SOUL REGALIA   作:秋水

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※21/04/11現在、仮公開中。
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第六節 巨人殺し(ジャイアントキリング)

 

「しッ!」

 モンスターどもの追撃を掻い潜りながら、クオンから渡された十字槍をふるう。

 流石に切れ味は悪くない――と、とてもそんなことは言えなかった。

()()()()()()()な)

 愛用の槍よりも遥かに鋭い。

 明らかに通常種よりも硬度の高いゴライアスの体皮すら容易く斬り裂けるほどだ。

 驚くほどの名槍だった。今まで振るったどんな槍よりも優れている。

 ()()()()()()()()()

(値踏みされているような気がする)

 果たして自らの使い手にふさわしい存在なのかを。

 ()()()()()()()に探られているように感じる。

(悪いが、もう少し付き合ってくれ)

 どこの誰とも知れぬ、本来の持ち主に頼み込むような気分で呟いた。

 認めてくれようがくれまいが、今はこの槍に命を預けるよりないのだから。

「ちぇあぁッ!」

 もっとも、ゴライアスの足止めという意味は概ね成功していた。

「うお……! またやりやがった」

 アーロンという騎士が、ゴライアスの巨脚を一刀のもとに両断する。

 これで何度目になるだろうか。

 おかげで文字通りに足止めができる。

「よぉぅし! ちょうどいい! 前衛はいったん下がれぇ!!」

 片足を失い、ゴライアスの巨体が再び地面に片膝をつく。

 その轟音をものともせず、ボールスが吠えた。

 魔導士たちの詠唱が終わったらしい。

「いい加減、こいつの面も見飽きたぜ。景気よく吹き飛ばしてやれ!」

「当然だ。いい加減、終わらせてやるッ!」

 ドワーフたちの激励に、エルフを中心とする魔導士たちもまた豪気な言葉で応じ――…。

「放て!」

 次の瞬間、何度目かの一斉射撃が始まった。

 周りのモンスターどもを巻き込んで、火炎弾と氷柱が雨の如く降り注ぎ、風の槌と雷の槍が打ちつけられる。

 そして、今まで通り削られた端から魔力が噴き出し、傷をふさいでは変容させていく。

 傷は決して浅くないはずだが、ゴライアスの猛威は今も健在だった。

「よし、魔導士どもは次の詠唱を始めやがれ!」

 落胆など抱かせる暇を与えず、ボールスが声を張り上げる。

「前衛はこのまま一気に畳みかけるッ! 遅れるなッ!」

 ボールスの怒鳴り声に、さらに続けて指示を重ねる。

「回復なんざさせねぇよ!」

 私より先に、サミラ達の一団を先頭した前衛たちが再びゴライアスの巨体にとりつく。

 一方で魔法の嵐に巻き込まれゴライアスを取り巻くモンスターは確実にその数を減らしていた。

 流石に灰にはなっていないものの、死骸の数の方が多くなっている。

 クオン達が『赤水晶』を破壊するまで攻撃の手を止めず、地面に縫い付ける。このまま倒せればさらにいい。

 不可能ではないはずだ。

 すでに北部と南部、そして北東部の『赤水晶』は破壊されている。

 魔法円(マジックサークル)こそまだ健在だが、すでにその効果は減弱していると見ていい。

 ゴライアスは変容こそ続けているが、自己再生は鈍りつつある。

「サポーターはマインド・ポーションをよこせ! 出し惜しみするなッ!」

 それを実感しているのだろう。

 前衛の士気は高く、魔導士たちもまたポーションを煽りながら、臆することなく次の詠唱を開始する。

 決して油断はできないが、こちらがやや優勢。

 おそらく、誰もがそんな手ごたえを覚えていたはずだ。

「いかん!」

 そんな中で、カルラの悲鳴を聞いた。

『――――――ルァア!!』

 異形の巨人が何かを叫ぶ。

 咆哮(ハウル)ではない。どちらかと言えば歌声のように聞こえた。

()()?)

 それは、もしや詠唱なのではないか。

 何でそんなことを思ったのか、自分でもよく分からない。

 だが、モンスターが魔法を使ってくることもあり得るのだと、今は知っていた。

 アレが神を殺すための『厄災』だとすればなおさらだ。

「【Vehementer.fortior】――!」

「全員その魔女の傍に集まれいッ!!」

 鋭く、焦りを宿したカルラの詠唱と、アーロンの有無を言わさぬ号令が重なる。

 お互いに引きずりあうようにして、冒険者たちがその場所に殺到する。

 そして、その防御障壁が展開されると同時――…

「【Retorta Barricade 】!!」

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 逃げ場などなかった。死骸など至る所に転がっているのだから。

 暗く歪んだ空間を挟んでなお、()()()()()()が視界に影を残す。

「~~~~~~~~っっ!?」

 轟音に混じって、周りの冒険者たちの悲鳴が響き渡って――…

「くっ……」

 肩で息をしたカルラが、両膝をつく。

 杖がなければそのまま崩れ落ちていただろう。

「大丈夫か?」 

 すぐさま彼女を庇いながら、背中越しに訊ねる。

「ああ。……だが、この範囲を覆うのは、流石に辛いな」

「助かった」

 砂塵の燻る荒野に残っているのは、私達とゴライアスだけ。

 犠牲者が出ていないか分からないが……出ていたとしても、一目では分からない程度だ。

 リオンやアイシャ、サミラは無事。ベル・クラネルのパーティも同じく。

 アーロンは言うに及ばず。【タケミカヅチ・ファミリア】も健在だ。

 ボールス達の姿もある。

 後衛――魔導士とその護衛は元から距離を取っている。多少ならず余波は届いただろうが、致命傷には至るまい。

 ならば、壊滅には程遠い。少なくとも、数の上では。

 むしろ爆炎を跳ね返され、ゴライアスの方がふらついているくらいだ。

「野郎、今度は何しやがった……?」

 冷や汗を拭いながらボールスが呻く。

「【死者の活性】。闇術においてさらに悍ましい一つ、か」

 呟いたのはカルラだった。

「どんな魔法だ?」

「死体を爆弾へと変える禁術だよ。もっとも、()()()()ではないだろうがね」

 弾む息を宥めながら、カルラが肩をすくめた。

 いや、ただ単に肩で息をしているだけだろうか。

「おそらくは、貴公らが集めているあの貴石……魔石を起爆させているのだろう」

「魔石をだと?」

「不思議か。だが、この時代では、あの貴石の力を使って様々な道具を生み出しているのだろう?」

 角灯(ランタン)から昇降機(エレベーター)まで。オラリオの多くの機器は魔石によって動いている。

 つまり、それだけの力を内容しているという訳だ。

「それがあれだけ集まっていた。となれば、この威力も納得と思わないか?」

「クソッたれがッ!」

 カルラの言葉にボールスが焼けた地面を蹴飛ばした。

「つまり魔石を正確に砕き続けろってことか?」

 言うまでもなく、魔石を粉砕するのはモンスターを最も効率的に討伐する方法だ。

 だが――…

「そいつぁ確かに鉄則の一つだがな。だからって、いつもそう上手くいくもんでもねぇぞ!」

 それが容易いのであれば、ダンジョンの中で命を落とす冒険者の数はもう少し減るだろう。

 私達が『力』をつけ、『器用』さを磨き、『魔力』を高め――各々が魔石を破壊せずに済む方法を身に着けているのは、何も魔石を回収するためだけではない。

 一撃必殺など容易いことではない。ただそれだけの話だ。

 だが、あの魔法がある限り、選択肢は二つしかない。

 魔石を正確に粉砕し続けるか。それとも、魔石を破壊するひと手間をかけるか。

 どちらを選ぶにせよ厄介だ。 

 モンスターとて、そこが己の急所だと理解している。

 戦闘中に急所を正確に狙い続けるなど、相当な実力を求められる。

 この状況でそれができるかと言われれば、私とて不可能だ。

 ならば、討伐後に魔石を砕く手間をかけるか。

 しかし、この数を相手にする上ではそのひと手間が命取りとなりかねない。

 無論。だからといって、生きたモンスターをすべて無視してゴライアスと戦えるわけもなかった。

 先ほどと一転して、冒険者の中に動揺が広がっていく。

『ケケ――…』

 その時、奇妙な音が聞こえた。

 いや、これは音ではない。

 声だ。

「あの野郎……ッ!」

()()()()()()

 サミラとアイシャが呪詛めいた呻き声をあげた。

 そう。それは()()()だった。

『ケケ……。カカ……ッ。ヒヒ……ッ!』

 不器用に。ぎこちなく。

 しかし、それすら意に介さない程に。

『ハハッ! ハハハハハハハッハハハハハハハハッッ!!』

 狂ったように。そして、歓喜するように。

 とめどない哄笑がダンジョンを震わせて――

「クソ、もう産出されるのか……!」

 次々に地面から生まれ出るモンスターたちの吠声が、それに重なって響く。

「ッッ!!」

「ふざけろ……ッ!」

 ベル・クラネルが奥歯を噛みしめ、赤毛の青年――確かヴェルフと呼ばれていたか――が悪態をつく。

「こんなもん、どうすんだよ……」

 本体の再生能力はいまだ健在。敵戦力は無限。

 そして、その倒せば屍までが脅威となる。

 そんな状況の中で、ついに誰かが小さく呻いた。

 返事はない。

 だが、恐怖という名の小波(さざなみ)は確実に冒険者の中に広がり始めている。

 それは遠からず、すべてを飲み込む大波へと変わるはずだ。

(何人踏み止まれる……?)

 敵の潜在能力(ポテンシャル)はまだ未知数。

 その真価が明らかになった時、こちらにどれだけの戦力が残るか。

 ……いや、そもそもその真価を引き出すことすらできるかどうか。

 それに、いくら『赤水晶』を破壊したところで、それだけでゴライアスが倒れるわけでもあるまい。

 こちらはこちらで討伐できるだけの余力を残しておく必要がある。

 だが、果たしてそれは可能か? 

 笑い続ける巨人を前に、その答えを見出すことはできなかった。

 

 …――

 

 最初に北東部の『赤水晶』を目指したことに特別深い意味はなかった。

 ただ、モンスターの包囲が薄く、突破しやすい場所がそこに通じていただけだ。

「む……?」

 時間が惜しかったが故の判断だ……が、もう少し熟考すべきだったのかもしれない。

「いったい誰が……?」

 俺が到達した時、すでにその『赤水晶』は破壊されていたのだから。

 残された残骸を軽く撫でる。

 それは砕かれたというよりは、どうやら()()()()()らしい。

 しかし、この強度の水晶を切断するとなると生半な腕ではない。

 リヴィラの冒険者たちはまだ道半ば。まだこの域には届かない者が多いと思っていたが……。

「俺としたことが、知らぬ間に慢心していたのかもしれんな」

 彼らもまた試練を乗り越えた者たちだ。

 このように鋭い斬撃を身に着けた者もいるのだろう。

「誰かは知らぬが、礼を言うぞ!」

 だが、反省後回しだ。

 今は一刻を争う。そして、この助力を無駄にするわけにはいかない。

 誰とも知れぬ相手に礼を告げてから、素早く踵を返し、南東部を目指して走り出した。

 

 …――

 

「こんなことならメイスの一本も用意しておけば良かった」

 森の中を駆けながら、思わず毒づいていた。

 当然ながら、本来あの巨人が住まう空間への通路前の『赤水晶』の破壊は終わった。

 それはいい。ただ、思った以上に硬く、時間が必要となった。

「かもしれませんね」

 私の声が聞こえたのだろう。少し後ろを走るアーデ様が苦笑するのが分かった。

「アーデ様、体の方は大事ありませんか?」

「大丈夫です。泣き言を言っている暇もありませんから」

 幼く小さな体で、彼女は気丈に笑って見せた。

 ……いや、幼いということはないのかもしれない。

 驚くべきことに、彼女は()()なのだから。

「もうそろそろ次の『赤水晶』があるはず―――ッ!?」

 アーデ様の言葉を遮って、その小さな体を押し倒していた。

 少し前まで私達がいた空間を、青白いソウルの輝くが射抜いていく。

(【ソウルの矢】!?)

 はっきりとは見えなかったが、その系統のどれかだろう。

 となると、襲撃者は同郷の何者かということになる。

 内心で毒づきながら、抱えたまま地面を転がり跳ね起きた。

「貴様……ッ!」

 そこにいたのは二人の――おそらくは――同類だった。

 一人はどことなく優美な拵えの鎧を着込み、手には火の灯った斧槍とも杖とも見える得物を携えた騎士。

 もう一人は大兜(グレートヘルム)をはじめとする重鎧。

 携えた大盾には天を仰ぐ大鳥の紋章が描かれている。

 肩に担ぐようにして構えているのは≪グレートメイス≫。

 その姿は間違いなく――…

「聖堂騎士……ッ!」

 忌まわしき『深みの大聖堂』に……いや、あの『人喰らい』に仕える騎士だった。

「――――」

 見慣れぬ鎧の何者かが、聖堂騎士に何事か囁く。

 すると、その騎士は肩をすくめて、一歩前に出た。

 何故こんなところにいるのかは知らないが、戦闘は避けられまい。

「アーデ様。申し訳ありませんが、私がお供できるのはここまでのようです」

 そして、避ける気などなかった。

「アンジェ様……!」

「ご心配には及びません。すぐに後を追いかけます」

 もう片方は、魔術の心得がある。二対一は不利だが――…

「ですが、今は一刻を争います。あの街の者どもに水晶を破壊させるようお願いいたします」

 そんなことは、知ったことではない。

 奴らは殺す。最後の一人まで必ず。

「必ず……。必ず追いかけてきてくださいね……っ!」

 あの子は聡明だ。私の助けなどなくとも、ここからリヴィラまでなら何とか辿り着けるはずだ。

「殺してやる……ッ!」

 少女を危険にさらしたこと。小さな女神様の護衛に向かえないこと。

 そんな悔恨も、怨嗟の炎の中ですぐに燃え尽きてしまった。

 顔どころか名前すらも思い出せない程に。

 

 …――

 

 主戦場から離れてしまえば、モンスターの数はそこまでではなかった。

 モンスターの産出はいうほど活発になっているわけでもないのかもしれない。

(いや、ただ単にゴライアスの周りに集中しているだけか?)

 さほどの問題もなく一つ目の『赤水晶』を破壊してから、内心で呟く。

 いずれにしても、俺にとっては好都合だった。

(不用心さならシースといい勝負だな)

 あんなに脆い原始結晶をそのまま置いてあったあの禿竜を思い出す。

 何しろ、硬さで言えばこの水晶の方が遥かに硬い。

 ……道中の厄介さで言えば、向こうの方が遥かに上だったが。

「まぁいい」

 無駄口を叩いている余裕も暇もない。

 このまま北西部の『赤水晶』を破壊してから、リヴィラに向かう。

 足止めさえしてやれば、後は巨人の傍にいるカルラやアイシャ達がどうにかするだろう。

(ソラールも合流するだろうからな)

 ついでに、アーロンもいる。

 つまるところ、再生能力さえ奪ってやれば後は何とでもなるわけだ。

 大口を叩いた割には地味な役回りだが、世の中得てしてそういう仕事こそが重要なのだった。

 

 そう。戦局を左右する程度には。

 

『何やら面白いことになっていると覗いてみれば』

 となれば、やはりそう容易く完遂することはできないのも必然といえるだろう。

 肉声ではない声。不吉の先触れに、小さく舌打ちする。

『懐かしい顔と再会できるとは。これこそまさに僥倖というものよなぁ』

「こっちは不運の極みだがな」

 アーロン騎士の鎧に身を包み、長刀の≪人斬り≫を携えたその闇霊には見覚えがあった。

 四年前、『深層』で遭遇し、地上まで逃げ帰る羽目になった……その原因の一つになった存在だ。

「今度は何の用だ?」

『闇霊を前に何の用もなかろう?』

 同じ問答を確か四年前にもやった気がする。

 なら、今回も結論は変わるまい。こちらの都合を斟酌してくれる闇霊というのはあまりいないのだから。

『さぁ、死合おうではないか!』

 四年前と違いがあるとすれば、撤退という選択肢はあり得ないということくらいか。

 もちろん、先に一人で篝火に戻るなど論外だった。

 

 ――…

 

 下草を踏み潰しながら、森の中を疾走する。

「チッ……!」

 青い閃光が肩を掠めていく。

 あの見慣れぬその騎士は手練れの魔術師だった。

(あの燃える鉄塊が杖の代わりだったのか?)

 まず間違いない。そして、あれは炎を操る触媒でもあるらしい。

 虚空から突如として炎が撒かれ、あるいは足元から立ち上る。

 炎を操るなど、まるで呪術師のようだ。

(厄介な奴め……!)

 もっとも、立ち振る舞いは明らかに魔術師のそれだった。

 姿()()()()()()()()()()()魔術で狙撃してくる。

 ヴィンハイムの隠密の恐ろしさは幾度となく耳にしてきたが、なるほど確かにこれは厄介だった。

 まして、この遮るものの多い森林地帯では。

(これは【強いソウルの太矢】か……)

 詠唱速度がさほど早くないのがせめてもの救いだろう。

 それとも、ただ単に遊んでいるだけか。

「―――――」

 木陰に飛び込みながら、こちらも物語を口ずさむ。

 その名を【白教の輪】。

 名前が示す通り、白い光輪が木々を斬り裂いて飛ぶ。

 姿が見えないとなると、狙いなどまともにつけられない。

 そして、向こうは手練れだ。そんな攻撃に当たるような無様は晒すはずもなかった。

(こんなところで遊んでいる場合ではないというのに)

 聖堂騎士は■■■■■を追っていった。

 ■■では、あの忌々しい狂信者を殺すことはできまい。

 最悪は、あの街にいる■■■■■■まで狙われる事になりかねない。

 擦り切れた人間性。怨嗟の炎の陰で、何かが囁いている。

 そのせいで、気が焦っているのは自覚していた。

 戦闘に邪魔にしかならない雑音だ。……そのはずだが、何故か無視できない。

(自分を囮にするしかないかッ!)

 この奇跡は一度放っても、()()()()()()()()()()()性質がある。

 射線上に立ち、相手を私と光輪の間に誘い込めば、背後から一撃喰らわせられるはずだ。

 一撃喰らうことを覚悟して、盾を掲げる。

 例え光輪が当たらずとも、魔術が放たれる瞬間が見えればいい。そうすれば、奴の位置が分かる。

(耐えられないことはないはずだ)

 あくまで建前として。

 聖職者と敵対するよりは魔術師と敵対する可能性の方が高い。

 それこそ、魔術の聖地ヴィンハイム。その中枢と言える竜の学院が抱える『隠密』は有名すぎるほどだ。

 だから、騎士たちに広く愛用されるこの盾は、それなりに魔力への耐性がある――…。

「がぁ……っ?!」

 そう。それなりの耐性はある。

 だから、命拾いした。

 ……背筋を舐めあげた悪寒に従い、最後の最後で僅かに身を捻ったからというのも理由の一つかもしれないが。

(貫か、れ……ッッ!?)

 気づいた時には、横腹をごっそりと抉り取られていた。

 地面に転がり、身もだえる。

 擦り切れた人間性の中では、ともすれば痛みなど他人事のようにしか感じない――が。

 今感じる激痛は、それでも神経を苛んでいる。

(何が……?)

 目に焼き付いているのは、半ば実体化した……結晶化した魔力の光だった。

 

 ――彼女が知らないのは無理もない。

 それは結晶魔術。

 かの【ビッグハット】ローガンが遺した魔術の神髄。

 あるいは、魔術の祖たる白竜シースの狂気の結晶。

 つまりは魔術の秘奥である。

『魔術とは才能である』

 ――と、ヴィンハイムが誇る竜の学院は嘯く。

 その言葉に準ずるなら、その域に至る才能の持ち主はごく限られるのだ。

 かの巡礼地にすら、それを修めた者は限られるほどに。

 彼女が出会ったことがないとしても、それは仕方がないことだった。

 だからこそ――…

 

(ク、ソ……ッ!)

 分かったことはたった一つ。

 相手は今まで対峙してきたどんな魔術師たちよりも手練れだということだ。

 地面に爪を立てて、近くの水晶の陰までどうにか這いずる。

「―――――」

 その水晶柱に身を預け、喉をふさぐ血を飲み込んで物語を口ずさんだ。

 ただの生者なら――いや、不死人ですら即死していてもおかしくない傷だ。こんな状態ではとても戦えない。

 だが――…

(ダメか……!)

