SOUL REGALIA   作:秋水

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※21/09/27現在、仮公開中。
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第四章 太陽を撃ち落とす日
第一節 夕日に染まる帰り道


 

 照明を抑えられた薄暗く、そして決して広くもない室内。

 分厚い樫の一枚板で作られた堅牢な扉。

 置かれた円卓は、部屋に対してやや大きく、余計な圧迫感を醸し出している。

 扉の向こうの廊下はさらに暗く、すれ違うだけでは顔も見えないほどだ。

(いかにも密談いう感じやなぁ)

 水割り――しかも、酔わないようにめっちゃ薄い――の入ったグラスを揺らしながらぼやく。

 実際、それを売りにした店ではある。……もちろん、馬鹿正直に看板に書かれているわけではないが。

 他の部屋も片っ端から暴いていけば、オラリオで噂される陰謀の一つくらいは暴けるかもしれない。

(いや、本当に後ろ暗い連中がこんな場所使うわけないか)

 ――と、いう心理的な死角を突いてくる輩もいないとは限らないが。

「それじゃ、まずはお互い生きて再会できたことに乾杯でもしようじゃないか」

 うちがしょーもない戯言を弄んでいると、ヘルメスがいつもの軽薄な声で言った。

 いや、今回ばかりは『いつもの』とは言い切れないか。

 何しろ、ヘルメスは未だ右腕を魔道具(マジックアイテム)――治療用の補助具(サポーター)で覆ったままだ。

 というか、普通に治療院から抜け出してきている。しばらく安静にしているよう言われているくせに。

 ちなみに、同じく入院中のアスフィたんは同行していなかった。

 ……あの生真面目なアスフィたんが主神の護衛を休むとなると、よほど傷は深いらしい。

(アレを避けて通るくらいの分別はあると思っとったんやけどなぁ)

 まさか、全力でちょっかいを出しに行くとは。

 しかも返り討ちに合った挙句にこの調子とは、図太いというか何というか……。

「まー、ホンマによう生きとったとは思うけどな」

 もっとも、流石に直接本人に手を出したわけではないようだが。

 ……まぁ、それでも殺されかけた事には何の変わりもない。

 あと、とばっちりで殺されかけたアスフィたんにとっては災難以外の何物でもないだろう。

「ああ。驚くべき幸運だな」

 内心で呻くと、ディオニュソスまでが嘆息した。……いや、一週回って驚嘆の吐息かもしれない。

「はっはっは! そう褒めないでくれ!」

 褒めてはいない――と、ディオニュソスが口の中だけで呟くのが聞こえた。

 いや、単なる幻聴かもしれない。うちも同じ事を呟いたから。

 とはいえ、実際によく生きていたものだとは思う。

(相変わらず容赦ない奴やな)

 ヘルメスに傷を負わせたのは、いつものアレだった。

 別口で手に入れた情報によると、リヴィラの冒険者を唆してドチビの子供――噂の『世界最速兎(レコードホルダー)』に嗾けたらしい。

 保護していたフィン達――つまり、幹部達(主力陣)――が帰還した直後に仕掛ける辺り、流石と言わざるを得ない。

 と、それはそれとして。

(ファイたん基準(スケール)でもアウトやな)

 適当な造語を生み出しながら……まぁ、納得する。納得するしかなかった。

 まして、ドチビの子供はアレもだいぶ気にかけているらしいし。

 ……まぁ、この男の場合は今さら改めて原因など追加する必要もないとは思うが。

「ヘルメスは自業自得だとして」

「おいおい、それはあんまりじゃないか?」

 バッサリと切り捨てようとしたディオニュソスにヘルメスが絡む。

「……【リトル・ルーキー】の探索に出向くなら、私に話を持ってきても良かっただろう」

 面倒くさそうな顔をしたディオニュソスが、もう一度ため息をついた。

 無視するよりは相手にした方が面倒が少ないと判断したらしい。

「私もヘスティアとは知らぬ仲ではない。それに、ダンジョンの閉鎖が解かれてすぐ、フィルヴィスがダンジョンに向かったからな」

「そーいや、レフィーヤが喜んどったなぁ」

 何でも心配して会いに来てくれたんだとか。

「そのついでに彼らを保護するくらいは……いや、確かにフィルヴィス一人で三人を連れ帰るのは少し荷が重いかもしれないが。まして、あの時のダンジョンでは」

 多少言いよどんでから、肩をすくめる。

「しかし、そもそもロキの子供たちが保護していたのだ。あとはお前が余計なことをしなければ『神災』など生じるはずがない」

 ディオニュソスの言う通りだった。

 そもそも、ダンジョン内に神が入らなければ――正確に言えば、ダンジョン内で『神威』を放たなければ、だが――例の『厄災』は生まれ出ない。

 モンスターにビビったドチビがやらかした可能性も皆無ではないやろ――と、思わないでもないが。

(でも、ドチビはドチビで意外とガッツあるからなぁ)

 たった一人しかいないとはいえ、眷属のためにダンジョンに突貫していく程度には。

 それで天界に送還されていたら色々な意味で笑い話にしかならないが。

 天界に送還される時に発生する『神威』は、多分ヘルメスがばら撒いた量に勝るとも劣らないのだから。

「手厳しいなぁ。オレだって必死だったんだぜ?」

「そら否定せんけど。そんなら巻き込まれた子供達も同じやろ」

 もっとも、ヘルメスを止めなかったという意味では、うちも無関係ではない。

(ギルドにその辺のことをゲロってなければええけど)

 とはいえ、うちらはうちらであんまり選択の余地がなかったわけやけど。

 何にしても、この神については色々と過小評価していたことを認めざる得ない。

(まさか、本気でやるとは……)

 いや、確かに『神会(デナトゥス)』でも、『厄災』を利用してアレを抹殺するという提案をしていたが。

(大体、アレが素直に生まれ出た『厄災』と刺し違える保証がどこにあんねん)

 冷静に考えれば、アレがオラリオのために命を懸けるかどうかからしてまず怪しい。

 と、いうか。下手をすれば、『厄災』と一緒に神蓋(バベル)を破壊するかもしれない。

「いや、ロキ。そんな目で見ないでくれ。オレとしても、今回の一件は不本意な結果……アレを退場させるためじゃなくて、オレ自身が生き残るための苦肉の策だったんだ」

 そのツケを子供らに支払わせとれば世話ないわ――と、内心で吐き捨てる。

 ギルド(ウラノス)が緘口令を出したせいで、詳細は不明だ。

 ただ、それでも、第一報を届けに来た子供らの話からすると、七年前の『厄災』と類似した何かが暴れまわったのは間違いなかった。

 せめてもの救いは、産出されたのが一八階層とあの時よりは浅いことだろう。

「それで、ヘスティアはどうなったんだ?」

 薄い水割りに顔をしかめながら、ディオニュソスが訊ねた。

 香草や果汁で味を調えているため、飲めない味ではない。だからと言って、美味い訳でもないけど。

 ただ、それでも酒の神のお眼鏡には到底及ばない代物だった。

 ちなみに、うちが聞いた話だと昼頃にダンジョンから戻ってきて、そのままギルドに連行されたらしい。

「ヘスティアかい? オレと同じく、厳重注意と罰金刑だよ。ま、金額はオレよりだいぶ安いけどね」

「まぁ、聞く限りあのドチビがやらかしたんはダンジョン入ったことだけやしな」

 金額の差は当然だろう。まず派閥の規模からして違う……と、言う以前に。

「そら、ドチビは居合わせただけやしな。罰金も『居合わせた分』だけやろ」

「おいおい、ヘスティアの肩を持つなんて珍しいじゃないか」

「そういう問題やないわ、このドアホ」

 大げさに驚いた顔をするヘルメスを睨み返す。

 そら、あのドチビがギルドに絞られたことはいい気味やと思うが……しかし、話を聞く限り、神威をばらまいたのはヘルメスだけだ。

 つまり、『厄災』が産出されたのもコイツのせいということになる。

 単にダンジョンへ立ち入っただけのドチビとはやらかしたことのヤバさが違う。

 それに、少しでもタイミングがズレていたら、普通にうちの子らも巻き込まれているところだ。

 ……いやまぁ、それに関してはうちも共犯っちゃ共犯になるけども。

(ただでさえリヴェリアにガチ目に怒られたいうのに)

 妖毒蛆(ポイズン・ウェルネス)の毒だけでも手一杯だというのに追い打ちをかけてくるとはどういう了見かと。

(けど、その特効薬を買うためだったんやけどなぁ)

 それに、この優男の派閥から買うおうのはうちの発想やない。ベートの発案や。

 と、いうことはベートも悪い。おのれ、あのツンデレ狼。あとで覚えとれ。

 ――と、ベートを巻き込んで心の安定を図ったところで、思考を真面目に働かせる。

(『神殺し』の集団か)

 ヘルメスの持ち込んだ情報は、決して目新しくはなかった……が、だからこそ有益でもあった。

 特に、リヴェリアがいるうちの派閥にとっては。

「ま、ええわ」

 水割りを煽ってから、本題に入った。

「ほな、情報交換といこか。それぞれ成果はあるようやしな」

 うちらは例の『新種』について。ヘルメスはメレンについて。

 そして、ディオニュソスは――…

「ああ。もっとも、私の方はさほど派手さはないが」

「けど、そっちも無視できんくなってきとる」

 ディオニュソスには、例の『落穂拾い』と『太陽の戦士』とやらについて情報を集めてもらっていた。

『落穂拾い』――ホークウッドは今さら言うに及ばず。

『太陽の戦士』はメレンで暴れた『赤黒い人影』――ついにギルドから正式に『闇霊』と呼称された存在に似ているからだった……が。

「どうやら、噂の『太陽の戦士』こそアレの関係者っぽいしな」

 本人――というか、生身の状態――と共闘したベートが言うのだからまず間違いない。

 名前はソラールとか言ったか。

「ああ。……結論から言えば、どちらも地上で生活している。ホークウッドに関しては、おそらく第四区画のどこか。もう少し絞るなら、『歓楽街』近郊に拠点を持っているようだ」

「『歓楽街』やて?」

 つい最近まで【ガネーシャ・がミリア】――いや、ギルドが介入しづらい地域だった。

 一方で、近郊となると【イシュタル・ファミリア】の方も充分にその力を振るうことはできない。

 そういう意味では、オラリオの『死角』と言ってもいいだろう。

「ああ。ちなみに、【エブラナ・ファミリア】なる派閥は存在しない。少なくとも、ギルドには登録されていない」

「まぁ、そーやろな。そもそもエブラナなんて神はうちも知らんし」

 今さら驚くまでもない。そのホークウッドいう奴もアレと同じくうちらの血を寄る辺にはしていないというだけの話だ。

 予想通り。ただそれだけの事だった。

「ホンマにLv.3いうなら『神会(デナトゥス)』でも普通に名前が挙がっとるやろ」

 もっとも、ギルドにランクアップを申請していないというのであればどこぞの優男も同じことだが。

「ソラールの方はよく分からない。時折は第三区画で目撃されているようだが……」

「第三区画か。まぁ、あそこも人の出入りは多いからね。多少変わり者がいても噂になりにくい」

 ふむ――と、顎先に手を当てながらヘルメスが呟いた。

 ヘルメスの言う通り、第三区画は催しのための観光客や旅人用の区画だ。

 例えば『怪物際(モンスター・フィリア)』の会場である闘技場なんかもここにある。

 他にも外からきた商人が屋台を広げる市場(マーケット)も有名だ。他に旅の演劇団とかがいることもある。

 そして、そういった商人や観光客、旅人が泊める宿も多数存在しているわけだ。

 もちろん、定住するための家もあるが……まぁ、顔見知りを作りづらい場所ではあるだろう。

「他にもギルド管轄の施設が多数存在する。念のためね」

「ま、そうやな」

 露骨に釘を刺してくるディオニュソスに肩をすくめて見せる。

 ギルド云々というなら、そもそも闘技場自体がギルド管理だったような気もする。

 ……いや、その割にガネーシャの趣味が随所に見られるけども。

(そーいや、【ガネーシャ・ファミリア】のお膝元でもあるな)

 まぁ、単純に本拠(ホーム)がそこにあるという意味だが。

「彼にもギルドが関与しているのかい?」

「可能性はある。どうやら【ガネーシャ・ファミリア】が手を回しているらしい」

「何やて?」

 ……どうやら、ガネーシャも無関係ではなさそうだった。

「彼の拠点を探ろうとすると、必ずと言っていいほど【ガネーシャ・ファミリア】の団員に邪魔をされる。もちろん、露骨なものではないが」

「なら、その団員に訊いてみればええやろ」

 何しろ、(うちら)に嘘はつけないのだから。

「無論、試してみたとも。だが、末端の団員はその意味を知らされていないようでね。これといった成果はなかったよ」

 そこまで含めてガネーシャの仕業だろう――と、ディオニュソスが肩を落とした。

「正確には、彼というよりは特定の場所に他派閥の団員や主神が近づくと警戒するよう命じられているようだ。もっとも、ブラフも混じっていて、どこが本命かはまだ分からないが」

「動員できる人員はぶっちぎりやからなぁ」

 あそこは人数だけで見ればオラリオ最大派閥と言っていい。

 強硬な手に出るならまだしも、そうでないなら人手はただいるだけで脅威だった。

(いや、脅威いうんはちょっとアレやけど)

 別に【ガネーシャ・ファミリア】と敵対する気はないんやし。

 ただ、今の状況だと障害であることも確かだった。

(と、いうか。そのソラールいう奴の居場所を隠すのはウラノスの命令いうことか?)

