、ゼタは国宝を盗んだ咎で指名手配を受ける。


 そしてゼタは海を渡って大陸に至り、そこで新たな出会いを得る。

 とある<マスター>……<マスター>達との遭遇。


 本来は手段である犯罪こそを望む無貌の怪物。

 無尽の手を尽くして一人を救おうとする男。

 殺人鬼のスイッチを持ってしまった不死身の少女。


 四者四様の犯罪者達が集い、争い、しかして結ぶ。

 彼女の新たな物語へと、シフトする。


 Episode End

(=ↀωↀ=)<ゼタの過去編終了


(=ↀωↀ=)<次はコメント返しを挟み、ちょっと準備してから本編二日目です


(=ↀωↀ=)<作者が明日ワクチン二回目打ってくるので


(=ↀωↀ=)<それも踏まえて更新日は様子見させてください



○ゼタ(本編)


(=ↀωↀ=)<本編では戦争前に謀略込みで皇国に所属していますが


(=ↀωↀ=)<あのときは結構抑えが効いてました


(=ↀωↀ=)<何でかと言えば国が飢えて民衆が『価値』を所有していないからです


(=ↀωↀ=)<また、ターゲットになりやすい悪徳貴族は内戦で粛清済み


(=ↀωↀ=)<地雷踏まれることが少なくてわりと心穏やか


(=ↀωↀ=)<そして過去一才能無駄遣いだった閣下の矯正とかしてました


(=ↀωↀ=)<強いて言えば、時々<LotJ>所属の遊戯派が地雷踏んで消されてました



(=ↀωↀ=)<ちなみにカルディナや黄河で活動していた頃は絶好調でした


( ꒪|勅|꒪)<どういう意味でだヨ……



〇置き土産


(=ↀωↀ=)<南海編読んだ人はもう知ってるあれ


(=ↀωↀ=)<有効活用されました

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