 悠長に回復を許してくれる相手ではない。

 水晶柱が容易く撃ちぬかれる。

 舌打ちする暇もなく、もう一度地面を転がってから走り出した。

 

 ――…

 

「はっ、はっ、はっ、は……っ!」

 逃げるのには慣れていた。

 ダンジョンの中を。オラリオの街中を。

 命がけで逃げ回るのには慣れっこだった。

 我ながら酷い人生だったと今でも思う。

 でも、だからまだ体は怯え竦まずに走ってくれているのかもしれない。

 ……そのおかげとは、口が裂けても言いたくないけれど。

「っ?!」

 余計なことを考えたのは失敗だった。

 枝を避け切れず、フードが外れる。額も少しだけ切れたかもしれない。

 それでもいい。滴る血が視界を塞がない限りは何の問題もない。

「きゃあ?!」

 盾にするつもりだった大木が、いともあっさりと粉砕させられ、背後から倒れてくる。

 衝撃に押され、前に転んだのが幸いだった。

 そうでなければ、押しつぶされていたかもしれない。

(なんて馬鹿力……ッ!)

 慌てて跳ね起きながら、内心で毒づく。

 どう考えても尋常な腕力ではなかった。

 あくまで体感だが、これでは【猛者(おうじゃ)】どころかクオン様すら上回りかねない。

 ……もちろん、力比べなんてしたことがあるわけもないのだけど。

(もしかして、これが『ハベルの戦士』でしょうか?)

 鎧の形状は全く違うが、尋常ならざるその剛腕であれば本当にあの馬鹿げた大槌だの大盾だの特大剣だのを使いこなせるかもしれない。

 ……だからと言ってしまうのは流石に乱暴すぎますが。

(ですが、()()()()()()()()()()()となるともう間違いありません)

 今リリを追っているのは、クオン様側の存在――つまりは不死の英雄ないしその候補者――と考えていい。

「――――ッ!」

 今さら恐怖と戯れている暇はない。

 竦みそうになる足を強引に回転させる。

 疲労もたまりつつある膝は今にも抜けそうなほど頼りない。

(負けるものですか……ッ!)

 単に遊ばれているだけなのは分かっていた。

 この追跡者は、リリなんていつでも殺せる。

 その確信のもとで、遊んでいるのだ。

 子猫がとらえた鼠を弄ぶように。

 それもまた、慣れっこだった。

 いつものことだ。ベル様たちと出会う前なら。

(リヴィラまで逃げ切れば――…)

 今はとにかく、リヴィラまでたどり着くことだけに意識を集中させる。

 そのすべてを何とか出し抜いてきたから、今ここにいる。

 それだけ覚えているのなら、怒りも諦観も恐怖も全部どうでもいい。

(それで、どうにかなるでしょうか……?)

 ただ、疑念だけは消せなかった。

 今のリヴィラに待機しているのは、サポーター役に徹するよりない、もしくはあのゴライアスとの戦いで心折れた冒険者たちだ。

 この追跡者を相手にできるかと言われれば……。

(クオン様がリヴィラに辿り着いていることに賭けるしかありません)

 向こうの残酷さがリヴィラにつくまで途絶えないように祈るしかない。

 思いつく限りの手を考えてなお、結論はそこから微動だにしなかった。

  

 ――…

 

 戦況は最悪だった。

 無数の武器が壊れ果て、至るところに散乱している。

 使い手もまた同じ。前衛攻役(アタッカー)前衛壁役(ウォール)も倒れ伏していた。

 今はまだ無事な冒険者が必死に応戦し、彼らを庇っている。

 彼らが元々護衛していた魔導士たちもまた、すでに散り散りになっていた。

「来るぞぉおぉっ!?」

 冒険者の悲鳴をかき消すように、ゴライアスがその両拳を天高く掲げ……そして、何の技もなく地面に叩きつける。

 それだけで充分だった。

 叩きつけられた拳は大草原――普段はそう呼ばれている大荒野を叩き割り、地割れと衝撃波を生み出す。

 放射状に広がる破壊の津波は、散発的に抵抗を続ける冒険者を容易く呑み込んでいく。

「避けろおおおおおッ!」

 そのまま両手で地面を掴み、ゴライアスが()()

 四つ足の獣の如き疾走。巨体が繰り出すそれは、あのミノタウロスの突撃よりもさらに凶悪だった。

 お互いに引きずりあうようにして、冒険者たちは命からがら射線から逃げ伸びる。

 それでどうなるものでもない。

「ひぃ、また跳び――…」

 ゴライアスの巨体が空高く跳んだ。

 そして、四肢を投げ出した姿勢で、ただ地面に落下してくる。

 ただそれだけのこと。

 ただそれだけの動きで、あのゴライアスは冒険者の包囲網を壊滅させていた。

 

 ……あの一瞬で。

 

「ま、魔導士ども! ビビってんじゃねぇ! 詠唱を続けろぉ!」

 ボールスさんの叫びに応じて、魔導士たちが詠唱を始める。

 ゴライアスが初めて跳んだのはその時だった。

「なん……ッ?!」

 七Mを超えようかという巨体が軽々と宙を舞う。

 それは、およそ現実離れした光景だった。

 もしここを生き残れたなら、しばらく夢に出そうだと真剣に思う。

「撃てぇ?!」

 詠唱を終えていた何人かの魔導師が魔法を放つ。

 それは確実に傷を負わせたが……ただそれだけだった。

 その巨体を消し去るには程遠く、残された質量はただそれだけで破壊力を帯びる。

 いかに屈強な前衛壁役(ウォール)と言えど、どうしようもなかった。

 盾で防げるような次元ではない。

 むしろそれを投げ出し、代わりに詠唱中の魔導士たちを担ぎあげて逃げるしかなかった。

 そして、()()

 圧倒的な衝撃波が前衛攻役(アタッカー)前衛壁役(ウォール)も魔導士も、モンスターの群れさえも飲み込んで蹂躙した。

「【Retorta Barricade 】―――!」

 あの時と同じく、カルラさんの防御障壁がなければ全滅すらあり得ただろう。

 

 ただ、避けられたのは全滅だけ。

 曲がりなりにも存在していた連携や陣形は、その一瞬、たった一撃で完全に崩壊していた。

 それでも、戦闘自体はまだ続いている。でも、相手はゴライアスではない。周りのモンスターが中心となりつつあった。

 

「私はゴライアスの足止めをします」

 リューさんはその後、僕に自分のパーティに戻るように言い残すと一人で最前線に。

 

「はぁああああッ!」

「おぉおおおおッ!」

 シャクティと驚くほどに息の合った連携を見せ、最前線でゴライアスに攻撃を続けている。

 

「行くよあんた達! 遅れるんじゃないよッ!」

女戦士(アマゾネス)の意地を見せやがれッ!」

 それに続くのは、アイシャさんとサミラさんを中心とした僅かなアマゾネスたち。

 

「破ッ!」

 単身でゴライアスを翻弄するアーロンさん。

 

 そして、そして……。

 

「クソッたれ、がぁ!」

 半ば自棄になりながら、散発的な攻撃を繰り返すいくつかの小パーティだけしかない。

 

「止められない……!」

 その中に、まだ辛うじて僕達も混じっていた。

「クソッ、このままだと本気でマズいぞ……!」

「分かっている。だが……!」

 リューさんと別れてすぐ、何とか合流できたヴェルフと桜花さんが呻く。

 本人も武器ももう傷だらけだ。

 それどころか武器は補給がままならず、比較的まともな武器を何本か拾い集めては、使い捨てている。

 そんな有様じゃ、階層主相手に足止めなんてできるわけもなかった。

 問題はそれだけじゃない。

「モンスターの数が多い!」

 戦意を保っていても、周りのモンスターへの対応で手一杯になっているパーティなら他にもいくつかある。

 このままでは、僕らもその仲間入りをすることになりかねなかった。

「カルラ殿……!」

「あの水晶がある限り削り切れそうにない。あの馬鹿弟子め。どこで遊んでいる?」

 いっそ懇願するような命さんの言葉に、息を切らしながらカルラさんが首を横に振る。

 もう足止めなんて、できていないも同然だった。

 戦場はすでに中央樹を通り過ぎている。

咆哮(ハウル)』の射程はすでに湿地帯を捉え、もうすぐリヴィラのある湖にも届くだろう。

(神様……!)

 握りしめた右手が、小さく音を奏でた。

 粉雪のような白い光が収斂する。

「―――――!」

 それを見つめて、覚悟を決めた。

 

英雄願望(アルゴノゥト)

 

 神様に与えられた起死回生の『スキル』。

 だけど、この力は体力も精神力(マインド)も大きく削り取る諸刃の剣だ。

 使えば最後、この先の戦いには参加できなくなる可能性が高い。

 あの『赤水晶』が破壊されるまで温存していたのはそのためだ。

 

 ――もし、足止めにもならなかったら

 

 ――戦えなくなったら

 

「カルラさん」

 次々に沸き起こる迷いを、すべて振り払った。

「もう少しだけ、ゴライアスの足止めをしてください」

「ああ、やってみよう」

 カルラさんの詠唱を聞きながら、畜力(チャージ)を開始する。

「時間はどれだけ必要だ?」

「三分」

 ヴェルフの問いかけに短く答えた。

 それが、現状における最大畜力(チャージ)時間だった。

「よし、分かった。『咆哮(ハウル)』なら俺が全部弾き返してやるから安心しろ」

「ならば、迫るモンスターは自分たちが」

「ああ。一匹たりとも通しはしない」

 ヴェルフ達もそれぞれが武器を構える。

 みんなの姿と、周りから聞こえる悲鳴にも似た叫び声につい泣きそうになった。

 歯を食いしばり、それを堪える。

 三分。今の状況では恐ろしく長い時間だ。

 でも、三分あれば残り三つの『赤水晶』が破壊される可能性も充分にある。

 そうでなくとも、泣き言は言っていられない。

 足止め、時間稼ぎなどと消極的な考えはやめる。

 求めるのは一撃必殺。

 魔石ごと吹き飛ばすために必要なのは最大出力の一撃だ。

(早く、早く……!)

 焦る気持ちを必死に自制する。

 半端な畜力(チャージ)は許されなかった。

 

 ――…

 

 逆袈裟に走る剣閃が翻り、脳天へと流れ落ちる。

 手にした大剣で迎え撃つ――が、その動きを見せた時にはするりと転身し、首を刈る一撃へと変貌していた。

 ヒュ――と。斬り裂かれた喉から空気が漏れる。まったく、生者ならそれだけで致命傷だ。

 内心で毒づきながら、後方に跳ぶ――が、やはり間合いが広い。刺突が肩をかすめる。

 長刀が生み出す圧倒的な間合いと、命を刈り取るためだけに生み出される美しいまでの太刀筋。

 四年前に味わったその技の冴えは、さらに磨きがかかっているように感じられた。

『ほう? 確かに四年前よりは腕を上げたようだ。我が姫君が追い詰められたのも納得というもの』

 充分に間合いを開きエストを一口煽る。

 闇霊は追撃してこなかった。その代わり戯言が耳に届く。

 ……いや、戯言とも言い切れないか。多少なりと気になることもある。

「姫君?」

 女に剣を向けたことがないわけもない。

 今まで殺してきた亡者や闇霊には女もいただろうし……襲ってきた同胞にも当然いた。

 オラリオでいえば、それこそアイシャのところは女の方が圧倒的に多かっただろう。……彼女たちは、殺してはいないはずだが。

 そして、誰より有力なのは――…

「あの赤毛の美人のことか?」

 戯言に付き合う義理はない――と、言いたいところだが。

(解毒まで時間が欲しい)

 すでに毒が回り始めている。

 もう少しで致死量に到達するだろう。そうなれば、流石の不死人(おれたち)も無視できなくなる。

 ……それに、こういう化け物に付きまとわれていそうな美人は彼女が最有力だろう。

 何となくそんな気がする。

『いかにも。美人であろう?』

「ああ。あの気だるそうな顔には何とも言えない色気があるな」

 相手の惚気に付き合う義理など、それこそ全くない訳だが……。

(駄目か。やはり()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()は、エストの力で復元した。

 だが、一口分では力が足りず――加えて呪毒の影響もあって――握力がまだ充分に戻ってこない。

 無論、不死人の体だ。繋がっている限りは動く。凡庸な相手なら、この手でも充分だ。

 ――が、この『人斬り』相手に盾を扱うとなると少々心許ない。

 とはいえ、もう一口飲ませてくれるほど親切ではあるまい。

 相手に油断など欠片もなく、何か動きを見せれば迷わず斬りかかってくる。

 ……つまり、ほぼ片腕の状態でこの闇霊を始末しなければならないわけだ。

『美貌もさることながら、それにあの体!』

 なら、せめて毒が抜けるまで、もう少し時間を稼がせてもらうとしよう。

『いくら切り刻んでも飽き足りなかろう?』

 ……まぁ、確かに。

 丈夫な体だったのは俺としても全く否定のしようがないが。

「…………」

 どうやら、あの美人は男運がとことんまで悪いらしい。

 毒とは別の原因で眩暈を感じたような気もしたが、それはともかくとして。

『アレは私の獲物(もの)だ。貴殿にはやらぬよ』

 ……これもいわゆる『犬も食わない』話なのだろうか。

 どうでもいい疑問が浮かぶ頃には、ひとまず解毒だけは終わった。

 盾を構えるのは諦め、両手で武器を構える。

 もっとも、今の握力ではさほどの意味はないだろうが。

『さぁ、続きといこうか!』

 巨人の嗤い声は徐々に近づき、しかしリヴィラにはまだ遠い。

 冒険者の声はあまり聞こえなくなってきた。

 終わりを迎えつつある戦場はすぐそこまで来ているというのに。

 この中途半端で無意味な場所で、もうしばらく足止めされる羽目になりそうだった。

 

 ――…

 

「リオン、無茶をするな!」

「そうは言っていられないでしょう」

 巨人の懐にあえて留まり、『囮』を務めながらシャクティの声に応じる。

 そうしている間にも、圧倒的な拳圧にケープが引き裂かれていく。

 直撃すれば、いくらLv.4といえどただでは済まない。

(思った以上に『赤水晶』の破壊に時間がかかっている)

 クオンさん達も何かしらの異常事態(イレギュラー)に巻き込まれていると見ていい。

 守護者の類でもいたのか。それとも、別の何かか。

 いずれにせよ、すでに状況は変化した。

(もはや消耗を惜しんでいられる局面ではない)

 冒険者の包囲網は瓦解し、ゴライアスの行く手を阻むものはないに等しい。

 もしこのままリヴィラを襲われ、神ヘスティアと神ヘルメスが送還されるようなことになれば。

 その時に放出される神威に反応して、今度はどんな怪物が出てくるか想像もしたくない。

 いや、それ以前に――…

(変化速度が上がったか。攻撃も通りにくくなっている)

 ゴライアスの体皮は確実にその強度を増していた。

 動きの素早さは今さら言うに及ばず、また力も増している。

 今のゴライアスを相手にするには、Lv.3以上は欲しい。

 だが、そんな冒険者など、オラリオ全域を見回しても限られてくる。

 今この場にいるとすれば――純粋な冒険者に限れば――片手で足りた。

(私も死力を尽くさなくては)

 その中の一人として。

 それに、一線を退いたとはいえ私にも冒険者としての意地がある。

 クオンさんは言うに及ばず、アンジェさんやアーロンさんの後塵を拝してばかりはいられない。

「シャクティ、ゴライアスの魔石は狙えますか?」

 時間がかかっているとはいえ、要である『赤水晶』はその数を半分にまで減らしている。

 再生能力は変わりないが、再生頻度は低下していた。

 魔力を惜しむ知恵があるのか、それとも単純に供給が鈍ったのか。

 どちらかは分からないが、いずれにしても自己再生が止まったわけではない。

 しいて言えば『咆哮(ハウル)』の頻度が下がったようにも感じるが、その分物理的な攻撃が激しさを増した。

 どちらが厄介かは意見が分かれるかもしれないが、それを論じている余裕は誰にもない。

「まだ難しいな。先ほどから試しているが、やはり体皮が硬すぎる」

 見慣れない十字槍を振り回しながら、シャクティが首を横に振った。

 今のところ――冒険者の中では――シャクティの攻撃が最も効果的なように見える。

 現状で唯一のLv.5ということもあるだろうが……。

「一撃でなくていいなら、届かせる自信はある。だが、それならお前も同じだろう」

「ええ。一撃でなくていいなら」

 攻撃を胸部に集中させ、体皮を削る。そして、後は魔法による一点突破。

 つまりは正攻法だ。

 本来ならそれを狙いたいところだが……。

「ですが、こうも素早く再生されては」

 削った端から再生されるのでは、そうもいかない。再生速度を上回れるほど攻撃に集中させてくれるほど容易い相手でもない。

 加えて言えば、向こうも魔石を守ろうとしているのか、胸部の体皮は特に硬くなっている。

 斬り裂くにはより苛烈な攻撃を繰り返す必要があるが……結局のところ自己再生が厄介であり、それを封じるには『赤水晶』の破壊が不可欠というわけだ。

 現状では足止め以外に打つ手がない。だが――…

「このまま戦力を失えば、とどめを刺すこともままならなくなる」

 例え『赤水晶』を破壊したとして、失われるのは魔力の循環のみ。

 自前の魔力が枯渇するまで自己再生は続くと考えた方がいい。

 そうでなくとも、しばらく暴れまわるのはまず間違いない。

 つまり、私達が討伐するしかなく、そのためには相応の火力が必要だった。

(だが、私と【麗傑(アンティアネイラ)】の魔法だけで足りるか?)

 いや、他にあのカルラさんという魔導師とソラールさんという戦士の魔法。

 アーロンさんという剣士と、何よりクオンさんが戻ってくれば最低限の火力は確保できるはずだが……。

(確実に倒すなら、やはりリヴィラの火力も必要か)

 もっとも、今やリヴィラの冒険者の大半が戦線を離脱している。

 完全に離脱していないまでも、かなり後方まで下がり、何とか体勢を立て直そうとしている。

 どこまで復帰できるかは不明だが……ともかく、今は魔導士たちの護衛に専念してもらった方がいい。

 どのみち、階層主を討伐するには火力はいくらあっても困らないのだから。

「ッ?!」

 ほんの一瞬、思考に意識を割きすぎた。

 地面を砕くゴライアスの腕を駆け上がり、肘辺りから飛び降り――ついでに、そこに群がっていたモンスターの群れを強襲する。

 魔石を砕かれ、灰と化すモンスターの向こう側を白い光が疾走して行く。

「クラネルさん?!」

 白い燐光に包まれた少年の姿の背中。

 彼への反応が遅れたのはそのせいだった。

「くッ! シャクティ!」

 そして、今からその背中に追いつくには、行く手を阻むモンスターがまだ少し多すぎた。

 

 ――…

 

 白光の粒子の収束が終わった。

「溜まった……!」

 小刻みになる(チャイム)の音はそのまま、発光状態を維持するその右手に、いっそ安堵にも似た感情が吹き荒れる。

 その衝動のまま手を握りしめ、地面を蹴った。

 放たれた矢のように荒野を疾走。

 万が一にも射程圏外なんてことは許されない。充分な距離に近づかなくては。

「クラネルさん?!」

 ゴライアスに肉薄した瞬間、近くからリューさんの声が聞こえたような気もしたけど……。

(捕まえた……!)

 やっとゴライアスに並んだ。

 その赤く光る双眸が自分をとらえるのを肌で感じる。

「サミラ、ベル・クラネルを援護しろッ!」

「【リトル・ルーキー】のだと!?」

「坊やだって?!」

 シャクティさん達の声が聞こえ、ほんの一瞬だけゴライアスの動きが鈍った。

 地面を蹴りつけ、その巨体を追い抜く。

 そして、その先にはもうリヴィラの街が見えてきていた。

(神様……!)