 ウラノスとガネーシャが手を組んでいるのは周知の事実だ。

 というか、別に隠されてもいない。むしろ、当然の話だ。

 都市運営を担うギルドと憲兵の連携ができていないなら、その方が問題だろう。

(けど、こうも密約が多いとなると……)

 いや、それも必然か。

 仮にも憲兵を担っている派閥とギルドのやり取りが筒抜けだったら、その方が問題だった。

 うちらでも簡単には情報を手に入れられないのは、両者が真面目に危機管理をしている何よりの証拠といえる。

 問題は、アレやその関係者の情報の秘匿は、本当に都市の管理運営に必要なことなのかどうか。

 オラリオを守るための英断なのか、それともウラノス自身の思惑によるものなのかだ。

「私としては、ホークウッドの方が渡りはつけやすいと思うが……」

 それは間違いない。

 何しろ、たとえ地上で出会えずとも、リヴィラの街に出向けば概ね決まった場所にいる。

 それに、ディオニュソスの話を聞く限り、ギルドとの接点も少ない。

 とはいえ。

「ホークウッドの方とはほぼ没交渉っぽいしなぁ」

 テーブルに突っ伏しながらぼやく。

 これ以上突っ込めば、最悪敵対しかねないらしい。

 とはいえ、ソラールはソラールでアレの関係者だ。仮に居場所を特定できたとしても、迂闊に手は出せない。

 手詰まりという状況は少しも好転していなかった。

(やっぱ、ガネーシャが手を回してるいうんはちょい気になるな)

 もっとも、それを言うならガネーシャはアレも一応は抱え込んでいるわけやけど。

(他にアーロンとかいう奴もおるんやったな)

 そっちはどうもタケミカヅチの奴がよく知っとるっぽいけど。

 正直、タケミカヅチというのは盲点――というか、まったくの想定外だった。

(でもまぁ、武人肌いうやつっぽいし、妥当っちゃ妥当やな)

 落ち着くところに落ち着いていたと言ってもいいだろう。

 しかし、そうなると結構強固な繋がりの可能性が出てくる。

 迂闊にタケミカヅチを(つつ)くのはマズい。

(アレと同類なら、神嫌いかもしれんけど……)

 しかし、ソラールは『太陽の光の長子』なる神を()()()()()()らしい。

 そっちと同じだった場合はかなり悲惨なことになりかねない。

 例によって、接触は慎重に行うべきだろう。

(うちらはただ情報が欲しいだけやのになぁ)

 敵対するとかしないとかはその後の話だった。

 そもそも、別に悪だくみをしているわけではない。

 むしろオラリオのためを思って動いているのに、何故ここまで苦労しているのか。

「それで、ロキ。君の方はどうだった?」

「おいおい、そっちはメインディッシュじゃないか。先に俺の話を聞いてくれよ」

「それは間違いではないが……どういう売り込みをしてくるんだ、お前は?」

 謎の絡まれ方をするディオニュソスを横目に見ながら、フィン達からの報告を思い出す。

(いよいよ面倒なことになってきとる)

 何しろ、フィン達からの報告――その後の会議も含めて――は、頭痛のタネしかなかったのだから。

 

 …――

 

 時は遡って今日の昼下がり。

 遠征後のあれこれ――例えば【ステイタス】更新とか――がそれなりに終わった後。

 多分、ドチビが帰ってきたか来ないかくらいの頃の話だ。

 

「さて、それじゃあ、例の『闇霊』について少し分析してみようか」

 フィンを筆頭とする幹部と幹部候補が食堂に集まっていた。もちろん、うちも同席している。

 フィンの言葉から分かる通り、残念ながら打ち上げではない。

 ごく真面目な帰還報告(デブリーフィング)だった。あるいは、普通に会議(ミーティング)というべきか。

 まぁ、遠征明けで疲れとるのも分かるし、一応珈琲や紅茶くらいは用意してあるけども。

「僕達が実際に交戦した『闇霊』は前衛型と魔導士型の二体。まず前衛型と交戦した僕の所感を伝えようと思う」

 全員が頷くのを見てから、フィンは続ける。

「力だけを見れば、オッタルと互角かそれ以上。一対一、真正面からの打ち合いなら、僕はいずれ打ち負けていただろう」

 その言葉に、全員が戸惑いの表情を浮かべた。

 理由は単純で、告げた内容に反してフィンが小さく笑っていたからだ。

「あくまでも、真正面から足を止めて打ち合った場合なら、だ。そうでなくても、それなりに苦労はしただろうけどね」

「どういう意味ですか?」

 代表して問いかけたのはレフィーヤだった。

「そのままの意味さ。力だけを見ればオッタル(Lv.7)級と言っていい。でも、全体をみれば精々がLv.5ってところかな」

「どういうことなの?」

 続けて、ティオナが首を傾げる。

 実際、フィンが言っていることはおかしい。……冒険者の感覚で言うなら。

 もちろん、それぞれアビリティには偏りが生じるのが普通だ。ただ、そこまで極端に差が出るわけでもない。

「ラウル。あの時、強行突破を決断した理由を簡単に説明してくれるかな?」

「は、はいっす!」

 その闇霊との戦闘で転機となったのは、ラウルの突貫だったらしい。

 普段の様子を考えれば、確かに珍しいくらいの思い切りだった。

「例の『闇霊』は、団長の防御を崩すギリギリまで攻めていたにも関わらず、最後の一押しをしようとしなかったのはみんなも気づいたと思うっす」

 その言葉にしっかりと頷いたのは、実はリヴェリアだけだったりする。

 まぁ、他に例の怪人(クリーチャー)らしき『仮面』とか、芋虫型の『新種』とかに囲まれててかなり危なかったと聞いている。

 余裕なんてなかったのは想像に難くなく……そんな中でも、ちゃんと見て考えられるから、ラウルは幹部候補の筆頭になっているのだ。

(その凄さに本人が一番気付いてない言うんがなー…)

 その辺で一皮剥けてくれるええんやけど――なんて、主神としての親心はさておき。

「その理由は何かを考えた時、クオンさんが昔言っていたことを思い出したんです」

 ラウルがアレと繋がりを保っているのは、派閥内では公然の秘密だった。

 そもそもラウルとアレの関係の始まりはフィンの命令によるものだ。

(当時はちょっと無謀すぎると思ったんやけどなぁ)

 うちの心配を他所に、何だかんだとそれなりの関係を維持し続けている。

 安心していいのかはちょい微妙なところだけど。

「何を言ってたのよ?」

「『極振り』っていうのがいないって言ってたんです」

「『極振り』……?」

 ラウルの回答に、問いかけたティオネが首を傾げた。

「ええと、でたらめな『魔力』を持っている反面、『力』がなくて普通の剣もまともに振れない人って意味みたいっす」

「いや、そりゃいないでしょ。普通に考えて」

 ティオネがさらに困惑したように呻く。

 もちろん、困惑しているのはティオネだけではない。同席する誰もが首を傾げている。

「そう。僕達冒険者にはいない」

 そんな中で、フィンが頷く。

「どれだけ『力』のアビリティを伸ばさなかったとして、一度でもランクアップしていればその力は常人のそれより遥かに上になる。だから、ラウルが……クオンが言うような現象は起こりえない」

 視線が再び集まる中、冒険者にとっての『常識』を改めて言葉にする。

 そのうえで、でも――と、フィンは言った。

「闇霊……おそらく、クオン達にとっては起こりうることだと考えていい。実際、あの闇霊はその傾向が見られたからね」

「『力』だけを高めたってことか?」

「ああ。ベートの言う通りだ」

 頷いてから、フィンが続ける。

「一撃は重かった。だが、それだけだ。それを充分には使いこなせていなかった。おそらく、僕らの【ステイタス】とは内訳からして異なるんだろう」

「何でそう思うの?」

「あの闇霊が足りていなかったのは、おそらく『持久力』。それが足りなかったがために、武器を振るい続けることができなかった」

 もっとも、本当の意味で『疲労』が蓄積しているようにも見えなかったけど――と、アイズの問いかけに答えてからフィンは肩をすくめた。

「あとは武器の選択が甘かったのが幸いしたね。もう少し取り回しやすい武器で間断なく攻められていれば、流石にしのぎ切れなかった」

 それはそうだろう。『力』の差に押し切られていたはずだ。

「ンな雑魚がLv.5相当だってのか?」

「あくまで僕の感覚だけどね。それに、ラウルの参戦がなければ僕も攻めきれなかった。決して侮れる相手じゃない」

 下手に深入りして、直撃を許せば確実に戦闘不能になっていた――と。

 フィンの言葉に、ベートが舌打ちした。

 とはいえ、それもまた当然の話だろう。

 その闇霊は一撃の重さにすべてをかけていたということになる。

 ならば、その一撃を喰らえば、流石のフィンでもただでは済まない。

「おそらく、闇霊やクオン達は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだと思う。僕らよりもずっと効率的にね」

 フィンと対峙した闇霊は『力』を優先的に高めていたということだろう。

 今のところ、その推測を否定する要因は特に思いつかなかった。

「でも、私達だって得意なアビリティはあるでしょ。それと同じことじゃないの?」

 ティオナが素直に首を傾げた。

 別にその疑問を抱いているのは彼女だけではあるまい。他の幹部候補たちの何人かも頷いている。

「そうだね。例えばティオナ。君に魔法が……分かりやすく、攻撃魔法が発現したとしよう」

 小さく笑ってから、フィンがその質問に応じる。

 うん、と素直に頷くティオナに頷き返してから、彼は続けた。

「君の場合、今まで『魔力』のアビリティは全く育っていない。でも、『中層』……いや、『下層』のモンスターには問題なく通じるだろう」

「えーと……。うん、それは、多分通じると思うけど……」

 ティオナが曖昧に頷く。

 これはうちの勘やけど、フィンの質問が難解と言うより、単に魔法を使っている自分が上手く想像できていないだけっぽい。

「じゃあ、それは何故か分かるかい?」

「え? ええと……Lv.6だから?」

 つい今しがた()()()()()()()()()()()のティオナが首を傾げる。

 正解だった。……まぁ、ティオナ本人はダメ元で言ったっぽいけども。

 

 ちなみに。

 今回の『遠征』では、ティオナの他にティオネとベートがLv.6にランクアップしている。

 僕らは残念ながらLv.7になれなかったが……それでも、これでLv.6が七人集まった。

 それだけ見ても、有意義な遠征だったと言っていい。

 もちろん、その分だけ過酷なものでもあったが。

 

「そう。君の中には『魔力』のアビリティにも貯金がたまっているからだ」

 Lv.6として最低限の『魔力』がティオナの中にはある。

 肝心の魔法が発現しないうちは活用できないとしても。

「では、その『魔力』の貯金をそっくり『力』に回せたらどうなるかな?」

「え? えーと……。それは『力』だけ凄く強くなる……あっ!」

「そうだ。君ならアビリティ評価S以上……それこそ、ランクの壁を越えるかもしれない」

「チッ、そういう事かよ……」

 フィンの言葉に、ベートが舌打ちした。

「仮に同ランクだったとしても、奴らの得意な『間合い』で戦う限り俺達が不利になるってわけか?」

「そうだ。例えば『力』に『極振り』した……近接戦特化型の闇霊と対峙した場合、オッタル以上の『力』を秘めている可能性は常にあると考えていい。仮に格下でもね」

 幹部候補たちのみならず、アイズたちまでが表情をこわばらせた。

「ただ、この場合は『魔力』は全く育っていない。つまり――…」

「距離を取って魔法で狙撃すれば簡単に勝てる。そういうことですか?」

「ああ。とはいえ、相手も織り込み済みだろうからね。精々が有利になる程度だと思っておいた方がいい。それに、相手の弓や飛び道具にも注意が必要だ」

 レフィーヤの言葉に、フィンが頷いた。

「だが、あの灰野郎にそういう『穴』があるようには思えねぇぞ?」

「それに関しては僕も同意見だ」

 ベートの言葉にも、フィンは頷く。

「彼は自分たちの力の性質を逆手に取ったんだと僕は考えている」

「どういうこと?」

「常に相手にとって不利な間合いで戦う。それが彼の戦略だろう」

「魔導士には近接戦を挑み、前衛攻役(アタッカー)には距離を取って魔法で攻める、か。確かにあいつの立ち回りはその傾向があるな」

 フィンからアイズへの回答に、リヴェリアが頷いた。

「様々な手を使える。それが奴の強みだ。……色々な意味でだが」

 それは剣とか魔法とかに限った話ではない。

 文字通りに『何でもしてくる』わけだ……と、げんなりとしながら呻く。

「彼が自分など凡庸だという理由もそこにあるのかもしれないね」

「万能と器用貧乏は紙一重じゃからの」

 フィンの言葉に、ガレスもまた頷いた。

「でも、団長。それってあいつや例の『人斬り』の苦手な『間合い』が分かれば私達が有利に立てるってことですよね?」

 一方でティオネが目を輝かせる。

「それは何とも言えないな。今言った通り、ティオナが『魔力』をそれ以外に回したなら、生じる利点(メリット)欠点(デメリット)を上回る」

 まぁ、確かに。冒険者の強さとは別にランクやアビリティだけの話ではない。いや、ランクは確かに大きな壁ではあるが。

 ティオナは元から近接特化型だ。『魔力』のアビリティが喪失したところで今までの立ち回りに何か変化が出るわけでもない。

 それよりも、それ以外のアビリティが強化されたことの方がより強い意味を持つだろう。

「それにさっきベートが言った通り、クオンは『上級中衛職(ハイバランサー)』だと言っていい。『穴』はあるかもしれないけど、それは決して大きくはないだろう。実際、彼は近接戦でオッタルとも充分以上に戦えるからね」

 ティオネが何とも言えない唸り声をあげた。

 フィンの言葉を疑うつもりはないけど、素直に納得もしきれない。まぁ、そんなところか。

「闇霊たちの【ステイタス】は僕らよりも偏りが大きい可能性がある。それくらいで割り切っておいた方がいい。……それこそ、クオンのように偏りの少ないタイプだっているだろうからね」

 今回の結論として、アレはうちらの『恩恵』とは全く別の理によって力を得ているのは間違いないという訳だ。

 もっとも、別にそんな結論で、はいおしまいとはいかない。

「とはいえ、ティオネの言葉も正しい」

 他にも考えないといけないことは色々とあるのだから。

「闇霊に関して、【象神の杖(アンクーシャ)】から別の情報がある」

 紅茶で唇を湿らせてから、フィンは言葉を続けた。

「『ひび割れた赤い瞳のオーブ』……あの時、仮面(クリーチャー)が使った魔道具(マジックアイテム)の名前だけど。それが用いられた場合、その『瞳』に魅入られた存在と同程度の力の持ち主が呼び出されるそうだ」

