SOUL REGALIA   作:秋水

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※21/04/11現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります


第五節 無法者たちの宴

 

 

 一八階層の『夜』が明けて。

 忙しないことに、俺達は次の一仕事に駆り出されていた。

 次の一仕事とはもちろん、闇派閥残党の本拠地襲撃――ではなく、オッタル達がこの階層に追いやってくる『深淵種』の始末だった。

 俺達とシャクティ。小人とその手下どもの他に、【ヘスティア・ファミリア】を代表してアンジェが参戦することになったそうだ。

 もちろん、別にベル達が参戦する義理も義務もないのだが……まぁ、何だ。

 ダンジョンに突撃してきたヘスティアの罰則を軽減するために、恩を売ることに決めたそうだ。

 何でも、彼女が自分からシャクティに交渉したのだとか。

 ちなみに、その前段階としてリリルカを味方に引き入れ、彼女共に主神(ヘスティア)を説得してから、団長(ベル)への言伝を頼んだらしい。

 何というか……実に冴えたやり方だと思う。

 少なくともベルに直接言っていたら、まず間違いなくついてきただろうし。

「よう、アイシャ。【正体不明(イレギュラー)】も。久しぶり……って程でもねぇか」

 声をかけてきたのは灰色髪のアマゾネス。

 先日【神の怒り】を耐え凌いだ戦闘娼婦(バーベラ)だった。

 名前は確かサミラと言ったか。

 アイシャの友人の一人だと聞いている。

 確かに、その名前なら四年前から時々は耳にしていた。

「精々二日ってところだろう」

 そのアイシャが、肩をすくめてから言った。

 まぁ、おそらくその位だろう。ダンジョンの中では、どうにも地上の時間感覚を忘れがちだが。

「それにしても、サミラ。あんたがそんな恰好をするとはねぇ」

「うるせぇ、半分はお前のせいだろうが」

 上は胸元で交差した帯のような短衣だけ。下も下着同然の格好は、実にアマゾネスらしい。

 ――のだが、今は背中と左胸辺りにシャクティの所属する【ガネーシャ・ファミリア】の紋章が刺繍された上着を羽織っている。

 元が美人ということもあって問題なく着こなしているが……まぁ、『歓楽街』が自治区であり、彼女たちこそがその支配者だった事を考えれば、確かに奇妙な気がしないでもない。

 本当に、自分の手で潰しておいて言うのもなんだが。

「全員揃ったようだな」

 次に声をかけてきたのはシャクティだった。

 見慣れた橙色の装束に、愛用の槍を携えている。

「ああ。それで、今回の作戦は?」

「残念だが、それほど大げさなものは立てようがない」

 それはそうだろう。

 何しろ、三派閥の合同任務。しかも、一つは飛び入り参加ときたものだ。

 ……いや、ヘスティアのところも一枚噛んでいるから、四派閥で半分が飛び入り参加といった方がいいのか。

 そんな有様では、まず誰が統率を採るかで揉めるらしい。

 まったく、人間って奴はすぐこれだ――と。そんな感情が浮かんでは消えた。

「陣形を整え、追いやられてきたモンスターを迎撃する。『深淵種』もしくは異形を優先。通常種は最悪取り逃がしても構わないが極力殲滅、といったところだ」

 案の定というべきか。

 通達された作戦はその程度のものだった。

 通常種――つまり、普通のモンスターは無視ししてもよさそうなものだが、まだ変異していないだけの可能性を警戒しているらしい。

 まぁ、確かに可能性はあるだろうし、警戒して損はないか。

 それとは別に、単純に増えすぎて放置できないという理由もあるのだとか。

(まぁ、あれだけいるとさすがにな)

 いくら『中層』のモンスターとはいえ、あの数は脅威だ。

 多少なりと間引いておかなくては色々と問題が生じることくらい、俺にも分かる。

 嘆息しながら陣地を見回すと、小人も自分の手下と同じようなやり取りを交わしているのが見えた。

 参戦しているのは、リヴェリアと金髪小娘、あとドワーフのおっさんに、アマゾネスが二人。そして、狼男が一人。

 もちろん他にも、ラウルが何人かを集めてはやはり同じような打ち合わせをしている。

 彼らは冒険者風に言えばサポーターたちである。とはいえ、リヴェリア達ほどの派閥となれば、もはや単なる『荷物持ち』を意味しない。

 いわゆる後詰。後方支援を受け持つれっきとした戦力だ。

 その中には昨日のエルフのお嬢さんも混じっている。昨日の今日で元気なことだ。

「やれやれ。ここまでくると、ちょっとした合戦だな」

 大体の配置につき、念のため装備の確認をしていると、傍らでカルラがため息をつく。

「確かにそうだな」

 彼女の言葉に、ソラールまでが小さく頷いた。

 とはいえ、そこはお互い慣れたもの。別段緊張するわけでもない……どころか、天気の話でもするような気楽さだったが。

「それで、いったい何のつもりだ?」

 一通り装備の確認を済ませてから、最後にシャクティに問いかける。

「何の話だ?」

「昨日からずっと監視している理由だ」

 リヴェリア達が監視してくるのはともかくとして、シャクティやリューまでが監視してくる理由がよく分からない。

 特にシャクティ。だれよりも免罪されたことを知っているはずだが。

(リューは……そういや、リヴェリアはエルフのお姫様だったな)

 なら、あの堅物エルフがその意向に従うのは仕方がないことか。

 しかし、シャクティについてはよく分からない。

 まぁ、リューと旧知の仲だと聞くし、彼女に付き合っているという考えもありといえばありだろうが。

「別に今さら一人で突貫する気はないぞ?」

 念のため言い添えておく。

 何処にかと言えば、もちろん闇派閥の本拠地だ。

 奴らも俺達に感づかれたのは承知している。

 ならば、時間を与えれば与えるだけ、向こうに守りを固められるだけだ……。が、だからと言って一人で飛び込んでどうにかなるかは微妙なところだった。

 少なくとも、あの『人斬り』は片手間に相手できるような存在ではない。あの赤毛の美人と組まれれば、さらに厄介だろう。

 そして、他にも隠し玉がないとは言い切れなかった。

 アイシャの命を背負っている現状で、一人突貫するのは明らかに下策だろう。

 いくらソラール達がいるとはいえ、俺自身がドジを踏んで即死したならそこまでだ。

 普段なら呆れられるくらいで済むが、今ばかりはそうはいかない。

 少なくとも彼女を地上に戻してから。あるいは、今この場でヘスティアに改宗(コンバージョン)とやらをしてもらうか。

(改宗か……)

 ソラール達と……厳密には()()()()()()()()()()だったなら、特に悩むことはなかった。

 それどころか、渡りに船とばかりに頼んでいただろう。

 だが、今は別の選択肢が脳裏にちらついている。

 そのせいで結局、大人しくしていろというシャクティに説得されてしまった。

 選択肢がなければ絶望するしかないが、あるなら今度は取捨選択に懊悩する羽目になる。

 なかなかどうして、生きるというのはままならないものだ……が、それでも選択肢がないよりはずっとマシか。

「別にそこまで深い理由ではない」

 ともあれ。そのシャクティは、今目の前で肩をすくめている。

「ただ、あの少年たちを死地に追いやったのが【タケミカヅチ・ファミリア】であることに変わりはないからな」

「うん?」

「将来有望な冒険者を殺されてはかなわない。そういうことだ」

「アホか」

 眉間にしわが寄るのを自覚した……が、ここまでくるとため息すら出やしない。

「何で俺があの三人を殺さなけりゃならないんだ?」

 気だるさを取り繕う気も起らないまま呻く。

 確かに、もはや数えることなど不可能なほどに死を巡らせてきた。それは、否定のしようがない。

 しかし、だからと言って無意味に殺すほど人間性を擦り切らせているわけではない。……と思う。

「しかしお前は【リトル・ルーキー】……ベル・クラネルを気にかけているだろう?」

「そりゃ確かに、心情的にはベル達の味方だけどな」

 肩をすくめてから、逆に問いかけた。

「だが、そもそもの話として、彼らの何が罪なんだ?」

「何?」

怪物の宴(モンスター・パーティ)と、今回の……怪物進呈(パス・パレード)とか言うんだったか。その二つのいったい何が違う?」

 違いなどあるはずもない。それが、個人的な結論だった。

「自然に発生したモンスターに殺されることと、誰かに押し付けられたモンスターに殺されること。そこに一体何の違いがある?」

 見つけ出して復讐でもするか。

 なるほど、殺されてなお『命』があればそれも可能だ。

 その前提なら、確かに多少の意味はあるかもしれない。感情のままに復讐に走るのも一興と言えよう。

 一度や二度死んでも問題ない俺達なら、向こうも概ね覚悟の上だ。さらに言えば、どこぞの禿丸のように懲りない奴だっている。

 だが、ベル達はただの生者だった。

 死という結果はただの生者にとっては絶対であり、覆すことのできない終焉となる。

 復讐という言葉の重みも変わってくるだろう。

 それに、だ。

「それに、自慢にはならないが、同じ状況なら多分俺も同じ選択をするぞ」

 残念ながら――少なくとも俺自身は――いついかなる状況でも、万事都合よく解決できるような『物語の英雄』ではない。

 取捨選択が求められるのが常だ。劣勢であればなおさら。

「お前達だって似たような経験はあるだろう?」

 その辺りは不死人(俺たち)だろうが、神の眷属(ベルたち)であろうが大して変わるまい。

「それは、否定しないが……」

 シャクティのように素質にも恵まれ、経験を積み重ねた冒険者であっても――いや、まだ駆け出しだった頃の話かもしれないが――そうなのだ。

 ならば、まだ未熟なあの三人に例外を求めるのは酷というものだろう。

「だろう」

 頷いてから、続けた。

「自分の能力。仲間の状態。取り巻く状況。それらを俯瞰して、最も有効だと考えられる選択をする」

 他者を犠牲にした以上、非情な選択だと糾弾されることはあるだろう。

 心情的にはベルの味方というのも、その辺りが理由の一つだ。それは認める。

 しかし、だからと言って頭目らしいあの青年が特別に非情だとは思わない。

 何故なら、

「そんなことは、ダンジョンに限らず、戦場と呼ばれる場所に身を置く者なら誰もがしていることだ。なら、彼らがそれをしてはいけない理由は何だ?」

 ベルだってそれをしなければならなかったのだ。

 ダンジョン内に()()()()()があるとすれば、それはあらゆる困難に勝ち抜き、生還すること以外にはありえないのだから。

(それとも、判断した結果かもしれないな)

 それなら、なおさら仕方がない。仮に命を落としたとして、それはベル達の判断が甘かったというだけの話だ。

 残念ながら、ここはそういう場所だった。

 もし彼らの選択を咎められる者がいるとすれば武芸百般極め、神算鬼謀に長けた稀代の戦上手か。さもなくば全盛期のグヴィン達と同じかそれ以上に全知全能を誇る何か。

 あるいは、単なる阿呆ということもあり得るだろう。

 それはともかくとして。

「迷宮での被害、損失に関してギルドは一切の責任を負わない。冒険者登録の時、ギルド職員は必ずそう告げるらしいな?」

 ダンジョン内での被害、損失の最たるものは『死』となる。

 それすら自業自得というならば、例え殺されたとて同じことだろう。

 そして、この(うろ)には暗月の光すら届きはしないのだ。

「ああ。そうだ」

「なら、どこにどんな問題がある?」

 冒険者になるということは、その条件に同意するということだ。

 ならば、暗月の光が届いたところでどうなるものでもあるまい。

 そして、それが許容できないというなら、冒険者など続けるべきではないし、ダンジョンに関わるべきでもない。

 人々から『英雄』様と呼び称される対価として、その程度の覚悟は安いものだろう。自分で望んだことを踏まえるならなおさらに。

 ……まぁ、俺にはどうにもその価値が見出せないのだが。

「もちろん、ベルがまだの農民だった頃……神の眷属ではなかった頃に、地上で仕掛けたってんなら話はまた変わるがな」

 オラリオ内に限らず他派閥は基本的に競争相手である。それはいわゆる『冒険者』だけに限った話ではない。

 神の駒となった時点で逃れられない宿命だ。

 それもまた、誰もが認識していることだろう。……その意味まで理解しているかは知らないが。

 加えて、この場合の競争とは、競技場で公平に行われるようなものではない。

 多くの場合において、無頼者同士の『抗争』に近い――いや、そのものと言っていいだろう。

 つまり、()()()()()()()()()()として考えれれば、彼らの対応には全く問題がない。

 問題はないわけなのだが……

「ああ、他に仕掛けたのが普段からふんぞり返ってるどっかの小人どもだったなら、多少の仕返し位はするかもしれないがな」

 まぁ、そこに個人的な心情を踏まえると、やはり話は変わってくる。

 それこそ、そこにいる小人ども――もしくはどこぞの猪ども――なら、確かにシャクティの懸念も大げさとは言い難いだろう。控えめに言っても。

 幸か不幸か、俺の人間性もまだそこまで擦り減っていないというわけだ。

(あ~…。だが、その場合はどうせベル自身が全力で庇うだろうな)

 何しろ、小人の方にはあの金髪小娘がいるわけだし。

 深く考えると色々面倒なことになりそうだったので、思考はそこで打ち切ってから。

「ま、何だ」

 気を取り直すついでに、肩をすくめて見せる。

 そして、もののついでにふと思い出した。

 何でも五年だが六年だか前に、二七階層で騒ぎが起こった時に他所の派閥をいくつか囮にして丸々壊滅させた派閥があるらしい。

 しかも自分たちは名声を独り占めにしたとか何とか。

 ……街で見かけた酔っ払いの言葉の言葉が耳に入っただけなので、どこまで信じられるかは怪しいものだが。

「憎まれ口を叩きながらでも、助けに戻ってきただけ可愛いものだろう?」

 それなら、彼らの行動はむしろ上等だろう。

「そうだな」

 あのベルは――良いことか悪いことかはともかく――今も底抜けのお人よしのままだった。

 彼らは――お人よしというほどではないにしろ――頭からケツまで堅物で大真面目な冒険者のようである。

「彼らの選択に、ベルは納得した。リリルカ達も一応は。当事者同士が納得したなら、俺が口をはさむ理由は何もない」

 それなら、昨日のシャクティではないが、借りは返してくれるだろう。おそらくは利子をつけて。

 ならば、いったいそれ以上の何を望めばいいのやら。

 少なくとも、この場所の道理を力ずくで蹂躙する必要性は感じられない。

 

 ……と、言うようなことを、今さら俺が熟練の冒険者相手に説明しなければならない必要性からして、そもそも全く感じられないわけだが。

 

「いったい何を誤魔化そうとして――」

 明らかに怪しい。絶対に何か隠している。

 いい加減、それなりに長い付き合いだ。こんな馬鹿げた心配を本気でするとは思えない。

「話はそこまでにしときな。そろそろ来るよ」

 その確信とともに問い詰めようとしたところで、アイシャに止められた。

「ああ。そのようだ」

 アイシャが言う通り、連結路の向こう側が随分と騒がしくなっていた。

 原因は言うまでもない。明らかにモンスターどもの唸り声であり、咆哮であり……そして、悲鳴だ。

 残念だが、これ以上は話し込んでいられそうにない。

 

 ピィイ―――ッ!