 リヴィラの遠景を背中に庇い、ゴライアスの前に立ちはだかる。

 この戦いが始まって初めて正対したような、そんな気さえする。

 巨人にとってはあってないような距離。でも、まだ拳が届く距離ではない。

 跳躍するなら、いっそ望むところだ。

『――――コォォ』

 眦を決し、右手を突き付ける。

 狙いは胸。その奥にある魔石のみ。それ以外の場所では意味がない。

『―――――――オォ!!』

 ゴライアスが今までで最大の『咆哮(ハウル)』を上げる。

「【ファイアボルト】ッッ!!」

 それをかき消すように、あらん限りに咆哮した。

 放たれた大炎雷。その反動に、自分が撃ち負けないよう腰を落とし、歯を食いしばる。

 踏みしめる両の足が地面を抉り、粉塵を巻き上げた。

 そして。

 帯電する魔力の塊を、その大炎雷が撃ち貫いた。

 そう、確かに撃ち貫きはした。でも、それだけだ。

「―――――ッッ!!」

 狙いが、逸れた。

 胸部を狙ったはずの一撃は大きく逸れ、ゴライアスの頭部の大半を消滅させる。

 だが、それだけだ。その程度では意味がない。

 その程度の一撃では、この巨人は倒せないのだから。

 頭部を失ったゴライアスは、まだ動いている。

 両手で地面を握りしめ、突貫して来る。

「ベル、逃げなさい!」

 いつもの平静さをかなぐり捨てたリューさんの叫び声を確かに聞いた。

 ただ、反応は致命的に遅れた。

『スキル』の反動に体を苛まれているせいだ。

 今までの戦闘で蓄積された疲労も無関係ではないだろう。

 もしかしたら必殺の――起死回生の一撃が空振りに終わったという事実も。

 それらがすべて重なりあい、飛び退くための力が膝から抜け落ちた。

(間に合わない――!)

 射線から逃れられない。

 その確信があった。

 死を覚悟するその一瞬。

「伏せろッ!」

 鋭い叫び声とともに、大きな何かが飛び込んできた。

 

 …――

 

「おおおおッ!」

 ベル・クラネルを追って走り出したのは、単なる勘だった。

 何の根拠もない衝動。

 ただ、武神(タケミカヅチ)様から武芸の手ほどきを受けるようになってから今日まで、こういう感覚を覚えることは間々あった。

 簡単に言えば危険に対する勘と言えばいいだろう。

 根拠も理屈もすっ飛ばし、迫りくる危険をかぎ分ける勘。

 無論、それはただの勘だ。ことごとく的中できるなら、そもそもベル・クラネル達を窮地に追いやることなどなかった。

 だが、それでも。今この時、この勘はきっと外れない。

 半ば地面に埋まっていた大盾を拾い上げる。

 元の持ち主が放棄して行ったのだろう。奇跡的なまでに無傷に近かった。

「ベル、逃げなさい!」

 覆面の女エルフの悲鳴を確かに聞いた。

 ベル・クラネルの一撃は――とても同じLv.2とは思えない威力だったが――空振りに終わっている。

 いや、痛撃は与えている。だが、魔石は外した。なら、あの巨人は倒せない。

 それどころか、あの一撃の反動か明らかに動きが鈍っている。

 巨人の突貫はかわし切れない。

(いや、違う!)

 まだ手はある。

 あの突貫は凶悪だが、それでもどうしようもない死の具現などではない。

 必ず、どこかに活路がある。

 その信念をもってしても、巨人の突貫に飛び込むには足がすくみそうになった。

(俺は口だけのいけ好かない男にはなりたくない!)

 支えるのは、ささやかな意地だった。

 冒険者としての、ではない。下らない男の意地だ。

(他人を犠牲にしておきながら、体も張れない男にはなりたくない!)

 巨人の突貫が始まる。

 少しでも足が鈍れば、色々な意味で間に合わなくなる。

「俺はタケミカヅチ様の眷属(ファミリア)だ!」

 感情のままに叫ぶ。

 ただ、意識だけは冴えわたっていた。

 そして、武神の名を穢すことなく、死中に活路を見出した。

「伏せろッ!」

 ベル・クラネルの体――そのどこかを――引っ掴み、その活路……わずかな窪みに身を投げ出す。

 凄まじい威圧感がその上を音を立てて通り過ぎていく。

 だが、凌いだ。少なくとも、一撃は。

 死に物狂いで、やっと一瞬命を繋ぎ――そして、それはただそれだけのことだった。

「ッッ!?」

 標的を見失い――そもそも頭がないのに見えているかは不明だが――地面に転がるゴライアスが、そのまま地面の一部を握り取った。

 そのままでたらめに投げつけてくる。

 子どもの癇癪のような行動だが、掌の大きさと力が違いすぎる。

 跳んでくるのは石礫ではなく()()だ。

「ぐ、ぉ……!?」

 大盾を拾っていたことに安堵している暇はなかった。

 ましてや受け流しなど、そんな余裕も時間もなく、ただ直撃を許した。

 盾を構えていた腕の骨が折れ、肩が外れる。

 支えきれなくなった大盾の向こう側で、ゴライアスはやはりでたらめに手を振り回していて……

「桜花さ――…ッッ!?」

 そのでたらめな一撃が、今度こそ俺とベル・クラネルの体を容易く宙へと舞い上げた。

 

 ――…

 

 ならず者の街は、今日も変わらず不景気な面をした奴らで溢れていた。

 何しろ、心折られて項垂れた野郎どもがいつもより多い。まさに満員御礼って奴だ。

(あー…。これからどうするかな)

 その中に紛れ込みながら、内心でぼやく。

 とりあえず適当にモンスターどもを蹴散らしてきた。

 あのがめつい大頭への義理立てとしてはこれで充分だろう。

 問題はただ一つ。

 甘ちゃん(クオン)変人(ソラール)がいつも通り張り切っている割には、巨人がやたらと元気だということだ。 

(やっぱあの『赤水晶』が悪さしてんな)

 遠目に見れば、それは明らかだった。

 まぁ、連中ならその手の小細工(ギミック)にも慣れてるだろうし、そのうち気づいて破壊しに行くだろうが。

(ま、ケリがつきそうになったら、商品でも拾いに行くかな)

 ぺちと、頭を叩きながら結論した。

 何しろ、街を空にする勢いで武器を持ち出している。

 全部が全部使い潰されガラクタになっているとは思えない。

 拾ってちょいと研いでやれば充分に売り物になるはずだ。

 ――と。暢気に構えていたのだが。

(まーだやってんのかよ)

 それから結構な時間がたっても、例の『赤水晶』もまだ三つほど残っていた。

 この際それはいいのだが、相変わらずゴロツキどもは無駄な攻撃を繰り返している。

 破壊されたなら建て直せばいい。

 それがこの街の基本的発想だ。

 なら、あのがめつい大頭がそこまで真面目に戦い続けているというのはいったいどういう訳か……。

「ベル君、アンジェ君、クオン君……」

 昨日からあの甘ちゃんの周りをちょろちょろしていたもう一人のチビ。

 今日もちょこまか走り回って怪我人の手当てをしていた女神が茫然と呟く。

 まさか天啓なんて世迷い事は言わないが……そこで、ふと気づいた。

(あ~…、なるほど。アイツら、コイツのためにわざわざ足止めしてんのか。ご苦労なこった)

 考えてもみれば、この街にはまずあの気の強い女エルフがいる。

 となると、この街を潰されるわけにはいかない。

 あの憲兵長の女とか、美人のアマゾネスとか、あの白髪の小僧辺りに足止めを頼み込んだりしたのだろう。

 ……いや、あの白髪のガキなら頼まれずとも自分から飛び込みそうだ。そんな感じの面構えをしている。

(んで、甘ちゃんと変人が二手に分かれてるってところだな)

 北側と南側で。なら、変人が北側を受け持っているのだろう。

 一方、あの甘ちゃんは例によって苦戦しているようだ。

(ま、放っといても死にゃしねえだろ)

 というか、死んでもどうせケロっとした顔で蘇ってくるだろう。

 まぁ、ここに戻ってくる前にこの街は破壊されるかもしれないが――…

「――――」

 思わず、頭を抱える。

 しばらく大人しくしてたってのに、また『呪い』が喚きだしやがった。

 

『俺はあんたの友だ。何を思い出そうとも、何者であっても』

 眼前に立っているのは、鉄塊のような鎧を着込む誰か(ラップ)だった。

 もちろん、ただの幻だ。

 

『あんたが許してくれる限り、あんたの友でいさせてくれ』

 あの『解呪の碑』に押しつけ損なったクソッたれな『呪い』が見せる下らねぇ幻でしかない。

 そんなことは分かり切っている――が。

 

「ああ、クソッたれ。あの粗悪品が……!」

 全く持って忌々しい話だが……やはり『呪い』に翻弄されるのが、不死人(おれたち)の宿命らしい。

 いくら碑に押し付けようと。例え『時代』が変わろうと。

 

 …――

 

「ベル様?!」

 リヴィラの街まであと少し。

 そこまで走り抜けた時、疎らになった木々の隙間からそれが見えた。

 魔法円(マジックサークル)の起点である『赤水晶』と。

 そして、空を舞う白髪の冒険者。

 遠目でも見間違えたりはしない。それは、間違いなくベル様だった。

(まさかゴライアスに……!)

 まさかも何も、他に考えられなかった。

 生きている? 生きているに決まっている!

 なら、早く助けに行かないと!

 それとも、何とかしてあの『赤水晶』を壊すのが先?

「ぎっ!?」

 唐突に突きつけられた無視できない選択肢。

 それに気を取られ、つい動きを止めた……止めてしまったその瞬間。

 大槌が直撃した。

 いや、違う。直撃だったら間違いなく即死している。

 当たったのは、砕けた地面や水晶の破片だけだ。そして、衝撃波。

 破片(さんだん)が体を引き裂き、あるいは突き刺さる。

 地面を転がり、激痛に立ち上がれずにいると、音もなくその不死人が近づいてくる。

「ぁ……っ!」

 無骨な鉄塊を見せつけるように振り上げた。

 実際見せつけているのだろう。

 結局、何もできずに死んでいくのか。

(ベル様、ヘスティア様、すみません……)

 せめて悲鳴だけは上げてやるものかと、最期の意地を絞り出して――

 

 ――そして、それは無造作に振り下ろされた。

 

 

 

「クラネルさん!」

 血をまき散らしながら、ベル・クラネルとカシマ・桜花が近くの森林地帯に落下する。

 生きているかは分からない。今生きていたとして、いつまで生きているかも分からなかった。

「落ち着け、リオン!」

 悲鳴を上げるリオンに叫びながら、私自身も内心の焦燥を殺せなくなってきていた。

 冒険者になってから今まで何度となく感じた死神の気配が迫っている。

 状況は絶望的だった。

 例え『深層』攻略中でも……あるいは『暗黒期』でも、これほどの絶望感を経験したことは稀だ。

「いつまでも笑っていられると思うな……!」

「まったくだぜ、クソッたれが……!」

 アイシャとサミラの悪態ですらその威勢が随分と鈍っている。

「臆するな! 再生能力は下がっている! もう一押しだ!」

 ――と。檄を飛ばすが、果たして誰が聞いていることか。

 それに、再生能力が下がったというのは多少の語弊がある。

 魔法円(マジックサークル)の起点が半減したせいか、頻度こそ下がった。

 だが、ひとたび魔力を燃焼させたならたちまち完治していく。

(いや、違うな。これは再生ではない。()()だ)

 傷つけるごとに体皮が硬くなり、力が増し、素早くなっていく。

(まるで、『深淵種』を相手にしているようだ)

 ダンジョンと『深淵』が互いに主権争いをしている。喰らいあっているのかもしれない。

 ふと、クオンがそんなことを言っていたのを思い出す。

(まさか……)

 ダンジョンの力を取り込んだ『深淵』が『深淵種』を生み出したなら、その逆もあり得るのでは……。

(考えるのは後だ)

 本当にダンジョンも『深淵』の力を取り込んだのかもしれない。

 そんな恐ろしい想像はひとまず意識の奥底にねじ込んでおく。

 ただ、それでも――…

(むしろ、変化の速度自体は上がっているような……)

 あの『赤水晶』が破壊されるごとに、何かの封印が解けているようにも感じる。

 それは意識の片隅に留めながら、戦場を俯瞰する。

(ボールス達は……まだ戦場にはいるか)

 かなり後方、まだ残っている森林地帯を最終防衛線に定めたらしい。

 そこに集まり、何とか体勢を立て直している。

 もっとも、そこでは遅すぎる。

 ゴライアスがそこに到達すれば『咆哮(ハウル)』の射程圏にリヴィラが入る。

 リヴィラが破壊されれば、例え神ヘスティアと神ヘルメスが無事でも、補給が断たれる。

(……もう空になっているかもしれないがな)

 リヴィラの総資産については、ギルドも把握していない。あるいはボールスですら把握していないだろう。

 従って、武具やポーションをどれだけ溜め込んでいるかも不明だ。

 ただ、景気よく消費しているのは疑いなかった。

(補給が断たれたら、もう勝ち目などない)

 その時は、()()()()()()()()()撤退戦に移行しなくてはならない。

 連結路を塞ぐ分厚い水晶の蓋を砕き、人が通れるようになるまでに、いったいどれだけの被害が出るか想像もつかないが。

「喝ッッ!!」

 弱気になった私を一喝するように、覇気に満ちた声が戦場に響き渡る。

 アーロンだった。

 そこはゴライアスとボールス達の中間。互いの真正面。

 鞘に納めた妖刀を右で逆手に持ち、地に突き立て。

 柄頭に左の手をのせて仁王立ちしている。

「歓べ者ども! これは負け戦ぞ!」

 誰もが意識していた事実を、彼は言い切った。

 ()()()()()()()

「それを覆す事こそ武人の誉れ! 戦場の華よ! その栄誉が今まさに我らの眼前にあるッ!!」

 その姿はまさに威風堂々。物語に描かれる英雄そのもの。

「鬨の声を上げよ! 武器を取れ! 見よ、()()()()()()()()!」

 確かに、ゴライアスは今までと異なり、自らの周りにモンスターの群れを展開させている。

 魔力の補給が滞っているせいか、それとも単なる偶然か。

 真相は分からないが……見方によっては確かに臆しているともとれる。

「我らが狙うは敵将(きょじん)首級(くび)ただ一つッ!!」

 冒険者たちの視線を集め。睥睨する巨人に臆することもなく。

 アーロンは刀を抜き放ち、切っ先を突き付け宣言する。

 ただ、それでも。まだ折れかけた士気を取り戻すには足りない――…

 

「それとも、女子どもに庇われねば怖くて戦えんか?」

 

 それを見透かしたように、アーロンは肩越しに振り向き笑って見せた。

 もちろん、兜越しだ。見えるはずもない――が、誰もがそれを理解しただろう。

「……舐めたことを言ってんじゃあねえぞっっ!!」

 わずかな間を置き、ボールスの罵声が返ってきた。

「こちとらゴライアスなんぞ今まで何匹もぶち殺してんだ。今さら誰がビビるかよッ!」

 大頭の啖呵に周りにいるリヴィラの住民が口々に奮起する。

 それはすぐに他の冒険者にも伝播していった。

 誰もが武器を構え、巨人を睨み返す。

 大半は空元気。残りは自棄だろう。

 だが、それでも。それは士気という皮を被り、再び火の粉を舞い上げる。

「その意気や良しッ! 者ども続けいッ!」

 その機を逃さず、アーロンが最後の号令を下した。

「うおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 単騎駆けする勢いのアーロンに冒険者たちが森から飛び出し、突撃を開始する。

「アマゾネスどもに負けんじゃねぇぞ!!」

「ハッ、上等だよ!」

「精々オレ達の尻を追ってきな!」

 それに先行するのは、前線に残っていたアイシャ達だ。

「すまない、よくやってくれた」

 アーロンに追いつき礼を言う。

「何、気にするでない。満足に槍も握れん農民どもを悪鬼にも修羅にも変えるのが将の宿命よ」

 ……なるほど、騎士という名はどうやら文字通りの意味らしい。

 そして、残念なことに団長(わたし)にとっても全く無関係の宿痾ではない。

「軍を離れて久しいが……まだあの小人の真似くらいはできたようで安心したわ」

「小人? 何の話だ」

 呵々と笑うアーロンに問いかける――が、今はそんなことを言っている場合ではない。

「まずは善し。さて、次はどうするか」

「この突撃を止められるわけにはいかん」

 この勢いが断たれれば、今度こそ士気は底を打つ。

「ふむ。敵は鶴翼か……」

 もちろん、モンスターの群れに統率があるわけではない。

 それはこちらも概ね同じだが……だが、少なくとも意志の統一だけは図られている。

 一点突破。あとは、我々が接敵するまでに残り三つの『赤水晶』が破壊されるのを祈るばかりだ。

『ガ―――――ァアァ?!』

 まさかその祈りが通じたわけでもないだろうが、唐突にゴライアスが苦悶の声を上げた。

「へっ! マジでビビってやがる!」

「今度こそブチかますぞぉ!!」

 冒険者たちがさらに気炎を上げて突撃する。

 まさか本気で信じているわけでもないだろうが――あるいは、本気で信じこもうとしているのか。

 いや……あながち間違いでもないだろう。

「やってくれたか!」

 東部の『赤水晶』が二つとも破壊された。

 残りは二つ。今までのように潤沢な魔力の使い方はできまい。

 いよいよ向こうも追い詰められている……はずだ。

 だが、こちらも消耗が激しい。火力という意味ではもう一手欲しい。

 例えば、想定外の威力を見せたあの白い閃光のような。

「リオン、行ってくれ!」

 どこに、とはあえて言う必要もあるまい。

 お互い長い付き合いだ。

 それに、どうやらあの少年は彼女にも気に入られているらしい。

「すみません、すぐ戻ります!」

 ベル・クラネル。

 彼が生きているか否か。

 戦線に復帰できるかどうかは、戦局に少なくない影響を及ぼすだろう。

 

 ――…

 

「底抜けにお人好しなベル様に感謝してくださいね!」

 べっ、と舌を出して走り去ったあの小生意気な小人族(パルゥム)に助けられてから。

「くそ、くそ、くそ……!」

 遠くにゴライアスの叫び声を聞きながら、当てもなく森の中を駆けまわりながら毒づく。

 逃げているわけではない……と、思う。

 自分でもよく分からない衝動が体を突き動かしていた。

「スコット、ガイル! 何処だぁ!?」

 とりあえず、パーティメンバーを探しているというのは確かだ。

 何をするにしても、奴らと合流する必要がある。

「クソ……!」

 何度目ともつかない舌打ちをしてから、近くで一番高い大樹をよじ登る。

 予想通り、そこからは辺りが見まわせた。

(リヴィラに向かってやがる、のか?)