「でも、フィン。それならあの時の闇霊は……」

 首を傾げたのはアイズだった。

 実際、フィン達が交戦した闇霊は、アイズを基準に呼び出されているはず。

 なら、Lv.6相当と考えるのは別におかしくない。

「どうやらこちらもバラつきがあるようでね。【象神の杖(アンクーシャ)】の時はLv.6相当だったらしい。そういう意味で、僕らは幸運だった」

「まぁ、アイズたんがランクアップしたばっかだったのも良かったんかもしれんなぁ」

 簡単に言えば、まだLv.5寄りだったといえる。

 逆にシャクティはLv.5でも上位の存在だ。

 もちろん、【ステイタス】の詳細は分からないが、ランクアップが見えていたとしても不思議ではない。

「ただ、同ランクが呼び出されるとするなら、今まで話してきた情報は極めて重要だ」

「呼び出された闇霊の得意な間合いで戦えば、それだけで不利になる。そういう事ですね?」

 険しい顔で、アキが問いかけた。

 もっとも、距離によって有利不利が生じるのは冒険者同士でも変わりない。

 例えば同ランクの前衛攻役(アタッカー)と魔導士がいたとして。

 この二人が戦う際に、剣の間合いであればアタッカーが。詠唱できる距離があれば魔導士が有利なのは想像に難くない。

 だからこそ、彼女は危機感を覚えたのだろう。

 そこにランクの壁を超えるほどの偏りがあれば、間合いが勝敗に直結しかねない。

「そうだ。今回は近接戦においてはランクの壁を超越していたといっていい。魔導士型も同様だろう」

「そうだな。あの威力なら、Lv.7と言っていい」

 フィンの言葉に、リヴェリアも同意する。

 アキの表情がさらに強張る。ラウルなんて落ち着くために飲もうとしたコーヒーをひっくり返しかけていた。

「ただ、そう悲観することもない。対処法も示唆されているからね」

「……灰野郎は俺達寄りだってことだな」

 毒づくようにして、ベートが呻いた。

「ああ。クオンの【ステイタス】は偏りが少ない。僕らに近い形だと考えていい。つまり、彼の戦略は僕らも真似しやすい」

「相手の不利な間合いで戦う、か。なるほど、私達にとってはそこまで難しくない」

 剣には魔法で。魔法には剣で。簡単に言えば、そういうことだ。

 ……もっとも、向こうだって自分の苦手な間合いは分かっているだろうし、言うほど簡単なことではないだろうが。

「ええっ?! それならあたしはどうすればいいの?」

 アイズの言葉に、ティオナが声を上げた。

 その問いかけに苦笑してから、フィンは続ける。

「僕らは仲間(ファミリア)だ。いざとなればリヴェリアやレフィーヤを頼ればいい。その代わり、彼女たちが苦手とする闇霊が出た時は君が彼女たちを守るんだ」

「あ、そっか! そうだよね!!」

 ぱぁっとティオナが顔を輝かせた。

 実際のところ、それこそが冒険者(フィン達)最大の強みとなるだろう。

「それに、おそらく闇霊側に連携はない。あっても即席のものだ。まず間違いなく私達の方が有利だろう」

「そうやな。今んとこ、呼び出された先で初めて顔合わせいう感じになっとるとしか思えんし」

 なんかこう、相手の力に合わせて無作為に呼ばれているだけ……つまり、仲間内で集まるとかは難しそうな印象がある。

 うちとしては、リヴェリアの意見に賛成やけど――…

「それに関しては、あまり楽観視したくないな」

 どうやら、フィンはうちとは違う見解を持っているらしい。

「どうして?」

「ベート。君はおそらく、今回の『深淵狩り』で初めて彼と連携を組んだと思うけど、感想はどうかな?」

 アイズの問いかけには答えず、フィンは少し意地の悪い笑みを浮かべてベートに話を振った。

「……確かに即興で俺や猪野郎に合わせてきやがったな」

 忌々しそうな言葉に頷いてから、フィンはさらに付け足した。

「ホークウッドやソラールも出会ったばかりの冒険者と即席のパーティを組んでいるようだからね。彼らは即興で連携を組むことに馴れている可能性は充分にある」

 なるほど、元々そういう状況がよくあることなら、対応の一つも身に着けていておかしくないか。

「ってことは、あいつも闇霊ってのになれるってことですか?」

「さて、そこまでは何とも。ただ、やろうと思えばできるんじゃないかな」

「あのバケツ頭……ソラールって野郎と同じ『太陽の戦士』って奴らしいけどな」

 何か、やたら微妙な顔でベートが呻いた。

 まぁ、その『太陽の戦士』いう噂はうちも聞いたことあるし、ベートが嫌いそうな話だと思うけども。

「確かにそれは反応に困る話ね……」

「今んとこ金ぴかのアレに助けられた言う話は聞かんけどなぁ」

 まぁ、アレに助けられたいう話を冒険者が好き好んでするかと言われると、それはそれで微妙だったりするが。

「クオンが闇霊になれるかどうかはともかく」

 苦笑してから、フィンが話を戻した。

「闇霊の対応策はこんなところかな。もっとも、これだけで例の『人斬り』に対応できるとは思えないけど」

 チッ――と、ベートが忌々しそうに舌打ちする。

「けど、そいつが闇派閥(イヴィルス)と手ぇ組んどるなら無視はできんしなぁ」

「ロキの言う通りだ。それに、デーモンについてもまだ詳細不明だからね」

「『深淵』という呪詛(カーズ)も無視できんの」

「ああ。せめて神ウラノスがもう少し情報を公開してくれると助かるのだが……」

 最後に、リヴェリアが深々とため息をついた。

 

 …――

 

(それな。ホンマに)

 ――と。改めて、リヴェリアの言葉に同意してから。

「なぁ、ヘルメス。自分、ウラノスのクソジジィとも繋がっとるやろ。そっちの情報も少し吐けや」

「おいおい、まだメレンの話の途中だぜ?」

「ンなもん、結局手出しできんいうだけのことやろ」

 実際のところ、他の結論は考えられない。

 現時点で、オラリオの勢力はメレンからほぼ締め出されている。

 例外は【ガネーシャ・ファミリア】だけだ。

「確かにガネーシャとニョルズの間の密約は気になるけど、どうせそっちは探れんのやろ?」

「まぁね。とはいえ、大体想像はつく。ロキ、君だって同じだろう?」

「……まぁ、例の『新種』をしばらくロログ湖で飼う気やろな」

 メレンの苦境は、根本的にロログ湖の漁獲量低下にある。ギルドからの関税すら、そこから派生している問題と言える程に。

 んで、その原因がモンスターだというのも否定しようがない。

 ここにあの『新種』に他のモンスターを襲う習性があることを加えて考えれば……まぁ、大体その辺りに着地する。

「モンスターにモンスターを駆除させるいうんは、悪くない考えやと思うけどな。『強化種』さえ生まれないなら」

「では、ウラノスは【ガネーシャ・ファミリア】にあの『新種』を調教(テイム)させるつもりだと?」

「いや、流石にそら無理やろ。代行できるモンスターが見つかるまでの繋ぎくらいやないかな」

「オレもそう思う。そして、そうだとするならまさにガネーシャ達の独壇場ってわけさ」

「思い切りが良すぎる方法だが……本当にそんなことができるなら、確かにメレンにとっては朗報だろう。それどころか、オラリオにとっても悪い話ではないな」

 白身魚は白ワインによく合う――と、ディオニュソスが笑う。

(まぁ、そら悪い話やないけども)

 干しイカは麦酒(エール)はもちろん、極東の酒にもよく合うし。

 それに、真面目な話、オラリオ外の派閥のおかげで小康状態にある地上と違い、海洋のモンスターはほぼ野放しだ。

 ウラノスたちの策略は、その状態に一石を投じることになるかもしれない。

(んー…。でも、何かこう、ちょっと思い切りが良すぎんか?)

 ギルド――というか、ウラノスも、ガネーシャも。あるいはニョルズすら。

 モンスターを……まして、得体のしれない『新種』を相手への対応としてはやたら寛大というか……。

(まぁ、ニョルズにある程度の信頼があるんは分からんでもないけど)

 いや、それを信頼と呼ぶかはともかく。

 ただ、どうやってかは知らないが、あの『新種』に襲われない――もしくは、襲われにくい――方法を知っているのだろう。

 メレンの漁獲量が回復してきたのはここ数年の話だ。つまり、その間はうまく手懐けられていた実績はあると言える。

 それに、何も例の調教師(テイマー)一派を眷属の仇と考えているのはディオニュソスだけではない。

 ガネーシャもまた眷属を失っている。あの『新種』を餌に連中を釣り出そうとしている可能性も充分にある。

(けど……何か微妙に腑に落ちんなぁ)

 ガネーシャが眷属の仇がどうこうというだけの理由でメレンを危険に晒すというのがまず考えにくい。

 仮にウラノスが言い出したとしても、それを拒否するのがガネーシャだろう。

 ……まぁ、メレンの状況自体がそう簡単に割り切れないというのも確かだろうが。

(どういう手を使っとるかは知らんけど、外から来た船が『新種』に襲われる可能性は常にある)

 が、いなくなったならまたメレンの漁礁は壊滅の危機に晒されるだろう。

 外の船の安全を優先するか。それとも、メレンの漁師が干上がるのを防ぐか。

 どちらが正しいかは、正直何とも言いがたい。

(かといって、アレが脅して無理やりそうさせたいうのもなぁ)

 それはそれで、どうだろうか。

 何でアレがメレンの懐具合を気にするとか何とか……とにかく、疑問しか残らない。

「その『悪夢』の最中に、例の『新種』も目撃されたんやろ? そいつらの出所は分かったんか?」

「【ガネーシャ・ファミリア】の動きを見る限り、密輸品と同じルートが使われたようだ」

「つまり、()()()()()()()()()()()()()と?」

「『陸路』と断言はできないな。何しろ、その密輸ルートが分からない」

「メレン……せめて、ニョルズたちの協力は得られないのか?」

「無理だ。今はオラリオそのものに対して風当たりが強い。ニョルズでもオラリオの肩は持てないだろう。ついでに言えば、持つ気があるかどうかも分からない」

 もどかしそうに、ディオニュソスが爪を噛む。

(けど、こればかりは仕方ないなぁ)

 メレンでは前回の一件でかなりの死者が出ているらしい。

 被害拡大の一端をギルドが担っていることは疑いなく……さらに、元々重い関税を課して苦しめてもいる。

 関税(それ)もまた原因の一端だとすれば、恨むなという方が無理な話だ。

 まして、まだ件の『悪夢』から覚めて日が浅い。オラリオ(うちら)がメレンに冷静な対応を期待することの方が傲慢だろう。

(おのれ、ロイマンめぇ……)

 思わず呪詛の念を送る……が、ロイマン――と、いうかギルドにも言い分はあるわけで。

 実際、ギルドがメレンに巨額の投資をしているのは事実だ。それによって、メレンも多くの恩恵を受けていることも。

 だから、オラリオとしてはせめて投資した分だけは元を取らせろと言うのが正直なところだろう。

 メレンが悪いのかオラリオが悪いのか。そんなものは、判断した本人の立ち位置の差でしかない。

(本気のマジで面倒な話になってきたな……)

 だから、面倒なのだ。

 元々微妙な均衡で保たれていた場所を盛大に蹴りつけられ……さらに余計な追い打ちがかかるかもしれない。

 それは、最悪は致命的な破綻に繋がりかねない。そして、破綻すれば双方に被害しか残らないのだ。

 とはいえ、メレンを全く無視できるかと言えば――…

「あくまでギルドを……ウラノスを疑うというのであれば、()()()()()()()()()は極めて重要になる」

 そうはいかないのだった。

「もう一つの『大穴』か」

 言うまでもなく、海にもモンスターは跋扈している。

 それは誰もが知っている事だが……しかし、かつてその事実は大いなる謎でもあった。

 何故なら、当時はダンジョンの出入り口はオラリオ……バベル直下の『大穴』しかないと思われていたからだ。

 だが、違った。

 ダンジョンに繋がる『大穴』はもう一つあったのだ。

 そう。ロログ湖の湖底に。

 そして、それが封印されたのは一五年前に過ぎない。

「ウラノスとガネーシャとニョルズが組んでいるなら、その封印を破るのも不可能とは言えないだろう」

 あくまで、ディオニュソスだけを見てヘルメスは肩をすくめる。

「もっとも、オレとしてはいくら何でも現実性がないと思うけどね」

「…………」

 不快そうに唸ってから、ディオニュソスは薄い水割りを一息飲み干す。

 考えても見れば、ヘルメスはウラノス寄りの存在だ。

 もちろん、完全なる弁護者ではないだろうが……。

(まぁ、バランスはええかもしれんなぁ)

 もっとも。そうなると、うちは中立を保つしかないわけだが。

 確証と言えるものがない現時点で、思考や思想が偏るとロクなことにならない。

 それでは、見えないものを見つけるどころか、見えているものすら見落とすことになる。

 認めるのは癪だが……四年前には、それで痛い目にあっているわけだし。

「ま、うちもどっちか言うとヘルメスに同意やけど……」

 とはいえ、だ。

「けど、闇派閥(イヴィルス)にも厄介な連中が参加しとるっぽいしな」

「あの『人斬り』か……」

 今度はヘルメスが険しい顔をする番だった。

 今の闇派閥(イヴィルス)なら、ウラノスたちを出し抜いて封印を破ることができるかもしれない。

 それこそ例の『悪夢』はそのための陽動だった可能性すら考えられる。

「確認くらいはしといた方がええかもしれんな」

「どうやって?」

「ンなもん、正攻法で行くに決まっとる」

 ウラノスに直接告げる。

「やましいことがないなら、文句は言わんやろ」

 もっとも、秘密に対して必ずしもやましさが伴う訳ではないのだが。

 

 

 

 数日ぶりに地上に戻った時、太陽は一番高い位置を過ぎていた。

 それでも、久しぶりに感じる陽の光はとても眩しい。

 もちろん一八階層も明るくて綺麗だったけど、やっぱり本物の太陽の光とは何かが違う。

「太陽万歳!」

 なんて、ソラールさんは太陽に向かって変わったポーズ――というか、聖印らしい――を取っていたけど。

 うん。でも、その気持ちは分かるかも。

「これからどうする?」

 バベル前の大広場の片隅。あまり人がいないその場所で、手のひら越しに太陽を眺めているとクオンさんが言った。

「彼らには悪いが、このままギルドに向かう」

「報告か? だが、それならベル達は関係ないだろう?」

「いや、例の一件について神ヘスティアには話を聞かねばならん」

 シャクティさんの言葉に、うぐ――と、神様が呻く。

 ちなみに、例の一件というのはあの黒いゴライアスの事だった。

「あ、あれはヘルメスのせいだし……!」

「それは否定しませんが」

 シャクティさんはため息をついてから、続けた。

「そもそも、神のダンジョンへの立ち入り自体が禁止事項ですから」

「ぎゃふん!?」

 まぁ、うん。そういうことらしい。

「お前達はどうする?」

 項垂れる神様を慰めていると、クオンさんがヴェルフやリリ、桜花さん達に問いかけた。

「ベルには悪いが、俺もヘファイストス様に報告しにいかないとならない」

 気まずそうに頬を掻きながら、ヴェルフが言った。

「僕達は大丈夫。それより、ヴェルフは早くヘファイストス様を安心させてあげて」

 というか、ヘファイストス様は少し離れたとこでこちらを見ている。

 少しソワソワしているように見えるのは、僕の気のせいではないと思う。

「すみません、ベル様。リリはそろそろ限界です……」

 すまん――と、頭を下げるヴェルフの隣でリリもそう言った。

 地上に戻ったことで、最後の緊張が切れたのかもしれない。何となく、目がとろんとしているような気がする。

 それも仕方がない。何しろ、今回の探索では負担ばかりかけてしまっている訳だし。

「大丈夫。ゆっくり休んでね」

「ありがとうございます、ベル様……。お言葉に甘えさせていただきます」

 リリが力の抜けた笑顔を浮かべる。

「クラネルさん、アンジェリックさん。申し訳ありませんが、私もここで失礼させていただきます。……ギルドに近づくのは少々問題がありますので」

 その言葉に、シャクティさんが少しだけ表情を曇らせたような気がした。

 リューさんの事情は、少しだけ教わっている。そして、シャクティさんはオラリオの憲兵とも言われる【ガネーシャ・ファミリア】の団長だ。

 昔は交流が……もしかしたら、そんな言葉じゃ全然足りないくらいの関係だったとしても、何も不思議じゃない。

 もちろん、詳しいことは分からないんだけど。

「分かりました。ありがとうございます」

 だから、僕も深くは聞かずに頷いた。

「先日も言いましたが、これは正当な取り引きですから。『お支払い』を楽しみに待っています」

 そういって、リューさんは小さく笑ってくれた。

 ちなみに、その『お支払い』というのは『豊穣の女主人』を貸し切りで宴会する事だったりする。

 霞さんがリューさん……というか、ミアさんと結んだ契約らしく、支払いは――クオンさんに払わせるので――気にしないでいいと言っていたけど。

(さすがにそういう訳には……)