 

 それをかき分けるように、合図の笛の音がかすかに聞こえて。

 

「総員戦闘準備!」

「間違っても友軍を攻撃するな!」

 それぞれの団長が檄を飛ばす中、モンスターどもが雪崩を打って飛び出してきた。

 

 …――

 

「始まったみたいですね」

 一七階層との連結路がある方角から、戦闘の喧騒が伝わってくる。

 リリ達がいるのは、当然ながらそこから少し離れた【ロキ・ファミリア】の野営地だ。

 この一八階層で、最も安全が保障された場所と言っていいだろう。

 もっとも、すでに撤収準備が進んでおり、天幕の数は随分と疎らになっているけれど。

「らしいな」

 ベル様の鎧の微調整を終えたばかりのヴェルフ様が頷く。

「どうだ、ベル。鎧の調子は」

「うん。相変わらず体に上手く噛み合ってるよ」

「肩の方はどうだ?」

 もちろん、ベル様の鎧は見慣れた軽鎧なのですが……完全に欠損した肩の装甲だけは、新しく別の装甲に付け替えられていた。

「それも大丈夫かな」

 その肩を回しながら、ベル様が頷く。

「そうか。破損(ジャンク)品とはいえ、元は上級冒険者向けの装備ってだけのことはあるな」

 鍛冶道具は無料で借りられても、材料まではもらえなかったらしい。

 別にいじわるされたとかそいう

 結局、リヴィラで念のため買ってきた破損(ジャンク)品を調整して装着したのだとか。

 少し無念そうなのは、自分で打ったものではないせいだろう。

「お前達も、早く寄越せ。撤収作業が終わる前にこの道具も返さないとならない」

「ああ、助かる」

 ヴェルフ様は【タケミカヅチ・ファミリア】の武具の整備も受け持つらしい。

 仕事においては遺恨なく、という辺りはさすが専門職(プロ)といったところか。

「っと、そうだ。リリスケ、そっちはどうだ?」

「問題ありません。というより、リリには過分すぎるくらいです」

 リリも破損したボウガンの代わりにクオン様から≪ライトクロスボウ≫を譲り受けていた。

 間に合わせ――と。クオン様は言っていたけれど……。

「どう考えても上級鍛冶師(ハイ・スミス)の作品並みですよ」

 もっとも、さすがに三等級兵装とはいかないでしょうけど。

 それに、譲り受けたのはボウガン本体だけではない。

「しかし、()()()()()()()()()()とはな。思い切ったことを考える奴もいたもんだ」

 準備の手を止めないまま、ヴェルフ様が呻いた。

「ええ。全くです」

 通常のボルトとは別に、≪魔法のボルト≫なるものを数十本ほど譲り受けていた。

 使い方も簡単で、いつも通り番えて撃てばいいのだとか。

 これはなかなか便利だと思う。ただ、当然ながら一発使いきりとなる。

 なので、値段がいくらくらいになるのか……。

(これ一本が使い捨ての魔剣みたいなものですからね)

 いや、そうとも言い難いか。

 先ほど試し撃ちしてみた感触で言えば、魔剣といえるほど強力ではなさそうだった。

 あくまで威力が底上げされているだけで、本質的には()()()()()()と考えた方がいい。

 このボウガンと併せて使えば、普段より少し強いモンスターにもとどめを刺せる。

 ただそれだけ。決して過信はできない。

 そのうえで、こうも思うのだ。

(でも、上手く使えばベル様たちの力にはなれる)

 ――と。

 つまり、大切なのは使いどころ。いつも通りの話だった。

「それにしても、【ロキ・ファミリア】に【フレイヤ・ファミリア】。それに【ガネーシャ・ファミリア】の精鋭が揃い踏みですか……」

「今ばかりは野次馬根性というやつを理解できそうだな」

 連結路の方を見ながら、命様と桜花様が呟くのが聞こえた。

「そぉですかぁ?」

 思わず疑問を隠すこともせずに呟いてしまった。

「えっと……。興味、ないんですか?」

「ないとは言いませんが……」

 千草様の問いかけに、ため息を一つ。

「ですが、その【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】と一緒にいるのはクオン様……()()正体不明(イレギュラー)】なのですよ?」

 この三者の関係性など、今さら言うまでもない。

 今のオラリオにおいて最大の火種といってもいいくらいだ。

「ついうっかり抗争が始まったなら、リリではとても逃げ切れません……」

 ついでに言えば、一七階層の連結路前が戦場ではダンジョンの外に逃げることもままならない。

 ……いえ、誰かがリリ達についてきてくれなければどのみち帰還できないのですが。

「な、なるほど……」

「確かに、俺達でも自分の身を守れるかどうか……」

 リリの嘆きに、命様たちの表情も凍り付く。

 Lv.1とLv.2の間には大きな壁があるのは嫌というほど分かっている。

 ただ、この場合はそれすらあってないような差だった。

「ええと……。と、ところで! リリ、バックパックはどう?」

「はい。問題ありません」

 改めて()()()()バックパックを漁りながら、露骨に話題を変えようとするベル様に応じる。

 中身の大半が『上層』向けの安物揃いなのは仕方がない。

 いくらかでも()()()()()()()()()()だけでも大助かりだった。

 

『すまない。すっかり遅くなった』

 ――と。クオン様がリリを訪ねてきたのは、今朝方のことだった。

 ほとんど言葉を交わす暇もなかったけれど……説明はあまり必要なかった。

 そう。差し出されたのは、あの日……ベル様に助けられたあの日に奪い取られたリリのバックパックそのものだったのだから。

 

「なら、その鍵は……」

「こちらは、地上に戻ってみないとさすがに分かりません」

 その中には、退団資金を預けてある貸金庫までが含まれていた。

 ダンジョン内で取り返したということなので、荒らされてはないと思うけれど。

(ベル様と改めてパーティを組んでからの稼ぎと併せれば、そろそろ本当に手が届くかも……!)

 真鍮製の鍵を握りつぶしてしまいそうなほどに胸が高鳴っている。

 それを自制するつもりで、小さく嘆息して見せた。

「まぁ、一番高価だった魔剣がなくなっていますが……」

 この鍵を除けば、リリの手持ちの中で一番――単価として――高価だったのがあの魔剣だった。

 もちろん、下級冒険者向け――つまりは、文句なく安物ではあったのだけれど。

「本当にアイツったら詰めが甘いんだから」

「いえ! 取り戻していただけただけで充分です!」

 本当に嘆息する霞様を前に、慌てて両手と首を振る。

「見捨てられていてもおかしくなかったですし……」

「いやー…。それはどうかしらね」

 小さく付け足すと、霞様が苦笑した。

「アイツ、リリルカちゃんのことを結構高く買ってるもの」

「え?」

 それは、意外な話だった。

 自分が盗賊だと見抜かれている可能性は考えていたけれど……。

「あいつってその辺結構禁欲的(ストイック)なのよね」

禁欲的(ストイック)?」

「もしくは冷淡(ドライ)なのかも」

「はぁ……」

 よく分からず、首を傾げた。

 どちらの言葉も、今まで見てきた姿とはあまり合致しないような……。

「自分にとって有益だと思う相手なら、多少のおいたは黙って見逃すって意味よ」

「それは単にお人好しなだけでは?」

 いや、違うか。

 本物のお人好しというのは、自分に不利益をもたらす相手でも助けに来る。来てしまう。

 どこかの白兎のように。

「そうかもね」

 ともあれ、霞様はあっさりと苦笑した。

「まぁ、言い方はいろいろあるけど……。簡単に言えば、自分の代わりに安心してベル君を任せられる相手を見つけたって喜んでたわよ」

 自分の代わりに。それは、あの赤黒い人影――多分、『闇霊』と呼ばれる存在と、それを呼び出したあの奇妙な女性と出会ったからだろうか。

 それとも、何か別の理由を想定しているのか。

 いえ、今はそんな事よりも……!

(リリがクオン様の代わり?)

 いえ、あのクオン様がそんなに深い意味を持たせていたとは限らない。

 でも、それでもベル様の事を気にかけているのは間違いない。

 そんなクオン様が()()()()()()()()()と言ったのだとすれば。

「っ~~~~!」

 歓喜だろうか。それとも、緊張?

 自分でもよく分からない興奮が全身を駆け抜けていく。

 この上ない激励だった。少なくとも、リリにとっては。

「お任せください!」

 やっぱり人の噂なんて当てにならないものね――と。

 そんなことを言って苦笑する霞様を前に、その衝動のまま、声高にそう叫んでいた。

 

 …――

 

 ベル・クラネル

 Lv.2

 力 :G267→F368

 耐久:H144→G273

 器用:G228→F352

 敏捷:F375→469

 魔力:H189→G272

 幸運:I

≪魔法≫

【ファイアボルト】

・速攻魔法。

≪呪術≫

【ぬくもりの火】

・害意のない柔らかな火を生み出し、それに触れたものの傷を癒す。

・火は力の証であると共に、知恵と暖かさの象徴でもある。

・炎はそれを扱う者が求めるものをもたらすのだ。

・家族を求めるものが熾すなら、それは団欒の火ともなろう。

≪スキル≫

英雄願望(アルゴノゥト)

能動的行動(アクティブアクション)に対するチャージ実行権。

 

 テントの中で【ステイタス】の更新を受けてから。

「うーん……、久しぶりに一気に上がったなぁ」

 内容を僕に――書き写す紙もないので――口頭で告げてから神様が唸った。

「そ、そうですね……」

 理由は色々と思い浮かぶ。

 一三階層からこの一八階層までの強行軍。

 階層主(ゴライアス)の追走。

 昨夜の『新種』との戦闘。

 そして、あの『深淵種』の遭遇戦。

 どれをとっても、【経験値(エクセリア)】を積むには充分だったらしい。

「それに、より上位の【経験値(エクセリア)】も溜まっていたよ」

「え?」

()()ってやつさ。君の(ステイタス)昇華(ランクアップ)にまた一歩近づいたってことさ」

 今さっき思い浮かべた全て……一連の決死行は、偉業の一端として評価されたということらしい。

 つまり、ランクアップの条件は必ずしも格上のモンスターを討伐することとは限らないということなのだろうか。

 いや、あの『深淵種』は格上だった。単純にステイタスだけを比較するなら、きっと。

「ところで、神様」

 少し首を傾げてから、別のことを問いかけることにした。

「アンジェさんは大丈夫なんですか?」

 気づけばクオンさん達と一緒に連結路前の『監視所』に行ってしまっていた。

 多分、体の方はすっかり治ったってことだと思うけど……。

「あ~…。うん、多分ね。とりあえず、傷はすっかり治ってるみたいだよ。あと()()()()()()()()()ように見えるけど……」

「いえ、それもそうですが……」

 アンジェさんはいきなり()()()()()()()()()()()()()()()()()ようなものだ。

 きっと、僕がオラリオに来て神様と出会うまでの間に感じていた不安や孤独の比ではないと思う。

「それに、『人喰らい』がどうとか言っていましたし……」

 復讐、なのだろう。

 それでも、アンジェさんにとってはきっと大切だった誓いのはずだ。

「その辺は、また例によってクオン君が何となく事情を知ってそうなんだよなぁ……」

 小さく呟くと、神様が肩を落とした。

 そういえば、クオンさんもアンジェさんの指輪を見て少し驚いていたというか何というか……。

「それで、ベル君。ベル君はクオン君と話せたのかい?」

「いえ、まだです……」

 リヴィラの街で別れてから、次に会ったのは今朝方のこと。

 リリにバックパックを返しに来た時だった。

 例の『深淵』絡みの後始末に向かう途中に寄ってくれただけだし……何より、周りに【ロキ・ファミリア】の人たちがいる状態ではさすがに詳しい話を聞くわけにはいかない。

 それくらいのことは、僕にももう分かっていた。

「クオン君といえば、カルラ君にも悪いことしちゃったしなぁ」

「そうなんですか?」

 神様が誰かに悪いことをするなんて想像もできないけど……。

「うん、ちょっとねー…」

 神様が結構本気で落ち込んでいる。

 何をしたのか気になるけど、聞いちゃっていいものなのか。

(あ、もしかして……)

 水浴びを覗いてしまった時、そういえば何か話していたような……。

 思い出そうとして、慌ててやめた。深く思い出すのは別の意味でマズい。かなりマズい。

「ま、まぁ、その辺のこと全部ひっくるめて、地上に戻ったらゆっくり話してもらおうぜ!」

 僕の動揺には気づかなかったのか。それとも気づかないほど落ち込んでいるのか。

 大きく嘆息してから、神様がぐっと指を立てて言った。

「ほら、シャクティ君だったっけ。ガネーシャの眷属(こども)にも伝言を頼んであるからね!」

「シャクティさんは、クオンさんについて知っているんでしょうか?」

 一緒に行動している分だけ、何となくリヴェリアさんよりも付き合いが深いような印象があるけど。

「ボクもよく分からないんだよねー…」

 あの子にまで話しているかどうか。神様はそう言って肩をすくめる。

「いくら嘘を見抜けるといっても、今回はあんまり役に立たないしさ」

「そうなんですか?」

「ボク達より知っているのは本当だし、ボクらが知りたいことを全部知っているかどうかは分からないからね」

「はぁ……」

 その言葉の意味を理解できないまま曖昧に頷く。

「だからさ。あの子が嘘を言って隠したとして、単にボクらより()()()()()()()()()()()だけのことかもしれないんだ」

「ああ、なるほど」

 今僕たちが抱えている疑問の答えを――もしくは、その手掛かりを――知っているとは限らないというわけだ。

「それに、別に心が読めるわけじゃないしね。誤魔化す方法って実はそれなりにあるんだよ」

 簡単に言えば『嘘』でさえなければいいんだから――と。神様は肩をすくめた。

「ただ、あの子の主神のガネーシャとかウラノスなら何か知っているのは間違いないと思うんだ」

「ウラノス様って確か……」

「そうだよ。ギルドの主神……創設神さ」

 ギルドにも主神がいるという話は、エイナさんからも聞いたことがある。

 ただ、『中立中庸』を示すため眷属、つまりギルド職員には『恩恵』を与えていないということも。

「ウラノスは知っているから、あの『深淵』ってやつをどうにかするためにクオン君を呼び出したんだと思う」

 と、言ってから神様は自信なさげに付け足した。

「まぁ、普通にクオン君から聞いたことがあるだけって可能性もあるけど」

 それでも、クオンさんがウラノス様に何か話をしていることには変わりない。

「その辺も全部地上に戻ってからさ! 今はこのテントをささっと片付けちゃおうぜ!」

「そうですね。アイズさん達は、今の戦闘が終わったらその足で一気に地上に戻るつもりみたいですし」

 つまり、【フレイヤ・ファミリア】が追い集めているモンスター群を強行突破するというわけだ。

 何でも『深淵種』や異形の他に、モンスターの『異常発生』も問題になっているらしく、この際一緒に殲滅……というか、数を可能な限り減らしていくつもりらしい。

 もっとも、流石の【ロキ・ファミリア】も遠征帰り。

 やはり消耗は大きく、『中層』といえど油断はできない。特に今の『中層』は。

 そのため、主力の一人であるアイズさんはもちろん先行隊に組み込まれている。

 僕たちがお邪魔するのは後発隊。

 わざわざ二手に分かれるのはモンスターの大群がどうこう言う以前に、遠征に赴く大規模パーティが一七階層以上をまとまって動くのは窮屈だかららしい。

(あの『中層』が狭いって……)

 決死行の最中は無限に広がっているような気すらしたんだけど。

 とは思いつつも、畳まれカーゴに積まれたいくつもの天幕や大量の物資。何よりその周りにいる団員の人たちを見ると確かにそんな気もしてくる。

 いや、実際は単純に通路の話みたいだけど。

「だろう? 置いていかれたらまた困ったことになるしさ」

「ですね」

 後発隊は僕たちの他に負傷者や【ヘファイストス・ファミリア】の人たちも組み込まれている。

 動きを阻害しないギリギリの人数や物資が配置されているので、先行隊よりも足は遅くなる……と、いうのは仕方ないんだけど。

 先行隊と離れすぎては危険なので、それを補うために相応の強行軍になるらしい。

「さぁ、サポーター君も呼んで片付けようぜ。アンジェ君が戻ってくる前にさ!」

 確かに。戦いが終わって戻ってきたアンジェさんに、片付けまで手伝わせるわけにはいかなかった。

 

 そして、それから。

 

「思ったよりも量がありますねぇ」

「そうだね」

 リリと神様がそんなことを言い合う。

 寝具とか魔石灯とか簡単な治療道具とか……借りたものを集めると思ったより量があった。

 ……と、言っても中くらいの木箱ひと箱くらいなものだけど。

「神様。とりあえず、この畳んだ天幕を届けてきますね」

 元々携行を想定された天幕は、畳むのも運ぶものそこまで難しくはない。

 ――んだけど。元々の重量自体はどうしようもなかった。

 むしろ、しっかりした造りなので結構重い。

 となると、どうしたって神様や霞さんには任せられない。……いや、もちろん元々任せるつもりもないんだけど。

「じゃあ、リリはこの木箱を届けてきます」

「うん。お願い」

 リリと並んで野営地のにぎやかな方へと向かって歩く。

 さすがに手馴れているのか、あんなに広かった野営地が今はもうほとんどただの平野へと戻っている。

「おっと、その天幕はこっちだ。ついてこい」

「あ、はい!」

 指示を出している人に訪ねるより先に、同じく畳んだ天幕を担いだ犬人(シアンスロープ)の男の人が言った。

「その木箱はこっちよ」

「分かりました」

 リリは別の誰かに呼ばれて少し離れた場所に向かって。

「ああ! 二人ともいいところに!! ちょっと手伝ってもらえる!?」

「はい! 支えていればよろしいですか?」

「ごめんねー! なんかモンスターに引っ?かれてたみたいで急に切れちゃってさ!」

 急にロープが切れたのか、悲鳴を上げる女の人に頼まれるままリリ達が崩れそうな木箱を支えている。

 助けに行こうと思ったけど……やっぱり手馴れているのか、すぐに切れた部分を縛り直し、固定し始めている。

 下手に手を出すと逆に邪魔をしそうだ。

「向こうは気にするな。自分の準備を進めておけ」

 表情に出ていたのか、犬人(シアンスロープ)の男の人が肩をすくめた。

「はい」

 リリもすぐに戻れそうだし、その方がよさそうだ。

 頷くと、僕は神様のいる天幕……正確にはその跡地に向かって歩き出した。

 そして、

 

『【リトル・ルーキー】。女神は預かった。無事に返してほしかったら一人で中央樹の真東、一本水晶までこい』

 ――と。そんな伝言を発見したのだった。

 

 

 