象神の杖(アンクーシャ)】や【正体不明(イレギュラー)】達の攻撃に晒されながら、それでもゴライアスはリヴィラの街に向かっているようだった。

(つーか、何だよ。あのゴライアスは)

 ゴライアスとの戦闘経験などないに等しいが。

 それでも、自己再生ができるなんて話は聞いたことがない。

 怖気に駆られる中……それでも、冒険者の勘が何かを囁いた。

 それに従い、落ち着いて観察する。

 そんな事ができたのは、単純に主戦場から遠く離れ、ひとまずは安全な場所で眺めているおかげだ。

「あの光の帯みてえなのは……」

 見ていたのはゴライアスではない。

 階層の何ヶ所かにある見慣れない『赤水晶』だった。

 見える限りで三つ。それらはよく見ると赤い光の粒子の帯で繋がっているようだった。

「まさか、魔法円(マジックサークル)なのか?」

 別に魔法について語れるほどの学があるわけではない。

 ただ、魔導士として大成するために必要なものが三つあるというのは知っていた。

 技量と経験。そして、運だ。

 運とはそれにふさわしい魔法が発現すること。

 小難しいことを言う(エルフ)もいるが、結局は運だろうというのが個人的な結論だった。

 技量というのは、言うまでもなく『並行詠唱』を取得できているかどうか。

 ……まぁ、こいつはなくても何とかなるっちゃ何とかなるが。

 そして、経験。

 つまりは、『魔導』の発展アビリティが発現するかどうか。

 こいつを持っている奴と持っていない奴とでは魔法の威力が違う。

 そして、持っている奴を見分けるために最も分かりやすい基準が、魔法円(マジックサークル)の有無だ。

 こいつを描ける奴とは仲良くしておくに限る。……モンスターが相手ならそうもいっていられないが。

「あの『赤水晶』が魔法円(マジックサークル)を描いてるってのか?」

 ンは話は聞いたことがない……が、前代未聞の異常事態(イレギュラー)がちょくちょく起こるのはダンジョンって奴だ。

 大体からして、この一八階層(セーフティ・ポイント)によりにもよって階層主(ゴライアス)が産出された挙句、自己再生なんぞしてやがるんだ。

 そんなイカれた事だって起こるだろう。理屈とか理論とかではなく、捨て鉢な気分に任せて結論した。

 そして、もしそうだとするなら、だ。

 

『もう戦えないなら、身を隠すなりなんなりしてください。ベル様が助けてくださった命を無駄にしないように』

 

 ――確かに、本来なら迷わず逃げ出してる状況だった。

 いつもなら、間違いなくそうしていただろう。

「うるせぇ! 熟練者(ベテラン)をなめてんじゃねーぞ、素人(ルーキー)ども!」

 クソ生意気なルーキーどもに怒鳴り返し、枝から飛び降りる。

 目指すべき場所は決まった。

 光の帯は後方――北東部にも繋がっている。

 そこにもあの『赤水晶』があって……俺がいる位置からして、そこが一番近い。

 それをぶち壊してやれば、あのゴライアスに一泡吹かせることもできるはずだ。

 モンスターの数は、ゴライアスから離れるほどに少なくなっていく。

 蹴散らすのは楽なもんだった。

 そして――…

「どうした、血相変えて」

「ホークウッド!」

 飛び込んだ先にいたのは『落穂拾い』だった。

 粉々に切り刻まれた『赤水晶』の前で、相変わらず冴えねえ面を曝してやがる。

 喉が渇いていた。

 飲み込む唾液も出て来やしねぇ。

 だが、それでも。

「これからあのゴライアスをぶちのめしに行くからよ」

 熟練者(ベテラン)らしく、ふてぶてしく笑え。

 こっちにだって意地がある。

「ちょいと手ぇ貸してくれや」

 そして、いつも通りに告げた。

 生き汚く、強かに。使えるものは何でも使って。

 そうやって生き延びていくのが冒険者ってもんだ。

 

 …――

 

 無骨極まる死神の鎌――というか槌――が、新たな火花を散らす。

 リリに届く僅か前で、だ。

「……え?」

 代わりに降り注いだポーションの雨を浴びながら、茫然と呟く。

 理由は分かっていた。

 リリの背後から振り抜かれた特大剣(ツヴァイヘンダー)がそれを弾き返したからだ。

 すぐ傍にいて、こういう事ができそうな方と言えば……。

「アンジェさ……ま?」

 心からの歓声はすぐさま疑念に染まる。

 そこにいたのは、騎士甲冑を着込んだ女騎士ではなかった。

 鈍い銀ではなく、色の薄い金色。

 全体的に丸く、何となくアンジェ様の鎧より重そうにも見える。

 と、いうか。もっと端的に言うなら――…

「玉ねぎ?!」

 人型玉ねぎだった。

「まさかダークファンガスの親戚ですか?!」

「玉ねぎでもキノコでもねぇ!!」

「しかも喋りました?!」

「聞けよ、てめえ!?」

 何か多分中身は人みたいですけど。

 一応、人の武器も持っていますし。

(……というか、この声どこかで?)

 聞いたことがあるような気がするのですが。

「もしかして、中身はクオン様だったりしますか?」

 あの人、時々変なことしますし。

 それに、あの騎士――確かアンジェ様は聖堂騎士と呼んでいた――は明らかにこの玉ねぎを警戒している。

 つまり、正体はともかくとして、中身は相応の実力者ということだ。

「ちげぇよ! 俺はカタリナの……ええと」

 そこで、その玉ねぎは露骨に口ごもってから。

「そう! 私はカタリナのジークラップ! 貴公の勇気に感動し、助太刀に参った!」

 明らかな嘘を高らかと叫んだ。

 ええ。根拠とか抜きにして、絶対嘘だと思います。

「カタリナ騎士だと?」

 リリを殺そうとした騎士っぽい人ですら、怪訝そうな声で呟いている。

 聞き覚えのない名前だった。

 いえ、確かにオラリオの外についてさほどの知識があるわけではないのですが。

「あの!」

 そして、今はそんなことはどうでもよかった。

「すみません! そこにある『赤水晶』の破壊をお願いします! あれがあるとゴライアスを倒せないんです!」

「ンなこたぁ分かってる。お前はさっさと街に戻りな」

「お願いします!」

 ここに留まっている暇はない。

 これから起こるのは、リリが役に立てる戦闘ではない。残ったところで単なる足手まといだ。

 それなら、リヴィラに戻った方がずっといい。

 リヴィラにさえ戻れば、ポーションをかき集めて、ベル様を助けに行けるのだから。

 その一念だけを頼りに、全力でリヴィラまで駆け抜ける。

「ヘスティア様!」

 門を潜り、最寄りの広場へと向かう。

 迷うことはない。そこはもう野戦病院と化している。

「サポーター君!」

 ヘスティア様と、その護衛らしき千草様と行き違いにならなかったのは幸いだろう。

 何故なら、ヘスティア様は貴重なポーションを握りしめている。どこに向かおうとしているかは明らかだった。

「リリルカちゃん、いいところに!」

「霞様!」

 ヘスティア様達より先に声をかけてきたのは、霞様だった。

「ごめんね。ヘスティア様と千草ちゃんだけじゃ運べなくて。これも誰かに届けてくれる?」

「これは……」

 白い布に包まれた大型の剣。

 黒いその剣身は、爪か牙か……いずれにせよ、明らかに武器部位(ドロップアイテム)を利用している。

 こんな部位を持つモンスターには見覚えがない。となると、『中層』以下。

 いいや、違う。これは、おそらく――…

(『深層域』……ッ!)

 少なくとも、強大なモンスターの一部だったのは間違いない。

(これと、ベル様のあの光の攻撃と組み合わせれば――!)

 ゴライアスの魔石ごと吹き飛ばせるはずだ。

「分かりました!

 確かな勝機が見えた。

 今が好機だ。この感覚は外れたことがない。

 ずっとこれを頼りに冒険者たちを相手取ってきたのだから。

 だから――…

「行きましょう、ヘスティア様、千草様!」

 きっと、ベル様だってまだ生きている。

 だから、急いで助けに戻らなくてはならない。

 リリは、ベル様のサポーターなのだから。

 

 …――

 

「追っかけねえのか?」

「行かせてくれないだろう?」

 聖堂騎士に問いかけると、返ってきたのは女の声だった。

 ……全く驚かなかったといえば、そりゃ嘘になるだろう。

 何しろ、かなりの剛腕の持ち主だ。攻撃を弾いた腕にまだ痺れが残っている程度には。

(ま、今さら女もクソもねえけどな)

 不死人――というか主に亡者だが――に男も女もありゃしない。

 ンなこと気にするのはどこぞの甘ちゃんくらいなもんだろう。

 今一つ手に馴染まないツヴァイヘンダーを弄びながら内心で毒づく。

「それに感謝してるのさ」

「ああん?」

 いっそ気さくさを感じるほど軽い調子で、その怪力女が言った。

「おかげであんな子どもを叩き潰さないで済む」

「……ありゃ子どもっつーか小人らしいぞ」

 いやまぁ、どのみちガキってことには変わりねえが。

 その呻き声を無視して、怪力女が笑う。

「カタリナ騎士に足止めされたとなれば、そこまで文句は言われないだろう」

 兜のせいで素顔なんぞ欠片も見えないが……ふてぶてしく笑っているのは容易く想像できた。

 ついでに言えば、俺がカタリナ騎士ではないことは百も承知だということも。

「チッ、聖職者って奴らはこれだから……」

 いつもの呪詛を、控えめに口にする。

 もちろん、罵声ならいくらでも思いつく……が、しかし。

 目の前のクソ尼は――クソッたれな『玉座』にはまだ遠いにしても――そう容易い相手ではない。

 少なくとも、筋力だけ見ればその域に手が届いていると考えた方がいい。つまりは手練れと呼べる存在だ。

 一方の俺はと言えば、ここしばらく()()()()()()()()()()()訳で。

 勘の方は多少なりと鈍っているだろう。

 となると、余計なことを考えていては足元をすくわれかねない。

 まして得物は使い慣れない特大剣(ツヴァイヘンダー)と、いまいち頼りない中盾(ピアスシールド)だ。

 ……いや、こっちは最悪切り替えればいいだけだが。

「奇遇だな」

「ああん?」

 それでもしつこく沸き起こる苛立ちを、苦心して何とか飲み込んでいると、そのクソ尼が吐き捨てた。

「私も聖職者は気に食わない」

 なら、何で聖堂騎士なんぞやってんだよ――と。

 繰り出される大槌の一撃を前にして、そんな間の抜けた問答をしている余裕は流石になかった。

 

 ――…

 

「こんなところでどうするんだ?」

 一八階層の北側。

 ちょうどゴライアスやモンスターどもの横腹を眺める場所で、ホークウッドに問いかける。

「柔らかな横腹を食い破るに決まっているだろう」

「ああん?」

 ンなことが……まぁ、できるんならそれに越したことはねぇけど。

「俺達だけであのゴライアスをぶち殺せるってのか?」

 俺の疑問を他の誰かが代弁した。

 名前は忘れたが、リヴィラの冒険者で……どうやら、俺達とは別の『お得意さん』らしい。

 というか、そういう奴らが集まっている。どいつもこいつも、考えるこたぁ同じってわけだ。

 もちろん、スコットとガイルの奴も合流している。というか、俺より先に合流していた。この薄情者どもめ。

 他に、前線から一度は逃げ出し、どうにか戦意を取り戻した奴らもいくらか加わっている。

 んで、気づけば三〇人ちょい。普通のゴライアスとなら、何とか一戦やれるくらいの戦力にまで膨れ上がっていた。

(ま、そりゃそうだろうな)

 そういう奴らまで加わっているのは、単純にホークウッドの野郎がいるからだ。

 元々腕が立つのはリヴィラのほとんどの奴が知っていたことだ。

 ……もっとも、まさかあの【正体不明(イレギュラー)】に片膝つかせるほどの化け物だとは思わなかったが。

 それに、どういう訳だか指揮を執るにも慣れている。少なくとも、どこかで経験を積んだか、あるいは訓練を受けているはずだ。

(あんまり詳しいわけじゃねえけどな)

 冒険者というよりは、どこぞの国家系派閥の『軍人』に近いような気がする。

 ただ、いわゆる『騎士』とは言い難い。騎士よりは俺達に近く、だが全く同じでもない。

 ……まぁ、自分で言っててもよく分からないが。

 とにかく、こういう鉄火場で生き残るならこいつにくっついていくのが一番いい。

 散り散りになって隠れていた連中が一転して強気になったのは、その辺に理由がある。

 ……逆に言うと、そんな連中がいくら集まったところであの階層主をぶち殺せるかは正直微妙なところだが。

「さすがにそいつは無理だな」

 そして、ホークウッドの野郎はあっさりそれを肯定しやがった。

 つっても、それでいちいち苛立ってちゃこいつとは組めねぇ。

「だが、取り巻きのモンスターどもならどうにでもなる」

「そりゃまぁ……」

「そうは言っても、この辺のモンスターだしな」

 狂暴さこそ増しているが、だからと言って『強化種』になってるわけじゃねぇ。

 さっきみてぇに群れに囲まれでもしなけりゃどうにでもなる。

「だが、取り巻きどもを相手にするだけじゃ、どうしようもねえだろ?」

「ああ。そっから先はどうするんだ?」

「やることは連中の援護だ。瓦解寸前とはいえ、それでも俺達より数は揃っている」

 ゴライアスと死闘を演じるボールスや【象神の杖(アンクーシャ)】達を指さし、ホークウッドが言う。

「反撃に転じるのは、例の『赤水晶』が全て破壊されてからだ。それまでは消耗を抑える。お互いにな」

「どうやって? 俺らが援軍に向かったところでそう変わらねえだろ?」

 向こうにゃざっと見てまだ百人くらいは残っている。しかも、Lv.5の【象神の杖(アンクーシャ)】の他にLv.3が何人かいる。

 一方で俺らと言えば、数も少なけりゃランクもLv.2ばかりときた。 

 自分で言うのもなんだが、援軍というにはちと頼りない。

「言っただろう? 横腹を食い破ってやると」

 だが、ホークウッドは珍しくにやりと不敵に笑って見せた。

「騎兵隊の真似事をするのさ」

 

 ――…

 

「……ぅ」

 鈍く歪み、明滅する意識と視界の中で呻いていた。

 視界より先に戻ってきたのは痛み。腕を動かすだけで全身が軋む。

 ひきつる肺が、それでも空気を求めて動き出し――灰と血と、焼けた土の匂いが吹き込んでくる。

(立ち上がれ……!)

 そこで、ようやく思考が目覚めた。

 強引に体を地面から引きはがし、跳ね起きる。

 武器はまだ手放していなかった。

 その勢いで、寝込みを襲おうとしていたモンスターに切っ先を突き立ててやる。

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 引き抜こうとして、逆に引きずり倒される。

 露骨なまでに息が上がっていた。

 魔石をえぐり、モンスターは灰にしたが……残った大朴刀が酷く重い。

 その重さに負けてすぐに立ち上がれない程度には。

(ドジを踏んだ……!)

 あの巨人、だんだんと芸が増えてきている。

 まさか()()()()()()()()()()()()()()()

(一匹で助かった)