 いかないので、みんなで何とか折半することにした。

 ……と、言ってもお店はあの『豊穣の女主人』だ。

 いくらかかるか想像したくないし……色々と事情があってお金が必要なリリはもちろん、ヴェルフにだってそんなお金はない。

 何より、率先して支払うべき僕達【ヘスティア・ファミリア】は、団員が一人しかいない弱小派閥だし……ギルドから罰金を課せられるのは避けられない状況だった。

 ……なので、結局のところはクオンさんに大半を支払ってもらうという情けないことになっている。

「すまんが、俺達もここで失礼する」

 ヴェルフと同じく、気まずそうな表情で桜花さんが言った。

「実は治療院から無理やり抜け出していてな。そこのエルフではないが、ギルドに近づくと面倒なことになりかねん」

 その言葉に、やれやれと言わんばかりにシャクティさんが首を振る。

 桜花さんの言う治療院というのは、『深淵』の影響がないか調査する――というか、隔離していた場所の事らしい。

「『深淵』に関しては、ギルドも各派閥も神経質になっているからな。そういう事であれば、しばらくは大人しくしている方がいいだろう。その様子なら、特別に不安視する必要もない」

 ちなみに、クオンさんも直接触れたわけでもないうえに半日も経っていれば何の問題はないだろうと言っていた。

「治療院に隔離されていた者たちもすでに解放されている。私からギルドに話を通しておこう」

「すまん、恩に着る」

 シャクティさんの言葉に、桜花さんが改めて頭を下げた。

「すみません、ありがとうございます」

 慌てて僕も頭を下げた。

 桜花さん達がそういう無茶をすることになったのは、僕達のためだし……。

「まったく、そこでお前まで頭を下げるか……」

 僕が頭を下げると、何故かシャクティさんが苦笑した。

「私は先にミアハ様のところに行ってるわね」

 最後に言ったのは、霞さんだった。

「まぁ、今はお店にいないかもしれないけど……」

「そうだな。まだ、医療系の派閥は忙しいかもしれない」

 できれば、治療法を確立してもらいたいところだが――と、シャクティさんが小さく呟いた。

「というか、ベル。お前自身はどうするんだ?」

「僕は神様についていきます。神様がダンジョンに入っちゃったのは僕のせいですし……」

「いやいや! ベル君は早く帰ってゆっくり休むんだ!」

「そんな! 神様が頑張ってるのに僕だけ休むなんてできませんよ!」

「それを言うなら、ベル君は今まで頑張ってただろう!?」

「主様」

 神様と言い合いみたいになっちゃったところで、アンジェさんが言った。

「僭越ながら、主様は教会に戻り、休息をとられた方がよろしいかと」

「アンジェさん……」

「神ヘスティアの護衛は、(わたくし)にお任せください」

 ちなみに、呼び方については何とか説得して砕けたものにしてもらった。

 ……うん。多分、最初よりは少し砕けたものになっているはずだ。

「護衛というが、別にそう危険はないはずだが。……精々罰金を課せられる程度で」

「いえ、それはそれで死活問題になりかねないのですが」

 ため息混じりにシャクティさんが呟くと、リリが深々とため息をついた。

 そして、神様の顔も強張っている。きっと僕も同じだろう。

(い、いやでも。あの騒ぎで、それだけで済むなら……!)

 と、言っても。別に神様が何かしたせいであの黒いゴライアスが生まれたわけじゃないはずなんだけど。

「その辺りも一応は配慮されるはずだ。特に神ヘスティアはダンジョンにいただけだからな」

 実際は、リリ達を庇うためにちょっと神威を発揮しちゃってるみたいだけど。

 それでも、ヘルメス様が発揮した量に比べれば大したことがないらしい。

「あのクソ野郎を天界に送還するなら、俺がやってやるぞ」

「馬鹿を言え。お前にやらせたら天界への送還では済まないだろうが」

 ……うん、ヘルメス様はヘルメス様でかなり危険だったみたいだし。

「ふんだ。ヘルメスの奴は自業自得じゃないか」

 クオンさんとシャクティさんのやり取りは完全に聞き流してから、神様が頬を膨らませた。

 何でも、クオンさんが言うにはモルドさん達を唆したのがヘルメス様らしい。

 何でそんなことをしたのか、その理由は分からない。ただ、神様が――あと、多分クオンさんも――怒っているのはそのせいだった。

「そうだろうそうだろう。だから、次は邪魔するな」

「君は君でもうちょっと加減しろぉ!?」

 ……クオンさんの『神殺し』――いや、『火継ぎの儀』との関係については、まだ聞いていない。

『リューへの『支払い』の前にするか後にするか、好きな方を選んでいい』

 クオンさんはそう言った。

 ただ、今は冷静に話を聞ける程度には体力を回復させておけ、とも。

(聞かないわけには、行かないけど)

 それでも……休むことに、どこか少し躊躇いがあるのはそのせいかもしれなかった。

 何となく憂鬱な気分になってしまい、もう一度太陽を見上げようとして――…

「義兄さん!」

 ともすれば泣き声にも聞こえてしまいそうな程に潤んだ喜びの声を聞いた。

 

 …――

 

 彼女がいることは、道中ソラールから聞いていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()に、胸が躍らなかったといえば嘘になる。

「義兄さん!」

 ただ、この不意打ちは少し想定外だった。

 感動に浸る暇も、再会を躊躇う隙も与えられないとは。

「っと!?」

 白い娘が、真正面から抱き着いてくる。

 さほど人目を惹かなかったのは、()()姿()()()()()()()()()()()だろう。

「ああ、本当に……!」

 その病的な白さも、今はいくらか改善されているように思えた。

 ……もっとも、その瞳は相変わらず闇を見つめたままのようだが。

「……やぁ、姫様。ごきげんよう」

 大体いつもこんな台詞とともに会いに行っていたような気がする。

「もう! またそんなことを言って……!」

 白く小さな手が鎧を叩く。

 折れてしまわないか気が気でない……が、伝わってくる感触は想像よりも力強い。

 少なくとも見た目相応……華奢な娘らしい力を感じる。

 それなら。

 それだけでも。

 あの時、火を継いだ甲斐があるというものだ。

「それより、他所の男にいつまでも抱き着いていたら旦那(ソラール)が気を悪くするぞ?」

 俺が火を継いでから、彼女たちがどのように過ごしていたかはソラールから少しだけ聞いている。

 一番の驚きと言えば、ソラールと彼女の関係だが……しかし、冷静に考えれば落ち着くところに落ち着いた気もする。

 彼女はソラールにとってすれば命の恩人でもある。それに、

(太陽に憧れた男と、始まりの火を生み出そうとした娘だからな)

 ある意味、二人の願いは叶った……互いが叶えあったとも言えよう。

 ……もっとも、ロスリックで見た光景からすれば、それとて一時の事でしかなかったのだろうが。

(彼女には本当に頭が上がらないな)

 ロスリックの火防女――たった一人の共犯者の姿を思い描く。

 彼女がソラール達を呼び寄せたのはまず間違いない。

 そして、そのおかげで、本来であればあり得なかった未来が紡がれている。

 ……それとも、これとて因果からは逃れられないのか。

「もう、何を言ってるんですか」

 だとしても、抗おうとするのが俺達の(さが)だろう。

 運命に従って行儀よく死んでいるなら、俺は今ここにいない。

「コホン」

 と、そこで。露骨に霞が咳払いをした。

 もっとも、今回は何ひとつ動じる必要はない。……そのはずなんだが。

「それで、その子は誰なのかしら?」

 こう、微妙に意味もなく後ろめたい気分になるのは……まぁ、自業自得か。残念ながら。

「彼女は――…」

 紹介しようとして、言葉に詰まった。

 そういえば、まだ彼女の真名を聞いたことがない。

「クラーンと。今はそうお呼びください」

 居住まいを正し、姫様が一礼した。

 しかし、今はときたか。つまり、真名ではないということだが……まぁ、いいか。

 今の姿では流石に蜘蛛姫様とは呼びにくい――と。

 俺から離れ、霞と向き合った彼女の姿を見ながら、胸中で呟いた。

(……もっとも、無理やり抑え込んでいるだけだろうがな)

 今も体を焦がす混沌の炎の力を。だから、辛うじて人の――と、いうか魔女の――姿を保っていられる。

 そう。実際のところ、本当に彼女は人の姿をしていた。

 我が師クラーナと同じ――と、言っても色は白だが――ローブを着込み、手には長い杖……≪イザリスの杖≫を携えている。

 とはいえ、今の彼女にイザリスの魔術が使えるとは思えないが。

 師と違ってフードは被っていない。走ってきたから脱げたのか、普段からつけていないのかはまだ分からないが……多分、後者だろう。

 彼女の姉であるクラーグも、その姿を取り戻してからはそうだった。

「魔女イザリスの末の娘で、俺の主神ってところかな」

「はぁ?!」

 と、何故か驚愕の声が重なった。

 ……リューをはじめ、訳アリが多いこともあって人目のつかない場所にいたのは幸いだった。

 おかげで悪目立ちしないで済む。

「あ、いや、でも、待って。確かに、彼女はボクと同じだ。何か、ボクと違って別の形で力を封じられてる気もするけど……」

「……お前、時々凄いな。そこまで分かるのか?」

 おそらく、ヘスティアは彼女が混沌の炎を自分の力で抑え込んでいる事を言っているのだろう。

「だから、ボクは女神! しかも火を司る女神だって言ってるだろぉ?!」

「あら、そうなのですねっ!」

 ヘスティアの叫び声に、姫様が嬉しそうに笑った。

 まぁ、彼女たちにとっては遠い子孫な訳だし、色々な感慨もあるのだろう。

 ましてそれが火に纏わる女神ならば。

「というか、驚くことか? イザリス達についてはアンジェから聞いてるんだろ?」

「ええと、イザリス様は古い時代の女神様だって話は聞いてますけど……」

「なら、その娘が女神だって別におかしくないだろうが」

「それはそうなのですが……」

「そもそも、女神に子供がいるってのがな……」

 何だか釈然としていなさそうな顔で、リリとヴェルフが曖昧に頷く。

「じゃあ、クラーナさん……いえ、クラーナ様も女神なんですか?」

「当り前だろ」

「……つまり、あんたは女神にも手を出したってことかい?」

 ベルの言葉に頷くと、アイシャが言った。

「いや、まぁ、そうなるか」

 否定はできない。実際、師匠もクラーグも女神の一人であることに違いはないのだから。

「っていうか、主神ってどういうことなの?」

「そっちは説明しだすとちょっと長くなるから、またあとでな」

 霞の問いかけに肩をすくめる。

 実際、彼女が主神となった経緯を説明するにはそれなりに時間が必要だった。

 それに、俺達【混沌の従者】は通常の誓約と微妙に成り立ちが違ったりもする。

 何しろ、主神……つまり、姫様はそんな集団が出来上がっていることを知らなかったわけだし。

(ずっと自分の傍にいるのはクラーグとエンジーだけだと思ってたらしいからな)

 カークの奴も、どうせならもう少し自己主張すれば良かったのに。

 ……まぁ、あいつの場合、あの鎧のせいで近づくだけでもかなりマズいことになりかねないが。

「あの、シャクティさん。あちらの方々は……?」

 と、そんなやり取りをする俺達の後ろで、姫様はシャクティに訊ねていた。

「いえ、何といいますか……」

 困ったような顔でシャクティが呻く。

 ……どうやら、彼女は姫様については知っているようだった。

「その、貴女にとって義理の姉になるのではないかと」

 待て、シャクティ。その説明はどうなんだ。……いや、別に間違っているとも言えないが。

「まぁ!」

 と、姫様は姫様で顔を輝かせているし。

「では、貴女がアイシャさんですね!」

「そうだけど……。あんた、私を知ってるのかい?」

 凄く嬉しそうに姫様が両手で、同じくアイシャの両手を包み抱き寄せる。

 全力で歓迎する様子の姫様に、アイシャはむしろ戸惑った様子だった。

 戸惑っているのはカルラや霞も同じだが。……いや、まぁ、俺自身も若干驚いているが。

「ええ! とても素敵な方だと伺っております!」

 誰に――と、問いかけるほどアイシャは鈍くない。

 一瞬だけシャクティに視線を向ける辺り、姫様は姫様で古竜との闘争を勝ち抜けた魔女の一人ということだろう。

 間違いなく、二人の間で共通の人物が結ばれたはずだ。

 そう……例えば、儚い風貌の少女の姿が。

(そういえば、ソラールはシャクティと面識があったらしいしな)

 やはり、あの少女を預かっているのはソラール達なのだろう。

 ……何というか、本当に世間という奴は狭いもののようだ。

(まぁ、おかげで安心できたけどな)

 ソラールが傍にいるなら、よほどのことがない限り彼女の身は安全だった。

「へぇ、そんなに高く買ってくれているのかい?」

 アイシャもまた、それに合わせて一瞬だけシャクティに視線を向けた。

 シャクティはシャクティでアイシャの視線を受けて肩をすくめている。

 これでまず間違いなくベル達は――少なくとも、ベルはシャクティから聞いたと誤解したはずだ。

 問題はヘスティアだが……そもそも『シャクティから聞いた』と明言していないのだから、嘘にはなるまい。

「この方がアイシャさんなら、貴女が霞さんですね!」

「え、ええ。その通りですわ、女神様」

「まぁ! どうぞクラーンとお呼びくださいな」

 霞の手を取りながらコロコロと笑う姫様に、改めて感慨が湧きおこる。

 生贄にされた巫女のような儚さは影を潜め、その代わり本当によく笑うようになった。

 涙によって信仰を集めたのが彼女だった。が……しかし、ありきたりだが、笑顔の方がなお魅力的だと思う。

(ん……?)