「こいつが最後か」

「そうらしいね」

 忌まわしいヘルハウンド――犬の上に火まで吐きやがる――にとどめを刺してから呟くと、アイシャが肩をすくめた。

 実際、もはや戦闘音は聞こえない。

「『深淵種』や異形どもは思ったよりいなかったね」

「ああ。まぁ、おかげで少しは楽ができた」

「うんざりするほど数はいたけどね」

 それは全くその通り。

 辺りに残る夥しい量の遺灰と、山をなすほどの魔石が敵の数を今も伝えている。

「ここまでくると、取り分で揉めそうだな」

「まったくさ」

 塵も積もれば何とやら。

 いかに『中層』の魔石やドロップアイテムとはいえ、これだけの数が揃えば相応の額に化ける。

 具体的な金額は分からないが……まぁ、大派閥でも無視できなくなるのは間違いあるまい。

「まとめて換金し、総額を参加した派閥数で割る。その先は各派閥で好きにしろ。……異論はあるか?」

 果たして、総責任者らしいオッタルは極めて大雑把にそんな提案をした。

「いいや。そうしてもらえると助かるね」

 一方で、小人の方もいつになく素直に頷く。

「私もそれで構わない。三等分……いや、四等分か」

「四?」

「クオンたちは、ひとまずお前達【ヘスティア・ファミリア】扱いで計算させてくれ。人数的にはまだそれでも充分だろう」

「なるほど。確かにな」

 シャクティの言葉に、アンジェが頷くのが見えた。

「お前達もそれで構わないな?」

「私は構わないよ」

 アイシャの言葉に、ソラールやカルラも頷いた。俺にも、特に異論はなかった。

 ベルにリリ、あの赤毛の鍛冶師にアンジェ。そこに俺とソラール、カルラとアイシャが加わったところで一〇人には届かない。

 参戦している中では明らかに最少だ。つまり、均等に分けるとするなら一人頭の取り分は最大になる。

「姉者……」

 まとめて派閥分を受け取るためシャクティ達に近づくと、神妙な顔つきで一人のアマゾネスが声をかけてきた。

 確か【ガネーシャ・ファミリア】の副団長だったか。

「行方不明の第一次調査隊全員分の遺体を確認した。あくまで数だけは、だが」

「そうか……」

 視線を巡らせると、経帷子で包まれた遺体がいくつか並んでいるのが見えた。

「地上に運び、葬儀を済ませてから『霊廟』に『安置』する。それが手筈だったな?」

「地上までの運搬は僕らが引き受けよう。幸いというのも何だけど、空いているカーゴがあるからね」

「ああ。よろしく頼む」

 オッタルと小人の言葉に、シャクティが頷いた。

 ちなみにだが。

 オッタルの言う『霊廟』というのは簡単に言えば異形化した人間専用の死体置き場のことだ。

 これはまだ秘密だが、リヴィラの街にいた亡者どもの死体もそこに安置されている。……いや、『封印』といった方が正確だろう。

 突貫でそんなものを用意させた理由はいたって簡単。また()()()()可能性があるからだ。

 例え俺やソラールが『殺した』相手だとしても油断はできない。

 当然ながら、メレンの亡者たちもここに運び込まれる予定となっている。

 ……と、言っても。それはあくまで今後の予定だ。

 今は廃業した貸金庫屋を徴収し、残っていた金庫を突貫で改修しただけの仮置き場なのだが。

(何か自分で面倒ごとの種を蒔いちまった気もするけどな)

 ……名前から分かる通り、一応『不死刑場』ではなく『不死廟』側での設計をフェルズに頼み込んである。

 もっとも、『不死廟』を再現するなら『管理人』が必要になる。

 それはそれで厄介な話だった。

 アガドゥランはもちろん、ミルファニト達もいない。……いや、彼女たちのような存在がもういないのは喜ばしいことともいえるが。

 嘆息していると、簡単な葬儀が始まった。

 といっても、当然ながら埋葬をするわけでも荼毘に臥すわけでもない。

 ただ、アンジェが跪き、胸元で手を組んだまま古い祈りの言葉を口ずさんでいるだけだ。

 それは久しぶりに見る、真っ当な白教徒の祈りの姿だった。

 それに従い、ソラールとともに片膝をついて祈りの形をとる。

 俺もこれで白教の聖女様直々に手ほどきを受けた身だ。聖職者としての作法も一応は教わっている。

 とりあえず、祈りの真似事くらいはできるつもりだ。

 少なくとも、数合わせくらいにはなる。……多分、おそらく、きっと。

「炎の導きがあらんことを……」

 誰もが口にする――かつては誰もが口にした言葉こそが、聖句の結びでもあった。

 ほぅ……と、思わず吐息がこぼれる。

 やはり慣れないことはすべきではない。

「意外だな」

 本職がいるのだから、素直に任せておけばよかった。

 胸中でぼやくながら強張った肩を軽く回してほぐしていると、シャクティが唖然とした顔で言った。

 ……いや、それを言うならオッタルや小人どもも似たような顔でこちらを見ているが。

「何がだ?」

「神嫌いのお前が信徒のように振舞うことがだ」

「別に死者を悼むのに信仰は必要ないだろう?」

「それは、そうかもしれんが……」

 もちろん、シャクティが何を言わんとしているかは分かる……ような気がする。

「俺にとって師と呼べる存在は、カルラの他にも何人かいるわけだが――」

 嘆息してから、付け足した。

「その中には、本職の聖女様がいたからな」

 加えて言えば、イザリスの魔女たちは祈祷師でもあったと聞く。

 本当に呪術を極めようと思うなら信仰も求められるのはその辺りにも理由があるのだろう。

「お望みなら、簡単な説教でもしてみせようか?」

 中身が伴うかはともかく、その真似事くらいはまだできるはずだ。

 間違えたところで、どうせソラールかアンジェくらいしか分からないだろうし。

「いや、いい。調子が狂う」

 酷い言われようだった。しかも即答ときたものだ。

 肩をすくめてから、取り分を数え始めた連中から距離を置く。

 小人の手下どもには隠す努力が感じられるが、オッタルと手下は殺意だの敵意だのを隠そうともしない。

 別に今さら気にもならないし、それ以上に乗る気にもならないが……しかし、金品のやり取りなど元から殺気立つのが相場というものだ。

 こんな状態でノコノコと近づいたなら、下手をすると本当に殺し合いに巻き込まれかねない。

(金を巡って殺しあうなんて、まるで生者(にんげん)のようじゃないか)

 まったくこんな笑い話はない。何しろ、何を笑えばいいのか誰にも分からないのだから。

 ただただ笑えてくる。笑うしかない。……他にどうしろというのか。

「よぉ、兄弟」

「パッチ?」

 喧騒から離れたところで、大袋にドロップアイテムや魔石を放り込む小人の手下連中や、カーゴに遺体を積み込むソラール達を眺めていると突然背後にパッチが現れた。

 慌てて四方に視線を巡らす。

「何探してんだよ?」

「高台に決まってるだろうが」

 もしくは回転する橋とか、下降する渡り廊下とか、閉じ込められそうな鉄格子とか……いや、流石にあるわけもないのだが。

「今回はそーいうんじゃねえよ。いや、マジで」

 何故お前が半眼になるのか。

 そういう顔をしたいのはむしろ俺の方である。

「まぁ、高台ってのはある意味辺りかもしれねえけどな」

「はぁ?」

 聞き返しながら、全身に神経を行き渡らせる。

 少なくとも真正面から蹴り落されることはない……とは思うが。

(いや、今の俺だと普通に戦ってもこいつには勝てないんじゃないか?)

 この小悪党は見た目によらず、重装備に身を固めて輪の都を彷徨い歩き、二体のデーモンを同時に相手取ってから、復活した『デーモン王子』と対峙し、【教会の槍】どもとも渡り合えるような凄腕の戦士でもある。

 ……いや、長い時と旅路とを超えてその域に達したというべきなのか。

 いずれにせよ『輪の都』の時の力量を有しているならば、まだソウルが凝ったままの俺では戦いになるかどうかからして怪しい気がしてきた。

「ホークウッドの野郎からの届け物だぜ」

 驚愕の真実に戦慄していると、パッチがそんなことを言った。

「何だと……?」

 渡されたのは血の付いた剣草の葉だった。

 微かに残るソウルの気配からして、血の主は確かにホークウッドのようだ。

(そもそも、こんな習慣を知っている奴はもう他にいないからな)

 これはかつて不死隊が連絡に用いた符牒であり、あるいは承認と感謝の証。

 そして、覚悟ある伝言――例えば決闘の申し込みといったような――の古いやり方でもある。

「あいつは何を考えてるんだ?」

「さぁな。行ってみりゃ分かるんじゃねえか? 今回俺が関わるのは本当にその伝言を届けるだけだぜ」

 言うだけ言うと、パッチは背中越しにヒラヒラと手を振りながら立ち去って行った。

「……まぁ、そりゃ確かにそうだろうが」

 しかし、微妙に不安を呷る内容だった。

 何しろ、そこに添えられた伝言にはこのように書かれているのだから。

『高台へ向かえ。元凶はそこにいる』

 元凶というのが何だか分からないが、パッチと高台が結びついてロクなことになった試しがない。ただ一度を除いて。

 だから、ただそれだけで気が滅入ってくるのは仕方がないことだろう。

(というか、そもそもどこの高台なんだ?)

 大半は森林と草原だが……それでも、それなりの高低差がある地形だ。

 高台などあちらこちらにあるわけだが、さて……。

(とりあえずリヴィラに向かってみるか)

 ホークウッドがいるならあの街だろうし。

 最悪は本人に場所を聞けばいい話だ。

(この文なら、いきなりホークウッドに斬りかかられるってことだけはないだろうからな)

 もっとも、パッチが絡んでいることに変わりはない。

 ホークウッドではないにしても、巨人とまた殴り合う羽目になるくらいのことは覚悟しておいた方がいいだろう。

(それなら、万が一に備えアイシャはこのままソラール達と行動してもらった方がいいよな)

 勝手に決めてから――また後でアイシャに怒られそうだと思いつつ――こっそりと陣地を抜け出した。

 こちらに気付いたカルラに仕草だけで見逃してくれと頼みながら。

 

 ――…

 

 詰めが甘かったのだと。

 それに気づいたのは、【ロキ・ファミリア】の()()()が出立してからのことだった。

「おお、【象神の杖(アンクーシャ)】」

 正確には出立間際。

 後発隊に組み込まれていた【単眼の巨師(キュクロプス)】によって告げられた。 

「実はヴェル吉たちが戻っておらん。すまんが、良ければ面倒を見てやってくれぬか?」

「それは、かまわないが……」

 今の時点において、ダンジョンでの未帰還者の収容は『強制任務(ミッション)』の一部である。

 その程度の融通はいくらでも利かせよう。

 それに、見たところ【タケミカヅチ・ファミリア】の団員達も後発隊に加わっていない。

 あの少年らと行動を共にしているとすれば、それだけでLv.2が三人いることになる。

 例えLv.1が二人とLv.0()……そして、神ヘスティアを抱えていたとして『中層』から帰還するだけなら、今の状況でもまず問題は起こるまい。

 これから【フレイヤ・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】が最後の掃除を受け持ってくれるならなおさら。

 他にリオンやクオン達も……。

「いや、待て」

 そういえば、クオンの姿が見えない。

 アイシャやカルラ、ソラール達の姿があるから油断していた。

「ソラール! クオンはどこだ?!」

「む? そういえば……」

 ソラールが首をひねる。

 とはいえ、それは仕方がない。

 先発隊が――正確には、それより先に【フレイヤ・ファミリア】が――出立してから今まで、愚直に『監視所』から連結路を見張っていたのだから。

 今もその他の派閥……ダンジョンの閉鎖により、今まで一八階層に拘留されていた複数のパーティを見送っている。

「カルラ殿。何か知らないか?」

「ああ、それなら先ほどパッチから何か受け取っていたよ」

 ソラールの問いかけに、カルラはあっさりと頷いた。

「また何か厄介事にでも巻き込まれたのではないか?」

「なら、何故止めない……!」

 毒づく暇も惜しい。言い切るより先に走り出していた。

 目的地はひとまずリヴィラ。

 パッチの言うのはあの禿頭の冒険者――ではないかもしれないが――だったはずだ。

(急ぎ見つけなければ……!)

 この階層に残された厄介事など、一柱くらいしか思いつかない。

 もしクオンが感づいたなら、また厄介なことになる。

 

 …――

 

「んで、オレたちはどうすんだ?」

「……私は急ぎ地上に戻る」

 走り去る姉者を止める間もなく見送ってから。

 サミラの問いかけに少し迷ってから応じた。

「場合によっては援軍が必要になるかもしれん」

「ま、あの男神とは相性最悪だからね」

 気楽に肩をすくめて見せるのは【麗傑(アンティアネイラ)】だった。

 全くその通り。このまま放っておけば、また『神殺し』が発生するかもしれない。

 それは看過できないことだった。()()()()()()()()()()に。

(だが、これ以上動かせる戦力はあるか?)

 メレンでの戦闘で主力部隊はかなり消耗している。

 具体的には四三名が戦線離脱。うち少なくとも一〇名は永遠に復帰してくることはない。

 また、メレンにはまだ例の『新種』が残っているうえ、それを売りつけた闇派閥(イヴィルス)残党の報復も想定される。

 闇派閥(イヴィルス)と言えば『歓楽街』での一件から今に至るまで、その活動が活発になっているのは明らかであった。

 メレン及び『歓楽街』にはもうしばらくは精鋭を集めておくしかない。

 加えてこの『深淵』禍により、オラリオ内もまだ動揺が残っている。

 そうでなくとも、まだ数日は『深淵』に侵された者がいないか目を光らせておく必要がある。

 つまり、警邏隊や市壁の防衛班から人員を割くにも限界がある。

「援軍つっても、オレ達はこれ以上手を回せねぇぜ? まだ危なっかしくて『歓楽街』を空っぽにはできねぇからな」

「分かっている」

 サミラ達……つまり、元【イシュタル・ファミリア】も『歓楽街』から動かせない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()必要があるからだ。闇派閥(イヴィルス)残党だけではなく、神イシュタルに恨みを持つ派閥からも。

 何しろ『歓楽街』にいるのは()()()()だけではない。戦う術を持たない普通の娼婦もいる。

 少なくとも、戦闘娼婦(バーベラ)達には今まで通り彼女たちを守ってもらわなくてはならない。

 建物の損壊ならまだしも、人的被害はどうやっても埋め合わせられないのだから。

 加えて言えば、今参戦してもらっている戦闘娼婦(バーベラ)達もあまり長くここに留めてはおけないという訳だ。

「……お前達だけはもう少し手伝ってもらう。残って姉者と合流しろ」

 今この場にいる戦闘娼婦(バーベラ)の中で最も腕の立つサミラ――いや、戦闘娼婦(バーベラ)という括りで見るなら【麗傑(アンティアネイラ)】も該当するが、彼女は【ガネーシャ・ファミリア】の一員ではない――と、他に熟練者(ベテラン)の団員を何人か残す。

 実際のところ、地上に戻り、人員を集めて部隊を編成し、戻ってくるだけの時間があるかと言われれば極めて怪しい。

 それに『深淵種』との……いや、厳密に言えば異形との戦闘は精神的な負荷が強い。

 相手は変異してしまった人間かもしれない。そんな思いは、ただそれだけで剣を鈍らせる。

 もはや他にどうしようもない。仕方がないことだ――と。そう割り切るのは難しい。

 私とて本当に割り切れているかは怪しいところだ。

 目の前で変異していく者たちをただ見ているしかなかった。

 それどころかあの店員が例の丸薬を届けてくれなければ、私自身も間違いなく仲間入りしていたのだから。

「…………」

 ただひたすらに苦々しい感情を、どうにか飲み干す。

 中堅に手が届いたばかりの団員ではなおさら。

 もちろん、全員が『偉業』を成し遂げた冒険者だ。ただそれだけで折れてしまうなどあり得ない。

 そんなことを考えるのは団員に対する侮辱でしかない。それは分かっている。

 だが、精神の疲弊が肉体の疲労を加速させ、集中力を削り取っていることもまた否定できない事実だ。

 少なくとも、しばしの休憩(レスト)が必要だろう。おそらく、本人たちが思っている以上に。

 この一八階層でとればいい話なのだが……今の状況下では最悪の場合、足を引っ張りかねない。

 連れて戻るのが無難だろう。

「そりゃいいけどよ」

 サミラがため息とともに言った。

「アイシャ、お前も手伝えよ」

「仕方ないね。どうせあの男神が相手だ。あんただけだとまとめて殺されかねない」

 英断だろう。さすがに【麗傑(アンティアネイラ)】まで殺すほどには狂っていない。……と思うが。

 報告された『神罰同盟』の()()を思い出せば断言など出来るものではなかった。

「んじゃまぁ、行くか」

「ああ。気をつけろ」

「あんた達もね」

 そんなやり取りを交わしてから、私も急ぎ地上への帰還を開始した。

 真剣に。切実に。可能な限り迅速に次の部隊を編成しなければならないのだから。

 

 ――…

 

 無数の悪意と打撃に曝される中で。

『いいか、ベル』

 記憶の中のクオンさんが告げる。

『言うまでもないことだが、視界を阻害されるような事態は極力避けなけりゃならない』

 確かこの時は、はぁ――と、曖昧な返事を返したような気がする。

 流石にそんなことは言われるまでもないことだと思ったから。

『ただし、そういう目にあうことは割とよくある。深い霧に包まれるとか、単純に辺りが暗いとかな』

 もしくは透明人間に襲われることもあるかもな――なんて、クオンさんは言った。

 その時は冗談だと思ったけど……ひょっとしたら、本当に襲われたことがあったのかもしれない。

 今の僕のように。

 そう、だから。

 

『だから、そんな時は落ち着いて耳を澄ませ』

 きっと、この助言には意味がある。

 

(そうだ。落ち着け……!)

 悪意に囲まれる恐怖は、何とか薄れていた。

 もしくは、それを薄れさせるために思考を回し続けているおかげだろうか。

()()()()()だろう?!)