 それ自体は回避したが、地面に叩きつけらたモンスター……肉塊の起爆までは対応しきれなかった。

 もう少し数が揃っていたら、今頃は目覚めることもままならなかっただろう。

「早く立て、【麗傑(アンティアネイラ)】!」

 毒づいていると前線に張り付いている【象神の杖(アンクーシャ)】が叫んだ。

「言われるまでもないね……っ!」

 負傷(ダメージ)が深刻なのは向こうも同じだ。

 お互い『メレンの悪夢』に『深淵狩り』。そしてこの『厄災』と激戦が続いている。

 そうでなくとも、すでにもう満身創痍といった有様だ。私だけではなく、全員が。

「がぁ……っっ!?」

 私が立ち上がるのと入れ替わるように、今度はサミラが地面に倒れた。

 ゴライアスの拳……正確にはそれが巻き起こす衝撃波と石弾を避け切れなかったのだ。

 ゴライアスの動きが速くなる一方で、こちらは疲労が蓄積して動きが鈍ってきている。

「クソが。やっぱ逃げとくんだったぜっ!」

 まだ立ち上がれずにいるサミラの援護に回ったのは、意外にもリヴィラの大頭だった。

 トレードマークの眼帯はもうない。

 その代わりと言わんばかりに全身を血と返り血で染めている。

「クソッたれ……。オレも焼きが回ったな……!」

 地面をひっかきながら、サミラが毒づく。

 実際のところ――私達と同じLv.3とはいえ――まだ逃げていないのは正直驚きだ。

 ……もっとも、こいつが逃げ出した時は、今度こそ全てが総崩れになる時だが。

 何だかんだ言って今もボールスが前線で気勢を上げているから、他の連中も周りのモンスターども相手に奮闘してくれているようなものだ。

「あのエルフを下げたのは失敗だったんじゃないか?」

象神の杖(アンクーシャ)】に追いつき、ゴライアスに一撃くれてやるついでに問いかけた。

 何しろ、あのエルフは貴重なLv.4だ。

 この状況で抜けられたとなると、その穴はかなり大きい。

「だが、あのゴライアスを討伐するにはベル・クラネルの火力が必要だ」

「……そりゃ否定しないけどね」

 リヴィラの魔導士たちは、今もまだ健在だ。

 だが、開戦時のような一斉掃射は望めない。

 今の状況では守り切れないどころか、彼らの援護がなければまず前線が維持できないのだ。

 カルラも同じだ。どちらかと言えば守りに徹している。

 彼女のおかげで致命的な破局は食い止められている。だが、そろそろ精神力(マインド)が限界だろう。

 どっかで油を売ってる馬鹿が戻ってくればまた話は変わるが、待てど暮らせどその気配がない。

「ちぇああああッ!」

 アーロンとかいう剣士の――魔法でもないくせに飛ぶ――斬撃が、モンスターの群れをまとめて両断する。

 そのまま刃はゴライアスの左腕にも届くが――…

「む? いかんな、刃が通らんかったか」

 完全に切断とはいかなかった。

 モンスターども越しだった影響だと思いたいところだが……。

「やはり、『赤水晶』がある限り討伐は不可能か……」

 残りはあと二つ……いや。

『ガアァアアアアッ!?』

 ゴライアスが露骨に悶え始めた。

「まさか!」

 左腕がそのまま千切れて地に落ちる。

 自己再生の速度が大幅に鈍ったのだ。

 つまり――…

「よぉし! 残りはあと一つ! 北西の奴だけだぁ!!」

 どこかで誰かが叫んだ。

 やはり、『赤水晶』が破壊されたらしい。

「聞こえたな、てめぇら! 力ぁ振り絞りやがれぇっ!!」

 ボールスが大声で叫ぶ。

 それはいいのだが……。

「北西だって? あの馬鹿、いつまでかかってんだい?」

 残りはクオンが向かっているはずの場所だけだった。

「どうせまた何か妙なことに巻き込まれているのだろう」

「……ま、そうだろうね」

 あいつのことだ。あの赤黒い人影……『闇霊』とやらに絡まれていても驚くには値しない。

「ヤベェ! モンスターがまとめて突っ込んでくるぞぉ!?」

 言われるまでもなかった。

 ゴライアスの雄叫びに従い、モンスターどもが一丸となって突っ込んでくる。

「いかん! 総員集合! 迎撃するぞ!」

「簡単に言うんじゃねぇ!?」

 とはいえ、散会していては勝ち目がない。

 全員が転がるように集まっては、同じように戦力を一点集中して迎え撃つ。

 だが、この陣形は――…

「こいつはまずいよ!」

「分かっているッ!」

 こんな状態でゴライアスが跳躍でもしようものなら、それだけで壊滅させられかねない。

 いや、それすら必要ない。こんな状況では、魔石を完全に破壊しきれないのだ。

 実際、私達の足元にはモンスターどもの死骸が次々に積みあがっていく。

『ルゥ――…』

 これを全て起爆させられたならそれまでだ。

「ヤベェ! また()()()()()()()()!!」

 サミラが叫ぶ中、何かが私達の隣を駆け抜けていった。

「ぬぅうん!」

 投げつけられるのは雷槍。

 それが、ゴライアスの口蓋を貫き、強引に詠唱を断ち切る。

「ソラール! 戻ってきてくれたか!」

「ああ! すまん、遅くなった!」

 屈強な体に快活な声。

「さぁ、行くぞ! 貴公らと共に勝利を掴みに!」

 両手に剣と盾とを携え、ゴライアスから視線を逸らさぬまま、その戦士は叫んだ。 

「うおおおおお! 噂の『太陽の戦士』様の帰還だぞ!」

「勝てる! 勝てるぞぉ!!」

 こいつはこいつで有名人らしい。何人かが空元気を振り絞って雄たけびを上げる。

 ただ、効果はあった。継ぎ接ぎだらけの士気が、危ういところでまた繋ぎとめられる。

「早く魔石を砕け! 急げ!」

「クソッたれ! 勿体ねぇにも程があるぜ!」

「惜しくなるから余計なこと言うんじゃねえよ!」

 それと並行して、モンスターどもの死骸が次々に灰へと変えられていく。

 怯え竦み、動けなくなったならそれまでだ。そうなる前に何かをやらせておくのがいいだろう。

 その間にも、戦況の変化は続いていた。

「いよいよ向こうも()()()()()か」

「そうかもね」

 頬を伝う血を拭いながら【象神の杖(アンクーシャ)】が言った。

 ゴライアスの体は今や火の粉を上げて燻る薪のような有様だ。

 魔力を惜しむどころか、後先を考えずに燃やし尽くしているとしか思えない。

 そして、その燃焼が生み出す過剰な再生は肉体の変容を加速させていた。

 それどころか、過剰な魔力によって治そうとした部位が爆ぜる様子も見られた。

 おそらく、魔力暴発(イグニス・ファトゥス)のようなものだろう。

「しつこく大暴れしやがって!」

 体が燃え尽きる前に敵を倒しつくそうとしているのか、ゴライアスの攻撃はさらに苛烈さを増していた。

 その癖して嗤い声が絶えないというのは流石に薄気味悪い。

 狂笑……狂嗤とでも言うべきか。

「ハッ、最後の悪あがきって奴さ!」

 だが、狙いが甘い。動きが雑になっている。

 奴の余力も決して多くはない。もう一押しなのは間違いなかった。

「まだもう一押しいるってのか、ちくしょうめ」

 ボールスが血の混じった唾を吐き捨てる。

 ……確かに、そのもう一押しが厄介だってのも確かだが。

「ほう。まだ逃げていなかったか。思ったよりも気骨がある男だ」

 そこでソラールと入れ替わりに、前線から一時後退してきたアーロンが言った。

「ふざけんな。ここで俺様が先に退いちゃあ、子分どもがてめぇになびいちまうだろうが」

 やるしかねぇんだよ――と、心から不本意そうに、ボールスが毒づいた。

 なるほど、そういう理由だったか。

「その意気や良し。では、この先も大いに頼りにさせてもらおうか。大頭殿」

「げっ……!」

 呵々と笑うアーロンに、ボールスが顔をしかめる。

 まぁ、それはいいとして。

「ゴライアスの動き、ひとまず()()()()()()()()()()()()()な」

 残り少ないポーションを煽りながら、【象神の杖(アンクーシャ)】が言った。

「ああ。あんたの言う通りだ」

 何をしでかすかは今も分からない。

 だが、一通り暴れまくると、しばらくの間動かなくなる。

 おそらくは魔力の再吸収に専念しているのだろう。

 忌々しい『赤水晶』も残るはたった一つ。

 今までのように魔法円(マジックサークル)からの魔力供給を前提とした戦い方はもうできなくなっているわけだ。

 つまり、動きを止めた瞬間が攻撃の好機というわけだが……。

「モンスターどもめ。陣形なんぞ組みやがって、生意気な」

 向こうもそれを承知しているのか、モンスターどもは一転して守りを固めている。

 そのせいで、ソラールやアーロンですらまだゴライアスに接敵できずにいた。

 といっても、別にゴライアスの守りに徹しているわけではない。

 広域に展開したまま、でたらめに襲い掛かってくる。対する私達は、その群れの一点を狙って進撃している。

 全体としてみれば一進一退の膠着状態。

 ただ、それは現状の話だ。このまま持久戦に持ち込まれれば確実に負ける。

「来やがるぞッ! 『咆哮(ハウル)』だ!」

「【燃えつきろ、外法の業】ぁ!」

『――――ォォ!!』

「【ウィル・オ・ウィスプ】!!」

 赤毛の鍛冶師の魔法が再びゴライアスの『咆哮(ハウル)』を強引に暴発させた。

 口蓋が吹き飛べば、しばらく遠距離攻撃の心配はなくなる。

 だが――…

「クソ……。いい加減燃料(マインド)が持たないぞ」

 その赤毛の鍛冶師は肩で息をし、顎まで滴る大粒の汗を乱暴に拭っている。

 そろそろこちらも限界が近い。

 何人ものLv.2が離脱する中、ここまで食いついてきただけ大したものだ。

「正直、もう一手欲しいところだな」

「それは否定せぬが……」

象神の杖(アンクーシャ)】の言葉に頷いたアーロンが小さく喉を鳴らした。

「どうかしたか?」

「私としたことが、そういえばあ奴がいるのをすっかり忘れておったわ」

「何?」

 そこで、モンスターどもの吠え声の向こうから何かが聞こえてきた。

 それは軽快な口笛だったり、妙に洒落た草笛だったり、濁声の雄たけびだったり、あるいは調子はずれの歌声すら混じっている。

 方向は北部。

「うおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」

 モンスターどもの群れの横腹を貫くように、そいつらは突撃してきた。

 およそ三〇人程度の一団。ただ、その先頭にいるのは――…

「呵々! 遅かったではないか!」

 クオンと互角に渡り合った、あの冴えない男だった。

 ホークウッド。確か【深淵の監視者】とやらの最後の生き残り。

 そいつらは私達より少し先を横切り、敵の前線を耕しては、そのまま駆け抜けていった。

「騎兵隊の援護がある! 者ども進めい!!」

 すかさずアーロンが一喝。それと同時、今まで通り自ら先頭を切って飛び込んでいく。

 まぁ、確かに騎兵隊と言えるだろう。当然、馬なんていないわけだが。

 ……もしかして最初の調子はずれの合奏は突撃ラッパの代わりだったのだろうか。

 まぁ、それはともかくとして。

 連中のおかげで、膠着状態はわずかに揺らいだ。

「おうッ!」

 真っ先に後に続いたのはソラールだった。

 ほんの少し脆くなった前線を、二人の雄が――『古代』よりも遥か前の英傑たちがさらに抉り取る。

「もう一押しだ、てめぇら! 根性見せやがれぇ!!」

「うおおおおおおッ!」

 その傷口に向けて、ボールスを先頭にリヴィラの連中が突撃する。

 どいつもこいつも血塗れで、いつになく根性を振り絞っている。

「おっと、先を越されちまったね」

 眺めている余裕はない。

 リヴィラの街までもう距離がない。あと少しで『咆哮(ハウル)』の射程に入る。

 あの馬鹿が最後の一つを破壊するまでに、少しでも押し返す必要があった

 ……なんて、そんな行儀のいいことはもはや考えていられない。

 頬を滴る血を拭いとって、唇を歪める。

「私達もいくよッ!」

「当然だぜッ!」

 もはや作戦もクソもあったもんじゃない。

 ここまでくれば、やることは一つ。

 戦え。体を焦がす闘争本能のままに。

 

 ――…

 

「全員無事か?」

「おうよ!」

 とりあえず一度目の突撃は終わった。見たところ、脱落者は一人もいねえ。

 モンスターどもの群れから充分に距離を取ったところで反転し、二度目の突撃のために素早く陣形を立て直す。

 複数派閥の寄せ集めだが、お互い伊達に長いこと冒険者をやっているわけではない。それくらいの連携なら即興で充分とれる。

 そもそも、ホークウッドの奴が示した作戦はごく単純だった。

 

 ――全員で突撃し、モンスターどもの群れを()()

 

 ――別に倒す必要はない。攻撃はついででいい。

 

 ――足を止めるな。とにかく真っすぐに駆け抜けることだけに専念しろ。

 

 ――はぐれたなら、無理に追いかけてくるな。素直に大頭(ボールス)どもと合流すればいい。

 

 道はホークウッドの野郎が文字通りに切り拓く。んで、その傷口を思いっきり抉ってやるのが俺たちの役目だった。

 何も難しいことはねぇ。前だけ見て、ただ全力で駆け抜けりゃいい。

 そして、効果は思った以上だった。

 膠着していた前線が息を吹き返し、少しずつだが確実に前進している。

「よし。陣形が整ったら、もう一度行くぞ」

「任せとけ!」

 となりゃ、こっちの士気も落ちるわけがねぇ。

 方々から威勢のいい返事が戻ってくる。

 ……もっとも、流石に無傷とはいかない。ホークウッド以外は多少ならず手傷を追っている。

 そういう俺も肩を引っ掻かれた。

 結構派手にやられちまったが、だからと言って戦えねぇほどでもねぇ。

 瓶の中頃までポーションを煽り、半分を飲み込み、残りをその傷に吹きかける。

 この程度じゃ薄皮が張ったのと大差ないだろうが、こっちは向こう程にもポーションの補給が効かねぇ。

 となりゃ、今は命の次くらいには惜しんでおく必要がある。

 とりあえず今は剣が振れるくらいに動いてくれりゃ良い。

「これをずっと繰り返すのか?」

「可能なうちはな」

「可能なうちって?」

 ガイルとスコットの問いかけに、ホークウッドが頷いた。

「この手の突撃は、数が揃ってなけりゃどうしようもない。この人数なら、三割も抜ければそこまでだな」

「三割? つーことは、一〇人も抜けたらそこまでって訳かよ」

 実際には一〇人抜けるより先に限界が来るだろう。

 流石に無傷で切り抜けられると考えるほど楽天的ではない。

 それに、やってみて分かったがこりゃ確かに勢いこそが肝。足回りが鈍ったらそこまでだ。

 ビビって動けなくなるってのは考えないとして、疲労だの負傷だのが蓄積すりゃそれだけで命取りになる。

 下手すりゃ足手まといになっちまう。そうなる前に次の身の振り方を考えなけりゃならない。

 つまりは、とんずらするかボールスたちと合流するかを。

 となると、案外と余裕はない。

 ……まぁ、この状況だ。元より余裕なんぞどこを見回してもねぇ訳だが。

「なら、三割切っちまったら、その後はどうするんだ?」

「全員で大頭どもと合流して、真正面から斬りあうしかないな」

「げっ……」

 誰かが呻くと、ホークウッドがいつもの調子で陰気に笑った。

「脱落者が出なければ問題はない。……熟練者(ベテラン)の意地を見せてくれるんだろう?」

「けっ、当然だろうが」

 こちとらただの冒険者だ。どこぞのお強い派閥の英雄様とは違う。

 だが、それでも試練を超えた上級冒険者だ。そう簡単に負ける気はねぇ。

 小生意気なルーキーどもにも、得体のしれない『灰色の悪夢』にも、だ。

 

 ―――…

 

 状況は相変わらず劣勢だった。

 もっとも、私にとって劣勢でなかった戦いなどほぼ記憶にない。

 特に聖堂騎士団との戦いでは、()()()()()()()()()と言って過言ではない。

「――――ッ!」

 怨嗟の炎が腹の底から噴き出してくる。

 そんなことだから、私はみんなを守れなかったのだ。

 挙句、私一人だけがこうして生き恥を晒している。

 奥歯を噛みしめ、兜越しにその狂信者を睨みつける。

 こいつだけでも――などと、軟弱なことは言わない。

 この身が亡者となり果てるまで、一人でも多く見つけて狩り出してやる。

 だが――…

「がぁ――――ッ?!」

 殺意だけでそれを成し遂げられるなら、誰も苦労はしない。

 虚空から放たれた――そのように見える――青い閃光が再び体を貫いていく。

 見えない敵から逃げているのか、それとも追っているのか。

 自分でもよく分からなくなってきた。

(ここまでなのか……?)

 水晶の陰に潜り込み、【回復】の物語を口ずさみながら呻く。

 と、その時。何かが空から降ってきた。

 近くに転がっているのは、血に染まった白い何か。

 それは――…

(この少年は……)

 そう。確か、あの小さな女神の――…。

「―――――」

 改めて。何度も繰り返してきた物語を口ずさんでいた。

 この距離なら、彼も――そして、ここまでの道中で行動を共にした青年も――効果範囲に入る。

 拙い奇跡だが、死の淵に立つ彼らを、少しだけでもこちら側に連れ戻す程度のことはできるはずだ。

(そうだったな)

 ……まだ、守るべき仲間がいた。

 彼らだけは地上に連れ戻さなくてはならない。

 それまでは、亡者に堕ちるわけにはいかなかった。

「―――――」

 朽ちかけの体は、それでもまだ戦える。

 ならば、それで充分だ。

(落ち着け。焦りは禁物だ)

 術の撃ちあいでは不利だった。

 脚も奴の方が少し上。

 だが、力と……何より技量なら私が上だ。

 ……つまり、活路があるとすればそれは近接戦。

 魔術の射線を見極め、奴の位置を探る。

 非才の身だが、剣の扱いに関してはそれなりに自信がある。

 鎧の隙間に刃を滑り込ませるなど造作もない。

 そして、もう一つ。勝機と言えるほどではないが、利点はある。

(やはり、これはヘスティア様との誓約の影響だろう)

 この奇怪な大穴に潜ってからずっと奇妙な感覚が付きまとっていた。

 今もそうだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

(ソウルの力が増幅されている)

 総量としてはおそらく変動していない。

 ただ、明らかに活性化している。まるで火でも灯されたかのように。

 まだ届かなかったはずの領域に手が届くようになっている。

 ……今まで自分が育ててこなかった能力までが。

 それが逆に感覚を狂わせていた。

「そこッ!」

 武器をハルバードに切り替える。

 肩を掠めていく閃光を無視して突撃。大体の勘で横薙ぎに振り回した。

 手ごたえあり。

 相変わらず姿は見えず、音すら聞こえないが……それでも確かに手ごたえがあった。

「―――ッ!」

 反射的に盾を掲げた。

 何かが直撃し、火花を巻き上げる。

 ……いや、火花ではない。おそらく炎そのものだ。

 奴の杖だか斧槍だかだろう。

 先端に燃えていた超常の炎が、盾と手甲越しに腕を焦がす。

 やはり膂力なら私が有利だ。……ほんの僅かな差ではあるが。

 武器を≪グレートランス≫に切り替え、強引に突撃する。

 悲鳴ひとつ聞こえないが……それでも、切っ先は確かに奴の体を貫いている。確かに手ごたえがあった。

「貴、様――…ッ!」

 多少なりと追い詰められたのだろうか。

 ようやく、その声を聞くことができた。

 苦悶と呪詛を宿したその声は女のものだった。

「舐めるなッ!」

 体を捻り、蹴り飛ばされた。

 見えたわけではないが、感覚からしてそんなところだろう。

 その動きにあえて逆らわず、槍を自由にする。

 と、同時。相手から見て右側へと跳ぶ。

「この! 目障りな奴め!」

 予想通り、この魔女は近接戦には長けていない。

 焦って斧槍を片手で振り回した。

 両手で振るより早く、そして広い――が、軽い。

 盾で強引に払いのけられる程度には。

 武器を最も手に馴染んだ直剣に。

 大体の勘を頼りに、無防備となった筈の体に切っ先を突き立てた。

「舐めるなと言ったでしょうッ!」

 今度こそ両手で横薙ぎに振り回される斧槍を、身をかがめて躱す。

「【Spap Frieze 】!」

 その空間に、突如として霧が生じた。

 ただの霧ではない。

「くッ……?!」

 極低温の霧だ。

 たちまち鎧の表面が凍結して白く染まり、さらに肉体までを蝕む。

 じっとしていてはすぐにでも氷漬けにされてしまう。

 反撃は諦めて離脱する。

 ――と。

「【……Crystal Soul ――…】」

 微妙に途切れた詠唱が聞こえる。

 何であれ、距離を開かれては不利だ。

 間合いを詰めようと前方に跳ぶ――が。

「しま……ッ?!」

 この魔術は【追尾するソウルの塊】――いや、違う。

 同系統ではあるだろう。だが、先ほどの槍と同じく結晶化している。

 慌てて横に跳ぶが、完全には回避しきれない。

 そして、威力は相変わらず凶悪だった。

(速さではダメだ。勝算が薄い)

 挙動の速さは向こうが上手だ。

 立て直しの速さも同じく。

 そもそも持久力が違う。

(焦るな……)

 だが、焦らざるを得なかった。

 あの少年たちの傷は深く、そしてただの生者だ。

 彼らを癒したらあのリリルカという少女も追いかけなくてはならない。

 よりによって聖堂騎士に追われているはずなのだから。

 この魔女といつまでも遊んでいる暇などあるはずもない。

 とはいえ……いや、だからこそ勝負を急ぐわけにはいかない。

(もう一手欲しいところだが……)

 しかし、あの小人の少女なら、逃げ切ってくれているならそれでいい。それ以上は期待できない。

 少なくとも、援軍は期待できない。彼女が悪いのではなく、そもそもそんな余裕がないのだから。

 大体、あの街のゴロツキどもでは何人集めてもあまり意味がない。

「右へ!」

 凛とした声を、確かに聞いた。

 それが誰か。そもそも、この『時代』に私の知己などいない。

 だが、それでも。私はその声に従っていた。

「【ルミノス・ウィンド 】ッ!」

 緑風を纏った大光玉が、流星の如く地上に降り注ぐ。

 半ば奇襲であり、加えてこの広範囲だ。

 回避はほぼ不可能。少なくとも、数発の被弾は避けられない。

 防御に徹するのが定石だろう。

「―――――――」

 動きを止めてくれるなら好都合だった。

 物語を口ずさむ。

 今までよりも遥かに深く――あるいは高く――没我できる。

 ()()()()()()()()()()()()()とて、これならば充分以上に意味を成すだろう。

 白光が剣を包み込む。感じる力は、やはり今までより一回りは強い。

 流星の雨が途絶える。

 その瞬間、地面を蹴った。

 

 同時。

 ずれていた歯車が、ようやく噛み合う。

 

 体を包むこの感触を例えるなら、そんなところだろう。

 その感触を、確かに感じた。

「フッ!」

 同時、頭上から緑の疾風が吹き付ける。

 この大穴で共に戦った娘だ。

 偏りのないその力は、ともすれば器用貧乏に陥るだろうが……少なくとも、彼女は違う。

 見えないはずの敵を正確に捉え、容易く一撃入れている。

 一撃の重さからすると流石に痛撃とは言い難い――が、注意が逸れるならそれで充分だった。

「はぁあッ!」

 今度こそ会心の手ごたえだった。

 これなら、相手が()()()()()()()()確実に痛撃となった筈だ。

「もらったッ!」

 緑の娘の木刀が魔女の頭部――おそらくこめかみ辺り――直撃した。

 いくら兜越しとはいえ、打撃による衝撃は貫通する。

 そうなれば、不死人と言えど、その動きは鈍る。……ほんの一瞬ではあるが。

 いや――…

「くたばれ……ッ!」

 魔術が維持できなくなったらしい。ようやく、その姿が見えた。

 その隙に三連撃。

 斜め下からの斬り上げ。横薙ぎの一撃。そして、手首を返して喉を突く。

 ゴボッ――と。罵声だか悲鳴だかの代わりにくぐもった粘性の水音が返ってきた。

 それでも、当然ながらまだ動く。

「なるほど。……よく分かりませんが、正直少しだけ安心しました」

 緑の娘が奇妙な言葉を口にした。

「あなたが相手なら、やりすぎてしまう心配はしなくていい」

 疾風がいよいよ暴風へと変貌する。

 単純な速さなら、それでも私にすら劣るだろう。

 だが、とにかく戦い慣れていて隙が無い。

 この『時代』の戦士たちは怪物退治が本業だとばかり思っていたが――…

(この娘は違うな)

 対人戦闘の機微を熟知している。

 むしろ、そちらが本職なのではと思うほどに。

「このまま押し切ります」

 まったく、頼もしい限りだった。

 

 …――

 

(やれやれ、また厄介な相手だ)

 その一瞬、意識は七年前に飛んでいた。

 七年前。私は――私達は、人類の頂点に限りなく近づいていた一人の英雄と戦った。

 他ならぬ、この一八階層で。

 ああ、そういえばあの時も神を殺す【厄災】が傍で暴れていたか。

 こんな時だというのに、奇妙な郷愁が胸を焦がす。

(彼女が今の私を見たら――…)

 雑念を切り捨て、意識を現在に回帰させる。

 過去を振り返る余裕などどこにもないのだ。

 今対峙しているのは、ある意味その彼女よりも人間離れしている。

(彼女とて()()()()()()()()()()()()()()()()

 だが、目の前の騎士――少なくともその鎧姿はその呼び方を連想させる――は平然として動いている。

 魔法の威力も見劣りしない。いや、一点に対する破壊力ならこちらが上と見ていい。

 ……せめてもの救いは()()()()()()()だろう。

(近接戦の技量が拙劣だ)

 おそらく『力』で多少劣り、『器用』でも向こうが上。

 ただし、その『器用』さを充分に使いこなせているかは別だった。

(魔法戦士ではない!)