 今、何かが意識に引っかかりかけたような……。

(まぁ、いいか)

 根拠なく不吉さを伴うその感覚を、首を振って追い払う。

 今だけは不吉なことは考えたくない。

「そして、カルラ様。こうしてお会いするのは初めてですね」

「私は貴公に様付けされる身分ではないよ。……それに、平気なのか。私に触れて」

「あら、姉さんや義兄さんたちが私をどうやって助けてくれたかご存じでしょう?」

「それは聞いているが……」

 姫様の病を癒す……とはいかずとも、緩和させていたのは捧げられた『人間性』だ。

 人間性とはダークソウルの一端。

 であれば、姫様にとって闇の子の一人であるカルラは決して忌避すべき存在ではあるまい。

(ま、デュナシャンドラ辺りだったらそうはいかないだろうがな)

 あれはまさに呪いの塊だった。その姿を……似姿(かいが)を見ただけでも危険なほどに。

 ただし――…

「大丈夫。貴女からはとても優しい気配が伝わってくるもの」

 カルラからはそういう気配は全く感じない。

「義兄さんを支えて下さったこと、改めてお礼申し上げます」

「それは買い被りすぎだよ。助けられたというのであれば、それは私の方だ」

 いや、姫様の言う通りだった。

 彼女は『火のない灰』だとか【王狩り】だとかそういった言葉は口にしなかった。

 旅の終わりに『火継ぎ』を終わらせるべきかを迷っている時ですら、そっと背中を押してくれただけ。

 だから、彼女といる時だけは使命の重さを忘れられたのだ。

 それにどれだけ救われていた事か。

 何より――…

「ところで姫様」

 喪失の痛みを思い出しながら、姫様に声をかけた。

「一つ訊きたいことがあるんだが」

「あら、なぁに?」

「お前は、ヘスティア達がやっている【ステイタス】の更新ってのはできるのか?」

「へ?」

 と、間の抜けた声を上げたのはヘスティアだった。

「何だい、クオン君。ボクらの『恩恵』に興味あるのかい?」

「いや、俺がっていうか……」

 一応本人の許可を求めて、アイシャに視線を向ける。

 と、彼女は肩をすくめて見せた。

「もしできるなら、アイシャの『改宗(コンバージョン)』とやらを任せたいんだが」

「え?」

 と、今度はベル達の声までがそれに重なった。

「『改宗(コンバージョン)』ってどういうことですか?」

「というか、クオン君。一度『改宗(コンバージョン)』したら、一年は無理なんだぜ?」

 それはそれで困った話だが……しかし、今の状況は『改宗(コンバージョン)』しているとは言い切れない。

 ……そう思いたいところだ。

「ええ! それなら、もちろん喜んで! こんなこともあろうかと、ガネーシャさんから教わっています!」

 ……まぁ、女神だし。魔女だし。加えて火防女の素質もあるんだから、そう難しいことではなかったんだろう。

「と、いうか。何であれ、まずガネーシャから許可がいるんじゃないかい?」

「……いや、何でガネーシャの許可がいるんだ?」

 ヘスティアの言葉に、首を傾げる。

 ギルドの主神であるウラノスならまだ分かるが。

「何でって……。アイシャ君の今の主神ってガネーシャだろ?」

「……そうじゃないから困ってるんだよ」

「というか、下手すると今の私の主神はこいつだからね」

 嘆息すると、アイシャまでが肩をすくめる。

「はい?」

「正式な『改宗(コンバージョン)』って奴をまだやってないんだよ。そんな暇はなかったからな」

「いやいやいや!? じゃあ何で『恩恵』が封印されてないのさ?!」

 騒ぐヘスティアを他所に、姫様がアイシャの背中――いや、そこに刻まれた『恩恵』とやらに触れた。

「なるほど……。義兄さんの『血』が触媒になっているのね。それが本来の契約主の代わりにこの『奇跡』を機能させているみたい」

「分かるのかい?」

「ええ。これでもイザリスの娘の一人ですから」

 アイシャの言葉に、姫様が相変わらず薄い胸を張って見せる。

「フフッ……。義兄さんったら、とても信用しているのね」

 それどころか、俺を見て何とも意味深な言葉と共に笑った。

 やれやれ。いったいどういう意味なんだか。

「……詳しい話は、またあとで聞かせてもらおう。そういう約束だからね」

 狼狽えているベル達を制して、ヘスティアが言った。

 この辺りは流石女神と言ったところか。

「それより、これからボク達はギルドに行けばいいのかい?」

「多分な。どうせ俺達も報告しにいかないと行かない」

 一応は公式の冒険者依頼(クエスト)――いや、強制任務(ミッション)だったか?――である。

 報告の義務はあるし……何より、『深淵』跡地で改修したあの貴石擬きをフェルズに押しつけに……もとい、届けに行かなくてはならなかった。

「じゃあ、私はミアハ様のところに……」

「それなら、まず先に姫様たちを館に案内してやってくれないか?」

「ええ、いいわよ。任せておいて」

 ミアハのところに行こうとする霞に、姫様の案内を頼む。

「では、まずその少年たちを送ってから……」

「いえ、流石に大丈夫ですよ。一人で帰れますから」

「そうですね。地上に戻ったわけですし……」

「ああ。流石に誰かに襲われるってことはないだろ」

 ソラールの言葉を、ベル達が丁寧に断った。

「ふむ……。私は私で少し情報でも交換しておくか」

 誰と、とはあえて訊く必要はない。まず間違いなくフェルズだろう。

「では、我らも戻るとするか」

「そうですね」

 アーロンの言葉に、桜花が頷いた。

「うん。またあとで改めてお礼に行くよ。みんな、今回は本当にありがとう」

 ヘスティアの言葉を最後に、第三次調査隊――と、言うか【ヘスティア・ファミリア(仮)】捜索隊――は無事にその役目を果たし、解散となった。

 

 で、それから。

 

「では、もう問題ないと?」

「多分な。少なくとも、専門家のお墨付きだ」

「専門家だと?」

 ウラノスに一通りの事後報告を済ませ。

「じゃ、後はよろしくな」

「おい、馬鹿やめろ?!」

 何か大量の魔石を鑑別中の――何でも、『深淵』の影響を受けていないか、換金された全ての魔石を総点検しているらしい――フェルズに、例の貴石擬きを押し付け。

「相変わらず酷い男だ」

 その代わりに、カルラと合流して。

「ふ、ふふふ、あはは、あはははは……」

 がっつりと罰金を取られ、燃え尽きていたヘスティアを拾って教会に戻ったところで。

「何?」

 ヘスティアとともに廃教会に入ろうとするアンジェに一つ提案をした。

「だから、『篝火』にあたりに来ないか?」

 図らずも、主従揃って怪訝な顔をしている。

 とはいえ、その理由までは同一ではあるまい。

「……私にそれが見えるのと思うのか?」

 そう。あの『火』は資格を示した巡礼者にしか見えない。

 とはいえ、例外もある。

「見えるさ。本体……少なくとも実体があるからな」

 俺の館にあるのは放浪中に受け取った『螺旋の剣』を用いて作り出したものだ。

 いわば、祭祀場にあったものと同じである。

 ……と、言っても。本来あるべき場所になく、また火防女も傍にはいない、本当に小さな燻りでしかないが。

 それでも、不死人(おれたち)にとっては大切な寄る辺だ。

 少なくとも、自身や武具の消耗を癒し、エストの補給もできる。

 いや――…

「それに、姫様……。昼に会ったイザリスの娘は火防女の素質もあるからな」

 つまり、あの燻りでも主なきソウルを定着させることが充分に可能という訳だ。

「何だと……?」

 アンジェの表情が驚愕で染まる。

「縁を結んでおいて損はないぞ?」

 ぐ……と、アンジェが唸ると、何とか復活したヘスティアが言った。

「何を心配してるんだい? もう本拠(ホーム)に帰ってるんだぜ」

「ですが……」

 流石にベルは寝ているようだが……あとは、扉を開けて中に入り、しっかり戸締りをすれば、概ね問題はないはずだ。

 ベルは今、色々な意味で時の人だが――だからといって、所詮は団員一人の弱小派閥。

 噂に聞く『暗黒期』とやらであれば、いいカモだっただろう。

 だが、今のオラリオで問答無用で本拠(ホーム)を強襲するような馬鹿がそうそういるとは思えない。

「それに、多分(ボク)には知られたくないんだろう?」

「……まぁな」

 特に否定する言葉は持ち合わせていなかった。

 ため息だけを返せば、当然アンジェは難色を示す。

「あ~…。うん、その辺もまたあとで聞くとして。アンジェ君に大切なことなら、行っておいで」

 しかし、彼女が断りの言葉を口にするより先に、ヘスティアが言った。

「その『篝火』ってやつは、ボクにも心当たりがあるからね」

「何だと?」

 思わず呻くと、ふふん!――と、ヘスティア様はやたらと見事な造形の胸をここぞとばかりに張って見せた。

「当然だろ! ボ・ク・は・神! だからねっ!!」

 ……おそらく、だが。アンジェに刻まれた『恩恵』――【ステイタス】に何かしらの記載があるのだろう。

 ベルの【ステイタス】に、呪術について記載が追加されたように。

(問題は、何をどこまで知られているかだがな)

 アンジェが【家路】を使えるというだけなら、ひとまずは安心――とも言い難いが。

(だが、今さらか)

 どのみち、彼女が……俺達が不死人だということは露見している。

 それ以上に隠さなければならないことなど、他にそういくつもありはしないのだから。

 

 

 

 結局、家に着いたのは夕暮れになってからの事だった。

「ああ、本当に篝火が……」

 そして、陽の光の届かぬ館の地下室――仮初の祭祀場で、姫様が小さく呟く。

 彼女たちが来ると分かっていれば、もう少し違う場所に設置したのだが……。

(まぁ、今からでも動かせないことはないとは思うが……)

 胸中で呻いていると、アンジェもまた驚嘆の吐息をこぼす。

「これが、篝火か」

 俺達にとって、『篝火』は見慣れたもので……だからこそ、彼女の反応は新鮮だった。

 もっとも、難所を超えた先で、篝火を見つけた時ほど安堵する瞬間はないが。

「ええ。これで、私も使命を果たせます」

 姫様が、手にしたナイフでその白い髪を一房切り落とす。

 彼女がそれを焚べると、絶えず揺らめく篝火の火が大きく燃え上がった。

 その揺らぎは、どちらかと言えば姫様を拒絶しているようにも見える。

(一つの篝火に、二人の火防女か)

 確かに、本来であればありえないことだった。

 まして、ここは正当な祭祀場ではない。

 だから――と、言っていいものか。火は勢いを増し、大きく広がっていく。

「随分と派手に燃えているけど、大丈夫なのかい?」

「ええ。……お待たせしました」

 アイシャの言葉に応じたのは、姫様だった。

 彼女の言葉に従うように、広がった火が篝火へと戻っていった。

 いや、違う。どこかから別の力が流れ込んできているような……。

 いずれにせよ、その大火はそう長く続かなかった。

 相容れなかった力が入り混じりあうようにして、炎が篝火へと戻っていく。

「お待ちしておりました。貴女に感謝を」

 まだ微かに揺らぐ篝火の向こう側。姫様を挟んだ反対側に、見慣れた姿が――その幻影が浮かんでいた。

 ロスリックで世話になった火防女。共に『火』を看取った最後の火防女……たった一人の共犯者の姿だった。

「いいえ。私達こそ、望外の奇跡に感謝いたします」

 姫様の言葉に――そして、俺の方を少しだけ向いて、彼女は一礼する。

 それを最後に、その幻影はあっさりと霧散した。

 言葉をかける暇もない。

「やはり、彼女のおかげだったか」

 南東の果てで出会った老婆から受け取った『螺旋の剣』。

 だが、それだけで『篝火』が完全に再現できるわけではない。

 何しろ、ここは祭祀場などではない。ただの宿屋跡地だ。

 そこを仮初にでも祭祀場に変えるなど、ただの不死人に出来るはずがなかった。

 まったく、彼女にはつくづく頭が上がらない。

「さっき、一瞬だけ見えた女は何者だい?」

 アイシャの問いかけに答えたのは、カルラだった。

「あの馬鹿弟子の火防女だ。そして唯一の……いや、貴公らにとっては強力な競争相手といったところかな」

「あんたにとっても、だろう?」

「ああ、そうだな。その通りだ」

 アイシャの言葉に、カルラが小さく笑う。

 俺としては、平伏して彼女たちの温情に感謝する以外に出来ることは何もない。

「……それで、私はどうすればいい?」

 あくまで冷静なアンジェの言葉に、思わず声が上ずりそうになった。

「あ、ああ。篝火に手をかざしてみればいい。お前くらいの力量なら、応じてくれるはずだ」

「だといいがな」

 そんなことを言いながら、彼女が篝火に近づいていく。

 手をかざせば――彼女の姿が一瞬揺らいだ。

 もっとも、目立った変化と言えば鎧の傷が概ね消えたことくらいだが。

「なるほど。……どうやら、受け入れてもらえたようだ」

 彼女が黄金に輝く瓶を――つまり、エスト瓶を取り出した。

「不死の秘宝か。……これからは、ある程度頼りに出来そうだ」

 ダンジョンでは中身がないと言っていたが……今はすっかり満たされている。

 もっとも、どの程度の力が宿っているかは分からないが。

「主なきソウルを、貴女の力としていかれますか?」

「いや、折角だがそれは後日に頼みたい」

 今は急ぎ教会に戻らせてもらう。

 それだけ言うと、アンジェは素早く踵を返して祭祀場から出ていく。

 その足音を聞きながら、カルラが小さく笑った。

「見事な忠臣といったところか」

「ただ堅物なだけだろう」

 アイシャはそう言って鼻を鳴らす……が、個人的には若干狂信者寄りの気がしてならない。

(まぁ、それでも対象がヘスティアならそう悪いことにはならないだろうが……)

 あいつの思いつく悪事ならヘファイストスを呼び出せば何とでもなりそうだし。

 それに、わざわざあいつを狙うような物好きもそういないだろう。

 ……まぁ、そんな物好きがいた場合、血を見るくらいじゃ済まないだろうが。

「それでは、義姉さんの改宗を行いましょうか」

 アンジェの足音が聞こえなくなった頃、姫様が言った。

「ああ。頼む」

 と、特別に深く考えもせずに頷いてから、

(ん?)

 何かが、意識を刺激した。

 嫌な感覚だった。そして、慣れ親しんだ間隔でもある。

 迅速に対応しなくては、致命的な事態を引き起こす。その前兆だった。

 上着を躊躇いなく――と、言っても俺以外には女しかいないが――脱ぎ捨てるアイシャを見ながら、自問する。

「では、行きますね」

 姫様が、銀色の針を取り出す。

 そう、確かヘスティアは【ステイタス】を更新する時に、自分の指を針で刺していた――!

「やめろ馬鹿死ぬぞッ!?」

 触れば溶けてしまいそうな雪の結晶。

 いや、触れただけで死に絶えてしまいそうなほど病的な白さを今さら思い出す。

 そんな彼女が、針で指先を突こうものなら――!

「も、もう大丈夫なんですっ!!」

 とんでもないことを忘れていた自分を罵っていると、今までで一番元気な声で姫様が叫び返してきた。

 しかし、そんなことを言われても安心できるはずもない。万が一のことがあったら師匠達やソラールに顔向けできない。

 で。それからしばらくして――…

「それで、いつまであんた達の痴話喧嘩に付き合えばいいんだい?」

 呆れたようにアイシャが嘆息したところで、お互いにハッとする。

 ……まぁ、これだけ元気に叫べるなら、あの頃よりは丈夫になったのだろう。

 ひとまず納得してから、まだ残っていた万能薬を何本か取り出して栓を抜いておく。

「それだと血が出ないでしょう?」

 ついでに≪ぬくもりの火≫も灯しておこうと思ったが、姫様に止められた。

 効果の説明をするんじゃなかったとしみじみ思う……が、しかし彼女の言うことにも一理あった。

「それでは、行きますね」

 緊張した面持ちで、姫様が宣言する。

 彼女の白い細指に針が近づき、そして突き刺さる。

 もう、その瞬間に万能薬をぶちまけそうになった。

 が、姫様は何事もなかったかのように、その血の一滴をアイシャの背中に注いだ。

 アイシャの背中に【ステイタス】が浮かび上がり、さらに輝きだす。

 中空に浮かび上がった数値が動き出して――…

「あ、あら?」

 姫様が困惑したような声を上げた。

「どうかしたかい?」

 まさか、上手く改宗とやらができなかったのだろうか。

 先ほどとは別の意味で、俺も緊張する。

「いえ、これはひょっとして、ランクアップというものかしら……?」

 ――が、どうやら悪い話ではなかったらしい。

 なら、一安心といったところか。

「へぇ、そうかい」

 当事者であるアイシャの反応は、ずいぶんと軽いものだった。

 あまり詳しくはないが……確か、冒険者にとっては一大事のはずなのだが。

 それこそ、ギルドが大々的に発表する程度には。

「別に昨日今日Lv.3になったばかりってわけじゃないんだ。あれだけ暴れりゃ流石にランクアップもするさ」

 ……まぁ、確かに。

 イシュタルの取り巻きどもから始まり、メレンで『死の瞳』、帰ってきてすぐに『深淵』狩り。さらには一八階層であの黒いゴライアスときたものだ。

 もっと言えば、俺が帰ってきてすぐ頃にデーモンともやりあっている。

 あれだけやれば『基礎アビリティ』もそれなりに上がるだろうし、『偉業』とやらも何とかなる……と、いうことなのだろう。

 比較できる相手がベルしかいないので、何とも言い難いのだが。

「え? アイシャ、ランクアップしたの!?」

 と、そこで霞が祭祀場に入ってきた。

 彼女には館で合流してからもう一仕事頼んでいたのだが……この様子なら、何事もなかったのだろう。

「ああ。そうみたいだね」

「おめでとう! じゃあ、今日は宴会ね!」

「あんたの店でかい?」

「もちろん……と、言いたいんだけど、今日はやめておいた方がいいかしらね?」

 霞の後ろでおずおずとしているのは赤い着物を纏い、フードで顔を隠した一人の少女だった。

 ちなみに、その後ろ――祭祀場の入り口から慌てて飛び出すソラールの後ろ姿も見えた。

 霞はちゃんと二人とも案内してきてくれたらしい。後は招かれざる客が来なければ上等だろう。

「アイシャさん……」

 そんなことを考えていると、少女がフードを脱いだ。

 金色の髪に狐の耳。毛並みのいい尾は、今は不安そうに丸まっている。

 あの生贄の少女――確か、サンジョウノ・春姫と言ったか。

 予想通り、ガネーシャの判断によってソラール達に預けられていたらしい。

 ソラール達とガネーシャ達が繋がりを持っていたことを初めて聞いた時は多少驚きはした……が、ある意味落ち着くところに落ち着いたようにも思う。

 そして、デーモンについてガネーシャに伝えたのはソラール達のようだ。

 もっとも、『黒虫の丸薬』を作った誰かがいる以上、ウラノス――もしくはガネーシャ――が抱えている不死人はソラールだけではなさそうだが。

 それにしても――…

(シャクティに一杯食わされたな)