 モルドさんは鎧を着込んでいた。

 つまり――…

『音を立てずに動くってのは案外難しい。鎧を着込んでいればなおさらな』

 装備同士がこすれ、あるいは揺れ動く微かな音。

 砂利を踏みしめる足音。

 それらが、モルドさんの大まかな位置を教えてくれている。

 加えて、アイズさんやクオンさんの見えない――正確には見切れない――斬撃に対応するべく磨かれた勘も、ようやく動き始めてくれた。

 ……あと、何故か結構な頻度で感じる()()()()()()()()()のせいで感覚が敏感になっているせいもあるけど。

 それら全てが、一つの形を結ぼうとしている。その手ごたえが確かにあった。

 今なら、近くの高台から誰かが見ていることも何となく分かる。

「てっ、てめぇっ、見えてんのかぁあああああああああああああああ?!」

 全く見えない。

 でも、攻撃はもう当たらない。踏み込みの音が、それより早くこの耳に届くから。

 回避とはいかないが、防御するには充分だ。

 ただ、そこまでだった。反撃に転じるには、まだ足りない。

『殺気ってのは白く見えることがある。俺にも偶にな』

 なんて、クオンさんはそんなことを言っていたけど。

『その白い軌跡から身を逸らしてやれば、相手の攻撃は一瞬遅れて勝手にすり抜けていく』

 とも。

 ……残念ながら、それは今の僕にはまだ理解できない領域の話なんだけど。

(もう少しはっきりと姿をとらえないと……)

 だから、今の自分でもできそうな方法を考えなくては。

(でも、どうやって?)

 魔法なら、いつかは効果が切れるはずだ。

 ただ、これが魔法かと言われればとてもそうは思えない。

(多分、あの兜が魔道具(マジックアイテム)……!)

 姿が消える直前、黒い兜のようなものを被った……ように見えた。

 多分、アレを外すか破壊すればいいはずだ。

(どうやって?)

 思考を次の段階へ。

 狙える場所は、決して広くはない。

 畜力(チャージ)している余裕もない。

 大体、相手の『耐久』や兜の強度が分からない状況ではとても使えない。

 正確に兜を狙うには、少しでも姿を見る必要があった。

(どうやって?)

 三度目の自問。

「くそが、くそが、くそがああっ!?」

 それに抜剣の音が重なった。

 明確な生命の危機に、集中力が頂点に至る。

 見えている――と。そう錯覚するほどに、相手の位置が分かった。

 もちろん、実際には全く見えていない。

 ただ、自分の勘にすべてを託して思い切り前へと体を投げ出した。

 すれ違うのは一瞬。

 地面を転がり――そして、半ば本能的にそれをつかみ取っていた。

「こいつでブッタ斬ってやるッ!?」

 吹き付ける殺気に正対し、渾身の力でそれを握り砕く。

 その感触が伝わってくると同時、迷わず手の内の破片を投げつけた。

「なッ?!」

 場違いなほど煌めくそれは、青水晶の破片。

 それは相手の体に付着して、その輪郭を浮かび上がらせた。

(見えた……ッ!)

 迷わず加速する。

 払い落されれば、また勘を頼りに立ち回るしかない。

 相手は自分より経験豊富な冒険者だ。同じ手は二度通じない。

 この好機を逃すわけにはいかない――!

「う、うおおおおおおおああああああああッ!!」

「ふッッ!」

 動揺がはっきりと宿ったその剣筋は、あまりに遅すぎた。

 軌跡に合わせて≪神様のナイフ≫を一閃。その剣を根元から切断する。

 まだ青水晶の輝きは健在。だから、相手の体勢が崩れるのがはっきりと見えた。

 ナイフを振りぬいた加速を殺さぬまま、体を反転。憧憬(アイズさん)に――文字通りの意味で――叩き込まれた回し蹴りを繰り出す。

 狙いは頭部。正確には右側頭部。兜さえ蹴り飛ばせればそれでいい――!

「がああッ!?」

 手ごたえ――というか、足ごたえ?――は思った以上に鮮明だった。

 バキッ――と、そんな破壊音が()()()()()()()()()()微かに聞こえる。

「ぎッ、ぐがぁ……」

 それと同時、相手の『透明状態(インビジビリティ)』が解除される。

「く、クソガキがぁぁぁぁぁっ……!」

 血走った目と視線が交差する。

 僕自身のダメージも決して軽いわけではない。少なくとも、息が切れ始めているのを自覚していた。

 拳を握る。

 いつの間にか追いかけてきてくれたヴェルフや桜花さん達が周囲を囲んでいた冒険者たちと戦っている。

 そちらの状況を把握するほどの余裕はない……けど、ここでモルドさんを倒せば少しは優勢に傾くはずだ。

「くたばりやがれえええええッ!」

 なりふり構わず、モルドさんが突撃してくる。

 見えない動きではない。見切れない動きではない。

(迎撃できる――!)

 その覚悟とともに、地面を蹴って――

「ッッッッ!?」

 殺意にも似た強烈な神威が辺りを席巻した。

 

 …――

 

 

「なぁ、今何が起こってるんだよ!?」

 と、木に括りつけられたまま絶叫する。

 何が何だかよく分からないまま、こんな目に合ってるボクだけど、こんなところで遊んでいる場合ではないことくらいは分かった。

 何かもう、森の奥から剣戟の音とか叫喚とか咆哮とかヤバい音がずっと聞こえているし!

 あのモルドとかいう子の言ってたベル君への『指導』とか不安しか感じない!

「――おい、コラッ! (ボク)を無視するんじゃなーい!」

 うがー!――と、吠えたところで反応があった。

 左右にいる二人からではなく、もう少し遠いところから。

 具体的には――

『危ないですよ!!』

「うお?!」

 白い光輪がちょうど二人の首筋を狙ったかのように通り抜けて行った。

「てめぇ、何モ――ッ!?」

 続いて飛び込んできたのは、鈍く光る銀色の鎧。

 つまり、アンジェ君は全く容赦なく冒険者君の片方を殴り飛ばした。

 手にした斧槍(ハルバード)で。……石突きの方だったけど。

 そちらに気を取られていた隙に、ぴょんぴょんと近づいてくる影があった。

「べ、ベルくん?!」

「違えよ――ブあッ?!」

 律義にツッコミを入れた隙に、もう一人の冒険者君も盾で顔面を殴られて鼻血を流す。

「ぐ、おおおおぉ……っっ」

 そりゃもう、ドバドバと景気よく。

 ちなみに、このでっかい白兎は確かアルミラージって名前のモンスターだ。

『――【響く十二時のお告げ】』

 いや、違う。この()()()は――

「サポーター君!」

 灰色の光膜が白い毛皮を包み、溶かすように消し去る。

 残っていたのは小人族(パルゥム)のサポーター君だった。

「はいヘスティア様無事ですか? 無事ですね!」

「雑!? 扱いが雑すぎるだろぉ!?」

「いいから早く! お仕事の時間です!」

 サポーター君がザックザックとナイフで縄を雑に切断する。

「へ? 仕事って……?」

 まさかダンジョンのなかでジャガ丸くんを揚げろと――!?

「死人が出る前にアンジェ様を止めてください! 何か()()()()()()()()()()!?」

 前代未聞の大偉業に打ち震える暇もなく、サポーター君が叫んだ。

「ほへ?!」

 慌てて視線をそちらに戻す。

 すでにそこでの戦闘は終わっていた。というか、そもそも始まってすらいない感じだった。

「神に仇名す不敬者ども。貴様らの大罪、万死に値――」

「しなーいっ!!」

 とりゃー!――と、アンジェ君の腰に後ろから抱き着く。

 鎧に直撃したのでちょっと痛かった。

「ヘスティア様。今しばらくお待ちください。この者どもを裁き、耳を削いで御身に捧げます」

 それで動じるような子じゃないのは分かっていたけども!

「「ひ、人殺しいいいいいいいっ!?」」

 本気度一〇〇%。一切の迷いのない言葉に、ゴロツキ君たちが本気の悲鳴を上げる。

「いらないよっ?!」

 それに負けず、すかさず叫び返した。というか、叫び返すしかない。じゃないとやる。この子はマジでヤる。

 ボクの悲壮な思いが通じたのか、アンジェ君はほんの少し沈黙してから。

「では、瞳を……」

「そうじゃなあああああああああああああいっ!?」

「まさか舌を? いけません、ヘスティア様。それは貴女様にはふさわしくない」

「絶対いらない!! と、いうかそもそもどういう基準で言ってるんだい!?」

「では、椎骨だと。いえ、ですが、それは……」

「それもいらないからっ!?」

 どうしてことごとく物騒な代物を捧げようとするんだ?!

 そしてサポーター君! 『やっぱりクオン様の関係者なんですねぇ。何だか安心しました』とか言ってひとり寛いでいるんじゃない!

「お、おい。今気づいたんだがよ……」

 そんな中で、ゴロツキ君の片割れが震える指でサポーター君を指さして呻いた。

「あそこで悠然と構えている小人族(パルゥム)。ありゃもしかして、古の『ハベルの戦士』って奴なんじゃ……」

「な、何だと……ッ!?」

 もう一人のゴロツキ君が戦慄したまま叫ぶ。

「あの【大切断(アマゾン)】ですら持ち上げられない伝説の剣を片手で軽々振り回すって奴かッ!?」

「そうだぜ! しかも一度身に着けたら【猛者(おうじゃ)】ですら身動きが取れなくなる呪いの鎧を着込んでも平然としたままだって噂だ!」

「それどころか【正体不明(イレギュラー)】だって片手で一捻りだとか聞いたぞ?!」

 何だかすごい噂になってる。

 何が辛いって、二人ともガチで信じてるってことだ。嫌でも分かってしまう。女神だから。

「他にも山ほどの水晶柱をバリバリかみ砕ける強靭な顎も持ってるとか……!」

「あのクソッたれな黒竜も腹を見せて降参するつってたな!?」

「ああ! 力の源は生きた処女のエルフの魂で、ハルバードで刺してこんがり焼いてダガーで切り分けて丸齧りに――…」

 いや、それもう絶対途中で死んでるし丸齧りでもないだろ――と。

 何だかグロいうえにワケワカメな領域に突入していく二人の会話に、何とかツッコミを入れようとした瞬間。

 

 プッツン☆

 

 そんな音を確かに聞いた。

「アンジェ様」

 ポンと手のひらを打ち合わせ、向日葵のような笑顔を浮かべながらサポーター君が言った。

「ハンバーグにしちゃいましょう♪」

「「「どわあああああああああああああッ?!」」」

 ゴロツキ君たちと一緒になって叫ぶ。

「おおおおおおお落ち着くんだサポーター君! 君までそっち側(ダークサイド)に行かないでくれぇ?!」

 行かれると、深刻にツッコミが間に合わない!

 なんて、ツッコミを入れている暇もなかった。

 何故なら――…

「―――――ッッ!?」

 敵意に満ちた神威が、唐突に森の向こうから吹きつけてくる。

 半ば押し倒すようにサポーター君へと抱き着き、自分の神威で包み込む。

(これ、ヘルメス……?!)

 多分、それは間違いない。そして、尋常なことじゃない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

(まさかクオン君にバレた?!)

 いや、問題はそれだけじゃない。

 これだけ派手にやれば絶対に()()()()()()()()()()

「みんな、大丈夫かい?」

 幸いにして、神威の嵐はすぐに収まった。

 いや、まぁ、クオン君が絡んでいるなら幸いかどうかは微妙なところだけど。

「な、何とか……」

 青い顔をしたサポーター君がまだ少し震える声で頷く。

「ヘスティア様……」

 一方で、アンジェ君は――やはりというべきなのか、それとも表面上の話に過ぎないのか――臆することなく、ただ険しい顔で『空』を見上げている。

「急ぎ、クラネル様達と合流すべきかと」

「ああ。分かってるよ」

 ついさっきまで聞こえていた喧騒はもう聞こえてこない。

 ベル君がいるんだし、まさかクオン君に全員斬られたりはしてないと思うけど……。

「君たちも着いて――…」

 何が起こってもいいようにゴロツキ君たちも連れて行った方がいいだろう。

 心の中で呟きながら、二人に視線を向けると。

「こらあああああああっ!? 今はシリアスパートだぞおおおっ!?」

 何だかカニのようにブクブク泡を吹いてひっくり返っていた。

 まったく、こんな時だっていうのに! 緊張感が足りてないっ!!

「いえ、真面目に真剣に卒倒してるのだと思いますよ?」

 起っきろぉおおおおっ!――と。

 ゴロツキ君たちを蹴っ飛ばしていると、ポツリとサポーター君が呟いた。

 

 …――

 

(なるほど。元凶は高台に、か)

 リヴィラに戻るまでもなく、元凶――()()()()()を発見した。

 そう。そいつらこそがあの女神(イシュタル)が遺した最後の標的だ。

 ヘルメス。そしてその眷属の女。

 ホークウッドの言う元凶はこの二人だと考えてよかろう。

 そうでなくとも、別に構わない。

 この亡者(かみ)どもはあの少女の魔法――いや、アイシャは妖術と呼んでいたか――の詳細と、『殺生石』の利用法を知っている最後の派閥。

 であれば、どのみち一人残らず鏖殺する必要がある。

 今回の『殺生石』を渡したのはアン・ディールだとしても、そんなことはただ時間を前倒しにしただけに過ぎないのだから。

「こんな愛、堪ったものじゃありません」

 女の視線の先――その高台から一望できる広場では、ならず者どもに囲まれたベルが見知らぬ冒険者と取っ組み合っている。

 この喧騒に釣られてきたのは正解だった。

 完全に場の空気に飲まれているのか、今はベルの方が劣勢だが……まぁ、逆転は時間の問題だろう。

 ベルはあの戦いからさらに経験を積んでいる。ならば、その程度には仕上がっているはずだ。

 あのならず者どもを何故ホークウッドが庇おうとしているのか。詳しいことは分からない。

 ただ、ある程度の察しならついた。

「そう言うなって」

 ベルと対峙する誰かの姿()()()()()()のはこの女の仕業と見ていい。

 全体的な構図で言えば、神に誑かされたといったところだろう。

 よくある話だ。忌々しいことに。

「【Corpus New 】」

 だがまぁ、この際どうでもいいか。向こうが終わる前に、こちらも終わせた方がいい。

 少し距離を置いたところで詠唱する。

 間違ってもその声は届くまい。

 指にはオーベックから譲り受けた『静かに眠る竜印の指輪』を――ヴァンハイムの隠密の『とっておき』を嵌めているのだから。

「知って欲しかったのさ。彼に()の一面を」

 標的を間合いにとらえた。

 ならばお望み通り教えてやるとしよう。

 俺達(ひと)呪い(ちから)を。

「【万能者(ペルセウス)】警戒しろ!!」

「えっ――ッ!?」

 思わず舌打ちした。

 背後からの声にではない。もう一人の女が標的と俺の間に飛び込んできたことにだ。

 女の勘とでもいうつもりか。

 だが、それでもいい。この距離なら。ひと手間増えるだけだ。

 ……今の状況では、そのひと手間こそが厄介だが。

 手にしたダガーを――≪闇のダガー≫を割って入ってきたその女の横腹に突き立てる。

「―――――ぁ」

 耳障りな断末魔の悲鳴など誰が許すものか。

 そんな暇も与えず、刀身に宿った闇の力がその女の体を駆け巡る。

 神の血に酔い、適性(しかく)を失った冒険者どもにはよく効くだろう。

「アスフィ!?」

 魔術――【見えない体】はまだ健在。音も完全に消されている。

 腑抜けた亡者(かみ)に、俺の姿はとらえられない。

 ――が。それも、もうあまり意味はなさそうだ。

「やめろ、クオン!!」

 シャクティが叫びながら槍を構え突撃してくる。

 さすがに彼女は俺の位置をある程度予測できているらしい。

 刺した女のソウルはまだ流れてこないが、生者ならまず動けまい。

 ならば、とどめは後でいい。今はその時間も惜しかった。

 白目をむくその女を適当に蹴飛ばして、刃を自由にする。

 とはいえ、あまり時間はない。少なくとも、仕切り直してから、改めて急所を狙えるほど暇ではない。

 内心で舌打ちしながら、武器を切り替えた。

 無理に背後を取る必要はない。

 一撃で殺せる。然るべきところに、適切な強さで当てられるなら。

 それは、イシュタル達を相手に確認済みだ。

 それどころか標的はまだ()()()()()()()()()()()

「―――――」

 手にする武器は、愛用のクレイモア。それを横薙ぎに一閃する。

 それで終わり――のはずだったが。

 

 次の瞬間、()()()()()()()()

 