 その刹那で結論した。

 先の優劣はあくまで【ステイタス】における話だ。

 近接戦でなら、打ち合えない相手ではない。

 いや、活路があるとすれば、それは近接戦闘以外にあり得ない。

 近接戦の練度に限れば、彼女には遠く及ばないのだから。

(距離など取らせるものか)

 相手は今も露骨なまでに間合いを開こうとしている。

 おそらく詠唱のため。つまり――…

(並行詠唱を体得していない)

 

 それは間違いではなかった。

 

 ――そして、これは彼女(リュー・リオン)が知る由もないことだが。

 彼女たち『神時代』の冒険者が扱う魔法には長文詠唱、あるいは超長文詠唱までが存在する。

 ならば、詠唱が完成するまでの隙を補う事こそが優先される。

 一方の『火の時代』。その魔術は超短文詠唱、精々が短文詠唱となる。

 それでも、詠唱の時間は隙となる……が、立ち回り次第で充分に補える。

 であれば、特別な技法はそこまで重要視されない。

 彼女たちの言う並行詠唱という技法。

 単独で会得していた者たちはいただろう。

 だが、それが確立した技術として語り継がれてはいなかった。

 むしろ、あえて詠唱を長くすることで威力の増幅を目指すことの方が一般的ですらあった。

 それは『時代』の差であり、魔法と魔術との間にある微妙な差異であり――…

 

「【今は遠き森の空。無窮(むきゅう)の夜天に(ちりば)む無限の星々――…】」

 そして、今は戦局を左右する要因となりつつあった。

「【愚かな我が声に応じ、今一度星火(せいか)の加護を。汝を見捨てし者に光の慈悲を】」

 攻撃の手を緩めないまま、詠唱を続ける。

 この距離なら、外すことはあり得ない。完成すれば、こちらの勝ちだ。

 千年前に確立された()()()()()が、古き時代の魔女に牙を向く。

「小癪な真似を……!」

 とはいえ、その魔女もまた『火の時代』を生きた者。

 その程度で劣勢に追いやられる脆弱さは許されない。

 ……もちろん、それもまた彼女(リュー・リオン)が知るところではないが。

「くッ!」

 手にした鉄塊。その先端に燃える炎が膨れ上がり、周囲を焼き焦がす。

 超常の炎を前にして、追撃の手を緩めざるを得なかった。

 そして、距離を離されればそこまでだ。

 一撃の重さと詠唱の(みじか)さなら向こうが上なのだから。

「はぁあッ!」

 だが、それはあくまで私一人の場合だった。

 生まれかけた隙を女騎士(アンジェ)が補う。

 炎を掻い潜り振り抜かれた刃。その白い輝きが、魔女の体にさらなる深手を負わせる。

 その動きは、ダンジョン内を共に探索していた時よりもさらに速い。

(まさか……)

 この短期間で明らかな【ステイタス】など――少なくとも通常は――起こりえない。

 ただし、まるで【ステイタス】が()()()()()()()()()()現象ならありえた。

 一度でも『昇格(ランクアップ)』を経験した冒険者なら、経験しているはずだ。

 昇華された『(からだ)』と精神のズレ。

 それが矯正された時、まるで【ステイタス】が向上したように見える。

 ズレが大きければ大きいほど、より明確に。

(元々彼女の中にLv.2以上の潜在値があったとすれば)

 Lv.1になっただけで、ズレが生じてしまうこともあり得るだろう。

 ……だとしたら、やはり異常事態(イレギュラー)だというしかないが。

「【(きた)れ、さすらう風、流浪の旅人(ともがら)】」

 驚愕とも恐れとも……あるいは、呆れとも言えそうな感情を置き去りに、さらに詠唱を加速させる。

 この魔導士に時間をかけていられる状況ではない。

「【空を渡り荒野を駆け、何物よりも()く走れ。星屑の光を宿し敵を討て】ッ!」

 急ぎクラネルさん達を治療し、シャクティ達と合流しなくては。

「アンジェさん!」

「分かっている!」

 アンジェさんが短く物語を口ずさんだ。

 やはり、上手く聞き取れない――が、それでもいい。

 効果は確かなのだから。

「くぅ……!?」

 放たれた衝撃波が、その魔女を大きくよろめかせる。

「【ルミノス・ウィンド】ッッ!」

 その瞬間。全力で魔法を解き放っていた。

 すべての光弾を一点に収束。至近距離で炸裂した緑風はたやすくその魔女を飲み込む。

 そして――…

「どうにかなったようですね」

 後には何も残っていなかった。

 念のためしばらく警戒するが、もはや何の気配も感じられない。

 ……もちろん、すぐそばにいるゴライアスやモンスターの群れ以外は、という話ですが。

「これで、道中での借りは返しました」

 彼女にもミノタウロス深淵種との一戦をはじめ、何度か庇われている。

 一線を退いた身とはいえ、借りを作ったままというのは冒険者として据わりが悪いものだ。

「……そもそも貸しなんて作った覚えがないけど」

 きょとんとした様子で、アンジェさんが呟く。

 それは、戦闘中の荒々しいものでもなく、神ヘスティアに傅いでいる時とも違う。

 おそらくは、彼女の本当の素のままの言葉だったのだろう。

 果たしてクラネルさん達ですら聞いたことがあるかどうか。

 思わず、くすりと笑みがこぼれた。

「アンジェ様!」

 そこで、アーデさんが駆け寄ってくる。

「アーデ様、ご無事でしたか」

「ええ。正体不明の玉ねぎに助けられました」

「……はぁ」

 まだ気が抜けているのか、いつになく気のない返事を返すアンジェさんに引き締めようとした頬がまた緩んでしまう。

「アンジェ君! 覆面君も無事かい!?」

 次に駈け寄ってきたのは、神ヘスティアとヒタチさんだった。

「ヘスティア様! 何故このような場所に――…」

「無事なら、急いでベル君と桜花君の手当てをしてあげてくれ!」

「お願いします! 桜花とクラネルさんを助けてください!」

「ええ、分かっています。すぐに治療しましょう」

 今にも泣きだしそうなふたりの言葉に頷く。

 私達としても、ここで彼らを失う訳にはいかない。

 もっとも、残念ながら私の手持ちのポーションはすでに空だ。

 ちらりと見えたあの傷を魔法で癒すとなると、かなりの時間が必要となる。

 それまでクラネルさん達の命が持つかどうかは、まさに天上の神のみぞ知るだ。

 ただ、そこまで不思議と悲観はしていなかった。

 ……それはあくまで私の魔法での話なのだから。

 

 

 

 夢を見ている。

 ……多分、夢だと思う。

 

 そこは、見知らぬ場所だった。

 宝物(ガラクタ)と燻る何か(したい)が、無数に打ち捨てられた広大な広間。

 その最奥。置かれた玉座に君臨するのは一人の巨人。

 あの黒い■■■■■ではない。

 体に鎖帷子を纏い。

 手には大鉈を。

 そして、頭には王冠を被っている。

 

 それは神の如き者(超越存在)なのだと。

 何の疑問もなく、納得していた。

 

 それと対峙するのは二人の人間だった。

 一人はまるで……そう。玉ねぎのように身も見える鎧を着込んだ戦士。

 

「■■■、古い友よ」

 その戦士が剣を構えて告げた。

「カタリナ騎士■■■■■■、約束を果たしに来たぞ」

 固く決められた決意とともに。

「【薪の王】に太陽あれ」

 彼は宣言したのだった。

 

 ――【薪の王】……?

 

 それは、確か■■■さんが――…

 そう呼ばれていたはずだ。

 誰に?

 いや、そもそも僕は何でこんなところに――…

 

「すまない。……だが」

 玉座の傍らにいるのは。

 あの黒衣を纏ったその■は――…

 

「その首、俺が貰い受ける」

 そう。あの人こそが――…

 

「クオンさん!」

 ――と。自分の悲鳴で目が覚めた。

(え?)

 いや、本当に目が覚めたのだろうか。そんな疑問が浮かぶ。

 そこは見覚えのない場所だったからだ。……いや、それを言うなら()()()()()()()()()()()()()()んだけど。

 天から見下ろすのは黒く染まった太陽……だと思う。赤い陽光は、血のように地面に滴り落ちている。

 その滴りを追って視線を地面に向ける。

 そこに広がっているのは、朽ちかけた数多の武器が墓標のように突き立ち、それらを慰めるように赤い花が咲き乱れる灰色の荒野……いや、()()()()

 そう。足元に広がっているのは、真っ白に燃え尽きた灰だった。

 まるで世界の果てのようだった。

 世界に終わりがあるのなら、それはきっとこんな光景になるに違いない。

 ……それとも、始まりの場所だろうか。

 咲き乱れる花は、それでも生命を繋いでいる。

 終わり逝く世界に抗うように。犠牲となった誰かを悼むように。何かの始まりを祝福するように。

「クオンさん!」

 墓標と花を眺めていると、その先に誰かが座っているのが見えた。

 こちらに背を向けているその■に、半ば無意識のまま呟く。

 ……何故そんなことを思ったのだろう。

 

 背中を向けたままのその誰かは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のに。

 

(でも、あの人前にどこかで……)

 見たような気がする。

 でも、思い出そうとした途端、鈍い頭痛がそれを邪魔する。

 その痛みの中で思い浮かんだのは、やっぱりクオンさんと、先ほど見た――ような気がする――巨人の王。

 そして、何故かお祖父ちゃんの姿だった。

 

「な……ッ!?」

 駆け寄ろうとして、体が薄れていく。

 同時、砕け散りそうな激痛が()()()

 

 巨人。そう、■■■■■(黒い巨人)だ。

 僕は確か――…

 

「お目覚めになられましたか?」

 落ち着いた、優しい声がした。

 気づけば、薄暗い廃墟の中で横たわっている。

 正確にはその声の主に膝枕してもらっていた。

 蘇った筈の痛みも、また感じなくなっている。

「す、すみません?!」

 反射的に跳ね起きようとして……でも、体が動かなかった。

「まだ無理をしてはいけません」

 優しい指先が、額を軽く撫でる。

 精緻な彫刻が施された銀の頭冠が目元を覆っているけど、それでも分かるほど綺麗な女の人だった。

 着ているのは、高価そうな黒いドレス。白金の髪は後ろで緩く編まれている。

 お姫様というか貴族の娘というか……とにかく、気品がある人だった。

 瓦礫の地面に座らせていることが申し訳なくなるくらいに。

「あなたは……?」

「火防女とお呼びください」

 その名前――というか呼び方はどこかで聞いたことがある。

 確か……。そう、確かクオンさんが――…。

「ええ。私はあの方の火防女です」

 口元に微笑を浮かべながら、火防女さんが頷いた。

(クオンさぁん!?)

 まさか本当に。本当に男の夢(ハーレム)を達成しているんですか?!

 霞さん、アイシャさん、カルラさんに続く綺麗な女の人の出現に思わず叫びそうになった。

 というか、本当に戻ったらその辺のことも確認して――…

「ここはどこなんですか?」

 そう。まずはここから戻らなくてはならない。

 まだ戦いは続いているはずなんだから。

 そのためにも、まずこの場所を確認しないと。

 

 ……でも、こんな場所が■■■■にあっただろうか?

 ダメだ。どこにいたのかも思い出せない。

 

「■■■の■■■。……ですが、今はまだ伝わらないでしょう」

 確かに。肝心の名前だけが聞き取れなかった。

「残り火の方。貴方は選ばなくてはなりません」

「選ぶって、何をですか?」

「資格を示すか。それとも、ここで足を止めるのか」

「資格?」

「示すのであれば、貴方の先には苦難の道が続くでしょう。かつて、数多の英雄達を飲み込んできた苦難が」

 ジリッ――と。いつか垣間見たクオンさんの旅路が蘇った。

「資格はすでに貴方の中に。残り火は貴方の中で火の粉を上げています。……ですが」

 火防女さんの言っていることは、よく分からなかった。

「きっと、あの方はそれを望まないでしょう。それは、貴方にとっては呪いとなるものです」

 冒険者になりたい。村でそう告げた時、あの人は決して止めようとはしなかったけど。

 それでも、一瞬だけ表情を曇らせていたような気がした。

「僕がその資格を示さなかったら、どうなるんですか?」

 別に臆したわけではない……と、思う。

 それはただ純粋な疑問だった。

「『時代』の流れが定まることになるでしょう。かつて交わされ、今再び結ばれた約定の通りに」

「約定?」

「闇ですらなくなった、新たな者が残る。人が残れるかは……いえ。彼女たちがいるなら、問題はないでしょう」

 どこか少しだけ拗ねたように、火防女さんは最後に呟いた。

 彼女たちというのは大体分かるような気がする。

「勘違いをされてはいけません」

 それを見透かされたかのように、火防女さんが言った。

 思わずドキリとしていると、彼女は続ける。

「火の……貴方方の言う『神時代』の終わりは、すでに定まったこと。それに抗うことは、ただ『呪い』を呼び覚ますだけ」

 呪い。クオンさん達が関わる『呪い』ということは、つまり――…

「貴方がすべき事はあらゆる因果が絡み合い、吹き荒れる中で、継いだ火を絶やさぬこと。そして、そのうえで新たな導を示すことなのです」

「僕が、継いだ火?」

 何のことだか分からない。

 まさか≪呪術の火≫のことじゃないだろう。

「ええ。あの方たちが継いできた『残り火』。ですが、今はそれも……」

 淡く微笑んで、火防女さんは僕の額を軽く撫でた。

「――――――ッ!?」

 思い、出した……!

 僕は、一八階層で、神様を狙う黒いゴライアスと――!

 

『目を覚ますんだ、ベル君!』

 神様!――と、その叫びは言葉にならなかった。

 ()()()()()()()()のだから。

 

「これ……?!」

 ようやく持ち上げた右腕。その手のひら越しに、火防女さんが見える。

 体が半透明になっているのだ。

「まだ死んではいません。そうなる前に、霊体としてここにお呼びしました。そして、体は今、新たな灰達によって治療されています」

 眩暈とともに、見えている景色が切り替わった。

 血塗れで倒れる僕と桜花さんの体を、アンジェさんの魔法が癒してくれている。

 リューさんはすでに戦場に戻っている。

 アイシャさんやシャクティさんも傷だらけになりながら戦い続けている。

 ソラールさんもアーロンさんも。

 ホークウッドさんやモルドさん達も。

 リリやヴェルフ達だって。

 

『もし、英雄と呼ばれる資格があるとするならば――』

 明滅し、闇に染まる視界の中。誰かの声が聞こえた。

 その言葉を知っていた。その響きを覚えていた。

『剣を執った者ではなく、盾をかざした者でもなく、癒しをもたらした者でもない』

 それは遥か遠い日の記憶(おもいで)

 幼い憧憬の日々に訪れた、原初(はじまり)言葉(ひとつ)

『己を賭した者こそが、英雄と呼ばれるのだ』

 祖父(かこ)からの言葉が、消えそうな魂に火を灯す。

『仲間を守れ。女を救え。己を賭けろ』

 雷霆(ひかり)が闇を引き裂いて疾る。

『折れても構わん、挫けても良い、大いに泣け』

 その雷の中に。知りうるはずのない、他の誰かの記憶が混ざりこんだ。

 誰の記憶かは分からない。でも、記憶にあるその姿は知っていた。

 誰よりも負け(死に)続けた黒衣の英雄の姿だけは。

 

『勝者は常に敗者の中にいる』

 そう。奴は敗者だった。間違いなく。

 だが、おおよそ■にはふさわしくない、その貧弱な■■■を――しかし、ついに打ち滅ぼすことができなかった。

 朽ちぬ古竜どもを滅ぼした我らが、誰一人として奴を止められなかった。

 傍らにいた■■の■■のおかげではない。朽ちた我が身を言い訳にはすまい。

『願いを貫き、想いを叫ぶのだ』

 何故なら、火に消えてなお蘇り、ついに我らを超えていったのだから。

 我らの枷も策略も踏み砕き。あらゆる苦難を超え。遥かな時を超えて、ついに自らの望みを叶えて見せた。

 

『さすれば――』

 覚えている。覚えていた。

 笑みを浮かべる祖父が続ける言葉。その先を、思い出していた。

 

『――それが一番格好いい英雄(おのこ)だ』

 

「ッッ!!」

 黒衣の英雄の背中を追うように、どこかで小さな残り火が火の粉を舞い上げた。

 同時、背中に刻まれた不滅(ヘスティア)の炎が燃え上がる。

 ――相反する二つの火。いや、違う。そんなはずはない。

 

 ――だって、それらは元々一つの■だったのだから。

 だから、きっと新しいこの■でも――…

 

「それが、貴方の選択ですか」

 火防女さんが呟く。

 その姿が、急速に遠のいていく。

「いってらっしゃい、残り火の方。貴方に寄る辺が――…いいえ」

 火防女さんは、小さく微笑んだ。

「貴方に炎の導きがあらんことを」

 その言葉に見送られ、覚醒した。

 

「ベルく、ん……」

 神様の肉声(こえ)がすぐ傍で聞こえる。

 痛む体は、それでもまだ動ける。アンジェさんのおかげで、また戦える。

 だから起きろ、もう一度剣を執れ。あの人に――あの人達に恥じないように。

 そして、大切な仲間達を救うために。

 限界まで――限界を超えて、己を賭せ。

「クラネル様」

 傍らで、アンジェさんが何かを捧げている。

 白い布に包まれた、長大な剣。

「アーデ様から預かっております」

 そこに刻まれた紋章(エンブレム)は【ロキ・ファミリア】のもの。

 

 もちろん、それは錯覚だ。

 でも、その剣に触れた瞬間。

 金の憧憬(アイズ・ヴァレンシュタイン)と、黒剣の主(ウダイオス)の死闘を垣間見た気がした。

 

 憧憬を燃やせ。

 願望を吠えろ。

 

 もとより他者に勝る唯一があるとすれば、それは、愚かで、幼く、かけがえのない――その一途な想いしかないのだから。

 

「ッッ!」

 畜力(チャージ)を開始する。

 同時、神によって刻まれた背中の刻印が灼熱の色に燃え上がった。

 限界突破(リミット・オフ)

神の恩恵(ファルナ)』をも超越する思いの丈が、境界を突破し(■の■を外し)英雄願望(スキル)の力を一時的に昇華させる。

 戦局を動かすとLv.5の冒険者が見抜いたように。巨人殺しの刃を顕在させるために。

 白い火の粉が舞い上がり、白光を収束させる畜力(チャージ)の力が跳ね上がる。

 リン、リンという(チャイム)が、ゴォン、ゴォンという大鐘楼(グランドベル)の音へと成り変わる。

 荘厳な鐘の音が、新たな始まりを告げようとしていた。

 

 …――

 

(間に合わなかったか)

 それとも、()()()()()()()()()()()()()()

 新たな鐘の音を聞きながら、内心で呻く。

 ともあれ、鐘の音が鳴ったならいよいよ巡礼の始まりだ。

『もう終いか?』

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 思い描くのはあの偏屈な爺さんの奥義。つまりは【猛毒の霧】。

『小細工を』

 そう馬鹿にしたものでもない――が、確かに今は視界を塞ぐのが目的だった。

「――――」

 一つの切り札を切る。

 思い描くのは『輪の都』の入り口。吹き溜まりの底。

 遠い日の始まりの地。ロードランの祭祀場の成れの果て。

 うろ底にて遭遇した最後のデーモン。

 

 デーモンの王子。

 そのソウルを取り込んだことで、師から授かった≪曙光の火≫はさらに変容していた。

 

≪デーモンの爪痕≫

 デーモンの王子が最後に灯した炎。

 彼らの生きた証は、今ここに残っている。

 

『さらばだッ!』

 火が揺らぎ、曲剣の如き形へと変わる。

 振り下ろされる長刀を、体を回転させながら回避。

 同時、左手に顕在したその『爪痕』を――秘められた力を開放した。

 振るうのに力はいらない。それは炎そのものだ。重さなどないに等しい。

 そして、デーモンの灯す炎とはつまり『混沌の炎』だ。

 その熱波は、容易く周囲を熔解させていく。

 だから、力はいらない。まだ握力の戻らない左手でも何の問題もない。

 回転の勢いのまま跳躍し、さらに頭上へとその爪痕を刻み付ける。

『ぐ……ぅ?!』

 辺りは文字通りに火の海となる――が。

『小癪な――ッ?!』

 しかし、相手が纏っているのは黒鉄の鎧だ。

 いかに『混沌の炎』と言えど、そう容易く打ち崩せるものではない。

 別の一手が必要となるだろう。

 死角に飛び込み、その爪痕を突き立ててやる。

『なめるな、雑兵!』

 回避が間に合わず、蹴り飛ばされた。

 鎧越しにあばらが軋む――が、もはや関係ない。

『死ねぃ!!』

「お前がな」

 振り下ろされる刃は、もう届かないのだから。

『が―――…ッッ?!』

「いかに黒鉄の鎧と言えど、()()()()()()には無力だろう」

 爪痕を突き立てると同時、別の呪術を仕込んでおいた。

 曰く【浄火】。

 蛮族の呪術師が行った野蛮な儀式。

 それは、今新たな生贄の穢れを焼き祓う。

『―――ぉ?!』

 鎧の隙間から炎を吹き出し、崩れ落ちる人斬り。

 それを見ながら、エストをもう一口飲み込んだ。

 ソウルはまだ流れてこない。流石にまだ生きているらしい。

 だが、それももうさほどの問題ではなかった。

 武器を切り替える。

 銘を≪ボルドの大槌≫。

 冷気を纏うその鉄塊を、握力の戻った両手で構える。

 まずは横薙ぎに一撃。

 ()()()()()()()()()()()()()

『おの、れ……!』

 吹き飛んだ人斬りの体が『赤水晶』に激突して蜘蛛の巣のようなヒビを入れる。

 恨み言を聞いてやる義理もない。

 ……ああ、だが。闇霊として現れてくれたことには感謝していいだろう。

「じゃあな」

 大上段からの渾身の一撃。

 それが、『赤水晶』ごと闇霊を粉砕した。

 ……もっとも。

 生身より脆い霊体でなければ、これでもまだとどめにはならなかっただろうが。

 そういう意味では、感謝の一つもしてやっていいのかもしれない。

 

 …――

 

 荘厳な鐘の音が鳴り響く中、いよいよ決着の時が近づいてきていた。

「やったぞ! 『赤水晶』は全部壊れた!」

 あの馬鹿、やっと辿り着いたらしい。

 だが、残念ながら歓声を上げている余裕はほとんどない。

『キヒ、ヒヒキヒッ!』

 未だ嗤ってるゴライアスも――まぁ、余裕があるとは思えない。

 すべての『赤水晶』が破壊されたことで、魔力の循環は断たれた。

 今までのように馬鹿食いしながら自己修復とはいかない。

 むしろ、自壊しつつある――が、それでも攻撃の手は緩まない。

 燃え尽きるように、大暴れしやがる。

「―――――ッ!」

 自壊しているのは、私も同じだ。

 やはり【内なる大力】は負担がデカい。

 その癖、春姫の妖術ほど強化してくれない。

 割に合わない――が。

(なめんじゃないよ!)