 ついでに、フェルズやガネーシャ、ウラノスにも。

 帰ってきた時点でソラール達がいることを教えてくれていても良かっただろうに。

 ソラールは俺を探していると伝えていたようだし。

 揃いも揃って全く。……もっとも、隠し事が多いのはお互い様だが。

「あ、あの。おめでとうございます」

「ああ」

 アイシャと少女が、どことなくぎこちないやり取りを交わす。

 ……正直、俺も少しばかり困惑している。

 具体的にどうとは言わないが、もう少し劇的な再会になるかと思っていたのだが。

「あ~…。ソラールさんから聞いたんだけど、あの子ね、元々良家の子女ってやつだったみたいなの」

「ほう……」

 言われてみれば、その立ち振る舞いにはどことなく気品が漂う。

 かつて白教徒の名門に生まれたレアや……それこそ、師匠たちを思い出させる程度には。

 それが何で歓楽街で娼婦見習いなどやっているのやら――…

「ああ、そういうことか」

 霞が何を言わんとしているか、そこで理解した。

「つまり、俺のせいってわけだな?」

 このオラリオ――いや、今の『時代』において神殺しは絶対の禁忌となる。

(ま、どこぞのエルフですら神殺しはしなかったらしいしな)

 フェルズの小言を思い出す。

 そのエルフは精々天界に追い返すだけで、俺達のように完全に殺せるわけではない。

 しかし、それですら禁忌となるのだ。

 一方で目の前の少女は少なくとも一一歳までは最高位の教育を受けていたと考えていいだろう。

 何より、彼女が善良な人間性の持ち主であることは疑いない。

 そんな少女の目に、『神殺し』がどのように映るかは想像に難くなかった。

「クラーン様たちが色々気を回してくれているみたいだけどね」

 確かに姫様はあの少女とだいぶ打ち解けているらしい。

 まるで妹か、さもなくば娘のようだ。

「まぁ、これから何とか頑張って打ち解けていけば――…」

 霞がなかなか難易度の高そうなことを言いかけた時、

「では、アイシャさんはクラーン様の眷属になられたのですね」

「ええ! これでもう触ったら死んじゃう系火防女とは言わせませんっ!」

 春姫の言葉に、ふんすと姫様が薄い胸を張った。

 確かに針で刺しても平気そうだし、思った以上に体は回復しているようだ。

 それはいい。とても好ましいことだ。

 好ましいことだが――!

「待て! 誰だ、そんな酷いこと言った奴は!?」

 聞き流せない台詞に思わず叫んでいた。

 我らが姫君にそんな暴言を吐くなど、ことと次第によっては全面戦争も辞さないところである。

「いや、まずあんたが似たようなこと言ったじゃないか」

 ……そして、アイシャの言葉は聞こえなかったことにした。

 

 …――

 

 一方その頃。

 再会した義兄妹(しゅじゅう)が呑気にわちゃわちゃする祭祀場(仮)から少し西側。

 夕日に染まる巨像の股間――もとい、本拠(ホーム)の入り口を潜る一人の女性の姿があった。

 

「シャクティ団長! おかえりなさい!」

「ああ。こちらは変わりないか?」

「はい! 特別な異常の発生は確認されていません!」

 ということは、普段通りの騒ぎ――例えば冒険者同士の喧嘩や、どこかの神が起こす騒動――は起こっているという事だ。

 もっとも、『深淵』の犠牲者が増えていない証拠と言えよう。

 ならば、今は感謝してもいいくらいだった。

(さすがに堪えるな)

 住み慣れた本拠(ホーム)に入った途端、どっと疲労を自覚する。

 帰路で望外の休息をとれたとはいえ、癒しきるには少々足りなかったらしい。

(仕方がないことか)

 歓楽街での闇派閥(イヴィルス)――そして、闇霊――との抗争。

 メレンでの『悪夢』……『死の瞳』がもたらした厄災。

 ダンジョン内に発生した『深淵』。

 そして、あの『厄災』。

 まったく、改めて思い返しても近年稀にみる凶悪な連戦だった。

 加えて言えば、ギルドでの報告――と、『神災』に対する証言――も、相応の気苦労を伴ったことは否定できない。

 主にロイマンとのやり取りを思い出し、手にした槍――切断された愛槍ではなく、クオンから譲り受けたもの――で、肩を叩きそうになった。

(そういえば、この槍について詳しい話を聞くのを忘れていたな)

 今は沈黙しているが、あのゴライアスとの戦闘中には確かに何者かの意思――あるいは遺志だろうか――を感じた。

 詳しいことはともかくとして、そういった扱いをしていい代物ではないことくらいは分かっている。

 もちろん詳細についても気にはなるが、近日中にクオンとは顔を合わせるだろうし、その時に訊けばいいか――と、ひとまずそれで結論しておく。

「すまないが、少し――」

 休む――と、団員に告げるより先に廊下の向こうから豪快な足音が迫ってくる。

 その足音だけで、誰が近づいてくるかは分かった。

(そういえば、戻ってきてからふたりで話をする暇はなかったか)

 ギルドで顔こそ合わせたが……お互いに仕事があり、帰還の報告すらロクにしていない。

「シャクティ、無事で安心したゾオオオオオオオオオオオオオウッ??!?!」

 駆け寄ってきたガネーシャが、私の手前で急制動をかけつつ奇妙な恰好(ポーズ)をした。

 ……いや、それはいつものことなのだが。

「そ、そそその槍はどうしたのだ?!」

 しかし、今回はどうやらいつもの奇行とは違うらしい。

 そう言えば、ギルドでは槍を持ち歩いてはいなかったか。当然と言えばそれまでの事だが。

(できれば今はこれ以上の面倒事は勘弁してほしいが……)

 覚悟を決めて、ガネーシャに問いかける。

「クオンから譲り受けたものだが……」

「そ、そうか。うむ、クオンなら持っていても不思議ではないが……」

「この槍がどうかしたのか?」

 うむ――と、ガネーシャは重々しく頷いてから。

「と、いってもガネーシャも専門外だからな! ヘファイストスに訊けば何かわかるかもしれんが」

「神ヘファイストスに?」

「そうだ! 何しろそれは()()()()だからな!」

「何だと……?」

 どうやら、まだ厄介事からは解放されていないらしい。

 嘆息する私を慰めるように――もしくは咎めるように――その槍からほんの小さな雷が爆ぜた。

 

 …――

 

 そもそもの話。

 厄介事のタネがこのオラリオから消えてなくなるわけがないのだ。

 

 狭い店内が夕日で染まる頃。

 訪ねてきた霞から全員の無事と、この後の『予定』についてを聞いてからしばらくして。

「いらっしゃいま――…」

 色々と物思いに耽っていると、店の扉の鐘が来客を伝えた。

 半ば反射的に出迎えの言葉を言いかけ……しかし、言い切る前に勢いを失った。

「ふはははははははっ! 邪魔するぞおおおおおっっ!!」

 入ってくるなり無駄に高笑いするその男に見覚えがありすぎたからだ。

「ディアン、いったい何の用だ?」

 ディアンケヒト。私と同じ医神で……まぁ、別にだからとは言わないが決して折り合いの良い相手ではなかった。

 ……付き合い自体は、決して短いものではないのだが。

「支払いであれば、つい先日行ったであろう?」

 いや、それ以前の問題だった。

 何しろ、ディアンケヒトはオラリオ最大の医療系派閥の主神だ。

 まだ『深淵』禍の収まらぬ……犠牲者の全容や、何より重要な対策や治療法が見えぬ今の状況でこんな場末の薬舗に足を運んでいる暇があるとは考えにくい。

「ふん、それとは別の用がある気に決まっておろう。でなければ、こんな埃臭い店に誰が来るか馬鹿め」

 相変わらずの悪態だが……今日はどこか覇気がないようにも思える。

 まだ肩に――あるいは下腹に――力が入っている自分を煩わしく感じる程度には。

 しかし、嘆息する暇を与えてくれるほどこの男神は親切ではない。

「貴様の書いた報告書(レポート)を読んだ」

 パサッ――と、カウンターに羊皮紙の束が投げ置かれた。

 見覚えがある。と、言う以前の問題である。

 何しろそれは、ナァーザに持たせた、例の『深淵』に対する考察を書き殴った紙束なのだから。

 もっとも、ロクに推敲もしていない、レポートとは呼べない散文に過ぎないが……。

「言いたいことは色々とあるが……しかし、今はそんな暇はない」

「であれば、何故こんなところに?」

「貴様が、例の【正体不明(イレギュラー)】と繋がりがあるからだ」

 ……返答に困ったのは否定できない。

 何しろ、今のクオンの立場はまだ微妙すぎた。

 例の『深淵』禍に対応できる存在として、ウラノスから正式に免罪を受けている。

 その甲斐あって、表立って反発する神々や人間(こども)たちはいない。……まぁ、つい先日と比べれば遥かに。

 しかし、だからといって楽観できる状況でもなかった。

 返事よりも先に、霞が帰った後で良かったとそんなことが脳裏を掠めていく。

「ああ。クオンとはそれなりの交流がある」

 とはいえ。ディアンケヒトの言葉に、それを咎めるような響きはなかった。

 頷いたのは、その確信があったからだった。

 ……付き合いの長さというのは、こういう時にはそれなりに役に立つ。

「ふん。もう少し前なら、利率を引き上げていたところだが」

 それは間違いなく本気だろう。少なからぬ動揺が、胸中で渦巻いたのは否定できない。

「だが、今は好都合だ」

「何? どういう意味だ?」

「ついてこい。ここで話すより手間が省ける」

 返事も待たず、ディアンケヒトが店を出ていく。

 追わずに見送るという選択肢は、おそらくあっただろう。

 だが、結果として私はその背中を追っていた。

(クオンの『身の上話』、か……)

 近日中にヘスティアやベル達にクオンは『身の上話』をするつもりらしい。

 私もそれに誘われている。出欠の返事はまだ返していないが……。

(これも神の娯楽、か)

 だとするなら、我が事ながら業が深い。

 とはいえ、この先にあるのは間違いなく『未知』の何かだろう。

 足取りは決して軽くはならなかったが……それでも、止まることはなかった。

 

 ――それを神々(わたしたち)が『未知』と呼ぶが、どれほど罪深いことか。

 私がそれを知るにはもう数日の時間が必要だった。

 

 それから、しばらくして。

 

「ここは?」

 ディアンケヒトについていくと、たどり着いたのはギルドのある第八区画。

 ……いや、第一区画との境目といった方が正しいか。

 薬舗(わがや)からは少し距離があるため途中馬車(タクシー)を使ったが……珍しいことに、その代金はディアンケヒトが持ってくれた。

 明日と言わず、今すぐに『深淵』が雨となって降り注がなければいいが。

「見れば分かるであろう」

「それは、な」

 ――などと。その冗談があまりに不謹慎だと思う程度には。

 もちろん、目の前の建物に覚えはない。覚えはないが、この空気はよく知っている。

「墓所か」

 もっとも、見た目はただの貸倉庫だ。少なくとも、遠目ではそのように見えた。

 ただし、こうして近づけばその印象も大きく変わる。

 何しろ、窓と言わず扉と言わず突貫で補強されているのも見て取れるのだから。

 ただの補強ではない。

 専門家ではない故断言はできないが、窓にはめられた柵も半ば無理やりに設置された鉄扉も、おそらく超硬金属(アダマンタイト)製。

 まるで即席の砦か、さもなくば建築途中の監獄のようですらある。

 それでも。そのうえで、口にした印象が変わることはなかった。

「そうだ」

 いつになく険しい――いや、真剣な顔でディアンケヒトが頷く。

「ギルドが管理する『霊廟』だ。……ふん、名前だけは立派だな」

 不快そうに鼻を鳴らしながら、たった一つしかない入り口に向かう。

 衛兵は【ガネーシャ・ファミリア】の団員らしい。ただし、その装束は常のものと違う。

 喪章を身に着けていた。それが……それだけが、この建物が事実『霊廟』であることを示していた。

 その団員はディアンケヒトの姿を見るとただ一礼して、その物々しい大扉の錠を開けた。

「私も入ってよいのか?」

 もっとも、もうすでに中に踏み込み、重々しい音と共に大扉が外から閉められた後だが。

 魔石灯の微かな明かりが、呼び鈴とその傍の覗き窓を照らしている。

 それを見ながら、ディアンケヒトに問いかける。

「馬鹿め。今さらであろうが」

 全く持って返す言葉がない。

 肩をすくめ、その薄暗い廊下を進む。

「ふん、相変わらず陰気なところだ」

「『霊廟』であれば当然であろう」

 死者の眠りを妨げぬためか、『霊廟』の中は暗かった。

 僅かな魔石灯――常夜灯だけが導となって、私達を闇の奥へと誘っている。

 いや、誘ってなどいない。むしろ、拒んでいるようにすら見えた。

 何しろ、その先にも入り口に似た扉がいくつか立ち並んでいたのだから。

「ここは何なのだ?」

「言われねば分からんのか、馬鹿め!」

「……『深淵』の犠牲者の眠る場所だな?」

 私の問いかけに、ディアンケヒトは不快そうに鼻を鳴らした。

 なるほど、監獄というのはあながち間違いではないのだろう。

 この物々しさは、中で眠る死者が迷い出ぬようにするためのものだ。

「死してなお、あの呪詛(カーズ)からは解放されていないということか」

「うむ。……だが、それだけではない」

「何?」

「貴様とて『メレンの悪夢』くらいは話に聞いているだろう?」

「ああ。それは無論だ」

「その後始末でな、あの【正体不明(イレギュラー)】が厄介なものを見つけ出した」

「クオンが?」

 あいつ絡みの厄介事なら、それはさぞかし厄介な代物なのだろう。

 思わず嘆息する。

「ああ。……だが、もう少し早い段階で【ロキ・ファミリア】の連中が運び込んできた。似たものをな」

「ロキの眷属(こども)達が?」

「正確には【九魔姫(ナイン・ヘル)】がだ。……ふん、となれば奴が絡んでいても不思議ではないな!」

 返事に困り、曖昧に唸る。

 かの王族(ハイエルフ)とクオンが、いわゆる男女の関係にあるかと言われば否定できる。

 もし下世話な噂が真実なら、ロキが発狂しているだろうし……クオンも否定はしないだろう。

 とはいえ、彼女が【ロキ・ファミリア】の一員としてクオンの『目付け役』を担っているのも事実だった。

「それで、何を見つけた?」

「『アンデッド』だ」

「何?」

「噂くらいは聞いたことがあるだろう? ダンジョンを彷徨う生ける死者だ」

「都市伝説であれば、私も聞いたことがあるが……」

「伝説ではなかった。見ろ」

 最後の大扉を、ディアンケヒトは自らの手で押し開けた。

 零れてくる光に、微かに目が眩む。

 どうやら、その室内は十分な光量で満たされているようだ。

「ミアハ様?」

 そこにいたのは、憔悴しきった顔のアミッドだった。

 彼女の周りにはいくつかの鉄柵が並び、その中には――…

「『アンデッド』だと……?」

 確かに、干からびた――しかし、その姿のまま動き喚く死者がいた。

「どういうことだ、ディアン! アミッドに何をさせている?!」

「解呪法を探させているに決まっているだろうが、馬鹿め!!」

 思わず放った怒声を、ディアンケヒトの怒号がかき消した。

「はい。『暗い穴』と『ダークリング』。そう呼ばれている呪詛(カーズ)によるものだと、リヴェリアさんとシャクティさんからはお聞きしています。ですが、解呪法はまだ……」