「つぅ……!?」

 確かにふるった大剣はあっさりと両断した。

 標的ではなく、なりふり構わず飛び込んできたシャクティの槍を。

 その刹那、魔術を維持する冷静さが吹き飛んだ。

 毒づく暇もなく、自身の感覚(しかく)の中でも半透明になっていたはずの体が実体を取り戻す。

「命を懸けるほどの相手かッ?!」

 戦闘中に激昂など出来る身分ではない。

 そんな余計なことをしている余裕など、この非才の身にあるものか。

 だが、思わず叫んでいた。

 剣先は槍どころか確実に彼女の体を斬り裂いている。その手ごたえを確かに感じたからだ。

 致命傷には届かない。だが、決して浅くもあるまい。

「命を懸ける状況だともッ!!」

 が、彼女はそれを無視して叫び返してきた。

「お前に()()()()と敵対されては困るからなッ!」

「勝手なことを……!」

 毒づく……が、彼女が言わんとしていることは分かる。

 ダンジョン内に『深淵』を発生させられるような何者かが存在しているのは明らかだ。

 果たして、オッタルやその手下どもと殺しあっている(無意味なことをしている)暇があるかどうか――…。

 戦闘中に余計な意識が浮かんだ。浮かべてしまった。

 そのせいで必要な一手がわずかに遅れる。

「―――――ッッ?!」

 その瞬間、膨大な神の気配が解き放たれた。

 声にならない悲鳴とともにシャクティの動きが止まる。

 問題はない。予測外の行動ではない――いや、()()()()()()()だった。

 今の生者(にんげん)など、それだけで支配できる。奴らは本気でそう信じているのだから。

 投げナイフを投擲。狙いは亡者(かみ)の手。

 正確には投げつけようとしてきた小瓶のようなものだった。

 ……のだが。

 狙いが逸れた。俺が下手を打ったのではなく、亡者(かみ)が焦りすぎた。

 慌てて駆け寄り、抱き上げ、何かを抜き出し、投げつけようとした。

 だが、その女の血で濡れたその手はよく(ぬめ)ったらしい。

 結局、投擲された小瓶はでたらめな場所へと飛んで行き――そして、起爆した。

 果たしてこれは俺の『人間性』が手繰り寄せた幸運なのか。それとも単純に奴が間抜けなだけか。

 ……まぁ、この際どちらでもいいが。

 それより一瞬早く、投擲をやめてシャクティの体を抱き寄せ盾の内側に庇う。

 伝わってくる衝撃はなかなかのものだった。愛用の≪竜紋章の盾≫でなければ、もう少し痛い目を見ただろう。

「ぐおぉ……っっ!?」

 一方で自爆した亡者(かみ)自身は半身が焼け爛れ――盾になったのか、それとも盾にされたのかは知らないが――背中一面が焼け焦げた女の方はいよいよ痙攣を始めていた。

 ……いや、冒険者は存外にしぶとい。それが死の痙攣とは限らない。

「――――ッ!?」

 好機を逃さず仕留める。この手で確実に殺すまで、油断などすべきではないのだから。

 ……いや、この有様なら一思いにとどめを刺してやるのがいっそ慈悲ですらあるだろう。

 それはそれで癪だ――と。そんな戯言諸共に刃を振り下ろす。

 だが、直撃するより早く背後からシャクティに体当たりされた。

 そのせいで、狙いが逸れる。精々切っ先が軽く亡者(かみ)を掠めた程度だ。

 本人は大げさすぎる悲鳴を上げているが。

「お前……!」

「言っただろう。お前にオラリオの敵になってもらっては困る!」

 まだどこか上擦った声のシャクティともつれ合い、地面を転がりながら言い合う。

 傍から見れば酷く滑稽なやり取りにしか見えまい。

 近くの水晶柱に映り込む自分たちの姿に舌打ちするより先に()()()()()()()()

「何だ?」

 体を跳ね起こすより先に、ダンジョンの『空』が赤黒く染まる。

 それどころか、ダンジョンそのものが小さく鳴動していた。

「く……ッ! これが『厄災』か!」

「何だと?」

 疑問への返答は、思いのほか速やかに返ってきた。

 シャクティからではなく、ダンジョンそのものから、だ。

 

 …――

 

「な、何だ……?」

 神威の嵐は、一瞬で収まった。……と、思う。

 ただ、異変はまだ続いている。

 ダンジョンが揺れていた。

「大丈夫か、ベル!」

「遅くなり、申し訳ありません!」

「ヴェルフ! 命さん達も!」

 戦意を喪失した冒険者たちを飛び越え、ヴェルフ達が駆け寄ってくる。

 他に命さん達に、リューさん――…

「ふぅむ……」

 一昨日、クオンさんと戦っていたアーロンさんの姿もあった。

「揺れが強くなっておる。さて、何が起こることやら……」

 そのアーロンさんは兜越しに顎を撫で、『空』を見上げていた。

 その間にもダンジョンの揺れは強くなり、木々のざわめきが斉唱となって響き渡る。

「……これはあの時と同じ。『()()』が来る前触れ」

 見たこともないほど険しい顔で、リューさんが呻いた。

「リューさん……?」

「ほう?」

 困惑する僕達――と、何だか楽しそうなアーロンさんを――が束の間立ち尽くしていると。

「やはりそうなるか」

「シャクティ……」

 いつの間にかシャクティさんとクオンさんが近くまでやってきていた。

「その傷は、まさか……っ!」

 シャクティさんの戦闘衣(バトルクロス)の胸元には剣で斬られたような傷がある。

 血の染みからすると、決して浅い傷ではない。

 何かあったのは明白だった。

「その『厄災』ってのは何だ?」

 さっきの神威の原因はもしかして――と、僕が視線を動かしたちょうどその時、クオンさんが言った。

「いえ、その前に……」

「安心しろ。最悪の事態だけは回避できた。【万能者(ペルセウス)】も一命をとりとめたからな。……すぐに戦線へ復帰することは難しいかもしれないが」

「それは、確かに不幸中の幸いですが……」

「何が幸いなものか」

 リューさんの言葉にクオンさんがかなり不機嫌そうに毒づく。

 つまりというか、やっぱり……!

「やっぱり君のせいかあああああぁあああああああぁっっ!!」

 とりゃー!――と、神様がドロップキックをクオンさんにお見舞いする。

「どわあああああああっ?!」

「神様ぁっ?!」

 ……けど、クオンさんがあっさり避けたのでそのまま向こうまで飛んで行き、着地に失敗して地面を転がっていった。

「ベル様、ご無事ですか?!」

 そっちに気を取られていると、後ろからリリの声が聞こえた。

「リリ! アンジェさんも!」

 神様を助けてくれたのはリリ達なのだろう。

「ご事情はわかりますが、お一人で行ってしまわないでください!! リリ達に相談するだけでもやりようはいくらでもあった筈です!」

 安心したように笑いかけてから、キッと眼を鋭くしたリリに怒られてしまった。

「ごめん、ありがとう」

 素直に頭を下げる。

 リリだけではなく、みんなに向かって。

「……それで、『厄災』ってのはあいつのことでいいのか?」

 僕が頭を上げるより先に、クオンさんが言った。

 慌てて頭を上げ、クオンさんの視線の先を追う。

 クオンさんが見ているのはこの一八階層で太陽の役割を果たす最も巨大な白水晶。

 正確には、()()()()だ。

「……え?」

 その水晶の中から黒い何かが蠢いていた。

 それを認めると同時、ダンジョンが一際大きく震動する。

「わぁああっ?!」

「きゃああっ?!」

「神様! リリ!」

 一八階層全体を揺るがすその威力に、誰もが周囲にある幹や水晶柱に手を伸ばし踏み止まろうとする。

 

 そして――バキリッ、と。

 走った。

 未だ巨大な何かが蠢く白水晶に、深く歪な線が。

 

「亀裂……!?」

「まさか、モンスターが生まれるのか?!」

「ありえません! ここは安全階層(セーフティポイント)ですよ!?」

 リリの悲鳴を嘲笑うように、亀裂はより大きく、より深くなっていく。

 あの黒い塊が生れ落ちるまで、そう時間は必要ない。それは、誰の目にも明らかだった。

「クオン! 貴公らも無事か!?」

 戦慄が深まる中、駆け寄ってきたのはソラールさん達だった。

「いったい何が起こってるんだい?」

「それが俺もよく分からなくてな」

 アイシャさんの問いかけに、クオンさんが肩をすくめて見せた。

「『厄災』がどうこう言ってるんだが……」

「おい、【象神の杖(アンクーシャ)】。『厄災』ってまさか七年前のあれのことか?」

 呻いたのは、灰色の髪をしたアマゾネスだった。

「おそらくな」

「本気で言ってるのかい?」

 シャクティさんが頷くと、アイシャさんまでが舌打ちする。

「昔話で盛り上がっているところ悪いが、誰でもいいから説明してくれ」

「ダンジョンは()()()()()()()()。こんな地下(ところ)に閉じ込めている、神々(ボクたち)をね」

 クオンさんの問いかけに応じたのは、神様だった。

「多分、『深淵』ってやつのせいで元々神経質になってたんだと思う。そこにさっきみたいに強烈な神威が吹き荒れたなら間違いなく暴走する」

「神様……?」

 観念したように――もしくは、懺悔でもするように――呻く神様に、茫然と声をかける。

「あのモンスターは多分、ヘルメスを……いや、神々(ボクたち)を抹殺するために送られてきた刺客だ」

 そんな僕を他所に、神様は続けた。

 よく分からない。よく分からないままに大切なことだけは理解した。

 ダンジョンは神様たちを殺すために、あの黒い何かを生み出そうとしているのだと。

「神を憎んでいる、か。なるほど」

 カルラさんが苦笑とも嘆息ともつかない吐息を漏らした。

「カルラさん?」

「どうやら、あちらは少しも堪える必要がないようだな?」

「……ああ、そうらしいな。羨ましい限りだ」

 クオンさんの舌打ちは、ダンジョンに響く轟音に紛れて消えた。

 

 …――

 

 迷宮は憎悪に身を任せ、猛り狂っていた。

 

 ――神が己のうちにいる!

 

 身悶えし、憤怒し、慟哭し、狂笑し――…

 

 何を想い、何を欲し、何を成さんとしているのか。

 ともすれば、それすらも見失いかねない程の衝動。

 耐えがたい渇きにも似て――…

 

 そう。

 

 迷宮が抱くソレは確かに()()()()()()()()だった。

 

 ドクン――と。

 それに呼応して、何かが脈打った。

 脈打ち始めた。

 人が迷宮に踏み込んでから今に至るまで。

 愚かな侵入者がその命尽きる度に、ほんの少しずつ迷宮に溜まり始めていた『何か』。

 ついには怪物であって怪物でない何かを生み出すに至った『何か』。

 

 暗く生温かいその『何か』が、その衝動に共鳴した。

 

 ドクン――と。

 

 それはつい先日、迷宮を飲み込まんとし。

 そして、迷宮もまた飲み干そうとしたあの『異物』。

 

 それは、あの暗い『深淵』に、とてもよく似ている。

 あの『毒』を飲み干さんとした今だからこそ、それが解った。

 で、あれば。

 忌々しい『女王』の真似事くらいならできるだろう。

 

 あの『異物』を定着させるための『要』。

 それは元々、迷宮の力を利用して生み出されたモノなのだから。

 

 そして、迷宮は。

 

 ありったけの寵愛(のろい)を込めて――その恐ろしさなど顧みることなく――その怪物を解き放った。

 

 …――

 

『――――――――――ォォ!!』

 生れ落ちた『厄災』。

 その()()()()()()()は、鮮血よりも赤い瞳を見開き咆哮する。

 ダンジョンが鳴動して、そして――…

「やられた……!」

 呼応するように、突如として中央樹と南端の外壁が崩れ落ちた。

 さらに、その傷口を覆うように無数の水晶が――そして、不気味な『赤水晶』までが生じた。

 決して逃がさないのだと。そう宣言するように。

「ああ。これで退路は断たれたというわけだ」

「そうなりますね」

 シャクティさんが苦々しく呻き、クオンさんが小さく肩をすくめ、リューさんはいつも通り冷静な声で頷いた。

「いや、もっとヤベぇぞ?!」

 灰色髪のアマゾネスが焦りを宿した声で言った。

「何だ? なんか来るぞ――…」

 黒いゴライアスは大きく息を吸い、そして――…

『――――――――――――――――ォオッ!!』

 そして、『咆哮(ハウル)』した。

「は……っ?!」

 帯電する不可視の衝撃に飲まれ地面が崩れ落ちる。

 何が何だかよく分からないまま、それだけを理解していた。

「おい! 全員生きているか?! 主にヘスティアとリリルカ!」

 気づけば、崩落する高台を転がるように滑り落ちていて。

 そのまま何とか地面に着地し、瓦礫の雨を掻い潜ってから――僕を肩に担いだまま――クオンさんが辺りに向けて叫んだ。

「いいいいいい生きてる! よーな気がする?!」

「たぶん平気ですぅ!?」

 森の中に突き立つ大きな瓦礫の影から、それぞれアンジェさんとソラールさんに抱えられた神様とリリが叫び返してくる。

 その瓦礫の影で神様たちと合流し、ひとまず安堵してから……改めて血の気が引いた。

 他のみんなはどこに……!?

「いてて……。クソ、ふざけんなよ……ッ!」

 最初に瓦礫の影に飛び込んできたのは、灰色髪のアマゾネスだった。

 片手で耳を抑え、もう片腕で千草さんを抱えている。

「物理的な衝撃を伴う『咆哮(ハウル)』だって……!?」

 その少し後ろで、こちらに向かってくる――もしくは避難してくる――モンスターの群れを斬り散らしていたアイシャさんが毒づく。

「ヘルハウンドと同じく、魔力を利用した攻撃のようですが……」

「威力が尋常じゃないぞ」

 同じくモンスターの群れを殲滅していたリューさんの言葉に、同行していたヴェルフが呻いた。

「ああ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「うむ。流石に少し肝が冷えたわ」

 険しい顔で桜花さんが頷き、アーロンさんが呵々と楽しそうに笑う。

 改めて見ると、確かに高台の全てが消し飛んだわけではなさそうだった。

 もしそうだったら、流石にクオンさん達でも避け切れなかっただろう。

 高台そのものはまだ原形は残っている。

 僕たちがいた辺りがここから見ても分かる程度に抉られているだけで。

「狙いが甘くて助かった」

「まったくだ」

 ソラールさんの言葉に、カルラさんが頷く。

 実際、直撃していたらあんな風に滑り落ちるだけでは済むはずもない。

 それどころか、全滅していただろう。少なくとも、僕達は。

「全員無事か?」

「皆さんご無事ですか?!」

 最後に駆け寄ってきたのはシャクティさんと命さんだった。

「多分な。他のゴロツキどもがどうなったかは知らないが」

 高台の上やすぐ近くの森の中から悲鳴のようなものが聞こえてくる。

 多分、戦闘になっている――撤退戦かもしれないけど――のは間違いないと思うけど……。

「今からでもあの神を殺せば帰ってくれるんじゃないか?」

「神ヘスティアがいるだろう」

 シャクティさんの言葉に、アンジェさんが盾を構えて神様の前に立ちはだかる。

 それを見たクオンさんが、それもそうだな――と、もう一度肩をすくめた。

「ヘスティア。これで貸し二つだからな」

「……やはりやる気かな?」

 杖を携え、明らかに答えを理解している様子のカルラさん。

「ああ。流石に神どものとばっちりで殺されちゃかなわない」

 愛用のクレイモアを引き抜きながら、クオンさんが宣言した。

「……半分はお前のせいだがな」

 シャクティさんのため息は聞こえなかったことにしたらしい。

 その代わりに、いつもの『スキル』で一振りの槍を取り出す。

「やる。さっきの詫びだ。お前なら多分使えるだろう」

 クオンさんが投げ渡したのは、立派な拵えの十字槍だった。

 何となく≪神様のナイフ≫に雰囲気が似ているような……。

「それで、どうするつもりだ?」

 敵意はないと判断したのだろう。

 改めて巨人を見据えながら、アンジェさんが言った。

「まずはリヴィラを死守する」

 その問いかけに、クオンさんは即答する。

「霞がいるからね」

 そんなクオンさんをからかうように――でも、真剣に――アイシャさんが言う。

 当然だろう。この一八階層で、それでも一番安全なのはあの街だから。

「それももちろんだが、ついでにヘスティアも預かってもらわなけりゃならない。それに――…」

「あの街が陥落すれば私達は完全に補給先を失うことになる」

 槍の具合を確かめながら、シャクティさんが呟いた。

「後詰や補給を蔑ろにしては、勝てる戦にも勝てんな」

 刀を抜きながら、アーロンさんが笑う。

「うむ。だが、この『中層』にいるのは誰もが偉業を成し遂げた戦士たちだと聞く。そう容易く陥落するとは思えん」

 俺達はただ前を見て進めばいい――と、ソラールさんが剣と盾を構えた。

「ああ。どのみち退路もないしな。奴らもそのうち腹をくくるだろうさ」

 できれば早めに決めて欲しいが――と、クオンさんは小さくため息をこぼしてから。

「何であれ、時間が惜しい。始めるぞ」

 何の気負いもなく、瓦礫の影から飛び出して行った。

 ほぼ同時に、ソラールさんとアーロンさんが。そして、その後にカルラさんも続く。

「サミラ、お前は神ヘスティアを連れてリヴィラに向かえ」

「何だよ。オレは仲間はずれってか?」

「いや、違う。リヴィラについたら、ボールスの尻を蹴飛ばしてでもいい、援軍を用意させろ。お前向きの仕事だと思うが?」

 その後は好きにしていい――と、シャクティさんも言い残して走り出す。

「チッ、物は言いようだな」

「ああ、サミラ。リヴィラに行くなら、ついでにこれを霞に渡してくれるかい?」

 舌打ちする灰色髪のアマゾネス……サミラさんに、アイシャさんが何かを手渡した。

「そりゃ構わねぇけど……。こんなもん何に使うんだ?」

「流石にあいつは冒険者じゃないからね。それくらいの小道具は必要だろうさ」

「はぁ? ……まぁ、いいけどよ。ほら行くぜ女神様」

「ほぁ?! 急に担ぐんじゃなーい!?」

 さっきの僕のように小麦の袋のように肩に担がれて、神様が叫ぶ。

「それで、坊や。あんた達はどうするんだい?」

 アイシャさんだけではなく、リューさんやサミラさんの視線が集まる。

 それだけではない。神様も、リリも、ヴェルフも、アンジェさんも、命さん達までが僕を見ていた。

 仮にもパーティ全員の命を預かるリーダーとして、選択が求められている。

「――――――」

 相手の力は未知数。ただ、元がゴライアスであるならLv.4以上は絶対だ。

 一方で僕たちは上級冒険者(Lv.2)が五人にも満たない。

 先ほど見せつけられた通り、彼我の実力差は絶対。

「行きます」

 それでも、迷いは一瞬だった。

 リヴィラの援軍と言っても、主となるのは僕と同じLv.2だ。

 それなら、僕だって戦わなくては。

「そういうと思ったぜ、相棒」

 パンッ!――と、拳を掌に打ち付けてヴェルフがにやりと笑った。

「仕方ありませんね。階層主が相手でも、サポーターは必要でしょう」

 大きなため息をついて見せてからリリが言う。

「我が主の命のままに」

 アンジェさんが一礼し、桜花さん達も無言で大きく頷いてくれた。

「上等だよ」

 不敵に笑うと、アイシャさんもまた戦場に向かって走り出した。

「貴方はパーティのリーダー失格だ」

 ため息交じりに、言ったのはリューさんだった。

 他の誰でもない彼女の非難の言葉と目に、胸がひび割れる。

 そして、鋭い痛みに打ちのめられそうになった次の瞬間――彼女は笑った。

「だが、間違っていない」

 目を丸くする僕を置き去りに、リューさんも瓦礫の影から飛び出して行った。

「っと、ヤベェ、オレも急いで仕事済まさねえと喧嘩に遅れちまう!」

「どわぁ!?」

「行くぞ!」

「おおおおぉっ!?」

「喋ると舌噛んじまうぜ、女神様!」

 驚くほどの速さで走り出したサミラさんに、担がれたままの神様が悲鳴を上げた。

「み、みんな無理するんじゃないぞおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!」

 奇妙に尾を引いて聞こえる神様の声に背中を押され、

「行こう!」

 僕達も、巨人の猛る戦場へと飛び込んでいった。

 