 構うものか。そして、この程度の敵に負ける気などない。

「【来れ、蛮勇の覇者。雄々しき戦士よ――】!」

 剛腕を掻い潜り、跳んでくる岩礫を飛び越え、行く手を阻むモンスターどもをまとめて叩き斬る。

 ソラールとかいう戦士も、アーロンという騎士も、この程度のことは造作もなくやってのけている。

 遅れなど、誰がとるものか。

「【今は遠き森の空。無窮(むきゅう)の夜天に(ちりば)む無限の星々――】」

 あの女エルフが、同じ猛攻に晒されながら涼しい顔で並行詠唱を行っている。

「【愚かな我が声に応じ、今一度星火(せいか)の加護を。汝を見捨てし者に光の慈悲を】」

 速い。それは認めるしかなかった。

 ランクの差があるのは疑いなく、そして向こうの方が歌い慣れている。

「【(きた)れ、さすらう風、流浪の旅人(ともがら)。空を渡り荒野を駆け、何物よりも()く走れ。星屑の光を宿し敵を討て】!」

「【たくましき豪傑(ごうけつ)よ、欲深き非道の英傑(えいけつ)よ。女帝(おう)帝帯(おび)が欲しくば証明せよ】――!」

 追い抜かれた。

 内心で舌打ちする――が、関係ない。

「【ルミノス・ウィンド 】ッ!!」

 自分の魔法に集中する。今必要なのは見栄でも意地でもなく、奴の首を刈り取る確実な一撃だ。

「【我が身を満たし我が身を貫き、我が身を殺し証明せよ。飢える我が()はヒッポリュテー】 !」

 緑風を纏う光弾が炸裂する中、より深く魔力を練り上げる。

「避けろ、アイシャ!」

 サミラと【象神の杖(アンクーシャ)】の警告を無視する。

 というより、頭まで届いていなかった。

 没我。凪いだ世界の中で、自分の魔力の鼓動だけが響いている。

「いけない!」

 粉塵を引き裂き、傷だらけの巨拳が迫る。

 その瞬間、全ての力が爆ぜた。

「【ヘル・カイオス】ッッ!!」

 緋色の刃が黒い拳と激突する。

 拮抗は一瞬。炸裂する衝撃波が、肌を浅く斬り裂いていく。

 一方で相手の力すら利用した渾身の一撃は、()()()()()()()()()()()()()()()()

「どんなもんだい、え?」

 右腕の左半分を失い、ようやく耳障りな嗤い声をひっこめたゴライアスを嗤ってやる。

「見ろ、再生はしない!」

「やれる! やれるぞ!」

 傷口に赤い燐光が集まる――が、再生しない。

 再生しては崩れ落ちている。

 もちろん、全く再生していないわけでもないが。

 確かな痛撃となった。

 とはいえ、だ。

(こりゃ、流石に無茶が過ぎたか……)

 軋む体に舌打ちする。

 全く忌々しい。

 アーロンなんて気楽に腕や足を切り落としているってのに、私は死力を尽くして腕の半分がやっとだ。

 あの程度では致命傷には届かない。それは、嫌というほど分かっていた。

 踏み止まることができず、その場に膝をつく。

 鐘の音は鳴りやまず。しかし、まだそれ以上の意味を成さない。

 ゴライアスもまた健在だった。

 肘を破壊された右腕はしばらく使えないだろう。

 だが、それだけだ。

 一歩踏み出そうとして、そのまま片膝をつく羽目になる。

(クソッ! さっさと立ちな、アイシャ・ベルカ!)

 まだ戦いは終わっていないのだ。

 クソッたれなゴライアスは言うに及ばず、モンスターどももまだうようよいる。

 だが――…

「あとは自分が!」

 私の隣を新たな影が走り抜けていった。

 わざわざ残り僅かなハイ・ポーションを残して。

「は、生意気な奴らだよ、最近の新人どもは……!」

 もっとも、そうでもなければ冒険者などやっていられないだろうが。

 

 ――…

 

(何て高い……!)

 エルフの戦士も。そして、あの女戦士も。

 己を律する強靭な精神と胆力。それに伴う白兵戦と詠唱の技量。

 その高みに未だ至らない己の不甲斐なさを実感する。

「【掛けまくも(かしこ)き、いかなるものも打ち破る我が武神(かみ)よ――】」

 自分も必ずその高みに。一冒険者として闘志がかき立てられる。

 その衝動のまま魔力を練り上げた。

「【尊き天よりの導きよ。卑小のこの身に巍然(ぎぜん)たる御身の神力(しんりょく)を――】」

 全ての精神力(マインド)をこの一撃に。

「【救え浄化の光、破邪の刃。払え平定の太刀、征伐の霊剣(れいおう)。今ここに、我が()において招来する。天より(いた)り、地を()べよ】!」

 後先のことなど考えず、己の全身全霊をその魔法に装填する

「【神武闘征(しんぶとうせい)】!」

 片腕を欠いたゴライアスが、ついに自分の姿を認めた。

 ――だが、もう遅い!

「【フツノミタマ 】!!」

 ゴライアスの頭上に一振りの光剣が生じ、直下する。

 同時、地面には魔法円(マジックサークル)に似た複数の同心円。

 深紫の光剣が巨人の体を貫き地に突き立つ瞬間、()()()()が生じた。

 これが自分の切り札。

 タケミカヅチ様には閉鎖空間のダンジョンでは使うなと厳命されていた、一定空間を圧し潰す超重力魔法。

 前衛が健在の状況では、巻き込むことを恐れて使えなかったその魔法は、今存分にその猛威を振るい始めた。

「ぐ、ぅぅぅぅぅぅ……!」

 だが、それでも黒いゴライアスには届かない。

『ガ――…アアアァアアアァアァアアァアッッ!!』

 不気味に歪曲しながらも響き渡る咆哮。

 地に縫い付けたはずの巨人が、再び動き出す。

 単純な力負け。ゴライアスの圧倒的な能力(ステイタス)に、歯が立たない。

 そして――…

(いけない……!)

 ゴライアスの周囲に、再び大量のモンスターが生み出される。

 超重力に巻き込まれ、少なくない数がそのまま圧死したが――それでも、かなりの数が生き残っている。

 一方で、こちらの前衛はまだ後方で補給中。

 前衛がいないということは、モンスターを食い止めてくれる誰かもいない。

 エルフの戦士も、アマゾネスも、【象神の杖(アンクーシャ)】にもそんな余裕はない。

(やられる――!)

 飛び掛かってくるライガーファングを前に、それでも魔法の維持を諦めず――

「よし、そのままもう少し踏ん張れ」

 飛び込んできた狼の(きば)がそれを両断した。

「あなた、は……!」

 あの【正体不明(イレギュラー)】殿と互角に渡り合った戦士。

「おい、ホークウッド。作戦変更かよ?」

 声をかけたのは顔に傷跡の残る壮年の男だった。

 こちらも知っている。ベル殿を呼び出したあの無法者とその仲間達だ。

「あの魔術……魔法に巻き込まれたいなら好きにしろ」

「へっ、冗談じゃねえ。……なら、しばらくはこの嬢ちゃんを守りゃいいんだな?」

「ああ、お前達が突撃するより効果的だ」

「言いやがる」

 バシッ――と。拳を掌に叩きつけ、その無法者たちが不敵に笑う。

 いや、違う――…

「やるぞ、てめぇら! 生意気な新人(ルーキー)どもに熟練者(ベテラン)の戦いを見せてやれ!」

 百戦錬磨の冒険者たちとモンスターの群れが激突した。

 

 …――

 

「体勢を立て直せ! 急げ!」

 部隊はゴライアスからやや後方に移動していた。

 それは仕方がない。【絶†影】の魔法は範囲が広く、下手に近づけば巻き込まれてしまう。

「無茶ばっか言ってんじゃねえぞ、【象神の杖(アンクーシャ)】!」

「うるせぇぞ、ボールス! Lv.2が踏ん張ってんだぞ! オレ達が先に逃げられんのかッ?!」

「ええい、クソッたれ! てめぇら、いつまでへばってんだ! 根性見せやがれぇ!!」

 ボールスとサミラが怒鳴りあいながらそれぞれに指示を飛ばす。

【絶†影】の護衛は、ホークウッドが率いる別動隊が受け持ってくれている。

 今しばらくは体勢を立て直すことに専念できるはずだ。

 もっとも、それでもギリギリの状態に変わりはないが……しかし、戦えない冒険者は死んだ冒険者だけだ。

 生きているなら戦える。戦えるなら、後は勝つだけのこと。

 ……我ながら、精神論に偏りすぎだという自覚はある。だが、だからと言って他の選択肢などなかった。

 物資も武器も、もはや限界なのだから。

「あの魔法が破られた時が、決戦の時だな」

 怪我人を集め、回復魔法を行使していたソラールが、その合間にふと呟いた。

 全く同意見だった。お互いにもう余力などない。

「うむ。……あの小娘め、あんな隠し玉を持っていたとはな」

 流石は武神の娘よ――と、アーロンは笑ってから、

「とはいえ、あまり長くはもつまい」

「仕方ない。地力が違いすぎる」

 標準的なゴライアスですらLv.4相当。

 だが、あのゴライアスは訳が違う。

 潜在能力(ポテンシャル)はおそらくLv.5を超える。

 クオンやソラール、アーロンといったイレギュラーがいなければすでに全滅していておかしくない。

 そんな怪物をLv.2が足止めできるなら、それだけで称賛に値する。例え数分と持たなくともだ。

 アイシャが片腕を奪っていなければ、もっと短い時間で破られていただろう。

「おい、アイシャ。大丈夫かよ?」

「見ての通りさ」

 リオンに肩を借りながら、そのアイシャが戻ってくる。

「待ちな。私はいい。このエルフに回復してもらったからね」

「しかし……」

 近づき、治療ようとしたソラールをアイシャが遮る。

 確かにリオンは回復魔法も使える。使えるが、この即効性はソラールの魔法――いや、奇跡と呼ぶべきなのか――には及ばない。

 アイシャはまだ満身創痍といった有様だ。

「それに、そんな余裕はなさそうだよ」

 自らの足だけで立ち、アイシャがゴライアスへと向き直る。

「や…破、られ――…!」

 超重力の檻は、今まさに破られようとしていた。

「クソッたれが! こっちの準備にはもう少しかかるってのに……!」

 あと一分。それで部隊は息を吹き返す。

 だが、その一分が足りない。

「破られます……!」

【絶†影】の苦悶の声をかき消すように、()()()()()()()()()()()()()()()

「ありゃ、まさか魔力暴発(イグニス・ファトゥス)かよ……!?」

「いや、違う。何だ、アレは……!?」

 蠢く汚泥のようなものが、従来よりさらに一回りは長大な腕のようなものとなっている。

 いや、腕と言うよりそれ自体がまるで生物のようにも――…

「ありゃ、この前のデーモンとかいう化け物から生えてきた奴じゃあねえか!?」

「デーモンだと?」

 ボールスの悲鳴に、背筋が強張る。

 この前の、というのはおそらくハシャーナを殺した赤毛の女たちの襲撃の事だろう。

 新種に混ざり、デーモンの襲撃があったとクオンからも聞いている。

 つまり、あれは――

(人の膿という奴か?)

 その時は具体的にどんななのかは分からなかったが……しかし、今なら分かる。

 あれは、深淵に類するものだ。

(となると、あのゴライアスはデーモン化しているとでもいうのか?)

 いよいよ本当にダンジョンも深淵を取り込んだ可能性が高まってきた。

 全く最悪だ。どれだけ厄介か想像もつかない程に。

 

 ――否。あれはデーモンではない

 

「おいおい、また何かヤベェぞ……!」

 誰かに否定されたような気がした……が、サミラの悲鳴に意識が現実に引きずり戻される。

 幻聴に感けている時間などどこにもなかった。

「『腕』が……」

「モンスターを喰らってやがるのか?」

 異形の『腕』が周囲のモンスターに襲い掛かっている。

 ……いや、ボールスの言う通り喰らっているのだろう。

 くぐもった悲鳴と、湿った咀嚼音が聞こえてくる。

「そうか……。魔石を取り込んでいるのか」

 生理的な嫌悪感が喉を刺激する中で、カルラが呟いた。

「何?」

「起爆させるのではなく、その魔力を取り込んでいるのだろう。見るといい、傷が癒え始めている」

 あくまでも向こうの補給が途絶えることはないという訳だ。

 モンスターの数は無限だ。比喩でもなんでもなく、ダンジョンがある限り無尽蔵に生み出される。

「……なるほどな」

 共食いとも言い難い、何とも悍ましい光景だが――…

「ようやく向こうの底が見えたな」

 そこに、確かに勝機を見出していた。

 自己修復の速度は『赤水晶』があった時と比較して大きく下がっている。

 であれば、あとは単純な話だ。

「ええ。ここからはこちらが攻勢です」

 傷が癒えるより先に討伐すればいい。

 できない速さではない。そして、行く手を阻むモンスターは他ならぬゴライアスが減らしている。

 残ったモンスターもまた、一斉にゴライアスから逃げ出そうとしていた。途中にいる私達を無視して、だ。

「やっとあの耳障りな嗤い声も消えたことだしね」

 そう。ゴライアスはもう嗤っていない。

 いや、嗤っているつもりかもしれないが、もはやそれは咳き込むような音にしか聞こえなかった。

「周囲のモンスターを討伐しろッ! 奴に餌を与えてやる義理はない!」

「そりゃ違いねぇ!!」

 モンスターたちは私達に見向きもしていない。サミラに殴り倒されてもだ。

 生み出された端から喰われ、運よく状況を把握したモンスターたちは我先に逃げ出していく。

 もはや迷宮の王は迷宮の孤王に戻っていた。

「火属性の魔法を使える魔導士は詠唱を開始しろ! あの『腕』はよく燃える!」

 殺到するモンスターを薙ぎ払いながら指示を飛ばす。

「言われるまでもねぇ! もうやらせてる!」

 デーモンがリヴィラを襲撃したなら、ボールスが知っているのも当然か。

 あるいは、カルラが助言したのかもしれないが。

「逃げた奴はほっとけ! ゴライアスに喰われなきゃいい!」

 逃げたモンスターたちがすぐに正気を取り戻して戻ってくるとは考えづらい。

 もちろん、ゴライアスがまだ何か特殊能力を隠し持っている可能性はあるが――…

(いや、ここは前進あるのみッ!)

 後方の警戒は最小限でいい。ここで攻めきれないなら、私達に勝ちはない。

 ……少なくとも、私達()()()はここで敗れる。

 別にクオンやソラール達に敵愾心があるわけではない。

 だが、黙って敗北を受け入れるほど腑抜けているつもりもなかった。

「ちッ! うねうねと面倒な腕だね!」

「まったくだぜ!」

 新たなその『腕』は尋常な腕ではない。

 というより、根本的に腕ではなかった。

 肘や手首といった当たり前の関節はなく、大蛇のようにのたうち、貪欲に魔石を取り込もうとしている。

「お前ら前に出すぎて喰われんじゃねぇぞ!」

「誰に言ってんだよ、モルド!」

 ホークウッド率いる別動隊と合流することに、さほどの苦労はなかった。

 私達が追いついたと言うより、彼らが『腕』から後退してきたといった方が正しい。

「おい、誰か手ぇ空いてる奴はこの嬢ちゃん後ろに下げてやれ!」

【絶†影】を庇うように立ちはだかっている傷面の大男――確か【オグマ・ファミリア】の冒険者だったはずだ――が、誰に向けるでもなく怒鳴る。

「チッ! ホークウッドの野郎、急に目の色変えて突っ込んでいきやがって……ッ!」

 確かにホークウッドはさらに前線に飛び込んでいるようだった。

「仕方ない。彼にとって、深淵は宿敵だろうからな」

 あの馬鹿弟子に絆されたままか――と、カルラが小さく笑う。

「ああん?」

 怪訝そうな顔をする傷面の大男には答えず、彼女は【絶†影】に肩を貸した。

「この娘は私が連れ帰ろう。ああなった以上、私の魔術は効きが悪い」

「……ああ、分かった。任せる」

 やはり、あの『腕』――『膿』は深淵に近しいものという訳だ。

「シャクティ殿、ここは任せた。俺はあの剣士の援護に向かう!」

「では、私も付き合おう。もはや陣頭指揮もいらぬだろう」

 言うが早いか、ソラールとアーロンが荒れ狂う『腕』を物ともせず突貫していく。

「モンスターどもめ。次から次へと!」

「キリがねぇな!」

 地面からモンスターが産出される速度は相変わらず速い。

 それは、モンスター達にとっては不運だろう。

 生まれた端から『腕』に喰われるか、私達に討伐されるかの生存競争に放り込まれることになる。

 今やこの荒野は深層の『闘技場(コロシアム)』と大差ない有様だった。

「仕方あるまい。ダンジョンだからな」

「ええ。その通りです」

 小さく肩をすくめると、リオンまでが苦笑した。

「ですが、やるしかないでしょう」

「当然だ。……ついてきてくれるか?」

「ええ。だいぶ勘も戻ってきたところです」

「なら、存分に頼りにさせてもらうッ!」

 リオンとともに、ソラールたちの後を追う。

 モンスターの討伐は、アイシャやサミラ、ボールス達に任せておけばいい。

(『腕』を引き付ける囮はいくつあってもいいだろう)

 ゴライアスの動きとは半ば独立している。

 厄介と言えば厄介だが、好都合でもあった。

(『腕』に振り回されているからな)

 貪欲に魔石を追いかける『腕』にゴライアス自身の動きが阻害されている。

 予期せぬ動きに警戒は必要だろうが……それ以上に隙が大きい。

 そして、その『腕』が反応するのはもう一つ。

「呵々! もはや傷を癒せんか!」

 ゴライアスは、アーロンとソラール、そしてホークウッドの攻撃を露骨なまでに警戒している。

 理由はアーロンの言う通りだろう。

 となれば、やることは一つ。

「やるぞ、リオン!」

「ええ!」

 三人に気を取られている隙に、私達がゴライアスを削る。

 できないことはないはずだ。

 特にこの槍なら、今のゴライアスの体皮を貫くことも容易だ。

『ガァアアアア!!』

 その証拠に、ゴライアスがこちらを睨み吠える。

 だが――…

「女の尻に気を取られている余裕があるのか?」

 私達に注意を向けようものなら、たちまち『火の時代』の英傑たちの刃が襲い掛かる。

 その一撃は、確実になけなしの魔力を消耗させていく。

「いかん!」

 ゴライアスが両腕を天高く掲げ――そして、そのまま全力で地面に叩きつけた。

 先ほどこちらの陣形を粉砕した一撃だ。

 直撃はしなくとも、まき散らされる衝撃波だけでかなりの威力となる。

『コォ―――…』

 全員が一度散開したその瞬間、ゴライアスが大きく息を――いや、魔力を吸い込んだ。

 同時、塞がりかかった傷口が開き、新しく血が噴き出す。

(魔力を、『咆哮(ハウル)』に回している……!)