 座っていた椅子から立ち上がり、ふらつきながらアミッドが言った。

「ふん、あの二人に誰がそれを吹き込んだかは貴様にも分かるだろう?」

「クオン、か……」

 この街で霞やアイシャ達の次にクオンと関係が深い二人だ。

 ……もっとも、実際には他にも霞の店の店長をはじめ何人か交友を持っている者はいるはずだが。

「ミアハ様、お願いいたします。どうかあの方と直接話をさせてはいただけませんか?」

 縋りつくように――いや、実際に縋りついてくるアミッドを抱きとめる。

 そうでもなければ、このまま崩れ落ちてしまうのは分かり切っていた。

 明らかに体に力が入っていない。今の彼女はLv.2の治療師(ヒーラー)ではなく、市井の娘よりも弱々しい。

 これが私をここまで連れてきた理由か?――と、視線だけで問うと、いつになく素直にディアンケヒトが頷いた。

「例の『深淵』について、貴様は『人間(こども)の本質に作用する呪詛(カーズ)』だと結論づけたな?」

「ああ」

「儂とアミッドの見解も概ね同じだ。そして、それはこの『アンデッド』どもにも同じことが言える」

「何だと?」

「発現する形態こそ多少異なるが、先ほどアミッドが言った二つの呪詛(カーズ)は『深淵』の性質に近い」

「本質を歪めていると?」

「だからこそ、アミッドにも解呪できん。今の時点では解呪は死と同義だ。『本質』の否定なのだから当然だな」

「やはりか……」

 唸ると、だが――と、ディアンケヒトは自問するように呻いた。

「この場合の『本質』とは何だ?」

「何?」

「何をもって人間(こども)の『本質』と呼ぶ? 記憶か。人格か。それとも経歴か」

「確かに、人間(こども)の何がこの変化を呼び起こすかは、まだ分からんな」

 いや、だが。その答えは問われるまでもない、ような気がする。

 何故なら、私達はそれに。今やそれこそに焦がれて――…

「というより、『深淵』、『暗い穴』、『ダークリング』は全て同じ『何か』に対して作用しておる。発現の仕方が違うだけでな」

「何に作用しているのか。それが分かれば、もしかしたら」

 解呪の糸口が見つかるかもしれない。

 アミッドが譫言のように訴えてくる。

(すまん、クオン。許せ)

 あいつは、きっと見知らぬ少女にまで己の話をすることを嫌がるだろう。

 だが、ここでその手を払いのければ、この少女が壊れてしまう。

 そのような選択を医神(わたし)にはできそうになかった。

「分かった。……実は近いうちに、クオンから『身の上話』を聞くことになっている。そこにお前を招待しよう。だが……」

「ふん、儂は邪魔という訳だな」

「そうなる。知っての通り、神嫌いだからな。あいつは」

 言葉を飾っても仕方がない。

 それは、アミッドに対しても同じことだった。

「だが――…」

 彼女の手を取ったところで懸念が消えるわけではない。

 むしろ、性質を変えただけで何も好転はしないといえる。

「だが、クオンの言葉が糸口になるとは限らん。それどころか、より深い絶望をお前に与えるかもしれぬ」

 クオンとはまさに『正体不明』。私達ですら知らない未知なのだから。

「故に、今はゆっくり休め。よく眠り、よく食べ、英気を養ってから、改めて答えを聞かせてくれ。今のお前は、まるで死人のようだぞ?」

「ですが……」

「二、三日お前が休んだところで何も変わらん。ずっとそう言っておるだろうが」

「それに、結果はどうあれクオンの話は相当に刺激が強いはずだ。今のままでは途中で倒れてしまうぞ?」

 それはほぼ間違いないと思う。

 神の勘……というより、それなりに長い時間、あいつと関わっている者の勘だった。

「……わかり、ました」

 アミッドが躊躇いがちに小さく頷いた。

 やれやれと、ディアンケヒトが肩をすくめるところ見ると、この数日はロクに寝てもいないのだろう。

「ところでだな」

 ともあれ。アミッドが頷くのを見届けたところで、ディアンケヒトが言った。

「もしアミッドを傷物にしたらどうなるか分かっておるだろうな、ミアハァアアアアアアァアアアアッ!?」

「何を言っているのです、ディアンケヒト様! もしこの呪いの解呪法が分かるなら、私の純潔など少しも惜しくはありませんッ!!」

「お前こそ何を言っているのだ、アミッドおおおおおおおおおおお?! 儂は認めんぞおおおおおおおおお?!」

 そして、何やらおかしな方向にまで覚悟を決めているアミッド。

 まぁ、一般的にクオンとは好色多情で知られているわけだが。

 ……それに、霞たちのことを思えば全く否定もできない。

 しかし、だからと言ってクオンが色欲だけでアミッドに手を出すかと言えば、まずそんなことはあり得ないとは思う。

「いや……それを私に言われてもだな。それに、あいつにも一応、それなりの分別が――…」

 盛り上がる主従(おやこ)を前にして、力なく訴える。

 だが、どう考えてもふたりには届いていない。まったく、これっぽっちも。

(恨むぞ、クオンよ……)

 天井を見上げて嘆息する。

 しかし、不思議と今回ばかりはディアンケヒトの気持ちも分からないではなかった。

 嘆息してから、さらなる盛り上がりを見せる二人の傍をそっと離れる。

 落ち着くまでの間、アミッドがまとめた資料でも読ませてもらうとしよう。

 解呪法について考えようにも、今の私には情報が足りない。

 無論、私とて手元の資料だけで都合よく思いつくとは思っていない。

 ただ、それでも。

 彼女とは別の視点で何か助言できれば、多少は彼女の心労を軽くしてやることができるかもしれないのだから。

 

 

 

 そして、世界に夜が訪れる。

 いずれは明ける夜だ。

 であれば、今はその優しさに身をゆだねるべきであろう。

 夜の闇とは本来静謐であり、そして安息をもたらすものなのだから。

 ……少なくとも、寄る辺さえあるのなら。

 

 もっとも、闇とはそれ故に悍ましきモノの寝床ともなる。

 そして、そういった場所に追いやられた者たちがいることも忘れてはならないが……。

 

 夜の帳が下りた執務室の中を、魔石灯が照らし出す。

 奇妙な懐かしさを覚えるのは、どことなくソウルの輝きに似ているせいだろうか。

 ペン先にたっぷりとインクを含ませ、書面に文字をしたためながら、ふとそんなことを思う。

 その程度の雑念は、今さら特別に問題にはならなかった。

 机上に積み重なる書類は、別に特別な何かではない。

 日々の雑務は言うに及ばず。定期報告の確認であり、陳情や提案への応答であり――…

 団長と『主神』とを兼務していれば――というより、何かしらの組織の長ともなれば――この類の仕事からは逃れられないものだ。

 こればかりは、不死人(ひと)も生者も変わらなかった。

 思えば、私も随分と長い間、こういった職務を担っている。

 気を抜けば痛い目に合うが、だからと言って今さら特別に気を張っておく必要もない。

 加えて言えば、この手の仕事を厭うというわけでもなかった。

 かつても今も、【黒教会】の設立当初は刀を手放し、ペンに持ち替えているだけの時間を捻出することにすら苦心したものだ。

 それを思えば、この時間に何の不満があろうか。

 ……もっとも、私とて人である。面倒だという感情が全くないというわけでもないが。

 そして、こういった仕事はあまり向いていないという自覚もあった。

 私だけではなく姉もそうだった。

 国に残ったのが結局リリアーネだけという事実と併せれば、全く否定のしようがない。

「ユリア様」

 執務室の扉が軽く叩かれ、修道服に身を包んだ一人の若い女性が入ってきた。

 ……若いといっても、付き合いとしては、もう一〇年以上にもなる。

 見た目がほとんど変わらないのは『ソウルの業』と『暗い穴』によるものだ。

 他に生まれ持った体質――と、呼ぶほど大げさなものでもないのだろうが――も、多少は影響しているかもしれないが。

「テレジアか」

 亜麻色の髪に茶色の瞳。

 柔和な顔つきによく似あった少したれ目がちの目元。

 その左側には小さな泣き黒子がある。

 女性らしく丸みを帯びた柔らかい肢体は……この時代に準えるなら、地母神か豊穣神を思わせる。

 もっとも、本人に言おうものならかなり()()()に合わされるだろう。

 そんな目に合うくらいなら、素直に母性を感じさせるといった方が無難だ。

 ……それとて、状況によっては危険なのだが。

「メレンからの報告なのですが、少々よろしいですか?」

 いずれにせよ、私には縁がないものだ――と。

 そんな雑念は適当にどこへとでも霧散させてから呟いた。

「メレン? 何か新しい動きがあったか?」

 ダンジョン内の『深淵』は我らが王により抹殺された。

 発生した理由が不明である以上、決して油断はできない。

 そちらでまた何かあったのかと思ったが、まさかメレンとは。

「いえ、動きではありません。ただ、ようやく情報が手に入りましたので」

「何の情報だ?」

「例の『カインハースト家』についてですわ」

「……そうか」

 今の下界を跋扈する神の眷属(のろわれびと)ではなく、それらに抹殺された『古代』の英雄の血脈。

 その一派は『ダークリング』を再現することに成功しているらしい。

 不死人の再誕は私としては好ましいといえるが……しかし、王の偉業を穢す行いでもある。

 故に、かの者たちに対する対応は、未だ決めかねているというのが正直なところだった。

「やはり『ダークリング』の再現に成功している様子。ですが――…」

「亡者に堕ち、正気を失ったか」

「ええ。亡者が複数体発見されたそうです」

「誰が対応した?」

「我らが王が」

「なるほど」

 であれば、まず間違いなく『死んで』いるだろう。

 よほどの『器』の持ち主でなければ、もう動き出すことはない。

 だからこその【薪の王】――否、【(ひと)の王】だ。

 問題はそこではなく――…

「念のため確認するが、死骸は誰が回収した?」

「【ガネーシャ・ファミリア】ですわ」

「やはりか……」

 メレンを押さえているのはあの象神の眷属どもだ。

 それに、かの派閥は我らが王とも親密だった。妥当と言えば妥当であり……何より、現状では最適だった。

「亡者どもはすでに例の『霊廟』に運び込まれたようですわ。ですから、おそらくは――…」

「医療系派閥……【ディアンケヒト・ファミリア】辺りには情報が流れたという訳だな」

 かの派閥にはオラリオ最高と謡われる治療師がいる。

 もっとも、その小娘には『ダークリング』はおろか『暗い穴』を消し去ることすらできまいが。

「そして、もう一つ。いえ、一つとは言い切れませんわね」

 そんなことを言ってから、テレジアは続けた。

「例の【イシュタル・ファミリア】の残党が、メレンに集まっている様子」

「ほう、『恩恵』もないのにまだ何か企んでいるのか?」

「おそらくは我らが王への復讐かと」

「だろうな」

 しかし、『恩恵』もなく挑むなど愚行でしかない。

 無論、あったところで勝ち目などありはしないが。

「彼らの狙いは、おそらく【カーリー・ファミリア】との合流かと思われます」

「【カーリー・ファミリア】だと?」

 またの名を闘国(テルスキュラ)。外界との交流はなく、詳細は不明だ……が、まったく情報がない訳でもない。

 端的に言えば、神の命で人間が殺しあい続ける穢れた地だ。

「ええ。大型船に乗り、オラリオに向かっているとの報がありました。数日中にメレンに到着するのは、まず間違いないかと」

「なるほど。イシュタルの置き土産といったところか」

 オラリオの外にある一大勢力。

 いわば盤外の駒だ。引き入れることができれば、この遊戯盤(オラリオ)の均衡を崩すこともできよう。

 ……無論、指し方次第だが。

「おそらくは。【カーリー・ファミリア】の者どもは、まだあの神が討たれたことを知らないと思われます」

 もっとも、どう指すつもりだったかはもはや誰にも知りようがない。

 だが、敗残兵はそれに縋っていると考えていい。

 しかし、奇妙だった。

「その残党どもは新しい神についたのか?」

「そこまでは何とも。大部分は【ガネーシャ・ファミリア】が引き取った筈ですが……」

 かの派閥に所属した元【イシュタル・ファミリア】の団員たちは、そのまま歓楽街で生活している。

 とはいえ、【ガネーシャ・ファミリア】の監視が緩んでいるわけでもない。

 その手の暗躍を見逃すほど、あの女団長も象神も甘くはないのだから。

(となると、まったくの別勢力か)

 闇派閥に下った。それが現状では最も可能性が高い。

 高い、が――…

「しばらく留守にする。雑事は任せた」

 団長として用意したそこそこの業物を携え、椅子から立ち上がる。

 無論、長らくの愛刀は今もソウルのごく浅い部分に留めてある――が、アレは今の『時代』には少々目立つ。

 それに、この『時代』の敵など概ねこの刀で充分であろう。

「ダンジョンに行かれるのですか?」

「いや、メレンだ」

 修道服もまた、久方ぶりに鎧へと切り替える。

「メレンの現状をこの目で直接見ておきたい。それに、できれば連中の拠点もな」

「お一人で?」

「……いや」

 頷こうとして、それより先に首を横に振っていた。

「あのじゃじゃ馬娘どもを連れていく。どうせ退屈しているだろうからな」

 ここしばらくダンジョンへの立ち入りを禁じている。

 そのせいでだいぶ拗ねていると聞いていた。

 海――ではないが、まぁ似たようなものだ――にでも連れて行ってやれば、多少の気晴らしにはなるだろう。

 何が起こるかは分からないが……それまでは年相応に遊ばせてやっていい。

 どうせあの二人に調査や情報収集といった繊細な仕事は向いていないのだから。

「相変わらずお優しいですこと」

 見透かしたように、テレジアが笑う。

「からかうな、馬鹿」

 もっとも、かつての黒教会を率いていた時よりも随分と丸くなったという自覚ならあるが。

 