 

 

 草木と水晶に彩られ、精霊郷のようですらあった一八階層。

 そこが今は、正しく怪物の園と化していた。

「フッ――ッ!」

 アンジェさんが眼前に立ちはだかるバグベアーを斬り捨てる。

 続けて、ハルバードに切り替え迫りくるリザードマンの群れを薙ぎ払った。

「ファイアボルトッ!」

 でも、まだ足りない。

 それを飛び越えて迫るライガーファングを撃ち落とす。

「覚悟しちゃいたが、こいつはマジで洒落にならねぇな……ッ!」

「ああ。モンスターどもめ、どいつもこいつも殺気立っている」

 火の粉を纏いながら地に落ちたライガーファングにすかさずとどめを刺しながら、ヴェルフと桜花さんが毒づく。

 瓦礫の陰を飛び出してからここまで――クオンさん達やリューさん達が先行しているのに――交戦回数はすでに三回。

 クオンさん達がモンスターを放置していったのではなく、単純に倒した端から殺到してきているだけだ。

「乱戦の中に飛び込んだと見ていいでしょう」

 さらに続けて飛び出してきたガン・リベルラをハルバードで叩き落としながらアンジェさんが言った。

 その推測はきっと正しい。今も周りのあちらこちらから戦闘音が途絶えることなく聞こえてくる。

「どこから敵が襲ってくるか分かりません。油断なさらないように」

 僕だけではなく、ヴェルフ達もその言葉に頷いた。

「ひとまず先行隊に追いついた方がよいかと。この状況下で戦力の分散は好ましくありません」

 幸い、目指す場所ははっきりしています――と。その言葉に頷く。

 木々の隙間から、咆哮を上げる巨人の姿は見えていた。

「リューと言いましたね。彼女も、おそらく同じことを考えているかと」

 少し先にいるはずのリューさんにもまだ追いつけていない。

 ただ、木々の隙間を縫うように疾走する緑のケープや時々視界の隅に見えていたし、その先で凛とした声が響くのも聞こえていた。

 何より、その鼓舞に冒険者と思しき声が集まりつつあることも感じる。

 そして、すぐに森が途切れた。

 いや、違う。巨人によって蹂躙された森の跡地。つまり、戦場へと到達したのだ。

「クオンさん!」

 最前線にいたのは、当然というべきかクオンさん達だった。

「よう、遅かったな」

 斧槍でミノタウロスの群れをまとめて一掃しながらクオンさんが言う。

「すみませんッ!」

 すぐ背後に迫っていたリザードマンの胸元――魔石へとナイフを突き立てながら叫び返す。

 その間にパーティを一瞥したクオンさんが叫んだ。

「リリルカ! 俺たちの死角を補え!」

「ええ?! ど、どうすればいいんですか?!」

「シャクティの補佐でいい! いつも通りやれ!」

「無茶ぶりが過ぎませんか!?」

「何、そのうち慣れるッ!」

 リリの悲鳴を、一突きでミノタウロスを仕留めながらシャクティさんが笑い飛ばした。

「そういうあんたは、何だか調子が悪そうじゃないか?」

「この槍、なかなか重くてな。慣れるまでにもう少しかかりそうだ」

 切れ味に文句はないがな――と。

 大朴刀を振り回し、周囲のモンスターをまとめて薙ぎ払い笑うアイシャさんに、シャクティさんが応じた。

「うむ。使いこなせれば、古竜のウロコすら貫ける名槍だからな」

「そうか。……ならば、期待に応えてみせよう」

 貴公になら、きっと()()()()()()はずだ――なんて。

 ソラールさんの言葉は何となく奇妙な気もしたけど。

「千草、お主はその娘を守ってやれ。命はその娘らとともに我らに指図せよ」

「はい!」

「お任せください!」

「桜花。お主は我らと共に来い。このまま敵中を突破するぞ」

「承知! 押し通るッ!」

 桜花さん達が、アーロンさんを中心にして陣形を組む。

 元々顔見知りということもあって――何より、アーロンさんもシャクティさんに負けないくらい()()()()()()()()()()――二人の間にはすぐに連携が生まれた。

「おおおおおッッ!」

 同じLv.2とは思えないほど、モンスターへの対応力が上がっていく。

 僕も負けていられない――と。

「ベル様、上です!」

 そんな中で、リリの悲鳴が聞こえた。

 

 ――頭上に羽音。

 

 ――ガン・リベラル。

 

 ――射撃が来る!

 

(回避……いや、無理。防御を――ッ!)

 その刹那。脳裏に言葉が爆ぜ、選択を迫られる。

「フッ!」

 しかし、発射されるより先に緑色の疾風がそれを叩き落とす。

「クラネルさん。油断はいけない」

 リューさんは着地と同時、気づかないうちに僕の背後に迫っていたライガーファングまで撃破して見せた。

「すみません!」

 改めて精神を研ぎ澄ます。

 クオンさん達が周りにいるとはいえ、決して()()に余裕があるわけじゃない。

 最低限自分の身は自分で守れないのであれば、ただの足手まといでしかなかった。

「あまり力みすぎるなよベル。俺達もいつも通りやるぞ」

「そうです、ベル様。いつも通り落ち着いていきましょう」

「ええ、焦ってはいけません。意識を広く向けてください」

「うん! みんな、ありがとう!」

 ――と、そんな焦りを見透かしたようにヴェルフやリリ、アンジェさんがそれぞれ助言をくれた。

 集中力はそのままに、余計な気負いが抜け、狭くなっていた意識が広がっていく。

 体が軽く、そして柔らかく動く。

(行ける……!)

 モンスターは狂暴になっているせいか、動きまで荒くなっている。

 あの『変異種』ほどではないにしても隙が多い。

 なら、臆するな。飛び込め。

 このモンスターたちに直撃を許せば僕はすぐにでも行動不能に追いやれるだろうけど。

 僕だって一撃でモンスターを灰にできるのだから。

「そう、それでいい」

 妖精の囁きと仲間たちの声に背中を押され、さらに加速する。

 狙いは魔石。だけど、最悪は一撃で仕留めきれなくてもいい。

 大甲虫(マッドビートル)の外殻の隙間にナイフを滑り込ませ、四肢を解体する。

「よっしゃあ、いただき!」

 背後にはヴェルフ達がいる。

 戦闘能力を奪えば……動きさえ止めれやれば、とどめは任せられる。

「ヴェルフ殿、右から来ます!」

「うぉっと?!」

「フッ!」

「悪い、助かった!」

「いいえ。大型と言え、動きが鈍重とは限りません。油断なさらないように」

 桜花さん達やリューさんとも手を取り合い、新たな連携が組みあがっていく。

「スコット、ガイル、どこだ!? 助けろっ! 助けてくれえええっ!?」

「前方に冒険者! 数は五……いえ、八!」

 前方から悲鳴が聞こえる。

 鬱蒼とした森の中でモンスターと入り乱れる冒険者たちの数を、命さんが正確に読み取り告げた。

「いかん! 『咆哮(ハウル)』が来るぞ! 避けろ!」

 でも、シャクティさんの指示は今まさに狙われているその冒険者たちには届かない。

 というより、届いていたとしても、対応ができない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()状態ではとても。

「カルラ!」

「任された」

 クオンさんとカルラさんの詠唱が重なる。

「――――――ッ!」

 クオンさんが突き出した両掌から、不可視の衝撃波――衝撃の塊がモンスターの群れの群れに直撃し、そして炸裂した。

「【Retorta Barricade 】」

 強引にこじ開けられた空白地帯にカルラさんが飛び込み、杖を掲げる。

『――――――――――ォォ!!』

 同時、咆哮(ハウル)が放たれて――

「まぁ、こんなところか」

 空間を暗く歪ませる障壁に()()()()()()

 行き場を失った衝撃は周りのモンスターを飲み込み爆ぜる。

 とはいえ、全部のモンスターではない。それに、次から次に集まってくる。

「救助は任せたッ!」

「はいっ!」

 背後から軽々と僕達を追い抜いていくシャクティさん。

 その背中を追うように、僕も疾走した。

「はぁあッ!」

 尻もちをついた冒険者を飛び越え、彼を喰らおうとしていたバグベア―の首を一閃。

 その人の救助はリリと千草さんに任せて、さらに加速する。

 先ほどの『咆哮(ハウル)』の余波で、だいぶ森が拓けてしまっている。

 クオンさん達はともかく、僕達には戦力的に余裕がない。

 神時代の戦いは数より質だ――なんて言われるけど、質が拮抗するなら数の猛威は健在だ。

 まして遮るもののないこの先の荒野であればなおさら。

 気圧されないよう、しっかりと奥歯を噛みしめた。

 動きを止めるな。止まればそのまま飲み込まれる。

(それより速く駆け抜けろ――ッ!)

 呪文のように念じながら、止めることなくナイフを振るう。

 もっと速く。もっと強く。

 先を行く先達のように。遥か遠い憧憬のように。

 あるいは、英雄たちのように。

「アイシャ、用意しろ! 奴の足元まで道を開くッ!」

「任せなッ!」

 クオンさんの声に、アイシャさんもた大朴刀を構えて魔力を纏う。

「【来れ、蛮勇の覇者。雄々しき戦士よ――】」

 詠唱……いや、これは()()()()。魔導士たちの極意にして奥義。

「では、私も。この数だ。火力は多い方がいいでしょう」

 そして、リューさんもまた溢れんばかりの魔力を集め練り始めた。

「【今は遠き森の空。無窮(むきゅう)の夜天に(ちりば)む無限の星々――】」

 近接戦闘を続行しながら、リューさんとアイシャさんは詠唱(うた)を歌い続ける。

「――――ッ!」

 その歌を背に受け、クオンさんは左手に『火』を灯す。

 何をしようとしているのか、理性ではなく本能が察する。

「全員下がれ! 巻き込まれるなよ!」

 シャクティさんの声に応じるように、無数の火柱が乱立する。

 間違いなく、これはホークウッドさん達との戦闘で使っていたあの呪術――!

 大嵐の如く吹き荒れる劫火が、モンスターの群れをまとめて飲み干し、その包囲を強引にこじ開けた。

「【ヘル・カイオス】ッッ!!」

「【ルミノス・ウィンド 】ッッ!!」

 未だ火の粉舞う空白地帯の中心。

 そこにいたクオンさんが飛びのくと同時、紅色の斬撃と緑の星々がさらに深くモンスターの群れを切り拓く。

「一番槍は任せた」

 その『道』を真っ先にアーロンさんが疾走する。

「おう!」

 そして、ソラールさんが勇壮な物語を口ずさむ。

 掲げられたその手には雷が集まり、一本の槍となる。

 そして、放たれたその槍は再び『咆哮(ハウル)』を放つべく開かれた巨人の口蓋を貫き――…

「破ッ!」

 崩れ落ちた巨体を駆け上がったアーロンさんが一太刀でその首を刎ねてみせた。

「やった――!」

 口蓋に溜まっていた魔力はたちまち暴走し、その首が地面に落ちるより先に炸裂する。

 後に残るのは首を失った巨体のみ。

 集まり始めていた冒険者たちが――もちろん僕達も――歓声を上げようとして。

「いや、これはいかん」

 血肉の雨とともに地に降り立ったアーロンさんが呟く。

「な……っ?!」

 その呟きを肯定するように。

 赤黒い……いや、どことなく赤みを帯びた黒い粒子がその首元から発生。

 そして、すぐに失われたはずの頭部が()()()()()()()()

 いや、違う。完全にではない。

「自己再生……。いや、それどころではないな」

 少し変容している。顔だけではなく全身が。

 ギシギシ、ミチミチと。肉体が蠢く音が聞こえるほどだった。

「これが『厄災』ってわけかい?」

「ええ。あの時と素体は違いますが」

 アイシャさんの問いかけに、リューさんが険しい顔で応じた。

 歴戦の彼女たちですらそんな有様なのだ。

「おいおい、冗談じゃねぇぞ……っ!」

 周囲の冒険者の心が折れる音を……少なくとも、ひびが入る音を確かに聞いた。

 下手をすれば、このまま瓦解しかねない。

 追い打ちをかけるように――…

『――――――――――ォォ!!』

 その雄たけびに応じるように、地面からモンスターの大群が――…

(いや、違う!)

 そのモンスターの『()()』が生まれ出てくる。

怪物の宴(モンスター・パーティ)……!」

「やれやれ、まさに()()()()()ってわけだ」

「この数だ。もう『孤』とは言えない」

 シャクティさん達までが、険しい表情を浮かべている。

『――――――――ォォ』

 そう、それはもはや『孤王』などではない。

 その『王』は無数の怪物を従者に、愚かな冒険者たちを睥睨している。

「……フン、獣を率いて王様気取りか?」

 さらなる激戦が始まる直前。ほんの刹那の静寂。

「いいだろう、クソッたれが」

 そんな中で傍らのクオンさんと『迷宮の巨王』の視線が交わるのが分かった。

「【王狩り】の名が伊達じゃないってことを教えてやる」

 

 

 

「おいコラボールス! 面貸しやがれッ!」

「【乱士(バイト)】?! 何の用だ?!」

 あの高台――というか、その跡地――から、ゴライアスを避けつつも最短距離でリヴィラの街まで駆け抜けてから。

「ほああぁあっ?!」

 これからリヴィラ流の『交渉』が始まる。

 流石に危ない――まぁ、この大頭に女神に手を上げるほどの根性(ガッツ)があるとは思えないが――ので、担いできた女神様をその辺に放ってから詰め寄る。

「ンなこと、アレ見りゃ言うまでもねぇだろうがッ!」

 黒いゴライアスの巨躯は、このリヴィラからでもよく見えた。

 破壊力を伴う『咆哮(ハウル)』を乱射し、森を荒野に変えながら何かを探しているようにも見える。

「こらー! 君まで神を投げるんじゃなーい!!」

 多分この女神(ヘスティア)と、もう一人の男神(ヘルメス)だろう。

 その女神様は、女神ってだけのことはあるのか、やたら慣れた様子で受け身をとってから跳ね起き叫んでいる。

 舌噛んで悶絶していた時はどうなるかと思ったけど、思った以上に元気そうなので安心した。

「あのクソッたれな階層主をぶちのめすから、ありったけの人と武器を用意しろッ!」

 これで心置きなく、あのゴライアスに集中できる。

「はぁ?! 討伐するだとぅ?! 馬鹿なこと言ってんじゃねぇ!!」

「うるせぇ! 面倒だから先に言っとくが、逃げ道なんざもうどこにもねえぞッ!」

 崩落しただけでも厄介だってのに、水晶でガチガチに固められている。

 ちょっと場所はずれているが何か見慣れねぇ『赤水晶』まで生えてくる始末だ。

 仮に全員で掘り返しに行っても、どれだけ時間が必要か分かったもんじゃねぇ。

「そ、それなら【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】の連中も――…」

「そいつらはちょっと前に帰った。あと、【ガネーシャ・ファミリア】の大半もな!」

 というか、元からリヴィラに住んでいる奴ら以外は全員地上に戻ったと見ていい。

 ……まぁ、その代わり地上からいくらか戻ってきているので、そこまで極端に人がいなくなっているわけでもないだろうが。

 それに、戦力的にはそこまで致命的な劣勢というわけでもないはずだった。

 うちの団長――と、呼ぶのはまだ何となく据わりが悪いが――はLv.5。

 オレとアイシャ……あと、ついでにこの大頭もLv.3。

 ついでに言えば、一八階層にいる奴らは基本的にLv.2。

 ああいや、【リトル・ルーキー】のパーティメンバーはLv.1らしいけど……。

(生きてここまで辿り着けたなら、そう簡単に死にはしねぇだろ)

 ランクアップして半月も経たないで『中層』進出とかどうすりゃできるんだか。

 それは後で訊くとして、とりあえず戦力には……少なくともサポーターくらいにはなる。

 そして、何よりもオレ達【イシュタル・ファミリア】をたった一人で消滅させたあの【正体不明(イレギュラー)】もいる。

 というか、何かよく分からねえけどあいつと同じくらいの奴らが四人くらいいる。

 案外、そう苦労なくカタがつくかも――…

(おいコラ、雄に縋るなんざどういう了見だ)

 ダセェことを考えた自分を戒めていると、誰かが小さく叫んだ。

「あ……っ!」

 視線をやると雷が黒いゴライアスの口腔を貫き、駆け上がった誰がその首を両断するのが見えた。

 あの『咆哮(ハウル)』を放とうとしていた……そのために集まっていた魔力が暴発し、その首は地面に落ちるより先に破裂する。

「な、なんだ。もう終わっちまったじゃあねぇか」

「本気でバケモノだな、【正体不明(イレギュラー)】の奴……ッ?!」

 出番がとられちまったぜ――と、虚勢を張って見せる大頭(ボールス)がすぐさま表情を凍り付かせる。

「おい、嘘だろ。首やったんだぞ……ッ!?」

 多分オレも同じような面をしてるだろう。

 そんなオレ達を嘲笑するように切断された首元から、赤黒い粒子が立ち上り……。

「再生しやがっただとぉ?!」

 何事もなかったかのように、黒いゴライアスは雄たけびを上げて見せた。

 階層主が、あんなにも強力な再生能力を持っているなんて冗談じゃない。

 だが、問題はそれだけじゃねえ。

(フザケんなよ……ッ!)

