石版に刻まれた「百済斯麻王」という文字が目に入ると、発掘団は興奮を抑えることができなかった。「武寧王です!」--。「斯麻」は百済第25代王、武寧王(在位501-523)のことだ。1971年7月8日、忠清南道公州市で埋葬された人物が特定できる韓国古代王唯一の墳墓が盗掘されていない状態で姿を現した。歴史学と考古学の記念碑的事件だった武寧王陵の発掘から8日で50周年を迎えた。それは「失敗を乗り越えた里程標」だった。 ■世界競争力ランキング10位は米国、中国20位、韓国23位、日本は? ■偶然の発見と12時間の「拙速発掘」  武寧王陵を確認する3日前、公州市の松山里古墳群で排水路工事の途中、作業員のシャベルに見覚えのない煉瓦の角が引っ掛かった。それまで知られていなかった百済の煉瓦積み古墳の出現を受け、金元竜(キム・ウォンリョン)国立博物館長をはじめとする発掘団が急きょ派遣された。発掘は7日午後に始まり、墓の中から埋蔵人物が誰なのかを記録した誌石を発見した。金館長は取材陣の前で、武寧王と王妃の墓であることを明らかにすると皆が興奮した。公州の百済王朝の墳墓はこれまで全て盗掘されたと考えられていたからだ。  周囲が急かすので、発掘団が焦り、実測と撮影をざっと終えた後、4600点余りに及ぶ遺物を12時間で急いで掘り出した。当時学芸員として現場にいた趙由典(チョ・ユジョン)元国立文化財研究所長は「現在ならば少なくとも1年かけるべき発掘を拙速に終えたのは恥ずかしいことだ」と振り返った。 ■韓国古代史の秘密を明らかにしたプレゼント  そうは言っても、武寧王陵の発掘は「古代史のブラックボックスを開けた」と言えるほど大きな成果だった。国宝に指定された遺物だけで17点に上った。金製の冠帽装飾は百済の芸術的な境地を物語った。王の装飾は火が立ち上るように躍動的で、王妃の装飾は花瓶の中でハスの花が咲いているように優雅だった。また、金の耳飾り、首飾り、神獣が描かれた鏡、枕、墓の入口に置かれたグロテスクな鎮墓獣(墓を守る獣)の彫刻など「Aクラス」の遺物がまとめて見つかった。

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