 ――…

 

 このオラリオで目が覚めてから今に至るまで。

 良くも悪くも驚いたことは色々とあるが。

「じゃあ、折角だし一緒に寝ましょう!」

 霞の社交性の高さはその中の一つだ……というか、毎回驚かされ続けている。

 何しろ、速攻で霞は姫様……についてはまぁ、驚くことではないが。

 例の生贄の少女――春姫とまで打ち解けていた。

 ついには提案をする彼女を……そして、割と笑顔で頷く二人の姫君の姿を見ながらそんなことを考える。

 ちなみに、俺の方はさっぱりだった。踏み込む隙が全く見当たらない。

 永い巡礼の旅は真っ当な人間と会話する術を根こそぎ壊滅させてくれていたらしい。

「まぁ、もう夜も更けてきたからな」

 食堂の魔石灯に煌めくグラスを片手に、ソラールが頷く。

 霞の提案通り、アイシャのランクアップと再会を祝って簡単な酒宴が開かれている訳だが……それにしたってあいつの攻略速度は尋常ではない。

 ついでに言えば――…

「うちの姫様は随分とあの子に懐いているみたいだな」

 姫様は姫様で何かと春姫の世話を焼こうとしている。

 春姫も同じく姫様の世話をしようとするので……まぁ、何だか微笑ましいやり取りが続いていた。

「懐いているとは……いや、否定はしないが」

 ソラールが曖昧に呻く。

「まぁ、何だ……。元々孤独な娘であったらしい」

 決して寡黙でも口下手でもないのだが……肝心な時に要点しか言わないのが、ソラールの昔からの癖だった。

 おかげでいまいち意図がつかめず――だから、しばしば変人扱いされているのだろう。

 もっとも、今回は分かりやすい方だが。

「そりゃまぁ、訳アリでもなければ良家の子女が娼婦見習いなんてやってないだろうな」

 いや、高級娼婦だったことを考えれば可能性が皆無とは言い難いが。

 それに、三年にわたる放浪の間、娼婦という生業が女性が独り立ちするための数少ない手段となっている国をいくつか見た。

 そして、下手な良家の子女よりも博識であり多才であり、為政者や有力者に重用されている娼婦も同じく。

 とはいえ、だ。

 だからと言って、あの少女にその手の仕事に対する適性があるとはとても思えない。

 ……まぁ、根っからの放浪者である俺が言うのもなんだが。

「不和があった……いや、一方的に不和にさせられたといったところか」

「まぁ、そんなところだ。よく聞く悲劇と言えば、確かにそれまでだが……」

 よく聞く悲劇か。

 それは例えば、あの子が生まれてすぐに旦那が他の女と逃げたとか。

 あるいは、母親が自らの命と引き換えに彼女の命をこの世に送り出したとか。

 おそらくそんなところだろう。いずれにせよ、深く踏み込むことではない。

「妹ができたようだと喜んでいたよ」

「そうか」

 言われてみれば、姫様は末っ子だ。

 ……今も生き残っているという意味では、間違いなく。

「助かったよ」

「気にするな。慣れないことだったが……その、何だ。俺も楽しかった」

 彼女がどう思っているかは分からないが――と、ソラールは小さく付け足した。

「それより、この宴もお開きのようだな」

「そうらしい」

 霞がアイシャの背を押し、姫様が少女の手を引いて食堂から出ていく。

 どちらの私室に向かうかは知らないが……まぁ、いいか。

「ま、仕方ない。今夜はお互いに再会を祝おうじゃないか」

 扉を閉める直前、アイシャが意味ありげな言葉を残していったのはいくらか気になるところだが。

「では、俺もお暇しよう。適当に部屋を借りるぞ」

「あ、ああ」

 ソラールまでが、いつになく意味ありげな笑い声を残すとやけに足早に部屋を出ていく。

 呼び止める暇を見失い、何となく途方に暮れた気分になっていると――…

「んんっ」

 微かな咳払いと共に、長衣の裾が引っ張られる感覚がした。

 振り返ると、そこにはカルラの姿が。

「この馬鹿弟子。私とて女なのだぞ。あまり恥をかかせるな」

「あ、ああ……」

 彼女が何を言わんとしているかは、流石に分かる。

 ただ、改めてとなると、妙に気恥しい。

 窓から差し込む月明かりが、彼女の黒髪をしっとりと煌めいていて。

 どこか儚げが顔が、今は熱を帯びたように潤んでいる。

 思えば、明るい場所で彼女を見ることは少なかった。

 そもそも、あの『時代』は陽光も月光も虚ろだったのだから。

 だから、だろうか。

 奇妙な緊張感と共に華奢な手を引き寄せて――…

 

 後のことは月夜だけが知る、と。

 まぁ、そんなところだ。

 

 ――…

 

 そう、全ては暗い月のみが知ることである。

 神の敵も。人の罪も。あるいは神の罪ですら。

 遥か昔から、そうだったのだ。

 

「ソラール? それが噂の『太陽の戦士』とやらの名前か」

『ソウダ』

 生臭く生温い空気に満ちた廃倉庫。

 明かりを絞られた魔石灯の微かな明かりの中で、元【イシュタル・ファミリア】残党――取るに足りない残り滓の首魁に頷いて見せる。

『貴様ラノ仇ノ友人。ソシテ、貴様ラガ継グベキ『遺産』ノ簒奪者ダ』

 もっとも、確証が得られたわけではない。

 未だあの怪物の手の中か……あるいは順当に【ガネーシャ・ファミリア】が保管しているかもしれない。

 だが、知ったことか。

『貴様ラハ一ツ勘違イヲシテイル』

「何だと?」

『コソコソト逃ゲ回ル必要ガアルノハ、貴様ラデハナイ』

 とも言い難いが。

 何しろ【イシュタル・ファミリア】は闇派閥(イヴィルス)との関係が疑われている。

 ましてこの首魁は、最重要参考人だ。

 見つかれば捕縛される――が、しかし、そこまで強硬な手も打てない。

『奴ハ神殺シダ。イツマデモ庇イキレルモノデハナイ』

 確かに『深淵』に対応できる希少な存在ではある。あの『厄災』がある限り、奴が処断されることはあるまい。

 だが、それだけだ。元よりあの男は危うい均衡の上にいた。そんな男が『神殺し』などすればどうなるか。

 実際、あの『神災』をもたらした男神の神意――『厄災』を用いてあの怪物を抹殺する計画を知っても、創設神はそれを咎めることができなかった。

 その神意を闇に葬り、故意に起こされた事件ではなく、ただの軽率な事故として片を付けた。

 それは、何も創設神の思惑ではない。

 あの男に重きを置くことを良しとしないのは、むしろオラリオの神意であり、あるいは民意である。

 いかに都市運営を担うギルドと言えど……いや、都市運営を担うギルドだからこそ、それらを無視できない。

『アノ暗黒期デスラ、神殺シヲ行ッタモノハイナイ。ギルドノ対応ハ不自然ダト感ジテイル者モイル』

 例の『深淵』なる呪詛(カーズ)は、一般人にもその恐怖を刻みはした。

 事実、アレは危険だ。現時点では、ギルドの発表通りあの【正体不明(イレギュラー)】にしか対応できないと見ていい。

 だが――…

闇派閥(イヴィルス)残党ノ濡レ衣ヲ着セラレタ今デモ、貴様ラニ同情スル声ガナイ訳デハナイ』

 いや、本質的には【正体不明(イレギュラー)】はやりすぎだと糾弾するものであり、この連中への同情とは言い難いが。

 皮肉にも、神々の降臨より千年続く『英雄神話』が、危険度を見誤らせている。

 だからこそ、奴の免罪についても人類は神々程には納得していない。

 特に神の眷属たちは。

(コレハコレデ奇妙ナ話ダガ……)

 ギルドと冒険者。神と人。神の眷属とそうでない者たち。

 それらの間で、意識に微妙な差異が――あるいは捻じれのようなものが生じている。

(ダカラコソ、好都合ダ)

 エニュオはそれを利用するつもりだった。

 奴が暴れれば暴れるだけ、各派閥とギルド、各主神と創設神の間に対立と摩擦が生じる。

 さらにそれらを他所の各派閥の思惑が……いや、オラリオ中の神々の思惑がかき乱すのは火を見るよりも明らかだ。

 ならば、いずれ全ては『狂乱』に至るのは必然とすらいえよう。

(モットモ、アノ男ノ真意モ分カラナイガナ)

 だが、それこそ知ったことではない。

 私はエニュオの神意に従うのみである。

 そして、その意に従ってオラリオを滅ぼすのだ。

『仕掛ケルナラ、急ゲ。近イウチニ【ロキ・ファミリア】ガコノ街ニ来ル』

 そのために、おそらくはあの怪物(イレギュラー)は有効な手駒となる。

 

 そして、ちょうど同じ頃。

 

「あ、明日は都市の外に行くでー」

 オラリオのどこかで、とある道化神もまた己の眷属たちに向かって告げたのだった。

 

 

 




―お知らせ―
 評価していただいた方、お気に入り登録していただいた方、感想を書き込んでいただいた方、誤字報告してくださった方、ありがとうごいます。
 次回更新は10月中を予定しています。

―あとがき―
 
 まずはお詫びを。
 更新、返信とも毎回毎回お待たせして申し訳ありません。
 怒涛の忙しさにちょっと本気でメンタル病みそうになったりとか色々あったので…。
 ストレスは耐えるのではなく、適時消化し、上手く受け流していく方がいいと思う今日この頃です。
 
 そんなわけで第二部第四章の始まりです。
 …ええと、温泉編はもうしばらくお待ちください。
 一応書いてはいるのですが、何か色々と納得がいかないというか何と言うか…
 更新が大きく遅れた理由の一つになるくらい苦戦していますので…。
 
 と、それはさておき。
 いよいよ我ら『混沌の従者』の主神、蜘蛛姫様の登場となります。
 拙作内では色々あってソラールさんと良い仲に。灰の人は義理の兄となります。
 なので、ソラールさんと同時期にオラリオ入りしていて、ガネーシャ様とも面識があります。
 デーモンとかその辺をガネーシャ様に伝えたのは姫様たちという訳ですね。
 というか、何故にソラールさんと?――と、ツッコミを入れた方もいらっしゃるかと思いますが、ゲーム内でもソラールさんを生存させるには蜘蛛姫様の協力が不可欠なので…。
 それと、拙作の場合、何となく両立できそうなルートに関してはごちゃ混ぜになっていたりします。
 ソラールさんで言えば、太陽虫寄生ルートと生存ルートですね。
 詳しくはまた後々作中で触れる予定ですが、寄生されたけど完全に自我を失う前に蜘蛛姫様の協力を得て主人公が救出したといった感じです。
 ソラールさんも不死人ですし、ちょっとくらい寄生されたとしても、完全に心折れる前に何とかすればきっと大丈夫かと…!
 ただ、誓約についてはソラールさんはあくまで『太陽の戦士』のままです。
 姫様的にはそのままのソラールさんが良いというか、それ以前に自分が誓約の主になっているということにまずびっくりというか…。
 実際、ゲーム内だと我ら『混沌の従者』ってそもそも蜘蛛姫様に認知されていない可能性が濃厚ですし…。
 ちなみに、灰の人はロスリックスタイル(ダークソウル3仕様)で、いくつか掛け持ちしています。
 
 姫様の姿は今のところ人の姿です。とはいえ、蜘蛛部分をどこかに置いてきたわけでもありません。戻れた理由は簡単に言えば、ロードランで灰の人が火継ぎをした際に、魔女の力をある程度取り戻し、混沌の炎…つまり、デーモン部分を抑え込むことに成功したといった感じです。
 特に姫様の場合は魔女の力の大半を封印に回しているので、それ以外には基本的に使えません。
 この辺はダンまちの神様と同じようなものですね。もっとも、火防女としての能力は健在なので…。
 と、まぁ詳しいことはまた追々作中でということで。
 じゃあロスリックのアレは何なんだということに関しても、また後々ということでひとつ。一応、色々と考えておりますので…!
 
 それと名前に関してですが、クラーンという名前は当然ながら公式のものではありません。
 プロットを組んでいる時に、海外版ではクラーンと呼ばれているという話を知りまして、あれこれ調べてみたのですが、どうやら海外での愛称のようです(私が調べられた範囲では、ですが)。
 我ら極東の不死人が『蜘蛛姫様』と呼んでいるのと同じですね。
 なので、拙作内でもこれは本当の名前じゃないよー的な感じで名乗っています。
 ちなみに、英語版の名前は『Quelaag's sister』。そのままというか…混沌という言葉は入っていないみたいですね。いやまぁ、『chaos girl(カオス☆ガール)』とか書かれてたら、それはそれでお、おうってなりますけど。
 これは余談ですが。
 姫様の素性や名前についても色々な方が考察されていますが、個人的には(結構ゲーム内で名前を見ることが多い)とある女神様ではないかと考えています。その辺を語り出すとちょっと長くなるので、今回は触れません…というか、拙作中でしっかり回収するかどうかを今も結構悩んでいますが(苦笑)
 
 竜狩りの槍については、ダンまちで言うところの神創武器となります。
 劇場版のあれとかダンメモ4周年イベントのそれとかと同じですね。
 ついでに補足として、拙作ではソウル錬成武器やドラゴンウェポンなど特殊な武器は普通に強いです。
 その代わり、ダンまちの神創武器と同じく簡単には使えない感じですね。
 
 そんなダンまちサイドですが、ロキ・ファミリアが『火の時代』関連の情報を必死になって探っている一方で、ヘスティア・ファミリアとその仲間たちはなし崩し的に触れることになりそうで頭を抱えているという構図が出来上がりました。何て言うか、諸行無常って感じですね(違)。
 そして、久しぶりの登場となる(と、いっても原作よりはだいぶ前倒しですが)春姫ですが、今のところ灰の人とは微妙な距離感があります。
 元々は良家の(しかも神事を司る家系の)娘なので相応の教育を受けていると思いますし、作中でも屈指の善良で心優しい人物でもあります。なので、神殺しに対して相応の忌避感を感じるのはむしろ必然かなと。
 灰の人にとっても、春姫の救出はアイシャのついでみたいな部分がありましたし、春姫は春姫で実際に目撃している部分って結構少ないですしね。あと、闇落ちしてた頃でも神殺し(天界への送還)はできなかったと、某エルフさんも言っていますし…。
 ガネーシャ様やシャクティさんもその辺のケアまでは手が回らず、傍にいた姫様も『火の時代』生まれなのでその辺の価値観がやっぱり違ったりするせいで、今のところ灰の人は春姫にとって『大切な恩人の義兄で、自分を助けてくれた人でもあるけどやっぱり怖い』という感じになっております。 あと、あんなに堂々とアイシャさんを身請けしようとしたくせに他の女を侍らせているのも結構なマイナスポイントです、きっと(笑)

 と、そんなわけで今回はここまで。
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が本当に遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。

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