 その雄たけびに従うように、ここから見ても分かるほど大量にモンスターが湧いて出やがった。

 いったいどこのどいつだ。階層主を『迷宮の孤王』なんて呼んだ大嘘つきは。

 これこそがダンジョン。無限の怪物を生み出す俺たちの縄張りだ――と。

 忌々しいほどに見せつけてきやがるじゃねぇか。

(どうする……!)

 数は力だ――なんてことを言えば、前時代的だと、地上のマヌケどもは笑うかもしれない。

 だが、そんな奴らはここに来ればいい。

 無限にモンスターを生み出すダンジョンが、その脅威を全開にすればどうなるか。それをてめぇの目に焼き付けてみろ。

(いくら【正体不明(イレギュラー)】つっても一人だ。ダンジョンそのものを相手にはできねえだろ)

 質を蹂躙するほどの数の暴力。

 それに抗うには、こちらも数を揃える必要があった。

 つまり、リヴィラの連中を何としても戦場まで引きずり出すしかない。

 あの『王』さえ始末すりゃ、奴に付き従うモンスターどもも大人しくなる……はずだ。そうに決まってる。

「見ただろ、てめぇら! あいつをぶち殺して魔石をえぐり取るしか選択肢はねえんだ!」

 奴の狙いはこのリヴィラの街だ。

 ……正確には、さっき担いできた女神様と別動隊が担ぎ込んだ男神(ヘルメス)だが。

 アイシャ達が足止めしてくれているが、それでもゆっくりとこちらに向かってきている。

「ふざけんな! あんなもんまともな階層主じゃねぇ! ここは逃げるが勝ちだろうが!?」

「うるせぇ、ンなことできねぇっつっただろうが! つべこべ言うならてめぇらの『武勇伝(せいへき)』片っ端からぶちまけるぞ!!」

「んなっ?!」

「ちょ、それだけは……ッッ!」

「守秘義務とかねぇのか、てめぇら!?」

「それが人類(にんげん)のすることかよぉ!?」

 リヴィラの雄どもが喚きたてる中で、何とか冷静さを取り戻そうとする。

(クソ、オレこーいう仕事向いてねぇんだけどなぁ!)

 頭使って説得するなんざ、どう考えてもオレ向きの仕事じゃねぇ。

 つーか、アマゾネスにやらせんな。ンなこと。

(ああ、クソ! こういうのは団長の仕事だろうが!)

 いや、うちの元団長(フリュネ)にはそれこそ絶対に無理だが。

 内心で頭を掻き毟ってから、思いつく限りの??咤激励(ばせい)を吐き出そうとして――…

「いい加減にしなさいッ!!」

 それより先に、誰かが一喝した。

 視線を向ければ、そこにいたのは一人の耳長(エルフ)

 確か【正体不明(イレギュラー)】のマネージャーだとか言ってたか。

「アンタ達ねぇ! あそこで誰が戦ってるか知ってる?!」

「そりゃあ――…」

 あの【正体不明(イレギュラー)】だろ――と。

 ボールス達が答えるより先に、そのエルフは続けた。

「ベル君たちよ! ベル・クラネル! 冒険者になってまだ一ヶ月ちょっとの子が戦ってるってのに熟練者(ベテラン)のアンタたちはいつまでもグチグチと! ホントにタマついてるのっ!?」

 ……何つーか、素直に驚いた。

 特に最後の言葉。自分から好き好んで『歓楽街』にやってきたエルフどもでも、なかなか言えないような気がする。

「いっつも偉そうに威張り散らしてるくせに! ここで逃げたら一生笑い話にしてやるわよ!」

 基本的に長命なエルフに言われると結構洒落にならない。

 そうでなくとも、荒くれ揃いのリヴィラの住民――いや、冒険者どもだ。

「てめぇ……」

 ただの雌に言われたとあっちゃさすがに黙っていられねえか。

 殺気にも似た怒気が漂い始める。

 だが、そのエルフは意にも介さないどころか、逆に鼻で笑って見せた。

「何、悔しいの? なら、早く行って『巨人殺し』になってきなさい!」

「そうは言うがなぁ……」

 ここまで言われて燻っているようなら、そもそもLv.2にすらなれない。

 だが、あの黒いゴライアスはやはり真っ当な存在ではなかった。それを察せられないなら、やはりLv.2になるまで生き残れない。

 焚きつけるにはもう一押しいる。

「いい。このままだと、私達はみんな死ぬの」

 そのエルフは、一転して落ち着いた口調で言った。

 それは、そう。まさに言い聞かせるように。

「見て。崩れた洞窟は水晶で完全に固められる。もう一つの方も多分。それに、下に逃げても仕方ないでしょう?」

 そりゃそうだった。この一八階層は、オレたち人類(にんげん)がいる最後の領域だ。

 この下にも安全階層(セーフティ・ポイント)はあるが、拠点があるわけではない。

 もちろん、そこに辿り着くまでにモンスターどもはどんどん手強くなる。

 地上からの援軍があの黒いゴライアスを仕留めるまで立てこもるだけでも、かなりの危険を伴う。

 そもそも、掘り返すだけでどれだけの被害が出ることか。

「やるしかないのよ。死にたくないなら、戦うしか」

 決然と宣言してから続けた。

「だから、アンタ達の命、全部まとめて私に賭けなさい!」

「はぁ?!」

「タダでとは言わないわ。代わりに、アンタ達を巨人殺しの英雄にしてあげるから」

「いや、お前に何ができるってんだ?」

 誰かの問いかけに、その(おんな)は不敵に笑い――…

「あら、さっき自分で言ったじゃない。あそこには私の剣闘士もいるの。アイツを貸してあげる。これ以上の勝算は必要かしら?」

 本当に。ふてぶてしいまでにそいつは言い切った。

「……ちくしょうめ」

 ボールスが項垂れてから、その凶悪な人相に狂暴な笑みを浮かべた。

 よりによって【正体不明(イレギュラー)】の……『灰色の悪夢』の名を出されれば、やるしかないのだ。

 冒険者としての意地がある限り。

 とはいえ、

「話は聞いてたな、てめぇ等ァ! これからあの化物と一戦やるぞぉ! 今から逃げ出した奴は二度とこの街の立ち入りを許さねぇ!」

 実際のところ、あいつらが潰れる前に合流するのが唯一の勝ち筋だといってもいい。

 それが分からないなら、冒険者などやっていられない。

 リヴィラに住み着いてる奴らはもちろん、宿泊していた奴らまでが武器を携えて走り出す。

 腕に覚えのねえ奴らも、武具やポーションをかき集め始める。

 にわかに騒然となるリヴィラを見やり、女エルフは腕組みして満足そうに頷いていた。

 

 その姿を見てから、アイシャの奇妙な届け物の意味を理解した。

 

(ったく、そういうことかよ)

 手渡されたのは、アイシャが愛用している口紅だった。

 それは今、その女エルフの唇に塗られている。

 何故か。そんなことは簡単だ。オレにだって分かる。

 

 ()()()()()()()()()()()()に決まっている。

 

 腕組みをしているのも同じだ。

 震える体を誤魔化しているだけ。

 当然だろう。

 リヴィラでたった一人。この女エルフは冒険者――()()()宿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 今この時、この場で誰よりもあの巨人に怯えていたとして、いったい誰が咎められるというのか。

 

「大丈夫かい……?」

「ええ。もちろんですよ」

 気遣うように寄り添う女神様にも、その女エルフは気丈に笑って見せる。

 この雌が戦場に出ることはない。どこかで指揮を執ることすらあり得ないだろう。

 精々、傷の手当てを手伝うサポーターの一人でしかない。

 だが、それでも。

 もしこの(おんな)が折れれば、その影響は決して小さくない。

(おとこ)を勇士に変えるのも(おんな)の嗜み、か)

 いつだったか、イシュタル様がそんなことを言っていたのを思い出す。

 雄に守られるだけの雌なんて願い下げだと、その時は鼻で笑った気がするが。

 ただ、なるほど。さすがは神の慧眼ということだったのだろう。

(こういう戦い方もあるってわけかよ)

 さすがに【正体不明(イレギュラー)】達もあの数を相手にするには手数が足りていない。

 ここでリヴィラが動かなければ、いずれ奴らも共倒れする。……と、思う。

 だから、この(おんな)はリヴィラの雄どもを勇士に変えて見せた。自分の雄のために。

 おそらくこの場で最も無力なこの雌は、それでも守られているだけのか弱い存在ではない。

 あの【正体不明(イレギュラー)】を救い、巨人殺しの一端を担っている。

(アイシャが気に入るわけだな)

 自分の雄を共有するほどには。

「おい」

「どうしたの?」

「名前、教えてくれよ」

「私の? 霞よ。霞・アンジェリック。アナタは?」

「サミラってんだ」

 返事をしながら、その(おんな)の名前をしっかりと覚えておく。

「生きて戻ったら、飲みに行こうぜ。アイシャも誘ってよ」

 いや、エルフどもは酒飲まねえんだっけ?――なんて。

 そんな杞憂はあっさりと笑い飛ばされた。

「神様の言う『女子会』ってやつかしら? いいわよ、楽しみにしてるわ!」

 その返事に笑い返し――集まった武器の中で一番まともな斧槍を引っ掴み、手斧を腰にぶら下げる。

 ひとまずこれでいい。

 あとはあのクソッたれな巨人を始末するだけだ。

 

 …――

 

『――――――ァァ!!』

 放たれる『咆哮(ハウル)』と、巻き込まれて吹き飛ぶモンスターを掻い潜り、ゴライアスの足元まで肉薄する。

 近づくごとに、その巨大さに圧倒されそうになる。

 その巨体は一〇Mを超えている。足元に立てばきっと顔なんて見えない。

 ともすれば沸き起こりそうになる弱気を、強引にかみ砕く。

 手にしているのはいつものナイフ――ではなく。

 クオンさんから借りたバスタードソードだった。

 直剣というには少し長く、大剣というには少しだけ小さいそれは取り回しやすく、思った以上に僕の手に馴染んだ。

「はぁああっ!」

 大剣を一閃。行く手を阻むモンスターはまとめて両断できた。

(よしッ!)

 切れ味なら、なくしてしまった≪炎のショートソード≫と同じ程度。

 武器に頼っているようで情けないけど、今回は大目に見てもらう。反省も後回し。

 これなら格上のモンスター相手でも充分に戦える。今はそれでいい。

「【タケミカヅチ・ファミリア】は周りのモンスターを叩け! 【ヘスティア・ファミリア】は『咆哮(ハウル)』の迎撃と指揮の補佐。そして、遊撃だ!」

「【燃えつきろ、外法の業】!」

 シャクティさんの指示に、ヴェルフが詠唱で応じる。

「【ウィル・オ・ウィスプ】!!」

『――――ォ……!?』

 魔力がゴライアスの口腔内で再び炸裂する。

 下顎が外れ、唇がはじけ飛び、歯が砕け散り――…

「やっぱ治るのかよ……!」

 そして、再生しながら変容していく。

 ただ、さすがにすぐさま傷がなくなるわけでもない。

「――――――ォ!」

 無防備となった口腔をソラールさんの雷槍がより深くえぐり、貫き通す。

「【Orbe Novo Tenebris 】」

 続けて、カルラさんの放った闇の塊がその顔面に直撃。

 頭部の大半を失った巨人が微かにふらつき、動きを止める。

 わずかな隙に、アーロンさんとクオンさんが疾走した。

「合わせいッ!」

「やってみよう」

 クオンさんが両手で構えるのは、鉄塊のような特大剣。

 熔鉄をそのまま固めたかのようなその剣には、青い炎が今も燻っている。

 いや――…

「―――――ッ!!」

 渾身の一撃が放たれると同時、()()()()()()()()()()()()()

 その炎刃が、大樹のような巨人の右脚を焼き斬り――…

「吻ッ!」

 出会い頭にその首を断ち切ったアーロンさんの一撃が反対の脚を切断する。

「桜花様、命様、下がってくださいッ!」

『――――ガァ!?』

 リリの叫びが消える頃、両脚を失ったゴライアスが成すすべもなく地面に転倒した。

「畳みかけるよッ!」

 その叫びすら置き去りに、アイシャさんが大朴刀を振りかざして突撃。

「【来れ、蛮勇の覇者。雄々しき戦士よ――】」

 詠唱(うた)を紡ぎながら、振り回される腕を掻い潜り、逆に斬り裂いていく。

 攻撃を仕掛けるのは、アイシャさんだけではない。

「【今は遠き森の空。無窮(むきゅう)の夜天に(ちりば)む無限の星々――】」

 リューさんもまた疾風の如く駆け、蹂躙していく。

 身動きの取れない巨体は、ただの的でしかない――と。そう言わんばかりに。

「はぁあああッッ!!」

 頭蓋骨の再生が済んだばかりの頭部を、シャクティさんの槍が穿ち、

「くたばれッ!」

 肉に覆われていない頸骨を、アンジェさんの斧槍が強引に叩き切った。

 再生させるわけにはいかない。倒せないにしても、頭部がなければ動きが止まるのだから。

 いや、動かなくなるというのは少し違う。

「きゃああっ!?」

「前に出すぎるな! まぐれでも当たれば致命傷になるぞ! 千草もだ!」

「うん!」

 リリに向かって飛んで行った石塊を弾きながら、桜花さんが叫ぶ。

 打ち上げられた魚のように、その四肢は今もでたらめに動き回っている。

 狙っているわけではない。周りのモンスターすら巻き込んで磨り潰している。

 先ほどのように巻き上げられ、飛び散る石片ですら充分な凶器となるだろう。

「ガン・リベルラ、前方上空から来ます! 数はおよそ五〇!」

「ソラール!」

「おう!」

 命さんの声に、クオンさんがソラールさんに大盾を一枚投げ渡す。

 ガン・リベルラの一斉掃射が始まったのはその直後だった。

 とはいえ、その堅牢な守りを貫くことは叶わない。

「【Ave Tenebris 】!」

 カルラさんの魔法に合わせて砲声する。

「ファイアボルト!!」

 飛び散る闇の飛沫と、乱射した炎雷がひとまずガン・リベルラの大群を消し飛ばした。

「【ヘル・カイオス】ッ!!」

「【ルミノス・ウィンド】ッ!!」

 紅色の斬撃と緑風を纏った大光玉が、ようやく立ち上がったゴライアスを再び地面へと押し倒す。

 自己再生は今もまだ続いているけど、刻まれた傷は深い。

 これだけダメージを与えれば、再生のために燃焼させている魔力だっていつまでも持つはずがない。

(行けるッ!)

 リューさん達の後に続き、ゴライアスへの突撃を敢行しながら叫ぶ。

 自己再生能力は確かに厄介だ。でも、僕たちの攻撃が全く通じていないわけではない。

 確実に痛手を負わせているはずだ。

 だって、ゴライアスは()退()()()()()()()()()のだから。

「やはり、これはいかんな」

 そんな楽観を否定するかのように、アーロンが呟くのが聞こえた。

「ああ。このままでは、先に彼らが息切れしてしまう。俺達も魔力切れは避けられまい」

 迫りくるモンスターの群れを切り倒しながら、ソラールさんもその言葉に苦々しく頷く。

「うむ。一騎討ならまだどうにでもなるが……ま、そのような泣き言を言っても始まらんか」

「そうだな。今できることをやるしかない」

「だが、どうする? 回復速度が異常だ。これでは、いくら傷を負わせても全く意味がない」

 頷きあうソラールさんたちに、アンジェさんが問いかけた。

「相手の魔力が枯渇するまで削り切る……と、言いたいところですが」

「残念だが、それは無理だろう。()()()()()()()()()()()()()のだからな」

「やはりですか」

 カルラさんの言葉に、リューさんまでが小さく舌打ちをした。

「魔力が外から供給されているだと?」

 想像もしてしていなかった言葉に、桜花さんが呻く。

 僕も――多分、リリやヴェルフ達も――同じ気分だった。

 それは、限りなく絶望的な事実なのだから。

「心配しなくても、対処法は見当がついた」

 絶句する僕達に、クオンさんが告げる。

「本当ですか?!」

 一転して歓声を上げる僕達に、続けてクオンさんはあっさり肩をすくめて見せた。

「ああ。ただ、手を打つには()()()()()()()

「……そうだな」

 苦々しく頷いたのはシャクティさんだった。

「ここでゴライアスの足止めをしてくれる誰かが必要だと言いたいのだろう?」

「ああ。……狙われているのがヘスティアじゃなければ放っておくんだがな」

 クオンさんの何気ない一言に、今さらになってゴライアスがどこに向かっているのかを理解した。

 いや、落ち着いて考えれば分かりきったことだった。

 神様自身が言ったのだから。

 

 あれは、神々を殺すための刺客なのだと。

 

(あいつは後退しているんじゃない……!)