 呻く暇もない。

 ゴライアスは両脚のみならず、叩きつけたばかりの両手で地面を握りしめた。

 狙いは――!

「いかん! 『咆哮(ハウル)』を撃たせるな!!」

 狙いは、リヴィラの街。そこにいる神ヘスティアと神ヘルメスだ。

 もし神ヘスティアが送還されることになれば、こちらの切り札が失われる。

 ……いや、それ以前に放たれるアルカナムは更なる『厄災』を呼び寄せるだろう。

 そうなっては終わりだ。

 私達だけの話ではない。きっと神蓋(バベル)の封印も破られる。

 七年前、あの『絶対悪』が目論んだように。

『ガァ――…ッ?!?!』

 収束するその魔力が解き放たれる直前。

 ()()()()()()()()()が、その巨体をいともたやすく吹き飛ばした。

 

 …――

 

 あの『赤水晶』を砕き、戦場に帰還する。

 その道半ばで、その魔剣が覚醒したことを自覚した。

「力を貸してくれるのか?」

 こちらの意思とは関係なく、自らソウルの外へと現出したその魔剣に問いかける。

 無論、答えが返ってくることはない。

 ただ、その刀身に微かに風が渦巻いているだけだ。

「すまない、礼を言うぞ」

 それで充分だった。

 地面から引き抜き、構える。

 同時、周囲の森を蹂躙して嵐が顕現する。

 だが、それも一瞬のこと。

 生じた嵐は、その猛威を保ったまま光すら巻き込んで刀身に絡みついていく。

「さぁ、決着をつけようか?」

≪ストームルーラー≫

 偉大なるカタリナ騎士とその友である孤高の王。

 彼らの間で交わされた約束の証であり、巨人殺しの魔剣の銘だった。

『コォ―――…』

 一方の巨人は渾身の一撃を放つべく四肢を地面に踏ん張っている。

 恰好の的だった。

「――嵐だけが大樹を倒す」

 煌めく嵐が、白刃となって疾る。

 その嵐刃は無防備な巨人へいともたやすく直撃した……が。

 少し加減が過ぎたかもしれない。

「……まぁ、もう巨人とも言い難いか」

 それとも、『人の膿』に蝕まれ『巨人』という存在から乖離しつつあったのか。

 偉大なる王(ヨーム)ですら膝をつくその一撃を受けてなお両断されず。

 しかし、その代償として四肢――と、言っても元々片腕は失われていたが――を失った巨人の体から、いよいよ盛大に『人の膿』が噴き出してのたうち回る。

 厄介ではあるが……呪術師にとってはいいカモだ。

 何しろ、あれは火に弱い。距離を取って連射すればそれだけで――…

「いや……」

 手に生じていた『火』を霧散させる。

「俺の出番はここまで、かな」

 さて。産声を上げた次代の巡礼者たちは無事に『巨人殺し(ジャイアントキリング)』となれるかどうか。

 ……できないなら、あの少年たちの巡礼はここまでだろう。

 例えば、墓場で目覚めて早々、かつての英雄に剪定された無数の『灰』達のように。

 

 …――

 

「くそッ、ベル、あの大男……!」

 パーティの編成は何とか間に合いそうだった。

 曖昧なのは、俺自身が前線からとっくに外されているからだ。

 もはやLv.1の攻撃など通じない。それが理由だった。

 確かに、俺があのゴライアスにダメージを与えられるとすれば『咆哮(ハウル)』に対する迎撃(カウンター)しかない。

 後方に下げ、魔導士たちの護衛を任せるというのは理に適った判断だ。文句など言いようがない。

 何しろ、近接戦ではこの階層のモンスターどもにすら手を焼くのだから。

 だが、それでも――…

「ちくしょう……!」

 巨人からベルを守り、諸共に吹き飛ばされた桜花の姿が脳裏から離れない。

 いい感情を抱いていなかったはずの偉丈夫が大切な相棒を守り――そして、その仲間が今はゴライアスを足止めしている。

 一方の俺は、こうして後方に下げられ、何もできずに立ち尽くしていた。

 あまりにも滑稽で惨めな己の姿が、胸で渦巻く後悔の念に拍車をかける。

「ヘファイストス様、俺は……!」

 手ならあるはずだった。あの巨人にも通じる一撃ならある。

 主神の女神から届けられた白布の武器。自ら手放したあの魔剣があれば。

 あの魔剣は、主神に命じられて打った眷属として初めての作品。

 自らの力を証明してから、そのまま主神に押し付けた代物だった。

 (じぶん)は二度と同じ武器を打ちません――と、その言葉とともに。

 今はそれでいい――と、その時彼女は言った。

 しかし、何かを得た時、その力を使わなかったことを後悔するとも。

 

 ――意地と仲間を(はかり)にかけるのはやめなさい

 

 紅眼紅髪の女神の言葉が、全て今の自分に巡り返ってきている。

 自分は『魔剣鍛冶師』にならないという矜持(ひとりよがり)。己は魔剣など扱わないという誓い。

 それさえ捨てていれば、あるいは――…

「ヴェルフ様!」

「リリスケ……」

「これを! アンジェ様から預かってきました!」

 リリスケが差し出してくるのは、ヘスティア様から受け取ってすぐ、アンジェに預けておいた魔剣だった。

 何も聞かずに預かってくれた彼女は、だからこそこちらの思いなど気にもせず送り返してきたのだろう。

「急いでください! もう結界が……!」

 超重力の檻が断末魔の悲鳴を上げている。

「俺は……ッ!」

 それでも葛藤を振り切れないまま、その柄を握る。

 俺は『魔剣』が嫌いだ。

 持つだけで強者を倒しうる安易な力。使い手に驕りを与えてしまう魔法の武器。とりわけ一族(クロッゾ)の『魔剣』は使い手も、鍛冶師(スミス)も、何もかもを腐らせる。

 そして、何より。

 使い手を残して、『魔剣』は絶対に砕けていく。

 使い手と苦楽を共にすることもできず。育っていく姿を見届けることもできず。死が互いを分かつまでもなく。

 だから、俺は『魔剣』が大っ嫌いだった。使い手を残して逝く武器たちが。

(だが、それは――…)

 つい先日、噂を聞いた。【正体不明(イレギュラー)】の持つ『壊れない魔剣』の噂を。

 そして今、おそらくそれに類する武器が振るわれる様を見ている。

(ちくしょう……!)

 下らない、ただの感傷(いじ)だ。

 それに感けて、その先を見ようともしなかった。その先があるなど、夢想だにしなかった。

(虫のいい話だ。分かってる。散々逃げ回っておきながら今さら力を貸してくれなんてな!)

 魔剣を担ぎ、走り出す。

 四肢を失ったゴライアスは、それでもまだあの汚泥をまき散らして暴れようとしている。

 魔剣の柄が――あるいは、この血に宿る精霊の力が――熱を帯びたような気がした。

「すまねぇ。でも、助けたい(やつ)がいるんだ! 頼む――お前を砕かせてくれッ!!」

 その衝動のまま、走り出す

 荒れ狂う嵐の刃。あれほどの力を発揮してなお、きっとあの魔剣は砕けていない。

 あの域に届かない、あの域に届かせてやれない己の無力を詫び。

 そして――…

火月(かづき)ぃいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 ただ一撃。そのためだけの真名を叫んだ。

 

 …――

 

 その瞬間、誰もが炎の色に目を焼かれる中。

 誰に知られることもなく、その火は歓喜していた。

 

 遥かな時の中で、その名は貶められ、呪いにすらなった。

 しかし、今この時。まさにこの瞬間、その炎はあるべき場所へと回帰したのだ。

 込められた力が。繋がれた血が。あるいは、確かに受け継がれた意志が。

 

 かつて始まりの時にそこにあり、そして今再び新たな始まりを知らせる。

 英雄の誕生を告げる烽火として。

 

『クロッゾの魔剣』

 それはかつて、始まりの英雄の手にあったもう一つの剣。

 暗黒の時代に灯され、その終わりを告げたもう一つの導。

 

 始祖から末裔へ。

 その伝説もまた受け継がれようとしていた。

 

 …――

 

 古い嵐が道を拓き。

 継がれた火が始まりを告げる。

 

 全ては、その鐘の音のもとで。

 

(―――三分)

 時が満ちたことを、静かに悟った。

 片時も逸らさず見据えていた漆黒の巨人。いや、その姿はもはや巨人とも言い難い。

 完全なる異形。それは、あの弱くも恐ろしい深淵の怪物(アルミラージ)に似ていた。

 そして、今。ヴェルフの炎に焼かれ、深淵の異形はその傷を癒せずにいる。

 これが最後の勝機だろう。()()()()()()()()()()()

「―――――」

 決して知りえない記憶を思い出す。

 黒衣の英雄の物語。

 巨人も竜もデーモンも騎士も王も。■ですら。

 あらゆる超越存在と戦い、乗り越えてきたその旅路を。

 

(あのゴライアスを倒せないなら……)

 きっと、冒険者(ぼくら)かつての英雄(クオンさん)たちには追いつけない。

 奥歯を噛みしめ、眦を決する。

英雄願望(スキル)】の引金(トリガー)、思い浮かべる憧憬の存在は『英雄ダヴィド』。

 強大な敵との一騎打ちを経て、万の大軍に立ち向かい打ち勝った、古国の覇者。

 偉大なる英雄の姿を幻想し、白光が収束する黒大剣を構える。

「―――みんな、道を開けろおおおおおおお!!」

 神様の声を背に発走する。

 号令がかかった瞬間、冒険者達は一斉に進路を開けてくれた。

 道を開ける全ての冒険者が、横顔を見つめる。

 乞うように、信じるように、背中を押すように――行け、と。

『ルゥアァアアアアアアァアァオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォオオッッ!?』

 くぐもった歌声。その口蓋に再び魔力が収束していく。

 狙いはまず間違いなく背後にいる神様。

 射線には他の皆もいる。

 あらゆるものを――下手をすればゴライアス自身すら――粉砕するその一撃を前に、それでも疾走の速度は緩めない。

 

 (ヘスティア)様は言っていた。

 僕が手に入れたのは『英雄の一撃』だと。

 その言葉を胸に、黒大剣を右肩へと振り上げる。

 

 埋まる距離。

 今まさに放たれようとする断末魔の『咆哮(ハウル)』。

 そして、今まさに自分の両手に宿る力の奔流。

 

「あああああああああああああああああああああッッ!!」

 収束する光剣に己の全てを賭して、その一撃を解き放った。

 

 ――…

 

 白い閃光と澱んだ魔力が激突、炸裂した。

 色が意味を失うほどの光が階層を満たし、その場にいる全員の視界が白く染まる。

「―――――――――――――――――」

 誰もが目を腕で覆う中、聞こえるのはゴライアスの雄叫びと、それをかき消すベル・クラネルの咆哮。

 そして、それら全てが無色の轟音に飲まれて消える。

 聴覚……五感が意味を失う空白の時間が終わり、最後に残ったのは決着の静けさだった。

 黒大剣は剣身が消滅し、断面から白い煙を上げている。

 それを振り抜いたままの姿勢で固まっているベルだ。

 彼だけが戦場に立っている。

 ゴライアスの姿は、ない。

「消し飛ばし、やがった……」

 茫然とした呟きが零れ落ちる。

 それが契機だったかのように、静止していた時間が再び流れ出す。

 赤く染まっていた一八階層に、本来の光が降り注ぐ。

 遮る巨大な何か。それは『ゴライアスの硬皮』――いや、『ゴライアスの黒皮』とでも言うべきか。

 それが静かに地面に舞い落ちた。

『―――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!』

 その瞬間、大歓声が巻き起こった。

 周囲の冒険者が――いや、今一八階層に存在する全ての冒険者達が諸手を挙げ、あるいは隣の者と肩を組み、涙さえ浮かべながら、喉が張り裂けんばかりに声を上げる。

 彼らの持つ刃毀れした武器が、ひび割れ欠けた盾が、あるいは荒野に突き立つ武具の全てが、まるで自らの凱歌を上げるように銀に輝く。

 ダンジョンの鳴動はすでになく、新たにモンスターが生まれる気配ももはやない。

「ベル!」

「ベル君!」

「ベル様!」

 衝動のまま叫んだ相棒の名前に、聞きなれた声が重なる。

 最初に走り出したのはヘスティア様。そのすぐ後ろをリリスケが追いかけている。

 それどころか、アンジェと覆面のエルフ(リュー)――あの女冒険者()までが走り出していた。

 遅れまいと走り出す俺の後ろで、さらに他の連中までがベルの元へと殺到する。

 今までとは質の違う狂奔を、天井の青水晶が素知らぬ顔で照らす。

 途切れることのない喜びの声が、一八階層を包み込んでいた。

 

 

 

 辛うじて残った森の中をかさかさと駆け抜けるのは、魔石を思わせる紫紺の結晶を背負ったどこか蟹に似た汚泥の塊。

 それを【罪の火】が包み込み、あっけなく焼滅させた。

「これにて今回の王狩りは完了だな」

 何ともあっけないものだ。『王狩り』などと呼ぶまでもない。

 それにしても――…

「今の葉『彷徨う人間性の精霊(ベイグランド)』のようなものだったのか?」

 稀に宿り手を失った『人間性』があのような存在に転じることがある。

 ……もっとも、昔見た可愛げのある姿とはだいぶ変わっていたが。

 これも『時代』の変化によるものだろうか。

 それとも、全くの別物か。

(いや、全くとは言い難いな)

 あの巨人もどきが『深淵』と繋がるものであることはまず間違いない。

 何故なら――…

「人の獲物を横取りするとはな」

 偉大なる【ファランの不死隊】が、それを見逃そうとはしないのだから。

「そうだな。本職がいるんだから、任せておけば良かった」

 音もなく姿を見せたのはホークウッドだった。

 それも当然か。一度『深淵』がそう容易く消滅するなど【ファランの不死隊】――【深淵の監視者】が考えるはずもない。

「……だが、今回の深淵禍はこれで終いだな」

「そりゃいい。専門家のお墨付きがあるなら、俺も枕を高くして寝れる」

 やはり一四階層で発生した『深淵』の最後の残り滓といったところか。

 これでようやく今回の『深淵狩り』は終わりという訳だ。

 それにしても、まさか残滓だけであれほどの化け物を生み出すとは。

(やはりダンジョンは『深淵』と相性がいいらしいな)

 それとも純粋に『人間性』を蓄積できるのだろうか。

(それはありそうだな)

 心当たりがない訳でもない。

 内心で嘆息していると、ホークウッドがあっさりと背を向けた。

「帰るのか?」

「ああ。今のお前と決着をつけても意味がない」

 言い残すと、さっさとホークウッドは歩き去っていった。

 いつぞやとは立場が逆転しているような気がしないまでもない。

 肩をすくめていると、別の足音が近づいてきた。

 ……誰のものかは大体分かる。つまり、それくらいの付き合いがあるという訳だ。

「遅かったじゃないか」

「何かあったか?」

 やはりと言うべきか当然というべきか。

 姿を見せたのはカルラとソラールだった。

「悪かった。言い訳だが、闇霊に絡まれてたんだ」

「そんな事だろうと思ったよ」

 カルラがクスクスと笑う。

「やはり、あの少年が後継者か?」

「多分な」

 ベルは資格を示した。そして、こうして選定も超えた。

 全て俺達の目論見通りであり、期待通りだった。……忌々しいことに。

「悦べ、グウィン。これで俺もお前達と同類だ」

 胸中の悔恨は、吐き出すには重く澱んでいた。

「何か言ったか?」

「いいや。……今頃グウィンの奴がほくそ笑んでいるだろうと思っただけだ」

 誤魔化すつもりの本音が、つい零れ出てしまう程度には。

「それが嫌なら、あの少年と腹を割って話すべきだろう」

「そうだな。……それがいいんだろう」

 グウィンたちとは少し違う対応になる。……と、思いたいが。

 さて。それは結局のところ自己満足でしかないようにも思う。

「一つ訊くが……」

 呻いていると、カルラが言った。

「あの少年は、道を行くものではないのかな?」

「え?」

「であれば、道に迷うものでもある。貴公がそうであるように」

「…………」

 反論はいくらでも思いつく……ような気がしたが、言葉として残るものは結局一つもなかった。 

「道を示すことは、別に罪ではない。惑わすためでないならな」

「そうだ。あの少年に期待するのは『道を選ぶこと』だろう?」

 カルラの言葉を、ソラールが引き継ぐ。

「……そうだな」

 あいつが道を選ばなければ、俺も今は動けない。

 そして、道を選べる程度にはまだ余裕もある……と思う。

「一つの末路くらいは伝えてやるか」

 先達として、今ならそれくらいのことはしてやれるだろう。

 ああ、だが、それより先に――…

『ああ、この地に降りてきて良かった!』

 あの耳障りな笑い声をかき消してやった方がいいだろうか。

(ウラノスとの賭けがなけりゃ、今すぐにでも黙らせられるんだがな)

 だが、それはできない。ウラノスを失えば、ダンジョンの封印ができない――と、言う事とは別に。

 ■喚■であるゼ■■達にとっても、少なからずマズいことになる。

「―――――」

 忌々しいその笑い声に、■■した■憶までが蠢いたような気がした。

 

 ――そろそろ、思い出すべき時も近いのではないかな?

 

 おそらくは最も多く耳にしたであろう後輩の声とともに。

 

 




―お知らせ―
 お気に入り登録していただいた方、感想を書き込んでいただいた方、誤字修正いただいた方、ありがとうごいます。
 次回更新は年内を予定しております。
 21/04/11:あとがき追記
 誤字修正送っていただいた方、反映とお礼が遅くなりました。
 申し訳ありません。そして、ありがとうございました!

―あとがき―

 まず、お礼を。
 半年以上更新がなかったにもかかわらずお気に入り登録が800人を超えました。皆様、本当にありがとうございます!!
 感想の返信もすっかりお待たせしておりますが、こまめに拝読させていただいています。そちらについても、改めてありがとうございます!
 そして、今後の更新についてですが。
 この先も実生活で殺す気かって勢いで予定が詰まっているので、なかなか見通しが立てにくいのが現状です。申し訳ありません。
 なので、今までのように具体的にいつとは言い難いのですが…それでも、時間を見つけて執筆は続けていくので、どうか気長にお待ちいただければ幸いです。

 さて。
 というわけで、これにて第二部第三章完結となります。
 次は…ええと、OVA編を挟むかどうかとアルテミス編をどうするかで迷っている感じですが。
 温泉編はともかく、アルテミス編は作中の時間的にちょっと無理があるんですよね。具体的に、次のランクアップまでに間に合わないという…。

 まぁ、それはともかくとして。
 新キャラが何人か登場しております。
 一人は聖堂騎士一式着込んだキャラ、もう一人は火の魔女装備一式着込んだキャラとなります。この辺の詳細についてはまた追々作中で。ちなみに背丈はPCサイズです。いわゆる完コスキャラですね。
 もう一人のカタリナ騎士はどこのパッチ…もとい、どこのパチモンでしょうね?(笑)

 ゴライアス戦では押され気味の冒険者サイドに頑張ってもらいました。
 一方で灰の人は割と裏方です。ですが、宣言通りきっちり最後のとどめは刺しているので…!

 と、そんなわけで今回はここまで。
 
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が本当に遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。

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