 ゴライアスは後退しているんじゃない。神様たちがいるリヴィラの街へ向かおうとしているだけ。

 僕たちは今、その背中を追っているだけに過ぎないんだ。

 当たり前のことじゃないか。今さら気づくなんて暢気すぎる。

 場所はもう中央樹の近く。リヴィラのある島だって、もう見えている。

 万が一にでも僕達が引き離されれば、リヴィラの街が襲われる。そして、神様が死んでしまう。

 背筋を強張らせる悪寒を、さらに奮起する血潮が強引に押し返す。

「……クオン、ソラール、アンジェ。お前達だけで何とかなるか?」

「それはこちらの台詞だ」

 シャクティさんの問いかけに、クオンさんが応じた。

「お前達だけで足止めできるのか?」

「それは……」

「ひよっこどもだけでは少々荷が重かろうな」 

 言葉を濁すシャクティさんに代わって、アーロンさんが応じた。

 ……耳が痛い。

 周りのモンスターならともかく、あのゴライアスを足止めするには、Lv.2だけでは力不足だ。

 今、クオンさん達がいなくなれば、間違いなく突破される。

 僕達だけでは、足止めになるほどのダメージを与えるのは難しいのだから。

「しかし、だからといって彼らに抜けられても困るだろう?」

 無力さに歯噛みしていると、カルラさんが言った。

「何しろ、この数だ。手が足りていないのではないか?」

「ま、この前よりはマシだけどね」

 カルラさんもアイシャさんも、話しながら行く手を阻むモンスターの大群を斬り散らしている。

 もちろん、二人だけではない。

 全員が剣だけは止めていない。初めからそんな余裕はない。

 ゴライアスが地に倒れている今この時に畳みかけなければならないのだから。

「人手もそうだが、時間もない。これ以上変容させては、いよいよ厄介なことになるぞ」

 焦りを宿した声で、ソラールさんが言う。

 そのゴライアスは、もうすぐにでも動き出しそうだった。

 そうなれば、またしばらくの間は話し合っている余裕すらなくなる。

「サミラ、早く来い……!」

 いっそ祈るようにシャクティさんが唸ったその時、

「うおおおおおおおおおおッッ!!」

 前方――ゴライアスの進路方向から、何人もの叫び声が聞こえてきた。

 すぐに、行く手を阻むモンスターの圧力が減る。

「よう、待たせたか?」

 残りのモンスターを強引に斬り倒して駆け抜けると、斧槍を振り回していた一人のアマゾネスがにやりと笑った。

 その周りにはリヴィラの冒険者たちの姿もある。

「遅かったじゃないか」

「ああ。だが、よくやってくれた!」

 アイシャさんとシャクティさんがそれぞれ笑い返す頃、少し先でボールスさんが叫ぶのが聞こえた。

「武器も盾もいくらでもあるからなぁ、畜生! 潰れたらさっさと交換しろ!」

「ベル様、ヴェルフ様! 命様たちも! 武器が潰れたらすぐに言ってください! ポーションもありますよ!」

「リリ!」

 ヤケクソの叫びを肯定するように、山ほど武器や盾を背負ったリリが駆け寄ってくる。

 どうやら、他のサポーターから譲り受けたらしい。

 ひとまず攻撃はリヴィラの冒険者たちに任せ、リリの周りに集合する。

「助かった」

「礼ならお前の女に言いな」

「……霞のことか?」

「何だ。やっぱり、あいつが尻を蹴っ飛したのかい?」

「ああ。エルフにしとくにゃもったいねえな、あいつ」

「そいつは言えてるね」

 受け取ったポーションを一息で飲み干していると、そんなやり取りが聞こえる。

 ……何となく。何となくだけど納得していた。

「よし、これなら人手は充分であろう」

 アーロンさんの言葉に、全員が頷く。

 これで、人手は充分に集まった。

 数が多いとはいえ、相手はそれでも精々が二四階層辺りまでのモンスターだ……と思う。実はまだエイナさんからもほとんど教わってないんだけど。

 リヴィラの冒険者(じゅうみん)が総出で当たるなら、押し返せないことはない。

「ああ。次は奴の再生力を奪う」

「具体的にどうするおつもりなのですか?」

 そう宣言したクオンさんに、リリが問いかける。

「一八階層全体に魔法円(マジックサークル)のようなものが形成されています」

 リリの問いかけに応じたのは、リューさんだった。

「それが燃焼された魔力を再吸収し、再びゴライアスに還元していると考えます」

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()という訳だ。

「そんなの、いったいどうするんですか……?」

 次々にやってくる冒険者たちに武器やアイテムを配りながら、ひきつった声でリリが呻く。

 相手は無限の魔力を持っていて、その魔力が傷を癒し続ける。

 そんなもの、どうやって倒せばいいのか。

 こうしている間にも、あの巨人はさらに危険な何かに変化しつつあるというのに。

魔法円(マジックサークル)を破壊すればいい」

 対して、リューさんはあくまで冷静に応じた。

「一七階層連結路前に生じた『赤水晶』。あくまで私が確認できた範囲ですが、あれと同じものが北部、北東部と南西部、南東部の四ヵ所にも生じています。それが起点と見て間違いないでしょう」

「ああ、それならリヴィラに向かう途中にオレも見たぜ。南部の森を抜けた先にも一個あった」

 となると、南西部だろうか。

 リヴィラの街から一望した一八階層の全景を思い浮かべながら内心で呟く。

「全部で五つ。……いえ、この配置なら」

「北西部にも一つありそうだな」

 確かに。配置の間隔からして、そこにも一つあると考えた方が自然だった。

「ええ。全部で六つあると考えていいでしょう」

「では、あの『赤水晶』をすべて破壊すれば!」

「あれほど馬鹿げた再生はできなくなる。多分な」

 クオンさんの言葉に、リリが少し表情を緩める。

 桜花さん達も……多分、僕自身も。

 決して油断はできないけど、攻略法が見えたのだから。

「とはいえ、戦力が足りないことに変わりはない。できれば水晶の破壊に向かう人数は最小に留めたい」

 少しだけ気が緩んだのを見透かしたように、シャクティさんが言った。

「ああ。俺が北側二つを受け持つ。ソラール、南側を任せていいか?」

「任せておけ! すぐに戻ってくる!」

 クオンさんの言葉に、ソラールが頷く。

「後方の二つはどうする?」

「アーロン……を、そちらに回すのは悪手か」

「何だ。私では役者不足とでもいうつもりか?」

「まさか。伝説の騎士様には、ぜひ陣頭指揮を任せたいってだけだ」

「言いよるわ」

「だが、そうしてもらえると助かる。情けない話だが、私だけでは少々荷が重い」

 シャクティさんの視線の先では、リヴィラの冒険者たちが思い思いに波状攻撃を仕掛けている。

 ただ、そこは荒くれ者たちによる急造の共同戦線。連携という意味では粗削りすぎた。

「やれやれ、それはそれで骨が折れそうだ」

 アーロンさんが、大げさに肩をすくめて見せる。

「ならば、私に南部の二つを任せて欲しい」

「アンジェさん?」

「そりゃ構わないが、急にどうした?」

「ヘスティア様の護衛に戻る。万が一の時に備え、守りが必要だろう」

「別に止めはしないが……」

 クオンさんが肩をすくめた。

「もしベル達を連れて行こうと考えているなら諦めろ。相当な苦労を伴うが、そのための時間がない」

 ……それは、否定できない。

 その『赤水晶』を破壊しなければならないのは分かっていても。

 そして、Lv.2になったばかりの僕にできることは少ないとしても。

 それでも、ここから離れる気になるかというと……。

「いえ、それならリリだけでもお供させてください」

 図星を指されたのか沈黙するアンジェさんと、その言葉に躊躇う僕を他所に言ったのはリリだった。

「リヴィラに戻って補給を続けなければなりません。想像以上の消耗率ですから」

 気づけば、リリのバックパックはすっかり空になっている。

 あれだけあった武器は、前線に行き渡り……そして、次々に刃こぼれし、半ばから折れて地面に打ち捨てられている。

「リヴィラから戻ってくる時は、他のサポーターに混ぜてもらえます。ですが、今の状況でここからリヴィラまで戻るとなると、リリ一人では難しいです」

 確かに、周囲では乱戦が始まっている。

 人対モンスターだから同士討ちの心配はいらないにしても、突破は簡単ではない。

 それに、リヴィラのサポーターたちはすでに戻ってしまっているようだ。

「人選はお前に任せる。話し合っている時間が惜しい」

 リリの言葉に頷き、クオンさんが告げた。

「分かった」

 頷くアンジェさんに、クオンさんも頷き返してから。

「いいか、ベル。この先どこで戦うかはお前の自由だが、あの『赤水晶』がある限り、勝ち目は薄いってことだけは忘れるなよ?」

 とにかく、今は連携が必要だ。

 クオンさんは最後にそう言い残して、北に向かって走り出した。

「では、俺は東部に向かう。カルラ殿、しばしこの少年たちを任せていいか?」

「ああ。精々守ってもらうとするさ」

 カルラさんの返事を待たず、ソラールさんが後方――一八階層東部へ走り出した。

 僕自身も、どこで何をするか決めなくては――…

「話はまとまったね」

 いや、そんな悠長なことはしていられない。

 ついにゴライアスが立ち上がり、まとわりつく冒険者を振り払いながら『咆哮(ハウル)』を乱射し始めた。

「ヤベェ?! 一旦下がれ!?」

 ボールスさんの叫びを待たずして、冒険者の包囲網が霧散して――…

「来るよッ!」

 ゴライアスの赤い瞳と、確かに視線が交差する。

「【ウィル・オ・ウィスプ】!!」

 直後に放たれた『咆哮(ハウル)』は、しかし僕達に届くことなく炸裂する。

「一つ覚えで助かるぜ。おかげでコツがつかめた」

「なら、頼りにさせてもらうぞ!」

 不敵に笑うヴェルフに言い残し、シャクティさんがまず疾走した。

「行きます」

「ああ、やってやろうじゃないかッ!」

 リューさんとアイシャさんがその後に続く。

 乱射された『咆哮(ハウル)』は冒険者の包囲網を蹴散らした。

 そして、同じようにモンスターの群れも吹き散らしている。

 三人の女傑の行く手を遮るものは何もなかった。

「よぉし! 【象神の杖(アンクーシャ)】たちが囮になる! 今のうちに詠唱を始めろぉ!」

 ここにいるのは、誰もが偉業を成し遂げた熟練の冒険者たちだ。

 立て直しは迅速だった。

 すぐさま武器を構え戦場に向けて転身する。

「前衛はもう一度突っ込む!  ビビってんじゃねぇぞッ!」

 再構築される包囲網の最前線で鼓舞するのは、サミラさんだった。

『おいっ、兎ぃ! 突っ立ってるならこっちに来い、それとも怖えかぁ?!』

 その後ろに続く冒険者たちが半ば面白そうに笑うのが聞こえた。

 挑発……いや、冒険者流のお誘い。

「……行って来いよ。階層主を張り倒した相棒(アイツ)は俺が契約した冒険者だって威張らせてくれ」

 笑みを浮かべ、背中を押してくれるヴェルフにしっかりと頷く。

「アンジェさん、リリをお願いします!」

 もう迷うことはなかった。

 クオンさん達を信じて、リューさん達と一緒にゴライアスを足止めする。

 決意を胸に走りだす。

「よぉ、【リトル・ルーキー】! 本当に来るとは、いい度胸してんじゃんかよ!」

「つーか、いい剣持ってんじゃねえか!」

「どこで手に入れたんだ?」

「リヴィラにゃねえだろ、そんな値打ちモン」

 サミラさんがにやりと笑うと、他の冒険者――兄弟らしき獣人や男勝りなアマゾネスが口々にはやし立てる。

 合計五人。即席のパーティは、そのままゴライアスまで驀進して――…

「「「「やべぇ!」」」」

「え?」

 ゴライアスと視線が合った瞬間、文字通りに四散する。

 新人(ルーキー)にはとても及ばない危機察知能力だった。

 ゴライアスの間合いに取り残されたのは僕一人――…

「上等!」

 いや、サミラさんもいる。

 重圧をものともせず、さらに前へと加速している。

 残された一瞬。脳裏に金色の憧憬が思い浮かぶ。

 目の前の敵と同じ階層主を一人で打倒した少女。自分より――そして、きっと先を行く女戦士よりも――先にいる憧憬の剣士。

「―――――」

 瞳が吊り上がるのを自覚した。

 血が猛っていた。

 その衝動のまま、地面を蹴る。

『オオオオオオオオオオオオオッ!!』

 眼前に迫るのは、大気を貫く巨腕。

(逃げるな、戦えッ!)

 左右への回避など捨てていた。

 僅かでもそんなことを思えば、確実に叩き潰されていただろう。

 必要なのは駆け引き。

 自らの速さと相手の速さを比較して――わずかに体を前傾させた。

 そして、衝撃が背中に叩きつけられる。

 間一髪、敵の拳を――その通過点を駆け抜けていた。

 地面を砕くその衝撃に背中を押され、さらに疾走。

 ついに、ゴライアスの懐へと侵入した。

「ふッ!」

 会心の踏み込みとともに、手にした大剣を叩きつける。

 生半可な攻撃ではびくともしない硬質な体皮が、それでもわずかに裂けた。

(やっぱり、硬くなってる!)

 その感触に、内心で呻いていた。

 転倒したゴライアスに何度か斬りつけている。

 その時の感触より、明らかに硬い。

「ハハハッ! やるじゃねぇか【リトル・ルーキー】!」

 止まっていては狙い撃ちされるか、モンスターに囲まれる。

 距離を取りすぎないように走っていると、そう遠くないどこかからサミラさんの笑い声が聞こえた。

 ただ、場所を確認している余裕がない。先ほどの四人ともう一度合流できるかは運任せだ。

「クラネルさん、今のは危なかった」

 移動しながら追撃の隙――か、もしくはサミラさん達――を探っていると、リューさんが並走しながら言った。

「リ、リューさん」

「あんなことを繰り返していては命がいくらあっても足りません」

 フードの向こうから厳しい眼差しが見据えてくる。

「でも……」

 それに気圧されながらも、何とか言葉をひねり出そうとする。

 変容はただ見た目が変わるだけではなく、体皮の強度を上げている。

 このままでは、そう遠くないうちにLv.2の膂力では通じなくなるだろう。

「そうがっつくもんじゃないよ、坊や」

「ああ、今は足止めに専念しろ。討伐は『赤水晶』が破壊されてからだ」

 合流してきたアイシャさんとシャクティさんまでが咎めるように言った。

疾風(リオン)の指示に従え」

「あんたなら、そのエルフにもついていけるだろうからね」

 とはいえ、それはごく僅かなこと。まとまっていれば狙われる。

 シャクティさんもアイシャさんも、ゴライアスには警戒されているのだから。

 狙い撃ちされるより先に、二人はそれぞれ散会していく。

「合図をします。攻撃の際のみ私に続きなさい」

 最後に残ったリューさんが告げた。

「貴方の敏捷(あし)ならついてこれる」

「はいっ!」

 大きく頷き、必死になってリューさんの背中を追う。

「やれやれ、あれじゃまるで姉弟(きょうだい)だね」

「そこはせめて師弟と言ってやれ」

 どこかでアイシャさんとシャクティさんが笑うのが聞こえたような気がした。

 

 




―お知らせ―
 評価していただいた方、お気に入り登録していただいた方、感想を書き込んでいただいた方、ありがとうごいます。
 次回更新はこの後すぐを予定しています。
 21/09/27:一部修正

―あとがき―

 まず初めに。
 半年以上音信不通だったことをお詫び申し上げます。
 更新、返信ともに大変遅くなりましたが、この後すぐに感想へお返事させていただきます。
 改めて感謝を。そして、遅くなり申し訳ございません。

 さて、そんなわけで。
 大変遅くなりましたが、いよいよゴライアス戦です。
 ……ええと、見ての通り終わらなかったので、次話に続きます。
 章を追加した挙句、6話目追加。しかも更新が大幅に遅れるという三役揃ったダメな感じですが…。
 それと、アスフィファンの方々には今回もお詫び申し上げます。とりあえずここでリタイアということはないので、それだけはご安心を…。

 黒ゴライアスについては、ベル君サイドの戦力が超強化されているので、こっちも超強化されています。そうしないと、ベル君たちの出番がないというか…。
 灰の人は対巨人の最終兵器も持ってますし。

 と、そんなわけで今回はここまで。
 
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が本当に遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。

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